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   <title>斎藤学（精神科医｜家族機能研究所代表）ブログ</title>
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   <updated>2009-03-31T05:18:34Z</updated>
   <subtitle>精神科医・斎藤学からのメッセージ
文責：斎藤学</subtitle>
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   <title>叱られてうれしかったです（純子さん）</title>
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   <published>2007-10-18T07:06:58Z</published>
   <updated>2009-03-31T05:18:34Z</updated>
   
   <summary>　私がひょっとしたら嬉しかったのかもしれないと思うのは入院中に私の盗みがばれたと...</summary>
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      　私がひょっとしたら嬉しかったのかもしれないと思うのは入院中に私の盗みがばれたときです。

　子供のときは、ともかくお母さんが大変だったので、私が書店から毎週のように万引きして、マンガ本がどんどん増えていこうが、1か月ほど風呂に入らない娘が臭かろうが、お母さんはそれどころではありませんでした。
　お父さんが大変だし、7歳年下の弟がいたのです。
      <![CDATA[===
　お父さんは家からお金を持ち出して借金を増やして、酔っ払ってどこかから落ちて腕に釘が突き刺さっても、痛くないと言い張るひとでした。そんなお父さんに振り回されてお母さんは大変だったし、7歳年下の弟は幼児でした。
　娘が臭いとか、娘の洋服が同じだとか、娘のマンガ本が増えていくとか、お母さんはそれどころではありませんでした。

　だから、私は病院でお菓子を盗んだ時に小児科の先生に叱られて、もっとやってやろうと思ったのかもしれません。
　家で問題を起こしても振り向いてもらえなかったけれど、病院でならやっと振り向いてもらえます。

　お母さんが大変なのはわかるけど、一生懸命やっていることも知っているけれど、それでも私はお母さんに振り向いて欲しかったんです。
　病院での盗みがばれて小児科のO先生が私に言いました。ちゃんとは覚えていないのですが、「もう面倒みきれない。退院させようという意見も出たけれど、その意見を押しとどめた」というようなことでした。
　私はそれを聞いて「じゃあ退院させてくれよ」と思ったけれど、今思うとなんだかちやほやされているような感じがしたのかもしれません。
　おかしいですが、悪い子をやることで注目されたり、周りの人を振り回したりできるというのは入院前の私が望んでいて得られなかった感覚のように思います。

　A病院から京王線のT駅まで行って地元の中学校に通っていたりしたのですが、なかなか病院に帰らないこともありました。時間どおりに帰らない私を心配して家にいるのかと思った看護師さんが30回以上家に電話してくれたというのを聞くと、悪いなと思うと同時になぜか気持ちが暖かくなってしまいました。

　私はもう34歳なのですが、いい年をして恥ずかしいことにその感じが残ってしまっています。
　悪いことをしてちやほやしてもらいたいという子供っぽい感じです。
　パート中にそれをやってしまい、嫌がられるだけ、自分の首を絞めることだと少しはわかってきたのですが、入院によって子供がえり願望と行動が復活しそうで不安です。
　看護師さんには怖い顔をしていてもらうと子供がえりしないかなとか、運動療法でびしばし鍛えてほしいなとか都合のいいことを考えています。

　☆★斎藤学推薦！★☆
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   <title>入院のイメージ（純子さん）</title>
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   <published>2007-10-15T07:20:43Z</published>
   <updated>2009-03-31T05:18:34Z</updated>
   
   <summary>2007年7月21日 　純子です。お願いします。 　明日の夕方6時から2週間、糖...</summary>
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      2007年7月21日

　純子です。お願いします。
　明日の夕方6時から2週間、糖尿病の教育入院をしてきます。

　今の不安はちゃんと入院の受付時間どおりに病院に辿りつけるかしらということと、入院して退院した時にちゃんとやっていけるかしらということです。子供がえりをしてしまうんじゃないかと思っています。

　私にとっての入院のイメージは小学校から中学校にかけての全部足しての3年間くらいの入院のことです。
　麻布に来る前は、悲惨な3年間だと思っていました。
      <![CDATA[===
　でも、よく思い出してみると若くて清潔で仕事としての緊張感を持った看護師さんたちの中に私はいました。
　入浴、洗顔、歯磨き、ベッドメイクの時間も決められていて小学校5、6年生の時に1か月くらいお風呂に入らず臭かった私にとっては、誰かがいて、私が入浴しているか、清潔なものを身につけているか気にしてくれる環境にあるというのは涙が出るほどうれしかったのではないかと思います。
　洋服も家にいるときは3日くらいは着たきりでした。

　家に帰って服を着替えるようになったのは大人になってからです。
　小学生のときは、ジーパンにトレーナーで学校に行って、そのまま寝て、また登校したりしていました。

　子供がえりのことですが、入院中のせいにするのは筋が違うかもしれません。
　入院中の私は悪い子でした。
　小児病棟には、鍵のかかっていないお菓子室があって、親が自分たちで子どものお菓子を持ち寄っておいてありました。
　なぜか、そうするように病棟から言われていてナースステーションには親たちのお菓子寄付を記入するノートがありました。

　私は夜中にお菓子室からお菓子を盗みました。
　お菓子室には電子レンジがありました。検査で食事時間がずれてしまう子供の食事を温めなおすための電子レンジです。
　準夜勤の看護師さんが白いご飯をラップに包んだ物を夜食代わりに電子レンジの前に置いていたので、私はよくそれを盗んでおいしく食べていました。
　私の食事は制限されていました。1日に1200kcalとか、800とか、ひょっとしたら600kcalだったこともあったかもしれません。
　入院前に半年くらいひきこもった私は食べ続けて170cmで85kgになっていました。斉藤先生に言われたところでは、そのころの私は肥満症だったそうです。
　今は170cmで91・になってしまうこともあります。
　肥満症なので食事制限でしたが、夜中に盗んでむしゃむしゃ食べるので、170cm70・から体重はへらなくなりました。
　なかなか子供がえりの話までたどり着きません。（続く…）

◇◆斎藤学推薦！◆◇
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   <title>さみしくて人のものを盗んでしまう（純子さん）</title>
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   <published>2007-10-10T08:40:20Z</published>
   <updated>2009-03-31T05:18:33Z</updated>
   
   <summary>　もうひとつの盗みですが、私は頻繁に盗み始めるようになったら止まらないと思います...</summary>
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      　もうひとつの盗みですが、私は頻繁に盗み始めるようになったら止まらないと思います。まだチラホラの今のうちに、これ以上にならないようにしたいです。
　少し前から盗みの感じが漂っていました。私がケチな生活をするようになったからです。

　ダイエットの後にリバウンドするように、節約しすぎるのはまずいなと思っていました。そこで昨日はノンカロリーの紅茶とノンカロリーのジュースのペットボトルを久しぶりに買いました。何日か前には化粧品を2万円分買ってしまいました。
      ===
　小学生の時に盗みで捕まったことがあります。その時のことを話すと私の今の盗みがこれ以上ひどくならないと思います。
　私が盗みで捕まったのは、小学校4年生の夏でした。お父さんはもういなくて、お母さんが公務員になる直前だったと思います。お母さんは就職活動で忙しくて7歳年の離れた弟は幼児でした。
　私はとてもさみしかったです。自分だけがこんなに理不尽な仕打ちを受けていると思っていました。同級生がどうして楽しそうにしていられるのかがわかりませんでした。

