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   <title>玉井仁の「日々の認知行動療法」</title>
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   <updated>2009-03-31T05:59:47Z</updated>
   <subtitle>臨床心理士の玉井仁が認知行動療法の理論と実践についてわかりやすく解説します</subtitle>
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   <title>休止のお知らせ</title>
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   <published>2007-08-10T06:17:26Z</published>
   <updated>2009-03-31T05:59:47Z</updated>
   
   <summary>　突然ですが、本ブログを休止することになりました。 　理由は至ってシンプルで、私...</summary>
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      　突然ですが、本ブログを休止することになりました。
　理由は至ってシンプルで、私が現在の職場であるIFFを退社するからです。

　今まで、ご愛読いただきました方々には、この場にてお礼を申し上げるとともに、皆様のご健勝と更なるご活躍を祈っております。

　本ブログの目的として認知行動療法を何らかの形でお伝えし、その中で役立つものを取って活用してもらえれば、という意図を持って始めました。
　最初は私が行っている認知行動療法講座に参加できない人にも、その内容を知っていただけたら、という思いもありましたが、その後様々なトピックに関して書かせていただきました。
      <![CDATA[===
　内容を参考にしていただいていた方もいるのではないかと思いますが、絶えず新しいものに触れるだけでなく、今までのものを改めてみて味わっていただければと思います。

　認知行動療法は、問題に対して行うものでもありますが、その様々なスキルを良いことをよりよくする為に、問題とは言わないまでも日々のちょっとした事柄に役立てることがあります。
　認知療法を始めたベックは、認知療法は一生続けるものである、と言っています。
　問題がある際に活用するだけでなく、よりよく生きるためにも活用できるものだと思います。私は、日々の取り組みを楽しく感じております。

　私のこの先について、様々な噂を聞いたのですが、その多くが「何でそんな噂が？不思議だ」といったものでした。
　私のこの先の所属先を以下に載せておきます。これは、当社IFFより玉井がどこにいるのか読者に対しても教えてあげたほうが良いのではないか、との申し出があったことによります。

　■<a href="http://www.tmaweb.net/index.html" target="_blank">東京メンタルヘルス・アカデミー（池袋）</a>

　今後も、何らかの情報の発信の機会がありましたら、自らの学びとともに継続させていただきます。

　どうもありがとうございました。]]>
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   <title>検討方法（5）　ホットスポットの同定し、感情を探る</title>
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   <published>2007-08-06T07:10:49Z</published>
   <updated>2009-03-31T05:59:47Z</updated>
   
   <summary>　感情のホットスポットといわれるものがあります。ある文章を読んでいたら、急に引き...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://iff.s116.coreserver.jp/tamai/">
      　感情のホットスポットといわれるものがあります。ある文章を読んでいたら、急に引き込まれて過去の記憶が出てきたり、イメージにとらわれるような感覚に陥るかもしれません。
　また、自分が気にしていることを目にした際に、知らず知らずに涙が流れたりすることがあるかもしれません。
　例えば、子育て中の母親が、世の中の様々な事件を聞くにあたり、昔はそれほど感情が出ることは無かったのにそのような情報に接しただけで涙してしまう、といったこともその一つでしょう。
　自分の中に知らず知らず出てくる強い感情です。
      ===
　ホットスポットにおいて感じる感情は必ずしも熱い感情だとは限りません。
　冷たい感情を感じることもあります。妙に感情がなくなるような感じがするのもその一つです。すごく怖い思いをする時に、熱い恐怖を感じずにスーッと背筋が凍るような感覚を感じるようなものです。
　ホットスポットでは、逆に感情が抑えられてしまって感情がなくなってしまったかのように感じることもあるのです。

　人により、ホットスポットの場所は異なります。自分はどこにホットスポットがあるのか、以上の様な感覚を確認しながら検討を進めていくのです。
　本を読んでいたり、映画を見ていたり、TVをなんとなく眺めていたり、日常の噂話をしている時などにも、ふとホットスポットに触れることがあります。そのようなことは特に問題ではありませんが、自分がどのようなホットスポットを現在持っているのかを知っておくのは大切なことです。し
　ばしば克服したいと思う問題が感情と密接に関わっていることもありますので、自分の感情を理解するためにも大切なことです。

　ホットスポットは、すぐになくなるとか消えるといったことはありませんが、ライフサイクルや自分のおかれている状況によって変化していくことはあります。
　そして、ホットスポットを明確に出来て、どのような感情が自分の中に生じるのかもはっきりさせることが出来て、それに備えることも出来るようになる練習を積むことも進めていけるでしょう。

　自分の苦手を克服する、と言うこともあるかもしれませんし、それはそれで素晴らしいことですが、かといって苦手が全くなくなると言うことでもないのかもしれません。
　一つのくせが無くなるということは、異なったくせを身に着けるということでもあります。どんなにくせをなくそうと思ってもなくなるものではありません。
　苦手なことも無くなっていっても、更に新しい苦手な事が出てくるかもしれません。いや、苦手だと感じているからこそ勇気を奮い起こせると言うこともあるかもしれません。苦手も有用です。

　自分の事を知ることは、自分が対応していきやすくなるということです。アサーティブトレーニングというのをIFFにおいても行っていますが、アサーティブがうまく出来るためには、自分が何を感じているのか知らなければなりません。そして、それを主張したいのかどうかも分かっている必要があります。

　ホットスポットとに気がつくことだけでは解決にならないことが多いかもしれませんが、そのことに気がつくことで自分が取り組むことがはっきりすることは多々あります。
　焦らず、じっくりと味わいながら進めていきましょう。
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   <title>検討方法（4）　自分のスキーマの源への手紙</title>
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   <published>2007-07-30T04:39:37Z</published>
   <updated>2009-03-31T05:59:47Z</updated>
   
