解説「自殺する子どもとその親たち」

筑摩書房刊「自殺する子どもたち」(エレーヌ・リザシェ/シャンタル・ラバット著 白根美保子/中井珠子訳)より

精神科の臨床をやっている者にとって、患者の自殺はいつも身近に漂う懸念であり、考えることの苦しいテーマである。まともに精神科医をやっている者であれば誰でも、これにまつわる苦しい体験の幾つかを抱えているものである。

私の場合は、1986年6月に19歳の大学1年生の女性に東京のビルから飛び降り自殺され、その1カ月後に、その友人である22歳の大学4年生の女性に熱海で入水自殺されたとき、医師であることを止める決心にまで追い込まれた。事実、それから1995年9月に復帰するまでの約9年間、私は研究者として過ごし、その傍ら現場の医師やカウンセラーの助言者をつとめて、生々しい臨床の現場から離れていた。そういうわけで自殺者の救護と自殺予防に挺身する医師や医療関係者の活躍を伝える本書を読むのは、私には相当つらかった。

八階建てのビルの屋上から飛び降りた女性は、2日間生きて病院で死んだ。会社員の父親と専業主婦の母親との一人娘だった。遺書はなかったが、飛び降り前に友人や家族にこれから死ぬと伝えていたという。
 
この少女はブリミア(過食症)とそれに伴う抑うつ気分で死の6カ月前、18才の時から私の治療を受けていた。中学入学時に登校拒否歴があり、その後学校には行くようになったが非行や性的逸脱が続いていた。高校1年の時に自殺企図(大量服薬してから手首切り)があった。この時生き残ってから良く勉強するようになって18才で都内の有名女子大学へ合格した。

ところがこの家族は、この少女が高校に入学したころ、父親の脱サラと事業の失敗で、経済的に破綻しており、合格後、高額の授業料の支払いに苦労することになった。彼女は1年間休学して会社勤めをすることになり、都心の会社の電話交換手となったが、すぐに出社不能となり、家にこもって過食・嘔吐するようになった。このころ、再度の自殺企図があり、某病院の精神科に入院し、そこからの紹介で私の患者になった。しきりに抑うつ感を訴え、死にたいと漏らしていた。私は家族療法の必要を認めて、両親との接触を試みたのだが、母親自身が夫の経済的な失敗以来、抑うつ的になっていて治療を拒否されてしまった。

そうこうするうちに本人は絶望的になり、「金の取れる職業」を求めて風俗営業の店に勤めるようになった。生活はいよいよ乱れるようになり、セックスと過食と泥酔が続き、「死んでやる」の言葉が増えた。再び入院させる他ないかと考えているうちに、 風俗営業勤めのことを母親に知られ、厳しく非難された。本人自身が再入院を求めて以前入院していた病院の精神科外来を訪れたのだが、そこで入院を断られたことをきっかけに自殺につき進んだ。この女性はかねてから母親が自分に冷たいことを苦にしていて、母親の気をひくことを繰り返していた。それで家族療法を母親が拒否したことに失望していた。母親をはじめとする周囲の人々、私を含めた治療者たちへの生を賭けた抗議のアピールであったと思われる。

この女性の死の1カ月後、もう一人の私の患者が熱海の岸壁から投身し.7日後に対岸に遺体が流れついて死亡が確認された。会社員の父親、専業主婦の母親の一人娘であったが、この家も父親の事業の破綻による経済的危機に長くさらされていた。高校時代から対人恐怖、醜貌恐怖を訴えていたが、私立の名門大学に入学した頃から部屋にこもって過食するようになり、死の1年前、某大学病院でブリミアと診断されて、そこからの紹介で私の治療を受けることになり、前述の女性が属していたのと同じ、摂食障害者のグループ治療に参加するようになった。

グループ参加によって摂食行動は修正され、大学にも順調に通えるようになったが、ボーイフレンドとの別離をきっかけに抑うつ感と醜貌恐怖が強まり、自室にこもることが多くなった。摂食障害者のグループの中でも仲間メンバーとの間で安定した関係が結べず、同じように落ちこぼれていた前述の女性との交流が深まり、治療室外で二人だけで語りあっては周囲の無理解への怒りや絶望感を共有することが続いていた。その女性の自殺後、しきりに希死念慮をもらすようになり、家人の監視のもとに置かれていたが、約1カ月後、母親の目を盗んで自宅を離れ、熱海で投身した。遺書はなかったが、日記に自殺を示唆する文章を残していた。

この女性たちの自殺の2カ月前に17才の少女タレントの飛び降り自殺があり、これを後追いするかのような若い人々の飛び降り自殺が続いて話題になっていたころのことであった。この二人の死で動揺した私は、医師としての活動を止め、彼女たちの属していた過食症者たちの治療グループを自助グループ化することにした。

