2007年10月の一覧

« 2007年09月 | ブログメイン | 2011年02月 »

2007年10月01日

盗みのこと(純子さん)

3月27日
 私は4月1日のお見合いと9月の公務員試験の勉強が全然できていないことと、来年の四月にパートが無くなることで頭がいっぱいのはずでした。
 麻布に来るには勇気が要ります。自分がちゃんとできていないことを認めなければと思わないと麻布には来られません。

 私にはもうひとつ盗みのことで言わなくてはいけないことがあります。少し前、2週間くらい前のことですが、私は弱視の人の眼鏡を盗みました。Tさんというパート先の正職員の人のものです。
 Tさんは普通の眼鏡の上に宝石を鑑定するような人が使う目にはめるタイプの眼鏡を付けています。パソコンの画面に眼鏡がくっつくまで顔をつけてTさんはパソコンの文字を読みます。

===
 Tさんの宝石鑑定眼鏡が、みんなで使うパソコンの前にありました。私はそれを盗んでバラバラにしました。4つになった部品のうち3つをバラバラのままTさんの机の上に置き、1つは今も私の鞄の中に入っています。

 今日盗もうと思って盗まなかったのは病院のタイムカードです。今日は糖尿病の診察に行きました。結果はHbA1cが6.8%でとても悪かったです。体重は88kgでした。私の標準体重は65kgです。
 病院の検査に行く途中でタイムカードが誰でも取れるように置いてありました。私はそのタイムカードを見て、この人たちは私より高い給料をもらっていると思いました。看護師だったりして働こうと思えばいつでも高いお給料で働けるんだと思いました。
 そうしたら憎たらしくなってタイムカードを抜き取って捨ててやろうと思いましたがそれはしませんでした。

 土曜日にはパート先でうまくいっているというシェアをして日曜日にはパートに行ったのですが、月曜日には朝電話をして「体調が悪いので休ませてください」と言いました。そして麻布に来ました。
 私が痩せて糖尿病が良くなっても先生は「治ったんだからどっかに行け」と言わないでしょうか。とても不安です。少し良くなったとしても今と同じように私のことをちゃんと見ていてくださいねと言いたいです。

 私は良くなっていません。体は悪くなっています。

個別ページ][←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ][↑ページ上端へ

2007年10月05日

治ったらどうしようという恐怖

 MMPIの結果が良かったみたいですが、それは私ではありません。私は定規とボールペンでそのグラフを書き直したいです。
 先生に良くなったねと言われると「なんでそんなこと言うんですか?」「私のこと、もう嫌になったのですか?」と聞きたくなります。

 私が具合が悪くて助けを必要としているということを証明してみせるのには糖尿病が悪化しているこの体だけじゃ足りないんじゃないかと昨日まで思っていました。

===
 今はもう充分です。糖尿病の結果の悪さにショックを受けています。
 糖尿病の結果が悪かったので悲しいですが、自分に対して「ざまあみろ」という気持ちがあります。
 先生は良くなっても麻布に来ていていいんだよとおっしゃいました。良くなったのが嫌で悪くなりたいと思っている私の気持ちに先生は気づいているんだと思いました。
 「悪くなる気持ちがあるのを知っているよ」と言ってくださることで、私がものすごく悪くなるのを止めてくれようとしているのだと思いました。

 先生は私の盗みのことを心配してくださっているようでした。
 「このあいだパート先からノートを40冊盗んできたでしょう、盗みはダメ」とおっしゃいました。先生に「盗みはダメ、過食はダメ」と言ってもらうとなんだか嬉しい気持ちになります。でも、また先生に当然のことを言ってもらってしまった、と思います。

 先生はすごく偉い人なのにこんなに当然のことを言ってもらってしまってごめんなさいと思います。MMPIの結果が良かったことで久しぶりに治ったらどうしようという恐怖を味わいました。
 そう考えると嫌ですが私の体がこんなに悪いということは保険の意味もあるみたいです。
 糖尿病がこんなに悪いということはだれから見ても問題があります。MMPIが正常に下がっても、私は「助けて、助けて」と叫んでいます。私は治っていないと表現しているようです。

 そう考えると、そんなことしなくて大丈夫だよと自分に行ってあげたくなります。先生は私のことを親戚の娘みたいだと言ってくれたし、良くなっても来ていいって言ってたよ。役所のパートでいいって、週3日くらい働いて後は麻布に来る生活でいいんだって、大丈夫だよ、ずっとここに来られるよと自分に言ってあげたいです。

