子どもが人間として育つ21世紀を願って(1/4)

講演録-名高教50周年記念講演
「子どもが人間として育つ21世紀を願って」1998年2月28日

私、もともとが臨床の精神科医です。東京都の精神医学の研究所で15年ほど研究員をやっていましたが、95年9月から臨床に戻りまして、家族機能研究所、医療法人内の研究所ですが、そこで若い先生たちが苦手としているご家族の家族療法といいますが、これを担当しているところです。

いろいろなものが、30年、臨床をしている間に見えてきて、それについて、臨床医として目の前にいる家族にあててメッセージをしていたのです。数からいうと数百から千単位くらいの人たちに届くようなものをお渡ししていたのです。そういうものがだんだん本になったりするようになりまして、こういう家族病理の話をする人が少ないもので、何だかんだと新聞のコラム、その他に引っぱり出されるようになってきました。今まで1000部、2000部単位で、いわゆる学術書は大体2000部ですが、いきなり万部とか10万部の話になってきて、それについて今度はフィードバックが返ってくるようになったので、ちょっと私にとってはストレスになってきている。成り行きというのはしょうがないというか、自分が確かに書いたり、言ったりしたものですから、それについてのフィードバックというのも受けとめて、中には腹が立つようなこともあります。今日の子どもの事態とその背景といったようなことも、そのようなことから、自分の中で明確化せざるを得なくなってきたことです。

ものを話すということは、自分の中にあるいくつかの言葉の選択肢の中から1つを選択するということで、選択すればそれに責任を負うというようなことで会話が成立します。これを文章化すると、言葉で話すよりも厳しい基準で1つの用語を、別の用語とつないでいくというシークエンスを作っていくという作業をするわけです。そうすると、そこで現状をどう見るのかということについて、今までよりも厳密に、あるいは、読む人の反応というもののいろんな可能性を見ながら、意見を述べていくということを迫られるわけで、そうやって見えてきたものについて今日はお話をすることになると思います。

実にご親切に、今日の私の話の内容を5つの節に分けて送っていただきましたので、講演をするときの手間の7割がすでに終わっているというわけです。ただ、その時々で私はいらっしゃる方々の男女比率とか年齢とかをみながらお話を組み立てていくというタイプの話し手ですので、どうしても5つの割り振りの中で軽重が出てきます。私の今日の気分としては1番目にちょっと焦点をあてたいというところがあります。

1、今日の子どもの実態とその背景

このところ、教育関係の集まりによばれることが非常に多くなりました。去年の後半からだと思いますが、特に神戸の須磨区の小学生の殺人事件が起こって、兵庫県の教育委員会が緊急提案会議というのを開きまして、東京からは私と宮台真司君という社会学の若い人とで、向こうの河合隼雄さんが座長になって5、6人の委員会を作ったのです。

そこで、あの事件のときは校長先生がテレビの前に急に引っぱり出されたりして、学校のシステムに問題があるのではないかというような話をつきつけられて、まさに学校システムの犯罪であるかのようなコメントをする方々もいました。あれは学校がどうであろうと、あの事件は起きたかもしれないようなことでしたが、兵庫県が何かを考えましょうという姿勢になったこと自体は悪いことではなかろうと思います。

単に自信がないというだけではなく、私が思うのには40年体制というような国家総動員令に基づくものがあって、敗戦後軍隊だけは消えたが、教育その他は全部霞ケ関で統括するという戦時体制が残っています。それが文部省にあって、ちょっと行き詰まってきているのではないかと思います。それでどうしようという話になって緊急会議で中学校を、1週間全部を登校なしにしましょうかみたいな話が出たり、私も公教育がちょっとのさばりすぎたのが問題ではないかみたいなこと、学校にいるのは半日でいいじゃないですかみたいな、地域での教育ということにもう少し道を開いてもいいのではないかと、その委員会の席で言ったのです。

早い話が、教員免許をもったおばさんがたくさん町にいますが、あの人たちをどうして活用しないのかと思います。知的な教科だけについてみたって、町にいろんな先生が配置されているわけで、極端なことをいえば教員免許をもっているお母さんが自分の子どもをいちいち学校で単位を取らせなくてもいいわけで、自宅で1人の子と向き合って出来る教科は取らせても構わないし、隣の町の数学のおじさんのところにいってもいいわけで、学校という箱の中で物事を考えるという発想はそろそろやめたらどうだということです。以前と違うのは、こういうことは単なる冗談じゃなくて、その後に兵庫県の教育委員会の方が2人、私のオフィスへみえられて1週間閉めてみるとして、これ霞ケ関がいいとはいわないだろうが、やれたらやりたいと言うのです。その後、これは「トライやる」週間という地域研修の形で実施に移されるそうです。

