2006年03月の一覧

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2006年03月06日

出逢いが足りない私たち(1/2)

「出逢いが足りない私たち」(祥伝社コミック文庫)より

あとがきにかえて
内田春菊×斎藤学

 斎藤学先生は、依存症や家族の機能不全に関する研究の第一人者として活躍している精神科医です。今回、かねてより斎藤先生の本の読者である内田さんからのラブコールで、この対談が実現しました! ホルモンの話から家族の話まで、興味深い話題の数々をお楽しみください!

image060306.jpg斎藤先生、フリーランスになる!

斎藤 この本に出てくる子は仕事、仕事って、なかなかカタカナ仕事も大変ですね。内田さんは心配ってないの? フリーでやってきて。
内田 私の場合、幸運にも仕事はないのが心配じゃなくて、きすぎるのとトラブルをどうするかっていう悩みが多かったですね。私セックス描くの平気だったから、それだけで若い頃は一挙に仕事がきて。
斎藤 男より女のほうが度胸がいいのかな。私、今度初めてフリーランスになるんですよ。もっと本を書いたりしたくてね。
内田 わ! それはすごく楽しみ!
斎藤 前にチャンスがあったときは自信がなくて開業しちゃったんだけど。
内田 自信がなくて開業! こんな話初めてききましたよ私(笑)!
斎藤 開業すれば人がくるのは当たり前でさ。私の感覚だとまず自分の名前が知られることがイヤなんだよ。その点、内田さんや中村うさぎさんはえらいよ。私、開業のときなんて「下半身裸で群衆の中にいる夢」を見ましたもの。これは定型夢のひとつで、恥に関する夢でね。なまじ夢判断の本とか読んでるから「見ちゃった」って思ってね。
内田 自分ですぐわかっちゃう(笑)。先生ご本名ですしね。私は本名じゃないから。
斎藤 タヌキとかにしておけばよかったかな。うさぎなんて可愛いものじゃなく(笑)。

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精神の病と、精神科医という職業

内田 斎藤先生もそうですが、精神科医って命がけの職業っていうか…。
斎藤 私は電車に乗らないんですよ。この10年はずっとそう。医者やめる理由のひとつは、そういうのがイヤになったっていうのもある。あと「エロトマニア」っていう被愛妄想を抱く人たちがいてね。これは振り切るのが大変なんですよ。精神科医はみんな経験あると思うけど、色々自衛してますね。
内田 私が香山リカさんから聞いた話では、ネットでHP作っているだけで香山さんに「僕のこと知ってますよね」って話しかけて、香山さんが「知らない」って言うとすごくがっかりする人がいるって。そこから始まっちゃうと大変だなって。
斎藤 やっぱりファンタジーは誰にでもある。人間はファンタジーで生きていますからね。だから自分のファンタジーが問題なく作れて、リアリティがあまりない世界で生きていけるとなると、みんなそこに入っていっちゃう。この作品もちょっとそういうとこ描かれているね。例えるなら部屋の中にコタツがあって、そこに寝転がって手の届くところに何でもある状態で。蛸足だね。
内田 蛸足(笑)。何でも手が届く世界ですね。
斎藤 そう。それってまさしく子宮なんですよね、コードでつながっててね。

この作品とインターネット

斎藤 描けない人間からみると、こういう作品が描けるってすごいことだよね。この漫画は最後は崩壊していくけど、ここでパサッと切っちゃったっていうのは意味があるの?
内田 これは結局、誰にも起こるかもしれないっていうようなところに話を落とした、っていうことかな。タレントの女の子とイラストレーターの卵の女の子っていうのは関係はないのに、あまりにもその人に関心を持ちすぎてこういうことに。ネットの電波を通じて混じったり吸収されたり、っていうようなお化け漫画ですね。
斎藤 すごくクールというかシュールだよね。なんて言うか、ベタでいく人には難しいよね、この怖さを楽しむのって。わかる人にはいいんだけど。私が読んだ限りでは内田さんの今までの作品とはちょっと系統が違うような気がしたな。
内田 私本当はあまりインターネットのこと知らないんですよ。でも悪口がいっぱい書いてあるようなところをちょっと見たときに、「このエネルギーは発電とかに使えないのか!?」っていうくらい何だかすごいものが渦巻いていて。
斎藤 インターネットって、私たちのコミュニケーション手段としてね、人間の精神に何かを付け加えてくれるものなのか、あるいは崩壊のプロセスに招き入れてしまうものなのか、知りたいとこでしょ、みんなね。

内田さんはドーパミン系の人!?

