カテゴリー「男らしさの病」の一覧
2006年04月19日
バタラーズ・ミーティング(1/2)
午後6時半からの会場に少し遅れて入って行くと、8人ほどの男たちが坐っていた。私が席に着いてしばらくすると、見かけない男がぼそぼそと自己紹介を始めた。45歳であること、会社員であること、うつ病で入院中で、そこの医師の指示でこの集まりに顔を出したこと、あと一月すると離婚が決まることなどを語った。
司会役の営業マンが引き取って次の人物の自己紹介と近況報告に移ったが、私は先ほどの男の顔つきが尋常でないことを気にしていた。彼は切羽つまっている、絶望しているようである。
===
この集まりは「バタラーズ・ミーティング」と呼ばれるもので、毎週金曜日の夕方に都心の小さなビルの地下室で開かれている。バタラーとは殴る人という意味だが、ここは男たちだけの会なので、妻やそれに準じる人を殴ったり怒鳴ったりしてしまう男というくらいの意味である。精神科医である私が2001年の1月にこれを始めてから2年が過ぎた。
しばらくして、その男に再び発言の順番がまわってきたので、どうして入院したのかを訊いてみた。数ヶ月前からうつ病ということで通院していたのだが、2週間前、投与されていた睡眠薬を一週間分まとめて飲んだのだという。救急病院に搬送されてから精神科へ入院となり、訪ねてきた妻から離婚したいと言われ、離婚届に捺印したのだそうだ。
このような事態になったのは初めてのことで、それまでは精神科とは無縁な生活をしていた人らしい。結婚して25年、子どもは男の子ばかり3人で一人は既に成人していて、残りは高校生と中学生だという。ここ数年いらいらして妻にあたることが多くなり、よく怒鳴っていた。時には暴力にもいたったが、物を使って叩くようなことはなく、蹴ったり刃物を出したりしたことはないと言った。
更に訊いてみると、結婚当初は彼の両親と同居していて、軋轢が大きくなり、別居したという。最近のいらいらは仕事のことと言うよりも、老いた両親のことで悩んでいたことと関連していたらしい。妻には「なんとなく恨めしい気分」を持っていたという。
![]()
斎藤学の講座・ワークショップ
| 講座名 | 日程 | 時間 | 料金 | 対象 | 会場 |
| 斎藤学ワークショップ | 6/17 18 | 14:00〜20:00 10:00〜18:00 | 31,500円 | 一般 | 東京麻布 |
| 斎藤学オープンカウンセリング | 火 | 18:30〜20:30 | 3,000円 5,000円 | 一般 | 東京麻布 |
| 親のための家族相談 | 火 | 18:30〜20:30 | 3,000円 5,000円 | 一般 | 東京麻布 |
※開催日については必ず各講座の詳細ページでご確認下さい
[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ][↑ページ上端へ]
2006年04月20日
バタラーズ・ミーティング(2/2)
(続き)
「それにしても危ないね、男の人は死のうと思うと死んじゃうからね。あなたが助かったのはクスリの知識が無かったから。気持ちが落ち着いてから退院しないと次はホントに死んじゃうだろうね」
「でも来週退院します」
「えっ、来週ったってあなたそりゃ無理だよ、延ばせないの?」
「先生が決めたというより、このまま入院してるのが耐えられないんです。離婚のこともどうなってるかわからないし」。
===
私たちの会話を聞いていた30代後半の有能そうなサラリーマンが口を挟んだ。
「決着は急がない方がいいと思いますよ。時間を稼ぐんです。とりあえず区役所へ行って離婚届の不受理申請をなさったらどうですか。不必要になればキャンセルすればいいんですから。離婚届に捺印することと、届け出で時に離婚の意思があることとは別なんです。普通、夫婦のうち片方だけで離婚申請に来れば、もう片方に確認の連絡が来るはずです。1ヶ月後には離婚とおっしゃいましたが、それは奥さんが言ったことでしょ。奥さんも迷っていると思いますので、不受理の申請をしてから奥さんに離婚したくないと言うのがいいと思います」
この30代のサラリーマンもバタラーである。彼の妻は、この夫を怖がって住まいのそばの実家に帰っている。妻の実家のそばに夫婦の住居があるのは、妻の父が病身のためで、それを考えて住まいを選んだ彼は元来はやさしい男なのかも知れない。7歳の娘と5歳の息子がいて、結婚歴は10年余り。子どもたちは近所にひとりで暮らしている夫のもとにしょっちゅう帰っている。妻もそうしているようだから、別居とも言えないようなものではないかと思うのだが、私たちのグループに参加してから二人の仲はいっそう険悪になっているようで、とりあえず離婚ということになったそうだ。その決断をするまでに彼は何回か離婚届の不受理申請をしており、それを知った妻をますます怒らせては申請のキャンセルを繰り返していた。