　私はそのころ忘れ物が多くて、よく自分が忘れた消しゴムやハサミやコンパスをそこにあるからという理由で盗んでいました。そこに置いてあるというのは、同級生の誰かがそこに置いたのであって、もちろん私の物ではなくて同級生のものです。
　消しゴムを盗んだことで3人の女の子から追及されたこともありましたが、私は最後まで「私のものだ」と言い続けました。

　私が困ったのは学校が休みのときでした。平日忙しくしていたお母さんは、休みの日にまとめて家事をやりたいらしくて、手伝いもしないでぼんやりしている私は邪魔でした。
　一度だけ「友達いないの」と言われたこともあって、私はお友達がいなくて予定もないのに仕方なく家を出ました。

　盗みには嫉妬が関係していると思います。さみしかった私が、楽しそうでうらやましいと思っていた同級生の持ち物を盗んで自分のものにしたかったのは、いけないことだけど理解できるしかわいそうだなあと思います。

　漫画や小説は私を傷つけません。さみしくて同級生がうらやましくて人の物を盗んでしまう小学生の私は、空想の中に逃げ込むことが多くなっていきました。
　空想の中に逃げ込むと現実のことが少しだけどうでもよくなります。目の前のこまごましたことより空想の中で魔王と話したりする特別な私のほうが大事になってきます。「私は何でもできる」という空想の中の自分自身と、さみしくて人のものを盗んでしまう悲しい時間とを、私は行ったり来たりしました。

　そのときは渋谷区に住んでいました。たぶん今もあると思いますが、渋谷の書店で私は捕まりました。
　その時私は叫んでいたんだと思います。
「どうして誰も私を助けてくれないの？そんなことしちゃいけないってどうして言ってくれないの？私はこんなにさみしいのに、なぜ気がついてくれないの？」
　毎週そこに行って、マンガにかけてあるカバーを破って7時間くらい立ち読みをしていました。首の後ろが痛くなるくらい立ち読みをする私は
「本当に1人だ、もうこれはどうにもならないんだ」
　と思っていたかもしれません。
「もういいや、世の中に復讐しよう」
　というように、10歳の私はマンガ本を盗み始めました。最後のほうは盗むための紙袋まで持参しました。

　エスカレーターに乗る時にガッと手首を掴まれて私は別室に連れていかれました。そこで私は大泣きしました。やっと助けが来てくれたと思ったのでしょうか。
　でも、それからも私がさみしくてたまらないのと怒りはずっと続いているんじゃないかと思っています。
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   <title>治ったらどうしようという恐怖</title>
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   <published>2007-10-05T07:09:31Z</published>
   <updated>2009-03-31T05:18:33Z</updated>
   
   <summary>　MMPIの結果が良かったみたいですが、それは私ではありません。私は定規とボール...</summary>
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      　MMPIの結果が良かったみたいですが、それは私ではありません。私は定規とボールペンでそのグラフを書き直したいです。
　先生に良くなったねと言われると「なんでそんなこと言うんですか？」「私のこと、もう嫌になったのですか？」と聞きたくなります。

　私が具合が悪くて助けを必要としているということを証明してみせるのには糖尿病が悪化しているこの体だけじゃ足りないんじゃないかと昨日まで思っていました。
      ===
　今はもう充分です。糖尿病の結果の悪さにショックを受けています。
　糖尿病の結果が悪かったので悲しいですが、自分に対して「ざまあみろ」という気持ちがあります。
　先生は良くなっても麻布に来ていていいんだよとおっしゃいました。良くなったのが嫌で悪くなりたいと思っている私の気持ちに先生は気づいているんだと思いました。
　「悪くなる気持ちがあるのを知っているよ」と言ってくださることで、私がものすごく悪くなるのを止めてくれようとしているのだと思いました。

　先生は私の盗みのことを心配してくださっているようでした。
　「このあいだパート先からノートを40冊盗んできたでしょう、盗みはダメ」とおっしゃいました。先生に「盗みはダメ、過食はダメ」と言ってもらうとなんだか嬉しい気持ちになります。でも、また先生に当然のことを言ってもらってしまった、と思います。

　先生はすごく偉い人なのにこんなに当然のことを言ってもらってしまってごめんなさいと思います。MMPIの結果が良かったことで久しぶりに治ったらどうしようという恐怖を味わいました。
　そう考えると嫌ですが私の体がこんなに悪いということは保険の意味もあるみたいです。
　糖尿病がこんなに悪いということはだれから見ても問題があります。MMPIが正常に下がっても、私は「助けて、助けて」と叫んでいます。私は治っていないと表現しているようです。

　そう考えると、そんなことしなくて大丈夫だよと自分に行ってあげたくなります。先生は私のことを親戚の娘みたいだと言ってくれたし、良くなっても来ていいって言ってたよ。役所のパートでいいって、週3日くらい働いて後は麻布に来る生活でいいんだって、大丈夫だよ、ずっとここに来られるよと自分に言ってあげたいです。

　糖尿病である自分の体をもうこれ以上悪くしたくありません。でも、私は自分の体を守れるかどうか自信がありません。
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   <title>盗みのこと（純子さん）</title>
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   <published>2007-10-01T08:09:48Z</published>
   <updated>2009-03-31T05:18:33Z</updated>
   
   <summary>3月27日 　私は4月1日のお見合いと9月の公務員試験の勉強が全然できていないこ...</summary>
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      3月27日
　私は4月1日のお見合いと9月の公務員試験の勉強が全然できていないことと、来年の四月にパートが無くなることで頭がいっぱいのはずでした。
　麻布に来るには勇気が要ります。自分がちゃんとできていないことを認めなければと思わないと麻布には来られません。

　私にはもうひとつ盗みのことで言わなくてはいけないことがあります。少し前、2週間くらい前のことですが、私は弱視の人の眼鏡を盗みました。Tさんというパート先の正職員の人のものです。
　Tさんは普通の眼鏡の上に宝石を鑑定するような人が使う目にはめるタイプの眼鏡を付けています。パソコンの画面に眼鏡がくっつくまで顔をつけてTさんはパソコンの文字を読みます。
      ===
　Tさんの宝石鑑定眼鏡が、みんなで使うパソコンの前にありました。私はそれを盗んでバラバラにしました。4つになった部品のうち3つをバラバラのままTさんの机の上に置き、1つは今も私の鞄の中に入っています。

　今日盗もうと思って盗まなかったのは病院のタイムカードです。今日は糖尿病の診察に行きました。結果はHbA1cが6．8％でとても悪かったです。体重は88kgでした。私の標準体重は65kgです。
　病院の検査に行く途中でタイムカードが誰でも取れるように置いてありました。私はそのタイムカードを見て、この人たちは私より高い給料をもらっていると思いました。看護師だったりして働こうと思えばいつでも高いお給料で働けるんだと思いました。
　そうしたら憎たらしくなってタイムカードを抜き取って捨ててやろうと思いましたがそれはしませんでした。

