カテゴリー「新Q&A3」の一覧
2006年06月09日
麻原被告との接見(1/3)
「東京新聞・本音のコラム」から連続3週分を転載します。いずれも麻原彰晃こと松本智津夫被告との接見に関することです。
5月24日朝刊
4月25日に小菅(東京拘置所)へ出かけた。裁判所から依頼された精神鑑定の場合は正門から入って面接室で被検者に会うのだが、その日はいわゆる接見に過ぎないので、門を通りすぎた道を右に折れる接見者用の入り口から入って30分だけ素通しのアクリル板越しに会う。数年ぶりだが随分きれいに改装されていた。
===
その日の接見の相手は麻原彰晃と呼ばれていた人である。
彼について東京高裁が控訴棄却した件について、この欄で書いたものが弁護団の目にふれたらしい。接見のお誘いを受けた。
この人物については高裁から依頼された西山詮氏の精神状態鑑定書以外に6人の精神科医が「意見書」を寄せており、それらを通読させてもらいたいということもあってお誘いに乗ることにした。
私の「印象」については、いずれ意見書をと言われているのだが、それ以外の媒体に書いても構わないということなので、ひとまずここを使わせて頂く。
許された30分の接見時間のうち、最初の15分は付き添ってくださった弁護士さんとの「やりとり」を拝見させて頂いた。車椅子に乗せられた被告は清潔で温和な表情をしており閉眼、無音(無言ではない)を維持し続け、左右の手、特に右手でしきりに左右の脚、腰、胸、脇、髭のついた顎をさする常同運動を続けていたが、手が顔を撫でることは、少なくともこの間にはなかった。
その後の15分に起きたことについては来週にまわす。
(斎藤学、精神科医)
![]()
[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ][↑ページ上端へ]
2006年06月12日
麻原被告との接見(2/3)
(続き)
5月31日朝刊
前週に続き麻原彰晃と名乗った人との接見の様子を述べる。
許可された接見時間30分の前半15分については先週述べた。付き添った弁護士に絶えず話しかけてもらったが、その間麻原氏は無言・無反応であった。両手でしきりに躯幹(反対側の脇の下など)をさする動作を繰り返したが、手が顔に触れることはなかった。
15分経ったところで私は突然声を出し、「私は『病気のフリをする者(詐病者)』と『ヒステリー』を見分ける専門家だと名乗った。私が自分をそのような者と考えているのは嘘ではない。
===
「ところで」と私は続けた。「あなたは治療を望んでいますか? もしそうなら左手で鼻を押さえてください」。一見なんの反応もないかに見えたのだが、数分後彼は額から顎にかけて左の手のひらでスルリと顔を撫でた。
そこで私は言った。「左手を鼻にあてましたね。でも今のでははっきりしません。確認のため、右手を鼻の頭に載せてください」と頼んだ。
こんどは待つ間もなく左手が顔を、つまり鼻を撫でた。工夫さえすれば、この人物との意志の疎通は出来るかも知れないと、その時思った。
この時点で接見時間は残り五分を切っていたので次のように言った。「私はあなたを治療できるかも知れません。でもあなたに『また来て欲しい』と言ってもらえないと、私はここに来られない。もしそうお望みなら両手で頭の後ろを触ってください」。
この動作がなされることはなかった。
(斎藤学、精神科医)
![]()
[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ][↑ページ上端へ]
2006年06月13日
麻原被告との接見(3/3)
(続き)
6月7日朝刊
2週にわたって麻原こと松本被告との接見の様子を述べたのは、私にできる形でその様子を伝える責任があると思ったからだ。