   <summary>　次の検討方法は、自分自身に対し、または自分がネガティブな考えを抱くに至ったきっ...</summary>
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      　次の検討方法は、自分自身に対し、または自分がネガティブな考えを抱くに至ったきっかけとなった人（たち）に対して手紙を書いてみることです。

　認知療法に限らずとも、トラウマワークなどでも活用されることのある方法ではあります。
　このような作業をする時には、しっかりした態度で自分の意見を主張するつもりで書いてみてください。その時に自分がどのように感じたのか、そして今、そのことをどのように考えるにいたり、この作業をしながらもどのように感じているのか、書いてみてください。
　書いたものを本当に相手に送ることを考えなくて良いです。書いたものを後から振り返って自分の変化を確認する為に使うことも出来ますが、どうしても手元においておきたくない場合には、安全な場所に保存するのか、破棄してしまうのも状況によっては仕方ないでしょう。
      ===
　今まで誰にも言えなかった事、これからも誰にも良いたくないであろうことをあえて書き出すこと、そのような作業を行うこと自体が有益だという研究結果も報告されています。

　書く時に、すごく感情的にならなくてもいいのです。泣きながら書かなければ意味がないわけでもありません。
　自分の中にある感情を書き出していくことや、秘密の事柄に対して向き合い、自分の中ででも明らかにしていくことが大切なのです。
　同じテーマについて繰り返し書いたとしても、日によって内容が変わったり感じ方が変わることもあります。それは自然なことです。そのようにして分かりやすく変化を感じることもありますし、知らず知らずのうちに行動等が変化しやすくなることもあります。

　どうしてもこのような作業が難しく、自分の考えに対抗する考えが出てきて自分の中で戦いが始まってしまうといった体験をするかもしれません。そのような時は、自分はどうしたいのか、どのように考えたら楽なのか、自分は嫌だけれども、一定の考え方のくせ、ネガティブな考えを抱かされてしまっていて、それはどのようなものなのか、その時にはどんな嫌な感情が出てくるのか、書き続けてください。

　毎日書いても良いですけれども、どうしても困難を感じる時には休むことも必要でしょう。それも自分の「なんとかしていきたい」という気持ちの強さによって対応していければよいので、何が何でも自分がどんな状態でもやらなければいけない、と苦行をする必要はありません。

　このような作業は少し負荷の掛かるもになるかもしれませんが、一定の期間を決めて、自分に取り組むつもりで進めてみてはいかがでしょうか。
　その一定の期間が過ぎたときに、改めて自分の中で、自分の状態を振り返ってみても良いかもしれません。
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   <title>検討方法（3）　選択肢を考え出す</title>
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   <published>2007-07-27T07:30:21Z</published>
   <updated>2009-03-31T05:59:47Z</updated>
   
   <summary>　続いてオーソドックスな方法ですが、選択肢を考え出す、という基本に戻ります。 　...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://iff.s116.coreserver.jp/tamai/">
      　続いてオーソドックスな方法ですが、選択肢を考え出す、という基本に戻ります。

　これは、どんな場面においても選択肢はある、行き詰ってどうしようもなくても選択肢はある、という考えの上に行うものです。
　難しい話をすると、ジョージ・ケリー（1995）は構成的選択論を提案しており、その方法を提案している。また、アメリカのウィリアム･グラッサーは1960年代に現実療法を提案していたが、近年に入って選択療法、と言い換え、その理論を選択理論と呼んでいる。
　この現実療法も、認知療法を似たところが多々ある。何事も選択が出来ると言うことなのです。
      ===
　例えば、知らず知らずに取っている行動も、選択なのです。心臓を止めるということは出来ないでしょうが、映画などを見ていると、一時的に止めて仮死状態になることは出来るようです（詳しくは不明）。
　また、チベットの修行僧で極めている人は、心臓のみならず呼吸とか様々一定のところまで意識してコントロールできるようにまでなると聞いたこともあります（これも実際に見たことではありません）。

　きっと、それらすらも選択なのかもしれません。
　憂うつな状態にいる人は、憂うつそうな表情をしていることが多いでしょう。しかし、これなども選択であると言うことは明らかです。
　憂うつさを露ほども感じさせないほどににこやかに振舞うことが出来る人もいるからです。必ずしも感情を抑圧するということでもなく、ただ憂うつな表情を安心して出せる場所を選んでいるということなのでしょう。

　このように考えていくと、「そんなことは出来ないから、選択肢に入らない」という方がいると思います。そのように考えるのも一つの選択肢です。
　同じ時に、「今はうまくは出来ないけれども、やってみる」「うまく出来ている人を観察したり、話を聞いてみる」「以前どのように同じような状況を乗り越えたか振り返ってみる」「しばらくひきこもって感情が通り過ぎるのを待つ」など、様々な選択肢は持ちうるのです。選択肢はあくまでも選択肢であり、それを選択しなければならないものではないのです。

　選択肢を考え出す時に、一つの状況において少なくとも3つは探し出す必要があります。一つでは選択肢と言えませんし、二つでは選択肢ではありますがしばしば白黒思考といった、成功／失敗、正しい／間違っている、勝者／敗者、といったところに落ち込みやすいので、適切な選択肢を持つためには、3つは必要でしょう。

　また、選択肢を検討していく際に大切なこととして、考えと事実をわけることは大切です。
　しばしば自分の持つ考えを「事実・真実」と思って選択の余地がないものだと思い易いのです。
　例えば、「Eさんが私を責めた」、と考えているFさんは、「Eさんが私を責めたのは事実だ！」と信じているかもしれませんが、Eさんが強くFさんに指摘した、ことをFさんが「責められた」と取っているに過ぎないことがあります。

