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2007年04月13日
風に押されて(3/3)
麦畑に現在の父と私が座っています。父は下を向き顔を上げません。しばらく黙っていたのですが、“お父さんはお前が心配だっただけなんだ”と言いました。“ただお前のことが心配だった”と繰り返しました。
“お前の行きたい所へ行きなさい”と父は言い、私は風に背中を押されました。風は父なのだ。青空の中で私をつつみ、夜はひんやりした風になり、朝日のあたったあの腕の温かい感じ。父はいつも私のそばにいて、私を応援していたかったのだと思いました。
“お前の行く所には、お父さんは風になっていつもいるんだよ”と風は、父は言っていました。
私の中の本当の私は解っているのです。本当に大切なことは見えることではなく感じることなのだと。
青空や星空や太陽は見えなくても皮膚は風の変化や温度の変化で一日を感じられます。太陽は見えなくても温かさは感じられ、太陽の存在を知ることはできるのです。
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ハコミの帰り道、風を感じている私がいました。父が私のそばにいてくれているようで嬉しかったです。斎藤先生が障害者として生きろ!!と怒っている言葉の意味が少し解ったような気がしました。
先生は、私に五感を使って生きろと言っている。大切なことは、見えることじゃない。「感じろ」とおっしゃっているのだと思いました。
私は、先生が障害者として生きろと言う度に、人の助けにすがって弱々しい私を演じろと聞こえていました。五感のうちの視覚は確かに弱い、だけど全く見えない訳ではない、見える範囲で使う。
おもしろいです。五感のうちの味覚も嗅覚も触覚も「使う」ではなく「感じる」感覚です。聴覚も音の震動を感じて聞き取るので、やはり感じるに入ります。
視覚だけは目で感じるのはピンときません。目は使うものと私は思っています。それは、私の視力が弱いからそう思うのでしょうか?皆さんは目から入ってきた情報を感じているのでしょうか?
私をつつむ風は、斎藤先生かもしれない。私を応援してくれるすべての人のようにも、今朝は少し思えています。
私の中にある「私の辛さなんて誰にもわかるものか、死ね」という怒りは、所沢での絶望感と関係していると思うので、そのことはまた今度シェアさせて頂きたいと思います。
2007.3.7 里恵子
2007年04月13日 14:41:[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ][↑ページ上端へ]