内田 先生、ちょっとホルモンのお話を聞きたいのですが、竹内久美子さんの本ではテストステロン値が一番高いのって役者だって。スポーツ選手より高いんですよね?
斎藤 そうですね。テストステロンっていうのは大きく分ければドーパミン系のホルモンなんです
よ。睾丸から一番多く出て、女性の場合は卵巣からも出ますね。で女性の性欲を決定してるのはこのテストステロンなんですよ。エストロゲンじゃなくてね。
内田 じゃあ私はドーパミン系が強い方なんですね。
斎藤 うん、あなたはドーパミン系の人なのかな。ドパミナジック・パーソナリティ。
内田 そんな言葉があるんですか?
斎藤 ないけど私が作った(笑)。
内田 やめてー(笑)!
斎藤 性欲を強くする方法は、…ってさらに強くする必要ないですけどね。
内田 はい、強くする方法教えてください(笑)。
斎藤 ドーパミンと同じ物質っていうのは外部にあって、それは「シャブ(覚醒剤)」なんですよ。
内田 シャブ! 私、自分で意識したところなんですけど40歳前から、怒りが性欲につながることが多くなって。
斎藤 それって私がよく聞く、シャブ中の女の人によく似てるね。
内田 Y(担当編集)、なぜメモする! しないでよ(笑)! 私やってないですよ。
斎藤 やってないと思いますよ。もとから強いから必要ない。
内田 必要ない! そっちのほうがショックー(笑)!
斎藤 男は生まれつきのドパミナジック・パーソナリティ。達成感がないと段々憂鬱になっていくのね。
(続く…)

 

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2006年03月07日

出逢いが足りない私たち(2/2)

(続き)
image060307.jpg姉妹葛藤・兄弟葛藤

斎藤 あとこの本の面白いところは比較的早い段階で姉妹葛藤の深刻さが描いてあることだね。これね、我々から見るとすごく面白いテーマで。お母さんが長女飛び越して次女とくっついちゃっててね。
内田 あ、うちがそうだったので。
斎藤 ああ、実体験か。
内田 多少ね。母は妹がすごく可愛かったみたいです。私はこの作品のお姉さんと違って稼ぎ手になったので、実際はちょっと違うんですけどね。母は私にお金はくれって。
斎藤 葛藤する者ってよく似ている同士だとライバルになる。で同じ共通の目標があると3角形になるんだよね。あと兄弟といえば今の若貴騒動なんだけど、まず私が思ったのは『カラマーゾフの兄弟』。あれって父を殺すんだよ。父イコール神で、ようするに神殺しの話。若貴の場合、神様っていうのは相撲道のことで、弟はその道の狂信者。そしてお兄さんは神を捨てちゃった背教者。すごくカラマーゾフ的なんだよ。
内田 先生はなぜカラマーゾフを?
斎藤 息子と父の関係っていうのに興味があって。男はヘンじゃないかって思ってね。で今読み直してるんですよ。ああいう兄弟葛藤っていうのは実はずっと昔から繰り返されてるのね。でも若貴については「モデル家族の崩壊」とか「時代が変わった」とか、そういう社会心理学的な分析が多いでしょう。時代のせいにしちゃうと話は面白くなくなるんだよ。私は生物学的にとか、人でいることの宿命というか、時代や民族や国家や文化に関係なく通用する論理が好きでね。
内田 私のお友だちの演出家の木野花さんもカラマーゾフに入れ込んでて、お芝居にしてるんですよ。先生もしよろしければ今度ぜひ木野さんと対談いかがでしょう?
斎藤 ええ、ぜひ今度!

