カテゴリー「クレプトマニア」の一覧

メインに戻る

2006年10月25日

クレプトマニアと罪悪感

image061025.jpg 最近書いた原稿のいくつかを紹介しようと思っています。ただし未だ印刷されていないものについては掲載先を伏せなければなりません。原稿料を払ってもらう以上、原稿は注文先のものでしょうから。

 それで最近自分の雑誌(「アディクションと家族」)のために書いて脱稿したばかりだが、原稿料はもらえないものを先に載せます。原稿そのものは間もなく発刊される「アディクションと家族」誌(23巻3号2006年)をお読み頂くこととして、ここには原稿にはない(紙数の都合で載せられなかった)エピソードなどを適宜挿入してみたいと思っています。

===
 この原稿を書くにあたって参考にさせて頂いた3人の人々との対話(雑誌に収載)も、このブログに載せられれば載せようと考えていて、既にお二人の方々からは了解を頂いています。

 これはクレプトマニア(窃盗癖)について書いたものですが、この反社会的行為に伴う罪悪感に焦点を当てています。「行為が罪悪感を導くのではない、罪悪感がそれに見合った犯罪行為を導くのだ」という逆説的な見解を比較的じっくりと考えてみたものです。まず、以前この着想について書いた新聞コラムを紹介するところから入りましょう。

東京新聞・本音のコラム(06年4月26日)

 罪悪感なんて無ければ無いに越したことはないと思う。精神科医を四十年やってきて思うことはそれだ。世人は誤解している。何か悪いことをしたので罪悪感が生まれると考えている。逆だ。

 人は根拠もなしに罪悪感を抱き、その大きさに見合った罪悪をやってのけるのだ。あるのはまず「感」、ついで「行動」なのであってその逆ではない。これを読みまちがえたおかげで、つい十年前まで、私は大いに悩んだ。過食・拒食少女が万引きする理由も、窃覗狂青年や強姦青年が女性を犯す理由も皆目わからず、わからない自分を責めた。

 わかってみればコロンブスの卵。ああいうものは、ヒトという生物の巨大な脳皮質が起すカラ騒ぎに過ぎない。だから驚くほど無個性なものなのだ。人は自分に課された役割なるものを勝手に読みとろうとする。ここから「根拠の無い罪悪感」が生まれる。

 子どもたちは親の期待を読みとり、その「読みとり」が勝手であることを理解しようとしない。そして「親の期待」という幻想が生み出した罪悪感に苛まれる。そして「親の期待が重すぎた」と恨む。この際ハッキリ言おう。

 たいていの親(異常者という例外はある)は子に期待などしていない。せいぜい元気でいて欲しいと思うくらいだ。何を間違えたか、自意識過剰な子どもが「普通」であってはならないと勘違いし、普通であるくらいなら狂気でいよう、犯罪者でいようと考える。バカだ。

adf_26_4.jpg◇アディクションと家族26巻4号
 【特集】クレプトマニアと摂食障害
 2010年4月刊 好評発売中[詳細とご購入

[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ]↑ページ上端へ

2006年11月01日

クレプトマニアと罪悪感(ブログ版)その2

はじめに

 筆者はかつて嗜癖という行動形式の成立に必須な欲求や欲動の明確化を目的とする論文([註1]斎藤,1988)の中で窃盗癖の青年を症例として取り上げた。

 彼の窃盗癖は痴漢行為というもうひとつの性的で反社会的な嗜癖的行為に付随するものだったが、そうした嗜癖行動が定着する以前に実母、養母双方への原初的な愛着の遷延と、それを裏切る非行(実母の下着盗み、養母の生んだ乳児への殺意)が既に存在していたことを指摘した。
 この時には、青年の「罪悪感」の質を取り上げることはしなかったが、窃盗癖に代表されるようなある種の反社会行為は、それ以前に存在する愛着対象との葛藤(およびそこから生じる罪悪感)の解決策として生じるのではないかと思うようになった。
 この考えが強化されたのは、ある殺人事件容疑者(女性)の精神鑑定を引き受けてからである。

===
 この女性容疑者は我が子殺しという反社会行為に走る以前から理不尽な罪悪感を抱き続けており、事件の5年も前に「罪悪感を放出した」としか思えないような連続窃盗事件を犯して逮捕されていた。

 こうして筆者は「人は根拠もなしに罪悪感を抱くことがあり、その大きさに見合った罪悪(非行、愚行)をやってのけることがある。あるのはまず「感」、ついで「行動」なのであってその逆ではない」と考えるようになった。

 これを読みまちがえると、過食・拒食女性に見られやすい窃盗癖や窃覗狂青年や強姦青年の女性への犯行の由来を見落としてしまうことになる。この種の非行は無個性だが、それを引き起こす罪悪感についてみれば、これは個性的であるので、主体(犯人)がそれについて自覚的(意識的)になることは彼らの行動を修正することに役立つのではないかと思う。

 しかし主体を自覚に導くに足る程度に、このことを理解しようとすると意外に困難である。そこに働く罪悪感は、どのようなところから発生したどのような質のものであるのか、それはどのような生育状況の中にいた人々に見られるのか、またそれは健康な人々に見られる罪悪感と異なるものであるのか、といったことが問題になる。ここではクレプトマニア(kleptomania 窃盗癖)という反社会行為に耽溺した人々に限って、このことを考えてみようと思う。

[註1]斎藤1988=斎藤学:嗜癖. (土居健郎,他編) 異常心理学講座・, Pp 75-129, みすず書房, 1988. この症例については後日、該当部のみを掲載します。

[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ]↑ページ上端へ

2006年11月02日

クレプトマニアと罪悪感(ブログ版)その3-1

ある「子殺し母」に見られた連続窃盗事件(1)

image061102.jpg かつて生後13か月になった我が子を浴室で溺死させた母親の精神鑑定を引き受けたことがある([註2]斎藤,1998)。奇妙な事件であった。母親は警察が事故とみなしたにもかかわらず、自ら電話して犯意があったことを告げ、逮捕拘留されると明快な供述調書を残しながらも拘置中に死んだはずの我が子の生活を心配する手紙を夫宛に書いた。
 更に人格交替と思われる攻撃的な人格を呈して同房の容疑者たちを気味悪がらせ、法廷に立つと犯行前後のことを覚えていないと言いだした。

