2007年03月の一覧

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2007年03月13日

長いことお休みしてしまいました

image070313.jpg 長いことお休みしてしまいました。
 こういうときというのはいつも一つの原稿に追いまくられているときで、つくづく不器用だな、と思います。
 もっともその間も東京新聞(毎週水曜日)と毎日新聞電子版(毎日インタラクティヴ、毎月末)のコラムは続けているので、ブログへのコメントにはそれほど「強制力」を感じていなかったということでしょう。

 最近、
「ごめんなさい、私の心ない書き込みが先生を怒らせてしまってブログをお書きにならなくなったと思います」
 という趣旨のメールを頂いてビックリしました。
 もちろんそんなことはありません。皆さんからの反応も時間があれば読ませてもらっていますが、楽しんではいても、それで怒るとかイヤになるとかいうことはありません。
 もっとも、これを読む人の中に時々自意識過剰というか、私と「超自然的」な交流をしていると感じている人々がいるのは知っています。

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 はっきりさせておきたいことは、私はこのブログで皆さんと対話しようとは思っていないことです。私は書きたいときに勝手に書きますので、皆さんは読みたいときに読んでください。
 このブログには「質問」という欄があるようですが、実際には質問に答えるということをしていません。「質問」は誤解を招くと思いますので、「意見」なり「連絡」なりに変えるつもりです。

 要するに私はここで読者と対話したり、その問答を掲載したりするつもりはありません。
 私と対話したい人は保険証を持って私のクリニックへ来るか、お金を払ってワークショップに参加するかしてください。

 いずれにせよ、最近これを書かないでいたのは、年明け以来IFFのホームページを見ていなかった(年末までに書いたものを、これを編集してくれている人に渡してありました)ために、2月2日で更新が途切れていたのを知らずにいたからです。

 その頃から私の頭を占領してしていたのは「境界性パーソナリティ障害(BPD)」と「複雑性PTSD」との相違ないし鑑別という問題で、最近ではこの二つに本質的な差はないのではないかという考え方にたどり着きそうになっています。
 その経緯について書くとまた長いことになりますので、この件について興味をお持ちの向きは近刊の雑誌「アディクションと家族」の特集(「自傷と自死」)中の論文「境界性パーソナリティ障害と自殺」を読んでみてください。
 先週ようやく編集を了えたところなので、しばらくはブログの更新を忘れないでいられそうです。

 このブログにエネルギーを使い過ぎない、そのかわり毎日更新できるようにするという線を目指そうと思います。
 そのためには私の周囲にいる人々、特にクリニックの患者さんたちのご協力を頂くのがいいと思いました。他人(ひと)の褌で相撲を取ろうというわけです。私の書き下ろしより面白いと思います。もともと私は他人様の話をここに載せてきたわけですから。

 さっそく、その第1号、富美さんです。(続く…)

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2007年03月19日

夢の話(1/2)

image070319.jpg 皆さん、こんにちは。よろしくお願いします。

 先日、斎藤先生が、
「このミーティングで話すという事は、天丼にケチャップをかけて、味を変えるという様なところがある」
 とおっしゃいました。
 ほぼ1年ぐらい、斎藤ミーティングで話していない私は、それを聞いて、
「このまま話さないでいて自分だけの味で煮詰まるのは、嫌だな」
 と感じ、久しぶりにこの席に座らせて頂きたいと思いました。

 以前、私は、斎藤ミーティングで、主に3つのことを話させて頂いていました。

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 1つ目は「子産み子育てをしていない、そして、したくない私は、このままでは、子供を望んでいる夫から見捨てられるのではないかと不安である」という話です。
 2つ目は「布団嗜癖(寝込んで引きこもっていること)に溺れており日々の生活がままならない事があり、困っている」という話です。
 3つ目は「ピアノをめぐる母娘葛藤」の話です。

