薬物依存と精神療法(2/2)

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3 薬物依存概念の解体と近代精神療法

先に紹介したとおり、現代における最も先端的な精神療法はナラティブ(narative)セラピーである。ここでは既存の様々な信念や概念が解体(脱構築 deconstruct)され、新たな物語(ナラティブ)として再構成される。これを称して構成主義(constructivism)と呼ぶのだが、解体の対象には薬物依存という疾患概念や、上に述べた自助グループの効果についての信念も含まれる。つまりここでは治療者の援助を求めて来るクライアント(依頼人)も、薬物依存者ではなく、その家族でもなく、「何か」に悩む一人の男ないし女になる。薬物依存は、彼らが語る多くの物語のうちの1つに過ぎなくなる。

ある男性が「私の飲酒の仕方に問題があるので何とかして欲しい」とやってくる時、あるいはある女性が「夫は酔って私を罵るので何とかして欲しい」とやってくる時、治療者はこの人々が語る「問題という物語」の読み手の立場に立たされる。読み手がこの物語をアルコール依存という疾患による心身の被害と読解すれば、そこには「この物語」を支えるアルコール依存という構造が存在することになる。このようにして、「問題」(ないし「物語」)の基底に、一定の構造が存在するものとする考え方が構造主義である。構造主義的な見地に立てば、問題の解決とは飲酒者のアルコール依存を治療によって修復することに他ならないことになる。

しかし読み手によっては、ある一人の男ないし女の問題(物語)を違う読み方で読むかもしれない。物語の底に一定の構造があると考えない方が、問題から読み取れる物語の数は増えるだろう。そうした物語群の中からどれを選択するかは、物語の書き手と読み手の趣味(世界観)の問題であり、両者は話し合って(協力し合って)、実行するのに容易な別の物語を選択すれば良いのである。例えば、上述の男と女が夫婦であったとすれば、これは一組の夫婦がお互いとの関係をもっと良いものにしたいという問題として読み替えることもできる。

このように問題の基底にある構造(実態)を解体して、クライアントのやってくる姿勢や彼らによって語られる言葉そのものを読解(スティーブ・ドゥ・シェイザーはこれを敢えて「誤読」と呼ぶ)することを脱構築(無効化、deconstruction)という。この読解は読み手がクライアントの姿勢や言葉から何かを(好みのものを)拾いだし、構成(コンストラクト)するかによって定まるものなので、構成主義(constructivism)の名が与えられるのである。治療は問答に終始する。クライアントの訴えや質問(「どうすれば治るか」)は、治療者によって解釈されたり、説明されたりすることなく、質問の形で返されることで問答の循環が続く。治療者は既に薬物依存という実態概念を放棄してしまっているので、説明のしようがないのである。こうした問答の中から、「問題の解決」が構成されていく。例えば「夫婦関係の改善」に焦点づけられて構成された「問題」の解決のためには、悪い夫婦関係の続く中に「例外的(unique)」に存在した良い夫婦関係がいつ、どのように存在したかが問題解決の素材として拾い上げられ、再構成(リコンストラクト)される。

クライアントと治療者が共同して、この素材を探してみると、既にクライアントが治療者に連絡をとろうとした時から、たくさんの素材が転がっていたことに気づくであろう。例えば男が治療者に予約の電話を入れた日から、彼は飲酒しなくなり、それまでより長く妻と世間話をしていたとする。そうであったとすれば、「なぜそのような変化が起きたか」をクライアント・治療者の双方が理解し、「そのような変化をこれからも続けるにはどうしたら良いか」が双方で合意されれば、「問題解決の構成」という仕事は終わることになる。アルコール依存を含む薬物依存についていえば、筆者は彼らの物語を「母なるものからの承認」を求めるナラティブとして「誤読」し、母なるものとして機能する「場」(例えば自助グループ)の存在を示唆することが多い。

4 精神療法を補完する薬物療法

1970 年代に入って、精神療法は2つの分野からの挑戦を受け、変革を余儀なくされつつある。lつは既述したアディクション・アプローチであるが、もう1つは児童虐待の再発見である。児童虐待から生き残ったものは、その生き残り(survive)の過程で複合型心的外傷後ストレス性障害(compound type of PTSD:van der Kolk,B)と呼ばれる広範かつ多彩な精神神経症状を来し、その中にはアルコール・薬物の乱用・依存が含まれる。実際、アルコール・薬物乱用者の精神療法の過程で、治療者はほとんど常に彼らの児童期の親子関係障害に向き合わされる。それは親からの暴力であり、ののしりであり、性的虐待であり、置き捨てである。夫婦間暴力の目撃であったり、親役割を放棄した親の代わりを務めて子ども時代を喪失することである。これらは、被虐待者の心に傷をつけるが、この傷は単なるアナロジーではなく、文字どおり、生埋学的な損傷であることがわかってきた。

