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2006年08月09日
「胸の重石」の正体(5/5)
(続き)
(Q)そうすると、その重石はどけられないし消すこともできないというわけですか?
(S)あなたはこの5年、重石を消そうとしてきた。そして消せなかった。それならその重石を自分の一部として引き受けてみてはいかがですか。さびしさを感じるのは大人になってしまったものの宿命ですから。重石はあなたの感情で、その主な成分はさびしさ、それを重く感じさせているのは罪悪感です。
さびしさについては、その感情を消そうとせず、ただ感じてみてください。それは意外にイキイキとした感情で始終揺れ動いて大きくなったり小さくなったりしています。しかしそれは危険なものではありません。そこからは涙やため息と一緒に詩や歌が生まれます。創作の源泉です。
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罪悪感は減らしたいものです。これは人の愚行や悪行のもとです。あなたの自傷や自殺関連行為もここから生まれ、それらを繰り返すたびに罪悪感が強まるという悪循環に入っています。これが生まれたもとを考えてください。それは母親との会話から生まれた違和感だったのですから、その空間に戻ってみるのです。
そうです。お母さまのところへ戻ってお話しなさい。あなたとお母さまとの間の空間こそ、罪悪感の捨て場です。あなたは自分の心の育つ力を怖れ、それをお母さまに止めてもらおうとした。しかしそれをしてくれないとわかってお母さまを恨んでいる。そこから罪悪感が生まれているのです。
しかし考えても見てください。子どもの心の成長を砕こうとする親は「危ない親」です。あなたのお母さまはその種の「危ない母」ではありませんから、あなたの幼児退行への願望を受け入れなかったのです。お母さまのもとに戻り、対等な女性として話し、また家を離れるということを繰り返しましょう。あなたの罪悪感は母のもとに帰るたびに減って行くはずです。
(付記)誕生した人の子が母との隙間を感じるのは、ここで話されているよりずっと早い時期、恐らく8〜18か月の間であろう。
乳児は飢餓と渇えの中に生まれ、母乳への「欲求(必要)」が充たされたことによる原初の充足の記憶を「欲望」として生きる。やがて乳汁(良いもの)が「他者」から与えられるものであることを知らざるを得なくなって「自己」というまとまりと他者との「空隙」に気づくようになる。
それ以後、生涯を通じて人は「(他者から)見捨てられる不安」におののく存在になるのだが、この不安を緩和する手段も見出す。それは欲求充足の記憶、つまり「欲望」をすり替えることである。乳頭という他者の付属物への欲望は自分の指にすり替えられ、口にくわえられ「空想」のうえで充足する。
しかしそれは空想だから欲求は充たされることなく、「すり替え行為」は強迫的に繰り返される。嗜癖とはこの種のすり替え行為のことであり、だから「指しゃぶり」は最も早期の嗜癖行動である。
この問答で取り上げられている「自己」とは、上に述べたような人生最早期の自己感情ではない。思春期の家(母)離れの際に問題になる水準の「自己意識」が話されている。この時期には母親との分離に伴う「見捨てられる不安」と、それと対をなす「呑み込まれる不安」が生々しい主題となる。ここに取り上げた2人の女性は、これら2つの(逆説的に位置づけられた)不安の間で宙吊りにされている。
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2006年08月09日 10:35:[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ][↑ページ上端へ]