 糖尿病である自分の体をもうこれ以上悪くしたくありません。でも、私は自分の体を守れるかどうか自信がありません。

個別ページ][←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ][↑ページ上端へ

2007年10月10日

さみしくて人のものを盗んでしまう(純子さん)

 もうひとつの盗みですが、私は頻繁に盗み始めるようになったら止まらないと思います。まだチラホラの今のうちに、これ以上にならないようにしたいです。
 少し前から盗みの感じが漂っていました。私がケチな生活をするようになったからです。

 ダイエットの後にリバウンドするように、節約しすぎるのはまずいなと思っていました。そこで昨日はノンカロリーの紅茶とノンカロリーのジュースのペットボトルを久しぶりに買いました。何日か前には化粧品を2万円分買ってしまいました。

===
 小学生の時に盗みで捕まったことがあります。その時のことを話すと私の今の盗みがこれ以上ひどくならないと思います。
 私が盗みで捕まったのは、小学校4年生の夏でした。お父さんはもういなくて、お母さんが公務員になる直前だったと思います。お母さんは就職活動で忙しくて7歳年の離れた弟は幼児でした。
 私はとてもさみしかったです。自分だけがこんなに理不尽な仕打ちを受けていると思っていました。同級生がどうして楽しそうにしていられるのかがわかりませんでした。

 私はそのころ忘れ物が多くて、よく自分が忘れた消しゴムやハサミやコンパスをそこにあるからという理由で盗んでいました。そこに置いてあるというのは、同級生の誰かがそこに置いたのであって、もちろん私の物ではなくて同級生のものです。
 消しゴムを盗んだことで3人の女の子から追及されたこともありましたが、私は最後まで「私のものだ」と言い続けました。

 私が困ったのは学校が休みのときでした。平日忙しくしていたお母さんは、休みの日にまとめて家事をやりたいらしくて、手伝いもしないでぼんやりしている私は邪魔でした。
 一度だけ「友達いないの」と言われたこともあって、私はお友達がいなくて予定もないのに仕方なく家を出ました。

 盗みには嫉妬が関係していると思います。さみしかった私が、楽しそうでうらやましいと思っていた同級生の持ち物を盗んで自分のものにしたかったのは、いけないことだけど理解できるしかわいそうだなあと思います。

 漫画や小説は私を傷つけません。さみしくて同級生がうらやましくて人の物を盗んでしまう小学生の私は、空想の中に逃げ込むことが多くなっていきました。
 空想の中に逃げ込むと現実のことが少しだけどうでもよくなります。目の前のこまごましたことより空想の中で魔王と話したりする特別な私のほうが大事になってきます。「私は何でもできる」という空想の中の自分自身と、さみしくて人のものを盗んでしまう悲しい時間とを、私は行ったり来たりしました。

 そのときは渋谷区に住んでいました。たぶん今もあると思いますが、渋谷の書店で私は捕まりました。
 その時私は叫んでいたんだと思います。
「どうして誰も私を助けてくれないの?そんなことしちゃいけないってどうして言ってくれないの?私はこんなにさみしいのに、なぜ気がついてくれないの?」
 毎週そこに行って、マンガにかけてあるカバーを破って7時間くらい立ち読みをしていました。首の後ろが痛くなるくらい立ち読みをする私は
「本当に1人だ、もうこれはどうにもならないんだ」
 と思っていたかもしれません。
「もういいや、世の中に復讐しよう」
 というように、10歳の私はマンガ本を盗み始めました。最後のほうは盗むための紙袋まで持参しました。

 エスカレーターに乗る時にガッと手首を掴まれて私は別室に連れていかれました。そこで私は大泣きしました。やっと助けが来てくれたと思ったのでしょうか。
 でも、それからも私がさみしくてたまらないのと怒りはずっと続いているんじゃないかと思っています。

個別ページ][←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ][↑ページ上端へ

2007年10月15日

入院のイメージ(純子さん)

2007年7月21日

 純子です。お願いします。
 明日の夕方6時から2週間、糖尿病の教育入院をしてきます。

 今の不安はちゃんと入院の受付時間どおりに病院に辿りつけるかしらということと、入院して退院した時にちゃんとやっていけるかしらということです。子供がえりをしてしまうんじゃないかと思っています。

 私にとっての入院のイメージは小学校から中学校にかけての全部足しての3年間くらいの入院のことです。
 麻布に来る前は、悲惨な3年間だと思っていました。

===
 でも、よく思い出してみると若くて清潔で仕事としての緊張感を持った看護師さんたちの中に私はいました。
 入浴、洗顔、歯磨き、ベッドメイクの時間も決められていて小学校5、6年生の時に1か月くらいお風呂に入らず臭かった私にとっては、誰かがいて、私が入浴しているか、清潔なものを身につけているか気にしてくれる環境にあるというのは涙が出るほどうれしかったのではないかと思います。
 洋服も家にいるときは3日くらいは着たきりでした。