一方で文部省の方で家庭教育ということをしきりにいいだして、私は虎ノ門に呼ばれるようになりまして、そこで父親の家庭教育参加ということについてどう考えるかという意見を言えといわれました。家庭教育と学校という箱の中でやっている教育との間の連続性みたいなものが当然話題になるわけで、教育というものに対してのものの見方が大分、変わってきたのではないか、変わってきてはいませんが、こなくちゃいけないという発想は少なくとも起こってきているような気がします。

それもこれも、今の子どもの現状というのがちょっと変わってきていることから起きている現象で、今の現象が10年前、あるいは50年前と変わらず、この先、50年も変わらないだろうということであればこんな議論は行われないでしょう。明治期に軍隊と一緒に作られた学校制度は、太平洋戦争直前に更に中央統制を強化した形をとりましたが、軍隊の方はつぶれたが、学校の方はそのまま、今に至っているという、これがとてもいい制度だということになればこんな話は起こりません。まずいといわれているものは何かですが、これはそんなに神秘的なものでも、分かりにくいものでもなかろうかと思います。ポイントは2つあって1つは少子化、1つは核家族化だと思います。当たり前の現象ですし、いろいろなところでいろいろな方がいわれていますが、高校の先生方はどうでしょうか。

私、昨日は、東京某区の医師会の方に招かれて講演をしたのです。学校の保健を担当していらっしゃる医師会の方々と、養護教員の方々がみえられたのですが、その方々はすでに問題に具体的に直面しておられて、例えば、東京23区内みなそうですが、40人学級なんてものはすでに存在しないで17、8人がせいぜいの1クラスです。

男の子が9人以下というのが普通で、野球のチームが組めないという。女の子は多少は男の子よりは多いのですが、これも不思議な話です。男はすぐ死ぬ性で、非常に弱い性で、子どもの時は男の数がちょっと多いのが普通なんですが、何だか男の子の方が少なく、しかも女の子の方は何と半数近くが身長によって決まってくる標準体重の20%以下です。これに月経停止3カ月という条件を加えれば神経性食欲不振症という、アノレキシアネルボーザ(神経性食欲不振症)という病気の診断基準がそのまま適応出来る状態です。これが一部の変な子の問題ではなくて、ごく普通に小中学校に行っているのです。小学校の場合、ちょっと難しいので成長途上ということで分けておくと、中学生が普通に中学生をやっていて、その女の子が標準体重の20%減以下というような状態というのをどう考えるかという問題に迫られている。

これだけでも2つの問題があるわけでして、どうしてそんなに子どもの数が減っているのですかと、これは東京だけの現象でしょうかという問題と、その中で起こってくる女の子たちに見られる体重減少って何なのか、そして、それは男の子の場合はどういう具合に表現されるのですかということになります。この問題というのは、数年後には高校にもやってくるでしょう。

私、東京における少子化の結果というのは、私たちがちょっと慌てたりしてますが、まだまだ本当に深刻に議論されるのは先なんだろうと思っています。98年l月12日のアエラの記事ですと、青森県の山間の村の子どもと横浜市の都市部の子どもと比べると、山間部の子どもの方が、外で遊ぶ時間が横浜市の2分のl以下だったそうです。

これは確かに自然はある、蝶々は飛んでいるかもしれないが、外に行ったって遊ぶ子どもがいない。遊ぶ子がいないから当然、家にこもってテレビゲームという話になるわけで、まだまだ横浜の方が仲間が外にいる。この現象というのはまもなく横浜市でもそういうことが起こってくるでしょうし、また名古屋市でも同じようになるでしょう。どんどん減っているのです。

例えば22世紀の直前ぐらいになると日本の入口が6700万ぐらいになるそうですが、当面、問題になっているのは年金制度の破綻ということでしょう。それから今、起こっている不況なんかも1つの原因にもなっている現象ですが、まだまだこれは政策の問題とかというふうに金融政策、その他の問題として捉えられてますが、例えば東海総合研究所の水谷氏みたいに、今のこの不況といっている現象というのは、サイクルをもって、また景気がよくなるというそういう循環の問題ではないといいっている人もいます。

どんどん悪化して、作っても、ものは売れなくなる。一体、何が起こっているかといえば、水谷さんが強調しているのは子ども数の減少です。人口が減っているところにもってきて、何か他の方策をとらなければ作ったものが売れないし、売れないと工場は閑鎖されるし、もっと人口が減るという悪循環に入りますので、彼がポイントとしておいているのは少子化なんです。

学校関係者からいうと、予備校の淘汰とか、私学では学生数が半分以下になるといわれていますが、まだ学校経営の立場からはその辺がピンとこないらしくて、学部の新設とか学部名の名称変更なんていう、ちょっとトンチンカンなことが進んでいます。

要するに教育機関そのものがそんなにいらなくなってしまう、そういう時代が近づいている。あの人がいわれていることというのは、たぶん経済学者として非常に適切に問題点をついているという点では尊敬に価すると思います。景気刺激策どころではない、次世代に赤字を残さないということの方が、ずっと大事だといっているのは彼だけです。それは正論だと思います。

