2007年07月の一覧

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2007年07月02日

自分にとって大切なこと

 前回、ベックが唱えた仮説と認知モデル、そして物語について書きました。今回はそれに引き続き、「大切なこと」について書いていきます。
 それは、ベック(1976)の「個人的な大切な領域」(各人の生活における大切なもの)の概念についてです。

 あなたが大切にしていること、大切にしたいことは何でしょうか。
 自分が大切にしていることを、人が同じぐらい大切にしていないのを見ると、不快に感じるかもしれません。

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 例えば、本を大切にしている人がいるとします。本を大切にするので、本に書き込みなどはしてはいけないと考えています。またある人は、同じく本を大切にしていますが、本の内容を大切にすることとして、本に書き込みや意見を書いてまとめていくものだと考えています。

 どちらが正しくてどちらが間違っているのでもありません。ただ、それぞれに大切にしているものは「本」という同じもののようでありながら、大切にしているものは実は別物なのです。
 前者は「本」自体がより大切なのでしょう。自分が好きな作家の本などは、必ずハードカバーで買って、読む為の本と置いておくための本と分ける人がいるほどです。「本」自体が大切とともに、その書いている著者が大切なのかもしれません。細かい点は省きましょう。後者は、より強く本の内容が大切なのでしょう。

 自分が大切にしていることがはっきりしていると、人が大切にしているものと自分のものが多少違っていることが分かるはずです。
 自分が大切にしているものをわざわざ目の前で傷つけられるのは不快を通り越して怒りまで感じるかもしれませんが、それは嫌がらせですよね。

 ただ、自分が大切にしているものを、同じぐらい人が大切に思っていなかったとしても、それはどうしようもないことですし、そんなものですよね。
 この、そんなものだと言うのが大切です。自分と人は違う人間だ、ということですから。以下に、大切なものの例と、その反応を挙げます。

・ 自分を成功したビジネスウーマンと捉えている女性が、会社が倒産した際に「仕事こそが私の人生であり、仕事をなくすと私には何もない」といった結論に辿り着き、抑うつ状態に陥る。(大切なことが失われる状況)
・ 自分のことを平和と静かさを楽しむ人であると捉えている女性が、隣人がとても大きな音で音楽を演奏しているのを聴いて激怒する。(大切な生活が危険にさらされる状況)

 人がある状況に対してどのように感情的に反応するのかは、当人にとってその状況を、自身の大切な領域に意見されたり、それをなくしたり、危険にさらしたり、悪影響を及ぼしていると受け取るかどうかによるのです。

 不快な感情も、自分が大切なものは何かを教えてくれるかもしれない、大切な糸ですね。
 そして、その大切なこと、大切なものを大切にしていけると良いですね。

2007年07月02日 16:24:[←ブログメインに戻る]←IFFトップページへ][↑ページ上端へ

2007年07月05日

スキーマについて(1)

 今回は、中核信念、スキーマ(どちらも同意、絶対的信念ともいう)について書いてみたい。
 スキーマについて焦点を当てたアプローチで有名なのはYoungというアメリカの人で、スキーマ療法を唱えている。

 まず、スキーマとはどのようなものなのか、簡単に見ていこう。
 様々な状況において、人により反応の仕方があること、つまり癖があることは述べてきた。(『考え方の癖』参照)

 例えば、Aさんの話を考えてみよう。Aさんはうつで休職中の会社員です。Aさんは、仕事で失敗したら「ほら、やっぱり俺はこうなるんだ」と考え、成功しても「どうせ偶然に違いない、これから大きく落ちていくんだ」といった考えが頭にあり、どちらにしても自分の中に憂うつな気分を導いてしまう、ということが確認されていた。

===
 どのような考えにしても、何らかの方向を示していることは感じられていた。何か、自分に対してネガティブに感じているようなのです。
 下向き矢印法や文章完成法といったスキーマを探すアプローチでAさんが自分のスキーマを探してみたところ、「私は人に受け入れられない」といったものが確認された。

 Aさんにとっては、このようなスキーマが自分の中に眠っていたことを明らかにしたことは、驚きでもあり、ショックでもあるようだったが、認知行動療法を進めていくに従い、自分の生育暦とのつながりでそのスキーマの形成を振り返り、自らを楽にしていくことに取り組んでいけるようになった。

 認知行動療法においては、自動思考(表面的な反応)、思い込みといったものを含む自分自身に課しているルールなど(媒介信念と呼ぶ)、そしてより根っこの方にスキーマを想定している。そして、スキーマの影響で自動思考は方向付けられてもいるのである。

