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2006年11月30日
クレプトマニアと罪悪感(ブログ版)その6(3/5)
「A」と筆者との治療関係は波乱を含みながら現在まで続き、「A」は今、ある種の安定を得て都心の喫茶店で働いている。
この間には数回の精神病院への入院があり、入院期間も合計すれば3年近い。最後の退院は10年前である。
未だに独身のままで、ある宗教団体に所属しており、そこの合宿に時々参加する。専門の画家になることはあきらめたようだが、街の画塾に通い続けて年に1回はこの塾主催の展覧会に出品し、その際には筆者のもとに案内状が届く。
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職場での人間関係は貧弱で、会えばその愚痴を長々と話し、その内容は独善的で被害的だが、職場を転々とするエネルギーは失せたようで、彼なりに誠実に働いている。
「A」とのかかわりがまがりなりにも効果をおさめたのは、筆者が彼の家族たちとの連絡に気を使ったためだと思う。
「A」の父親は某公社の職員、母親は芽が出なかった映画女優で、「A」が中学の頃夫婦は離婚しており、筆者がかかわった頃、母親は都内でスナックを経営していた。
夫婦の間には「A」の上に4歳年上の兄がいた。前妻との離婚について、父親は派手好きな妻が地味な公務員の自分に愛想をつかして愛人を作って出奔したという風に話した。当の母親は父親の精神的な不安定を支えるのに疲れたのだと言った。この母親は離婚後、スナックの経営に行きづまったりしたそうで、筆者が会った時はやつれた様子をしていた。
父親の精神状態には確かに問題があり、前妻との結婚前から夜間、心臓が停まるという不安発作に悩まされていた。神経症として精神科医の治療を受けたことはなく、内科の主治医を頼りにしていた。
若いときから宗教や人生哲学に凝っていて、最終的には某新興宗教の熱心な信者になることで、自分の不安を克服することが出来たという。
極度に緊張の高い人だった。向かい合って座っていると彼の緊張がこちらにも伝わり、息苦しくなってきた。(続く…)
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