現代家族の問題点とその展望(5/7)

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3)子離れ、親離れと「第三の誕生」

それからもう一つの父の仕事というものがあって、それは産んだ母がベタベタ子供に密着して侵入する、その侵入を絶つことです。母というものは、特に子供と離れなくちゃいけないときに侵入してきます。何だかんだといっては、人の日記なんか勝手に読んじゃったりして。読んだら読んだって言えば怒ってやることもできるのに、それも言わずに、最近あなた元気ないわねなんか言ったりする。かまかけたりしてですね。こういうのは「侵入」の典型的なものですが、こういう侵入母をやっているときに、お母さんが子供の方に恍惚の目を向けているようなときに肩を叩いて、「お前、子供のことばかりに熱心にならないでくれ、俺がいるじゃないか」というのが父の役目なんです。それをちゃんとやらなくちゃいけないのに、帰ってこない。家から遠ざかって酒場のママさんという「介護の人」のところにばかり行っていて、自分の家に帰っても自分の妻のことをママなんて言ってたりする。こういうふうにしているのは父でも夫でもない。そいうわけで父の第三の仕事は、母子の密着、融合を断ち切ることですが、これはどういうことでそれをやるかといったら、妻と愛し合うことによって行うんです。もっと言えば、お前は俺の女、俺はお前の男、つまり自らのエロスでもって、母子の融合を断ち切るんですね。

これをちゃんとやれている男は、周りを見ても少ないです。逆に日本の男は共通して、成熟した異性を回避しているように思います。男同士が本音でくつろいでいる場面を見てごらんなさい。そこに女はほとんどいないです。いつも男同士で飲んだりしていて、女性がいるとさっきの飲み屋のママさんみたいな人で、介護して、保育園の保母さんみたいな形で自分をケアしてくれる人だけはいてもらってもいいんだけど、男同士の間で、大学でもそうだけと思うが、森蘭丸と織田信長みたいな関係ばっかりやっているんです。どこでもそうです。会社でもそうです。同性愛文化です。どうも三島由紀夫みたいな人ばっかりなんじゃないかと思うんですよ。だけど、世間の人として生きなくちゃいけないから一所懸命男ぶってるんでしょうね。

もともと性的に成熟するとか、自らのセクシュアリティを生きるというのは、異性を認知して、これを容認して抱擁するということを意味します。これをしないでおいて、ただ性交渉ができるっていうんじゃ、成熟した男とは言えません。セックスだけなら10代の初めくらいの男の子でも十分できます。先日もアメリカで13歳の男のこと35歳の女性教師の恋愛があって、女性教師の方が性的児童虐待で捕まってしまって、かわいそうでしたね。女性教師が妊娠してしたためにバレたんですから、13歳でも十分に受胎能力があるということです。粘膜の接触だけだったら、性行為というのは10歳ちょっと超えればできるんです。しかし、それは本当にセクシュアリティを生きていることにならないんで、やはり他者としての異性を認識して、それと向き合えるということにならないといけないんですが、どうもそのへんを誰も教えてくれないし、そういうものをきちんと踏んでいくステップがない。

だから、これからみなさんが出会う日本の男というのは、ほとんどその点では幼児的な男です。もっとひどいときにはお母さんというお袋から脱していない人で、お母さんの袋の中、お母さんの世話焼きの環境を得られなくなると、大急ぎで、学校みたいなところに袋を求めたり、あるいは企業を袋にしてその中に漂う胎児をやっている人たちです。そこへ、「そろそろあんたも」なんて言われるとそうかなと思ったりして結婚を考える。自分の中に沸き立つ性の欲動があって配偶者を求めたいなんて、そんなふうにならないんです。そろそろ嫁さんでももらわないとみっともないかと思って、「じゃあ私が見繕ってくるわ」と母が言ってどこかからお嬢さんを連れてきまして、「じゃあこれでいいや」なんて話になる。そうすると母は今度はそのお嬢さんをつかまえて、「うちの息子はこういうもが好物で、寝相がこうで、餌はこの程度がいいです」みたいに、犬の子を渡すように妻となる女性に渡す。そうすると、それをお嬢さんの方は「はい、はい」と聞いていて、内心は「このババア、何を言うか」と思ってるんです。頭の良い子はいちいち、「私はそうは思いません」と言いませんね。「はい、はい」と聞いていて、「あんた以上のママやってやるよ」なんて考えてます。靴下を履かせたり、パンツもみんな洗っちゃって、その息子のママ以上のママをやると、本来のママである婆さんは遠ざけられて家から放逐されるんです。そうすると「勝ったぁ」ということになるんですが、そのときには男は妻ならぬ新しい母の子供をやっていることになります。
このようにして、婚姻から夫婦間のセックスにまで夫の方の母親の影が漂うみたいな一種の性倒錯が普通にまかり通っているのが日本の家族なんです。こんなものを認めて母をやっている妻と、妻を母と崇めている、あるいはお前は母じゃないかといって不満たらたらで暴れる夫というもっとくだらない存在もいるんですが、いずれにしてもマザコンの男と、それをケアする「母のような妻」とこんなのが両親やっていてまともだと思いますか。しかしそれがほとんどで、その中でわれわれ日本人は生まれて育っているんです。