![]()
[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ][↑ページ上端へ]
2006年04月24日
幾つかのパターン(1/2)
この集まりに参加していた8人の男たちの妻への暴力には三つほどのパターンがあると思った。結婚生活が1年前後と短い場合、10年前後の場合、そして上に見たように30年近い場合では、夫婦間暴力にも違う装いがある。
DV法(配偶者暴力被害者の保護等に関する法律、2001年11月施行)絡みかどうかでも違う。これが絡んでいる場合、警察が関与したりして、妻がシェルターなどに保護され、その後の行方はわからないというのが普通で、ときには接近禁止の裁判所命令をかいくぐって妻に近づいた夫が逮捕され失職したりしている。
妻の心が既に別の男性の方へ移っている場合もある。この8人の場合は一人だけ(12.5%)がこれに抵触した男性だが、今までにこのミーティングを利用した53名についてみると、11名で20.7%とかなりの高頻度になる。
===
DV法については本書の後半で触れることにして、ここでは結婚年数でみた場合の違いをスケッチしておこう。30代前半のIT技術者の場合、子どもは1歳である。妻は同い年で熱烈な恋愛で結婚したはずなのに、ここ半年ほど口論が続き、ある日の出勤前、妻の髪をつかんでなぎ倒すということをしてしまった。
その前から「○○君(と彼は妻に呼ばれている)、あなたバタラー入ってるわよ」と言われていたそうで、口論の際の罵声がひどいものになっていたらしい。
今の彼だからわかるのだが、出産後の妻が乳児の世話に没頭していたことに、何となく違和感を持っていたようだ。だからもしかしたら、暴力が乳児に向かうという悲劇にもなりかねなかったことになる。
この夫婦の場合、妻は直ちに子どもを連れて実家にもどり、彼はバタラーという言葉を手がかりにインターネットを検索して、このミーティングへたどり着いた。以来数ヶ月、今はひたすら妻の赦しを乞う日々だが、妻の父は「遊びにおいで」と言ってくれるようになったという。
[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ][↑ページ上端へ]
2006年04月26日
幾つかのパターン(2/2)
この日司会役を務めていた40歳の技術系営業マンの場合、2年前から別居している妻が連れて出た子は7歳になっていた。
妻が彼に勝手に貯蓄を妻名義に換えていたことがわかった。その理由を問いただすうちに逆切れした妻から「子どものためにしたことよ、どこが悪いのよ!」と怒鳴られたことをきっかけに暴力が出て、離婚調停に入った。
このミーティングを知ったのはその頃だが、その後、妻はひとり息子を連れて実家に帰った。この男性はいかにも律儀そうな紳士だが、一緒に暮らすと少々息苦しいかも知れない。この人の両親は離婚していて、父親からはひどい暴力を受けたという記憶がある。母親も冷たい人だったそうだ。
===
10年足らずの妻との生活の間にいつのまにやら会話の量は減り、質も貧弱なものになっていたと今ならわかるが、2年前には「なぜだ!」という恨みが強かったという。
私が接していた2年ほどの間に、この人の気分はずいぶん変わった。最初は怒っていて、やがて憂うつになり、死を考えたりすることもあったのに、ある時期からにこやかになって、その頃はある女性を恋していた。今は当時の恋心が勝手な思いこみだったと考えているが、数人の女性とメール友だちになっていて、その中にはいわゆるバタード・ウーマンが数人含まれている。
彼女たちは寂しいといって良くメールを送ってくるが、決して会わないことにしている。ただ、一人の女性とは電話で接しているそうで、彼女の長々とした悩みと愚痴の聞き手をつとめているが、自分たち夫婦の状況については知らせていない。
彼女たちとの距離が保たれているのは、別居中の妻との関係が比較的安定してきたためであろう。今は月に1回、関西の大都市にいる妻子に会いに行って、一日子どもと遊んで帰れるようになっている。一緒に暮らすのは難しいかも知れない、しかし離婚を急ぐ必要もないと、彼も彼の妻も考えているようである。
この人も含めて10年前後続いてからの妻への暴力問題は、いつのまにか降り積もった「不信の埃」の堆積によるものが多い。
[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ][↑ページ上端へ]
2006年04月27日
マッチョたち(1/2)
