『すべての罪悪感は無用です』(1):お別れの言葉に代えて

 新年明けましておめでとうございます。

 2006年のスタート時には「いったいいつまで続けられるか」と思っていたこのブログも、おかげさまで10年以上続き、この場を借りて新年のご挨拶をさせていただくのも13回を数えることとなりました。

 そして、今回がIFF・CIAP相談室から私がさせていただく最後のご挨拶となります。

振り返ってみると

 すでにみなさまもご存じのように、当相談室はこの1月末を持って閉室となります。

 まったくの門外漢だった私が、不思議なご縁で心理学を学ぶことになり、斎藤学顧問と出会い、カウンセリングやセラピーと呼ばれる仕事に携わるようになって、この相談室で働かせていただくようになってから、早いもので13年が経ちました。

 振り返ってみると、長かったという気もしますし、あっという間だったような気がします。

「斎藤学」という人との出会い

 私が斎藤顧問のことを知ったのは、1995年のことでした。ジャーナリストとして子ども問題等を取材していた当時、ある取材現場で知り合った人から勧められた一冊が、斎藤顧問が書いた『家族依存症』(誠信書房)という本だったのです。

 そこには、それまでの自分自身の経験や、取材で見聞きした子どもたちから「なんとなく」感じていた、日本社会のおかしさ、日本の家族の特徴、症状というかたちを借りたメッセージや、問題行動という自己主張を理解する鍵がいっぱい隠されていました。

 私は何度も何度も繰り返しその本を読み、付箋を張ったり、線を引いたりしては考え込みました。
「こんな人がいるんだ。いつか会ってみたい」・・・そんなふうに思いながら、自室の本棚にしまおうとしたとき、私は驚いて目を見開きました。

『家族依存症』を差し込もうとした本棚の一角に、『生きるのが恐い少女たち 過食・拒食の病理をさぐる』(光文社)という、斎藤顧問の本が置かれていたのです。

斎藤顧問の名前を強く意識

 今となっては、いや、その1995年当時も、自分がどのようなシチュエーションで『生きるのが恐い少女たち』という本を買ったのか、なぜ自分がその本を持っているのかも、思い出せませんでした。

 しかし、このとき、私は間違いなく「斎藤学」という名前を強く意識しました。

Posted by kizuki