子どもが人間として育つ21世紀を願って(2/4)

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外国から人を呼んで日本人を増やしますか?、これは大変ですよ。外国人をよんで労働させるということは。私がパリにいたときに、71年から3年ですからずいぶん昔ですが、大勢のアルジェリア人たちが、パリの朝市の終わったあとの掃除をしていました。水を大量に流して、例のパリの石畳を清掃しています。ほどんど青い上っぱりを着た市の職員ですがアルジェリア人です。フランス人はやっていない。ドイツでも同じように炭坑労働者はトルコから来た人が多かった。どうなったかといえば、その後にトルコ人たちが子どもを産んで定住しようとするときにドイツ人たちがやったいじわる、ネオナチの動きというのが、どんなに社会を混乱させたか、この動きというのは本格化するのはこれからだと思いますが、大変な文化摩擦がフランスのアルジェリア人やドイツのトルコ人たちとの間に起こってくるでしよう。

この代償を日本人が受け持てますか。パリの町のオペラ座の前の通りぐらいは歩いたことある人は多いと思いますが、特に8月なんかはフランス人はほとんどいません。いろんな肌、いろんな髪の毛の人が歩いています。あれだけグローバル化した社会でさえ、なおかつ外国人労働者を入れるというのは大変な問題なんです。

もう既に高校生にもごく普通に浸透してきた覚醒剤などの非合法ドラッグ、これは80年代後半の現象ですが、今は携帯電話付きでその顧客、ほとんどが高校生ですが、1台が数十万円から数百万円で取引がされています。その携帯電話を買えばどんどん電話がかかってきて、それにドラッグを供給するルートさえついていればいくらでも商売が出来ます。すぐに1000万、2000万の収入になって数百万円の出資が回収されるようになっているようです。

よく番号の知られた携帯電話です。チョコレート、いわゆるハシシですね、マリファナの樹脂を固めたものですが、あるいはグラスといわれるマリファナそのもの、草ですね、あるいはスピードと呼ばれる覚醒剤。このごろは覚醒剤もいちいち注射したりしません。エイズ以来、注射は流行らなくなって、結晶状のものをつぶして銀紙の上に乗せて下からあぶって吸うというやり方です。

そういったようなものが、ちょっと前までグラム2万円ぐらいだったのが今は1万円台から、それを切って8000円ぐらいのものもあります。私のクリニックが東京都港区の麻布十番というところで、隣町は六本木で、その中間にマハラジャなんていう、ひと頃流行ったディスコがありまして、そういうところの黒服(黒いスーツを着たボーイ)たちが一時、売人をやっていましたが、今はごく普通のまっとうにみえる高校生たちが売人です。渋谷のチーマーといわれている連中は、かつてはパーティー券で儲けていたのが、今はこの手の携帯電話をもって、売人で儲けています。

チーマーたちはもともと、渋谷の東急線沿線の進学校の生徒たちで構成されていてKとかHとか、東京から横浜の方へいく電車ですね、そういう比較的授業料の高い学校の生徒たちが渋谷の街に出てきて、そこでやっていたのです。その内にその辺の中学を卒業した無職少年たちがその流れに入ってきて非常に狂暴化しまして、サラリーマンをよってたかって殺してしまったりすることがあった。

その連中がクラブっていっているディスコの汚くなったようなところに集まって、それと同時にドラッグが非常な勢いで入り込んでいます。この現象が東京の渋谷だけで終わるものだと思ったら、それはあまいでしょう。経済行為ですからお金の集まるところにいろいろな人が入り込みますので、大人も含めたいろんなシステムが出来つつあって、それも完了に近づいているという現状だと思います。

何か基本的なところで内部が腐ってきている。高齢化した人の歯槽膿漏みたいなものです。あまり痛みはないが顎の骨が溶けてしまうような、気がつくと歯が全部ボロッと抜けてしまうようで恐ろしい。その現象の末端にあるものとして、私はドラッグ問題と中学生の拒食症の問題を分けて考えない、大体1つのところに根があると思っていますから。

ちょっと1番の問題にずっと係わってしまって申し訳ないのですが、結局はどうすればいいのですかというと、我々、男、それから生理の終えた女性、生理の始まらない幼い女性の3者が、生殖年齢期にあるすべての女性たちの前に膝まづいて、お願いだからもう1人産んでくれと頼むべきです。生殖年齢期の女性は産めといっても産めない、そういうふうになってないじゃないといいます。マスの数字といのはその時代の、その人たちの集団的無意識なんていうとユングみたいになってしまいますが、まさにそれを語るものです。