人間は、親たちの夫婦関係を見て育つから、自分も同じような夫婦関係をもちます。恐ろしいことです。何が恐ろしいかというと、自分の持って生まれた「欲求」「欲動」「欲望」--われわれはこの3つを使い分けているんですが、「欲求」というのはニーズと訳していて、「水を飲みたい」みたいなものです。性の欲求という場合もそれが生理的に必要だというときに欲求といいます。「欲動」というと、その生理的必要についての意識、これをドライブと言いますが、それが動くことを言います。「欲望」はその動きによって欲求が満たされたという記憶のことです。その記憶をもう一度持ちたいなと思うときに欲望といいます。 --そういうものがはっきりしないまま、本当は冷たい水を飲みたいと思っていても、お母さんがぬるま湯を出してくれるのでそれをゴクッと飲んじゃって、そうすると水分を摂るという欲求は満たされちゃうから、なにか似たようなものをいつももらって、それで満足しちゃっている。本当に自分がどう生きたいのかわからなくなっちゃったまま生きていく。悲しいことにその方が世の中のはまりがいいと言いますか、適応がいい。これがいま普通に健全と思われている私たちです。

日本家族の問題点といったら一番問題なのはそこです。展望といったら、そんなんじゃいやだという人が増えることです。いやだ、こんな世界はといって、NOを言う。NOの言い方ですか?非行ですよ。あるいは閉じこもり。学校に適応なんかしちゃいけないんです。みなさん、よくあんなところへ行ってたね。私も行ってしまったけれど。「いやだ」と言って家で昼夜逆転なんかして、ディスクジョッキーの言葉を夜中聞いていて、学校へは行かないということを2、3年やるのがいいじゃないですかね。それから、「学校へ行け」と言ってくる母親を突き飛ばす。叩く。怪我をさせると大変だから、はっきりと拒絶をする。あるいは、この手の反抗をやっていても空しいなと思うようになったら、何も言わずに家を離れる。15になったら大人ですから、先ほどいったように受胎能力は出るし、もうだいたい日本の女の子の80%以上は15歳までに初潮を経験してますから。男の子はだいたい11歳で勃起射精を経験していて、12、3歳で妊娠をさせることができる状態になっています。12、3歳から14、5歳の男の子というのは既に一匹の若いオスです。15の女の子は成熟したメスです。そんなものが家の中にうろついているのを子供扱いしてちゃいけない。次の世代をつくれる状態というのは生物学的には大人ですからね。そうなったら子供時代とは違った扱いをするということをしなくてはいけないんですが、そういう子別れ、子から言えば親離れのプロセスについて何もルールができていない。

私は、子供たちが家を出て行くことを「第三の誕生」と言っていますが、この第三の誕生にまつわるルールのなさというのが、いま世の中で起きている子供たちの問題と言われるものだと思う。結局文京区の事件についてはあまり話せなかったが、神戸の事件にしろ、14歳が主役をとるというのは、そういう意味ですよ。私はかねがね15歳で線を引けと言っています。まだまだこれから金がかかるにしても、一応ここで親子は別の局面を迎えるということでセレモニーをやれと言っているんです。「長い間子供をやってくれてありがとう」。みなさんが15を超えた次の日に、親からそう言われるというセレモニーです。長い間子供をやってくれてありがとう。楽しかった。私はあなたの子育てでずいぶん成長した。でも、これからは親でもない子でもない。あなた方はそれを聞いたらどう思うかわかりませんが、まあびっくりするんじゃないでしょうか。でも、もう違うんだというふうにちゃんと親の方で宣告して、ただ、これからもお金は必要だろうから出すと言ってもらいたいです。自分で稼げと言われちゃうとちょっと困るんで、「勝手にこういうふうに贅沢をさせておいて、何もさせないえおいて、急に働けというのは無理でしょう」と言うのは構いません。じゃあ大学出るまでは、お金の面倒はみようとか、それは家族によって違うでしょうけれど、ただ本当は出しちゃいけないお金を出すんだと。

いま人間は牛のミルクを飲んでいますが、だいたいミルクというのはその種族の乳児が飲むのがミルクなんで、本来大人の牛はおっぱい飲まないでしょう。何故かというと、牛におっぱい飲ませたら下痢して死んじゃうからです。牛乳は大きくなった牛には毒なんです。人間だって同じですよ。ただ、人間は悲しいことに、牛のミルクを横取りして飲みつづけているうちに変な微生物が腸内にはびこるようになって、あれを代謝できるようになっちゃったんです。中には原始的な人がいて、そういうものの微生物を拒んでいて、こういう人はミルクを飲むとすぐ下痢をする。あんなミルクなんていうものは、哺乳類の幼体が飲むものですから、飲んじゃいけないのですよ。

お金がそうです。思春期を越えてからのミルクというのはお金です。小さいときはいくらでももらていいんですが、16を越えてから、やたら親の金を無批判にもらっちゃいけない。意識してもらう。もっと言えば、もらってあげるんだと。親の方は出しちゃいけないものを出すんだ。ぜひもらってほしいと思って出す。そのくらいこだわってほしいですね。まあ、そういうふうにこだわっていれば、比較的楽に子離れ親別れができるでしょう。

どういうふうに自分は食べていくんだという意識が、やはり今でも男の子と女の子では、意識調査でもやってごらんになるとわかりますが、ずいぶん違います。
男の子はやはり小さいときからどうやって食おうか考えてます。でも、それもいつまでも続けちゃいけません。女の子でも、どうやって自分の生活を担っていくかということについていつもコンシャスであるような、こういう教育に変えなくちゃいけないというのも展望の一つだと思います。(続く…

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Posted by ssworld