　確かに、Eさんの言い方は強過ぎるとかあったのかもしれませんが。もう一点は、真実とは複数あるということです。コインの表を見ている人は、菊の模様を見ているかもしれません。
　しかし、同じものを見ながらもその裏の数字を見ている人は違うコメントを述べるかもしれません。出来るだけ沢山の選択肢を、明らかに選択しないであろう選択肢をも探しておくことも有効です。
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   <title>検討方法（2）　二重の基準法</title>
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   <published>2007-07-23T07:30:48Z</published>
   <updated>2009-03-31T05:59:47Z</updated>
   
   <summary>　AさんがBさんに相談をされました。 「パートナーのCさんとの仲がうまくいってい...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://iff.s116.coreserver.jp/tamai/">
      　AさんがBさんに相談をされました。
「パートナーのCさんとの仲がうまくいっていないので、このところ何事もやる気が出ないの。どのようにしたら良いと思う？」
　といったものでした。

　Aさんは、BさんがCさんとうまくやって行きたいし、まだまだ何とかやっていけそうだという事を話を聞いて感じていたので、「大丈夫よ、心配しすぎよ、きっとそのうちうまく行くわよ」とアドバイスをしていました。

　そんなある日、Aさんは自分のパートナーであるDさんと喧嘩をしてしまいました。そしてAさんは、
「Dと喧嘩するなんて私はもうダメだ、Dはもう私のことを嫌いになってしまったに違いない。Dとはもう仲直りは出来ないんじゃないかな。どうしよう」
　と考え、憂うつになってしまいました。
      ===
　その状況をBさんが聞いて、
「あら、あなたは私に言ってくれたじゃないの。おかげで何とかなると思えて、実際に何とかなって今は大丈夫よ」
　と言ってきました。しかしAさんは、人には言えるけれども、私はそんな考えではダメなのよ。と思って、何ともならずに落ち込んだままでした。

　以上のようなことは、日常でもないでしょうか。人に対しては寛大になれるのに、自分自身に対してはとても厳しくなるのです。
　そこでは、人に対する際の基準と、自分に対して課している基準が一致せずにあり続けます。端的に言えば、自己矛盾なのですが、そういうときに限って「人は人、自分は自分」と境界線を持った発言が出てくるのです。

　このアプローチでは、何故二つの基準があるのか、それらを統合していくように働きかけていきます。人に接するように自分に接することが出来ないことで、時により悪循環となることもあります。自分に厳しいのみならず、自分に対して否定的になってしまっている時に、自分自身がその困った状況を維持させる役割の一端を担ってしまってもいるからです。

　人は否定的に接せられると、態度を硬化させやすくなります。自分に対しても同様なのです。自分が自分に対して否定的に関わる時に、知らず知らず自分の緊張感や不安は高まっていきます。その状況では、なんとか自分に対してより厳しくすることで状況を改善させることはかなりの力仕事となります。

　どうしてもこのような考えから離れられない時には、人に対する基準を幾つか書き出してみます。
　人に対してと言っても、相手によって様々異なっていることがあります。また、それと並べて自分に対する基準、そしてそれに加えて、最高に高い基準も一緒に並べて見ると良いでしょう。最も高いと思われる基準も並べてみることで、自分に対する基準に対して少し距離を持って眺めやすくなり、検討がしやすくなることがあります。

　自分に対して厳しいのもいいですけど、建設的に厳しくしたいですね。

　ちなみにAさんは、
「あら、喧嘩を絶対してはいけない仲良しの関係ってあるのかな」
　と考えて、自分に対する基準を
「喧嘩しても何とかなるや」
　という辺りに落ち着かせたようです。
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   <title>検討方法（１）　損益分析（メリット･デメリット）</title>
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   <published>2007-07-20T06:08:08Z</published>
   <updated>2009-03-31T05:59:47Z</updated>
   
   <summary>　さて、前回にお約束していたように、今回から数回にわたって認知行動療法の技法を幾...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://iff.s116.coreserver.jp/tamai/">
      　さて、前回にお約束していたように、今回から数回にわたって認知行動療法の技法を幾つか紹介する。改めて、すごい技法を出していくのでもなく、まずは基本から認知行動療法ではどのように話を進めていくのか、見てください。

　最初に紹介するのが、損益分析です。簡単に言うと、メリット・デメリットの検討です。簡単すぎて、もう終わってしまった。以上で説明を終えることのメリットは、

＜メリット＞
・ 私がこれ以上書かなくて済む、
・ 私の目が疲れない、
・ 読者の方は想像力がたくましくなる、
・ ＰＣの稼働時間が減って省エネに繋がるかもしれない、
・ じっくり読んでもらった後での実りのない文章を後悔してもらわないで済む、

などがあげられよう。
      <![CDATA[===
一方、あえてデメリットも探してみると、

＜デメリット＞
・ 意味がわからない人がいる可能性がある（読めば分かるという保証はないが）、
・ 期待を裏切られて不快な感情が出てくるかもしれない、
・ 私が「書く」と言ったことに対して適切に書いていないという罪悪感にとらわれる可能性がある（かなり弱い）、
・ 私の脳の働きが鈍くなる
・ 認知行動療法に対する希望を失わせてしまう可能性がある、
・ 今日の話題が一つ減る（このブログが話題になるとは思わないが、ブログの内容を自分の話として活用している人はいるかもしれない）、

などがあるかもしれない。
ふざけているつもりはないが、メリット・デメリットは出来る限り多くの可能性を網羅したほうが良い。多くの事柄に対して、メリット・デメリットの検討は行うことができる。