今、日本の女性たちは明らかに子産み、子育てを嫌がっています。それがその合計特殊出生率に現れている。子を産み、育てるように出来ていないのです。なぜか、それを作っているシステムが、男性の論理でもって作られ、男性に都合よく作られて、女性たちをそこから排除しているからです。なおかつ、そこでそのシステムに留まろうとすれば女性は男性化するほかない。男性の論理を借りてしゃべり、女性の生き方について論じるものを非難します。これを女性によるフェミニズムパッシングといいます。バックラッシュ(反動)の一番おそろしいところは、いつも強者にそそのかされた弱者が自分と同類の弱者をたたくという構図をもっていることです。

今、そこらの女子高生や女子大生に聞いてごらんなさい。フェミニズムっていうと、ダサクってそういう人は大嫌いよといいます。「上野千鶴子」にはなるなというのが合言葉みたいになっている。千鶴子さん自身もフェミニズムそのものについてはあまり語らなくなった。今の女性は、それほど恵まれて強くなっているのですか。戦後、一貫して続いてきた戦時総動員体制は女性たちをより画一化して、より拘束しているのではないですか、そのことにお気づきになっていない。

この頃、江戸時代の女性たちについての見直しが盛んです。あの高い離婚率、女たちがどんどん、三行半を要求した(夫がこれを書くと女性は再婚できた)。江戸時代の本物の女たちは、俺とかお前とかしゃべりながら、女言葉なんてないです。あれは山ノ手の、東京人は「ノテ」といって軽蔑していますが、官軍の奥さんが旗本の奥方の真似をして作った言葉です。それにミッション系スクールの伝えたヨーロッパのレディーたちの風習、これがミックスした鹿鳴館みたいなものです。フランス人の書いた猿がスカートをはいてダンスを踊っているというマンガがありますが、それと同じようなもので女言葉というのは恥ずかしい言葉です。それが全国を蔓延する上品な言葉として定着する過程で、女性は江戸期のたくましい生き方を失っていく。離婚率は江戸期よりずっと下がりましたが、単に家族の中に取り込まれて閉塞させられているだけです。

女性と靴下は強くなっていません。靴下はともかく、女性はどんどん自由をもがれていって、そのこと自体を女性が楽しんでいる。産みたくないという理由はいくらでもありますが、それは自分が子どもを作ったときの思い、2人目の子どもを産んだときの苦労を考えればお分かりになる。

保育園の質を上げる。もっと入りやすくする。営業時間というか、オープンの時間をもっと拡げる。しかし、そういうことよりももっと大切なのは、こんなに長く職場で拘束されるのはたまらないということでしょう。なぜ、こんなに遅くまで仕事をしなければならないのか。それをやれているのは男でしょう。男はなぜ、やれるのでしょうか。女房に家族を任せているからでしよう。「冗談じやないわよ」と、ここでいわなくてはならないのは妻です。深夜12時だ、l時だという時間に帰ってきた夫に、「ご苦労様」なんていっているからいけない。「職場か私、どちらをとるのか」と。三日、夕食を一緒にとれない時間が続いたらば離婚を考えるというような風潮が当たり前になるという、こういうふうにならないと合計特殊出生率は上がらない。

スウェーデンの場合は、端的な話をすればボルボという自動車がありますが、ボルボとかサーブとかを作っている会社が、熟練工を5時に帰すということがら始まったのです。熟練工を5時に帰して、熟練労働者を職場からいなくするというと、そこにシステムの穴ができますので、そこに女性の非熟練工を入れる。当然、経済効率は落ちましてボルボはトヨタや現代(ヒヨンダイ:韓国車)に負けました。これを政府が補助をするという形で進んできて、3年前ぐらいにはすでに経済的な支援が破綻していまして、もうだめだということになっている。それから以降、スウェーデンの合計特殊出生率はまた下がりはじめました。

そのころ、ちょうど埼玉県にある国立婦人教育会館というところで、家庭教育についてのセミナーが文部省主催で開かれまして、そこで社会学者の人がスウェーデンの代表で来ていましたが、その人も昔は児童虐待の仕事をしていた人で、私は前から知っていましたので話を聞いたら、ボルボはトヨタと現代にやられたと。スウェーデンはお金がなくなって、今の家庭教育の支援事業は続けられないと。だから合計特殊出生率もまた落ちていくだろうと。男たちを韓国や日本並みに働かせないとやっていけないという話になってきている。しかし、だけどねと、こういうのです。「私たちが負けて、だから東アジア勢力と同じような仕事をさせなくてはいけないけど、では日本人や韓国人は私たちにどういう文化をおしつけようというわけ」って。「ああいう男性の長時間労働で成り立つような社会をもう1回やれというの。」私は言葉がないです。経済で勝って、国民が非常に不自然なシステムの中でそれは当たり前と考えて、こういうのがまっとうな働き方だといって、それで世界を席巻して一体なんになるのですか。

