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2006年08月30日
村瀬学『自閉症−これまでの見解に異議あり!』(ちくま新書)
映画『レインマン』は、施設にいる「自閉症者」の兄レイモンド(ダスティ・ホフマン)を、ある事情で弟(トム・クルーズ)が連れ出しに来るところから始まる。
「自閉症者」にとっての「他者」である弟は、兄を奇怪に思う。兄の本棚に並んだ本に触っただけでパニックを起こされたりする。レイモンドは本の並び(順序、秩序、規則)が乱されるのを怖れたのだ。
映画は「変化」への予期不安に怯えて飛行機に乗れない兄を弟が車に乗せて旅するという「他者=普通の人」の苦難を描く。
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ストーリーを豊かにしているのは、この種の人々に見られる「イディオ・サヴァン(天才バカ)」的な行動だ。レイモンドはレストランでウェイトレスの胸の名札から彼女の電話番号を言い当てる。引いたトランプ・カードを見て、残ったカードの種類と数を当てる。なぜそれが出来るのか。それはこの本を読めばわかる。
かつて心身障害児施設の職員を務め、子どものこころについての積極的な発言で知られる村瀬学(同志社女子大学教授)が書いたこの本は、「自閉症」についての啓蒙書ではない。むしろ「自閉症」という用語に対する批判の書である。
レイモンドのような行動は「他者」から「症状」と見られてしまう。そして医療や教育トレイニングの対象にされる。しかしその気にさえなれば、自閉症的にふるまう人の考えかたが「普通の人」と地続きであることが見えてくる。
例えばカレンダーや地図などの「目印」の規則性へのこだわりは人類に共有されてきたものだ。
人とは、こうした規則性を発見し、その秩序を維持することによって不安を統制しながら生きるものたちなのだ。それを村瀬は丁寧に説明する。
これら「関係発達の遅れ」を持つ人に対して「普通の人」が自閉するとき、そこに自閉症が発する。だから「普通の人」とレイモンドたちとの関係は開かれなければならないと著者は説く。
教えら考えさせられ、しかも読みやすい本である。(斎藤 学)
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