　土曜日にはパート先でうまくいっているというシェアをして日曜日にはパートに行ったのですが、月曜日には朝電話をして「体調が悪いので休ませてください」と言いました。そして麻布に来ました。
　私が痩せて糖尿病が良くなっても先生は「治ったんだからどっかに行け」と言わないでしょうか。とても不安です。少し良くなったとしても今と同じように私のことをちゃんと見ていてくださいねと言いたいです。

　私は良くなっていません。体は悪くなっています。
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   <title>言わなくてはいけないこと、良くなった気がすること（純子さん）</title>
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   <published>2007-09-25T08:27:45Z</published>
   <updated>2009-03-31T05:18:33Z</updated>
   
   <summary>　今日は言わなくてはいけないこととなんだか良くなったような気がするうれしいなとい...</summary>
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      　今日は言わなくてはいけないこととなんだか良くなったような気がするうれしいなということを話します。

　言わなくてはいけないことは盗みをしてしまったことです。
　オープンカウンセリングでも話しましたが、私は盗みをしました。テニススクールのロッカーで鍵がつけっぱなしになっていたのでロッカーを開けて人の財布を取り出して中から1万円を抜いて元に戻しました。オープンカウンセリングで話したときは自分への処罰でいっぱいで私はこんな女なんだよざまあみろとしか思いませんでした。

　でも、斉藤ミーティングで話そうとしたら盗みをしたことは恥ずかしいことだと強く感じました。
　先生のミーティングで話を聞いてくれる人は私にとって大切な人なのに、私は盗みをしてしまったんだよなと思いました。私の話を聞いてくれて、私の良いところも知っている人たちの前で「盗みをしました。」というんだと思ったら、盗みは恥ずかしいと思いました。今日からテニスを週に2回にします。月曜日と金曜日です。
      ===
　良くなっているような気がするのはパート先でのことです。5月の連休明けから小学校に通うようになりました。図書館で出勤簿を押して9：30〜15：30まで小学校の図書室にいてそれからまた図書館に戻ります。
　建前としては小学校の本にバーコードを付けてデータとして管理して図書館の本のデータと連携させるということですが、まだ何も決まっていません。いつからとか、どこが予算を出すのかとか、まったく決まっていないのです。
　カウンターが委託になって人数が余るから、それで小学校にまわされるんじゃないかと思いました。小学校に行っても「何してくれるんですか」と聞かれます。小学校で雇った図書室の人がいるのに何でくるんだと言った副校長もいるし、俺は聞いてないぞと怒り出した人もいるそうです。
　私はどうしていいか分からず、何をしていいかわからない時間が嫌になって二日間も仕事を休んでしまいました。それから斉藤ミーティングで「もうこんなの嫌だ」と言うと先生は「しっかりしなさい」というようなことをおっしゃいました。「あなたには司書の資格があるのだから、今それを使いなさい」というようなことをおっしゃいました。

　小学校の図書室には目録も何もなくて、税金で本を買っているのに1か月前に買った本があるかないかもわからない状況でした。私はほんのリストを作ろうと思いました。実際に図書室にある本のリストです。エクセルで入力すると出版年順、あいうえお順、分類番号順に並べ替えることができます。ISBNがあるかないかで分けることもできます。

　図書館に戻って詳しい人に聞くと、エクセルで入力しておけば、実際にちゃんとしたデータを業者から買う時も無駄にはならないということでした。本当に無駄にならないのか少し不安です。

　A小学校にはOさんという人がいます。Oさんは大学院生で週に一回だけ来る人です。リストを作って本があるかないか確認しようと思っているというと、すぐに協力してくれました。
　2人で手書きでノートに本のタイトルとISBNを書きます。図書館に戻って私がパソコンで入力します。2人でノートに書いているときは原始的だなと思いました。今度ノートパソコンを借りられるか聞いてみます。
　図書館から小学校に通っている人は全部で3人です。水曜日に、私たち3人と図書館の児童担当の人を交えて「今何やっているんですか？」という会議がありました。私はA小学校でリストを作り始めたことを言いました。会議があるということについても先生に相談しました。先生は「場を取りなさい」とおっしゃいました。でも、それはできませんでした。
　B小学校でもリストの話をしました。B小学校にいるのはUさんという人です。今まで私に「何も決まってないのに、こんなところに放り出されちゃって気の毒にね」という感じだったのですが、私がリストの話をしたとたんに「それなら、ここを使いましょう」と言って鍵のかかっている談話室を使えるようにしてくれました。
　「2人いるんだから、午前中はここを使うといいわよ。私が司書教諭の先生に言っておきます」と何やらはりきりはじめました。

　あと、司書教諭の先生にはこちらから話かけなきゃいけないということがわかってきました。二つの小学校の司書教諭は2人とも担任を持っているので授業が終わったわずかな休み時間をこちらから狙っていかないといけません。
　あと、なぜかB小学校の司書教諭は、すれ違いざまじゃないと話ができません。足を止めさせることができないのです。座って話すこともありません。常に動きながら足を動かしながらじゃないと話ができないのです。本や図書室のために立ち止まる時間はないのよということを全身で表現しています。
　でも、ノートパソコンは貸してくれました。

　1年でリストと蔵書点検ができるかわかりませんが1日頭をぼーっとさせて膜を張っているより、今のほうがいいような気がします。
　今まで私は死ぬか、死んだように生きるしかないと思っていました。
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   <title>力の自覚と無力への憧れ（純子さん）</title>
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   <published>2007-09-14T01:56:33Z</published>
   <updated>2009-03-31T05:18:32Z</updated>
   
   <summary>　体のことを話します。私は減量しなくてはいけません今は89．1kgあります。身長...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://iff.s116.coreserver.jp/saito/">
      　体のことを話します。私は減量しなくてはいけません今は89．1kgあります。身長は170cmです。ちょっと前までは91kgでした。
　体重を減らすということの考え方なのですが私は本当は力があるのに、無力を装うあまりに、私の力を脂肪として体の外へ出してしまった感じがします。私が減量して体をしめてもっとうごけるように、走れるようになるということは大袈裟ですが、この世の中で生きようという決意のようなことだと思います。
　頭をぼーっとさせたり、せっかくの自分の力を脂肪として外に出して無力を装うような生活をしてきましたが、そうじゃない日を送ることができたらいいなあと思います。
      ===
　私は力の自覚と無力への憧れがあります。横になって寝たきりの状態でいれば、馬鹿みたいですが、みんなが私をかわいいかわいいと言ってくれるんじゃないかという幼稚な考えをまだ持っています。
　パート先で無力な人、何もわからない人をやったらどんどん居心地が悪くなりました。パートで小学校に行くことになって、やることがないので仕方なくて先生のおっしゃるとおりにしました。
　自分の持っている司書の資格や、こうしたほうがいいと思いますということを表に出したら今まで頭をぼーっとさせるためにかぶっていたお寺の鐘やお椀が取れてすごくスッキリしました。私が考えていることは少しもおかしくなくて普通の場所でも通じるんだと思いました。
　一緒にやっていきましょうと言って協力してくれている図書室の人もいます。重苦しい思いをして、ものすごく重いお寺の鐘の中にいたのは大変だったなあと思います。