 カウンセリングを受ける際に、「自分の根っこからしっかりと何とかしないと表面的なことに終始してしまい、問題は続いてしまうのではないか」ということを心配する人がいる。もっともな事だと思います。ただ、私はそのような時に、このように説明します。

 「それはその通りです。でも、新しい自分に対する検討方法で自分を何とかして以降と取り組む為にも、まずは扱いやすい簡単な表面的なことから取り組みましょう。そして、その作業に慣れてきたら、より根っこの方に、つまり媒介信念やスキーマに対してもアプローチしていきましょう」。

 実際に、どれぐらいで認知行動療法を活用しやすいものにするのかは多少人によって違いますが、ダンススクールに通い始めた際には、最初は簡単なステップから練習し、次第に難易度を上げていくように、カウンセリングの中でも次第に深いテーマについても扱えるようになっていくのです。

2007年07月05日 14:00:[←ブログメインに戻る]←IFFトップページへ][↑ページ上端へ

2007年07月09日

スキーマについて(2) どのように問題が続くか

 今回は、スキーマがどのように活性化され続けているのかを見ていく。大きく三つの方法がある。

1 スキーマの維持(あきらめ):
 これは考え方や行動の仕方によるもので、中核信念を永続させているものである。

 自分を「私は人に受け入れられない」とみなしていたAさんは、自分自身を人生のどのような領域においても、いつも人に受け入れられることを求めずに、消極的にしていることを自分の落ち着くことだとして頑張ろうとはしない。
 これは、あきらめとも言えよう。

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2 スキーマの回避(否認):
 これは人の中核信念が活性化され、それに連なる嫌な感情が活性化するのを避けるためにとられる、認知的、行動的そして情緒的な作戦のことである。

 例えば、結婚がうまく行かなかった記憶や彼女自身が求められていないという事実を見ないようにするために、溺れるほどに酒を飲む女性がいた。
 しかし、彼女が不幸であることを忘れようとすることによって、求められていないということが彼女に常に思い起こさせていたのである。ないないと思いながら、見ないようにしながらそれを否応なく感じているのである。
 厄介なことである。

3 スキーマの補償(空回り:空転):
 これは考え方や行動の仕方によるもので、中核信念を否認するか、反撃しようと取り組むことである。

 自分自身を好いていないと思っている人が、彼は好かれていると証明しようとして、大きな友達の輪を作るよう尽力した。
 友達がその輪から離れていき、電話をかけても掛けなおしてくれず、彼の過剰なまでの親密さに引き気味になった時、それは彼の頭の中では彼は本当には好かれておらず、そうでないことを明らかにしようとした全ての努力は無駄に終わったというように補強するものとなる。
 一生懸命何とかしようとしているのだが、からからと空回りしているのである。痛い。

 このように、スキーマは維持され、強化されている。

 皆さんはいかがでしょうか。スキーマの成り立ちを丁寧に振り返り、そのスキーマに合わせてダメだしすることなく、それもくせの親玉だ、つまりくせだ、というところで進めていけると良い。

 先日、「私はダメだ」というくせがあり、なかなか「私は大丈夫」と言うようにならない、と言うことを聞いた。
 「私は大丈夫」と思えること、それも「くせ」なのである。悪い「くせ」が無くなって、「くせ」がなくなるわけではない。

 自分にとって困った「くせ」が減ったとしても、自分をそれほど困らせなかったり好ましい「くせ」が見につくだけである。
 考えようによると、人は「くせ」、つまり習慣の集合体なのである。

2007年07月09日 15:37:[←ブログメインに戻る]←IFFトップページへ][↑ページ上端へ

2007年07月13日

何とかしたくないのか

 何とかしたい、改善したい、問題である、と認識しているにも関わらず、そして長期的に治療を受けているにもかかわらず改善の兆しが見えないことがある。
 そのような際には、その改善の兆しを治療者がどんな些細なものでも適切に拾い集めて、本人が気がつけるように返していく事は大変に重要なことであるが、認知行動療法における検討においてもう一つのアプローチがある。
 それは、改善しないことのメリットを確認することである。

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 例えば、Aさんはすぐに怒りが出てしまい、仕事でも注意されて我慢が出来なくなると、すぐに怒鳴り返してしまっている。また、日常生活で食事に行こうと店に入っても、サービスが気に入らないとすぐに店長を呼んで長々と説教をする。