 1つ目の「夫から見捨てられる不安と、夫の望みを叶えていない事への罪悪感」については、相変わらず、心に引っかかりと重石があるように感じ、以前と変化が無いように思います。

 2つ目の「布団嗜癖」については、ここ1ヶ月ぐらいは、嗜癖に溺れないで済んでいます。
 溺れずにすんでいる理由は、ここでの皆さんのお話と、斎藤先生の「私たちにとってのゲームのリセットにあたるのは、ちょっとがまんするってこと」というお話が、印象深かったからではないかと思っています。
 もちろん、明日にもスリップしてしまうかもしれない私ではありますが、今日までの一ヶ月は「ちょっとがまんして朝起きる」「ちょっとがまんして夜寝る」というのが、上手くいっていたように思います。

 3つ目の「ピアノをめぐる母娘葛藤」については、心に引っ掛かる事が、少なくなってきた様に思います。
 この話が、一番心の中を占めていた時の割合を100とすると、今は、40以下のように感じています。たまに、この数字が上がるように感じる事もありますが、その時は、「自分が暇を持て余しており、自己憐憫に浸るために、自ら数字を上げているのではないか?」と自身を疑うようにしています。

 さて、今日は残りの時間で、1、2年前に見た「赤ちゃんの夢」の話と、それについて感じたことを話させて下さい。(続く…)

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2007年03月20日

夢の話(2/2)

 自宅マンションで、私は、布団に横になっており、出産をする。出産は、痛くも痒くもなく股の間にニュルッとした感触を感じただけだった。足元で母が、赤ちゃんを取り上げてくれて、「男の子だよ」と穏やかに普通の声で言う。

 出産後すぐ便意を感じた私は、トイレへ行く。昔から頑固な便秘性である私は、トイレで頑張りながら「出産よりこっちの方が、よっぽど大変だ」と思う。

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 排便を済ませ、トイレから出て、居間へ行く。居間では、赤ちゃん帽子とよだれかけをした夫が、食卓テーブルについて、新聞を読んでいる。よだれかけ姿の夫がヒョイと私を見た時、私は「なーんだ。やっぱり、赤ちゃんって夫のことだったのね」と思う。

 という所で目が覚めました。

 目覚めてすぐ、軽い不快感と不思議さを感じました。夢については、「現実の世界で、夫は私にとって優しくて、賢くて、頼りがいのある穏やかなスーパーマンの様な存在であると感じているが、そんな夫に、私は、手放しで甘えているわけでもなく、結構、気を使っているかもしれない。したがって、私は、夫との二人関係で手一杯である」という意味ではないかと考えてみました。

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2007年03月22日

オトウおんぶして(1/2)

 今日は予定のない日曜日。
 このところLA関西ワークショップ(京都)、麻布ワークショップ、CSPPのスクーリング講義(社会病理)と日曜日ごとに予定がつまっていて、午前中から夕刻まで働いていたので解放感を楽しんでいます。

 ただし、こういう日には秘書から「これこれの原稿を書いておくように」という厳命が下されています。今日の場合は3月20日締め切りの「現代社会と『依存症』」(月刊「保団連」)で400字詰め20枚を仕上げなければならないのですが、まったく書く気が起きません。こういうときは他のものも書けないのですが、取りあえずパソコンを起動しました。
 ブログなら書けるかもと思ったのですが、やはり何も思い浮かびません。それで、以前皆さんから頂いたお手紙のうち面白いと思って収録しておいたものをご紹介します。

 今回の書き手は美智子さん。以前から「4桁の借金」の件で、ここにも登場して頂いていた方です。

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image070322-2.jpg 密着関係の親を裏切る罪悪感の話しを先生のJUSTの講座(通年講座・家族病理学入門)で聞いて父の話しを書きたいと思いました。

 私は18歳まで父と一緒に寝ていました。高校時代「家のためになんか生きない!」とかなんとか自立のタンカを切ってましたが、実際には父のヒザに座ったりおんぶされたりフトンにもぐりこむ甘えん坊でした。父の意向に背き家を出た話しはシェアしましたが、一点はっしょった点があります。父の再婚の事です。

 家を出て1ヶ月、ホームシック真盛りの4月末。父がおばあちゃんとすんごい美人をつれて東京にきました。突然の再婚相手の紹介でした。
 台湾人の新しい母。おばあちゃんが「美智子、おまはんも我慢やで」と言ったのを覚えています。私は捨てたはずの父に捨てられたような気がしました。ホームシックなのに帰る家がねぇじゃねーか!!

