2007年05月の一覧
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2007年05月07日
考え方の癖(3)過度の一般化とレッテル貼り
過度の一般化とは、虫眼鏡を使って世の中を見るようなことである。
一つのことが大きく見えていて、他の事は目に入らないのである。あるいは、ありとあらゆるものを一つのことと関連させて見るようなことでもある。
例えば、上司から怒られたAさんがいる。Aさんはしばらくの間、何を見ても何を聞いても「自分が悪い」という気がしていた。朝目を覚ました時には「遅いのではないか、私が悪いんだ」、布団をたたんでは「たたみ方が変ではないか、私は悪い」挙句の果てには布団を見ても「私に使われるのは布団に悪い」、家の外にでても全ての人に対して「私が悪いんだろう」と考えてしまう。
全てのものや出来事に対しても、私が悪いと考えてしまう。電車が信号機故障で遅れたら、それも「私が悪い」し、信号が赤になったら「私が悪い」、雨が降っても「私が悪い」となる。
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このように確認してみると、変に思われるかもしれないが、結構私たち自身やりがちなくせである。思い込みは誰にでもありえるものだからです。
レッテル貼りも同じようなものであるが、過度の一般化よりも思い込み(あるいは自分の中での決定)が少し強いものである。前述の例では「私=悪い」というレッテル、つまりそのことをAさんは決まり事として自分と外の全てに向けてアピールし続けたのである。「私は・・・である」とか「あの人は・・・である」とか、「こういったことは・・・といったものである」といった様々な事柄に対する決まりを自分の中で作って、それを「そうである」と主張したり自分に言い聞かせたりしているのである。
これらのくせが確認できるようになるためには、自分の反応に対して少し距離をもって、観察できるようになる必要がある。自分の中の決定事項は沢山あるはずである。そして、適度にそのようなくせを持っている自分を健康的に笑ってあげられるようになると楽になる。ただし、くせを受け入れられるまでの間はしばらく嫌な気分が出てくるかもしれない。その場合には、(1)でも書いたように、「他の人もしばしば持ちがちなくせが私にもある」、と慰めてあげよう。
2007年05月07日 11:35:[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ][↑ページ上端へ]
2007年05月10日
考え方の癖(4)心のフィルター と マイナス化思考
心のフィルターは、心にサングラスをかけるようなことである。
サングラスをかけると、回りが暗く見える。まぶしくない。が、輝いているものもくすんでしか見えなくなる。
サングラスをはずしている状態が通常であるとすると、サングラスをかけた状態での世の中の事物の見え方は随分と異なることは容易に想像がつくでしょう。この場合のサングラスが、一つの嫌な出来事である。ある嫌な出来事が生じた際に、そのことが頭から離れずに何もかもが嫌な事に感じられてしまう。世の中嫌な事しかないように感じてしまい、そのつもりで周りを見始めるのである。
ただし、実は様々なサングラスが存在している。ここで想定した抑うつ状態とセットになっている世の中がくすんでみえるサングラスのほかにも、悲しみのサングラスや、孤独感を感じさせるサングラス、恐怖を感じさせるサングラスなどその他にも様々な種類があり、人は時に応じて使い分けたり、好みのサングラスを持っていたりするものである。
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マイナス化思考は、世の中を天体望遠鏡で見るようなものだ。そして、この天体望遠鏡は「否定的なこと」にフォーカスされやすくなっているようだ。
肯定的なことに対しては、焦点がぼやけてしまいよく見ることが出来ない。マイナス化思考をトンネル思考とも呼ぶが、否定的なことへは道筋ができており、トンネルは繋がっているのに、その周辺にある肯定的なことへの道筋は出来ておらず、たどり着くことが出来ないからである。
世の中を天体望遠鏡で見ること自体が不便なことであろうと思うが、その天体望遠鏡自体が故障して「否定的なこと」にしかフォーカスできないのだから、なおさら不便である。
天体望遠鏡を直すことも一案ですが、天体望遠鏡を通してでなく裸眼で(めがねをかけても良いが)世の中を見てみると、もう少し楽に世の中の事実が見えてくるでしょう。
サングラスや天体望遠鏡など、世の中をどのように見るようにと自分が自分に課しているのか、そのように考えてみて、自分にとって有益な見かたを探してみると良いでしょう。
確認しておきますが、サングラスや天体望遠鏡が悪いといっているのではありません。それらを活用することによって、自分の中に特殊な感覚を維持することが出来、その感覚を生かすことで世の中に貢献している人達もいるのです。
ただし、気がつかずにくせのようにそれらを活用してしまうことで、自分が不便な状況に陥っていることも認識することが出来ずにいることは残念なことだと思うのです。
人がそれらを活用しろといっているのではなく(過去においてはそうだったかもしれませんし、それが有効だったかもしれませんが)、今、自分が選択してそれらを使い得るのですから。
2007年05月10日 13:59:[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ][↑ページ上端へ]
2007年05月15日
考え方の癖(5)肯定的側面の否定や割引
これは、世の中の事実を見てはいるのです。
見えなくなっていたり、見ないようになってしまっているのではありません。しかし、見たものを「なかったこと」や、「たいしたことではないこと」にしているのです。
例えば、Bさんが仕事で上司や同僚から褒められました。
Bさんは、「偶然さ、誰でも出来ることだから」と考えました。その次に、「調子に乗ると大きく落ちるんだよなぁ。これは悪いことの前兆かもしれない」、挙句の果てに、「なんで俺のことなんか褒めるんだよ。本当にそんなことはないし、そうやって褒めて俺を落とそうと言うのか」といった考えにまでなっていきました。
普通でしたらここまでひどくはないかもしれません。でも、似たようなことで些細なことで同様なことを行っている人をしばしば見受けます。
