学校のなかだけでなく、考え方や遊び方、興味の対象や放課後の過ごし方まで、子どもたちはさまざまな同調バイアスに縛られています。

「友達の間で人気のゲームやマンガ、テレビ番組を見ていないと仲間に入れない」、「ノリが良くて笑いを取れるようなでないとみんなとうまくやれない」、「じっくり本を読んだりゆっくりものを考えたりするような人間は浮いてしまう」・・・そんな話を中高生のクライアントさんからよく聞きます。

不登校 子どもたちを縛る同調バイアスがいかに苦しいものか。・・・2010年の第3回日本政府報告審査時に国連「子どもの権利委員会」でプレゼンテーションをした子どもが語ったことからも明らかです。
 ある子どもは、子ども同士の閉塞的な人間関係について次のように発言しました。

「私達は『苦しくてあたりまえ』という奇妙な連帯感に縛られていて、へたに声を発すれば嫉妬や恨みを買ってしまうので、自分の本当の心を殺し、お互いに演技を続けています。私達は自分の要求や欲求を口に出せないことよりも、一人だけ浮いてしまうことの方が怖くて、人間関係に臆病になり、関係性が壊れることを恐れて、‘発言’することを避けます。
 周囲がどう自分を評価しているかを気にするあまり、存在するかどうかも分からない『他人の感情』に怯え、他人と同調し、いつしか自分の感情さえも解らなくなるーー。そんな不気味な関係の中で生きています」(国連に子どもの声を届ける会『子どもの権利モニター』NO.103 81ページ)

行列 津波が来ると聞きながらも、おとなしく渋滞の列に並んでいた人々。

 その番組を見ながら、私は311のあと不足しがちだったガソリンや灯油を求めるため、私の家の近所にあるガソリンスタンドを目指して整然と並んでいた車の列を思い出していました。何百メートル、いや、もしかしたら1キロくらいに渡って並んでいたのです。

 未曾有の震災を体験し、だれもが得たいの知れない不安感、先の見えない恐怖のようなものを抱えていたと思います。

 ガソリンや灯油だけでなく、東京周辺でもトイレットペーパーや水など一部の物が品薄になっていました。計画停電が行われ、明るいテレビ番組は自粛。やたらにACジャパンのCMが流れていました。

 当時、私が相談にうかがっていたある施設では、「ACジャパンのCMを聞くと泣き出す子どもがいる」という話を聞いたほど、テレビを点けるだけでどこか異様な雰囲気が感じ取れ、前に書いたように通勤・通学するだけで一苦労というような、日常から遠く離れた日々が続いていました。

 そんな異常事態のなかでも、文句を言うことも無ければ、割り込もうとする人もいない風景。じーっと列に並び、たんたんと進んで行く車の、その落ち着いた様子が、逆に異様な光景のような感じがしました。

津波 311直後には、こうした日本人のきまじめさ、規範意識の高さが、たびたび海外メディアにも取り上げられました。

未曾有の大地震に見舞われ原発事故まで起き、燃料や食糧が不足しても、奪い合うこともパニックを起こすこともなく、だれかを押しのけて暴走することも無く、自分の順番が来るまで整然と並んでみんなと一緒に待つ姿が「美徳である」と語られました。

雪 東京が「4年ぶりの大雪に見舞われる」と天気予報が告げた日、最寄りの駅に行くと「緊急のお知らせ」という立て看板が置かれていました。通常は、人身事故で周囲の関係各線が止まったときなどに出るものです。

「もしや人身事故で出勤できない?」と、あわてて看板に近寄ると、
「来週月曜日(1月22日)に関東地方で大雪の予報が出ています。電車が通常運行できない場合があり、交通に影響が出る可能性があります。いつもより余裕を持っての乗車をお願いします」といった内容でした。

もしかしたら、私の最寄り駅の話だけなのかもしれませんが、まだ雪も降っていないうちから「緊急のお知らせ」を出すなんて・・・。よく言えば、その律儀さというかまじめぶりに、悪く言えば責任どうにか回避しようとい姿勢に、思わず吹き出してしまいました。

 ・・・まぁ、そうは言っても「歌詞には、夢や希望、頑張りや前向きさを盛り込むのが一般的なのかもしれない」とも思い、またまたネットで調べてみました。するとちゃんと歌謡曲の歌詞を分析する研究をしている研究者の方がおられ、いくつかの論文を見つけました。

 たとえば「流行歌から見る歌詞の年代別変化」(PDFファイル)(大出彩/立命館大学文学部、松本文子/神戸大学自然科学系先端融合研究環、金子貴昭/立命館大学衣笠総合研究機構という論文は「1997年を境にして、年代を追うごとに明るい(ポジティブな)内容の楽曲が増えた」といいます。

 今年もまた新年の挨拶もすまないうちに松の内が終わってしまいました。関西地方では15日までをお正月と考える地域も多いそうなので、なにとぞご容赦ください。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 今年はいったいどんな年になるのか。いえ、これから日本は、世界はどんな時代になっていくのか・・・。年末年始のニュースや、番組等を見ていても考えさせられることが多々ありました。

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投薬の対象とされることが増えているのは、不登校の子どもに限りません。学校、つまり日本の教育制度に合わない子どもたちへの投薬治療は全体としても増加しています。

前回、引用した「多様性を認めない学校には行きたくない」という男の子の『子ども報告書』にも「扱いづらかったり、自分の意見を持って発言したり、授業がつまらないから勉強に身が入らないでいたりすると、すぐに『発達障害』にされる」との記述がありましたが、埼玉県在住の専門学校3年生の女の子もまた、虐待の疑いで母親と引き離された後、精神的に不安定になって「家に戻りたいと暴れたら薬を飲まされた」と『子ども報告書』に記しています。

大好きなお母さんと引き離され、暴れずにいられるほうがどうかしています!!

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 日本の学校が「多様性を認めるもの」になっているかどうかも、はなはだ疑問です。東京在住の中学2年生の男の子は、国連に提出した『子ども報告書』に「多様性を認めない学校には行きたくない」とのタイトルで、次のような主旨の文章を書きました。

日本の学校では、苦手だったり、恥ずかしかったり、やりたくないことを無理やりやらされます。いいところは褒めてくれず、悪いところばかりが取り上げられます。先生に何か意見を言うと「態度が悪い」と言われます。扱いづらかったり、自分の意見を持って発言したり、授業がつまらないから勉強に身が入らないでいたりすると、すぐに「発達障害」「特別支援学級に行け」と言うのです。そんな日本の学校はおかしいと思います。

 上記は男の子が書いたダイジェスト版です。その全文および『子ども報告書』全体を読みたい方は、ぜひ子どもたちをジュネーブ派遣するためのファンドレイジングにご参加ください。リターンのひとつとして『子ども報告書』が届きます。

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日本の子どものことを憂い、前回、紹介した通り「競争と管理、暴力にあふれたなかで、子どもが自分の思いや願いを出せる人間関係を持てず、子どもの発達に深刻な影響が出ている」との『最終所見』を示してくれている国連に対し、日本政府はずっと真摯に向き合うということをしてきませんでした。

たとえば過去の報告書では、「前回、国連に提出した報告書を参照」と記述することがよくありました。本来であれば、「前回の報告審査で国連が指摘した内容にどう取り組んだか、もしくは取り組めなかったかをきちんと検証する」べきなのに、「前にも書いたことだから省略する」というような対応を平気でしてきたのです。

そうした前科がありますから、第4・5回日本政府報告書でも同様のことくらいはあるだろうと予想していましたが、今回はもっと挑戦的でした。