2006年10月の一覧
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2006年10月02日
おなら恐怖(4/4)
(続き)
「おなら」のことは私の中で片付いたことの一つだったのですが、やはり人前では語れない最重要課題に位置づけられていましたし、でも昨日は、今なら話せるという確信が何となくありました。それで昨日のシェアに至ります。
私はおならのことを以前いた心療内科のA先生と斎藤先生にしか話したことはありません。これまで私が会ってきたカウンセラーには(現在も)話していません。なのに、いきなり斎藤ミーティングで何十人もの人に話しているの自分に、自分でビックリしていました。でもカウンセラーには話せなくても仲間には話せる、受けとめられている感じがします。
私は以前、心療内科で死ぬ気で話してわかってもらえなくて、本気で死にかけたので、一対一でわかってもらえないことにすごく警戒心があります。カウンセラーはあまりにも真剣に聞いてくれすぎるので話せなかったと思います。私が欲しいのは解決でも対処法でも真剣さでもなくて、笑いと「私もそうだよ」という言葉だったと思います。
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昨日のシェアの後、仲間に「すごくいいシェアだった」と声をかけてもらいました。ミーティングの中でもUさん(フライパンでお父さんを殴って上京してきた人)が共感すると言って下さったり、知らない仲間からも「私もそうなの」と話しかけてもらいました。
仲間の人が「皆が思っていたことを代弁してくれたよ」と言ってくれたとき、本当に嬉しかった、シェアしてよかったと思いました。
シェアしている間、私はみんなが笑うんじゃないかと思っていたし、私は自分が泣くなんて予測してませんでした。正面が見れなくて、声がふるえて、心臓がおかしくなりそうでした。でも皆は笑わなくてすごく真剣に聞いていてくれてちらっと見た斎藤先生もこちらを見ていて、私は泣いていました。
この話をして泣いたのは実は初めてだと思います。先生が「泣くことに結びつく記憶を語ることが必要だ」と言って下さったのを聞いて、ああやっと泣けた、今までに泣ける場所がなかったけど、泣ける場所が見つかったと思いました。この手紙を今、スターバックスで書いているんですが、今も泣きそうで困っています。
仲間に先生が以前、「シェアすることより、シェアした後が大切だ」と言っていたと聞いて、本当にその通りだと思いました。
私はこれまで斎藤先生やカウンセラーの先生と一対一でお会いすることが多かったので、仲間と接する機会がほとんどありませんでした。
ここ何ヶ月かですが、仲間に出会って、私はすごく変わったと思います。
居場所や繋がり、安心感というものは仲間と一緒につくっていくものだということを知りました。
私のシェアを聞いてくれた仲間と斎藤先生にありったけの感謝と私が得たあたたかいつながりを捧げたいです。ありがとうございました。
2006.8.26
斎藤学の講座・ワークショップ
| 講座名 | 日程 | 時間 | 料金 | 対象 | 会場 |
| 斎藤学ワークショップ | 10/07 08 | 14:00〜20:00 10:00〜18:00 | 31,500円 | 一般 | 東京麻布 |
| 斎藤学オープンカウンセリング | 火 | 18:30〜20:30 | 3,000円 5,000円 | 一般 | 東京麻布 |
| 親のための家族相談 | 火 | 18:30〜20:30 | 3,000円 5,000円 | 一般 | 東京麻布 |
※開催日については必ず各講座の詳細ページでご確認下さい
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2006年10月19日
Nさんからの手紙
締め切り原稿に追われてご無沙汰していました。この年になってこんなに忙しいのは変だというくらいに時間がなくなっていて、我ながら「これはまずい」と思っています。
渋谷(外苑神経科)での臨床が入ってきたのも一因ですが、広島(ワークショップ)、仙台(シンポジウム)、大阪(市民局講演)と続いて、麻布・讃岐会館でのワークショップ(これは地元)になだれこんだのがきつかった。加えて家族病理学・通年講座(IFF主催)とAIU/CSPP日本修士プログラム(社会病理学、秋期講座)が始まり、それなりの準備もしなければなりませんでした。
