女性とアルコール依存症(29/38)ボケ老人型、主婦の目標喪失と飲酒《症例 紀子》2

女性とアルコール依存症アルコール依存症, ジェンダー

このシリーズの最初の記事へ
面接が進むにつれて、紀子が息子の中学受験に特別な意味を認めていたことがはっきりしてきた。
「夫の実家のてまえ、息子にはどうしてもあの学校へ入ってもらいたかったのです」と彼女は言った。

紀子はある地方都市の商家の出であるが、高校生の時酒豪だった父に急死された。
彼女は長女だったから、途方にくれる母親を助けて、幼い弟妹の面倒をみるという立場に立たされたわけだが、もともと活動的で自信家の彼女はそうした状況に我慢できず、高校を出るとすぐ、母たちを置いて強引に上京してしまった。
たまたま叔母が下町でスナックを経営していたところへ転がりこんだのである。

===
そこで働きながら某劇団の研究生になったが、同期の人々の中では早くから注目され、プロの女優としても何とかめどがつきそうなところところまで頑張った。
そんな時に、スナックの客であった現在の夫見そめられ、相当悩んだり迷ったりしたあげく友人たちの反対を押し切って主婦の座を選んだのである。

夫は中規模ではあるがかなり名の知れた企業の経営者の息子で、いわば、女優の卵が社長の卵と一緒になったような形であるが、夫の実家側には、この結婚に反対する声がかなりあって彼女を苦しませたようである。
それに、結婚してみると同族経営の企業の中での夫の立場は大したものではないどころか、同族社員の中でのミソッカスに近いことがはっきりしてきた。

夫は某私大の出身であるが、東大出の3人の兄弟たちから何かと低くみられているようであり、姑にいたっては「あの子は能なしだから・・・」と彼女の前ではっきり口に出したりした。

和夫自身はこうした自分の立場を大して気にとめておらず、馬鹿にされても平気な顔をしている。それが負けん気の強い紀子には歯痒く口惜しくてならなかった。
夫の兄弟たちの嫁どうしの競合関係もまた熾烈を極めていたが、その中での紀子の立場も決して有利ではなかった。

他の嫁たちと違って実家からの援護は期待できないし、アルバイトとは言えスナックで働いていたところを見そめられたという結ばれかた自体が、他の嫁たちの冷たい視線にさらされていたようである。

なまじ女優として何とかやれそうだったという自信があるだけに、こうした立場を不満に感じたり、馬鹿らしく思ったりすることもないではなかったが、結婚そのものは自分自身の選択だったから誰を非難するわけにもいかなかった。
勝気な彼女は、むしろこうした感情を一切無視して「幸福な主婦」の役割に没頭することにした。
差しあたって出産と育児が彼女を充実させた。

かつてのライバルたちが、舞台やテレビで活躍しているのを見聞きするたびにいたたまれぬほどの焦燥感に襲われるのだが、当面、息子をいとこたちに負けぬように育てて姑や義姉妹たちの鼻を明かすという目標があったから、余計なことを考えずに済んでいた。

いとこたちは前後して都内の有名中学を受験したが、成功したのは和夫・紀子夫婦のひとり息子だけだったから、紀子は一応目論見どおり競争に勝ったわけである。
ところが、鼻を明かすべき最大の相手であるはずの姑が合格発表の直前に床に就き、意識不明のまま他界してしまったのである。
彼女はこの時肩すかしを食わされたような、何とも物足りない気分を味わわされたと言う。

それまで彼女に「仮の目標」を与えていた何かが、ガラガラと崩れてしまい、空漠とした日常生活の中に、鋭い不安感がおりこまれるようになったのはそれからのことである。(続く…

female_alc.jpg※本原稿は1983年8月25日に(株)海鳴社より出版された「女性とアルコール依存症」(斎藤学著)からほぼ原文のままお届けしています。

新刊のお知らせ

斎藤学言葉集斎藤学言葉集(Kindleページにジャンプします)
トラウマ、サバイバー、家族問題、虐待、依存症、ひきこもり、自分らしく生きる…
これらの問題に長年取り組んできた精神科医斎藤学による講演集です。 講演会場での臨場感あふれる言葉の中に、生きてゆくヒントをたくさん見つけることでしょう。