「心の居場所」について(1/2)

講演自己評価

[日記]05年12月22日、東京:曇り、郡山:吹雪

オープンカウンセリングの原稿が途切れかけているので(といっても未整理のものがまだドッサリありますが)、時々日記を挟ませて頂きます。
こちらの方がブログの本来のありかたなのでしょうが、私は身のうちも心のうちも滅多なことではさらさないつもりですから、ある種の行動についてだけ書きます。
その行動は多分二種類です。ひとつは講演ないしワークショップの内容、印象についてのメモ書き、もうひとつは被治療者との会話や彼らの行動についてのメモ書きです。いずれも後日何かの役に立てようというもので、読者のためというより自分の都合で書き留めておくものです。

image051229_1.jpg 05年12月22日は郡山市で「市民こころの健康講座」というものに呼ばれていました。開始は午後1時半というお約束で、3時半までの2時間、質問ありということでしたので約1時間半ほどのお話です。
東京発11時36分のやまびこ51号が定刻12時55分に郡山駅に着くときに細かい白い粒が横に流れているのに気づきました。この冬はじめて見る雪です。積もるというほどのこともなかったのですが、かなり勢いの良い横殴りでした。車内の暑さに辟易していたので、頬を打つ雪を気持ち良く感じながらタクシーに乗りましたが、会場の総合福祉センター(市役所脇)までの一本道が渋滞していて、資料に会場まで10分と記されていたのが30分かかり、講座は5分ほど遅れて始まりました。
この吹雪にもかかわらず、ときどきゴォーッという風の音が響く会場には200名ほどの人々がいて満席だったのにはびっくりしました。以下はそのときの話の一部です。今、執筆中の本から採りました。

===
image051226_2.jpg 皆さん、「心の居場所」というものの条件を考えてみましょう。どういう場合に、そこを心の居場所と考えられるかということです。

まず安全と秩序。これは必須でしょう。新入社員が初めて職場に行くなどという場合には、安全も秩序も願望の対象に過ぎません。相撲部屋の新入りの弟子などというのは大変でしょうね。兄弟子の無理とゲンコツがルールという世界では安全などを希望することさえ出来ない。もっとも今もまだそんなことをしているようでは新弟子も居着かないでしょうが。
しかし毎日職場に通うなり泊まりこむなりしているとルーティンワークを無事にこなすことが多くなる。そのうちに、ふと、ここが自分の働く場所なのだなと実感できる瞬間が来る、と言ったものだと思います。
世の中は変化し続けるものではありますが、変化にも一定の秩序がある。職場の主であるように思えた人が停年で去って行く、入れ替わりに後輩が入社してくるといった経験を通じて、その場なりの秩序になじんで行く。そのうちに自分がその場にいることを職場の誰もが驚かなくなる。「居てあたりまえ、居ないと大騒ぎで行方を探される」ということになれば、その場はあなたの居場所です。

逆に、「居ないのがあたりまえ、居ると驚かれる」では「昼間の幽霊」扱いで、そんなところはあなたの居場所ではない。残念ながら安定と秩序という最低の条件も得られないことがある。仕事がどうにもなじまない。働いているフリが精一杯で、教えてもらえる環境にもないということになれば、毎日が波乱の連続で安全と秩序どころではない。理由を見つけてはその場に行かないという日が重なるうちに心機一転職場に出てみても同僚にびっくりされるだけという事態になる。
こんなところには無理していない方がいいでしょう。肝腎の自己評価が下がってしまいます。自己評価が下がるとは、「自分が自分を責める」という状態で、この本が一貫して主張する「自分が自分と和解する」という課題から最も離れた状態です。(続く…

新刊のお知らせ

斎藤学言葉集斎藤学言葉集(Kindleページにジャンプします)
トラウマ、サバイバー、家族問題、虐待、依存症、ひきこもり、自分らしく生きる…
これらの問題に長年取り組んできた精神科医斎藤学による講演集です。 講演会場での臨場感あふれる言葉の中に、生きてゆくヒントをたくさん見つけることでしょう。

自己評価

Posted by iff