この間、弁護側は東京高裁に対して「控訴棄却の異議申し立て」をしていたが、高裁は5月29日付でこれを却下した。それ自体は予測されたことだ。しかしその要旨に「被告に治療を施して裁判を行なうという選択肢も考えられなくもない。しかし(中略)控訴棄却決定は免れようがない。そうすると被告に治療を施したところで結論に変わりはなく、裁判上、治療自体にさして意味があるとも思われない」とあるのはおかしいと思う。
===
裁判というものは、その過程を通じて国民に「何が起こっていたのかを知らせる」という責務を負っていると思うからだ。
松本被告が何らかの治療可能な精神障害に陥っていることが考えられるとするなら、治療プロセスに載せ、コミュニケーション能力を回復させたうえで彼の思うところを聞くという手続きは、司法的判断とは別にしても踏むべきではないか。
先週述べたように、何らかの工夫によって被告との意志の伝達は可能ではないかと私は思う。ただし拘禁反応(一種のヒステリー)と偽痴呆(詐病)との鑑別はかなり難しいことになるだろう。
このことはPTSDに伴う解離性フラッシュバックや解離性同一性障害(多重人格)など、現代版ヒステリーに対処する日々を過ごす私が、常々実感させられているところである。
(斎藤学、精神科医)
![]()
[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ][↑ページ上端へ]
2006年06月14日
「変質者(デジェネレ)」について(1/3)

以後の会話は雑誌「アディクションと家族」の編集会議でのものである。次々号の特集「クレプトマニア(窃盗癖)」の総論を誰に書いてもらおうかと話している中で私は、この用語はもともと古典フランス精神医学のモノマニー論から出てきて、それは「変質者」概念と密着したものだったと語った。ここから話題は変質者に見られる変質徴候の話題に飛んだ。
(Q)そういえば斎藤先生は、映画「羊たちの沈黙」や「ハンニバル」に出てくるレクター博士はフランス流変質者の流れを汲んでいると言われてましたね。
(S)医学用語として始まりながら世間に広まり過ぎて誤用されるようになり、ついには医学用語から追放されるうきめをみたという用語は多いですね。「ヒステリー」がその代表ですが、フランス精神医学に始まる「デジェネレ(変質者)」もそのひとつです。
===
これは19世紀にフランスの精神科医ベネディクト・モレルによって提唱された概念です。
神によってエデンを追放されたアダムは原罪による堕落によって自然界の諸々の影響を受けるようになり劣化(変質)という形で遺伝という宿命を負うようになったとモレルは考えたのです。このために健康人の中にときおり、早まった劣化が現れる。それが変質者だというのです。
彼らは神から悪魔へと向かう「変質徴候(スティグマータ)」を持ち、遺伝による劣化が世代ごとに強まって結局は絶滅にいたると考えました。
今となっては宗教的な妄論と考えられてしまうでしょうね。しかし遺伝による絶滅という考えかたの中には当時流行の進化論の影響も見られるのです。しかも、この概念が精神医学に寄与したところは少なくありません。というのも、精神医学はその発生の当初から社会の安寧秩序の維持に奉仕させられてきていて、どの時代でも犯罪者や逸脱者を特定したり矯正したりする仕事を委ねられてきたからです。
犯罪の少なくとも一部が変質者という変質徴候を持つものによってなされ、その徴候は遺伝するということになれば、これは便利ですよね。精神科医の中には、この種の単一説明モデルに憧れる部分がいつだってあるのです。
ただ、モレルの変質概念だと聖書的記述が鼻につき過ぎますので、これがはずされたうえで更に洗練されました。
これをしたのは古典的フランス精神医学の統合者とも言えるヴァレンティン・マニャンです。マニャンは変質徴候を精神的なものと身体的なものに分けて記述していますが、精神的変質徴候とされたものの中には名称強迫(オノマトマニー)、計算癖(アリスモマニー)、渇酒癖(ディプソマニー)、窃盗癖(クレプトマニー)、放火癖(ピロマニー)、乱買癖(オナマトマニー)などの「モノマニー(単一狂)」や、反響言語(エコラリー)、汚言症(コプロラリー)などの言語性チック、獣姦嗜好(ズーフィリー)を初めとする性対象倒錯や性倒錯などの「フィリー(病的嗜好)」と称されるもの、それに殺人衝動や賭博癖などが含まれています。