===
目を逸らすお義父さん

斎藤 女性は道義とかはあんまり気にしないよね。でも男はそういうものがないと駄目。一番の道義は「女房子供を食わせる」っていうもので、男は「妻子は自分に頼ってる」っていう幻想の中にいないと不安定で不安定で、「自分なんて生きてなくていい」になっちゃう。
内田 まさしく、お義父さん…。私、今一番夫のお父さんのことで大変なんです。
斎藤 老後の問題で?
内田 いやピンピンしてます。非常に支配的で…(以下、お義父さんの具体的な言動の話が続く。詳しくは小社刊『ほんとに建つのかな』をご参考のこと!)。
斎藤 お舅さん、おいくつくらい?
内田 60半ばくらいです。
斎藤 僕と同じだ。まだ男が男をやっていた時代の影響が強いんですよ。下の世代になるとキャパシティが上がるんだけどね。
内田 私と話するときに、私のほう見ないんですよ。目線をくれて話さない。見たら負けって思ってる。
斎藤 お舅さん、本当に追い込まれているんだね。
内田 お義父さんは「オレがえらい」って物語に何度も何度も書き換えようとするんですよ…。
斎藤 それは偉いよ、その執念が。負けてない。おめでたい話ですよ、一言で言えば。
内田 ところが私そのせいで、ここんとこ妊娠にしくいんですよ。そのせいでって私は思ってるんです。
斎藤 アグレッシブになると妊娠しにくくなるね。攻撃性が出てきちゃうとね。
内田 ……!! やっぱりそうなんだ…。私もっと安らかな気持ちで暮らしたいんですよ! できるならもう1人産みたいと思ってる。でもお父さんのこと考えると夜中に心臓がバクバクしたり、銀行にいても冷や汗が出たり…。
斎藤 簡単に言えば、いい人の振りやめればいいんですよ。
内田 いやもうとっくにやめてますよ!? 散々描いてますから!夫が気にしてるのはわかってますけど、私は「あんな図々しいハゲおやじがついてくるってわかってたら、私あなたとは結婚しなかったわ」ってことまで秋に出る単行本に84ページも描いてるんですよ!
斎藤 はははは! それで打ち止めだな(笑)。
内田 私が何度お願いしてもまた同じことをする。言っても聞こえてないんだなって消耗してきました…。
斎藤 聞こえてないっていうか、それで行動を修正すると自分が全部駄目になっちゃうんですよ。「修正したら負け」という意識があるから。
内田 じゃあ細かい修正はできないってことですか?
斎藤 出来ない。私はこれでやるんだから、こらえろって。小さい世界でパワーを保持するって、男は無限にやってるんですよ。オス犬の小便みたいに。やだねー、男って。こうやって話聞くと困ったもんだなって(笑)。
内田 私の生い立ちも関係あるんですけど、子供が大きい家を建てたら、どうして喜ぶって方向に行かないのかな…。「そっちには絶対行かないの? そんなにもオレの支配下じゃないとだめなの?」って、私はそれを知りたいんですよ。それで自分の親とも駄目になったから。
斎藤 うーん。それはお舅さんにとってはキャパシティを一段階拡張することでしょう。それってすごい大変なことでね。不可能とは思わないけど、人間観が変わるのって、それこそ死に直面したり、足1本なくしたりしないとね。

縦の関係・横の関係

斎藤 そういう話聞くと、自分はそういうふうなことしちゃわないようにしなきゃって思うね。私はたまたま男の子いないから、力のある嫁とぶつかるなんて経験ないけど。
内田 「力のある嫁」って言わないでください〜(笑)! 別に力があるとか思ってないんです〜! 「子供が一番気持ちいいかたちを」って考えてたらこうなったわけで。
斎藤 どうしてそんなに力ってイヤがるの? いいじゃない。
内田 私、誰とも仲良くしたいんですよ。勝った負けたとかイヤなんです。
斎藤 勝ち負けにしないっていうのは、それこそ力の究極の段階。そういう水平関係が維持できてるっていうのは能力ですよ。たいがいの人は縦関係のほうが楽だから。「力のある女性」なんていうと力コブのある女性のようなイメージがわくらしくて女性はイヤがるんだけどね。
内田 イヤですよ。
斎藤 ははははは(笑)。内田さんは人と関係する能力があるっていうことだよ、それも力。こういう作品描く時だって、結局読者の視点に共感できなきゃ面白いもの描けないもの。読者と横関係ってことですよ。
内田 お義父さんは縦関係の人です。
斎藤 「でも私は横関係でいくの」って思っていれば、どこかでズレが起こっても衝突はしない。どちらかが上とかって関係になると敵対しちゃうけど。大丈夫ですよ、あなたは横でいける人だから。
内田 人をみるときに腕時計だの車だの見る人いますよね。例えば、こういうお店(対談場所の和食店)のご飯って美味しいけど、塩むすびだって美味しい。そういう喜びって貧乏でもあるじゃないですか。私が育った家は無茶苦茶な親だったけど、でもそういう喜びはあったと思うんですよ。
だからお金のあるなしとか、上下って…。
斎藤 そういうところに喜びを見つけだせる能力っていうのも、関係する能力と関係あると思うんですよ。ものはいらないですよね、関係さえあれば。でもあまりにも純粋にやると、ローマ・カトリックから列聖されちゃったりするけど(笑)。マリア・テレサになっちゃうから、そっちに行きすぎないように。
内田 気をつけよう(笑)。今日は長くなっちゃってすみません!
斎藤 いえ、こちらこそ大変楽しい時間をありがとう。

 「出逢いが足りない私たち」(祥伝社コミック文庫)より

 

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2006年03月08日

対談「サイコセラピーと日本人」(1/3)