でも、少子化なる現象、これはゆるがせない生物学的事実として、このまま定着するのでしょうかということについては、私は動かせると思っています。現に動いた国がある、例えばスウェーデンです。

一昨日スウェーデン人とご飯を食べていまして、日本人と結婚しているスウェーデン人で毎年1カ月ぐらいは向こうに帰っているので状況はよく分かっている人です。

合計特殊出生率(一人の女性が生涯に子どもを産む推測値)というのがございまして、今の日本は1.4ぐらいで、どんどん1.3に向かって動いています。かつて1.57ショックというのがあって、これに対してその時の厚生大臣は、これは女性の高学歴化と関係がある、女たちが学問をつけて子産み、子育ての能力を消失したと、ここに問題があるみたいなことをいったのです。たまたま、私カナダにいて学会に出ていたのですが、これにカナダの放送局がとびつきまして、日本の厚生大臣がこのようにいったということで大変に大きく、なぜだか分かりませんが、日本のニュースなんてほとんど出ないのに、そのときだけ大きく報道されてパーティーでずいぶんからかわれました。

日本の女は利口になると子どもを産まないのかといいまして、それで覚えているのですが、そのころは1.57ショックといったのです。たちまちそれが、1.4を切るかどうかの話になっています。今の人口を定常状態においておくための合計特殊出生率、これが2.08で大体、定常人口の維持ということになっていまして、各国ともこれを目指しているのです。あまりこれが高いというのも困るし、低いというのもいろいろな問題が起こってくるのです。

それでスウェーデンはどうかというと、どんどん落ちまして1.6か7、日本と同じように1.0台に達しようという勢いだったのです。ちょうど1.57ショックと日本がいっているころに大幅な政策の切り換えをやったのです。

一昨年の資料だと、2.0前後ですから明らかに効果をもっているのです。もっと実態を知って、スウェーデンの福祉と福祉政策、その破綻ばかり話題になりますが、何が起こったかを見た方がいいです。そうしませんと教育をどうするのかといっても、子どもがいなくなって学校はいりませんといわれてしまってはしょうがないですから、その辺のところを考えた方がいいと思います。

何をやったかというと、これが先ほどの家庭教育の話と結びつくのですが、要するに女性が子どもを産みやすくして、育てやすくしたというだけです。子どもの出生に責任を持てる男たちを家庭に帰すという話になって、家庭に父を、という話になった。何だ、それだけかとお思いかもしれませんが、日本でこれをやろうと思っても出来ません。システムがそうなっていません。

スウェーデンで、例えば去年産まれた子どもたちのうち、婚姻している女性から生まれた子どもというのは半数以下です。6割は未婚の母です、日本でいえば未婚の母の子どもたちです。つまり、女性のライフシークエンス、ライフサイクルの中の婚姻から出産へというシークエンスが完全に変わった。2人に1人が出産を婚姻の後におくという選択をしなくなったということです。ご自由にお選び下さいと。出産してみて、パートナーがほしくなったらそこで婚姻したっていいし、何も婚姻したものだけに出産という選択が与えられるようにはしないということはとても大事なことです。これをlつやってみるだけでもずいぶんと違う。

女性がl人で子育てして経済的な自立をはかるとなれば、彼女たちにフルタイムの勤務を保証しなければいけない。まず、これが出来ますかという話です。フルタイムで働いている親に、子どもを育てる時間をどうやって与えるかという話です。それは保育室みたいなものを職場に置く。あるいは保育所を増やす。

日本でやっているのは、ちょうど今の話の逆で未婚の母に対するパッシングです。例えば、母子家庭に対する補助金の削減ということが、たぶん今年中に実施されるでしょう(実際は見送られた)。今、日本の母子家庭の平均年収は250万以下です。しかもこの5年間わずかに減っています。250万円で1人の母と1人の子どもが1年間を送るのは大変です。当然、補助金が問題になりますが、それを削減するということは、女は婚姻していない限り子を産んではいけないといっていることなのです。一方では主婦優遇税制というのがありまして、結婚している女性には税制上の優遇措置をしようと。そんなに働いて家庭をおろそかにしてはいけない。年間100万までなら働いてもいいといっているわけです。年間100万までの女性たちが何をいっているか、この女性たちはもともとは収入は安定しているわけですから、「いいのです、お仕事さえさせていただければ、先生のやっていることをお手伝いずるのは興味も関心もあるから、ただでは困るけれども年収が100万越えないくらいだったらいただきます。」とのことです。

その結果、何が起こるか。1人で生きなきゃならない女たちの職場が奪われている。みんなでよってたかって、結婚しないで子を産んだ女たちをいじめて何がおもしろいのだ。彼女たちの恨みは少子化という現象を招いて日本国を衰亡させています。私はこうみえても我が国土、同抱というものに愛を感じていますので、あまり流行らないみたいですがどうなるのかと深刻に思っています。(続く…

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Posted by ssworld