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2006年11月01日
クレプトマニアと罪悪感(ブログ版)その2
はじめに
筆者はかつて嗜癖という行動形式の成立に必須な欲求や欲動の明確化を目的とする論文([註1]斎藤,1988)の中で窃盗癖の青年を症例として取り上げた。
彼の窃盗癖は痴漢行為というもうひとつの性的で反社会的な嗜癖的行為に付随するものだったが、そうした嗜癖行動が定着する以前に実母、養母双方への原初的な愛着の遷延と、それを裏切る非行(実母の下着盗み、養母の生んだ乳児への殺意)が既に存在していたことを指摘した。
この時には、青年の「罪悪感」の質を取り上げることはしなかったが、窃盗癖に代表されるようなある種の反社会行為は、それ以前に存在する愛着対象との葛藤(およびそこから生じる罪悪感)の解決策として生じるのではないかと思うようになった。
この考えが強化されたのは、ある殺人事件容疑者(女性)の精神鑑定を引き受けてからである。
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この女性容疑者は我が子殺しという反社会行為に走る以前から理不尽な罪悪感を抱き続けており、事件の5年も前に「罪悪感を放出した」としか思えないような連続窃盗事件を犯して逮捕されていた。
こうして筆者は「人は根拠もなしに罪悪感を抱くことがあり、その大きさに見合った罪悪(非行、愚行)をやってのけることがある。あるのはまず「感」、ついで「行動」なのであってその逆ではない」と考えるようになった。
これを読みまちがえると、過食・拒食女性に見られやすい窃盗癖や窃覗狂青年や強姦青年の女性への犯行の由来を見落としてしまうことになる。この種の非行は無個性だが、それを引き起こす罪悪感についてみれば、これは個性的であるので、主体(犯人)がそれについて自覚的(意識的)になることは彼らの行動を修正することに役立つのではないかと思う。
しかし主体を自覚に導くに足る程度に、このことを理解しようとすると意外に困難である。そこに働く罪悪感は、どのようなところから発生したどのような質のものであるのか、それはどのような生育状況の中にいた人々に見られるのか、またそれは健康な人々に見られる罪悪感と異なるものであるのか、といったことが問題になる。ここではクレプトマニア(kleptomania 窃盗癖)という反社会行為に耽溺した人々に限って、このことを考えてみようと思う。
[註1]斎藤1988=斎藤学:嗜癖. (土居健郎,他編) 異常心理学講座・, Pp 75-129, みすず書房, 1988. この症例については後日、該当部のみを掲載します。
2006年11月01日 17:04:[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ][↑ページ上端へ]