![]()
斎藤学の講座・ワークショップ
| 講座名 | 日程 | 時間 | 料金 | 対象 | 会場 |
| 斎藤学ワークショップ | 6/17 18 | 14:00〜20:00 10:00〜18:00 | 31,500円 | 一般 | 東京麻布 |
| 斎藤学オープンカウンセリング | 火 | 18:30〜20:30 | 3,000円 5,000円 | 一般 | 東京麻布 |
| 親のための家族相談 | 火 | 18:30〜20:30 | 3,000円 5,000円 | 一般 | 東京麻布 |
※開催日については必ず各講座の詳細ページでご確認下さい
[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ][↑ページ上端へ]
2006年06月15日
「変質者(デジェネレ)」について(2/3)
(続き)
「クレプトマニー」はここに登場し、それは変質徴候のひとつと考えられていたのです。この一覧表をごらんになれば「嗜癖学的人間論」の唱道者を任じる私にとって見逃せない考え方だとわかるでしょう。
ちなみに身体的な変質徴候としては吃音、斜視、短躯、奇形、大頭症、小頭症、左利き、それに流産、早産、多産、無出産などが含まれていました。
更に魅力的なのは、これもマニャンによる優秀変質者(デジェネレ・シュペリェール)という概念です。これは天才的な創造性を持った犯罪者のことです。
マニャンはやがて神学の尻尾を持った「変質者」という用語を捨てて、「優秀不均衡者(デゼキリーブル・シュペリェール)」と呼び変えました。
===
天才的で奸智に長けた犯罪者とは知り合いになりたくはありませんが、このイメージは我々の空想を刺激しますよね。詩人で乞食で同性愛の窃盗犯ジャン・ジュネが魅力的なのは、こうしたイメージが背景にあるからだと思います。
ジュネのような人物や謎めいた犯罪に接するたびに私たちはどこかでモレル/マニャン的な人物像を思い描いてしまうのです。
(Q)面白いですね。そういうことを今度の特集の中で書いてもらえませんか?
(S)1970年代のはじめにフランスに留学したときは、こんな古い文献ばかり読んでいたのです。ところがその時に翻訳したメモが見つからない。もう30年以上前のことですからね。あれから随分引っ越したし、これからまたマニャンを読むのは億劫だ。もうすこし探してみますが。
ところで、モレルの提案はイタリアの精神科医チェザーレ・ロンブローゾの研究意欲を刺激しました。ここからの話がまた面白いのです。ロンブローゾは、モレル的な「悪の素因(変質徴候)」の存在を確信していまして、刑務所の犯罪者たちを熱心に面接し、彼らの全身、特に顔面と頭脳を計測して「変質徴候」の発見に努めたのです。
今となっては、やや見当違いだったというほかありませんが、ここから骨相学が始まり、現在の脳計測学へと発展したことは確かです。マニャンが用いた「不均衡者」という用語も、ロンブローゾの「精神不均衡」からきていたはずです。
ドイツのクレペリンが「早発痴呆」と「躁鬱病」という二大疾患を軸に精神病を体系づけるようになると、マニャンのモノマニー論は色あせ、マニャン自身がクレペリンの早発痴呆(デメンチア・プレコクス)のフランスにおける導入者になりました。それと共に精神医学の中から「変質者」という言葉は消え、今では新聞や週刊誌の中でしか見られなくなっています。しかし「優秀変質者」という用語のもたらす空想の広がりは私たちをとらえ続けていて、例えば「羊たちの沈黙」における6本指の精神科医ハンニバル・レクターのような形で、時々よみがえるのです。「ハンニバル」でのレクターは明らかにイタリア文化の中に生きていますよね。この人物造形の中には明らかにロンブローゾ的なものが見られると思います。