===
 弁護士らの要望を裁判官が容れて精神鑑定ということになり筆者が容疑者の心身の状態を鑑定することになったので、当時非常勤で勤務していた都立松沢病院に来院させたり原宿相談室で心理テストを行なったりしたが、筆者が最も力を入れたのは東京拘置所(小菅)の面接室(接見室ではない)での数回にわたる問診(それぞれ2時間近くをかけた)であった。

 この容疑者は鑑定書を提出後、筆者の証言のために開かれた東京地裁での公判中に失神を伴う失立失歩という古典的なヒステリー(解離性)症状を起した。宣誓して証言していた筆者自身が、その場で治療者として振る舞うように裁判官から要請されて暫時「治療的会話」を交わすという劇的事態があったりしたので、「解離性障害」による犯行で、服役よりも治療が望ましいという筆者の鑑定主文(表1)がそのまま認められ、拘置所から精神病院へ直送という結論になり、検察側も上告を断念した。

 鑑定の内容そのものは上記文献(個人が特定される怖れのある部分やミスプリを除き、ほぼ鑑定書のまま)を参照して頂くことにして、筆者がここで紹介したいのは彼女に見られた過剰で非合理な罪悪感である。彼女は自分が世の母たちのように育児に関心が注げず、子どもの存在を煩わしく思うということに罪悪感を感じていた。

[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ]↑ページ上端へ

2006年11月06日

クレプトマニアと罪悪感(ブログ版)その3-2

 この不全感は既に妊娠中から始まっていて、出産後実家で過ごしていたときも「育てる自信がない」と実家の父母に訴えていた。この自責感は子どもの成育によっても緩和されることがなく、事件の1カ月ほど前には「もうダメ、私が母では私の悪い性格がこの子に移ってしまい、この子の将来は惨めなものになる」、「この子がかわいそうだ、私が先に死ぬか、この子を先に死なせるか」という思いつめた言辞を訪ねてきた実母や夫に漏らすまでになっていた。犯行直前には母親に「この子が可愛いいなら、お母さんの子にして育ててよ」とまで言ったという。

===
 夫や実母はこれらの言葉を「育児ノイローゼ」のためと考え、容疑者を励ましたり、児を保育園へ預けさせたり、精神科医にうつ病の治療を依頼したりということで切り抜けようとしたのだが、ついに犯行に及んでしまった。

 容疑者の生活歴の中で、筆者の注目を引いたのは事件の5年前に見られた窃盗癖であった。この女性は母親から厳しく育てられ、「良い子」である自分を誇りと思うようなところがあった。母親に気に入られたい一心で頑張り、教員免許を取得したりしていた。結婚そのものも彼女が望んだというよりも母親の勧めに従順に従った結果であり、結婚10年目の出産も母親たちからの強い期待に沿おうとしてのものであった。

 こうした「献身」には無理が伴う。それは「良い子」の自分に背馳する自己の一部を分割して意識から排除する傾向として表現され、そのいわば「悪い子」は世間の規範に過剰適応的な自己からは予測もできないような反社会的ないし非社会的行動となって漏出されるのだが、その基盤には彼女にしか理解できない原初的で非合理的な罪責感があると筆者は考えた。ここに「原初的」というのは精神性的発達において人生のごく初期(Melany Klein は生後3〜4カ月からみられる妄想・分裂ポジションが、6カ月以降の抑うつポジションへと移行する時期に遡れると考えた)に普遍的に見られる機制の残滓が成人期においても見られることを指している。この件に関して筆者の精神鑑定書に記載された箇所を引用しておきたい。

[註2]斎藤学:精神鑑定,13カ月児を溺死させた母親、殺人被告事件被告人TN 精神状態鑑定書, (斎藤学 編)児童虐待[臨床編],Pp174-198, 金剛出版, 1998.

[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ]↑ページ上端へ

2006年11月07日

クレプトマニアと罪悪感(ブログ版)その4-1

ある「子殺し母」に見られた連続窃盗事件(2)

■以下は前回紹介した[註2]からの引用です。

[引用1]結婚5年目に生じた被告人の「万引き事件」は、今回の犯行を理解する手がかりとなるものであると思われる。

 この場合、被告人を「良い子」として扱ってくれる依存対象は夫であった。彼女は「自分には結婚生活は向いていない」「夫の同僚の妻たちのようにできない」「夫に申し訳ない」と考える(意識化する)ことを避けられなくなった。これらの言辞は、今回の犯行における「私は母親に向いていない」「私が母親では、この子に申し訳ない」などの言葉に対応するものである。
 ここで、この種の「申し訳ない」感じ(罪責感)が病理的・妄想的な特徴を帯びはじめ、自己処罰の衝動へと発展しはじめるところに、被告人の精神病理性の特徴がある。

===
 その機制を検討すると、まず夫への妄想的な被害感が生じ(被告人は「夫は貯金が趣味なので、私が公務員として働いて欲しいと考えてると思ったんです、夫の同僚の奥さんたちは公務員が多かったので、でも私には無理なので夫は私を責めるだろうと思いました」と述べている)、次いで夫への憤怒と攻撃の感情(これも「夫との関係をゼロにする」と言うほどの極端なものである)が自覚されるようになる。さらに、こうした陰性感情の高まりにつれて、そのような「悪い」感情に支配される自己を、外部からの懲罰にかけようとする衝動(こちらの方は意識化されていない)が発生する。

 この自己懲罰衝動は、それが成功すれば、自分を迫害する加害者(この場合、夫)への復讐(妻が犯罪を犯して逮捕されるという恥をかく)という現実の報酬も得られるものである。

[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ]↑ページ上端へ

2006年11月08日

クレプトマニアと罪悪感(ブログ版)その4-2

(続き)
 この衝動の影響下に被告人は万引きした。
(本稿を書くにあたって付け加えると、それはある一日で、その日は受験した公務員試験に不合格であったことが判明した日だった。以下、括弧や<>は補足である)。

 (その日)1回目、2回目(の窃盗)では捕まえられなかったので、数件の万引きを連続して働き、ついに捕まった。

===
 警察に逮捕されること、逮捕の状況下に夫に通報されること(それによって夫自身が<恥をかくという形で>懲罰されること)は当時の被告人自身が無意識に望んでいたことのように思われる。
 この万引き問題が、その後1回(初回事件の直後)だけで終わってしまったことの理由は今となってはわからない。この事件に関する彼女の回想(特にその時何を考えていたのかという回想)が極端に空疎であるからである。

