2007年09月の一覧
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2007年09月03日
過食は自傷ですか?
4月26日
私は毎日こんなのは何でもないことだと思ってご飯をどんぶりより大きなお皿によそいます。
私は糖尿病で過食してはいけないのです。私にとって過食は何でもないことではありません。でも、過食しないと眠れません。
なんでこんなになっちゃうんだろうと思います。過食をしないと私の世界は変わります。そわそわして不安になってきます。
過食を三日間だけ我慢してわかりました。私は起きている時間が嫌なのです。眠れば何も考えなくてすみます。起きるとパートなり麻布なり出かける場所があります。
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何でもないことじゃないよ、私は糖尿病の体を傷つけようとしているのにどうして止められないんだろうとは思わずに、頭を麻痺させて黙々と食べます。
今は過食をしないですむようにという、お祈りの日々に戻る気持ちになりません。過食をしなくても食べちゃうかもしれない、食べちゃうかもしれないとずっと考えていました。
麻布に来たばかりのときはやる気でケンカ腰でした。自分から来て手続きをしたくせに「治療だと?治せるもんなら治してみろ」という態度でした。過食はまだ続いていますが、麻布に来たばかりのときはもっと衝動的で怒っていたと思います。
今よりずっと自分に厳しくて途方もない要求を自分にしては、出来ないことを責め立てていました。たとえば「この年で正社員じゃなくて結婚していない女は人間じゃない」とかです。
今も多少はそういうところがありますが、「こう思っています」と言える場所があるし人の話も聞けるので自分だけに集中しないですみます。
麻布に来る前は自分を責める気持ちと一人で戦っていました。
あのままだったら30代にはなれずに死んでいたかもしれません。私は26歳の時に麻布に来ました。
月曜日に境界性人格としての本領を発揮して暴れてやろうかと思いましたが、私は次の日もその次の日もパート先で普通に過ごしてかえってきました。
前は私の怒りや衝動的な部分がふわふわと夏ミカンくらいの大きさでいくつもシャボン玉のように私の周りにありました。だから風が吹いても動かされてしまうし、怒りや衝動的な部分がすぐに人にぶつかります。怒りや衝動的な部分が夏ミカンくらいの大きさでいくつもシャボン玉のように私の周りにあったのです。
月曜日に感じたのは境界性人格のようにふるまおうと思えばできるけど、怒りや衝動的な部分はいつのまにか私の中心にあって私の力としてしっかりしたものになっているということでした。
私は怒っていたので体の中心でシュワシュワとなって怒っている部分をしっかりとつかむような動作をしました。「私はこれを使える」と思いました。そう思ってニヤッとしました。ひょっとしたら境界性人格まっさかりの時よりも私は怖い人になったんじゃないかと思いました。
今の私は自分の怒りのエネルギーを相手に効果的に使うためにどうすればいいか考えることができます。もし憎たらしいと思えば一番相手にダメージを与える方法で怒りをエネルギーとして行動することもできるのです。私って怖いなと思いながらにやにやしてしまいました。
前は私がどんなにおかしいかを世の中に見せつけてやろうと思っていました。世界と自分とが完全に離されていて、ちゃんと働くというような世の中のルールには従えないと思っていました。私を排除したものに復讐してやるんだと思っていました。
今もまったくそういうものが無くなったわけではないし、よくゴツンゴツンとぶつかりますが、こちらから頭を下げて世の中の一員として入れてくださいという気持ちもあります。
私は役所のパートならできるようだし、そこではパートさんとして要求されることをしよう。でも、週五日そこにいると息が詰まってくるので働くのは少しにできるといいなと思います。
私は何もできない。私を何もできないものとして排除した世の中に復讐するんだという気持ちは前と比べると本当に少なくなったと思います。
木曜日にディスカッションのときに先生と話しました。「糖尿病である私にとって過食は自傷ですか?」と聞いたら先生は「そうだよ」とおっしゃいました。そのあとで「私がダイエットできるようにデブとかブタとかきつい一言を言ってくださいとお願いしたら、先生はその必要はないとおっしゃいました。それはあなたがさみしくて怒っているしるしだよというようなことを先生はおっしゃいました。
あとで先生がおっしゃったことはこういうことなのかなと思いました。糖尿病である私にとって過食は自傷だけど先生はそれを責めるがわにはまわらないよと言ってくださったのかなと思いました。
そして私が太ったり少しだけ体重を減らしたりすることは、先生にとって大事なメッセージだと言ってくださったことを思い出して、私は少しだけ涙がでました。