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肯定的なことがあったら、次には否定的なことがあるわけではありません。ただし、それは否定的なことがないことを保障することでもありません。肯定的なことも否定的なこともどちらもありうるのです。
肯定的なことは喜んで楽しめばよいし、否定的なことは悲しんだり怒ればよいのです。そして、それぞれ必要に応じた適切な対応を行い、学べることは学べばよいのです。
認知行動療法では、事実と考えと感情をそれぞれ把握できるようにする練習を行うが、把握したことをわざわざ割引しなくてよいのです。
事実は変化しますし、考え方も変化しますし、させることも出来るかもしれません。
2007年05月15日 11:43:[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ][↑ページ上端へ]
2007年05月22日
考え方の癖(6)結論の飛躍 −読心術−
結論の飛躍を行う人は、優れた能力を持っていると言えよう。
まず読心術だが、私はしばしばこれをエスパー能力と言い換えている。読心術とは相手が自分に対して悪く考えていると早合点することである。例えば、あなたがCさんに挨拶をした時にCさんは「おう」と一言言っただけだった。
その際に、「私は何かCさんを怒らすようなことをやっただろうか、Cさんはもう私とは口も利きたくないと思っているんだろうか、私はCさんに嫌われてしまったんだな」というようなことがある。別の場面では、あなたが皆で話し合っている時に親しいDさんと意見が違うことがわかり、「Dさんは私が違う意見であることを不快に思うのではないだろうか」「Dさんは私の考えを間違っていると思っているのかな」「Dさんは私のことを軽蔑するだろうな」といったことが頭に浮かぶ。
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さて、本当にCさんはそのように考えたのだろうか。Cさんは返事を返している。もし返さなかったとしても、他の事に集中していて聞こえなかったという可能性もある。Cさんはちょっと前に他の人との間で不快なことがあって、気分を害していたのかもしれない。
いずれにせよ、Cさんに挨拶した時にこちらを笑顔でみて「よう、こんにちは、元気かい」と言えば自分の気分が悪くならない、というのであればちょっとハードルが高すぎる。少なくとも、Cさんが本当のどのように考えているのか分からないにもかかわらず、「・・・のように考えているに違いない」と考えるのは少し奇妙なことである。Dさんについての考えについても同様である。もし本当にDさんがあなたのことを変な奴だ、と思うのであればそれは自由ではあるが、Dさんのほうが変だ。というか、そのDさんの考えは随分と境界線のないものであり、Dさんはあなたが自分と同じように考えないといけない、と考えていることになる。これは無理だ。そして、もしあなたもDさんと同じように考えないといけないと考えているのであれば、それも無理だ。
このように、相手の考えが分からないにも関わらず、「・・・のように考えているに違いない」という考えは、ある意味で相手の心が読めている、と自分の力を信じていることである。少なくともその力を信じていないとしても、自分は相手の心を読めるようになりたい、そのための能力を鍛えなければならないと考えている、ということになる。よって、私はこの手の考え方の癖を持つ人を、エスパー能力を発揮したがっているか、鍛えようとしている人、と位置づける。確かに今はスピリチュアルが流行っている時代である。しかし、エスパー能力はなかなか身に付かないのではないかなぁ、と考える日々である。
一言補足しておけば、多少のエスパー能力は誰もが持っている。さもなければ対人関係がギクシャクしすぎてしまう。人は人の表情を読むし、推測する力があるからである。数年前には脳にミラーニューロンが見つかってもいる。何事も程々が大切だが、それがまた難しいのかもしれない。
2007年05月22日 11:06:[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ][↑ページ上端へ]
2007年05月28日
考え方の癖(7)結論の飛躍 —先読みの誤り—
前回に続けて結論の飛躍のもう一つを考えてみよう。先読みの誤りである。
これは、自体が悪くなると決め付けることである、とよく言われる。
この反対の癖も同様である。根拠がないにもかかわらず、「きっとうまくいく」と信じて疑わないことだ。たまにそういう人がいる。
または、物事をそのように考えようしている人もいる。「良くなる、なんとかなる」と自然に考えるのも、あるいは色々考えてからそのように結論付けるのも、それも癖である。この癖はあまり私たちを困らせることはない。ただし、明らかに問題が生じていて、問題解決をした方が良い時にその対処もせずに「なんとかなる」と考えてしまうのは問題となり、困ることになろう。
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一方、最初に書いたように何かがあったときに「必ず悪くなる、失敗する、うまくいかない」と考える人もいる。どうしようもなくその考えにこだわる。
冷静な人がその人のことを見ていると、その人が「悪くなる」という考えにこだわりすぎているのは明らかに見えるのだが、その人は「悪くなる」のは事実であると考えているのである。
事実と考えは別物であるということは繰り返し言っているが、その混乱が生じているのである。本当に悪くなるのかどうかは分からない。なんとかなるかもしれない。確かに何とかならないこともあるかもしれない。それでも最後には殆どのことはちゃんと生きている限り何とかなるものだ。受容しなければならないものも生じるかもしれないが。
以上、二つの極端な形の先読みの誤りについて考えてみた。
いずれにせよ、先のことである。分からないことも多い。それを事実であるかのように言い張るのは事実に反する。将来のことを読むエスパー能力があるのであれば、それは有効に活用すればよい。
ないのであれば、事実は事実、考えは考えと分けて捉える練習が有効であろう。少なくともエスパー能力を鍛えるよりは進歩が早いと思われる。
事実と考えを分けることができて、余裕が出来たらエスパー能力を鍛える余裕も出てくるかもしれない。先は長いので、焦らずに取り組むことをお勧めする。
2007年05月28日 15:13:[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ][↑ページ上端へ]