 今回検討の対象となった犯行について言えば、被告人は平成5年5月の段階で、
「私が母では、私の(悪い)性格がこの子に移ってしまい、この子の将来は惨めなものになる」
「この子がかわいそうだ、私が先に死ぬか、この子を先に死なせるか」
 という考えを抱くようになっていた。つまり被告人の思考は、この時点ですでに妄想的なものになっていたのである。

 この罪責感が上記と同様の経路をたどって、同種の自己懲罰衝動を導いたと思われるが、このことは実行される(実行に移される)までに何度も被告の空想の中で反復されたものと思われる。

[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ]↑ページ上端へ

2006年11月09日

クレプトマニアと罪悪感(ブログ版)その5-1

ある「子殺し母」に見られた連続窃盗事件(3)
image061109.jpg 上記引用の中に「病理的・妄想的特徴」という言葉が見られるが、これについても説明しておく必要があるだろう。上記鑑定書の他の部分から引用する。

[引用2]
 要するに、被告人は極端なほどに「良い子」であったのであり、今でも自分が母親にとっての「良い子」、世間の人にとっての「控えめで、単純で、可愛い女」であることを望んでいる人である。

===
 しかし、この種の「良い子」の自己像は脆弱なものである。それは自己を愛し、誉めてくれる人物にだけ囲まれるという幸運に恵まれることで、辛うじて維持される。
 「良い子」の自己像を汚れないままに保とうとすれば、人格の統合に無理・負担がかかる。他人の厳しい評価や叱責は無視・否認する(存在しないことにする)か、大して重要性のない(脱価値化された)要求のように見なさなければならない。
 また、こうした否定的評価によって催起される憤怒、恨み、攻撃、不安、抑うつなど、「悪い子」・「駄目な子」の自己像は意識から排除してしまわなければならないことになる。

 こうした無理の多い、心的防衛のメカニズムは「分裂」と呼ばれる。
(続く…)

[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ]↑ページ上端へ

2006年11月10日

クレプトマニアと罪悪感(ブログ版)その5-2

(続き)
 普通の(健康な)精神発達の場合、こうした分裂を主とした心的防衛はごく早い時期(乳児期)にだけみられて、幼児期には「悪い子」の自己像も人格の中に統合されて行くものである。つまり駄目な自分を感じて憂うつになったり、沸き起こる憤怒を自覚したりできるようになるものである。
 そして、より成人的な心的防衛の方法を身につけて、その人固有の人格を形成してゆく。

===
 もちろん、被告人にもこうした(成人としての)人格形成が見られるのだが、彼女の場合、分裂という原初的な防衛機制の残滓が成人になった段階でも見られ、被告の行動に影響を及ぼしていることが特異的なのである。分裂機制を多用するような成人の場合、人間関係のあちこちで妄想的な曲解を生むことになる。自分の中に陰性感情を生むような人物対象は、すべて自分に対する加害者となるから、「被害者意識にとらわれた人」と呼ぶこともできる。

 被告人の場合、この種の妄想を多発する人ではない。しかし「良い子」の自己像が学童期、思春期に入って危機に瀕した局面で、被害的な恨みの感情として爆発したことが、時々あったようである。今回聴取した生活歴の中では、その一部が、小学校、中学校の教師(査定し、評価する人)たちへの恨みという形で確認されている。しかしこれだけでなく、学校、職場、結婚などのさまざまな生活局面を通じて、被告人には現実検討の軽視・無視、対人関係上の不器用さ・硬さなど、分裂機制の影響がうかがえるのである。

 たとえば被告人は「私は不得手なことは、やらないのです」と述べている。その極端な場合が、算数・数学で、被告人は「小学校4年のころから、わからなくなって、それ以後身を入れて数字に取り組むことはしませんでした。多分算数の能力は小学生並だと思います」と言いながら、それに悩んではいないようである。同様の傾向は、結婚生活に関する「料理は不得手です」「セックスは嫌いです」「ガスの点火が苦手なので、滅多にガスを使いませんが・・・(それがどうかしたのですか?)」などの言辞にも表れている。被告人にとって、苦手なこと、できないことは「大した問題ではない」ことになるのだが、そうしておかないと「良い子」の自己像が「駄目な子」に汚染されてしまうからである。

[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ]↑ページ上端へ

2006年11月13日

クレプトマニアと罪悪感(ブログ版)その5-3

 知能検査で暴露された、被告人の現実把握(質問への回答)の粗雑さ、散漫さ、誤解・曲解も、生得的なものというより、こうした情緒発達の遅滞に由来するものと思われる。
 また、被告人は小学校時代から煩雑に「放心状態」に陥ることを周囲から指摘されており、母親が教師から注意されたこともあった。成人後の結婚生活でも拘置中の現在でも、時々「どうして私はここにいるのかしら」「私は今何をしていたのかしら」という状態になるという。

 この種の解離(放心・朦朧状態)は、葛藤にさらされた「良い子」が不安や怒りを分裂・排除する際に生じるものである。

===
 この傾向は、当然のことながら、被告人の人間関係をごく狭いものにしてしまう。出会った人々の中で、被告人の「良い子」意識を傷つけない人だけが、友人として残されるからである。

 この二つの引用のうち、「引用2」は言うまでもなく Melany Klein の妄想・分裂的態勢と抑うつ態勢に関する所論(「分裂的機制についての覚書」(註1)および「不安と罪悪感の理論について」(註2)を参照したものであるが、今回特集に際して筆者の対談相手となった3人の窃盗嗜癖者たちの心性を理解する上で参考になるものと思われる。

 以下に3人それぞれについてこうした原初的で妄想的な罪悪感がどのような形で嗜癖行為と結びついているかを点検してみよう。ここでは対談に用いられたL男、M子、P子という名前をそのまま用いる。

(註1) Klein,M.: Notes on Some Schizoid Mechanisms,1946.(小此木啓吾 他責任翻訳)メラニー・クライン著作集4. 誠信書房,Pp 3-32,1985.
(註2) Klein,M.: On the Theory of Anxiety and Guit,1948.(小此木啓吾 他責任翻訳)メラニー・クライン著作集4. 誠信書房,Pp 33-54,1985.