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2007年09月07日
不吉な預言
6月23日
今日は診察でした。診察の後のディスカッションのときにも先生とお話しました。診察の時に先生が私に「あんたは男に恵まれない女だ」とおっしゃいました。「結婚しようと思えば出来るかもしれないが、あなたの母の結婚より不幸になるだろう」とおっしゃいました。
不吉な預言者、悪い魔法使いみたいです。
私はその言葉を聞いて最初なんだかわかりませんでした。というのも私は「お母さんより大変になるだろう」という部分を間違って聞いていたからです。
お母さんと一緒に暮らすよりも男と一緒に暮らすほうが大変だよと先生がおっしゃったのかと思いました。私はお母さんが大大大好きです。その私がよく知りもしない男と暮らそうとしたら大変だということくらいわかっているよという感じで私は先生の言葉をはじめ聞き流してしまいました。
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ディスカッションのときに先生は「お母さんの結婚は不幸だったよね」とおっしゃいました。そうです、お母さんの結婚は不幸でした。お母さんより不幸な結婚というと私が目をえぐられるとか、耳をちぎられるとか、夫になる人の常用または売買している非合法薬物によって私が捕まるとか、お母さんより不幸な結婚というとそのくらいしか思いつきません。
あと、お母さんが経験していない不幸は、結婚しているあいだにほかの女の人がお父さんの子供を産んだことはなかったし、お父さんの暴力でお母さんが骨折したこともなかったと思います。それ以外はお母さんは経験したような気がします。すごい結婚生活でした。
お父さんはお母さんの実家に借金をしました。他の場所からもいろいろお金を借りる人だったようです。家にお金を入れないのは当然で、それどころか持ち出して行く人でした。お母さんの話だと私のお年玉もお父さんにとられたようです。
たぶん私が小学校3年生の時に離婚したと思います。それでも私はお父さんもお母さんも大好きなんです。
でも、どうしてお父さんがそういう人だったか私にはわかりません。そうせざるを得ないどんな理由があったのかしらと思います。お父さん可哀そうだと思います。
お母さんの結婚による不幸は、私を妊娠したところからはじまりました。私を妊娠したので今より35年以上前のお母さんは幼稚園の先生を辞めました。
考えてみるとお母さんが現在の私と同じ34歳のときにはもう中学生の娘がいるのです。自分の子供時代を思い出すと力が抜けます。
私は子供として生きていて、子供がいるというだけでお母さんの力になったのかもしれませんが、お金に困っていたお母さんにお金をあげられなかったし、わけのわからない行動をとるお父さんを助けてあげることもできませんでした。
お母さんは私を産んだあと次の年に妊娠した子供を中絶しました。とても育てられないと思ったんじゃないでしょうか。そのあと流産して4回目の妊娠で弟を出産しました。私と弟は7歳離れています。お母さんはお父さんと結婚したことで女としての体を傷つけられました。
お母さんがお父さんと結婚したことで良かったことは私と弟ができたことだと思います。(続く…)
斎藤学の講座・ワークショップ
| 講座名 | 日程 | 時間 | 料金 | 対象 | 会場 |
| 斎藤学ワークショップ | 9/15、16 | 14:00〜20:00 10:00〜18:00 | 31,500円 | 一般 | 東京麻布 |
| 斎藤学オープンカウンセリング | 火 | 18:30〜20:30 | 3,000円 5,000円 | 一般 | 東京麻布 |
| 親のための家族相談 | 火 | 18:30〜20:30 | 3,000円 5,000円 | 一般 | 東京麻布 |
※開催日については必ず各講座の詳細ページでご確認下さい
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2007年09月10日
私は結婚しないだろう(純子さん)
お母さんから聞いた結婚生活ではそのほかに2つ聞いてほしいことがあります。
お父さんがお母さんに電話を変われと言うのでお母さんが電話にでました。その電話は女の人につながっていてお父さんが引っかけた女のひとでした。
お父さんはお母さんに、私が結婚しているので別れてくださいと言えとお母さんに命令しました。その時にはお母さんはいろんなものをあきらめていたらしく、お父さんの言うとおりに電話口で話したそうです。
私はこれよりひどい結婚生活を送るだろうと先生はおっしゃるのですが、これよりひどい結婚生活というと血が飛び散るくらいしか思いつきません。
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あとお父さんが夜に出かけるのでお母さんが後をつけると、お父さんは女の人の裸を覗くためののぞき部屋に行ったそうです。