こうして、翌年(1987年)に生まれたのがNABA(日本アノレキシア・ブリミア協会)であり、その後(1993年)に設立したJACA(日本アダルト・チルドレン協会)である。これでかえって、死に急ぐ若い人たちにつき会う機会が増え、その親たちとの接触も多くなってしまった。今考えてみれば、私の場合、医師の役割からはずれてからの方が、若者たちの自殺願望や自殺行為に適切に対処できるようになったように思う。このような経験を積み重ねて見えてきたのは次のようなことである。

1)自殺を図る子どもは家族の中のスケープゴート(犠牲の山羊)であることが多い。親たちを中心にした家族はこの子どもの“問題”(自殺行為を含む症状行動、つまり閉じこもりや家庭内暴力、家族外の弱者や動物への嗜虐行為、売春などの性的逸脱、拒食や過食、ドラッグやアルコールの乱用などを含む病理的行動)が家族の混乱のすべての原因と考えることで、病的な均衡を維持し、合理的な解決を回避する。

2)子どもの“問題”を抱えることによって、親たちの結合は強化され、家族の凝集性と閉鎖性が高まる。それによって、本来であれば生じていたはずの家族崩壊が回避されるから、こうした親たちは治療を拒否する。

3)他人を断罪することによって自分の罪意識(配偶者や子どもたちに優しくなかった、など)を隠蔽しているような親(たち)の場合、子どもの“問題”は親(たち)の罪悪感を減らす。逆に子どもは親たちの罪悪感を担うことによって自殺衝動を高める。自殺しようという考えは、こうした家族内の相互関係を通じて子どもたちに根付く。

4)ときに子どもの自殺行為は、親たちの一方(多くの場合、母親)の自殺衝動のメタファー(隠喩)である。意図不明な子どもの自殺行為から、母親の深刻なうつ病が明らかになる場合がある。

5)ときに子どもの自殺行為は、シンバイオティック(共生的)な親(多くの場合、母親)からの分離の唯一の手段である。溺愛されている子どもは親友を作ることさえ母親からの離脱であると考えて罪悪感を抱く。思春期に入って自立を妨げられている子どもに生じる母親への怒りと罪悪感は、しばしば危険な症状行動の原因になる。

6)上記のような子どもは、思春期に入って退行(幼児返り)して、母親との共生関係に入る。これに負担を感じたり、驚いたりした母親が、急速に分離をはかろうとするとき、子どもは致死的な自殺行為を引き起こしやすい。

7)子どもは自殺によって、残された者たちへのメッセージを伝える。しかしそれは必ずしも遺書の形を取らないし、遺書はむしろ真のメッセージを隠蔽していることがある。

8)子どもが自殺行為を初めとする症状行動によってメッセージを伝えようとするような家族では、ふだんの生活で、対立的な会話が回避されている。

9)愛着対象(動物を含む)の喪失の積み重ねがあるとき、子どもの自殺行為は致死的なものになることが多い。例えば父の死亡ないし離婚による喪失に引き続いて、引っ越しがあり、それに愛犬の死やボーイフレンドとの別れが重なったような場合である。因に、親や同胞の死は、子どもの自殺行為を引き出す危険因子である。

10)子どもや若者の自殺行為は流行する。派手に報道されたある人物の自殺が同種の自殺の連鎖を生むことがあり、その場合には自殺方法も模倣される。「完全自殺マニュアル」という本によって自殺を“試みてみた”若者たちの数は、私が知っているだけでも3桁に達している。“完全”でないところで救われているが。

11)自殺を示唆した人は、常に自殺の可能性を持つ。子どもの自殺宣告や自傷行為を軽視してはならない。自殺未遂者を放置すれば、いずれ次の自殺を試みる。次の自殺は最初の自殺より致死的である。

12)精神療法家に暖かい受容的な態度と楽観主義と希望、そしてユーモアのセンスが欠けているとき、自殺念慮は自殺行為へと発展する。逆に言えば、暖かいユーモアによって苦境を笑いの中に外在化させる能力を持つ治療者は自殺の危機を巧みに回避させることができる。 

フランス語で書かれたエレーヌ・リザシェとシャルタン・ラバットの共著「自殺する子どもたち」の邦訳を通読すると、以上に述べてきたことが具体的、かつ微細に書かれていて、若者の自殺には洋の東西を問わない共通性があることを教えられる。

自殺に軽度の自殺などないこと(自殺した青年の40%が自殺未遂者で、63%は前の自殺未遂の1年以内に死んでいる)とか、家族の中には意識的、無意識的に子どもの自殺に加担しているものがみられることがあること、などである。特に私の関心をひいたのはポムロ医師の次の見解(本文43~44頁)である。「まっく意見の衝突のない家庭というのは、現代社会が生んだ弊害の最悪のものの一つだ。つまりそこでは、衝突すること自体が最初から否定されている」と彼は述べている。ここまでは私の観察の8)に相当するものだが、これに引き続く次の意見は注目させられる。「いまの流行は“友達のような親”だ。親と子は同じレベルの言葉を話し、同じ様な服装をし、共犯関係を分かち合う。