 でも私は「全然OK! 気楽になった・・・」みたいなことを言って再婚を祝!!失踪しました。(続く…)

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2007年03月23日

オトウおんぶして(2/2)

image070322.jpg 東京じゃ田舎と地続きで気持ちのおさまりがつかない。有り金持ってNYに行きました。当時私は美大生で油絵を描いてました。NYでは画家のロフトに間借りして手伝い等させてもらいながら滞在しました。

 2ヶ月して7月末の父の誕生日に田舎に電話をしました。

 「お前は今どこにおるんじゃ!」
 「ニューヨークや」
 「生きとるか死んどるか、どこにおるんかもわからん。心配しとったんやど。おばあさんには、どえろう叱られた」

 父が心配していた事がわかって気持ちの折り合いがついて9月に日本に戻りました。

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 NYにいた間、文通していたのが後のバカ夫です。愛に腹ペコで食らいついた感じです。最近NYに行きたいと思うのは、あの頃の自分と会話がしたいからかもしれません。

 先週の三連休、父と次女で奈良に旅行に行ってきました。楽しかったです。父の背中を見ていて「オトウおんぶして」と飛びかかりたいと思いました(未遂)。
 父と別れた後、やっぱり寂しさがこみあげました。横に娘が居ても父が恋しい。おんぶしてもらいたい。

 罪悪感と怒りと寂しさは心の中の近い場所にある、というか「同じもの」が形を変えて表れているんじゃないかと感じてるんですが、今は父について"寂しさ"として表れる事が多いです。
 私がアディクション(父の金で放蕩)を止めた事、父が継母と別居して一人暮らししている事等が影響していると思います。父に語りたい言葉はいろいろあるのだろうけど、「おんぶ!」という欲求になってます。

 私の寂しさの察知者だったおばあちゃんは亡くなってしまいましたが、今は、先生が私を見守ってくださっている、それがありがたいなあと思っています。

 美智子

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2007年03月28日

「外傷性記憶を解凍する」その後(1/2)

 今回も通院中の皆さんの手紙からの引用です。
 「外傷性記憶を解凍する」というタイトルで以前ご紹介したかたのその後のお手紙です。

 去年の9月から私は今までとは別の場所で午後だけの外来を始めました。この手紙に出てくる「診察」というのはそこでの面接を言います。
 私にうながされるまでもなく、彼女は活発な回想を続けてます。私はただそれを聞いていただけですが、彼女は以前よりはるかにパワフルです。
 
 凍った記憶の中で彼女は人形のように受動的な被害者でしたが、「現在の回想」の中の彼女は主体的な冒険家です。
 以下は昨年10月のある日の面接の後に寄せられた手紙です。

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 9月15日の先生の診察の後、すぐに電車に乗ることができず、とにかく歩き続けました。
 先生と話すと回想が加速するみたいで記憶に圧倒されそうになり、とにかく歩くしかありませんでした。風が気持ちよく歩き続けました。

 8月下旬「封印された叫び—心的外傷と記憶」(斎藤学、講談社)と「灯台へ」(ヴァージニア・ウルフ)を読みました。
 この作品は、私を、15年前の事件の後、母が男とよりを戻すまでの母と暮した夏〜秋の空間へと連れて行ってくれました。2ヶ月間の出来事・・憶い出をたどり母の記憶を味わいました。

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