働かずに子供のお年玉でのぞき部屋に行く男。これよりひどい男の人というとカタギではない人かしらと思います。
ともかくめちゃくちゃなお父さんでした。いやな親戚の話ではいつも酔っていてちゃんと話ができなかったそうです。
お母さんはなぜか私に夫婦のセックスの話をしました。「私はあんまり好きじゃなかったのよね」とそれだけですがそんなこと言わなくてもよかったんじゃないのと思います。
先生に悪い魔法使いのようなことを言われて少し先が見通せたような気がしました。悪い魔法使いのようなことというのは「あんたは男に恵まれない女だ」ということと「母親の結婚より不幸になるだろう」という言葉です。
今まで結婚と考えると目の前に厚い壁がドンと落ちてくるようで全然先が見えませんでした。とりあえず結婚したら夫を殺して遺族年金をもらいたいとしか思えませんでした。めちゃくちゃです。
でも、私は結婚しないだろうと考えるとすごくすっきりします。そうかあ、そうなんだ という感じです。すごく納得できます。
もし、このまま結婚しないとすれば、なんとかしてお母さんのマンションを手に入れてあとは自分の遊ぶお金だけを稼げばいいんだと思います。
パートでもいいから自分の使いたいだけを稼げばいいのです。それってとても楽だしなんだかできるかもしれないと思います。無理しなくてもできそうです。
私は遊び人だったんだと思いました。今まで真面目にコツコツやろうと思ってもどうもうまくいかなかったのは遊ぶ人だったせいなんだなと思って、気が晴れてしまいました。
一応お母さんには月に4万円入れています。5万円から減らしてもらって4万円で落ち着きました。あとは遊ぶ人として活き活きした生活をしていればいいのかなと思いました。(続く…)
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2007年09月14日
力の自覚と無力への憧れ(純子さん)
体のことを話します。私は減量しなくてはいけません今は89.1kgあります。身長は170cmです。ちょっと前までは91kgでした。
体重を減らすということの考え方なのですが私は本当は力があるのに、無力を装うあまりに、私の力を脂肪として体の外へ出してしまった感じがします。私が減量して体をしめてもっとうごけるように、走れるようになるということは大袈裟ですが、この世の中で生きようという決意のようなことだと思います。
頭をぼーっとさせたり、せっかくの自分の力を脂肪として外に出して無力を装うような生活をしてきましたが、そうじゃない日を送ることができたらいいなあと思います。
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私は力の自覚と無力への憧れがあります。横になって寝たきりの状態でいれば、馬鹿みたいですが、みんなが私をかわいいかわいいと言ってくれるんじゃないかという幼稚な考えをまだ持っています。
パート先で無力な人、何もわからない人をやったらどんどん居心地が悪くなりました。パートで小学校に行くことになって、やることがないので仕方なくて先生のおっしゃるとおりにしました。
自分の持っている司書の資格や、こうしたほうがいいと思いますということを表に出したら今まで頭をぼーっとさせるためにかぶっていたお寺の鐘やお椀が取れてすごくスッキリしました。私が考えていることは少しもおかしくなくて普通の場所でも通じるんだと思いました。
一緒にやっていきましょうと言って協力してくれている図書室の人もいます。重苦しい思いをして、ものすごく重いお寺の鐘の中にいたのは大変だったなあと思います。
お母さんは私が毎月渡す4万円を両手で受取ってくれます。「ありがとう」「少なくてごめんね」という会話が毎月あります。私の力である稼いだお金が少しは役に立っているようです。
でも、私は家で寝たきりのようになりたいのです。家で寝たきりのようになって「お母さーん。おかあさーん」とそれだけ言って生活したいんです。
家で寝たきりのようになってお母さんの名前だけを呼んで生活したいという気持ちが強くなったのは、私が自分の力を自覚しはじめたからだと思います。
自分の力の表現である私の脂肪をチャンと吸収して動ける走れるテニスで強くなれるような体になりたいと思ったら急に怖くなって、家で寝たきりのようになるんだと思ってしまいました。弱々しくなりたいです。テニスをして脂肪を吸収して動ける体になると言いました。力の自覚はいいのですが、そうすると強くなってしまいます。弱々しくなりたいです。小さくて痩せててふらふらしている人を見ると羨ましくてたまりません。弱々しいほうが絶対にお得だと思います。
愛されると思います。私がこの体で弱々しさを表現して得をする方法は無力なふりをする以外に何かあるかどうか先生に伺いたいと思っています。
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2007年09月25日
言わなくてはいけないこと、良くなった気がすること(純子さん)