[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ]↑ページ上端へ

2006年11月27日

クレプトマニアと罪悪感(ブログ版)その6(1/5)

image061127.jpg11月1日付のブログで取り上げた症例について以下に掲載します。
[引用]斎藤学:嗜癖. (土居健郎,他編) 異常心理学講座, Pp 75-129, みすず書房, 1988. 

[症例]「A」
 次に紹介する「A」と「B」については「ビル・W.」のように詳細には報告できない。現にわれわれと同じ時代、同じ街でささやかな市民生活を送っている人々であり、ビルのように自分の回復と救済のドラマを語ることを使命にしている人ではないからだ。
 ただ、彼らは彼らなりに嗜癖行動への溺れとそこからの回復という過程を踏んでおり、その足どりをたどるとビルの場合と同種の軌跡が描かれているように思う。

===
 この「同種の軌跡」についてであるが、もし「同じ」ことを強調するだけが目的であればためには同じアルコホリックでしかもビル・W.のように「救済」を使命とするようになった人、例えば松村春繁(全日本断酒連盟の創始者の一人)のような人物が適当であろう。
 しかし、ここではそうせず、むしろ故意にビル・W.の場合とはかけ離れた嗜癖者を選んだ。
 嗜癖にはアルコールや薬物の依存症以外にもいろいろなものがあり、それに淫する人の人格診断の水準も様々である。それにもかかわらず嗜癖とその回復には同種の行動パターンがみられることを強調したかったからである。

 メダルト・ボス(Boss,M.10)の「性倒錯」には性衝動に結びついた盗癖(クレプトマニア)の症例が載せられている。
 筆者と17年に及ぶ長い交流を持った一人の青年「A」も、この種の衝動に悩んでいた。彼は電車に乗ると「お触り」しないではいられない、いわゆる「触り魔」であった。
 満員電車の中で女性に接触して射精にいたり、成功の記念として女性の所持品を盗むのである。盗みが目的ではないので、普通はハンカチやチリ紙しか盗らないが、財布を引き抜いてしまったこともあり、その時は動転して自ら警察に駆け込み、逮捕されている。

[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ]↑ページ上端へ

2006年11月29日

クレプトマニアと罪悪感(ブログ版)その6(2/5)

 彼はほとんど毎日、夕刻から夜にかけて東京近郊の私鉄に乗り込み、始発から終点までの往復を繰り返していた。夕刻の私鉄ターミナルはごったがえしていて、この青年の目的には適しているのだが、元来が小心な人なのでなかなか行動に踏みきれない。

 そのうち電車はだんだん空いてきて、妙な動きをすることがいよいよ難しくなるのだが、あきらめることもできずにいるうちに終点まで着いてしまう。そこでまた始発まで戻ってということを繰り返すわけだが、時刻が遅くなれば電車はガラガラになるから、目的はいよいよ達成できなくなる。

===
 というわけで、この青年は毎晩、郊外に向かう電車の中で冷や汗を流しながら、金縛りになったように立ちすくんでいた。自分を責め、馬鹿馬鹿しいと思い、今夜が最後とその都度思うそうだが、次ぎの夕方になると、名状しがたい衝動につき動かされてターミナル駅に向かっている。

 無理にあきらめて駅に近い自宅に戻ると空虚感に押しつぶされ、イライラと焦りで狂いそうになるのだという。「A」はその頃22歳で、ある美術大学の学生だったが、あまりの辛さに大学を休学して治療に専念しようと決意し、実に様々なクリニックや病院を経たうえで当時私の居た病院のアルコール外来にたどりついた。

 恥をしのんで訪れた多くの病院で彼は相手にされなかったが、ある病院で出会った精神科医が「それは一種の中毒だ」と言ったことが筆者と出会うきっかけになったのだそうだ。(続く…)

[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ]↑ページ上端へ

2006年11月30日

クレプトマニアと罪悪感(ブログ版)その6(3/5)

 「A」と筆者との治療関係は波乱を含みながら現在まで続き、「A」は今、ある種の安定を得て都心の喫茶店で働いている。
 この間には数回の精神病院への入院があり、入院期間も合計すれば3年近い。最後の退院は10年前である。

 未だに独身のままで、ある宗教団体に所属しており、そこの合宿に時々参加する。専門の画家になることはあきらめたようだが、街の画塾に通い続けて年に1回はこの塾主催の展覧会に出品し、その際には筆者のもとに案内状が届く。

===
 職場での人間関係は貧弱で、会えばその愚痴を長々と話し、その内容は独善的で被害的だが、職場を転々とするエネルギーは失せたようで、彼なりに誠実に働いている。

 「A」とのかかわりがまがりなりにも効果をおさめたのは、筆者が彼の家族たちとの連絡に気を使ったためだと思う。
 「A」の父親は某公社の職員、母親は芽が出なかった映画女優で、「A」が中学の頃夫婦は離婚しており、筆者がかかわった頃、母親は都内でスナックを経営していた。

 夫婦の間には「A」の上に4歳年上の兄がいた。前妻との離婚について、父親は派手好きな妻が地味な公務員の自分に愛想をつかして愛人を作って出奔したという風に話した。当の母親は父親の精神的な不安定を支えるのに疲れたのだと言った。この母親は離婚後、スナックの経営に行きづまったりしたそうで、筆者が会った時はやつれた様子をしていた。

 父親の精神状態には確かに問題があり、前妻との結婚前から夜間、心臓が停まるという不安発作に悩まされていた。神経症として精神科医の治療を受けたことはなく、内科の主治医を頼りにしていた。
 若いときから宗教や人生哲学に凝っていて、最終的には某新興宗教の熱心な信者になることで、自分の不安を克服することが出来たという。
 極度に緊張の高い人だった。向かい合って座っていると彼の緊張がこちらにも伝わり、息苦しくなってきた。(続く…)

[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ]↑ページ上端へ

2006年12月01日

クレプトマニアと罪悪感(ブログ版)その6(4/5)

 この父親は妻と離婚してから数年、独身でいたが、やがて地方出のいかにも健康そうな女性をお手伝いとして雇うようになり、また数年してこの女性との間に子供ができたのをきっかけに再婚という形をとった。