この2年の間にやってきた人の中には、ここに紹介した律儀なサラリーマンといったタイプの他にもいろいろな人がいた。医者も数人いたし、警察官も牧師もいた。格闘家を自称する人もいて、この人は怖かった。当時は私自身が会の進行役をつとめていたのだが、この男はDV法そのものに怒っていて、「あれで俺の息子(1歳)が取られてしまったんだ」と怒鳴った。男はこうしたとき、妻がどうこうと言わずにしきりに居なくなった子どものことを言う。
「女房は逃げてから母子寮に入って、今は生活保護を受けている。弁護士なんかもついてさ。俺の計算だとあの女のために月80万の税金が使われてるだよ。あんたたちだって、あんな法律を盾に家庭を壊すことに協力してるんだろう」
と言うので
「協力とはどういう意味?」
と尋ねた。
===
「あんたたち、自治体かなんかから補助金もらってんだろ」
「あなた、ここに参加するときに2万円払ったでしょ。この会はあの金で運営してるんですよ。税金は少しも使ってません。ところで奥さんはなぜ逃げたんです?」
「知るか!そんなこと。暴力といったって私はプロの格闘家だからね、まともにやるわけないでしょ」
「でも奥さん怖かったんじゃないの?強いて言えば何度くらい?」
「3度かな」。
どういうわけかバタラーに配偶者への暴力の頻度を訊くと、いつも3回という答えが返ってくる。結婚して30年という場合でも、この男のように1年たらずという場合でも。
「大声あげて手を出したというのが3回だったとしても、奥さんを不安にさせてたとか、怖くて声も出せないようにしたとか、子どもを預けっぱなしにして放っておいたというのはないの? あなた良く勉強してるようだから知ってると思うけれど、心理的虐待というのがあるの知ってるでしょ?」
と言ったら、矢継ぎ早の大声が止まった。それをきっかけに心理的虐待の説明をさせてもらってから隣の人へと話を移した。
[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ][↑ページ上端へ]
2006年04月28日
マッチョたち(2/2)
もっと「危ない」人もいた。体格の良い30代はじめの自営業の男性は参加して数回目の時に右手の拳に包帯を巻いていたので、怪我ですか、と訊いた。
「いやね、パチンコ屋でスロットやってたんですよ。そしたら右隣の客が独り言うもんで、ウルサイって言ったんです。そしたらこっちにガンつけてきたんで前向いたまんま顎に一発くれてやったら、ヤロウ吹っ飛びましてね。そんとき拳にヒビ入っちゃって」
「あなた殴りなれてるみたいね」
「俺、高校でも大学でもボクシング部でしたから。女房のときもそれで怪我させちゃって。まずいな、とはおもうんですよね。でも気がつくと相手は倒れてんの」。
===
その次のミーティングで、彼は更に仰天することを言った。仕事でバイクに乗っていたそうである。ある交差点を赤信号直前に渡った。歩道で信号が変るのを待っていた歩行者が横断歩道を歩きだそうとしていたところをスレスレで横切る形になり、その歩行者(中年女性)が舌打ちした。こうしたとき、彼は怒りの衝動を抑えきれなくなる。それでも何とか数十メートル走ったのだが、ついに(といっても一瞬のことだろうが)キレ、彼は何と歩道を逆送し、まだ横断歩道を渡っていたその女性を追いかけた。その女性が難を逃れたのは、大勢の歩行者が彼の突進を妨げているうちに、彼の方で何とか怒りの抑制に成功したからだが、場合によってはひどいことになっただろう。
この人はその後、家裁での調停中に妻を殴ろうとして間に入った調停員と相手側弁護士を殴り倒し、この時点で離婚が成立してからグループに出なくなってしまった。前に挙げた格闘家も参加したのは1回切りである。
精神科医としての私の関心は、こうしたキレ男たちの衝動コントロールにこそあるので彼らの脱落は残念なのだが、私たちの私的なグループには何の拘束力もないから彼らとの関係を維持できない。何らかの法的拘束(暴力加害者を司法制度の中で処罰・更正の対象とすることなく、軽微な犯罪行為については民間の治療プログラムに任せて、治療効果を評価する)のもとに治療を進めることができれば、こうした男の怒りの衝動も制御可能と私は考えている。後にそうした実例を紹介する機会はあるだろう。
今のところ私たちのバタラーズ・グループに継続参加しているのは、人との出会いを大切にできる人、怒りをある程度言語化できる人に限られている。そうした人々の多くは有能なサラリーマンであり、彼らは金曜日の夜という勤め人にとっては大事な時間を使ってバタラーズ・ミーティングに参加する。
[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ][↑ページ上端へ]
2006年05月22日
試行錯誤(1/2)
男らしさの病シリーズ