今日は言わなくてはいけないこととなんだか良くなったような気がするうれしいなということを話します。
言わなくてはいけないことは盗みをしてしまったことです。
オープンカウンセリングでも話しましたが、私は盗みをしました。テニススクールのロッカーで鍵がつけっぱなしになっていたのでロッカーを開けて人の財布を取り出して中から1万円を抜いて元に戻しました。オープンカウンセリングで話したときは自分への処罰でいっぱいで私はこんな女なんだよざまあみろとしか思いませんでした。
でも、斉藤ミーティングで話そうとしたら盗みをしたことは恥ずかしいことだと強く感じました。
先生のミーティングで話を聞いてくれる人は私にとって大切な人なのに、私は盗みをしてしまったんだよなと思いました。私の話を聞いてくれて、私の良いところも知っている人たちの前で「盗みをしました。」というんだと思ったら、盗みは恥ずかしいと思いました。今日からテニスを週に2回にします。月曜日と金曜日です。
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良くなっているような気がするのはパート先でのことです。5月の連休明けから小学校に通うようになりました。図書館で出勤簿を押して9:30〜15:30まで小学校の図書室にいてそれからまた図書館に戻ります。
建前としては小学校の本にバーコードを付けてデータとして管理して図書館の本のデータと連携させるということですが、まだ何も決まっていません。いつからとか、どこが予算を出すのかとか、まったく決まっていないのです。
カウンターが委託になって人数が余るから、それで小学校にまわされるんじゃないかと思いました。小学校に行っても「何してくれるんですか」と聞かれます。小学校で雇った図書室の人がいるのに何でくるんだと言った副校長もいるし、俺は聞いてないぞと怒り出した人もいるそうです。
私はどうしていいか分からず、何をしていいかわからない時間が嫌になって二日間も仕事を休んでしまいました。それから斉藤ミーティングで「もうこんなの嫌だ」と言うと先生は「しっかりしなさい」というようなことをおっしゃいました。「あなたには司書の資格があるのだから、今それを使いなさい」というようなことをおっしゃいました。
小学校の図書室には目録も何もなくて、税金で本を買っているのに1か月前に買った本があるかないかもわからない状況でした。私はほんのリストを作ろうと思いました。実際に図書室にある本のリストです。エクセルで入力すると出版年順、あいうえお順、分類番号順に並べ替えることができます。ISBNがあるかないかで分けることもできます。
図書館に戻って詳しい人に聞くと、エクセルで入力しておけば、実際にちゃんとしたデータを業者から買う時も無駄にはならないということでした。本当に無駄にならないのか少し不安です。
A小学校にはOさんという人がいます。Oさんは大学院生で週に一回だけ来る人です。リストを作って本があるかないか確認しようと思っているというと、すぐに協力してくれました。
2人で手書きでノートに本のタイトルとISBNを書きます。図書館に戻って私がパソコンで入力します。2人でノートに書いているときは原始的だなと思いました。今度ノートパソコンを借りられるか聞いてみます。
図書館から小学校に通っている人は全部で3人です。水曜日に、私たち3人と図書館の児童担当の人を交えて「今何やっているんですか?」という会議がありました。私はA小学校でリストを作り始めたことを言いました。会議があるということについても先生に相談しました。先生は「場を取りなさい」とおっしゃいました。でも、それはできませんでした。
B小学校でもリストの話をしました。B小学校にいるのはUさんという人です。今まで私に「何も決まってないのに、こんなところに放り出されちゃって気の毒にね」という感じだったのですが、私がリストの話をしたとたんに「それなら、ここを使いましょう」と言って鍵のかかっている談話室を使えるようにしてくれました。
「2人いるんだから、午前中はここを使うといいわよ。私が司書教諭の先生に言っておきます」と何やらはりきりはじめました。
あと、司書教諭の先生にはこちらから話かけなきゃいけないということがわかってきました。二つの小学校の司書教諭は2人とも担任を持っているので授業が終わったわずかな休み時間をこちらから狙っていかないといけません。
あと、なぜかB小学校の司書教諭は、すれ違いざまじゃないと話ができません。足を止めさせることができないのです。座って話すこともありません。常に動きながら足を動かしながらじゃないと話ができないのです。本や図書室のために立ち止まる時間はないのよということを全身で表現しています。
でも、ノートパソコンは貸してくれました。
1年でリストと蔵書点検ができるかわかりませんが1日頭をぼーっとさせて膜を張っているより、今のほうがいいような気がします。
今まで私は死ぬか、死んだように生きるしかないと思っていました。