 当時、兄は既に家を出ていてこの結婚に無関心だったが、大学に入ったばかりで家に残っていた「A」は猛烈に反対した。彼はこの結婚を認めないと宣言し、継母を母と呼ばず「あの女」と言い、女中扱いしつづけた。もっとも食事から洗濯から「A」の世話を焼いていたのはこの女性で、もっとも熱心に筆者と連絡を取り、「A」の治療に躍起になって協力していたのも彼女である。

===
 治療に熱心だったのは「A」を怖れていたからである。彼女は「A」が自分の赤ちゃんを殺すのではないかと思っていた。しかし彼女自身が襲われるとは全く考えていなかった。
 彼女は「A」の物腰の中に自分への甘えを感じていたのだと思う。素朴な人だったが、それだけに「A」の赤ちゃん並の欲求の本質が見えていたのだろう。それは「抱っこされる欲求」とでも言えるもので「A」は彼と向かい合う全ての人に、程度の差はあれ、この欲求を伝えていた。

 良く尋いてみると、「A」の盗癖には前駆症状があった。高校2年の時、継母がお手伝いという形で家にきて暫らくしてから、「A」は腹痛を訴えて登校しなくなった。
 腹痛は慢性の虫垂炎ということになって内科的な治療を受けていたが、全く食事が取れなくなって極端に痩せた。
 新しく来た「お手伝いさん」は、まずこの次男の世話にかかりきりになり、乳児におっぱいをふくませるような食事の介護が続いた。

 ようやく学校にも出るようになり、1年浪人して都内の美術大学に進学したところで、このお手伝いの妊娠、父親との結婚、出産という一連の出来事が起こった。前述の奇妙な盗癖は本物の乳児から、乳児としての自分の役割を盗まれ、オッパイを盗まれ、父親を盗まれたところから始まっているように思われた。
 「A」の周囲の人々に、この前後の彼の行動についてきいてみた。

 兄は「A」が、その頃突然訪ねて来たことを思い出した。実母の住所を聞きにきて、母が男のもとに走ったというのは本当かと尋ねたのだそうだ。
 「そんなことは知らない」と兄は答えたが、不思議に思った。というのは父母の離婚の時、動揺したのは自分の方で、弟はまるで無関心のように思えたからだ。その後この兄は弟に習って親には無関心になるように務めていると言い、どうやらそれに成功しているようだった。

[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ]↑ページ上端へ

2006年12月04日

クレプトマニアと罪悪感(ブログ版)その6(5/5)

 実母もその頃「A」の来訪を受けている。

 家を出てから数年の間、兄とは度々会ったが弟は全く姿を見せなかったので、「私は恨まれているものと思っていた」と実母は言った。
 始めのうち母は喜んで「A」を迎え、要求されるままに泊まらせたりしたが、やがて苦痛を感じるようになって、アパートを変えた。家のものを「盗まれる」こともあったが、何か異様な欲求の所在を感じて、とても一緒に寝られなかったからだという。
 盗まれるものは金品ではなく、身につけるもの、特に肌に着けるものだった。

===
 父はこの頃「A」が、父親の宗教に関心を示し始めたことについて述べた。
 「A」は父親に対し、一貫して要求がましい不機嫌な態度しかとってこなかったが、乳児が生まれて暫らくしてから、父の属する宗教団体の合宿所(修練道場)に連れて行ってくれと頼んで父をびっくりさせた。

 どうやら「A」の原初的な欲求は発達に添った質的転換を受けないままに残遺し、より成熟した段階で生じる欲求と併存していたらしい。
 新生児に自分の立場を奪われたことを契機に「A」の精神は活発な成長期に入ったため、この併存が彼にとって苦痛なものになったのだろう。この苦痛の解決を求める動きが、一方では実母との距離をはかる行為として表現され、他方では宗教への関心となった。そして多分、嗜癖行動にも彼なりの積極的な意味があるのだと筆者は考えた。
 少なくともこれによって彼は「患者」という立場を確保できたし、患者になることによって自分の成長に伴う苦痛を治療者である筆者に預けることが出来たわけである。

 こんなふうに家族と連絡をとっているうちにも、「A」は次々と事件を起こした。警察ざたになる一方では、手首を切った、メチル・アルコールを飲んだと電話してきては「死にたい」を繰り返した。必要に応じて精神病院へ入院させたが、病棟では必ず人間関係の混乱を巻き起こした。

 特にわれわれが困ったのは入院ごとに看護スタッフの一人と深すぎる接触が生じることだった。その都度われわれの設定したグループ療法的環境は危機に追い込まれた。
 4回目、最後の入院の時に筆者は、「君は今の病院でも、私の外来でも癒らないと思う」と言った。当初から「A」の問題が精神病院の中で解決するとは思っていなかったが、患者の立場へ逃げ込むことを何回か許してしまった後で、これが彼の成長を止めてしまうことが確認できたからである。
 父親を呼んで、「A」を宗教団体の集まりに連れて行くように指示し、この指示が実行できないようなら外来に来る必要もないと伝えて退院させた。

 これで問題が片付いたわけではなかったが、事態の改善がみられるようになったのはそれからだった。彼は父親に連れられて地方にある宗教団体の合宿所に入り、そこで数歳年上の女性と出会った。
 それまでにも浅い、投げやりな疑似恋愛は繰り返されてきたのだが、この時の女性とはそれまでとは全く違う安定した関係が続いた。どうやらこの女性は魂の部分で彼に接し、彼を導いて欲求の出口を変えたらしい。

 筆者が期待したような悟りや急激な霊的体験は彼には訪れなかったようだが、これはこれで一種の奇跡と言えるかも知れない。
 2年ほどして、この女性との関係が不安定になった頃から、「A」は再び筆者の外来を訪れるようになったのだが、その時の彼を見て、かつてのギラギラした焦りのようなものがなくなっているのに筆者は驚き、憑き物が落ちるとはこういうことかと思った。

 もっとも精神医学的な問題が深刻化したのはかえってそれからである。
 かつてのような劇しい振り回しや自殺渇望はなくなったが、静かな抑うつと無気力が暫らく続いた。学業を断念したのもこの頃だった。