　お母さんは私が毎月渡す4万円を両手で受取ってくれます。「ありがとう」「少なくてごめんね」という会話が毎月あります。私の力である稼いだお金が少しは役に立っているようです。
　でも、私は家で寝たきりのようになりたいのです。家で寝たきりのようになって「お母さーん。おかあさーん」とそれだけ言って生活したいんです。

　家で寝たきりのようになってお母さんの名前だけを呼んで生活したいという気持ちが強くなったのは、私が自分の力を自覚しはじめたからだと思います。
　自分の力の表現である私の脂肪をチャンと吸収して動ける走れるテニスで強くなれるような体になりたいと思ったら急に怖くなって、家で寝たきりのようになるんだと思ってしまいました。弱々しくなりたいです。テニスをして脂肪を吸収して動ける体になると言いました。力の自覚はいいのですが、そうすると強くなってしまいます。弱々しくなりたいです。小さくて痩せててふらふらしている人を見ると羨ましくてたまりません。弱々しいほうが絶対にお得だと思います。
　愛されると思います。私がこの体で弱々しさを表現して得をする方法は無力なふりをする以外に何かあるかどうか先生に伺いたいと思っています。
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   <title>私は結婚しないだろう（純子さん）</title>
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   <published>2007-09-10T06:51:38Z</published>
   <updated>2009-03-31T05:18:32Z</updated>
   
   <summary>　お母さんから聞いた結婚生活ではそのほかに2つ聞いてほしいことがあります。 　お...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://iff.s116.coreserver.jp/saito/">
      　お母さんから聞いた結婚生活ではそのほかに2つ聞いてほしいことがあります。

　お父さんがお母さんに電話を変われと言うのでお母さんが電話にでました。その電話は女の人につながっていてお父さんが引っかけた女のひとでした。
　お父さんはお母さんに、私が結婚しているので別れてくださいと言えとお母さんに命令しました。その時にはお母さんはいろんなものをあきらめていたらしく、お父さんの言うとおりに電話口で話したそうです。
　私はこれよりひどい結婚生活を送るだろうと先生はおっしゃるのですが、これよりひどい結婚生活というと血が飛び散るくらいしか思いつきません。
      ===
　あとお父さんが夜に出かけるのでお母さんが後をつけると、お父さんは女の人の裸を覗くためののぞき部屋に行ったそうです。
　働かずに子供のお年玉でのぞき部屋に行く男。これよりひどい男の人というとカタギではない人かしらと思います。

　ともかくめちゃくちゃなお父さんでした。いやな親戚の話ではいつも酔っていてちゃんと話ができなかったそうです。
　お母さんはなぜか私に夫婦のセックスの話をしました。「私はあんまり好きじゃなかったのよね」とそれだけですがそんなこと言わなくてもよかったんじゃないのと思います。
　先生に悪い魔法使いのようなことを言われて少し先が見通せたような気がしました。悪い魔法使いのようなことというのは「あんたは男に恵まれない女だ」ということと「母親の結婚より不幸になるだろう」という言葉です。

　今まで結婚と考えると目の前に厚い壁がドンと落ちてくるようで全然先が見えませんでした。とりあえず結婚したら夫を殺して遺族年金をもらいたいとしか思えませんでした。めちゃくちゃです。
　でも、私は結婚しないだろうと考えるとすごくすっきりします。そうかあ、そうなんだ　という感じです。すごく納得できます。
　もし、このまま結婚しないとすれば、なんとかしてお母さんのマンションを手に入れてあとは自分の遊ぶお金だけを稼げばいいんだと思います。
　パートでもいいから自分の使いたいだけを稼げばいいのです。それってとても楽だしなんだかできるかもしれないと思います。無理しなくてもできそうです。

　私は遊び人だったんだと思いました。今まで真面目にコツコツやろうと思ってもどうもうまくいかなかったのは遊ぶ人だったせいなんだなと思って、気が晴れてしまいました。
　一応お母さんには月に4万円入れています。5万円から減らしてもらって4万円で落ち着きました。あとは遊ぶ人として活き活きした生活をしていればいいのかなと思いました。（続く…）
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   <title>不吉な預言</title>
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   <published>2007-09-07T08:16:51Z</published>
   <updated>2009-03-31T05:18:32Z</updated>
   
   <summary>6月23日 　今日は診察でした。診察の後のディスカッションのときにも先生とお話し...</summary>
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      6月23日

　今日は診察でした。診察の後のディスカッションのときにも先生とお話しました。診察の時に先生が私に「あんたは男に恵まれない女だ」とおっしゃいました。「結婚しようと思えば出来るかもしれないが、あなたの母の結婚より不幸になるだろう」とおっしゃいました。
　不吉な預言者、悪い魔法使いみたいです。

　私はその言葉を聞いて最初なんだかわかりませんでした。というのも私は「お母さんより大変になるだろう」という部分を間違って聞いていたからです。
　お母さんと一緒に暮らすよりも男と一緒に暮らすほうが大変だよと先生がおっしゃったのかと思いました。私はお母さんが大大大好きです。その私がよく知りもしない男と暮らそうとしたら大変だということくらいわかっているよという感じで私は先生の言葉をはじめ聞き流してしまいました。
      <![CDATA[===
　ディスカッションのときに先生は「お母さんの結婚は不幸だったよね」とおっしゃいました。そうです、お母さんの結婚は不幸でした。お母さんより不幸な結婚というと私が目をえぐられるとか、耳をちぎられるとか、夫になる人の常用または売買している非合法薬物によって私が捕まるとか、お母さんより不幸な結婚というとそのくらいしか思いつきません。

　あと、お母さんが経験していない不幸は、結婚しているあいだにほかの女の人がお父さんの子供を産んだことはなかったし、お父さんの暴力でお母さんが骨折したこともなかったと思います。それ以外はお母さんは経験したような気がします。すごい結婚生活でした。

　お父さんはお母さんの実家に借金をしました。他の場所からもいろいろお金を借りる人だったようです。家にお金を入れないのは当然で、それどころか持ち出して行く人でした。お母さんの話だと私のお年玉もお父さんにとられたようです。

　たぶん私が小学校3年生の時に離婚したと思います。それでも私はお父さんもお母さんも大好きなんです。
　でも、どうしてお父さんがそういう人だったか私にはわかりません。そうせざるを得ないどんな理由があったのかしらと思います。お父さん可哀そうだと思います。