例「このブログを見ることについて」「今日の仕事をやすむことについて」「（想っている人に）告白することについて」「予定を変更することについて」「今現在抱えている不安をそのまま考え続けることについて」「食事を１回抜いて、小遣いの節約とすることについて」「禁煙することについて」「買いたいものを購入することについて」「怒っている相手に対して、怒りを意識し続けることについて」「自分が損したことを考え続けて時間を使うことについて」など、はっきり言えばありとあらゆることが検討の対象となる。

　ここで大切なことは、物事を行うかどうか、という検討だけでなく、考え方を継続するかどうか、その気分を維持させるかどうか、といった自分の内的な事柄に対しても検討の対象となることである。問題を何とかしたいという人がよくいるが、それを何とかすることのメリットもある一方、それを何とかすることのデメリット、つまり、問題状況を継続することのメリットさえもしばしば見つけることがある。

　それらを検討することが、自分の行動（外的・内的な）を決めていく手助けになることはある。
　頭の中で考えるだけでなく、是非、検討したいことについて白紙の真ん中に縦に線を引いて、メリットとデメリットを書き出して見ることをお勧めする。

<img src="http://www.iff.co.jp/tamai/image/image_070720.gif" width="231" height="125" alt="メリットデメリット" class="noborder"><br style="clear:both;">]]>
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   <title>長く続く抑うつ感に対して</title>
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   <published>2007-07-17T04:55:18Z</published>
   <updated>2009-03-31T05:59:47Z</updated>
   
   <summary>　CBASP（Cognitive-Behavioral Analysis Sys...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://iff.s116.coreserver.jp/tamai/">
      　CBASP（Cognitive-Behavioral Analysis System of Psychotherapy：認知行動分析システム精神療法）というアプローチがある。
　21世紀初頭にイギリスで発表され、慢性うつ病等に効果が確認されたといわれ、注目を集めたものである。
　面白い事に、境界性パーソナリティー障害などには効果が全く無かったとの報告もあり、適切なアプローチも症状によって異なる事をはっきりとさせてもいる。

　CBASPに関しては私は専門家ではないのだが、その中で参考になる点があればと思い、概略を述べてみる。

　まず、うつ病を「個人×環境」の相互作用と位置づけ、ストレッサーに対する適切な対処が上手くやって来れなかったことによって生じているという立場に立つ。また、自己責任を重視しており、うつ病者が自分の人生に対して責任を負うと考えている。

　これは、人生における選択肢を増やす可能性を追求したものでもある。そして状況の理解と、自分の行動が状況に及ぼした関連を見つめ、問題解決技法を教え、自らの行動の結果がどのようになるのかを自覚できるようにしていくのである。
　その際に、治療者と患者の間の関係を密接に取り扱うので、治療者にもかなりの技量と境界線の制御能力が求められる。
　その中でも対人分別練習も重要な部分で、治療者は自らを活用しながら患者の重要な他者との関係を探り、問題になり易いポイントを明確にしてアプローチするのである。
      ===
　最後に、より行動療法的であるが、状況分析を徹底的に行ったうえで、負の強化を主要な動機付け戦略として用いるのである。負の強化とは不快感を減少させることが出来る行動を増やしていく（強化していく）というものである。

　状況分析においては、どのような事柄が始まって終わったのか、という一定の定めた期間における一連の事実を自分の行動や、その結果としての事実も含めて洗い出すことを行う。
　解釈は必要なく、何が起こったかを説明できる事だけが求められる。その上で、それに対しての意味を求め、自分の求めた目標と比較させ、何をどのようにしていく事が出来るのか、検討し、現実の結果にしっかりと直面させるのである。そして、現実の結果と期待した結果に至るプロセスの違いを確認させ、行動を評価させ、修正していくのである。

　以上振り返ると、これは大変難しそうだ、と思われる方もいるかもしれないが、それ以上にきっと治療者にとっても難しいものなのであろう。
　精神力動アプローチと認知的アプローチ、行動的アプローチが混在し、かつ治療者に課されている態度にはかなり厳密なものがある。その中には密接な関わりを持ちながらもあくまでも患者に主導権を持たせながら、上手く導いていくという高度な技術が求められる。

　ある大学の教授がこのアプローチをスーパービジョン無く活用してみた所、効果は確認できなかったが、イギリスにいるこのアプローチの専門化にスーパービジョンを受けながらセラピーを進めると、漸く効果が確認されてきた、という報告もしていた。
　私もこのアプローチについて読んだ後、「面白い！」という思いと共に「できるかもな…」と傲慢にも思ったが、その事は恥ずかしい事になるので内緒にしておく。

　しばしばこのブログにおいて、境界線の重要さ、自己責任についても述べてきており、重なる所も見出してもらえるのではないかと、少し硬いものを紹介してみた。難しそうだと不安になる必要は無い。たくさんの有効なアプローチが開発されてきている事の証拠だし、対人関係に求められる距離も時代の流れによっても変化してきている事を感じさせ、たくさんの希望もある。

　今回は少し読者を困らせたかもしれない。今までは認知行動療法の考え方やモデルについて主に書いてきたが、次回以降数回にわたり、技法などのアプローチを具体的に書いてみたいと思う。
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   <title>何とかしたくないのか</title>
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   <published>2007-07-13T06:04:21Z</published>
   <updated>2009-03-31T05:59:47Z</updated>
   
   <summary>　何とかしたい、改善したい、問題である、と認識しているにも関わらず、そして長期的...</summary>
   <author>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://iff.s116.coreserver.jp/tamai/">
      　何とかしたい、改善したい、問題である、と認識しているにも関わらず、そして長期的に治療を受けているにもかかわらず改善の兆しが見えないことがある。
　そのような際には、その改善の兆しを治療者がどんな些細なものでも適切に拾い集めて、本人が気がつけるように返していく事は大変に重要なことであるが、認知行動療法における検討においてもう一つのアプローチがある。
　それは、改善しないことのメリットを確認することである。
      ===
　例えば、Aさんはすぐに怒りが出てしまい、仕事でも注意されて我慢が出来なくなると、すぐに怒鳴り返してしまっている。また、日常生活で食事に行こうと店に入っても、サービスが気に入らないとすぐに店長を呼んで長々と説教をする。

