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2007年06月12日

考え方の癖(10)「べき」「ねばならない」思考

 「べき」思考は「ねばらなない」思考と同様、よく耳にするものですね。こうでなければならない、こうあらねばならない、こうすべき、などと沢山あります。
 私達が生活していくに当たってもっているルールを表すことが多いです。私たち一人一人、少しずつ違うことをルールにしています。誰もが同じルールを持っているわけではありません。

 例えば、「挨拶をしたら丁寧に返す」というのがルールの人はいると思います。ただし、これは正しいことだから、誰もが必ず絶対出来なければならないと言うことではありません。
 出来たら良いのかもしれませんが、その人がそうしたければ、ということです。そうしないことによって問題が生じたとしても、問題を起こしたい人もいるでしょうから仕方がない。

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 それぞれ人によって、大切にしている領域が異なっていて、人が持つルールはその領域によって異なっていると考えられます。
 人との関係が大切だと考えている人は、先ほどの「挨拶」のルールを持っているかもしれませんし、仕事の結果が全てであり、その過程の対人関係などはそのための布石に過ぎないという人は、「挨拶」のルールは持ち合わせていないと予想されます。

 自分が何を大切にしていきたいのか、これは自分の欲求です。これを知っておくことは有益なことでしょう。
 それと共に、自分の欲求が人の欲求とは違うことを知っておくことは大切なことです。さもないと、自分がしたいことを人がしたいと思うからです。

 このような順番で考えてみると、それはそうだ、と思うかもしれませんが、「・・・のようにすべきなのに、あの人はそうしていない」と考えている時に、そのように考えている人は自分が自分のルールを相手に押し付けていることにはあまり気がつかないものです。

 私はそうすべきだと思っているからそうする。しかし、それは社会一般の道徳や倫理から見ても正しいことであるように思えるが、そのことをしないことに対して、神に代わって私が罰を与えよう、とはしないでおこう。
 人にはそれぞれ私には思いもよらない理由があるのだから。という辺りで、留めておくことがいいのでしょう。「べき」「ねばならない」思考は、自分が正しいと思っていればいるほど厄介です。

 時には、自分の「べき」思考に気がついた時に、「人に認められる為には、自分を犠牲にしてでも人に合わせるべきだ」といったものに気がつく時もあります。
 こういった「べき」思考は正しいとは思っていたのでしょうが、改めてはっきりさせてみると「おかしい!」と思いやすいものです。きっと、過去には存在する為に有益だったルールなのかもしれませんが、今となっては必要なくなったにも関わらずルールだけを残してしまったのでしょう。

 自分が持つルールを探してみると、面白いですよ。

木附ブログ

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投稿者 iff : 2007年06月12日 11:42

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