CSPP主催特別講演会(2003年9月7日 東京・すみだリバーサイドホールにて)
対談「サイコセラピーと日本人」(抄録)岸田 秀・斎藤学

岸田 秀(きしだ しゅう)
和光大学教授。1933年香川県生まれ。早稲田大学文学部心理学科卒業。同大学院修士課程修了。
著書に『ものぐさ精神分析』『幻想を語る』『フロイドを読む』『希望の原理』(青土社)、『母親幻想』(新書館)、『性的唯幻論序説』(文春新書)、など。

image060308_1.jpg神と世間——文化背景にみる差異

斎藤 岸田先生はいわゆる臨床家ではありませんが、フランスのストラスブールでずっと精神分析を中心に勉強されて、日本の社会や日本人について精神分析的な解釈を加えるというお仕事をなさってきた方です。
 今日は主に岸田先生が日本人をどういうふうに見ているか、あるいは日本におけるサイコセラピーの可能性などを、サイコセラピストというものから少し距離のある立場でお話しいただいて、それに対して私が話していく形にしたいと思います。

岸田 僕は、日本人や日本の歴史の展開などを精神分析の立場から説明するということをやっておりまして、サイコセラピーは受けたこともやったこともないのですが、精神分析はそもそもフロイトが強迫神経症やヒステリーといった問題のカウンセリングから始めたものですから、全然無関係ではないかもしれません。

 サイコセラピーとは、個人が精神的な問題で葛藤したり悩んだりしてサイコセラピストを訪ね、いろいろ相談することだと思っています。
 なぜ人間はサイコセラピーを必要とするのか。僕は、人間は本能の壊れた動物であるという前提から出発しています。動物なら本能に従って行動すればいいのですが、人間は本能が壊れているから、どう生きていったらいいか、こういう場面でどうすればいいかが基本的にわかっていない動物であると考えています。

 それでは困るので、人間は自我を作りあげて——自我というのは幻想ですけれども——その自我に基づいて行動する。自分は男であるか女であるか、医者であるか学生であるかといった自己規定に従って行動を決定して、一応は生きているということです。

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image060308_2.jpg
 しかし、その自我は作り物でありまして、決して動物の本能のように安定しているものではなく、往々にして乱れてしまう。そしてまた、絶対にこれが正しいという自我の基準もありません。基準のない自我を基準にして、われわれ人間は毎日生きていかなくてはいけない。基本的に不安定ですから、そこでいろいろな葛藤や悩みが生じて、自分だけでは解決できなくなる。

 人間は母親との関係や父親との関係の中で形成された自我を持って社会に出ていわけですが、われわれはその中で自我というものをずっと維持していかなくてはならないのです。
 家庭はひとつの制度で、これも人間の本能に基づくものではありません。家庭の形態や機能はそれぞれの文化によって違うわけで、日本の家庭と、たとえば欧米の家庭は基本的に異なっていると考えられます。ごく大まかな違いを言いますと、日本の家庭はだいたい母親が中心になっているのではないか。そして母性愛が非常に強調されているように思えます。

 ヨーロッパの家庭では父親が中心で、父親が子どもを社会に送り出すという責任を持っていますが、父親の背後には神という存在があって、子どもに対して大きな権威、力を持っている。父親の権威を支えているのは、キリスト教ならキリスト教の神です。唯一絶対の規範である神を背負って父親は家庭に君臨し、子どもをその規範に合うような人間に育てていくということになっています。
 精神分析でエディプス・コンプレックスといって、男の子は母親とセックスをしたいから父親をライバルとみなすという説があります。

 僕が初めて精神分析というものを知った時、自分にはそういう心あたりがなかったので、何でこんな変な理論があるのかと思ったのですけれども、あれはヨーロッパ人の話だということに気がつきました。
 なぜそういう願望を持つかというと、父親が権威で、母親は父親の女であるととらえられるからです。父親をモデルにしてそれを乗り越えていく——父親と同一視し、かつ父親を超えていくのが個人としての成長のプロセスなのです。

 日本人と欧米人とでは、ごく大まかに言って、自我の形成過程にそういう違いがあるというのが私の考えです。
 人格障害や多重人格などはすべて自我の乱れと考えられます。日本と欧米では自我の形成過程が違いますから、それが乱れた時の乱れ方も違うし、サイコセラピーのあり方も当然違ってくると思います。
 フロイトは19世紀中頃に生まれて、19世紀後半に精神分析という技法を創りましたが、人間は昔から自我というものを持っていたわけですから、自我の乱れも昔からあったのです。

