悩み抱え、死にたがる息子(2/2)

オープンカウンセリング3息子, 自己評価

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(前回からの続き)
──詩は好きで、それから本がすきでよく書いています。

斎藤:それはそうでしょうけれど、「詩を書け」といってみなさい。そうしたら書かないでどっかいって賃仕事をしますよ。ただね、本気になって言わないと効きません。
いまは「年相応のことをしろ」ってメッセージを伝えてるから、そうすると、それと逆なことをする。彼の考えている「まっとうな人」というのが狭すぎるんですよね。自分であんまりまっとうさ、年相応ってことを狭く考えすぎるから、それを自分がやれるようにはとても思えなくなっちゃうんですよ。聖書にはよく「らくだを針の穴に通す」みたいな言葉があるけれど、そんな無理なことを考えてる。でもちっとも無理じゃないんで、「お父さんだってお母さんだってまっとうにやってるんだから自分だってできないわけがない」と考えればいいのに、そういうふうには考えない。

image060106_1.jpg それから、いわゆるアダルトチルドレンですけれど、あれは元々親を責めるためのコトバじゃありません。たとえば、自分の現状の行動がどうして起こるんだろう、と考えるとき、たとえば「なぜクリントンはそばにいる女に抱きつくのか」と考えるときの道具なんです。それを説明するためにACという言葉をつかうんですよ。「ああそうか」とすぐにかるわけ。
たしかにACってそういうことやるの、たしかに。自分が人に好かれるかどうか納得できなくて、だっこしないと納得できないところがあります。それに、とっても寂しがり。で、かれがACだと認識してることは、自分が寂しがりで、劣等感が強いと思ってるということなんです。劣等感が強いから、女にもてるところ見せないと、自分が不安になってしまうからクリントンは女の人を抱くんですよ。


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image051226_2.jpg それから、もう一つの、「AC」の必要性は、将来どう生きたらいいかを考えるときの道具です。過去なんかどうでもいいんですよ。過去のいじめられた話ばっかりしているようじゃ、ACの言葉をちゃんと利用してないわけ。
「ああ、寂しがりなんだ私は」とおもったら、寂しくないように生きればいいわけで。寂しくないように生きればいいと言うと、酒飲まなくちゃいけないわけで。あるいは年がら年中バンジージャンプやってるとか。パチンコ屋に24時間いるとか。今彼、それをやってるんだとおもうんです。やってるんだけど、「これは無理だな」とおもったら、寂しさと戦わないという方向に目を向けないといけないんです。これもパラドックスですね。「寂しくてどこがわるい」と、こういう話になる。「はたらかなくてどこがわるい」とおなじです。

こういう考え方に持っていって、で、「寂しさは実は成長の源」みたいなところにたどり着くと、「あ、このままでいいんだ」ってことになるんですよ。そうすると、自分に自信がでてくるんです。こっちの方にもっていくために「人間みんな寂しいですよ」ということを納得させるために、ACということばをつかうんですね。現在の行動と未来どう生きたらいいかということのために「AC」という言葉を使うんで、過去惨めだったということを確認するために使うんじゃ、そんな言葉ない方がいいやね。

世の中には2種類しかいないのです。ACである自分を認められる人と認められない人と。で、どっちが便利ですかといえば、ACである自分を認められた人の方が楽ですよ。今の行動を自分で説明できるし、将来どうしたらいいかもわかるから。人間が将来の行動を間違えるのは、この寂しさの問題にかかわってるんですよ。
さびしさを防衛すると退屈になるし、それから苦しさのちょっと隣には不安というものがあるし、こういうものをあわてて取り消そうとするから、人間へんなことやっちゃうんですよ。不安に駆られて逃げちゃいけないところで逃げちゃうとか、先行きの不安におびえてしなくていい準備をしたり、あるいは将来に絶望してみたり、あるいは寂しくなくしようと思って酒や女におぼれちゃったり。あるいは、自分でわるい友達と知っててそこにはまっちゃったり、いろんな馬鹿なことします。
そういうことを「AC」という言葉を知ることによって、そんな戦い(寂しさや不安との戦い)はいらないという風に考えが行きますと、まず、薬飲む必要がないことに気づきますね。だって、不安? 当たり前じゃない生きてる証拠ですよ。寂しい? あったりまえだそんなもの、人間で寂しさ感じないようなものは石ころになってるんだ、と。

薬なんて彼にはいりません。彼に必要なものは仲間との出会いでしょう。自分でここへくりゃいいんですよ。2、3回なんていってないで。そうすれば、それなりに自分の世界作れますよ。それでまあ、そういう話をあなた方が共有できるといいね。

あなた今薬の話されたから、今のが答えです。彼に必要なのは、薬じゃないね。ついでにいえば、このまま自殺未遂続けていれば、病院のベッドだ。病院のベッドはACには本質的には必要ありません。彼らに必要なのは出会いと仲間です。出会いったって、そこら歩いてれば出会えるんじゃないかな、最近は。ACの幟(のぼり)でもつけて歩けば。「あんたAC?」って誰かが言ってくるかもしれません。それよりも確実にACの巣みたいなところにくればいいと思う。ここへきて「あんたAC?」ってきけば、「職員」か「AC」ですよ。職員だってACですけれども(笑)。

