カテゴリー「ミーティングにて」の一覧
2007年03月19日
夢の話(1/2)
皆さん、こんにちは。よろしくお願いします。
先日、斎藤先生が、
「このミーティングで話すという事は、天丼にケチャップをかけて、味を変えるという様なところがある」
とおっしゃいました。
ほぼ1年ぐらい、斎藤ミーティングで話していない私は、それを聞いて、
「このまま話さないでいて自分だけの味で煮詰まるのは、嫌だな」
と感じ、久しぶりにこの席に座らせて頂きたいと思いました。
以前、私は、斎藤ミーティングで、主に3つのことを話させて頂いていました。
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1つ目は「子産み子育てをしていない、そして、したくない私は、このままでは、子供を望んでいる夫から見捨てられるのではないかと不安である」という話です。
2つ目は「布団嗜癖(寝込んで引きこもっていること)に溺れており日々の生活がままならない事があり、困っている」という話です。
3つ目は「ピアノをめぐる母娘葛藤」の話です。
1つ目の「夫から見捨てられる不安と、夫の望みを叶えていない事への罪悪感」については、相変わらず、心に引っかかりと重石があるように感じ、以前と変化が無いように思います。
2つ目の「布団嗜癖」については、ここ1ヶ月ぐらいは、嗜癖に溺れないで済んでいます。
溺れずにすんでいる理由は、ここでの皆さんのお話と、斎藤先生の「私たちにとってのゲームのリセットにあたるのは、ちょっとがまんするってこと」というお話が、印象深かったからではないかと思っています。
もちろん、明日にもスリップしてしまうかもしれない私ではありますが、今日までの一ヶ月は「ちょっとがまんして朝起きる」「ちょっとがまんして夜寝る」というのが、上手くいっていたように思います。
3つ目の「ピアノをめぐる母娘葛藤」については、心に引っ掛かる事が、少なくなってきた様に思います。
この話が、一番心の中を占めていた時の割合を100とすると、今は、40以下のように感じています。たまに、この数字が上がるように感じる事もありますが、その時は、「自分が暇を持て余しており、自己憐憫に浸るために、自ら数字を上げているのではないか?」と自身を疑うようにしています。
さて、今日は残りの時間で、1、2年前に見た「赤ちゃんの夢」の話と、それについて感じたことを話させて下さい。(続く…)
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2007年03月20日
夢の話(2/2)
自宅マンションで、私は、布団に横になっており、出産をする。出産は、痛くも痒くもなく股の間にニュルッとした感触を感じただけだった。足元で母が、赤ちゃんを取り上げてくれて、「男の子だよ」と穏やかに普通の声で言う。
出産後すぐ便意を感じた私は、トイレへ行く。昔から頑固な便秘性である私は、トイレで頑張りながら「出産よりこっちの方が、よっぽど大変だ」と思う。
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排便を済ませ、トイレから出て、居間へ行く。居間では、赤ちゃん帽子とよだれかけをした夫が、食卓テーブルについて、新聞を読んでいる。よだれかけ姿の夫がヒョイと私を見た時、私は「なーんだ。やっぱり、赤ちゃんって夫のことだったのね」と思う。
という所で目が覚めました。
目覚めてすぐ、軽い不快感と不思議さを感じました。夢については、「現実の世界で、夫は私にとって優しくて、賢くて、頼りがいのある穏やかなスーパーマンの様な存在であると感じているが、そんな夫に、私は、手放しで甘えているわけでもなく、結構、気を使っているかもしれない。したがって、私は、夫との二人関係で手一杯である」という意味ではないかと考えてみました。
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2007年04月11日
風に押されて(1/3)
通院中の方からの手紙をご紹介します。
私は、母親からの遺伝で先天性白内障でした。3才頃、手術を受けましたが、視力が出ず、矯正しても右は0.1以下、左は続発性緑内障をおこし失明しました。左眼は痛みや頭痛、吐気がひどく10年ほど前に義眼にしました。
視力がネックになり、幼稚園の入園は断られましたが、小・中・高は普通の学校で過ごしました。盲学校に行ったら、私が甘えた子に育つと父は思い、いずれは一般社会で生きていかなければならないのだからと、学校で私を特別扱いしないように学校サイドに申し出ていました。
家庭では、父の突然の激怒や暴力の中で育ち、時に母も私をたたきました。父は、高校以上の学費は出さないと言い、私はアルバイトをしながら福祉の専門学校を卒業しました。
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そして、その後リハビリテーションセンターで、私は鍼、灸、マッサージの勉強をしました。私は22歳でした。
そこで、私ははじめて視覚障害のある人たちに囲まれ、自分自身も障害者として扱われました。
食堂ではトレーに乗った食器を時計の時刻で教えてくれます。5時にご飯、味噌汁は7時、おかずは12時、箸は手前ですと、すべて口頭で教えてくれました。