 Aさん自身は、そういう自分に少し困っているものの、世の中を憂えてもいて、全てが自分が悪いとも思えずにもんもんとして、社会を何とかできないものか、なんで人は自分に対してこんなに嫌な事をしてくるんだろうと考えているのである。
 Aさんにとっては良かれと思っている行動なのでもある。

 さて、ここでAさんは改善しないことで長期的なデメリットを得ていると考えているようだが、Aさん自身が得ているメリットはあるのだろうか。
 ある。意識していなくても、あるにはある。物は言いようかもしれないが、あるのである。

 いくつか推測できる事をあげてみると、自分の感情を抑える必要がない。これはデメリットだという指摘もあるかもしれないが、長期的にはそうだとしても、短期的には自分の感情を思いのままに発散させる事が出来ているのである。
 また、自己主張が上手くできているとも言えよう。上手く、というのは言いすぎかもしれないが、見事に主張している。正しい事をしている(多くの場合は「普通の事をしているだけ」という言い方をする人が多い)、という正義感も充足させてくれるかもしれない。

 このように考えると、怒りを抑える必要なんかないじゃないか、と思うかもしれない。その通りだ。私もそれでも良いと思う。Aさんが自分でその道を行き、場合によっては仕事を首になり、友人関係が減り、社会的に生きづらくなったとしてもそれも一つの生き方であろう。
 社会的に問題だと認識されると、国家権力による介入を受けるかもしれないが、それに対してもささやかな抵抗を試みるのであろう。

 別に、何が何でも改善しろとは言わないけれども、じゃあ何で治療するんだ?と聞いてみたい。長期的なメリットを享受する際に、短期的なメリットを一時的にかどうかは分からないが、手放さなければならないのである。
 その上で、耐える力をつける、上手く怒りを制御し(抑圧するのではない)伝えられるスキルを持つ、そのような自分を受け入れ、どうしてそのような事が自分に生じているのか見直し、そのような自分を許してあげる事も必要になってくる。

 考えてみると大変な作業かもしれないが、一歩ずつしか進めないから、実際にはそれ程大変なわけではない。ちょっとずつ次のステップを細かく分けて、実行、練習していく事が必要になる。
 もしかすると、一旦あきらめて手放したと思った短期的なメリットすらも自分の手元に使い勝手良く戻ってくるかもしれない。

2007年07月13日 15:04:[←ブログメインに戻る]←IFFトップページへ][↑ページ上端へ

2007年07月17日

長く続く抑うつ感に対して

 CBASP(Cognitive-Behavioral Analysis System of Psychotherapy:認知行動分析システム精神療法)というアプローチがある。
 21世紀初頭にイギリスで発表され、慢性うつ病等に効果が確認されたといわれ、注目を集めたものである。
 面白い事に、境界性パーソナリティー障害などには効果が全く無かったとの報告もあり、適切なアプローチも症状によって異なる事をはっきりとさせてもいる。

 CBASPに関しては私は専門家ではないのだが、その中で参考になる点があればと思い、概略を述べてみる。

 まず、うつ病を「個人×環境」の相互作用と位置づけ、ストレッサーに対する適切な対処が上手くやって来れなかったことによって生じているという立場に立つ。また、自己責任を重視しており、うつ病者が自分の人生に対して責任を負うと考えている。

 これは、人生における選択肢を増やす可能性を追求したものでもある。そして状況の理解と、自分の行動が状況に及ぼした関連を見つめ、問題解決技法を教え、自らの行動の結果がどのようになるのかを自覚できるようにしていくのである。
 その際に、治療者と患者の間の関係を密接に取り扱うので、治療者にもかなりの技量と境界線の制御能力が求められる。
 その中でも対人分別練習も重要な部分で、治療者は自らを活用しながら患者の重要な他者との関係を探り、問題になり易いポイントを明確にしてアプローチするのである。

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 最後に、より行動療法的であるが、状況分析を徹底的に行ったうえで、負の強化を主要な動機付け戦略として用いるのである。負の強化とは不快感を減少させることが出来る行動を増やしていく(強化していく)というものである。

 状況分析においては、どのような事柄が始まって終わったのか、という一定の定めた期間における一連の事実を自分の行動や、その結果としての事実も含めて洗い出すことを行う。
 解釈は必要なく、何が起こったかを説明できる事だけが求められる。その上で、それに対しての意味を求め、自分の求めた目標と比較させ、何をどのようにしていく事が出来るのか、検討し、現実の結果にしっかりと直面させるのである。そして、現実の結果と期待した結果に至るプロセスの違いを確認させ、行動を評価させ、修正していくのである。