[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ][↑ページ上端へ]
2006年06月16日
「変質者(デジェネレ)」について(3/3)
(続き)
「変質者」概念が消えたとはいえ、「悪魔的に冷血な犯罪」そのものは絶えたわけではありませんから、それを犯す者に素因的な裏付けがあるのではないかという考え方は連綿と続いています。例えばアメリカの犯罪捜査で用いられる「サイコパス」という言葉は19世紀フランスで変質者と呼ばれたものの現代的言い換えとして良いでしょう。
精神科医たち自身はと言えば、私たちは現在、「一定の徴候を備えた遺伝的な疾患」としての変質者も精神病質者(プシコパチー、サイコパス)も認めていません。そのかわり、小児・児童の問題行為に対しては記述的で横断的な「行為障害」や「反抗・挑戦性障害」などを用いていますし、その成人型である「反社会性パーソナリティ障害」について語るわけです。しかし脳図像診断を仕事にしている人々は、例えば殺人を伴う性犯罪者のMRIに見られる前頭・側頭の欠損について指摘したりしています。
===
脳図像における損傷にも増して今日語られるのは乳児期・幼児期・児童期における虐待被害です。現代の臨床犯罪学ないし精神医学は児童虐待という項目抜きには語れないでしょう。例えばアメリカの神経内科医ジョナサン・ピンカスは自分の出会った殺人による囚人150人の94%が児童虐待の被害児であった過去を持つと言っています(ピンカス『脳が殺す』光文社、92頁)。こういう事態がはっきりしてくると、フランス精神医学の時代になぜ児童虐待がそれほど脚光を浴びなかったかを改めて考えてみる必要がありますね。もうゾラは『ナナ』を書いていたわけだし、イギリスではディケンズが『オリバー・ツゥイスト』を出版していたのに。
ところでモノマニーには各種の強迫(癖)が並べられていますが、それらは要するに「こだわり」ですよね。このことは現代精神医学の中ではアスペルガー障害や自閉症スペクトルあるいは右脳半球学習障害などの発達障害の徴候のひとつになっているわけです。これらはいずれも遺伝ではありませんが、脳の器質的問題からはじまることが明らかになっているという点では、19世紀にモレル/マニャンたちが見つけようとしていたことへの、ひとつの解答であると思います。
この「こだわり」については改めて考えてみようと思っているのですが、例えば「能」に出てくる右手に笹を持った狂女たちというのは、今日でいう精神病ではないのですよね。『隅田川』に出てくる母のように、人さらいに遭った我が子に「こだわる」あまりに他のことが見えなくなっているわけです。この「こだわり」に「狂」の字を宛てるという日本語の考えかたは切手狂とかパチンコ狂というときの「狂」と同じで、要するに嗜癖状態を示します。つまり古典フランス語でいうモノマニーに近い。フランス語の狂には他にフォリー、デリール、ドゥマンスなどがありますが、当時から「こだわる」形の狂には、これら他の「狂」とは違った言葉を宛てたかったのだと思います。
![]()
[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ][↑ページ上端へ]
2006年06月20日
性犯罪者治療の可能性について(1/3)
雑誌「アディクションと家族」編集委員会での議論(「クレプトマニアとその周辺」)の続きです。ここでQとあるのは編集者としてお読みください。

(Q)クレプトマニー(盗癖)やピロマニー(放火癖)というと「行為の嗜癖」という側面の他に犯罪でもありますよね。デジェネレそのものが犯罪者の精神医学から出てきた概念でしょうし、嗜癖と犯罪とはどのように関連しているとお考えですか?
