オトコの生き方(2/4)

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1997年2月から5月にかけて、神戸市須磨区で発生した小学生連続殺傷事件についてはいろいろなことが語られてきたが、まだまだわからないことが多い。特に事件の犯人である少年Aがどのような家庭の中で、人間関係のありかたを作ってきたのかがわからない。公開された「少年の精神鑑定結果(概要)」には「家庭における親密体験の乏しさを背景に、弟いじめと体罰との悪循環の下で『虐待者にして被虐待者』としての幼児を送り」・・・・・という記述が見られる。

挿し絵例えば、少年Aは小学校3年のある日、母親にひどくののしられ、叩かれた。帰宅した父親からも怒鳴られて目がうつろになり、あらぬことを口走ったりして大阪の病院へ救急車で運ばれた。診察の結果は「軽いノイローゼ」ということであったそうだが、母親は医師から、「しつけ」を控えなさいと注意を受けたという。暴力が頻発する家族の中で起こりがちな被虐待児の解離状態(精神活動が統一を失って、錯乱、記憶喪失などを起こすこと)であったのかもしれない。A自身、家裁送致後に毎日のように弟をいじめたと述べている。とはいえ、兄弟喧嘩を見かねて兄を叱ったり叩いたりする母などは、世間にありふれているであろう。

Aの家族に対する恐怖と彼の絶望感(自分の人生は無用なもの)を理解するためには、彼の母親の気質にまで立ち入らなければならないと思うが、現在利用可能な資料だけから、何が考えられるであろうか。

まず言えることは、少年Aの母が、彼女なりの方法で長男を心から愛し、大切にしていたと思われることである。ただ「内気で消極的」と彼女が信じたAの性格にまで立ち入ろうとした“攻撃的な愛しかた” が気になる。父親は無口な人で、しかも短気で怒鳴ることも多かったという。この父親はAのことを自分に似ていると思っていたそうだから、母親もそう思っていたかもしれない。事実、母親はAを「ふだんはおとなしいのに、怒りだすと手のつけられなくなる子」とも考えていたそうなので、そうなると彼女の夫の特徴に良く似ていることになる。Aの母は、この夫への不満や怒りをAに向け、そうした気持ちの高まりの中で、Aの気質の矯正を考えたのかもしれない。こうなると、単に兄弟げんかをしかられる兄の話ではなくなってくる。

(1998年12月8日毎日新聞に掲載)

先週から、神戸市須磨区で発生した小学生連続殺傷事件の犯人とされる少年Aの家族関係について考えている。彼の母が、少年A の気質(内気、消極的、おとなしい、しかし短気)の中に夫(つまり少年Aの父親)とよく似たものを認め、それを矯正しようとしたのではないか、というのが先週述べたことである。つまり、母親は父親に物足りなさと嫌悪を感じていて、それがAの養育に影響していたのではないかと推測するわけである。もしそうであれば、Aはその気質が顔をのぞかせ始めたごく幼いうちから、この夫婦の葛藤の中に投げ込まれていたことになる。

挿し絵母の怒りや無視に直面した我が子は却ってその母にまとわりつくという事実がある。詳しいことは省くが、このことはサルを対象とした動物実験のレベルでも確認されていて、人の場合にはさらに深刻なものになるであろう。子は母への密着を維持しようとあらゆる努力を惜しまなくなり、その過程で母に迎合し、その価値観を無批判に取り入れることになるであろう。その母の価値観の中に自分自身の「生の無意味さ(僕なんか生きていてもしかたがない)」が含まれているとしたら恐ろしい。恐ろしいが、残念ながらこうした母子関係の中で自らの生に価値を見いだせなくなった大勢の若者たちに、臨床医としての私は毎日のように接しているから、このように感じてしまうのである。少年Aに弟たちが生まれてからは、この絶望はさらに切迫したものになり、嫉妬と怒りは弟たちに向けられたであろう。

こうした密着した二人関係の中でこそ、親の支配と子の隷従は危険なものになる。こうした関係は、それ自体が暴力的なのだから、もはや身体的暴力もネグレクト(無視)も必要ではない。私はかねてから、この種の「やさしい暴力」(情緒的虐待と定義されているものより広く、周囲に見えにくい)こそ、児童虐待の本質ではないかと考えている。

こうした融合的二者関係が成立し、長引く原因の一端は父親にある。前に書いたように「父なる者」とは、このような母子融合を切断するという役割を担うものだからである。子どもはそのような父を見て、母と我が身を一体化する子宮回帰(その究極な形は死である)の誘惑を断念できるようになる。