 以上振り返ると、これは大変難しそうだ、と思われる方もいるかもしれないが、それ以上にきっと治療者にとっても難しいものなのであろう。
 精神力動アプローチと認知的アプローチ、行動的アプローチが混在し、かつ治療者に課されている態度にはかなり厳密なものがある。その中には密接な関わりを持ちながらもあくまでも患者に主導権を持たせながら、上手く導いていくという高度な技術が求められる。

 ある大学の教授がこのアプローチをスーパービジョン無く活用してみた所、効果は確認できなかったが、イギリスにいるこのアプローチの専門化にスーパービジョンを受けながらセラピーを進めると、漸く効果が確認されてきた、という報告もしていた。
 私もこのアプローチについて読んだ後、「面白い!」という思いと共に「できるかもな…」と傲慢にも思ったが、その事は恥ずかしい事になるので内緒にしておく。

 しばしばこのブログにおいて、境界線の重要さ、自己責任についても述べてきており、重なる所も見出してもらえるのではないかと、少し硬いものを紹介してみた。難しそうだと不安になる必要は無い。たくさんの有効なアプローチが開発されてきている事の証拠だし、対人関係に求められる距離も時代の流れによっても変化してきている事を感じさせ、たくさんの希望もある。

 今回は少し読者を困らせたかもしれない。今までは認知行動療法の考え方やモデルについて主に書いてきたが、次回以降数回にわたり、技法などのアプローチを具体的に書いてみたいと思う。

2007年07月17日 13:55:[←ブログメインに戻る]←IFFトップページへ][↑ページ上端へ

2007年07月20日

検討方法(1) 損益分析(メリット・デメリット)

 さて、前回にお約束していたように、今回から数回にわたって認知行動療法の技法を幾つか紹介する。改めて、すごい技法を出していくのでもなく、まずは基本から認知行動療法ではどのように話を進めていくのか、見てください。

 最初に紹介するのが、損益分析です。簡単に言うと、メリット・デメリットの検討です。簡単すぎて、もう終わってしまった。以上で説明を終えることのメリットは、

<メリット>
・ 私がこれ以上書かなくて済む、
・ 私の目が疲れない、
・ 読者の方は想像力がたくましくなる、
・ PCの稼働時間が減って省エネに繋がるかもしれない、
・ じっくり読んでもらった後での実りのない文章を後悔してもらわないで済む、

などがあげられよう。

===
一方、あえてデメリットも探してみると、

<デメリット>
・ 意味がわからない人がいる可能性がある(読めば分かるという保証はないが)、
・ 期待を裏切られて不快な感情が出てくるかもしれない、
・ 私が「書く」と言ったことに対して適切に書いていないという罪悪感にとらわれる可能性がある(かなり弱い)、
・ 私の脳の働きが鈍くなる
・ 認知行動療法に対する希望を失わせてしまう可能性がある、
・ 今日の話題が一つ減る(このブログが話題になるとは思わないが、ブログの内容を自分の話として活用している人はいるかもしれない)、

などがあるかもしれない。
ふざけているつもりはないが、メリット・デメリットは出来る限り多くの可能性を網羅したほうが良い。多くの事柄に対して、メリット・デメリットの検討は行うことができる。

例「このブログを見ることについて」「今日の仕事をやすむことについて」「(想っている人に)告白することについて」「予定を変更することについて」「今現在抱えている不安をそのまま考え続けることについて」「食事を1回抜いて、小遣いの節約とすることについて」「禁煙することについて」「買いたいものを購入することについて」「怒っている相手に対して、怒りを意識し続けることについて」「自分が損したことを考え続けて時間を使うことについて」など、はっきり言えばありとあらゆることが検討の対象となる。

 ここで大切なことは、物事を行うかどうか、という検討だけでなく、考え方を継続するかどうか、その気分を維持させるかどうか、といった自分の内的な事柄に対しても検討の対象となることである。問題を何とかしたいという人がよくいるが、それを何とかすることのメリットもある一方、それを何とかすることのデメリット、つまり、問題状況を継続することのメリットさえもしばしば見つけることがある。

 それらを検討することが、自分の行動(外的・内的な)を決めていく手助けになることはある。
 頭の中で考えるだけでなく、是非、検討したいことについて白紙の真ん中に縦に線を引いて、メリットとデメリットを書き出して見ることをお勧めする。