(S)犯罪者について司法が精神医学に求めてくるのは行為者(犯罪者)の責任能力という問題です。
===
嗜癖者は意識清明な状態で、悪いと知りつつ、つまり判断能力を備えているのに盗んだり放火したりするわけですから100パ−セントの責任があると思われても仕方ありませんね。ただ、当人としてはどうしてこんな犯罪を繰り返してしまうのかわからない、と嘆く場合もあるので、これは罪を償った上で治療対象とすることもあります。
クレプトマニアの場合は本人が悩んで治療に来る場合もありますが、幼児を対象にした性犯罪、電車内での痴漢行為、窃覗癖といった場合は殆どの場合、逮捕された後で、弁護士経由でこちらへやってきます。
責任能力が問題になるのは犯行を憶えていないと犯人が主張する場合で、この場合にはアルコール等薬物の影響下にあったか、あるいは解離性健忘など、いわゆる「ヒステリー」であったのか、それとも単に犯人が嘘をついているだけか、といったことが問われます。
私が特に関心を寄せているのはヒステリーと詐病との鑑別です。ここには虚偽性障害の問題も入りますし。
(続く)
![]()
[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ][↑ページ上端へ]
2006年06月21日
性犯罪者治療の可能性について(2/3)
(続き)
(Q)ヒステリーと詐病との鑑別は後回しにするとして、先生のところへ弁護士経由でやってくる窃盗癖の人々や性犯罪常習者というのは治療可能なのですか?
(S)衝動そのものが消えるのには時間がかかりますが、私という治療者を監視装置とすることによって再犯を防止することは可能です。ただし、私の治療は外来のみですから当人の治療動機づけが充分に強ければという条件がありますが。
性犯罪の場合などでは薬物の使用も考えます。
良く用いるセロトニン再吸収阻害剤(SSRI)などでもドパミンとの拮抗作用はあるはずなので使用します。特に危険な場合にはテストステロンそのものの抑止を狙ってプロペラなどの黄体ホルモン使用が必要になったりします。ただし、この場合には薬物の性質について良く説明して合意しておく必要があります。
しかし薬物投与以上に有効なのは、なぜそのような行為の繰り返しが必要なのかということをしっかり理解して頂くことです。
===
この辺のことは症例を紹介しながらでないと説明しにくいのですが、例えば若い女性への襲撃(強制猥褻)を連続して行なった青年(逮捕→不起訴)の場合や窃覗癖の青年(逮捕→不起訴)の場合、それに未成年で一家4人のうち3人を刺殺した事件の犯人(最高裁で死刑判決、高裁判決時点で弁護側より精神状態鑑定依頼)の場合などについては、家族歴・生育歴についてかなり詳細な情報を獲得できているために事件を成立させた要因の幾つかについては把握できました。
彼らのうち強制猥褻のケースと窃覗癖のケースについては、いずれも犯人となった青年たちの無力感と絶望、そしてそれを克服するパワー(権力)への飢餓感があったと思います。
もちろん、こうした飢餓感は、犯罪、特に性犯罪の発生をそれだけで説明できてしまうようなものではありません。しかし「襲撃対象(無力な被害者)を意のままにする(強い)自己」とか「視られていることに気づかない(つまり、まったくの無力状態にある)被害者に対して、視る自由という権力を恣意的に用いることのできる(つまり強者の)自己」という強者・弱者の対比がこれら青年たちにとって魅力的な幻想であったことを自覚して頂くことで、「犯行を必要としていた自己」に気づくという効果はあったと思います。
この点をしっかり押さえられれば、このパワー渇望を「社会と折り合える形」で表現することも可能でしょう。
「パワーへの渇望」は、それを否定するのではなく、有効となる出口を見つけるのを手伝うことで有効なものになるはずです。実際、この二人の青年のうちの一人は「ゲーム作家」としての道に歩きはじめていますし、もう一人も難関の大学入試を突破することで自分のパワーの存在を実感しつつあります。
![]()
[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ][↑ページ上端へ]
2006年06月22日
性犯罪者治療の可能性について(3/3)
(続き)
(Q)最高裁判決の出たケースについてはお話になれないところが多そうですね?