それこそ、アッチラ大王のやったイエローペリル(黄禍)の再来といわれます。一生懸命に自分たちで男女の平等社会というのを実現しようとしている国が、経済的に負けてしまって。しかしこれは3、4年前の話ですから、あれから局面が明らかに変わりました。働いて働いて、長時間労働が価値だといっていた韓国と日本が、今や、この体たらくだ。

そうすると、またわからなくなる。一体、働くってなんですかという話になって。このことについては10年ぐらい前に私、クロワッサンという雑誌がありますが、これは東京の東銀座にマガジンハウスという会社があって、そこで出している雑誌ですが、その本社の周辺の企業、築地の朝日新聞も含めてアンケートを出して、働いている者たちに、どうして家に帰らないかというアンケートをやりました。

そのときの特集の名前が、もう手元に雑誌がないので忘れましたが、確か夫たちの「帰宅拒否症」を考えようとかいうタイトルだったと思います。なぜ、家に帰らないかというのをみんなが書いているわけですが、その調査表を私のところに送ってきて、それを読んで分析した上で座談会に出てくれといわれたのです。それで確かに、せいぜい午後8時か9時には帰れそうと思う人でも、深夜12時に帰っていらっしゃる、これは明らかに引っかかっているのです、「ママ」さんのところに。

ただ、銀行の方々は、本当に真面目に働いても午前様になってしまうみたいでした。名古屋はどうなのか知りませんが、東京の場合は1時間半から2時間かけて通っている人が多いですから、深夜に社を出ると2時になってしまいます。また次の日は定刻に出勤という無理の多い働き方をしていて、こんなのは銀行が雇う人の数を減らしているからこうなるのかと思いました。
その座談会に出ましたら、ちょうど銀行員の奥さんが一緒に出ていまして、その人は本当に大変だと、うちの夫はもう酒を飲むどころではないと。アル中の問題で帰宅が遅れるというのではなく本当に真面目に働いていまして、そのアンケートからみてもそうでしょうと思いました。

ちょうど銀行のオンライン化の仕事をやっていたときです。真面目に一生懸命にがんばってそれで日本はよくなったのでしょうか。彼等が働いてどうなった。地価は上がるは、彼等自身の持ち家がどんどん遠くなるという現象が起こっただけで、我々はちっとも幸せになっていないではないですか。働けばいいというものではないという話はあのころからはっきりしていました。さすがに今の時代を読めなかった。読めたら、私は快刀乱麻の論理が立てられたと思うが、そんな働き方をしていても絶対に世の中は幸せになれないってはっきりいえたと思います。

働き方がちょっとおかしいというぐらいしかいえなかった。そんなの人が足りないのだからもっと銀行員を増やせばいいという馬鹿なことをいっていましたが、銀行員を増やしたら日本人はもっと不幸になりましたよ。銀行員が大量にいて、しかも一生懸命に働いたからこんな時代になってしまったのです。そのことを医者も高校の先生も考えた方がいいです。もしかしたら働いているからいけないのです。5時までしか働かないことを徹底することをやってみると、もう少し幸せになれるかもしれない。

一生懸命やることに対しての認識そのものの変換をしていかないと、このシステムは変わらないだろうと思います。5時まで働いて子育てを、もしお父さんが育児参加して2人でやるのだったら出来るかもしれない。保育産業が肥大するばかりで24時間いつも臨戦体制にあって、寝ている以外は働いている父と、母が保育産業に子どもをあずけっぱなしにして働きづめに働く。なぜ、そんなに働くの、生甲斐ですか、自己実現なんて仕事の中から出てくるものではありません。

仕事というのは、ラテン語圏ではトラバーユっていうのです。トラバーユとは、もともとはローマ人たちが、ガリア征服のときにゲール人たちに架した足枷です。足枷の裏側にはトゲが出ています、足を動かすと刺さるのです。それをフランス語にしたのがトラバーユで、その語源を知らないで雑誌の名前につけている人たちがいるのが日本です。

仕事というのは元来、拷問です。つらくて当たり前です。だから、なるべく少なくして、そこから逃げて自分を生きるということのために、対価として自分の時間の一部を切り売りする。そういうまっとうな考え方にもう一度立つベきだと思います。一部、仕事が好きで好きでたまらない人がいるかもしれない、それはl日中、心に詩があって、それを言葉にしたくてしょうがない人とか、絵心にかられて生きている人とか、そういう人たちは勝手にしておけばいいです。もし飢えたくなければそこらで土でも掘り返して給料もらえと、こういうことです。

これがまっとうな仕事に対する考え方だと思います。何かシステムがあってその維持のためにみんなが働いて、それを運営し、そのシステム維持に役に立たないようなものの考え方や、そこから脱落するようなものは排除するようなことをやっていますと、私たちはいっこうに幸せになれない。それから幸せって何だってこと自体が分からなくなってしまう。(続く…

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Posted by ssworld