教科書は見たこともない程大きな文字で、先生方も8割が同じ障害をもち、一人ずつ手を取り、鍼の持ち方、打ち方、ツボなどを教えてもらいました。
授業料はタダ、教科書代もタダ、しかも訓練費として月2万5千円くらいもらっていたと思います。
私は2年生の解剖実習をきっかけに過換気の発作を繰り返すようになりました。学校は休みがちでした。私はたぶん自分が障害者として扱われる現実に耐えられなかったと同時に戸惑ったのだと思います。
今まで、こんなに頑張ってきたのにダメじゃん、無駄じゃん、私の今までの苦労は一体何だったのかと、過去に自分がしてきた努力に失望し、どんなに努力してもやっぱり自分は障害者なのだと絶望したのだと思います。
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2007年04月12日
風に押されて(2/3)
月曜日にハコミの個人セラピーを受けました。そのときの話しを聞いて下さい。
先生は私の体の中に本来ある力に働きかけますと言い、体をタッチングしはじめました。
腰のあたりにくるまでは、払っても払っても自分の考えや斎藤先生の言葉が頭に浮かんで困ったのですが、突然真青なぬけるような雲一つない秋の空と、一面の麦畑が見えました。
私と2才くらいの女の子がいます。私は娘かと思ったのですが違う気がしました。
風が心地良くて空を見上げていると、とてもいい気分になりました。私は、その子の手を引き、空を見上げながら歩いていて“きれいな空だね”とその子に言いました。
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“見えないの”とその子はしゃがみ込み泣きはじめました。空がみるみる暗くなり、風も強くなりました。私は“そうかぁ じゃあおんぶしようね”とその子をおんぶして歩き始めました。すると、サァーっとさっきの青空になりました。“風は?風は感じる?”と聞くと、その子は背中でうなずき、私は“気持ちいいね、青空は見えないけど風を感じて歩こうよ”と言いました。
風景は夜になりました。“空には星があるんだって。私もあんまり見えないけど、お月様は見えるよ。これは夜の風、さっきと違うでしょ”と言うと、その子は“うん”とうなずきました。
次に二人が砂浜に座っていると、朝日が海から昇ってきました。
私は“温かいね。これが太陽の光だよ。感じる?”とその子に聞くと、その子は腕をさすりながらニコニコしていました。そこで先生の手が止まりました。
私は、今、イメージしたことを伝え、先生は言葉で繰り返しました。
“風はあなたに何って言っていますか?”と聞かれ、私は“後ろから押されます”暖かい風で“あなたの行きたい所へ行っていいのよ”と聞こえました。
私は“不安だから一緒に来て欲しい”と風に言いました。
先生は“どこへ行きますか?”と私に聞き、私は、急に父に会いたくなり、“お父さんのところ”と答えました。(続く…)
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2007年04月13日
風に押されて(3/3)
麦畑に現在の父と私が座っています。父は下を向き顔を上げません。しばらく黙っていたのですが、“お父さんはお前が心配だっただけなんだ”と言いました。“ただお前のことが心配だった”と繰り返しました。
“お前の行きたい所へ行きなさい”と父は言い、私は風に背中を押されました。風は父なのだ。青空の中で私をつつみ、夜はひんやりした風になり、朝日のあたったあの腕の温かい感じ。父はいつも私のそばにいて、私を応援していたかったのだと思いました。
“お前の行く所には、お父さんは風になっていつもいるんだよ”と風は、父は言っていました。
私の中の本当の私は解っているのです。本当に大切なことは見えることではなく感じることなのだと。
青空や星空や太陽は見えなくても皮膚は風の変化や温度の変化で一日を感じられます。太陽は見えなくても温かさは感じられ、太陽の存在を知ることはできるのです。
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ハコミの帰り道、風を感じている私がいました。父が私のそばにいてくれているようで嬉しかったです。斎藤先生が障害者として生きろ!!と怒っている言葉の意味が少し解ったような気がしました。
先生は、私に五感を使って生きろと言っている。大切なことは、見えることじゃない。「感じろ」とおっしゃっているのだと思いました。
私は、先生が障害者として生きろと言う度に、人の助けにすがって弱々しい私を演じろと聞こえていました。五感のうちの視覚は確かに弱い、だけど全く見えない訳ではない、見える範囲で使う。
おもしろいです。五感のうちの味覚も嗅覚も触覚も「使う」ではなく「感じる」感覚です。聴覚も音の震動を感じて聞き取るので、やはり感じるに入ります。
視覚だけは目で感じるのはピンときません。目は使うものと私は思っています。それは、私の視力が弱いからそう思うのでしょうか?皆さんは目から入ってきた情報を感じているのでしょうか?
私をつつむ風は、斎藤先生かもしれない。私を応援してくれるすべての人のようにも、今朝は少し思えています。
私の中にある「私の辛さなんて誰にもわかるものか、死ね」という怒りは、所沢での絶望感と関係していると思うので、そのことはまた今度シェアさせて頂きたいと思います。
2007.3.7 里恵子