 家に帰って服を着替えるようになったのは大人になってからです。
 小学生のときは、ジーパンにトレーナーで学校に行って、そのまま寝て、また登校したりしていました。

 子供がえりのことですが、入院中のせいにするのは筋が違うかもしれません。
 入院中の私は悪い子でした。
 小児病棟には、鍵のかかっていないお菓子室があって、親が自分たちで子どものお菓子を持ち寄っておいてありました。
 なぜか、そうするように病棟から言われていてナースステーションには親たちのお菓子寄付を記入するノートがありました。

 私は夜中にお菓子室からお菓子を盗みました。
 お菓子室には電子レンジがありました。検査で食事時間がずれてしまう子供の食事を温めなおすための電子レンジです。
 準夜勤の看護師さんが白いご飯をラップに包んだ物を夜食代わりに電子レンジの前に置いていたので、私はよくそれを盗んでおいしく食べていました。
 私の食事は制限されていました。1日に1200kcalとか、800とか、ひょっとしたら600kcalだったこともあったかもしれません。
 入院前に半年くらいひきこもった私は食べ続けて170cmで85kgになっていました。斉藤先生に言われたところでは、そのころの私は肥満症だったそうです。
 今は170cmで91・になってしまうこともあります。
 肥満症なので食事制限でしたが、夜中に盗んでむしゃむしゃ食べるので、170cm70・から体重はへらなくなりました。
 なかなか子供がえりの話までたどり着きません。(続く…)

◇◆斎藤学推薦!◆◇

個別ページ][←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ][↑ページ上端へ

2007年10月18日

叱られてうれしかったです(純子さん)

 私がひょっとしたら嬉しかったのかもしれないと思うのは入院中に私の盗みがばれたときです。

 子供のときは、ともかくお母さんが大変だったので、私が書店から毎週のように万引きして、マンガ本がどんどん増えていこうが、1か月ほど風呂に入らない娘が臭かろうが、お母さんはそれどころではありませんでした。
 お父さんが大変だし、7歳年下の弟がいたのです。

===
 お父さんは家からお金を持ち出して借金を増やして、酔っ払ってどこかから落ちて腕に釘が突き刺さっても、痛くないと言い張るひとでした。そんなお父さんに振り回されてお母さんは大変だったし、7歳年下の弟は幼児でした。
 娘が臭いとか、娘の洋服が同じだとか、娘のマンガ本が増えていくとか、お母さんはそれどころではありませんでした。

 だから、私は病院でお菓子を盗んだ時に小児科の先生に叱られて、もっとやってやろうと思ったのかもしれません。
 家で問題を起こしても振り向いてもらえなかったけれど、病院でならやっと振り向いてもらえます。

 お母さんが大変なのはわかるけど、一生懸命やっていることも知っているけれど、それでも私はお母さんに振り向いて欲しかったんです。
 病院での盗みがばれて小児科のO先生が私に言いました。ちゃんとは覚えていないのですが、「もう面倒みきれない。退院させようという意見も出たけれど、その意見を押しとどめた」というようなことでした。
 私はそれを聞いて「じゃあ退院させてくれよ」と思ったけれど、今思うとなんだかちやほやされているような感じがしたのかもしれません。
 おかしいですが、悪い子をやることで注目されたり、周りの人を振り回したりできるというのは入院前の私が望んでいて得られなかった感覚のように思います。

 A病院から京王線のT駅まで行って地元の中学校に通っていたりしたのですが、なかなか病院に帰らないこともありました。時間どおりに帰らない私を心配して家にいるのかと思った看護師さんが30回以上家に電話してくれたというのを聞くと、悪いなと思うと同時になぜか気持ちが暖かくなってしまいました。

 私はもう34歳なのですが、いい年をして恥ずかしいことにその感じが残ってしまっています。
 悪いことをしてちやほやしてもらいたいという子供っぽい感じです。
 パート中にそれをやってしまい、嫌がられるだけ、自分の首を絞めることだと少しはわかってきたのですが、入院によって子供がえり願望と行動が復活しそうで不安です。
 看護師さんには怖い顔をしていてもらうと子供がえりしないかなとか、運動療法でびしばし鍛えてほしいなとか都合のいいことを考えています。

 ☆★斎藤学推薦!★☆

個別ページ][←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ][↑ページ上端へ

« 2007年09月 | ブログメイン | 2011年02月 »