第8回『普通』や『常識』について

「そんなこと社会人なら常識じゃないか」
上司や先輩からこんな注意をされたことがある人は多いのではないだろうか。社会人の『常識』とは、取引先に行く際は必ずネクタイを着用することであったり、始業前に30分早く来て掃除をすることであったり、FAXを送った後必ず電話を入れることであったり、職場での上司からの飲み会の誘いを断ってはいけないことであったり、仕事上のメールは2~3時間以内に返信することだったり、会社によっても職場によっても本当にさまざまである。

仕事上での『普通』『常識』

かつて社会人の『常識』とされていたことが、時代とともに変わってきている。IT機器や技術の進歩の影響や、それに伴うライフスタイルや働き方の多様化の影響もあるだろう。

仕事上のミスでの対応ひとつとっても職種や業種、会社の文化、世代、あるいは上司によって変わってくる。受け入れることに抵抗が無い『常識』もあるが、「おかしい」と感じる『常識』を強いられたとき、人は苦痛に感じストレスになってしまう。

職場の休憩時に、若い女性が全員のお茶を準備するケースでは、独自のルールがあったりして、ストレスやいじめの原因になる場合もある。最近は自販機などが設置され、女性がお茶を入れること自体なくなった会社もあるが、地方や古い体質の会社ではまだまだ行われている。「お茶は女性が淹れるものだ」という性別役割が『常識』になっている男性は多いし、自分のことは自分でやることが『普通』の人もいる。このような些細な日常の習慣には、それぞれの『普通』『常識』に気遣いや配慮も絡んできて人間関係にも影響してくる。

ビジネスシーンでよくいわれる「ほう・れん・そう(報告・連絡・相談)」は、必要不可欠なことだ。しかし、最近若い人からこういった話をよく聞く。

「上司から『仕事上で判断に迷ったときには、どんな小さなことでも相談しろ』といわれたので相談したら、『そんなことも、わからないのか』と怒られた。日々の細かいことを報告すると『そんな毎日やることを報告しなくていい』といわれたので報告しなかったら、『いつものあれは、どうなっているんだ!報告しろ』といわれて、どうしていいかわからない」。

キャリアや価値観の違い、コミュニケーションが円滑でない職場では、それぞれが持つ『常識』の違いによって溝が生じることは多々あるが、どれが正しいかを争っても埒が明かない。自分の『普通』や『常識』がすべて他人にはあてはまるとは限らない。

仕事上での『普通』や『常識』が自分の価値観や感覚に合うかどうか、それはワークライフバランスを考える上で非常に重要な鍵になる。その仕事で功績を上げたいのであれば、その仕事上の『常識』『普通』を身に付ける覚悟が必要である。逆に、どうしても納得がいかない、身に付けることに慣れないのであれば、その違和感を分析・判断した上で、その環境から離れ、自分にとってフィットするところを探したほうが賢明だろう。

自分にとっての『普通』の限界

若い世代の労働者を使い捨てるような企業はブラック企業と呼ばれ、社会的に問題になっている。労働基準法に違反するような長時間労働や過剰なノルマを強いて、入社間もない若者たちはうつ病などで身体を壊し退社に追い込まれるケースも少なくない。

居酒屋チェーンのワタミフードサービスの新入社員だった女性が自殺した事件では、慣れない大量調理を任され、連日の長時間勤務で 1 ヶ月の残業時間は国の過労死認定基準を超える141時間にも及んだ上、研修や創業祭などの会社行事の参加、創業者の経営理念集の暗記などで休日もほとんど休めない状態だったという。女性の両親は、再発防止のために高額な懲罰的慰謝料を含む1億5000万円の損害賠償を求める民事訴訟を起こした。ワタミはグループ従業員数6000人超でありながら、労組が存在しない。

この事件によりブラック企業として注目されることになったが、いまだに多くの人が働いている。ワタミは大手企業であるから注目されたが、これは氷山の一角である。

入社したばかりの若者にとって、長時間働くのもノルマをこなせないのも、その結果上司から強い叱責を受けても、すべて「自分の能力不足」と自ら責めてしまいがちだ。ひどい働き方も代々受け継がれてきた『普通』の職務といわれれば反論することは難しい。

若者の就職が厳しい現在の労働環境で、せっかく入社した職場を辞めて、次の仕事を探す苦労を考えれば、我慢して今の職場にいたほうがいいと考えてしまう人は多い。会社に楯突いて訴えた結果、ノルマの増加や減給で余計過酷になって馬鹿を見るのであれば、どんなにひどい環境でも心身が壊れない程度に働くことを『普通』にしてしまえばいいと考えてしまう。

そういった環境で働いている人たちは今の日本には非常にたくさん存在する。ギリギリの中で耐えられる『普通』をどう設定するかで人生がずいぶん変わってしまう。

同調圧力による『普通』

日本には、多数意見に合わせなければいけない風潮がある。会社や学校、友人や親戚の間での多数意見は、無言の圧力によって、抵抗することは非常に憚られることが少なくない。自分の意見が少数派だと、その場で違う意見を言えないような同調圧力がかかってしまう。そのコミュニティーでの多数意見として、悪習やしきたりが『普通』『常識』とされ、まかり通っていることは多い。

「KY」という言葉はすでに定着し、「空気を読む」事を強いられる社会になっている。学校や職場でも、個性を尊重しようと表では言いつつ、周りと同じ言動をしないといじめの対象になったり仲間外れにされたりする。

子どもはクラスメートと同じような格好をしないといけない、就活スーツを着ないといけない、、ママ友の会には付き合わないといけない、上司より先に退社してはいけないなど、日常に同調圧力は氾濫している。さらに携帯電話の出現によって24時間、生活の中にまで影響を及ぼしている。いくら本人が望まなくても「みんながやっている。やるのが当然」だという雰囲気が存在すれば、なかなか勇気を持って逆らうことができない。

大阪の桜宮高校であった体罰自殺事件では、監督が生徒を殴って指導してきた結果、あのような悲劇が起こってしまった。業績不振の会社ではリストラ部屋に社員を送り込み、ろくに仕事を与えず自主退職に追い込む。地方の大家族では、夫に従わない嫁は暴力を振るわれたりするが、同じ経験をしてきた姑は、自分も同じことをされてきたので我慢しろと嫁に言う。

学校での体罰、会社でのパワハラ、家庭でのDV、特殊な例と思われがちだが、日本では多く存在する。その行為は圧力を放つ当事者にとっては『普通』であり、その周囲にいる同調者も多数派として『普通』になり、加害者となっている可能性がある。それらの異常な『普通』は、ときには犯罪になり、人権侵害にもなる。

『普通』『常識』とされていることでも、自分が納得できるかどうかを見極める事は非常に重要である。小さい頃から親に言われてきたことでも、どうしても受け入れられない『普通』はあるし、家族のなかの『普通』が大人になって異常であることに気づくこともある。その会社で社会人の『常識』と言われても納得できない事はある。

その違和感は、個人的に受け入れられないことなのか、順応すべきことなのか、しっかり自分の中で判断することである。

そのコミュニティーの『常識』『普通』を受け入れることで、何かを得られる場合もあるが、自らの個性や才能を手放す可能性もある。

私たちが思い込んでいる『常識』は、固定観念であり、一種の先入観でもある。それを改めるのはなかなか難しく、否定されると不快である。

相手から強いられる『常識』にどう対応するか。自分の『普通』と違った情報に触れた時、どう反応するか。それも含めて『普通』とは、『常識』とは、ということをきちんと整理して向き合うことが重要ではないだろうか。

2014/1/31

Posted by iffp