以前なら楽々こなしていた日程なのですが、最近は家にたどり着くとひっくりかえっていることが多くなっています。
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あいかわらずクリニックの皆さんの言動は面白いし、火曜の夕方(「オープンカウンセリング」と「親のための相談」)の活き活きした会話も楽しんでいますが、それらを書き留める時間が減っています。ただ書き留めるのなら簡単ですが、ここに事実そのままを載せるわけにはいかないので、大幅に脚色する。それについては結構時間をつかうのです。
とはいえせっかく始めたこの欄を空け続けるわけにもいかないので、皆さんからの手紙の紹介から再スタートします。
その後で最近書いた原稿のいくつかを紹介することになるでしょう。
Nさん(30歳代、女性)からの手紙 2006年9月7日
斎藤先生、こんにちは。先日もお手紙に書かせて頂いたのですが、JUST通信に私が書いた文章を載せて頂きました。文章の内容は、2004年5月に講演プログラムの中で「私の悩み」という題で話させていただいたのと同じものです。
2年前に、「私の悩み」講演をさせていただいた後、ずっと私はこの文章についての感想が出て来ませんでした。感想が出て来なかった理由は、心の形にこの文章がピタリとはまってしまい、「すきま」がなかったからではないかと推測しております。
でも、2年が経ち、今回JUST通信に載った自分の文章を改めて読んでみて、ようやく感想を感じるすきまが出来た様に思いました。上手く言葉にするのが難しいのですが、感想は「これは私にとってノンフィクションの話だけれど、同時に今はフィクションでもあるな」です。斎藤先生は、「記憶は創作でもある」という様な話をされることがありますが、その言葉の意味がうっすらとわかった様にも感じました。
さて、「すきま」というと、少し前に先生がIFFのブログに書かれていた、心の「空隙(くうげき)」や「重石」の話を思い出します。それで、「空隙」や「重石」という言葉から連想した事を書かせてください。
2年位前、ヨーロッパやアジアでの生活が長かったUさんという女性が「独身の頃、インドのメコン川の辺りを旅している時、心にぽっかり穴が空いた様で悲しかった。」という様な話をなさっていました。先生はUさんに「皆、心にいくつか穴が空いている.そして、その穴には、ハトとかカメムシとかが住んでいる」という様なコメントをされました。ハトはともかくカメムシというのがおもしろく大変印象深いお話でした。
以来、「私の心に穴が空いているとしたら何が住んでいるかしら?」と考えていました。私は、布団嗜癖者なので、ベタな考えでいくと、ナマケモノという動物が住んでいるかもと思いました。また、化粧好きで、化けているつもりなので、タヌキなども住んでいる様に思います.そして、他者にとっては臭いであろう、自己憐憫を時々やるので、カメムシも住んでいるのではないかと考えています。
さて、この程「昔、自分が書いた文章への感想」という形で、新しい穴というか、「すきま」が出来た様に感じているわけですが、このすきまには何か「自分を大切にし、同時に他者も大切に出来る」ような生き物が住んでくれたらいいなと感じています。・・・そうは、上手く行かないだろうとも感じているのですが。読んで頂きましてありがとうございました。では、また。
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2006年10月23日
よい12ステップがあったら紹介して下さい(1/2)
お手紙・2
KCさん(43歳、女性)
こんばんは。不安なときに、時々読ませてもらっています。
二年前のお正月明けに、北海道W市から単身上京し、麻布のクリニックで二週間患者をさせてもらいました。子どもへの暴力がやめられないのと、自殺願望でたびたび未遂をしていることで、せっぱ詰まっていて、そのような計らいをしていただいた患者です。
その時にハコミセラピーを勧められて、習得してから自宅で仲間をつくったらいいと言われました。費用と、滞在中の子供の世話を頼める人がいないのと、母が亡くなったことで鬱になって自分の身の回りのことも出来なくなったので、ハコミには参加できませんでした。