(S)判決の直前に、それまでの弁護団が解任されてしまいました。それで私の「鑑定書」もお蔵入りになりました。死刑反対を主張する弁護士たちに代えられたのです。そうすることによって、判決を遅らせることが当時の被告にとっては魅力的だったのでしょう。
結局、死刑判決は出されてしまったのですが。その後、それまでの弁護団が再び依頼されて判決の見直しを上申し、それもまた却下の決定を下されたのが今年になってからのことです。
===
この事件の被告については地裁での検事側依頼鑑定(小田晋「爆発性・冷情性精神病質者」で所謂「反社会性人格障害者」と同義)と地裁依頼鑑定(福島章「類てんかん病質者または爆発性精神病質者」ただし妊娠時の黄体ホルモン投与(流産防止を目的としたもの)による「過剰な男性脳」の可能性)が出されたうえで死刑判決にいたっています。
高裁段階では福島氏が小田鑑定を「予断と偏見に満ちたもの」と批判する鑑定補充書を提出し、小田氏がこれに反論するという相互批判を経て再び、死刑判決となりました。それとは別に社会心理学者と称する福祉系大学教授からの意見書も出ていましたが、いずれの鑑定書も被告がかつて苛酷な児童虐待被害(身体的、心理的、性的)を受けてきたこと、それによる解離性障害と思われる幾つかの明瞭なエピソードがあることに言及していませんでした。
それで最高裁審理の段階で、弁護団に意見書作成を依頼されたとき、私は1泊2日にわたる事件とその前後について私なりに注意深く既存の書類を見直し、疑問点を提示しては弁護士の接見の際に被告に問い正してもらい、私自身も小菅(東京拘置所)での接見の機会をもらって、被告に疑問点を訊くなどして作ったのが私の「精神状態鑑定書」です。
事件の際にも解離性フラッシュバックと思われる病的状態が生じていた可能性があることを指摘しました。多分、これが世に出ることはないでしょう。何故なら、被害者一家の中で唯一人生き残った少女(今は成人)のプライバシーと人権に絡む問題があるからです。
私にできることは、このときの集中的な検討と考察で獲得したものを、別な症例の解釈に応用したり、フィクションの形に変えて表現してみることだけです。
現在の私が、かつてフランス留学中に出会ったデジェネレ文献に再び関心を持つようになったり、犯罪者の中に児童虐待の被害体験の影響を見ようとしているのはそのためでもあるのです。
![]()
[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ][↑ページ上端へ]
2006年06月23日
変質者とヒステリー(1/3)
(Q)「変質者」概念は「ヒステリー」とも関連していそうですね?
(S)そうです。むしろ変質者という概念は、古いヒステリー概念から派生したものだと思います。
ヒステリーそのものは紀元前5〜4世紀のギリシャの医師ヒポクラテスによって「女性に固有の病気」として記載されたものです。子宮が体内を移動することによる神秘的な疾患と考えたためにギリシャ語で子宮を意味する「ヒステラ」から造語されたそうです。
===
ヒステリー球(喉に玉がつまる感覚)、卵巣痛、感覚脱失(痛みや熱の刺激に無感覚になること)、視野狭窄、失声、失立失歩、限局性頭痛、けいれん、全身に広がる筋硬直、ヒステリー弓(筋硬直によって顔面を上に弓反りになること)などが当時から記載されていたということですが、3世紀以降はこれらの徴候(スティグマータ)が子宮に悪魔が宿ったためとみなされ、「魔女狩り」が激しくなったルネサンス期には多くのヒステリー女性がこれの犠牲になったと考えられています。
要するにヒステリーにしても変質者にしても悪魔との関係が深いのです。モレルの変質徴候という考えかたは、このヒステリー説話を基盤にして、ダーウィンの進化論などの影響のもとに遺伝仮説を取り入れたものでしょう。