こういう具合に、親がでてきて、本人が「ありがとう、お父さん、お母さん」といったケースというのは、その後の対応の迷いさえなければ、そこがターニング・ポイントになります。つまり新たな展開が起こります。

image060106_2.jpg  ──(父親)今先生がいったことに対して「私はちょっとできないです」とこたえざるを得ないんです。というのは、私、ここへくるためににかけずり回って時間を作ってやっとくるわけですけど、うちに帰ったときに、本人が奥の部屋から出てきてのほほんと本を持ってきて、寝転がって読んでるんですよ。ついついこっちはカッとなっちゃうんです。どうしても。これを抑制するのはすごく難しいんですよ。自分自身。

斎藤:いいんじゃないですか、抑制しなくたって。男にはいくつかのタイプがあるんだし、あなたみたいななマッスルマンもいるし、頭でっかちもいる。どっちがいいってわけじゃない、好みの問題です。あなたとあなたの息子がタイプの違う人に育つってことは、とても楽しいことです。マッスルマンがマッスルマンを生んだみたいなのは、おもしろくないですよ。それこそ出会いでしょ。違うタイプの子とのね、それを楽しまなきゃ、「おめえみたいなの、俺には理解できないけど、おもしれえな」って。

──(父親)そういうことは絶えずあるんですね。で、最終的にはどうなるかというと、とっくみあいになっちゃうんです。

斎藤:とっくみあいにならないで、そこのところ楽しみましょうよ。「おまえみたいな考えかたってのは、俺には理解できないが、しかし、みてておもしろい」っていうくらいのゆとりがほしいね。

──(父親)あ、ゆとりがね。

斎藤:とっくみあいになっちゃう理由は、不安ですよ。双方の。「もしかしたら、親父は俺を認めていないんじゃないか」という不安が1つ。お父さんに聞かなきゃわからないのに、勝手に思いこんでる。お父さんの方は「こんな息子で将来どうなる」って、将来なんかわからないのに、不安もってる。この二つの不安が取っ組み合い起こすんです。
不安なんて、ほっときゃいいんで、それを消そうとしなくていいっていったでしょ。将来のことなんか、どうにでもなるの。で、逆に「絶対働くなこの野郎」くらいにいった方が、彼は働きますよ。そこまでいうと落語の世界になっちゃうけど、少し極端なくらいの方がわかりやすい。そうすると、あなたの方に余裕ができる。この方もともと健康な方なんでね、将来はおもしろい親子関係ができると思いますよ。

──(父親)そうですか。自信がないんですけれど、

斎藤:将来の不安というのをまずお消しになることだな。どうして息子さんが健康だというかわかりますか。やってることが当たり前だからですよ。たとえば、失恋してそれからずっとケタケタ笑っていたら、それは狂ったんですね。呆然として帰ってきて、憂うつそうですというのなら当たり前でしょう。私たちの健康というのはそういうことですからね。
その息子さんの場合は勤めてはいるんですよね。勤めているんですけれど、どうも自分がしたいような仕事じゃない、ただロボットみたいに働いてるんじゃいやだって思ってるんですよ、この人は。3年勤めたそうですし。それで、「もっと個性的な自分を生かせる仕事がしたい」とおもって探してるんだけど、ないんだ。それで、いま、ちょっとたゆたってる。モラトリアムしてるんです。こんなの、私はほめちゃうね。「みんな、わけも分からず朝から晩まで働くんじゃないよ」っていいたいくらい。よく考えて働けって。何にも考えないようなものを官吏や銀行員にしてたもんだから、今世の中ひどいことになっちゃった。

働きゃいいってもんじゃない。働かない方がいいやつが働くから、だんだん社会がわるくなる。で、働く働くっていうから何やってるのかと思うと、ノーパンしゃぶしゃぶなんていってる。あれも働くうちなんでしょ。ですから、「働く前に考えよう」という人がいてもいいんですよ。

この息子さんは一生懸命思索してる。もしかしたら詩人かな、なんて思って一生懸命詩を書いたり、教会へ行ったりしてるんだから、いってみればリッチな人だね。心豊かですよ。ただ、唯一困るのは、彼自身がそのことにおびえてることね。「申し訳ない」とか、「お父さん、お母さんどう思ってるんだろう」とか。そこがかわいそうだなと思うんです。

私はこういう人が働くのが回復だとは思わないんですよ。そこに居直るのが回復。「どうにかなるだろう」ってどうして言わないのかね、この人。「まあ、いいじゃん、好きにやらしててよ、ちょっと」なんて言って、で、あんまりお父さんお母さんが「どうするんだどうするんだ」っていったら、ふっといなくなっちゃう。それで、テキ屋でバナナのたたき売りか何か始めてたりして。寅さんになっちゃう。そういうようにフットワークよく、変われるといいんですがね。

いろんなタイプの人がいていいんですよね、みんながみんなアリンコみたいに学校でたら背広きてネクタイ締めて歩いてたら、気持ち悪いですよ。そういう意味では彼、将来見込みがある。こういうのが将来我が国を背負ってたつと思うわけです。

※この原稿は「斎藤学オープンカウンセリング」での相談者と斎藤学のやりとりをもとに作成されました。

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息子, 自己評価

Posted by iff