メリットデメリット

2007年07月20日 15:08:[←ブログメインに戻る]←IFFトップページへ][↑ページ上端へ

2007年07月23日

検討方法(2) 二重の基準法

 AさんがBさんに相談をされました。
「パートナーのCさんとの仲がうまくいっていないので、このところ何事もやる気が出ないの。どのようにしたら良いと思う?」
 といったものでした。

 Aさんは、BさんがCさんとうまくやって行きたいし、まだまだ何とかやっていけそうだという事を話を聞いて感じていたので、「大丈夫よ、心配しすぎよ、きっとそのうちうまく行くわよ」とアドバイスをしていました。

 そんなある日、Aさんは自分のパートナーであるDさんと喧嘩をしてしまいました。そしてAさんは、
「Dと喧嘩するなんて私はもうダメだ、Dはもう私のことを嫌いになってしまったに違いない。Dとはもう仲直りは出来ないんじゃないかな。どうしよう」
 と考え、憂うつになってしまいました。

===
 その状況をBさんが聞いて、
「あら、あなたは私に言ってくれたじゃないの。おかげで何とかなると思えて、実際に何とかなって今は大丈夫よ」
 と言ってきました。しかしAさんは、人には言えるけれども、私はそんな考えではダメなのよ。と思って、何ともならずに落ち込んだままでした。

 以上のようなことは、日常でもないでしょうか。人に対しては寛大になれるのに、自分自身に対してはとても厳しくなるのです。
 そこでは、人に対する際の基準と、自分に対して課している基準が一致せずにあり続けます。端的に言えば、自己矛盾なのですが、そういうときに限って「人は人、自分は自分」と境界線を持った発言が出てくるのです。

 このアプローチでは、何故二つの基準があるのか、それらを統合していくように働きかけていきます。人に接するように自分に接することが出来ないことで、時により悪循環となることもあります。自分に厳しいのみならず、自分に対して否定的になってしまっている時に、自分自身がその困った状況を維持させる役割の一端を担ってしまってもいるからです。

 人は否定的に接せられると、態度を硬化させやすくなります。自分に対しても同様なのです。自分が自分に対して否定的に関わる時に、知らず知らず自分の緊張感や不安は高まっていきます。その状況では、なんとか自分に対してより厳しくすることで状況を改善させることはかなりの力仕事となります。

 どうしてもこのような考えから離れられない時には、人に対する基準を幾つか書き出してみます。
 人に対してと言っても、相手によって様々異なっていることがあります。また、それと並べて自分に対する基準、そしてそれに加えて、最高に高い基準も一緒に並べて見ると良いでしょう。最も高いと思われる基準も並べてみることで、自分に対する基準に対して少し距離を持って眺めやすくなり、検討がしやすくなることがあります。

 自分に対して厳しいのもいいですけど、建設的に厳しくしたいですね。

 ちなみにAさんは、
「あら、喧嘩を絶対してはいけない仲良しの関係ってあるのかな」
 と考えて、自分に対する基準を
「喧嘩しても何とかなるや」
 という辺りに落ち着かせたようです。

2007年07月23日 16:30:[←ブログメインに戻る]←IFFトップページへ][↑ページ上端へ

2007年07月27日

検討方法(3) 選択肢を考え出す

 続いてオーソドックスな方法ですが、選択肢を考え出す、という基本に戻ります。

 これは、どんな場面においても選択肢はある、行き詰ってどうしようもなくても選択肢はある、という考えの上に行うものです。
 難しい話をすると、ジョージ・ケリー(1995)は構成的選択論を提案しており、その方法を提案している。また、アメリカのウィリアム・グラッサーは1960年代に現実療法を提案していたが、近年に入って選択療法、と言い換え、その理論を選択理論と呼んでいる。
 この現実療法も、認知療法を似たところが多々ある。何事も選択が出来ると言うことなのです。

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 例えば、知らず知らずに取っている行動も、選択なのです。心臓を止めるということは出来ないでしょうが、映画などを見ていると、一時的に止めて仮死状態になることは出来るようです(詳しくは不明)。
 また、チベットの修行僧で極めている人は、心臓のみならず呼吸とか様々一定のところまで意識してコントロールできるようにまでなると聞いたこともあります(これも実際に見たことではありません)。

 きっと、それらすらも選択なのかもしれません。
 憂うつな状態にいる人は、憂うつそうな表情をしていることが多いでしょう。しかし、これなども選択であると言うことは明らかです。
 憂うつさを露ほども感じさせないほどににこやかに振舞うことが出来る人もいるからです。必ずしも感情を抑圧するということでもなく、ただ憂うつな表情を安心して出せる場所を選んでいるということなのでしょう。