 その後、やや気を取り直して2、3の会社に勤めたが、そうした経過の中で、幻聴とも幻視ともつかない幻覚体験を訴えるようになった。オレンジ色の文章が目の前にぶら下がるのである。「もうだめだ」とか「あきらめろ」とかいった簡単な文章である。
 筆者の懸念ははずれて、それ以上の悪化はなく、やがて奇妙な幻視も消えた。
 かつての精気に満ちた「魔」の顔が消えて、現れ出たのは彼の父に良く似た陰気で無気力な中年男の顔だった。(終わり)

[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ]↑ページ上端へ

2006年12月07日

クレプトマニアと罪悪感(ブログ版)その7(1/5)

0611cover_m.gif 以下の対談は、「アディクションと家族」23巻3号に掲載したものです。お読みになっていない方もいらっしゃると思いますので、ここに掲載します。

カバンの中が盗品でいっぱいだとすごい幸せ!
L男さん
聞き手 斎藤 学

 L男さんは39歳、目鼻立ちのはっきりした細身の男性。
 7年間の引きこもり生活の後、ジェイカJACA(日本アダルトチルドレン協会)に連絡を取り、生活保護を受け家を出て、96年からSクリニックに通院。デイケアメンバーのR子さんとの交際がきっかけで、万引きをするようになる。

 万引きを重ねるうち、2002年、G市のアウトレットモールでR子さんとともに逮捕され4カ月間の拘置、禁固1年半・執行猶予3年の有罪判決を受ける。
 執行猶予期間中に都内の衣料品店で再逮捕、医師の所見により再び執行猶予となる。現在はKA(クレプトマニアクス・アノニマス)に参加。万引きは1年以上止まっている。
 彼女の万引きに、「すげえな」と思った

===
斎藤 L男君の話はすごく細部が生き生きしていて、面白い。昆虫を飼ってて、雄と雌が交尾してるところを見て、無理やり引っ張って離そうとしたら、男根が抜けちゃったという話があったよね(笑)。

L男 管が切れて。2匹とも弱っちゃって(笑)。

斎藤 普通そういうのは、見たとしても話さないじゃない。そういう話を再現できるのは1つの能力ですよ。
 この人の診断名は何ですかと言ったら、強いて言えば、コミュニケーションの問題だね。自分の内部で完結しちゃってるでしょ。家から出ても気分は引きこもりのままで、人に甘えることもしないわけで、その必要も感じない。寂しくないでしょう、あんまり。

L男 そうですね、自覚したことはあんまり……。

斎藤 ないよね。だから、本当の意味では「治そう」というモチベーションもないんじゃないかと思う。それで済んでるから。強烈な寂しさがあって酒飲むとかいうのもないし。(続く)

[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ]↑ページ上端へ

2006年12月08日

クレプトマニアと罪悪感(ブログ版)その7(2/5)

 万引きの話だけど、クリニックに来て1、2年たって、デイケアメンバーで一緒に帰る女性がいて、そのR子さんが急に道で倒れかかったんだよね。

L男 貧血で倒れて。

斎藤 それであなたが心配して、抱えたりして、同じ沿線の彼女のうちまで連れていった。そこで休ませて、それで一緒に住んじゃったの?

L男 そう。その日はそのまま彼女の家に……。
 でも、そこへ行くまではずいぶんかかって。最初は、僕はここのメンバーさんとは誰とも接触がなくて、ミーティングに出た後に声かけられても逃げ回ってて、R子さんだけは逃げても逃げてもついてきて。

 そのうち、彼女の方からちいちゃい手紙を渡してくるようになって。それで僕は「返事書かなきゃいけないと思うんだけど、書けないんだ」と言ったら、「一方的に渡すだけでいい」って。

斎藤 倒れかかる前に手紙だったの?

L男 手紙で。それまで「一緒に帰ろう」と言われても、僕は逃げてて。半年くらいしてから、ちょっとずつ……。

===
斎藤 R子さんの万引きを目撃したのは、いつ? 同棲が始まってから?

L男 うん……最初の頃は全然そういう問題はなくて。

斎藤 あなたみたいな人が女の人と一緒に住むなんて、イメージがわかないんだけど。

L男 R子さんがぶっ飛んでる人でしょ。現実感ない人だったから。お互いにそっぽ向いて、コマが一緒に2人いたというだけで、相手の顔見て会話したとかは……。

斎藤 でもセックスはしたんでしょ。

L男 最初は多少はしたけど、あんまりそういうのは……。

斎藤 それはどっちが?

L男 それは僕の方から。

斎藤 あらそう!

L男 何となくそういう形になっちゃうから。身体さわったりとかしてるうちに。風呂入ったりとかして。

斎藤 R子さんが倒れてから、セックスまでどのくらいかかったの?

L男 1週間くらいかな。わりと早かった。

斎藤 万引きまではどのくらい?

L男 万引きまではちょっと時間かかったと思う。はっきり覚えてないんだけど、1年かちょっと。

斎藤 万引きが始まったのは、R子さんがあなたとつきあってる間に別の男性にふられて、犬を飼い始めた頃?

L男 その頃かなあ。

斎藤 倒れた時から数えると、3、4年くらい?

L男 そう、その頃から。犬も2匹で精いっぱいだったのに、子どもが生まれたりして、最終的には13匹。(続く…)

[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ]↑ページ上端へ

2006年12月11日

クレプトマニアと罪悪感(ブログ版)その7(3/5)

斎藤 最初に彼女の万引きを見たのはどこで?

L男 最初は、横浜のランドマークタワーにあるRというお店。レジ通ってないのに何か物を持ってる。「それ、どうしたの?」って言ったら、「実は」みたいな話をしたのが最初かな。

斎藤 現場は見た?

L男 見てない。

斎藤 その時どんな感じがした?

L男 えー。僕にとって、物を盗ってくるっていうのは、どこかで欲求があったみたいで、だから、ちょっとうらやましいというのはあったかも。膝を打つ感じ? 「すげえな」っていう。

===
編集 盗ったのは洋服ですか?

L男 その時はシーツだったかなあ。四角い何か。

斎藤 あなた自身は、いつ頃からやりだしたの?

L男 最初はこわかったから、R子さんに頼んでたのね。だって、R子さんは自分のものしか盗ってこないじゃない?
 こんなに心配してバクバクしてるのに、僕の物は何もないなんて悲しい。でも、自分が盗るにも盗れないでしょ。

 だからそれとなく、「あれとあれ、あるといいな」なんて言うと、R子さんが持ってきてくれる。その頃、M町にあるジーンズ屋さんがそろそろつぶれるっていう時、大きい店舗だったんだけど、R子さんにすごい頼みまくったかな。ジーンズ20本くらい持ってきてもらった記憶はある。

斎藤 自分で使おうと思って?