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そうこうするうちに、札幌に転勤したので自助Gに参加できるようになりました。そこで出会った仲間と、ミーティングだけではなく、時々メール交換やうわさ話が出来るようになりました。子育て中のACママのためのHPも作りました。私と他人が一人の計二人だけのちっぽけなHPですが、喧嘩もなくて、満足しています。
今はこんな感じです。先生はきっと「随分良くなったね!」と言ってくださるのでは?と思っています。
9/3(日)から、子育て中のお母さん達だけの自助Gを作ります。毎回これるメンバーは私だけです。もしかしたらひとりぼっちの自助Gかも知れないですが、やります。続けられるまで、続けます。
それで、そこで使う12ステップかテキストを紹介して欲しいのです。今の所は、ACODAの12ステップの本しか心当たりがありません。でも、札幌ではその本でやっている所が数カ所あって、メンバーが重複しています。それに、アルコール依存の親の子供向けの色が強いので、機能不全家庭で育った子供が親になって困っているひとにいい12ステップがあれば、それを使いたいのです。
先生が翻訳された「アダルト・チルドレンの子どもたち—もう一つの共依存世代」は一人でじっくり読むのに向いていると思います。
ACODAの12ステップをそのまま使うか、子育てにふさわしいように適当にアレンジするしかないでしょうか?
はじめの基本方針が大切だと思うので、相談を受けてらっしゃらないとありましたが、相談させていただきました。何となく、先生は時間があったらお返事を下さるような気がするのです。
ブログ内のお返事で結構です。他の地域に住んでいる方で、子育て中のACのかたで、自助Gを作りたい方にも参考になるかしら?と思い、厚かましくもメールさせていただきます。9/3をすぎてもかまいませんので、よい12ステップがあったら、是非紹介して下さい。ご多忙の折恐縮です。よろしくお願いします。
PS.私、去年まで斉藤先生のことを、細木数子と間違えていました。気がついた瞬間「あ!」と声が出ました。この勘違い、私だけではないような気がします。先生の患者さんに多いような気がするんです。オープンミーティングで話したら、みなさん爆笑して下さるかしら? 先生も苦笑されるかしら? とか想像して、楽しんでいます。
(続く…)
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2006年10月24日
よい12ステップがあったら紹介して下さい(2/2)
(S)このお手紙頂いてからずいぶん経ってますよね。9/3からとあるので、多分今年の8月中に頂いたものでしょう。遅いご返事でごめんなさい。
おっしゃるとおり、この連絡にはお答えするつもりでいました。ただ手頃なものがないな、と考えているうちにブログに手がまわらなくなってしまっていたのです。
差し当たって思いつくのは『私は親のようにならない(改訂版)』(クラウディア・ブラック著、斎藤学 訳、誠信書房)、『アダルトチルドレン一問一答
』(斎藤学 監修、解放出版社)、『アダルトチルドレン
』(ジャネット・ウォイティッツ著、 斎藤学 監訳)、『アダルトチルドレン・シンドローム
』(ウェイン・クリッツバーグ著、斎藤学 監訳)
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特に最初に挙げたブラックのものがお勧めで、チルドレン・オブ・アルコホリックについての最も優れた本だと思います。クリッツバーグの本は有名ではありませんが、私には非常に面白く参考にもなったので訳したという記憶があります。ただし、ここに挙げた本はいずれも12ステップについての本ではありません。あくまでもアダルトチルドレンについての本です。12ステップの本としては既にあなたも持っておられる(らしい) ACoDA の12ステップ解説が最も適当です。
12ステップについては、その一項目ずつをお経のように唱えていてもしょうがないと思います。なぜ12ステップが20世紀半ばのアメリカで必要になったのかという見方をなさることをおすすめします。少なくとも私はそのように考えることによって、単なるアル中回復術に留まらない12ステップが見えてきました。