このような混乱があると、思春期の若者は自分自身のアイデンティティーを確立することができない」。同感である。私は最近の著書(「家族は怖い」日経出版)の中で、“やさしさ”という至高のルールが家族成員相互を縛り上げていることの危険について触れた。私はこのことを日本の文化風土に固有のものかどうか知りたいと思っていたので、ポムロ医師の明快な意見は有り難かった。

そういうわけでこの本は、私の考えて来たところを支持してくれる部分が多いのだが、本書の本質はそこにはないような気がする。この本には私という個人の見解などでは追いつきようもない力強い主張があるのであって、それは、自殺予防も自殺未遂者のケアも本質的に公衆保健、精神保健そして地域ケアと自助的市民運動の問題なのだということである。この主張に沿って精力を注ぐ精神科医などの医療従事者の姿が活写されているのを見ると、私たちの不甲斐なさを感じる。この本の中で紹介されたアンケートによれば、自殺を考える学生たちの半数以上は、相談相手として友人を選ぶと言っていて、専門家に相談するというのは10%に過ぎないという。そうなれば一般市民たちに事の実態を伝え、彼らの活力を引き出すことに努める他はないのだが、「命の電話」に携わる方々の努力は別にして、日本の現状の立ち遅れを痛感せずにはいられない。特にFSEF(フランス学生保健財団)などの活動を知ると、日本の学生たちが気の毒になってしまう。

この立ち遅れを招いている原因の一つは、現在の日本では青少年の自殺が増加していないという一種の油断であると思う。確かに1950年代には日本は有数の自殺国で人口10万対比25.7に達していた。そしてその犠牲者の多くが若者たちであった。その後この比率は17前後に低下し、1990年代には16台で横ばいになつている。そして今や日本の自殺問題の主力は過疎地の老人、特に男性の老人たちなのである。しかしその一方で、いじめ問題を苦にした中学生たちの突然の自殺が頻々とマスコミの話題になってもいる。日本は青少年の自殺問題に関して、専門家たちの油断と一般の人々の「どうなっているんだ」という並々ならぬ関心とが奇妙に同居した状態が続いているのである。

フランスの場合、本書に述べられているように1950年代からの30年の間に自殺者の割合が増え、日本やアメリカも凌駕して世界第5位の自殺国になってしまった。中でも24歳以下の若者の自殺はこの間に2倍になっている。日本とフランスの間で生じたこの逆転劇の原因については様々な推測が成り立つであろうが、その根拠を提供するような実証的な比較文化研究は今のところなされていない。
 
ただ、注意しなければならないことは、警察報告のレベルで自殺として取り出された数の増減だけを見ていても実態はわからないのではないかと言うことである。この30年の間に、日本の子どもたちは自殺以外の様々な自己破壊的症状行動で、自らの怒りや抗議や絶望を表現するようになってきた。そうした病理行動の総体を考えに入れないと、先進諸国間の比較はできないのではないかと思うのである。

アメリカの子どもたちの間で銃砲の使用を含めた攻撃性の抑制不全が見られ、犯罪率が日本とは2桁違いに高くなっていることはかねてから話題になっていた。そして今、この本で、私たちはフランスの子どもたちの間の自殺行為の増加を知った。スイス、オランダ、イギリスを含めた西欧諸国とアメリカにおけるドラッグ汚染の深刻さについても報道されている。これら諸問題のいずれについても、日本の子どもたちは不気味なほど“静か”である。これは何を意味しているのか?日本の子どもたちには、従順な「良い子」が取りわけて多いということか?それとも日本の子どもたちは犯罪、自殺、薬物汚染などの顕在化された問題から離れたところで、隠れた“問題”を育んでいるということなのか?奇妙な静けさの中から、また神戸の14歳の子どもによる不気味な事件があらわになった。統計的数字の上の静けさと、間近に見る子どもたちの苛立ちや攻撃、無気力や退屈の表情の落差の中でとまどいながら私は毎日の臨床を続けている。

この本はフランスのテレビ取材の現場から生まれたものであるという。客観的な立場に終始しながらも、著者たちの視線は限りなく暖かい。その暖かさが将来のありかたについての積極的で生産的な提言につながっている。日本のマスコミの中からも、その取材能力を駆使して、私たちの感じる“とまどい”に切り込んでくれる人材が現れないものか。日本の「良い子」たちの現実とその“隠された”問題を抉るという取材である。

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Posted by ssworld