L男 使うというか、欲しいと思って。それまで自分の服とか買えなかったのね、母親がすごい厳しくて、「ゼイタクは敵だ!」って、質素倹約!!唯一許されても、母親の好みで「これ着なさい」って感じで。

 だから、その時は「えー、こんなにいっぱいもらえるんだ!」みたいな感じ? 母親もこんなにくれなかったのに、みたいな。うれしかったかなあ。こわかったけど。サイズもちゃんと言って(笑)。「これとこれとこれ、お願い」みたいな(笑)。

斎藤 自分でやるようになったのは、どのくらいたってから?

L男 半年たってないかなあ、自分で盗るようになったのは。その頃はR子さんがしょっちゅうつかまっていて、僕も一緒にいるから事務所に連れていかれるでしょ。そうするとR子さん、こわがらないのね。保安係が何か言っても、足組んで「文句あるわけ?」っていう態度で対応するわけよ。
 「バッグ見ていいですか」って言われると、「法的に見る権利はないと思うよ。見たきゃ見ていいけど、もしなかったら訴えます」って、すごい高飛車なのね。

 僕は、ほんと、申し訳ないっていうか。何度もつかまるのはやっぱこわかったかな。その頃から僕はR子さんに、盗み方があまりにもひどいと言ってて。服とか持ってくる時、見るからに着ぶくれしてるのね。それでも平気で彼女、半分ぽーっとした顔で出てきたから、ちょっとたしなめるようになって、「こうやるんじゃなくて、自然な形でやった方がいい」(笑)とか、いろいろアドバイスしてるうちにちょっと勇気出して僕もやるようになった。

 R子さんに頼んでるのも負い目があったから、自分でやった方がいいって。でも、競争してたかな。彼女はね、量がすごいの。僕はビクビクしてやるでしょ。持ってくる量が全然違うのね。(続く)

[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ]↑ページ上端へ

2006年12月12日

クレプトマニアと罪悪感(ブログ版)その7(4/5)

斎藤 それはG市で逮捕される何年前くらい?

L男 1年半か2年ぐらい前かな。G市でつかまるまでの4、5カ月は、ほぼ毎日。朝から行って。
 盗品を積み上げるのはすごい快感

斎藤 今度の私の本(『自分の居場所のみつけかた』大和書房)で、あなたの万引きのことを「彼の人生において初めての自発的な仕事」と書いたんですよ。
 なぜかというと、万引きというのは親からすると禁止事項もいいところでしょう。あれだけ従順にお父さんやお母さんを心配していた人が、それを敢えてやった。いくらR子さんがいたからといっても、相当な思い切りがあったと思う。
 だから、価値判断なしに言えば、「やったじゃん!」ということだよね。自分でもそういうふうに思ってるんじゃないの?

===
L男 ああ。「上手にやったな」というのは。

斎藤 親との関係で何かない?

L男 親との関係?

斎藤 つまり、あなたのことはみんな親がわかっちゃってるわけじゃない?
 だけど、生活保護を受けたことと万引きは、親と相談していないよね。思春期の子がエロ本を見るようなもので、親離れです。やっぱり、あなたの中ではプラスのものがあったんじゃないの?

L男 ああ。アディクションも何もなかったし、何もやってなかった自分が初めて動けたなというのが万引きで。

斎藤 万引きは、ちょっとぞくっとする感じがあるの?

L男 すごい緊張高まって、成功した時はもう爽快感というか。ちょっとした罪悪感はあるんだけど、そんなのは後で何とかなる。
 カバンの中に(盗った物が)いっぱいあるでしょ、それがもうすーごい!

斎藤 R子さんに比べれば、まだまだ。

L男 まだまだ。でも、すごい幸せなのね! ほんともう舞い上がる感じ。

斎藤 社会から贈り物をどさっともらったような感じ?

L男 いや、そうは思えないんですけど。やっぱり、ただうれしい、とにかく。「こんなのアリなわけ?」って。今までなかったものがあるでしょ。ありえなかったし、想像もつかなかったものが目の前にある。目の前っていうか、ここにあるんだもの。それを自分でやってきたんだから、もうやめられなかった。
 それを部屋に持っていくと、もう待ってられないのね。すぐ空にして別の店に行って、1日に5往復6往復やって。

斎藤 株やってる人の心境かなあ(笑)。

L男 トイレも行けない。

斎藤 ああ、トイレ行けない感じか。

編集 盗った物がたまっていく快感はありますか?

L男 ああ、たまっていく快感はやっぱり、ある。
 僕が目標にしたのは、Tシャツに限っては、まず床に敷いたのをどんどん積んでいくのね。積んでいくと腰の高さまでとかなって、天井まで行くのが目標になって、天井まで1本積み上げるともう1本欲しくなる。
 結局天井まで2本積み上げて、Tシャツは3本目の途中でつかまって。

 靴とかも、部屋が全部靴でいっぱいになる。きっちり合わせてそろえていって、部屋の半分が靴でそろえて、2段目に行って、3段目に重なって。

斎藤 警官はびっくりしたよね。「これはプロだ」って。

L男 そうやって高さが積んでくると崩れるようになるから、R子さんの部屋にいた時は、あらゆる物でいっぱいだった。部屋の周囲は全部物であふれて、上まで行って崩れて。

斎藤 そこに犬もいるわけ?

L男 そうそう。当時は、敷きっぱなしの布団以外は全部「物」という感じになって、だから、ゴミ屋敷のゴミが全部盗品になってるような状態。今思えば。どっかでまずいと思ってるんだよね。こんなのおかしいし、「やめなきゃいけない」と思うんだけど、そういう意識は全然自分に影響を及ぼさない。

斎藤 G市でつかまって執行猶予になって、再逮捕されたのはどこでしたっけ?

L男 都内で、U(衣料量販店)。

斎藤 あれがわからないんだけど。なんであそこでつかまったの? しかも、Uって私の知ってる限りわりと警備が厳しそうじゃない? 店内が整然としてるし。

L男 いや、わりとUで盗ってきてる人は多くて。店員さん自身が物を盗んでるって話があるくらいだから(笑)。

斎藤 何を盗ったの?