　お母さんの結婚による不幸は、私を妊娠したところからはじまりました。私を妊娠したので今より35年以上前のお母さんは幼稚園の先生を辞めました。
　考えてみるとお母さんが現在の私と同じ34歳のときにはもう中学生の娘がいるのです。自分の子供時代を思い出すと力が抜けます。
　私は子供として生きていて、子供がいるというだけでお母さんの力になったのかもしれませんが、お金に困っていたお母さんにお金をあげられなかったし、わけのわからない行動をとるお父さんを助けてあげることもできませんでした。

　お母さんは私を産んだあと次の年に妊娠した子供を中絶しました。とても育てられないと思ったんじゃないでしょうか。そのあと流産して4回目の妊娠で弟を出産しました。私と弟は7歳離れています。お母さんはお父さんと結婚したことで女としての体を傷つけられました。
　お母さんがお父さんと結婚したことで良かったことは私と弟ができたことだと思います。（続く…）

<span class="entsubtitle">斎藤学の講座・ワークショップ</span>

<table width="400" cellspacing="0" cellpadding="2"><tr><td class="gray">講座名</td><td class="gray">日程</td><td class="gray">時間</td><td class="gray">料金</td><td class="gray">対象</td><td class="gray">会場</td></tr><tr><td><a href="http://www.iff.co.jp/event/saito_work/" target="_blank">斎藤学ワークショップ</a></td><td nowrap>9/15、16</td><td nowrap>14:00〜20:00<br />10:00〜18:00</td><td>31,500円</td><td>一般</td><td nowrap>東京麻布</td></tr><tr><td nowrap><A HREF="http://www.iff.co.jp/event/saitoopn/index.html" target="_blank">斎藤学オープンカウンセリング</A></td><td>火</td><td>18:30〜20:30</td><td nowrap>3,000円<br />5,000円</td><td nowrap>一般</td><td>東京麻布</td></tr><tr><td><a href="http://www.iff.co.jp/event/0209parents/index.html" target="_blank">親のための家族相談</a></td><td>火</td><td>18:30〜20:30</td><td>3,000円<br />5,000円</td><td>一般</td><td>東京麻布</td></tr></table>

※開催日については必ず各講座の詳細ページでご確認下さい]]>
   </content>
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   <title>過食は自傷ですか？</title>
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   <published>2007-09-03T06:49:49Z</published>
   <updated>2009-03-31T05:18:31Z</updated>
   
   <summary>4月26日 　私は毎日こんなのは何でもないことだと思ってご飯をどんぶりより大きな...</summary>
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      4月26日
　私は毎日こんなのは何でもないことだと思ってご飯をどんぶりより大きなお皿によそいます。
　私は糖尿病で過食してはいけないのです。私にとって過食は何でもないことではありません。でも、過食しないと眠れません。

　なんでこんなになっちゃうんだろうと思います。過食をしないと私の世界は変わります。そわそわして不安になってきます。
　過食を三日間だけ我慢してわかりました。私は起きている時間が嫌なのです。眠れば何も考えなくてすみます。起きるとパートなり麻布なり出かける場所があります。
      ===
　何でもないことじゃないよ、私は糖尿病の体を傷つけようとしているのにどうして止められないんだろうとは思わずに、頭を麻痺させて黙々と食べます。

　今は過食をしないですむようにという、お祈りの日々に戻る気持ちになりません。過食をしなくても食べちゃうかもしれない、食べちゃうかもしれないとずっと考えていました。

　麻布に来たばかりのときはやる気でケンカ腰でした。自分から来て手続きをしたくせに「治療だと？治せるもんなら治してみろ」という態度でした。過食はまだ続いていますが、麻布に来たばかりのときはもっと衝動的で怒っていたと思います。

　今よりずっと自分に厳しくて途方もない要求を自分にしては、出来ないことを責め立てていました。たとえば「この年で正社員じゃなくて結婚していない女は人間じゃない」とかです。

　今も多少はそういうところがありますが、「こう思っています」と言える場所があるし人の話も聞けるので自分だけに集中しないですみます。
　麻布に来る前は自分を責める気持ちと一人で戦っていました。
　あのままだったら30代にはなれずに死んでいたかもしれません。私は26歳の時に麻布に来ました。

　月曜日に境界性人格としての本領を発揮して暴れてやろうかと思いましたが、私は次の日もその次の日もパート先で普通に過ごしてかえってきました。
　前は私の怒りや衝動的な部分がふわふわと夏ミカンくらいの大きさでいくつもシャボン玉のように私の周りにありました。だから風が吹いても動かされてしまうし、怒りや衝動的な部分がすぐに人にぶつかります。怒りや衝動的な部分が夏ミカンくらいの大きさでいくつもシャボン玉のように私の周りにあったのです。

　月曜日に感じたのは境界性人格のようにふるまおうと思えばできるけど、怒りや衝動的な部分はいつのまにか私の中心にあって私の力としてしっかりしたものになっているということでした。
　私は怒っていたので体の中心でシュワシュワとなって怒っている部分をしっかりとつかむような動作をしました。「私はこれを使える」と思いました。そう思ってニヤッとしました。ひょっとしたら境界性人格まっさかりの時よりも私は怖い人になったんじゃないかと思いました。

　今の私は自分の怒りのエネルギーを相手に効果的に使うためにどうすればいいか考えることができます。もし憎たらしいと思えば一番相手にダメージを与える方法で怒りをエネルギーとして行動することもできるのです。私って怖いなと思いながらにやにやしてしまいました。

　前は私がどんなにおかしいかを世の中に見せつけてやろうと思っていました。世界と自分とが完全に離されていて、ちゃんと働くというような世の中のルールには従えないと思っていました。私を排除したものに復讐してやるんだと思っていました。

　今もまったくそういうものが無くなったわけではないし、よくゴツンゴツンとぶつかりますが、こちらから頭を下げて世の中の一員として入れてくださいという気持ちもあります。
　私は役所のパートならできるようだし、そこではパートさんとして要求されることをしよう。でも、週五日そこにいると息が詰まってくるので働くのは少しにできるといいなと思います。

　私は何もできない。私を何もできないものとして排除した世の中に復讐するんだという気持ちは前と比べると本当に少なくなったと思います。
　木曜日にディスカッションのときに先生と話しました。「糖尿病である私にとって過食は自傷ですか？」と聞いたら先生は「そうだよ」とおっしゃいました。そのあとで「私がダイエットできるようにデブとかブタとかきつい一言を言ってくださいとお願いしたら、先生はその必要はないとおっしゃいました。それはあなたがさみしくて怒っているしるしだよというようなことを先生はおっしゃいました。

　あとで先生がおっしゃったことはこういうことなのかなと思いました。糖尿病である私にとって過食は自傷だけど先生はそれを責めるがわにはまわらないよと言ってくださったのかなと思いました。

　そして私が太ったり少しだけ体重を減らしたりすることは、先生にとって大事なメッセージだと言ってくださったことを思い出して、私は少しだけ涙がでました。
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   <title>特別じゃない私（純子さん）</title>
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   <published>2007-08-31T01:51:45Z</published>
   <updated>2009-03-31T05:18:31Z</updated>
   