　Aさん自身は、そういう自分に少し困っているものの、世の中を憂えてもいて、全てが自分が悪いとも思えずにもんもんとして、社会を何とかできないものか、なんで人は自分に対してこんなに嫌な事をしてくるんだろうと考えているのである。
　Aさんにとっては良かれと思っている行動なのでもある。

　さて、ここでAさんは改善しないことで長期的なデメリットを得ていると考えているようだが、Aさん自身が得ているメリットはあるのだろうか。
　ある。意識していなくても、あるにはある。物は言いようかもしれないが、あるのである。

　いくつか推測できる事をあげてみると、自分の感情を抑える必要がない。これはデメリットだという指摘もあるかもしれないが、長期的にはそうだとしても、短期的には自分の感情を思いのままに発散させる事が出来ているのである。
　また、自己主張が上手くできているとも言えよう。上手く、というのは言いすぎかもしれないが、見事に主張している。正しい事をしている（多くの場合は｢普通の事をしているだけ｣という言い方をする人が多い）、という正義感も充足させてくれるかもしれない。

　このように考えると、怒りを抑える必要なんかないじゃないか、と思うかもしれない。その通りだ。私もそれでも良いと思う。Aさんが自分でその道を行き、場合によっては仕事を首になり、友人関係が減り、社会的に生きづらくなったとしてもそれも一つの生き方であろう。
　社会的に問題だと認識されると、国家権力による介入を受けるかもしれないが、それに対してもささやかな抵抗を試みるのであろう。

　別に、何が何でも改善しろとは言わないけれども、じゃあ何で治療するんだ？と聞いてみたい。長期的なメリットを享受する際に、短期的なメリットを一時的にかどうかは分からないが、手放さなければならないのである。
　その上で、耐える力をつける、上手く怒りを制御し(抑圧するのではない)伝えられるスキルを持つ、そのような自分を受け入れ、どうしてそのような事が自分に生じているのか見直し、そのような自分を許してあげる事も必要になってくる。

　考えてみると大変な作業かもしれないが、一歩ずつしか進めないから、実際にはそれ程大変なわけではない。ちょっとずつ次のステップを細かく分けて、実行、練習していく事が必要になる。
　もしかすると、一旦あきらめて手放したと思った短期的なメリットすらも自分の手元に使い勝手良く戻ってくるかもしれない。
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   <title>スキーマについて(2)　どのように問題が続くか</title>
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   <published>2007-07-09T06:37:37Z</published>
   <updated>2009-03-31T05:59:47Z</updated>
   
   <summary>　今回は、スキーマがどのように活性化され続けているのかを見ていく。大きく三つの方...</summary>
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      　今回は、スキーマがどのように活性化され続けているのかを見ていく。大きく三つの方法がある。

１　スキーマの維持（あきらめ）：
　これは考え方や行動の仕方によるもので、中核信念を永続させているものである。

　自分を「私は人に受け入れられない」とみなしていたAさんは、自分自身を人生のどのような領域においても、いつも人に受け入れられることを求めずに、消極的にしていることを自分の落ち着くことだとして頑張ろうとはしない。
　これは、あきらめとも言えよう。
      ===
２　スキーマの回避（否認）：
　これは人の中核信念が活性化され、それに連なる嫌な感情が活性化するのを避けるためにとられる、認知的、行動的そして情緒的な作戦のことである。

　例えば、結婚がうまく行かなかった記憶や彼女自身が求められていないという事実を見ないようにするために、溺れるほどに酒を飲む女性がいた。
　しかし、彼女が不幸であることを忘れようとすることによって、求められていないということが彼女に常に思い起こさせていたのである。ないないと思いながら、見ないようにしながらそれを否応なく感じているのである。
　厄介なことである。

３　スキーマの補償（空回り：空転）：
　これは考え方や行動の仕方によるもので、中核信念を否認するか、反撃しようと取り組むことである。

　自分自身を好いていないと思っている人が、彼は好かれていると証明しようとして、大きな友達の輪を作るよう尽力した。
　友達がその輪から離れていき、電話をかけても掛けなおしてくれず、彼の過剰なまでの親密さに引き気味になった時、それは彼の頭の中では彼は本当には好かれておらず、そうでないことを明らかにしようとした全ての努力は無駄に終わったというように補強するものとなる。
　一生懸命何とかしようとしているのだが、からからと空回りしているのである。痛い。

　このように、スキーマは維持され、強化されている。

　皆さんはいかがでしょうか。スキーマの成り立ちを丁寧に振り返り、そのスキーマに合わせてダメだしすることなく、それもくせの親玉だ、つまりくせだ、というところで進めていけると良い。

　先日、「私はダメだ」というくせがあり、なかなか「私は大丈夫」と言うようにならない、と言うことを聞いた。
　「私は大丈夫」と思えること、それも「くせ」なのである。悪い「くせ」が無くなって、「くせ」がなくなるわけではない。

　自分にとって困った「くせ」が減ったとしても、自分をそれほど困らせなかったり好ましい「くせ」が見につくだけである。
　考えようによると、人は「くせ」、つまり習慣の集合体なのである。
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   <title>スキーマについて（1）</title>
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   <published>2007-07-05T05:00:41Z</published>
   <updated>2009-03-31T05:59:47Z</updated>
   