 このように考えていくと、「そんなことは出来ないから、選択肢に入らない」という方がいると思います。そのように考えるのも一つの選択肢です。
 同じ時に、「今はうまくは出来ないけれども、やってみる」「うまく出来ている人を観察したり、話を聞いてみる」「以前どのように同じような状況を乗り越えたか振り返ってみる」「しばらくひきこもって感情が通り過ぎるのを待つ」など、様々な選択肢は持ちうるのです。選択肢はあくまでも選択肢であり、それを選択しなければならないものではないのです。

 選択肢を考え出す時に、一つの状況において少なくとも3つは探し出す必要があります。一つでは選択肢と言えませんし、二つでは選択肢ではありますがしばしば白黒思考といった、成功/失敗、正しい/間違っている、勝者/敗者、といったところに落ち込みやすいので、適切な選択肢を持つためには、3つは必要でしょう。

 また、選択肢を検討していく際に大切なこととして、考えと事実をわけることは大切です。
 しばしば自分の持つ考えを「事実・真実」と思って選択の余地がないものだと思い易いのです。
 例えば、「Eさんが私を責めた」、と考えているFさんは、「Eさんが私を責めたのは事実だ!」と信じているかもしれませんが、Eさんが強くFさんに指摘した、ことをFさんが「責められた」と取っているに過ぎないことがあります。

 確かに、Eさんの言い方は強過ぎるとかあったのかもしれませんが。もう一点は、真実とは複数あるということです。コインの表を見ている人は、菊の模様を見ているかもしれません。
 しかし、同じものを見ながらもその裏の数字を見ている人は違うコメントを述べるかもしれません。出来るだけ沢山の選択肢を、明らかに選択しないであろう選択肢をも探しておくことも有効です。

2007年07月27日 16:30:[←ブログメインに戻る]←IFFトップページへ][↑ページ上端へ

2007年07月30日

検討方法(4) 自分のスキーマの源への手紙

 次の検討方法は、自分自身に対し、または自分がネガティブな考えを抱くに至ったきっかけとなった人(たち)に対して手紙を書いてみることです。

 認知療法に限らずとも、トラウマワークなどでも活用されることのある方法ではあります。
 このような作業をする時には、しっかりした態度で自分の意見を主張するつもりで書いてみてください。その時に自分がどのように感じたのか、そして今、そのことをどのように考えるにいたり、この作業をしながらもどのように感じているのか、書いてみてください。
 書いたものを本当に相手に送ることを考えなくて良いです。書いたものを後から振り返って自分の変化を確認する為に使うことも出来ますが、どうしても手元においておきたくない場合には、安全な場所に保存するのか、破棄してしまうのも状況によっては仕方ないでしょう。

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 今まで誰にも言えなかった事、これからも誰にも良いたくないであろうことをあえて書き出すこと、そのような作業を行うこと自体が有益だという研究結果も報告されています。

 書く時に、すごく感情的にならなくてもいいのです。泣きながら書かなければ意味がないわけでもありません。
 自分の中にある感情を書き出していくことや、秘密の事柄に対して向き合い、自分の中ででも明らかにしていくことが大切なのです。
 同じテーマについて繰り返し書いたとしても、日によって内容が変わったり感じ方が変わることもあります。それは自然なことです。そのようにして分かりやすく変化を感じることもありますし、知らず知らずのうちに行動等が変化しやすくなることもあります。

 どうしてもこのような作業が難しく、自分の考えに対抗する考えが出てきて自分の中で戦いが始まってしまうといった体験をするかもしれません。そのような時は、自分はどうしたいのか、どのように考えたら楽なのか、自分は嫌だけれども、一定の考え方のくせ、ネガティブな考えを抱かされてしまっていて、それはどのようなものなのか、その時にはどんな嫌な感情が出てくるのか、書き続けてください。

 毎日書いても良いですけれども、どうしても困難を感じる時には休むことも必要でしょう。それも自分の「なんとかしていきたい」という気持ちの強さによって対応していければよいので、何が何でも自分がどんな状態でもやらなければいけない、と苦行をする必要はありません。

 このような作業は少し負荷の掛かるもになるかもしれませんが、一定の期間を決めて、自分に取り組むつもりで進めてみてはいかがでしょうか。
 その一定の期間が過ぎたときに、改めて自分の中で、自分の状態を振り返ってみても良いかもしれません。

2007年07月30日 13:39:[←ブログメインに戻る]←IFFトップページへ][↑ページ上端へ