アル中おじさんたちは彼らの魂の滅びと再誕生を通して、彼らの問題が私たちの抱える問題と同質のものであることを教えてくれたのです。このことについて書いたのは『魂の家族を求めて』(斎藤学著、日本評論社)で、ここでは各ステップの意味についても考えました。その姉妹本である『依存と虐待
』(斎藤学 編、日本評論社)も読んでみてください。
12ステップは今でもさまざまな形に改変されていて、「新しい12ステップ」というものも使われるようになっています。私は、私なりに改変した10ステップを使っています。それは『家族の中の心の病—「よい子」たちの過食と拒食』(斎藤学 著、講談社プラスアルファ文庫)の最後の章として紹介しましたので、これも読んでみてください。ここでは摂食障害者用に作られたものが紹介されていますが、私はハズバンズ・グループなどで「男らしさの病のための10ステップ」を使っています。あなたたちに最も必要なものに改変して使ってみてはいかがですか。
追伸について:私は細木数子さんなるものを知りませんので、もしあなたのお知り合いならよろしくお伝えください。
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2006年10月25日
クレプトマニアと罪悪感
最近書いた原稿のいくつかを紹介しようと思っています。ただし未だ印刷されていないものについては掲載先を伏せなければなりません。原稿料を払ってもらう以上、原稿は注文先のものでしょうから。
それで最近自分の雑誌(「アディクションと家族」)のために書いて脱稿したばかりだが、原稿料はもらえないものを先に載せます。原稿そのものは間もなく発刊される「アディクションと家族」誌(23巻3号2006年)をお読み頂くこととして、ここには原稿にはない(紙数の都合で載せられなかった)エピソードなどを適宜挿入してみたいと思っています。
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この原稿を書くにあたって参考にさせて頂いた3人の人々との対話(雑誌に収載)も、このブログに載せられれば載せようと考えていて、既にお二人の方々からは了解を頂いています。
これはクレプトマニア(窃盗癖)について書いたものですが、この反社会的行為に伴う罪悪感に焦点を当てています。「行為が罪悪感を導くのではない、罪悪感がそれに見合った犯罪行為を導くのだ」という逆説的な見解を比較的じっくりと考えてみたものです。まず、以前この着想について書いた新聞コラムを紹介するところから入りましょう。
東京新聞・本音のコラム(06年4月26日)
罪悪感なんて無ければ無いに越したことはないと思う。精神科医を四十年やってきて思うことはそれだ。世人は誤解している。何か悪いことをしたので罪悪感が生まれると考えている。逆だ。
人は根拠もなしに罪悪感を抱き、その大きさに見合った罪悪をやってのけるのだ。あるのはまず「感」、ついで「行動」なのであってその逆ではない。これを読みまちがえたおかげで、つい十年前まで、私は大いに悩んだ。過食・拒食少女が万引きする理由も、窃覗狂青年や強姦青年が女性を犯す理由も皆目わからず、わからない自分を責めた。
わかってみればコロンブスの卵。ああいうものは、ヒトという生物の巨大な脳皮質が起すカラ騒ぎに過ぎない。だから驚くほど無個性なものなのだ。人は自分に課された役割なるものを勝手に読みとろうとする。ここから「根拠の無い罪悪感」が生まれる。
子どもたちは親の期待を読みとり、その「読みとり」が勝手であることを理解しようとしない。そして「親の期待」という幻想が生み出した罪悪感に苛まれる。そして「親の期待が重すぎた」と恨む。この際ハッキリ言おう。
たいていの親(異常者という例外はある)は子に期待などしていない。せいぜい元気でいて欲しいと思うくらいだ。何を間違えたか、自意識過剰な子どもが「普通」であってはならないと勘違いし、普通であるくらいなら狂気でいよう、犯罪者でいようと考える。バカだ。
◇アディクションと家族26巻4号
【特集】クレプトマニアと摂食障害
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