   <summary>　今回は、中核信念、スキーマ（どちらも同意、絶対的信念ともいう）について書いてみ...</summary>
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      　今回は、中核信念、スキーマ（どちらも同意、絶対的信念ともいう）について書いてみたい。
　スキーマについて焦点を当てたアプローチで有名なのはYoungというアメリカの人で、スキーマ療法を唱えている。

　まず、スキーマとはどのようなものなのか、簡単に見ていこう。
　様々な状況において、人により反応の仕方があること、つまり癖があることは述べてきた。（『考え方の癖』参照）

　例えば、Aさんの話を考えてみよう。Aさんはうつで休職中の会社員です。Aさんは、仕事で失敗したら「ほら、やっぱり俺はこうなるんだ」と考え、成功しても｢どうせ偶然に違いない、これから大きく落ちていくんだ｣といった考えが頭にあり、どちらにしても自分の中に憂うつな気分を導いてしまう、ということが確認されていた。
      ===
　どのような考えにしても、何らかの方向を示していることは感じられていた。何か、自分に対してネガティブに感じているようなのです。
　下向き矢印法や文章完成法といったスキーマを探すアプローチでAさんが自分のスキーマを探してみたところ、｢私は人に受け入れられない｣といったものが確認された。

　Aさんにとっては、このようなスキーマが自分の中に眠っていたことを明らかにしたことは、驚きでもあり、ショックでもあるようだったが、認知行動療法を進めていくに従い、自分の生育暦とのつながりでそのスキーマの形成を振り返り、自らを楽にしていくことに取り組んでいけるようになった。

　認知行動療法においては、自動思考（表面的な反応）、思い込みといったものを含む自分自身に課しているルールなど（媒介信念と呼ぶ）、そしてより根っこの方にスキーマを想定している。そして、スキーマの影響で自動思考は方向付けられてもいるのである。

　カウンセリングを受ける際に、「自分の根っこからしっかりと何とかしないと表面的なことに終始してしまい、問題は続いてしまうのではないか」ということを心配する人がいる。もっともな事だと思います。ただ、私はそのような時に、このように説明します。

　｢それはその通りです。でも、新しい自分に対する検討方法で自分を何とかして以降と取り組む為にも、まずは扱いやすい簡単な表面的なことから取り組みましょう。そして、その作業に慣れてきたら、より根っこの方に、つまり媒介信念やスキーマに対してもアプローチしていきましょう｣。

　実際に、どれぐらいで認知行動療法を活用しやすいものにするのかは多少人によって違いますが、ダンススクールに通い始めた際には、最初は簡単なステップから練習し、次第に難易度を上げていくように、カウンセリングの中でも次第に深いテーマについても扱えるようになっていくのです。
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   <title>自分にとって大切なこと</title>
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   <published>2007-07-02T07:24:41Z</published>
   <updated>2009-03-31T05:59:47Z</updated>
   
   <summary>　前回、ベックが唱えた仮説と認知モデル、そして物語について書きました。今回はそれ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://iff.s116.coreserver.jp/tamai/">
      　前回、ベックが唱えた仮説と認知モデル、そして物語について書きました。今回はそれに引き続き、「大切なこと」について書いていきます。
　それは、ベック（1976）の「個人的な大切な領域」（各人の生活における大切なもの）の概念についてです。

　あなたが大切にしていること、大切にしたいことは何でしょうか。
　自分が大切にしていることを、人が同じぐらい大切にしていないのを見ると、不快に感じるかもしれません。
      ===
　例えば、本を大切にしている人がいるとします。本を大切にするので、本に書き込みなどはしてはいけないと考えています。またある人は、同じく本を大切にしていますが、本の内容を大切にすることとして、本に書き込みや意見を書いてまとめていくものだと考えています。

　どちらが正しくてどちらが間違っているのでもありません。ただ、それぞれに大切にしているものは｢本｣という同じもののようでありながら、大切にしているものは実は別物なのです。
　前者は｢本｣自体がより大切なのでしょう。自分が好きな作家の本などは、必ずハードカバーで買って、読む為の本と置いておくための本と分ける人がいるほどです。｢本｣自体が大切とともに、その書いている著者が大切なのかもしれません。細かい点は省きましょう。後者は、より強く本の内容が大切なのでしょう。

　自分が大切にしていることがはっきりしていると、人が大切にしているものと自分のものが多少違っていることが分かるはずです。
　自分が大切にしているものをわざわざ目の前で傷つけられるのは不快を通り越して怒りまで感じるかもしれませんが、それは嫌がらせですよね。

　ただ、自分が大切にしているものを、同じぐらい人が大切に思っていなかったとしても、それはどうしようもないことですし、そんなものですよね。
　この、そんなものだと言うのが大切です。自分と人は違う人間だ、ということですから。以下に、大切なものの例と、その反応を挙げます。

・ 自分を成功したビジネスウーマンと捉えている女性が、会社が倒産した際に「仕事こそが私の人生であり、仕事をなくすと私には何もない」といった結論に辿り着き、抑うつ状態に陥る。(大切なことが失われる状況)
・ 自分のことを平和と静かさを楽しむ人であると捉えている女性が、隣人がとても大きな音で音楽を演奏しているのを聴いて激怒する。(大切な生活が危険にさらされる状況)

　人がある状況に対してどのように感情的に反応するのかは、当人にとってその状況を、自身の大切な領域に意見されたり、それをなくしたり、危険にさらしたり、悪影響を及ぼしていると受け取るかどうかによるのです。

　不快な感情も、自分が大切なものは何かを教えてくれるかもしれない、大切な糸ですね。
　そして、その大切なこと、大切なものを大切にしていけると良いですね。
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   <title>認知内容特異仮説（Beck, 1976）</title>
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   <published>2007-06-29T08:02:12Z</published>
   <updated>2009-03-31T05:59:47Z</updated>
   