 ヨーロッパでは、そういう場合は神父さんのところに行って罪を告白して、許しを得ていた。罪悪感というのは神への罪ですね。神の規範に反した、こういう悪いことをしてしまったということが昔のヨーロッパ人の自我の乱れの表れでした。
 日本でそういう役割をしていたのは大家さんとか横丁の隠居だと思います。近所の人望のある人が八っぁんや熊さんの相談に乗って、「世間ではこういうものだから」というふうに答えていたのでしょう。
 欧米の場合、サイコセラピストはかつて神父さんや牧師さんが果たしていた役割を引き継いでいるし、日本では横丁のご隠居がやっていた役割を引き継いでいる。引き継いだ元が違いますから、それぞれのやり方も違ってきます。

 フロイトの時代の臨床例などを見ますと、厳しすぎる超自我とか、父親に対する恐怖から神経症になったり、罪悪感がいろいろと問題になっている。罪悪感を抑圧して、抑圧された罪悪感がヒステリー症状を起こすということで、罪悪感をどうするかが中心問題になっていますが、これはやはり神への罪ということです。
 しかしヨーロッパでも、ニーチェが「神は死んだ」と言って以来、キリストへの信仰心はだんだん衰えていくわけです。それでも、何かの絶対的な規範は存在していて、そういう規範との関係での自我の乱れがあって、それを治すという意味で、欧米ではサイコセラピーはひとつの権威を背負っていると思います。

 日本の場合、横丁の隠居や大家さんは権威者ではありません。近代になって、日本ではたとえば森田療法ができましたが、あれも権威を背景にしてはいない。
 日本人の自我は神との関係ではなくて、世間との関係で形成されていますが、世間とは、言ってみれば他の多くの人々です。
 自我の乱れとはその関係の乱れですから、日本人の神経症が対人恐怖症という形で表れたのは、日本文化という背景があったからです。ヨーロッパでは自分の心の中のいろいろな衝動が規範に反するから、そういう衝動を無意識の中に抑圧するわけですが、日本人の場合はそうではないわけです。
 対立、葛藤という尖鋭的な形ではなくて、あの人に変に思われているんじゃないか、笑われているのじゃないか、変なにおいを出しているのじゃないかという、他の人々への恐れが日本人の神経症の主な症状でした。森田療法は「人がこわいならこわくてもいいじゃないか」「赤面したっていいんだ」というようなことを言うわけですが、まさに横丁のご隠居さんの助言の系統にあると思います。

 しかし、欧米で神との関係が危うくなったのと同じように、日本の「世間」も昔と違ってあまり重視されなくなってきました。結局、現代人の自我は宙ぶらりんになって、欧米でも日本でも皆、自我をどうすればいいのか、どうやるのが正しいのか、どう生きていけばいいのかということが本当にわからなくなってきています。
 現代人は、昔の人達よりもはるかに乱れがひどくなり、乱れの形にもいろいろなものが出てきて、まさに混乱の時代になっています。
 サイコセラピーはこれから非常に大きな重要性を持つと同時に、いろいろ検討していかなくてはならない問題を抱えているのではないかと思うわけです。

 

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2006年03月09日

対談「サイコセラピーと日本人」(2/3)

(続き)
「世間」と父性

image060309_1.jpg斎藤 どうもありがとうございました。唯幻論から一気にサイコセラピー=ご隠居論まで行くという、いかにも岸田先生らしいお話だったと思います。
 人間は本能の壊れた動物で、自我——私はこれを「エゴ」ではなく「セルフ」と呼んでいますが——は幻想にすぎないというお話にはまったく同感です。

 世の中に光はない、いや、光に色はないと言ったらいいのでしょうか。光は七色とというけれど、紫外線や赤外線を見ることができないのは人間の神経系がそうなっているからで、物理的な刺激をどう受けとめるかというところに心があるわけですから、これは幻といえば幻で、私が言う赤と別な人が言う赤が同じものであるかは大いにあやしい。世界そのものも、私が見ているように人が見ていると思うのは、それこそ単なる幻想でしょう。

 心とは、刺激とヒトとの間で成立する神経の動きを言うのでしょう。つきつめると、人と人との間に生じるものが心だと言ってもいいかもしれない。その点では、これも確かに幻想だと思います。
 ただ私は、日本の父というのは存在しすぎていると思っていまして、有害なものとしても存在しすぎているところがあると思っています。
 「世間」というテーマに関連してお勧めしたいのは『武士道と世間』(山本博文著、中公新書)という本ですが、これはずいぶん勉強になりました。

===
 日本には確かにGODはいませんが、しかし「世間」が相当な迫力で人に迫っている。たとえば、佐賀藩のお殿様が死んだというだけで30人くらいが追い腹を切っているのです。これはみんな「世間」が基準になっているわけです。
 特に寵臣と言われた人は、家族にも会わないで早駕籠でお城に戻って切腹して果てている。それから、たとえば鷹狩りの時にお殿様から「鷹をよく訓練した」とほめられて二朱銀をもらっただけの人も切腹している。切腹すると遺族が優遇されるかというと、全然それはない。