L男 あの頃は、何かなあ。とにかく目につくものを。

斎藤 私の知ってる限りそれが最後ですよね。

L男 あの時は長袖のTシャツを何枚か盗って、バッグに入れてちょっとした時に気づいたんだよね。「あっ、見られてる」ってのがわかって。ヤバイと思ってそれを歩きながら(棚に)戻してる時に後ろからつかまれて、「ずっと見てたからな、言いわけしても聞かねえからな」って、店長と2人に両脇抱えられてそのまま事務所まで引きずられていって。その時はR子さんじゃなくて、K子さんと一緒にいる時だったから。

 何であの時、万引きしたのかな。自分でもよくわからない。
 ……ああ! G市でつかまって、盗った物が全部没収されたでしょ。没収されたのがちょっとくやしかったみたいね。また元に戻したいっていう気持ちがちょっとあったかもしれない。

 前はあそこまでたまったんだから、とりあえずあそこまで行ってやめようっていうか。1回そういうの知っちゃうと、なくなったのがすごく残念だったのかな。くやしかったのかなあ、持っていかれて。(続く…)

[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ]↑ページ上端へ

2007年01月09日

クレプトマニアと罪悪感(ブログ版)その8(1/2)

3症例に見られる妄想的罪悪感

孤立選択

 [引用2]には被告人A子が「人間関係をごく狭いものにしている」ことが書かれている。

 子殺しにせよ窃盗癖にせよ、反社会的行為はそれを犯す個人の社会からの孤立を前提として発生する。本特集の対談に応じた窃盗癖の3人にも、この孤立傾向が共通して見られる。そしてそれは生育家族そのものが地域社会の中で選択していたものを基盤として発生しているように思われる。

===
 地域社会から孤立した家族の中で育てば、その個人の社会化は阻害される。親たちや同胞との関係が適切であれば、そうした社会化の遅れもある程度は補填されるが、家族内コミュニケーションが充分でなければ、そうした修正も効かない。そうした子どもが親の期待にそった「良い子」の自己を維持しようとすれば、教師や友人からの批判を意識から排除せざるを得ない。

 つまり彼らは他者の否定的評価を否認したり、脱価値化したりして周囲から超然としているように振る舞うようになる。ここでは、こうした態度を「孤立選択」と呼ぶことにする。

 「選択」の語を用いるのは、彼らがこうした対人関係上の振る舞いをある程度は「自らの意志」として意識しているからに見えるからである。彼らは意識して孤立を選択したと考えているが、「それが何故か」については気づいていない。(続く)

※この原稿はアディクションと家族23巻3号(特集:クレプトマニア)からの抜粋です

[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ]↑ページ上端へ

2007年01月12日

クレプトマニアと罪悪感(ブログ版)その8(2/2)

L男の引きこもり

 L男の生育家族は彼が小学校に入るまで関西にいて、居住地の東京近県に根付いていたわけではない。今も血縁の多くは関西に住んでいる。

 父親は物理学関係の研究者で勤め人であり、内閉的な人柄もあって地域の人々との交流はむしろ避けていた。母親も家事に専念する人で地域の人々との交流に心がけるということはなかった。

 元来、東京で働く人々のための造成住宅地に家屋建設会社の規格住宅を購入して建てられた家で、町内会とか地域の祭りということからは縁遠い一家であった。大都市近郊にこうした家族が希ではないとはいえ、このことはやはりL男のような「引きこもり成人」の発生に関しては押さえておくべきだと思う。

===
 L男は学者の長男であり、それを誇りとする母親は彼の学歴を重要視していた。
 父親を畏敬(その程度は病的と言えるほどのものである)する彼は、その圧力をもっともなこととして、その期待に添えない自分を責め続けた。その点で姉とも、弟とも違った立場にいることを過剰に意識して悩む少年であったようだ。

 関東に引っ越してからは近所に年齢のあった子どもたちがいなかったこともあって遊び相手は3歳年下の弟に限られた。こうして彼は社会化の遅れた、そのくせプライドだけは高いので超然とした風情を示す少年として地元の公立中学に進んだらしい。

 ここの2年生のとき、いわゆる番長少年たちからのいじめの標的にされ、脅えながら卒業までの日々を過ごしたが、彼はこの屈辱や恐怖を親たちには一切漏らしていない。その代わりのように弟への支配欲、競争心、嫉妬は亢進した。ちなみに、登校しないという選択は意識に上らなかったという。それを考えるには父親が怖すぎたし、母親の願望への配慮も強すぎた。

 こうした状況に置かれたL男に残された選択は、日々を「フリをして過ごす」ということであったようだ。学校が楽しいフリ、熱心に勉強しているフリ、厳しいながらに弟にやさしい兄のフリ。しかしその代償として彼は感情という現実と向き合うことを放棄した。

 そうした現実回避のツケを払わされることになったのは大学進学ないし就職という「家離れ期」の課題に直面した時である。
 彼はどちらも選べないまま、さしたる意志もなくズルズルと3年間の浪人をし、いくつもの専門学校に学費だけ払い、最後にはなにもせずに家の中の日当たりの悪い一室に閉じこもって昼は寝て暮らすという生活に入った。

 この「引きこもり」は7年にわたって続いた。その後、あるきっかけで精神科クリニックのデイケアにつながったが、その後の8年間も通院以外の社会的活動はしていない。唯一の例外が3年前まで2年弱にわたって続いた強迫的反復的な窃盗であった。対談にもあるように盗んだものを蓄えることのみを目的とするような蒐集狂(collectomania)に近い盗みであった。
 この間、二人の女性と親密な関係を持ったが、これも彼の方から働きかけたものではない。

※この原稿はアディクションと家族23巻3号(特集:クレプトマニア)からの抜粋です

斎藤学の講座・ワークショップ

講座名日程時間料金対象会場
斎藤学ワークショップ3/3、414:00〜20:00
10:00〜18:00
31,500円一般東京麻布
斎藤学オープンカウンセリング18:30〜20:303,000円
5,000円
一般東京麻布
親のための家族相談18:30〜20:303,000円
5,000円
一般東京麻布

※開催日については必ず各講座の詳細ページでご確認下さい

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ]↑ページ上端へ