   <summary>　今回は、最初に認知療法の創始者であるベックが唱えた一つの仮説について振り返って...</summary>
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      　今回は、最初に認知療法の創始者であるベックが唱えた一つの仮説について振り返ってみます。認知内容特異仮説というものです。

　この仮説は、それぞれの感情の障害は、それに応じた典型的な認知内容またはテーマを持っているというものです。つまり、抑うつ感情は価値の引き下げや喪失によって導かれる、不安という感情は危険や脅威によって引き起こされる、恐怖という感情は状況特異的な危機によって生じる、被害妄想は正当でない押し付けによって生じ、怒りといった感情は正しいことが守られないことによる、といったものです。
　この仮説は、1980年代に行われた実験的調査によって立証されています（Weisharr, 1996）。
      ===
　認知モデルでは、考えが感情を導いていくというスタンスで物事を確認しながら進めていきますので、以上のような仮説は確かにもっともなものです。
　私個人として補足する必要があると考えるのは、その感情が導かれるのは考えによる、そしてその時にその考えとともに感情が出てくるのは、その人の「くせ」、その人がいる状況にもよると考えております。
　本仮説に異を唱えているわけではなく、感情は一つの決まった考えによって決まっている、というがちがちなものを提案している仮説ではないと、補足しておきます。
　同じ考えであったとしても、セラピーの中でその意味合いが変化していくことは多々感じるところです。

　何故、このような仮説を引っ張り出してきたかというと、やはり「くせ」をはっきりさせたいからです。そして、そのくせとともにそれが語られる状況の影響を受けていることも確認したかったからです。
　その人に特異な反応として、それを把握すること、その中で自分の「くせ」とともにそのくせの生じやすい場面やパターンなども含め、見やすくなってくるものです。

　認知行動療法においては、普通の生活の中で紡がれる物語の中から切り出すかのように思考と感情を把握していく作業が進められるのですが、その切り出したものがきっちりと細かく切り分けられているほど物事がはっきりするように感じやすくなります。
　その上で、切り出される前の物語の中に在った考えや感情を見つめてみると、それらの繋がりを感じるとともにより豊かにいきいきとそれらの考えや感情を見ることが出来るようになります。

　しばしば、認知行動療法を行う際に、客観的に自分を見るのですね、というようなことを聞くのですが、客観的に、と言うこともある程度は試みるのも有効かもしれませんが、それを主観的に味わうのも大切なことです。

　今回の話は、始まりの地点から随分と横に流れてしまい、分かりにくかったでしょうか。実は、後半は認知療法から外れた話をしています。物語についてです。少しつながりが強引だったかもしれません。
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   <title>認知行動療法は、何をしたいのか</title>
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   <published>2007-06-25T02:12:14Z</published>
   <updated>2009-03-31T05:59:47Z</updated>
   
   <summary>　認知行動療法では、考えにも行動にもアプローチしていきますが、前回のように考えに...</summary>
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      　認知行動療法では、考えにも行動にもアプローチしていきますが、前回のように考えに対してアプローチしていくことは、立派な対処方法でしょう。
　いずれにせよ大切なことは、頭に浮かんでいるものは「考え」であり、最初から良い考えが出てこない場合でも、出てきた嫌な考えに対してどのように考えるかはあなたの自由な選択に任されているのです。

　問題が起こった時に、人のせいにするのも考え方の一つの選択肢です。ただ、最終的には自分で責任を取れるようにしたほうが、喜びも多くあるようです。
　自分で責任を取る喜びは、その大変さとプレッシャーとも背中合わせになるようですが、自分のことを自分でやっている、自分の事を自分で選べるようになります。
      ===
　人が自分のことを苦しめると思いがちの人もいます。別にその考え方に対しての良し悪しをいうつもりはありません。その結果は自分で受け止めているでしょうから。
　人が自分の事を楽しませてくれない、人が自分の思い通りに動いてくれない、だから人が悪い、という考え方もありますが、人は自分の事を楽しませる為に生きているわけではありません。
　その人も同じように楽しませて欲しいと思って居るときに、どちらの思いが優先されるのでしょうか。大変に悩みどころです。
　主従関係がある場合には、主が優先されるかもしれませんし、サービスの提供者と受けて側であれば、受け手の思いが優先されるかもしれません。その他の場合もあるでしょう。時により関係が逆転もするでしょうし、世の中複雑です。

　親子関係の場合は、よく親がこどもに何でもやってあげることが必要だと言う考えもあります。でも、一定のところまでですよね。
　実際には親子関係も子どもが大人になったら一人の人と人の関係ですよね。親も単なる一人の人で、子も単なる一人の人、と言うのが事実ですから。

　この事実をどのように取っていくのか、どのように取るのが正しいというよりも、どのように取ることが今のあなたにとって有効なのか、または限界なのか、はっきりさせてみることもいいでしょうね。
　この親子関係の話については、親離れ、子離れという大きな話になるので、一旦横においておきましょう。

　人を楽しませる、というのはいったいどういうことなのでしょうか。その楽しさを提供する人が、楽しいと思うことを相手に提供することなのでしょうか。それとも、その提供者自身が楽しんでいることで楽しい気分が広がっていくのでしょうか。それを求めるというのはどういうことなのでしょうか。

　楽しさを提供しようとする余り、相手のことばかり考えてしまって自分が本当に何が楽しいのか分からなくなってしまっても困りますね。こんなことだらだら考えていると訳分からないから、どうでも良いから楽しみゃ良いや、という気になったりして。