   <summary>4月17日 　先生との対話の中で「私のお母さんは私に対立的じゃなかった」とおっし...</summary>
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      4月17日
　先生との対話の中で「私のお母さんは私に対立的じゃなかった」とおっしゃいました。そのとおりだと思います。

　私は自分が特別ではないということにいまだに我慢できません。先週は私たち3人を食べさせてくれたおじいちゃんおばあちゃんに対する悪口をたくさん言ってしまいましたが少し反省しています。それになんだかんだいって私は特別な子供でした。小学校にはいるまでは。
      ===
　先週は11人で一つのお風呂を使っていたと言いましたが、私と弟ともう一人7歳年上の人を除くと周囲はみんな大人でした。
　私はおじいちゃんおばあちゃんにとっては初孫でした。私は9人の大人に取り巻かれた子供だったのです。

　私は鼻高々でした。ところが小学校に行くと特別なはずの子供という生き物がたくさんいるのです。「あれ？」と思いました。
　何でこんなにいるんだ、私だけが子供で特別なはずなのにと思いました。

　私が今特別じゃないなと感じるのは満員電車の中です。
　満員電車の中で「私は特別！」と主張しても迷惑なだけです。ギュウギュウに押されて電車の揺れと一緒に右に行ったり左に行ったりしていると私って本当に特別じゃないよなと思います。
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   <title>シェアの下書きは私の分身（純子さん）</title>
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   <published>2007-08-27T01:43:00Z</published>
   <updated>2009-03-31T05:18:31Z</updated>
   
   <summary>4月15日 　先生に「褒めて」と言って褒めてもらったことが2回くらいあるので褒め...</summary>
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      4月15日
　先生に「褒めて」と言って褒めてもらったことが2回くらいあるので褒め返しをしたいです。でも、褒めるという言葉は目上の人に使うと失礼な感じがするので先生のすごいなと思うところを言います。

　木曜日の境界性人格についての講義のあとのディスカッションのときにも言いましたが、先生は「ああしなさい」とか「こうしなさい」とかおっしゃいます。私がパートを辞めると言い出すと「辞めちゃダメ続けなさい」と言ってくださいます。
　そういうところがすごいなと思うのです。
      ===
　先生は私たちの話を聞いて、私たちの耳に心地いいことだけを言って知らん顔していることだってできます。そうしてもいいんです。でも先生は怒っている時もあるのでしょうが「何やってんだ、この馬鹿」みたいなこともおっしゃいます。
　自分が言われるとショックだし嫌だし先生に対してこの野郎と思うのですが、でも先生は本気なんだなと思います。本気で私たちの生活に関わってくれようとしているんだと思います。

　先生は木曜日に「それは40年の臨床経験があるからだ」というようなことをおっしゃいましたが、それだけじゃないと思います。先生だからだよと思います。人と本気でかかわろうとするのは大変なことだろうと思います。

　私が「先生の言うというりにお見合いをしてもうまくいかなかった」というやつあたりのような見当違いな怒りをぶつけたときも先生はそこにいてくださいました。先生は偉いしすごいし不思議です。なんでそんなことができるの？私たちがすきだから？と思います。

　褒め返しはここまでです。木曜の講義で印象に残ったことは先生が「焦ったり焦らせたりしてはならない」とおっしゃったことです。
　境界性人格の人にとっては長く続く場所や人との関係自体がほとんど人生で初めてのようなものなんだ、治療者としては早く治して社会に出して治療する場所との縁が切れることを願っているし、章で化ければ何かしているような気にならないこともあるけれども、関係が続くこと自体が画期的なことなんだから患者を焦らせたり治療する側が焦ってはならないというようなことをおっしゃっていたと思います。
　私はそれを聞いてそのとおりだと思いましたが面白いなとも思いました。

　私はよく焦ります。なんだか嬉しいからというだけで麻布に来ていいのかなと思っています。私は全然変化していないし何もしていないしダラダラしているだけだと思ってしまいます。

　そうやって私が焦っている時に先生も私を見て「こいつはこんなにだらだら通っているだけでいいのか。何かさせなくちゃ」と私と先生で焦りを共有していることがもしあるとしたら、何だか不思議で面白いです。先生も焦ることがあるのかなと思いました。

　先生が好きなので先生に何かあげたいです。お金で買えないものをあげたいです。先生にそう言ったら「文章がいいよ」とおっしゃいました。私はうれしくなりました。シェアの文章をコピーしてあげようと思いました。

　シェアの下書きは私の分身です。私の分身が先生の所に行ったと思うと先生に受取ってもらえて先生の所にいるんだと思うとうれしくてたまりません。
　私の分身は先生のお部屋のどの辺にいるのかなと考えます。すごく古い書類の所にいるのかな？他の人のお手紙と私のシェアの下書きが一緒の所にいて仲良くお話しているのかなと思います。
　だから先生にシェアの下書きを渡したくて仕方がないのです。

　先生に思考記録表を渡していた時がありました。毎週1年以上にわたってシェアする前に先生に思考記録表を渡していました。もし私の書いているシェアの下書きに力があるならそれは思考記録表を書き続けたからです。

　先生に思考記録表を渡していたときに先生は3回だけ受け取ったはずの思考記録表を702に置きっぱなしで部屋を出て行ってしまいました。
　私はいつかそういうことがあるに違いないと思っていました。私にしては素早く立ち上がり先生の席のそばにある忘れられた思考記録表を取って、階段を駆け下りて先生を追いかけました。「先生これ、先生これ受け取ってください」と言ったと思います。先生は3回ともごめんねと言ってくださったと思います。

　私はミーティングの間中ずっと私の思考記録表から目が離せませんでした。先生が私の分身である思考記録表を懐に入れてくださるのかどうかが心配でした。今日は先生に何かあげたくて仕方がなくてシェアの下書きを持ってきました。さんざん文句を言ってしまいましたが、どうかシェアの下書きを受取っていただけないでしょうか。お願いします。
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   <title>何も考えないように何も感じないように（純子さん）</title>
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   <published>2007-08-20T07:17:54Z</published>
   <updated>2009-03-31T05:18:31Z</updated>
   
   <summary>　3つの家でお風呂があるのはおばあちゃんの家だけでした。11人で一つのお風呂を使...</summary>
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      　3つの家でお風呂があるのはおばあちゃんの家だけでした。11人で一つのお風呂を使っていました。お風呂は汚かったです。お湯は毎日取り替えられるわけではなくて、今でも腐ったバスクリンのむっとしたお風呂のお湯のにおいと、湯垢が積もって足で字が書けそうな、ヌルヌルふわふわした湯船のそこの感触をおぼえています。

　お湯の表面に浮いた垢を取るためのアミも用意されていてそれを使っていました。
　私のお風呂の使い方はそんなお風呂よりもさらに悪かったらしくて「純子の後は汚いから入りたくない」とおじいちゃんに言われていました。　その日結局おじいちゃんは入浴しなかったりするので、おじいちゃんの後に入らなくちゃいけない私も入浴はできませんでした。
      ===
　お金がなくて毎日夕飯を食べに来る私たち三人は歓迎されていないと何となく感じていました。
　私はさみしかったです。お母さんはお金とお父さんのことでいっぱいでした。オジサンたちはお母さんを馬鹿にしていました。馬鹿な男に引っ掛かって子供を二人も産んで、自分が馬鹿な事をするのは構わないけど俺たちの手を煩わせないでくれよなという態度でした。
　働かずにおじいちゃんの家でぶらぶらしているオジサンたち二人はそんなでした。