ヒト以外の霊長類の研究では、初期の外傷体験の後に生理的変化が持続することが確認されている。例えば、普通に育てられたサルと、幼少期に愛情剥奪(親から隔離)を受けたサルとに少量のアンフェタミンを投与すると、脳脊髄液中のNE濃度は後者で明らかに高くなる。アカゲザルの幼体を生後2カ月目で母および同胞から離し、生後1年目まで分離を続けた場合、3歳の時点で少量のアンフェタミンを投与すると、突然暴力的となり、群れの仲間を殺すことが観察された。別の報告によれば、この種の体験を待ったアカゲザルではアルコール摂取量の昴進も見られるという。

こうしたノルアドレナリン系神経伝達システムの変化には青斑核の関与が想定され、これがフラッシュバックという現象を引き起こすと見なされている。ノルアドレナリンの主要な源泉である青班核は、大脳辺縁系や大脳皮質、小脳、視床下部へノルアドレナリンの興奮を伝える。また、青斑核から海馬や扁桃核へと伸びるノルアドレナリンの神経索は記憶再生の役割も果たす。

長時間にわたって回避不能ストレスにさらされた動物は、やがて無痛覚症(analgesia)を来し、ショックを回避する行動を止めてしまう。無痛覚症は内在性オピオイド(体内麻薬)によってもたらされ、オピウム(あヘん)の拮抗物質であるナロキソンによって消去される。Lewis,JWらは、このオピオイドが交感神経の興奮によって分泌されるエンケファリンであることをつきとめた。長時間のストレスにさらされた動物は、体外からアヘンを反復投与した場合と同様に、脳内の麻薬リセプターを活性化させる。このときストレス刺激を急に中断したり、ナロキソンを注入したりすると、麻薬禁断と同様の離脱症状が生じる。この種のストレスとしては、格闘、性的興奮、食物の剥奪、高熱の持続などがある。生体が深刻なストレスにさらされると、最初の衝撃が恐怖反応を惹起し、その恐怖反応に応じて脳内麻薬の分泌が生じると考えられる。人間の血漿中ベータエンドルフィン濃度は、ストレス、手術、ギャンブル、マラソン、そして摂食障害者の嘔吐などで上昇することが報告されている。児童虐待後遺症との関連で言えば、自傷行為を繰り返す患者におけるメチオニンエンケファリン(metenkephalin)の上昇が発見されており、こうした患者にナロキソンを用いて効果があったとの報告もある。トラウマの再体験は体内麻薬の湧出による精神的安定をもたらすと思われる。しかしその後、睡眠障害、過剰反応、怒りの爆発という形の退薬症状に見舞われ、「嗜癖の悪循環」の罠にはまるものであろう。

これらの神経生理学的損傷の詳細を知ることによって、PTSDに伴う過敏、易刺激性、不眠と悪夢、感情統制不全、再上演(原発トラウマの侵入的再体験)などに適切に対処できるようになることが期待される。例えばこれらがノルアドレナリン系神経路の過興奮であることを認識することによって、それを抑制するクロニジン(アルファ2アドレナリン作動薬)やプロプラノロール(ベータアドレナリン作動薬)の使用を考えることができる。事実これらはPTSD患者の驚愕反応や感情の爆発、侵入性再体験、悪夢、自傷行為などを減らすとの報告がある。これらを用いて現在よりも効果的な冶療ができるようるこなれば、児童虐待の後遺症という視点からアルコール・薬物乱用を見直すという気運は、現在よりも広がるようになるであろう。

こうした生化学的な視点は、精神療法と競合したり、それを否定したりするものではない。精神療法は患者に現在の切迫した驚愕や恐怖が、過去のどのような出来事に由来しているかについて気づかせ、これを言語化させることによって過覚醒からの認知的距離を確保させることができる。彼らが最も必要としている無条件の愛と安全な場を提供することにより、アルコール・薬物使用のように自己破壊的でない形で、体内オピオイドの自己治癒効果を体験させることができるのではないかと筆者は考えている。

(「薬物依存の最前線」加藤、鈴木、高田編著 星和書店、1998年 第5章より)

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Posted by ssworld