 日本における「世間」は、侍にわずかなご縁を持っただけで切腹させるものなのです。これは相当すごい圧力で、社会恐怖を導いているのは確かだと思います。今もこれは強力に働いていて、ほとんど日本の人は「世間」で動いている。「世間に都合が悪い」からこのぶらぶら状態を何とかしようとか、「世間」様への言い訳で仕事をしている人も多いでしょう。結婚するのも「世間」のためだったりします。
 逆にそれに反した生き方をしようとしても、反世間的というのはすでに世間にとらわれているわけです。こういったことも含めると、日本人にとって本当に「世間」は神だと思います。
 そして、これは大いに「父」であると、私は思うのです。男親であっても、ステテコはいてビール飲んでいる「枝豆親父」は父とは言いがたい。父というからには世間様を背負って、「それで成り立つか!」と言うような者でなければいけない。
 これは女親でもいいのです。父親的な機能を持って子に臨み、「世間が放っておかない」「世間が許さない」と言っているなら、これは父親でしょう。

 それから、対人恐怖が日本固有の病気であるという対人恐怖日本特殊論は、徐々に返上しなくてはいけない問題だと私は思っています。
 現在のDSM−IV(精神疾患診断マニュアル)になって、Taijin-kyofushoという日本語そのままの項目が立てられたのですが、そこにはカッコ付きで、日本人や韓国人がかかる病気だと書かれています。
 東アジア精神医学研究会で韓国、台湾、日本の精神科医が集まった時に、アメリカ人にも人と会うと顔が真っ赤になってしまう人はいるし、それがいやで外出しない人もいるという話が出ました。
 フランス人でも顔が真っ赤になるし、対人恐怖的な人はいくらでもいます。イギリスの文化では、ノーブルな人というのは口ごもりぎみがいいとされています。そういう含羞が東西でそれほど変わるとも思えないのですが。

岸田 対人恐怖が今やアメリカでもみられるというのは、私も知っています。神への信仰は衰えたのですが、やはり欧米人も何かの規範がないと生きられないところがあって、規範のためには何かこわいものが必要なわけです。
 僕は対人恐怖をもじって対神恐怖という言葉を作りましたが、神への信仰が強かった時代には対神恐怖が規範の元になって彼らの文化を支えていたと思うのですけれども、その神への信仰が薄れた時、かわりに対人恐怖が出てきました。

 フロイトの臨床例などを見ますと、対人恐怖は問題になっていませんが、その後のアメリカのいろいろな社会学理論でも、エーリッヒ・フロムなどは市場型パーソナリティ(神ではなく皆に気に入られようとするパーソナリティ)などということを言い出します。
 かつてルース・ベネディクトは「日本の文化は恥の文化で、アメリカ・ヨーロッパの文化は罪の文化だ」と明快に区別して、敗戦に打ちひしがれていたわれわれは「なるほど」と思ったのですが、アメリカも罪の文化からshyness、つまり恥の文化に移ってきたのではないかと私も考えています。

斎藤 対人恐怖はむしろナルシシズムの問題としてとらえ直す必要があると思うんですね。それまでナルシシズムの問題は精神療法一般の中で中心課題にはならなかったのが、1980年代終わり頃から90年代にかけて、今おっしゃったshynessの問題が非常に大事な問題となってくる。
 そうすると結局、自分というものの価値をどういうふうに持つか、人と比較されてけなされた時の恐怖にどう耐えるかが問題になる。結局、引きこもり問題から、妻を殴る人の問題から、自分の子しか殴れないという児童虐待の問題から全部つながってくるわけで、このナルシシズムの問題こそ現在のサイコセラピーが一番基本的に取り扱わなくてはいけない問題だと思うのです。
 そういう意味では、確かに岸田先生のおっしゃるように、森田療法には大家さん的な面もないではないですね。ガミガミ親父というのかしら。「とにかく掃除しろ」「飯炊け」「炊いてるうちに治るよ」と言う。

 対人恐怖はどこの国にもあるものです。リサーチもどんどん進んできて、一方に傍若無人な形のナルシシズムがあって——いわゆるわかりやすいナルシシズムですが——もう一方の端に対人関係に過敏で引きこもってしまう人達がいるという1つのスペクトラムを考えた方がいいだろうということになっています。いずれにしても、この問題はこれから大事だと思います。
 それからもう1つ、ニーチェの言う「神は死んだ」時代とそれに前後するフロイトなどとの関係は正確に把握しておいた方がいいように思います。

