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2007年05月28日

服従とおしっこ(友子さん)(2/2)

 母は私をストレスのはけ口にしていたと思います。

 父と母は毎日口喧嘩をしていましたが、特に大きな喧嘩をした時はそのイライラを私に向けました。上の男の子二人には木下のわたしの血が(母の実家は木下といいます。)流れているがあんたには私の血は流れていない。あんたはお父さんの子であんたに流れている血は**家の血だけだとそのたびに言いました。いつもずーっと同じことを言い続けました。
 何かにつけてそう言いましたがまたある時には「お嫁に行く時は私を一緒に連れて行ってね。」とも言いました。私はそう言う母を気の毒に思いその時は絶対に連れて行ってあげようと思っていました。

 私は赤ん坊の頃からほっておかれたので物心ついたときはもうACになっていたと思います。

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 母からの拒絶を幼少より直感で感じ取り私は父親っ子になりました。でもその父親より強要されて、どんなに悲しい時でも父の前でニッコリと目の奥の奥まで全身全霊で笑顔でいなければならなくなりました。

 私は夜尿症ではなく、幼稚園の時もそれ以降も夜寝ていて「おねしょ」をしたことはありません。
 しかしこうして父に服従するようになってから学校で毎日おしっこをもらすようになりました。家で漏らしたことはありません。学校で休み時間私は自分から友達を求めて行ったことはありません。

 いつも私の周りには人が集まって来ました。その集まってきている人たちに対応している間に(父より自己滅却して目の前の人のことに集中するように訓練された。)トイレに行くタイミングを失い授業開始のベルがなってしまい、先生にトイレに行かせて下さいとも言えず、授業中の間ずっと必死で我慢していて結局いくらかおしっこを漏らしてその次の休み時間に終了のベルとともにトイレに飛んでいくというパターンを毎日くり返していました。
 当時の小学校は校舎も机も椅子も床も木で出来ていました。だから私の椅子やその下の床はいつもしめっていました。だから私はみんなに私の周りに集まって来てもらうのは困るのですが何故かいつも私の周りには人が集まってきました。


 自分で考えると私は泣きたいとかため息をつきたいとか自分の想う通りに動きたいとかしゃべりたいとかふっと浮かんでくる自分の内的心理的生理的衝動をまず反射的に止めてしまうクセがついていました。いつも緊張していました。だからトイレに行きたいと言う衝動はまず一瞬止められその時周りにいる誰かに話しかけられたり話している途中だったらそれを全部聞かなければ次の行動に移ることが出来ずいつもそうしてもじもじしている間に始業のベルが鳴ってしまうのでした。そしてその事をどうしてよいかわからないままどんどん年月が過ぎていきました。

 小学校2年生の頃から始まって小学校6年になってもまだ毎日一回は必ず学校でおしっこをもらしていました。私はこのことが誰にも見つからない様にすることに毎日全力を費やしていました。父にも母にも先生にも友達にも見つからない様に、毎日毎日ひとりで戦っていました。

 どうしたらこんな目にあわないですむのかもわからず毎日毎日おしっこを漏らさない日はなく毎日毎日それを隠したりごまかしたりすることでせいいっぱいでした。涙なんかもうどっかにすっ飛んでいました。学校から帰る道のりの10分間だけに限りたまに自分では気がつかない時に目から水が出ていることがありましたがそれはただの水で何か目の病気と思いました。

 そのおしっこ壁は中学生になっても止まりませんでした。中学生になってからはちょっとだけ回数が減った様に思いますが二日に一回か三日に一回くらいになったと思います。

 高校生になってもまだ完全には止まりませんでした。でも高校生になってまもなくのある一週間を境に私の精神のある場所がものすごく変わりそれ以来二度とそういうことはなくなりました。

 私の小中学時代は毎日緊張して緊張してとても大変でした。

木附ブログ

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2007年05月28日 15:04:[←ブログメインに戻る]←IFFトップページへ][↑ページ上端へ