　楽しさの提供はさておいても、苦しさの提供は避けたいものですね。この場合、自分がされて嫌なことはしない、というのが分かりやすい。人を呪わば穴二つ、と昔から言いますからね。これもあなたの選択ではありますが、あなた自身の為です。参考まで。
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   <title>認知行動療法で、何をしたいのか</title>
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   <published>2007-06-22T02:49:46Z</published>
   <updated>2009-03-31T05:59:47Z</updated>
   
   <summary>　このところ、考え方のくせについて書いてきました。 　さて、くせは分かったものの...</summary>
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      　このところ、考え方のくせについて書いてきました。

　さて、くせは分かったもののどうしたらよいのだろう、と途方にくれている方はいますか。それとも、そのくせと上手く付き合えるようになる方法を見出せているでしょうか。

　認知行動療法のグループでよく確認する質問があります。

「あなたは困ったくせ、つまり嫌な考えや嫌に感じる感情が自然に出てこないようになることを求めているのですか。それとも、その困ったくせにうまく対処できるようになりたいのですか」

　あなたはいかがでしょうか。多くの方が、心情的には前者だと思うのではないでしょうか。しかし、またその内の何割かの人も含め、後者だと思う人もいるでしょう。
      ===
　気持ちとしては、いつも自然に、嫌な考えは頭をよぎらないし、自分にとって喜ばしい考えがいつも頭に浮かんでくるし、ネガティブに感じやすい感情は殆どなくポジティブに感じやすい感情ばかりがあり、生き生きしている、というほうがよさそうに聞こえるかもしれません。
　でも、ネガティブに感じやすいものも出て来ますよ。これからも。
　なぜなら、ポジティブに感じやすいものと、ネガティブに感じやすいもの、そのように決めているのはあなたですし（プラス思考でないといけないといった強い思い込みなども含む）、ネガティブに感じやすいものもあなたにとっては必要なものだからです。

　つまり、ネガティブに感じやすいものもあなたにとっては遠回りに思うかもしれませんが、大切です。嫌かもしれませんが、これからも付き合っていく必要があります。
　ただ、上手く付き合っていけるようになると、それほど困らなくてもよくなると思います。

　「対処方法が分からない」、「どうしようもない」、「自分に問題がある」、といった考えでその困ったくせに立ち向かおうとすると、確かに、その考えを証明するかのような行動しかとれない起こりそうですね。
　どうしようもないと決めている場合に、どうしようもなく感じ、どうしようもないと行動も停止してしまうのは当然のことですよね。

　ただ、「どうしようもない」というのは、事実とは限らず、単なる考えである場合が多く、自分でそのような考えを継続的に考えると決めて考えているのです。「何とかなるかもしれない」、「何とかする方法を相談してみよう」、「今までどうやって乗り越えてきたのか思い出してみよう」、「こういうことに対処するのが上手な○○さんならどうするのかな」等々考えてみることも出来るのです。

　そのような沢山の考えの中の一つ、「どうしようもない」を選んでいるに過ぎないのです。
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   <title>考え方の癖（11）個人化　くせについて</title>
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   <published>2007-06-18T00:21:07Z</published>
   <updated>2009-03-31T05:59:47Z</updated>
   
   <summary>　個人化とは、何か嫌な事柄が起こった際に、自分に責任がないような出来事に対しても...</summary>
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         <category term="考え方の癖" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      　個人化とは、何か嫌な事柄が起こった際に、自分に責任がないような出来事に対しても自分のせいにしてしまうといった癖のことである。
　ある意味、エスパーに似ているが、この場合のエスパー能力はある特定の事柄を自分が引き起こしている、というものである。
　絶大なる影響力が世間に及ぼされているのである。

　ある人は、赤信号に出合うことが多い。このEさんは、信号が赤になるのは自分のせいだと考えるに至った。自分が信号を使う時でない時でも、赤信号で止まっている人や車を見る度に、「悪いなぁ」と思うようになっている。
      ===
　それ自体は特に何か困ったことではないのだが、自分が近づくと赤信号になるので、家の外に出られなくなってしまうと困ったこととなる。
　実際の状況を考えると、Eさんが家の中にいても信号は時により赤信号になるからである。Eさんがある方向を赤信号にした時、別の方向を青信号にしているのである。そちら側の人からは、感謝されてもいいようなものだ。
　しかし、このくせを持つ人は大概が謙虚な人たちであり、ネガティブな事柄だけは自分のせいで起こっているのみなすのである。

　よく聞くことですが、雨男、雨女といったものがあります。これも似ていますが、雨が降るのは自分のせいになるのです。
　確かに、そのように思われることもあったり、昔から船乗りとか様々な職業によって言い伝わっていることなどもあったりしますので、一概に否定することも出来ません。それらも何かに責任を転嫁してしまおうと言うだけのものなのかは不明です。そうではないのではないかと私個人的には考えております。

　この個人化というくせは、ちょっと気持ちが弱くなっている時などは誰でも体験します。ちょっと落ち込んでいる時に、人の憂うつそうな表情を見て私のせいかな、と思ったり、疲れて判断力が低下している時に、人が出した大きな音に対して「私に対しての嫌がらせだ」ととったりすることもあります。
　いつも言うことですが、事実は事実、考えは考え、そして感情は感情でそれぞれ繋がってはいますが別物だということが分かると良いですね。

　今まで、心のくせについて概説してきました。
　心のくせは、理由などがあるものもありますが、殆どは理由と言うよりもただくせなのです。右利きの人が右手を使うのは何故？と聞かないぐらい自然にくせなのです。癖がないと思う人がいたら、きっとそれもくせなのでしょう。私は今までのところくせのない人を見たことがありません。

　自分にとって有益なくせも不利益なくせもあります。くせをただ一つのくせとしてみて、そのくせとの付き合い方を見つけていければ良いのかと思います。
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