　お母さんはそんな自分の弟たち二人に頭を下げて私たち姉弟を保育園に連れて行って欲しいと頼んだりしていました。就職の面接に行くためです。お父さんが働かないこともお金のことも私にはどうにもできません。
　私は無力感とさみしさに打ちのめされないために、私が悪いのかもと思うことにしました。私が悪いということにすれば、私さえ良くなれば周囲の環境も良くなるかもしれないのです。

　よい子である私をお母さんにアピールすることで、忙しすぎるお母さんの目を私に向けさせたかったのです。
　良い子である私を周囲に見せることで、私やお母さんや弟に対する、オジサンおじいちゃんおばあちゃんの迷惑そうな態度を変えさせることができるかもしれないと思っていました。
　私はさみしくて何もできないこの状況を自分が悪いと思うことで自分が良い子になることで、私が動かせるもの何とかできるものだと思いたかったのです。

　状況を変えたいさみしいのにしくてしょうがない。良い子になるから私のことを見て頂戴、良い子になるからお父さん私の所に戻って来てという私の願いはかないませんでした。
　私は悪い子だからお母さんは忙しいし、お父さんは働かなかった挙句にどっかに行ってしまったんだ、良い子になれば少しは良くなるに違いないという私の無理な努力は長くは続きませんでした。

　私は中学に上がるくらいの段階で「もういいよ」と思ってほとんどすべてを投げて、学校に行かないことを理由に病院に入院しました。
　入院した先では何も考えないように何も感じないようにして過ごしました。「もういや」だったからです。

　一週間に二回くらい神経科の外来に行ってあとの時間はずっと小児病棟でした。私は学校に行かないということを理由に入院しました。入院したところでは編み物を教えてくれたり優しくしてくれる看護師さんもいました。
　私はそこに合計で三年間くらい入院しました。私が小学校の時にとても欲しかったものをもらいました。私が歯を磨いているか顔を洗っているか時間どうりに行動しているかについて誰かがいつも気にかけてくれるということです。
　小学生の私の清潔さや寝る時も次の日も同じ服を着たままでいるということを注意してくれる大人は家ではいませんでした。私は関心を持たれていないと思っていました。

　私は病院で何もしなくても何も感じなくても時間は過ぎていくんだと思いました。周囲の状況に怒って「もう何もしないから、もう嫌だからね」という私のサボりはあの頃からまだ続いています。

　入院中は雪が降り積もるように私の現実感覚は無くなっていきました。世界と自分との間の壁は厚くなり、何も通さないようになっていきました。
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   <title>過食は愛を食べることかもしれません（純子さん）</title>
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   <published>2007-08-17T07:03:57Z</published>
   <updated>2009-03-31T05:18:30Z</updated>
   
   <summary>純子さんのミーティングでのシェアをご紹介します。 4月14日 　純子です。 　私...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://iff.s116.coreserver.jp/saito/">
      純子さんのミーティングでのシェアをご紹介します。

4月14日

　純子です。
　私は毎日「今日こそは過食をするまい、しないようにしよう」と思いながらパート先を出ます。
　「今日こそは過食をするまい、しないようにしよう」と思いながら毎日過食をしています。

　食べ物が勝手に口に飛び込んでくることはありません。
　私は毎日ご飯をよそったりスーパーでお菓子を買ったりしながら、体に食べ物を詰め込んでいます。

　食べ物を口に入れないと何もできません。パート先から食べ物を買わないで家に帰ろうとすると、途中で体が石になっていくようなきがします。
　自分の目が据わってきて、体が石のようになって感覚が無くなってきます。「こんな生活やっていられるか」という気持ちを全身から湯気のように立ち昇らせています。
      ===
　過食をすると慰められます。おなかが暖かくなって満たされてにこにこした感じが出てきます。
　何とか過食が無くなる方法はないかしらと思っています。しかも楽をして過食が無くなる方法はないかなと思います。

　悲しいときのお話をすればいいのでしょうか。私の身につけているこのたくさんの脂肪は言葉にシェアに代えられそうなきがします。でも、さみしいし脂肪であっても無くなってしまうのは少しだけ嫌です。
　私は体脂肪率が40％以上あります。体重88kgなので私の30kg以上の脂肪をシェアに替えるとノート何冊分になるのかしらと思います。

　前から読みたかったクレプトマニア特集を読みました。私も少し盗みます。それでも麻布に来てからの生活は、私の今までの中で一番嘘と盗みが少ない時間です。このあいだ盗んだといった弱視の人の眼鏡の部品は彼女がいない時にこっそりと机の上に戻しておきました。

　私は過食をすることでさみしいとか、怒っているとか自分が受け入れたくない部分を遠くにやってしまいます。
　遠ざけられた私の一部は「こんなにさみしいのにどうして私自身と一緒にいることも許されないのだ」と猛烈に怒って過食します。

　ほかの方がおっしゃいましたが、過食は愛を食べることかもしれません。さみしいので手近にある愛に似たものに手を出してしまうのでしょうか。
　本当はお腹じゃなくて私が満たされたいのです。過食をしなくても暖かくて満ち足りてのんびりした気持になりたいのです。

　これもほかの方がおっしゃったことですが、さみしいのに耐えられなくて自分が悪いと考えるようになるのかしらと思いました。
　私の子供のときは、お金がありませんでした。お父さんは働かず家からお金を持ち出してお母さんも無職でした。お母さんは長崎ちゃんぽんのお店に夜にパートに行っていましたが、家にお米がなかったので、おばあちゃんの家にお夕飯を食べさせてもらいに行っていました。
　お風呂も無かったのでおばあちゃんの家のお風呂に入っていました。テレビも無かったのでおばあちゃんの家で「一休さん」という番組を見せてもらっていました。おばあちゃんの家では食事のときに「自分の箸と茶碗がないなんてほんとうにお前の家はおかしい」とおばあちゃんから言われていました。
　テレビも見せてもらえるのですが、消したとたんに「ああ静かになった」と言われていました。おばあちゃんが嫌みで意地悪な人だと長いあいだ気がつきませんでした。

　私の家とおばあちゃんの家とおじさんの家は道路から奥まった所にコの字型に向かい合って建っていました。
　土地も家もおじいちゃんの名義で建てたのもおじいちゃんでしたが、おじいちゃんは婿養子でした。もともとおばあちゃんのお母さん、私からいうとひいおばあちゃんのものでしたが、ひいおばあちゃんが死んでおじいちゃんのものになったのです。
（続く…）
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   <title>技術家庭科（友子さん）</title>
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   <published>2007-07-30T04:51:57Z</published>
   <updated>2009-03-31T05:18:30Z</updated>
   