 このことを考える時、参考になる本は『ニーチェが泣くとき』(西村書店刊)です。これは小説ですが、著者はコロンビア大学の教授で有名な集団療法の研究をしている精神科医です。
 女性にふられたニーチェがノイローゼになってブロイヤーの治療を受けたという話で、フリードリヒ・ニーチェをエッカート・ミューラーという名前にして、その人の診療録を見つけたという設定になっています。実際にブロイヤーがエッカート・ミューラーという人を診た記録は残っているんですよ。それがニーチェだったというまったくの推測の下に書かれたフィクションです。

 その本では、治療を終えた主人公が、ブロイヤーに学費を出してもらっている頃のまだ若いフロイトと会い、ローマに移り住んで『ツァラトウストラはこう言った』を書いたというストーリーになっています。「神が死んだ」時とサイコセラピー誕生の時間的な交錯を見るという点で、意味のある本だと思います。
 確かに、ヨーロッパ人が神を中心にして個人の生活の安定をはかってきたように、人間は皆何か重石を持っていないとバランスを保っていられないのでしょう。
 船に錘がなかったら、水の上を浮遊するだけで一定の方向に進むことはできません。私達の人生も、何かアンカー(錨)があるから飛んでいかなくてすむわけです。綱の切れた風船やもやいの取れた船みたいになったりすると、ただ風のまにま波の間に流されてしまうだけですね。

 そういう意味で、神や世間は、洋の東西を問わずどんな人間にも必要で、それが文化によってある程度変わってくるのだろうと思います。
 春秋戦国時代の中国の小説を私はよく読んでいるのですが、実に皆さん、倫理的にストイックに生きています。その中心にあるのは主君への忠誠で、六芸を身につけなくてはいけない。御(馬術)、楽(音楽)、書を含めて、士たる者が会得しなければならない技が6つあったのです。その中で一番大事にされていたのは「礼」で、その基本にあるのは人との調和でした。今とあまり変わりませんね。

 その六芸を教える教師達が活躍するわけで、その大物の1人が孔子です。孔子が礼を作ったのではなくて、孔子の師事する人がたくさんいて、その集大成として話したものを弟子がまとめたのが「子曰く」で始まる一連のものでしょう。
 その人達はいわゆるサイコセラピストです。六芸を修めることで得られる利益は何かというと、世間でうまくやっていく、バランスを知る、そしてわれわれにとっての重石の所在の確認ではなかったかと思うのです。たとえば、職場や家族といった重石ですね。

 そういうものを取ってしまって、自己愛の奔流のままに自由に生きなさい、「御」つまりコントロールなしで何でもやりなさいとなると、大変なことになってしまいます。その恐怖におののいているのが、私を含めた現代人ではないかと思っています。

岸田 「世間」が結構厳しいというのはまさにそのとおりですね。旧約聖書などを読むとユダヤ教の神はまさに復讐と処罰の神です。それに比べて「世間」はそれほど厳しくなさそうな印象があるのですが、しかしそうではなくて、厳しさの点では、罪の文化とあまり変わらない
 一神教の世界は規範が普遍的ですから、その宗教の信者であるかぎり守るべき規範は、たとえばイスラム教であれば「豚を食べてはいけない」とか一定している。「世間」の方はそれぞれの集団の中でのものであって、日本全国、皆同じ規範を持っているわけではなく、一神教の世界よりは多少融通がきくという違いがあると思います。

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2006年03月10日

サイコセラピーと日本人(3/3)

(続き)
image060309_2.jpg精神療法の流れ

斎藤 ニーチェ的な個人の時代を迎えた時に、われわれが精神分析に始まる精神療法というものを必要とすることになったのは間違いない。ではフロイト以前に精神療法的な流れはなかったかというと、先ほど名前を挙げたブロイヤーがそうですし、もっと前にはたとえばメスメリスム(磁気療法)がありました。

 メスメル本人は、アメリカを発見したコロンブスにたとえられています。コロンブスが中米のある島にたどり着いて「ここはインドだ」と思ったところからアメリカ大陸の発見につながったわけですね。メスメルは、磁気療法という真理をつかんだと思ってラポール(人間的交流)を発見した。精神療法がメスメルから始まったと考えたら、ニーチェの時代よりも1世紀前にさかのぼるわけです。

 いずれにしても、もう1つの流れとしてペストの大流行があります。当時のヨーロッパの大都市ではペストで死んだ人の遺体を焼くために1カ所に集めました。その跡が巨大な穴になって、そこに狂人達を含めた、フランス語で言うアリエネ(疎外された者)を入れた。アリエネの中には罪人も入っています。それから、バガボンド(流れ者)も入っています。どこかにいなくてはいけないのにそこからはずれた人達が、そういう誰も住まなくなったところに放り込まれる。