2002年1月から開始されたバタラーズ・ミーティング(当初2年間は隔週、現在は毎週)は、当然のことながら迷走のうちに始まった。
その原因のひとつはグループの名前にあった。当初、このグループは「男性問題特別講座−攻撃性をめぐって」と名付けられ、この広報に魅力を感じた参加者を集めてスタートした。これは「男性問題」を取り扱う「講座」ではもちろんない。JUSTの幹部たちが講演会と名付けたのは、私が毎回参加することを強調したかったためだろう。
私はJUST運営の資金集めのために年に何回か彼らの主催する講演会でしゃべっていて、時には連続講演をすることもあったから、参加者を集めやすいと思ったのかも知れない。確かに「配偶者を虐待する男性加害者」のミーティングをすると言っても人が来なかったかも知れない。おかげで定員15名を突破する参加者でスタートできたのだが、初日に会場(クリニックの図書室)へ行ってみると、狭い会場を埋めた人々の中央に楚々とした美女が深紅のドレスを着て座っているので仰天した。
===
男性クローズド(限定)と言っておいたはずなのに、と内心ムカッ腹を立てながら、平静を装って自己紹介を始めてみると、その美女は性転換した30歳代の元男性であった。
彼は男性であった時代に結婚歴があり、その際に妻への暴力があった。短期間で妻に去られ、やがて自分の中の女性性の隠蔽に苦しむようになって性転換を志し、数年に及ぶ診療査定と女性としての試験生活(その間に女性ホルモン注射を受ける)を経てついに性転換手術を許可され、外科的処置を受けた。今は戸籍上でも男性から女性への変更を求め続けているところだと言った。今はある男性(年下)と同棲しているが、彼の心ない振る舞い(浮気)や暴言に悩む身である。男性とは一体何だろうと考える日々なので、この会に出てみようと思ったのだそうだ。
確かに「男性問題特別講座」の参加者には相応しい人だ。
(続く…)
![]()
[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ][↑ページ上端へ]
2006年05月23日
試行錯誤(2/2)
(続き)
性別問題を抱えた参加者は彼女の他にも2名いて、彼らは男装していた。
うち一名は自分のジェンダー・ディスフォリア(性別不快)を表現しようと思いはじめたばかりの学生(21歳)だったが、もうひとりは30歳代前半の会社員で同棲相手との間に深刻な愛情問題を抱えていた。相手の男性は50歳代半ばで元の職場の上司だった人だという。参加者の男性はこの同棲相手の前では「子ども返り」してしまってワガママ放題になり、ときには暴力をふるってしまう。相手の男性も妻子を捨てて元部下との生活を選んだほどだから、誠心誠意彼に尽くそうとするのだが、そのやることなすことが気に入らない。暴力は次第にエスカレートしてきていて、最近は相方がアパートから逃げてしまい、一人で過ごす夜も多くなってきたと打ち明けた。
===
この人の場合、「暴力衝動の抑制」というテーマには合致しているわけだが、「男性問題」というタイトルが無ければ、この会に参加したかどうかわからない。
参加した16名の中には他にも所謂「家庭内暴力」で父親を自殺に追い込んでしまった男性とか、逆に息子からの暴力と暴言に困惑している父親などがいた。引きこもりがちな独身男性たちは主として母親への暴力衝動に悩んでいた。当惑したのは、既婚者で妻と同居していたり別居していたりという、私が本来の治療対象と考えていた人々が4名(25パーセント)しかいなかったことで、同棲や準同棲(相手が同棲を含む)を加えても7名(43.7パーセント)と半数にも達しなかったことである。
この年(2002年)には6回を1コースとした、この種のグループを2回開いた。後半でも同じタイトルで参加者を募集してしまったのは何故だか覚えていない。第1回目の経過中に第2期募集が始まっていたので、タイトルを工夫するようなゆとりがなかったのだと思う。第2期には前回より多い19名の参加者あったのだが、この2回に参加した27名(重複参加者もいた)の男性(ないし元男性)のうち、何らかの配偶関係を体験していたのは16名(59.3パーセント)だけだった。
翌年(2003年)1月からの第3期に至ってようやく、「配偶者を虐待する男性加害者=バタラーズ」に限定したミーティングであることを明記して参加者を募集した。参加者は第3期9名、第4期10名と激減したが、ここからようやく当初意図したバタラーズのためのグループへと変化し、2004年からは毎週金曜日の午後6時半から一定の場所(東麻布のビルの地下室)で開かれる常設グループとなった。現在(2004年8月31日)までのグループ利用者の実数は83名である。
![]()
斎藤学の新刊「自分の居場所のみつけかた」