児童虐待によるPTSDの治療(2/3)

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(2)第2段階:外傷体験の統合

ここでの治療テーマは「過去の開示」、「体験の統合」、「“サヴァイヴァー自己”の獲得」と要約される(図2)。

トラウマからの8つの回復基準

外傷体験にさらされた個体が、そこからの回避を指向するようになることは個体保存の原則にも合致することである。しかし体験の心身にわたる記憶が、この回避を妨げる。我々は回避するために記憶しなければならないというパラドクスを生きるからである。この矛盾を調停するために、我々の心は抑制、抑圧、解離、分割(分裂)などの心的防衛機構を忙しく使い分ける。これらは元来、合目的的なものであるが、一方では我々を回避したいはずの外傷体験に支配された存在にする。こうした矛盾からの解放(過去からの解放)こそ、外傷体験後遺症の治療の基本である。即ち、治療者は患者に、彼らの過去に直面させる機会を与えるのである。彼を恐怖させ、それゆえに健忘したり、解離したりしていた過去への直面を迫り、結果として、患者を「彼自身の記憶の管理者」へと育てるわけである。

この、時に危険を伴う作業に入るためには時期を選ばなければならない。少なくとも、侵入的回想に伴うパニックが頻発しているような時期には、この作業に入れない。前段階で諸症状の抑制が“ある程度”行われ、患者が「症状を用いて語る」という習慣が、多少緩和していなければならない。その時期に入ったか否かの指標となるのは、患者の日常生活である。彼らの安全がとりあえず確保され、ある程度定期的に集団精神療法のミーティングに参加して、その場に落ち着いて座って居られるようになり、朝は起きて治療プログラムに参加し、夜は寝ていられる(少なくとも自室で過ごせる)ようになってからのことである。

この時期の患者は集中的に治療に専念するようになり、積極的な(時には過剰にも見える)過去の探索に乗り出す。郷里に戻って生まれ育った家を訪ねてみたり、幼児期の自分を知っている人々を訪問したりして自らの健忘を埋めようとする。そして時に痛烈な心痛と怒りを過去の事実と関連させて語るようになる。父親を恐れていたもの、母親をかばっていたものが、父親を憎み、母親を怒るようになるのも、この時期である。性的虐待からのサヴァイヴァーの場合、この時期になって親(加害者)の告発に熱心になる場合があるが、これは必ずしも親を破壊し、破滅させようとするためではない。親(加害者)の嘘と仮面をはがそうと躍起になる場合もあるが、その場合には、そのようにしないと自己の存在そのものを患者が受け入れられなくなっているところまで追い込まれているのである。より多くの場合、患者は親(殆どの場合父親であるが、母親の例も少数ながらある)や兄弟(被害者は女性とは限らない)からの愛を確認し、関係を修復しようとする意図(無意識的であることが多い)を持って加害者を責めるのである(Harman 邦文翻訳版・序文10)、印刷中、斎藤33))。これらはいずれも、自己の記憶に新たな「意味を付与」し、自己を生きやすいようにしようとする健康で合理的な動きと捉えることができる。

(3)第3段階:人間関係の再構築

この段階の治療テーマは「“サヴァイヴァー自己”の超越」、「親密性の獲得」、「“独自な人としての自己(個性的自己)”の獲得」と表現される(図3)。

トラウマからの8つの回復基準

回復の最後の段階では再び安全の問題が浮上する。ただし、この段階での作業課題は治療開始以降に始まった新たな人間関係の中での安全と受容の問題である。患者の関心は再び現在の生活へと戻り、時には“これからどうする”という未来の生活設計が話題になる。

前段階の過去の探索の中で、患者は多くのものを断念し悲嘆してきた。それは、「喪失という統合」であった。この種の悲嘆は第3段階において更に深められる。この喪失によって、患者の現在生活には各種の空隙(空席)が生まれいる。例えば、「愛する親」を求めては危険な異性と出会い、良く似た自己破壊的関係を繰り返してきた患者であれば、その断念は空虚や抑うつを生む。この空虚に耐える力(strength)としたたかさ(反発力 resilience)を、患者は、治療スタッフたちを含む新たな人間関係、仲間との関係、新たな趣味や職場の開拓と言った生活そのものの中から探し続けなければならない。やがて心の空席は、より適切な人間関係で埋められ、患者は自己の力としたたかさに自覚的になり、そのときに治療は終わる。

こうした治療的枠組みの中でアダルト・サヴァイヴァーは、傷ついたという事実を含んだ記憶を持つ大人になる。それなりに自己が受容できる「自己物語」を持つ人になると言うこともできる。「傷つけられた私」という「犠牲者自己の物語」は、新しい体験や解釈によって改訂され、「傷つけられたこともあったが、何とか切り抜けた私」という「個性的自己の物語」になる。このとき問われるのは、「私には固有の力としたたかさがある」という確信である。この確信を持ったとき、元患者たちは、自らの個人史を、症状としてではなく、言語によって他者に伝えることが出来る。その語りを聴く他者は、もはや治療者ではない。それは仲間(集団療法の同席者から始まり、サヴァイヴァー自助グループのメンバーに至る)となり、時には公衆へと変わっている。

3.回復基準ないし反発力領域

アメリカのPTSD治療をリードしてきた拠点の一つはマサチューセッツ州ケンブリッジ市周辺にある。ここにはアメリカ最大の復員軍人病院があり、ヴェトナム戦役後の戦闘トラウマの治療に工夫を凝らさねばならなかったという必然性があったし、ハーヴァード大学医学部が隣接していて、PTSDの神経生理学的研究が早く始まった。この地域でのフェミニズム運動を支えていたグループから女性共同体(Women’s Collective)が発生し、そこで軽費の集団精神療法を担当していた Judis Herman ら4)によって、父・娘近親姦という性的虐待の中核問題に焦点が当てられた。更にこの地区の小児病院では児童虐待・被害児への保護と系統的治療が模索されいた。これらに加えて、もともとボストンとハーヴァード大学医学部は、フランス、ナンシー(ロワール県)のイポリート・ベルネーム(Bernheim, H.)のもとで19世紀末のフランスにおける催眠現象と解離研究に触れた Prince Morton の拠点とした町であり、大学である。こうして、PTSD研究におけるボストン・グループないしハーヴァード・グループと呼ばれる一群の研究者・臨床家が相互に影響しあうようになり、この中から、戦闘ないし災害による単一外傷体験から弁別される、複雑性ないし複合型PTSDと呼ばれる家族内の長期にわたるの外傷性ストレス後遺症への治療的取り組みが系統だてられるようになった。

現在、Mary Harvey によって率いられてているVOV(Victims of Violence)Programは、ケンブリッジ市立病院を拠点として進められているアダルト・サヴァイヴァーへの治療プログラムであり、そこでは個々の患者ごとに8項目(図1、2、3:Harvey8))の回復基準(recovery criteria:反発力領域 resiliency domain とも言う)が措定されている。各図の下方の記述は前項に述べた各回復段階において焦点となる治療テーマの詳細である。8項目の反発力領域が円形に配列されいるのは、これらが順序だって回復課題になるというわけではなく、相互に連関しつつ時には同時に生起するということを意味する。例えば症状コントロールの進歩は自己評価(自尊心)を高めるし、それが他者との安全な関係を導くことで、過去の記憶は“ふりまわされる”ものから、必要なときに自身で引き出すものへと変わり、患者は自己の記憶の支配力を増す。(続く…

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Posted by ssworld