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2007年05月21日

小1の廊下立ち(友子さん)(2/2)

 同じその小学校一年の頃、家ではさっき説明したような父の説教が毎日始まりました。
 父の説教はいろいろありましたが、どれを聞いても私は何一つ納得することはできませんでした。私は父とは考え方が違うのだと、ハッキリと思いました。

 その頃「思想」ということばは知りませんでしたが、今思えばその時考えていた内容は父と私とは「思想」というか思考内容が違うと言う様なことでした。同じくそのことばは知しりませんでしたが、いわば父は「性悪説」で私は「性善説」なんだと思いました。そう言う様な感覚の内容を私は感じていました。
 父は私を性悪説者にしたかったのです。でもそれは私にはどうしても不自然に思えました。だからいくら父の説教を聞いても聞いても私の考え方が父の考え方に染まることはできなかったのです。父にはそれがどうしても許せなかったのでした。

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 だから父は小学校の先生の様に「廊下に立っていなさい」と言う変わりに「オレの話を聞いたら心から『はい』と言え! そしてその印に聞くのがうれしいという表情をして話を聞け」と命令したのです。そしてそれは毎日毎日2〜3時間。

 その頃にもし私の考え方がこんなにハッキリしていなかったら、意識がこんなにハッキリしていなかったら、この頃をやり過ごすのはもう少しラクであったかもしれない、とただの気休めに考えたりすることがあります。
 自分というものをこんなにハッキリ持っていなければ父の考え方をただ受け入れるだけで済んだかもしれないと思ったりします。憲法では思想信条の自由は守られていますが家庭内の、特に権力者としての親と無力な子供の関係性の間では無力なものの思想・信条が守られることは難しいことだと思います。

 私は持って生まれたありのままの私をとうてい守りきることができず毎日毎日、しかも一日につき2〜3時間という長時間自分自身を精神の危機にさらさなければなりませんでした。

 父の話を聞くたびに、そしてその話を聞いて笑顔を作るたびに自分が壊されて行く様でした。

 自分の置かれている立場を把握する様になった私は小学2年生になって家出を真剣に考える様になりました。この家には私の生きていける場所はないと思いました。三日三晩ほとんど寝ることもできずに、考えました。

 今ここで家出をしても捜査願いが出れば見つけられてしまうのは時間の問題だろうと思いました。

 小学校二年の女の子がひとりでふらふらとしていれば見つからないでいることはむずかしいだろう思いました。かといって人の住んでいない山の中に隠れても生きていくことは出来ない様に思われました。家は太平洋の近くにあり、人のいない山にたどり着くまでには誰かに見つかってつかまってしまう様に思えました。また、もし見つかってしまったとしてそれから家につれもどされてしまったら、それからは家出を企む前よりももっと厳しい状況になるに違いないと思えました。

 いくら考えてもたとえ家出をしたとしてもその先に私の生きていける道があるとは思えませんでした。考えあぐねた揚げ句に私は家出をあきらめ合法的に家を出られる日が来るのを待つ、という選択をとらざるを得ませんでした。

 それからまた永い永い緊張と苦渋の日々が始まりました。

木附ブログ

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2007年05月21日 09:47:[←ブログメインに戻る]←IFFトップページへ][↑ページ上端へ