(1998年12月15日毎日新聞に掲載)

先週に引き続いて、神戸市で事件を起こした少年Aの家族関係について考えてみたい。彼は母との間に緊密な融合関係を生じており、彼の父はそれを断つ役割を果たせなかったのでないか、というのが先週の主旨であった。

挿し絵母子の融合を断つことと並ぶ、もう一つの父の役割は「是非善悪を分かち、非行・悪行に懲罰を加える」ことだが、Aの父はこれにも失敗しているようだ。最近、少年Aの弁護団長をつとめられた野口善国氏の著書(『それでも少年を罰しますか』共同通信社)を読ませていただいた。ここにもこの父の生真面目だが、無口で不器用そうな様子が描かれている。神戸家裁での最終審判(1997年10月)のときも意見を求められた父親は「一言、二言話したが胸がつまったようで絶句してしまい、意味がよく聞きとれなかった」と述べられている。

『暗い森』(朝日新聞大阪社会部編)など、今までのリポートを読むとAへの体罰はもっぱら母親からのもので、父親は短気だが、暴力は用いなかったとされている。しかし、野口氏の著書には、「(父は)少年とあまりひんぱんに接することはなかったようだが、少年の言によれば時々怒られていた」と書かれており、その方が正しいであろう。この父は、彼自身の父親からも「体罰でしつけられた」というのだから。

もともと体罰は「善を悪から区切る」ことには無効果なのである。これが効果を持つには、罰を与えられる者が与える者に強い愛着を感じていなければならず、その場合には罰せられる者の心には、是非善悪を越えた愛着対象への「溺れ」が生じて、懲罰する者の歓心を買うことしか考えなくなってしまう。愛着を感じていない者からの懲罰は、単に屈辱と恨みの感情をもたらすにすぎない。

そういうわけでAは小学校5年ころから極端に父を避けるようになり、旅行などの特別な機会でなければ口をきかなくなった。そうしたAの変化に気付きながら、父は自分の思春期と重ね合わせて「男の子とは、そんなもの」と考えようとしていたという。精神鑑定書には「母以外の家族はそれほど大事ではない」「母を必要以上に愛していたというか、僕のすべてだった」といったAの言葉が記されているそうだ。

(1998年12月22日毎日新聞に掲載)

引き続いて、神戸市で事件を起こした少年Aの家族関係について述べる。先週までに、この家での父親のあり方についてふれた。今週は再び、母親との関係に戻る。各種の資料には、Aが日の光を忌み、自室をカーテンで遮り、暗くしていたことが書かれている。幼いときに買い与えられた犬、アヒルなどの縫いぐるみを手放さず、自室ベッドの四隅にそれらを置いて寝ていた。まさに子宮的な環境の中で、少年の心は「胎児化」の過程をたどり始めていたものであろう。

挿し絵各種の文献を見て驚くのは、この母がAの危険性について、否認とも言える鈍感さを示していたことである。Aの非行が火炎放射器事件や万引き、あるいは同級生女子への脅迫状などの形で大型化してくるにつれ、近隣住民、同級生の親たち、教師らの忠告や苦情が舞い込むようになったが、弟いじめのときとは一転して、Aをかばい、被害者の落ち度を言い立てた。万引きのように証拠を突きつけられる事態になると、「Aは気が弱くて、友人の言いなりになった」と主張した。この母の父という人は「酒飲みでパチンコに凝っていた」人だったそうで、母はこの父に「あまりかわいがられた記憶がない」と野口善国氏(少年Aの弁護団長)は、その著書の中で述べている。この人(Aの母方祖父)は母が小学校4年のときに早死し、Aの祖母は女手ひとつで子どもたちを育てたというから、A の母は、幼いときから「負けない子」であることが必要だった女性なのだろう。

Aの母は「あること」を認めるのを断固として排除し続けたのだと思う。「あること」とは自分が考える長男のイメージ(自信が無くて、気が強く、お人よしで、泣き虫)に合わないあらゆる現実である。このことは、Aの気質改善を狙うという母親の野心の真剣さをうかがわせる。恐らくこの母は、少なくともある時期まで、Aの成長と変化に、つまりAが負けない男になり、他人を支配できるようになることに生涯を賭ける気構えを持っていたのだと思う。融合した母子関係では、彼らの共同幻想こそまず第一に守られなければならない。片方の破綻は、他方に致命的な打撃を与えるので、それをうち砕くような現実はことごとく排除され、それが無理となれば、否認ないし合理化されるものである。(続く…

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Posted by ssworld