ヒステリーが科学的医学の対象になるのは19世紀に入って、シャルコーやベルネームが登場してからのことです。モレルが活躍したのは1873年まで、マニャンは1916年まで生きていますが、主著は1893〜1897年の間に出されています。一方、当時の全医学界を通じての大御所で今で言えば組織病理学者だったジャン・マルタン・シャルコー(パリのサルペトリェール病院長)が「屍体に病理学的痕跡を残さない疾患」としてのヒステリーに関心を抱き始めたのは1970年頃からで、弟子のひとりにレタルギー(嗜眠)→カタレプシー(全身硬直)へと移行する「ヒステリーてんかん」の一例を報告させ、これに「大ヒステリー」と名付けたのは1981年です。
![]()
[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ][↑ページ上端へ]
2006年06月26日
変質者とヒステリー(2/3)
(続き)
シャルコーは当時流行していた催眠技法によってヒステリー症状が増悪したり消失したりすることをつきとめました。
彼は、これが女性に特有の病気ではないということを証明することにも熱心で、女性のための精神病院であるサルペトリェールに男性専用のヒステリー外来を敷設したりもしています。シャルコーによってヒステリーと診断された男性の多くがアルコール依存症者であったことには注目すべきだと思います。
===
同じころナンシー大学医学部の内科学教授イポリート・ベルネームがナンシー郊外の開業医で催眠技法を用いて奇跡的回復を起す老医師リエボーを世間に紹介したのが1982年で、後年ベルネームは催眠暗示を用いた治療法に「プシコテラピー(精神療法)」という名称を与えました。
こうして古くからある「神秘的でいかがわしい」疾患としてのヒステリーに再び医学の火が当てられたのです。
こう見てくると、変質概念の誕生とヒステリ−再発見は同時期に進行しているのですが、ヒステリーそのものはモレルらの視野からはずれてしまったように思います。
モレルはむしろデマンス・プレコス(早発痴呆)という用語を精神医学界に導入した人として知られています。1860年のことです。この仏語のラテン語訳である「デメンチア・プレコックス」という用語はドイツのエミール・クレペリン(ハイデルベルグ大学教授)によって一つの疾患単位として採用され、彼の精神医学教科書第5版(1896)に初めて記載されました。早発痴呆は後にスイスのオイゲン・ブロイラーによってシゾフレニー(精神分裂病)の名を与えられ、現在の日本では統合失調症と呼び代えられています。
![]()
[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ][↑ページ上端へ]
2006年06月27日
変質者とヒステリー(3/3)
(続き)
要するに、モレルもマニャンも精神医学プロパーの人々で、こうした人々にとっては変質概念のような遺伝性を持って一定の進行段階を示す精神の病理という考え方が魅力的だったのでしょう。
早発痴呆にも少なくとも当初はそうした見方がありましたし、その一部は現在のスキゾフレニア研究にも引き継がれています。
彼らに較べると、ベルネーム(フロイトが彼のもとで催眠を学んだことからドイツ語文献に引用されることが多く、そこではベルンハイムと発音される)にしてもシャルコーにしても、ヒステリー再発見に寄与した学者たちは基本的には内科医です。
===
そもそもヒステリー治療の工夫の中から精神分析学を誕生させたジグムント・フロイトそのものが精神科医とは呼べないのではない人です。ウィーン大学での彼は神経生理学者だし小児麻痺の研究者で、コカインの臨床応用としてうつ病に注目したのは確かですが、いわゆる精神病院に勤務した経験はない。
シャルコーを引き継いでヒステリー研究を進め、フロイトのライバルとも言えるピェール・ジャネ(コレージ・ド・フランスの実験心理学講座正教授)になると哲学研究から精神医学に転じた心理学者です。シャルコーの死後、ジャネがサルペトリェール病院という精神医学の牙城で不遇だったのはそのせいだと思います。
こういうことは外部の人々にはわかりにくいでしょうが、主として精神病の患者を診る精神科医と各種の身体疾患の発生に心的因子を発見しようとしてきた人々(内科医、神経病理学者、生理心理学者、精神療法家)との間には意外に深い亀裂があるのです。
もっとも最近の精神科医の中には、精神療法技法の獲得に熱心な人々も多いということは付け加えておいた方がいいでしょう。
![]()