   <summary>　小学校１年生の時、先生のお説教に反抗して廊下にたたされましたが、担任が変わった...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://iff.s116.coreserver.jp/saito/">
      　小学校１年生の時、先生のお説教に反抗して廊下にたたされましたが、担任が変わった小学校２年生の時も廊下に立たされました。
　クラスの仲間はそのまま持ち上がりで同じでしたが担任だけが変わりました。

　小１のときの村田先生は私を廊下に立たせた時以外は柔和でやさしくて顔色も良くてニコニコしていましたが、小２のときの野崎先生は普段から笑顔などほとんど見せることもなく土気色のような顔色をしていていつも厳しいことばで生徒たちを指導していました。

　ある日、あまりにも厳しかったのでその直後の休み時間に、自然にあちこちに人の固まりができて、厳しくいわれたことの緊張をほぐそうとするような会話が交わされました。
　その言葉の中に「１年生のときのＭ先生の方がよかったね」ということばがあったのです。
　そして多分それを誰かが当のＮ先生に言いつけたらしかったのです。
      ===
　その日だったかその次の日だったか、こんどはそのことに対する追求がはじまりました。

　「Ｍ先生のほうがよかったね」という話をした人は手を挙げなさい。

　何人かが手を挙げました。

　先生はそれでもまだ「正直に言いなさい」と言ってそれ以外の人が手を上げるのをじっと待っていたのです。

　その事件が起きた休み時間のとき、私はすぐには席を立ちませんでした。

　私は自分のいすがおしっこで濡れているし、休み時間は宿題をこなさなければいけないのでいつもあまりすぐには席はたたず、皆が外に飛び出して誰もいなくなった頃とかにやっと立ち上がるとかしてました。

　その問題の休み時間のとき、７人から１０人くらいの生徒が私の机の周りに集まってきて、私の席の周りで私の席を囲んでその話が話されたのです。
　でも私はそこに居ただけでその会話に気持ちが参加していなかったのでＮ先生がこの問題を取り上げた時、私は何のことをいってるのかわからなかったくらいです。

　私は小１の時、Ｍ先生に放課後暗くなるまで立たされたことがあったのでＭ先生がやさしいとも思っていなかったし、２年生のときのＮ先生は父よりやさしいから厳しいとも思っていなかったので、あいづちさえうたず一言も発せずただ客観的に皆の話を聞いていただけでした。
　私にはいつも迷惑だったのですが、私の周りにはいつも人が集まってきていました。

　私は同級生より頭一つくらいは背が高く、おちついていて無口だったのでどういう訳か皆に頼られる存在になっていました。
　それでその時皆は、Ｎ先生に厳しく叱られたショックを私のところへきて癒そうとしたのだと思います。

　Ｎ先生は半眼の冷めた目で「正直に言いなさい」を繰り返し、どうももしかしたらその狙いは私にあったかもしれません。

　経過は忘れましたが、私が皆で悪口を言ったことの首謀者でしかも手を挙げなかったために、私は嘘つきを言うことになり、またしても私一人が廊下に立たされ他のクラスの先生や生徒の見せ物になりました。

　３年生の時、体操授業終了後の着替え中、友人の怪我が発覚し、しかも保健室の先生が見当たらないというので、友達のことを心配してまだシャツのままなのを忘れて私は学校中を走り回って保健の先生を捜しました。
　しかしそれとは別のところで保健の先生はみつかりました。

　それをみていた先生が私に冷笑を浴びせかけました。それは子供を見下す目であり、服を着替えないで走り回る子供の事情を理解した上でシャツ姿の私をせせら笑うと言うような目で笑っていました。

　私がもし逆の立場だったら、もっと暖かい目で見て「保健の先生もう見つかったからあなたも早く着替えなさい。」と言ってあげられたと思います。

　それ以降というものは私はもう大人を重大視していませんでしたし、特に信じてもいませんでした。
　どちらかというと大人はどうも子供たちよりつまらないものだと思うようになっていました。

　しかし、不覚にも教科書だけは絶対に信じてしまっていたのです。

　今は教科書のまちがいをとりあげるテレビ番組があったり、ニュースで教科書問題が取り上げられたりしていますので教科書といえども、あながち正しいものでもない、ということは一般的に知られていますが、当時はそうではありませんでした。
　その頃の私は身近に居る大人は信じなくても教科書は信じていたのです。

　私のそれまでの教科書はほとんど兄達の使い古しで新品の教科書はあまりありませんでした。

　５年生になって家庭科の授業が始まり、男子と女子は別々の教科書になり、うちには女子の家庭科の教科書はなかったので、授業の始まる前の休み時間に私にしてはめずらしい新品の教科書がうれしくてパラパラとめくったりしてみました。

　そして表紙をめくって見開きのところの最初の言葉を見て私は凍りつきました。その本には開口一番「家庭とは安らぎの場である。」と書いてあったのです。
　頭から冷水を浴びせかけられたようでした。「エッ？　まさか？　そうだったの？」

　家庭がどうかなんて自覚さえなかったけれどまさか「安らぎの場」であるなんて天地がひっくり返るようなショックでした。
なにがどうショックだったのか正確には分析できません。

　とにかく息が止まるほどショックで足もとがグラグラし気が遠くなりそうでした。
　教科書にそう書いてあるということは一体どういうことなのだろう？と考えました。
　しかし次の瞬間ハッとしてあたりをそーっと見回しました。ショックを受けている自分をクラスの友達にみられたくありませんでした。
「家庭とは安らぎの場である」ということばにショックを受けていることを知られたくありませんでした。

　幸い、その時私を見ている人は誰もいませんでした。その時私の価値観の天変地異がおきました。
　自覚しないときにはなんでもなかったのに、クラスの友人たちとの距離がグーンと遠くなりました。

　それまではただ起きている出来事をたんなる事実として受け止めているだけのことだったのに、こんどはその事実を世の中から隠さなくてはならないというような気持ちになってしまったのです。
　自分の家のあり方に対する罪悪感が生まれました。

　毎日おしっこをもらしてただでさえ不潔。しかも私はお風呂に入るときに使う体力が惜しくて毎日なんとかかんとか言ってお風呂を逃れ、忙しい両親はそれに気づくこともなく、長いときは１ヶ月くらいは風呂に入らないで過ごしており、それも不潔。

　それにこの犯罪者感覚が加わったので、自己評価はどんどん低くなり、しかも自分はいつも不潔でいつもあたりにくさい臭いをまきちらしているのだろう、そしてそれをいつ誰かに指摘されるのだろうと思ってびくびくして心はいつもちぢこまっていました。　

　しかしこれは内面の姿であって、外側ではいつもひとに持ち上げられ委員会とか学級活動では投票されて表舞台に立たなければならず、外面的生活と内面的生活のギャップはいやが上にも大きくなっていったのですが、小学生の私にはそんなことを客観的にとらえる力もないので、私の感情は世の中というものからどんどん遠いところにおしこめられていって、いつも自分は自分の他には誰もいないところたった一人だけのところに生きていました。
（友子さんの連載は今回で終わりです）
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