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2007年07月09日
熟睡&勉強するな その1(1/2)(友子さん)
友子です。
**家の方針で私は「勉強なんかするな」といわれました。兄たち二人は勉強しろ勉強しろと言われその環境も与えられました。
しかし、女は勉強しなくてもよいのだそうです。長男はスポーツに熱中し次男は勉強に熱中しました。
私は早くに背が伸び、小学6年では160センチになりました。小4の時に担任の先生と両親の身長を抜きました。
私のするべきことは家業の手伝いでした。小学4年生の時、父が自分の右腕の肘の所の黒くなってしまっているところを私に見せて、腕が腐ってしまって力仕事が出来なくなったので力仕事を手伝ってほしいと言いました。
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それからは、配達や餅つきや「すあま」の練り、これは蒸気で30分間位蒸らした米粉の固まりに素手で粉砂糖を練り込む仕事で、蒸気からおろしたての湯気のほやほやの所に手を突っ込んで砂糖をまぜる仕事で、砂糖が溶けて80℃か90℃位の湯の様になるのですが、温度が下がるともうバラバラになって混ざり合わなくなるので、ほとんどやけどをするくらい熱いうちに生地の中に手を突っ込んで、のしもち一枚くらいの米粉の固まりを練りあげなければなりませんでした。
正月に食べる様な普通の餅は機械でつくことが出来ましたが、柏餅の生地とか団子の生地とかその他の菓子にする米粉の餅は機械でつく事が出来ません。臼と杵で毎日5杯以上はもちつきをしました。
ちなみに勉強ばかりしている兄があるとき勉強部屋から出てきて手伝おうとしましたが、鉛筆より重たいものを持った事がない兄は、腰がへなへなで力が入らず、ただの一杯の餅もつくことはできませんでした。
配達と餅つきと「すあま」の練りは毎日毎日の仕事でした。当時は月に1回か2回しかお店を休むことはありませんでした。
両親は毎朝2時か3時に起きて働き昼寝は少しするけれど夜は夜中の12時ごろまで働いていました。
そんな大変な両親を見ていたので、仕事を手伝うのは全く苦ではありませんでしたが、でも兄たち二人は手伝いを免除されていました。
そして兄二人は百点をとると百点一枚につき50円の小遣いをもらっていました。
私は家では勉強するな、仕事をしろといわれ、学校でその授業が始まる前の休み時間を使ってその寸前に宿題をしていました。
でも私はいつも兄たち二人よりも百点がいっぱいでした。しかし私には百点を取った時の報奨金はありませんでした。
家は貧乏なので私が百点を取るたびに小遣いを払っていたら家のお金が足りなくなるのだと思って親をうらまないことにしました。(続く…)
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