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 フーコーの『狂気の歴史』(新潮社)はこのことを書いた本です。その中には盗賊や売春婦、流れ者、狂人が入っている。力のある人達は出ていってしまうので、そこに残されたのはいわゆる精神病者です。ここから始まるアジエル(精神病者の収容施設)の歴史があって、これが今はメンタル・ホスピタルとして成立している。この2つの流れがはっきりあると思うのですね。

 パリの市民の日曜日の楽しみの1つは、動物園と精神病院見学だったそうです。お弁当を持って精神病院に行くと患者さんを見せてくれるという非人間的な状況があった。
 これとはまったく別に、人生のコンサルテーションをするサイコセラピーの流れがあります。日本では残念ながら、サイコセラピーをやる人達は精神病院にしか勤務できない状況があって、この2つの流れがごっちゃにされていました。ようやく今、これが独立した技法として成立しつつあるというのが現状ではないかと思います。
 江戸でもまったく同じようにそういうものができています。浅草寺の施療院はまさに日本の精神療法発祥の地なのです。今でもお寺の裏手にありまして、私も以前、3回ほど講演に呼ばれたことがある。そこに日記のような記録が残っていて、アルコール依存からうつ病、てんかんといったあらゆる病気が記載されていて、今とあまり変わらない。お寺の坊さんが診ていたというのは、本当にそうです。彼らはセラピストなのです。

 もう1つ、日本には寺別人別帳というのがあって、ある人はどこかの地域に固定されていました。そこで畑を耕さなくてはいけない。耕したら租税を領主に納める。そこから離れてしまった人は流浪の人になるわけです。彼らは景気のいい時は野放しにされ、松平某のような緊縮財政の為政者になるとつかまえられて、人足寄せ場に入れられてしまう。そこには時々運の悪い狂人達も入ってきますし、盗賊も入ってくる。
 それが明治維新の時に巣鴨の癲狂院として残りまして、その後、都立松沢病院になります。当時の世田谷は森林地帯で、ここなら都の人々にあまり影響ないだろうということで巣鴨から移転したのです。

 そういう歴史の面ではヨーロッパも日本もまったく同じです。どこの社会でも「あっちへ行ってちょうだい」みたいな一画を作る。けれど、サイコセラピーの元は下町の一画で相談を受けるということで、坊さんがやっていたのです。

岸田 神が死んだあと社会秩序が問題になってきて、社会を全体的に考え、その秩序を人間がどのように維持するかという視点が出てきた時に、その邪魔になるアリエネのような人たちが浮かび上がってきた。
 神に支えられていた秩序が崩れて、どこに秩序の根拠を持ってくるかということで人間に基準を求めたけれど、いろいろな人間を全部認めていたら秩序にならないので、ヨーロッパの場合は理性という——これも幻想だと僕は思うのですけれど——幻想を考え出した。理性を持った人達で社会の秩序を維持するということになると、理性を持っていない人は邪魔だということになり、特定されたというか……。

 学校を作ったのと精神病院を作ったのは同じ発想ですが、「子どもの発見」も同じような流れです。「子どもは理性をまだ備えていない、これから学んで理性を備えるのだ」ということから近代教育が出てくるわけです。
 そして野蛮人や未開人は理性を持っていないから、われわれヨーロッパ人が世界に出ていって理性を教えてやらなくてはいけないということで、植民地主義が始まる。

 日本では、戦国時代が終わって徳川幕府が開かれますが、そこで国の秩序を保つために儒教を持ってくるのですね。儒教を根本にして、武士階級の支配安定をさせようとしたのですが、ご存じのように儒教は男性中心主義の家父長制で、ご先祖様や父親が一番偉いわけです。しかし、斎藤先生とは多少くい違いがあるようですが、日本の秩序の根本は母性が中心になっていたと僕は思っています。
 母性を中心とする日本の伝統的秩序と、幕府が政権の正当化と幕藩体制の秩序のために持ってきた日本の儒教とは齟齬があって、そこから来る乱れが徳川時代にはあったと思うのですが、その矛盾が、幕末にアメリカやイギリスやフランスがやってきたところで一挙に露呈してきた。

自我の物語を編み直すために

斎藤 岸田先生は日本の開国に際しての外傷体験ということをおっしゃっているでしょう。ここ100年の日本人について言えば、黒船による開国が外傷体験になって、それが再演されているというお考えですよね。そういう意味で、本能の壊れの部分と外傷体験(トラウマ)との関連についてはどのようにお考えですか。

岸田 皆さん、誰でも自分についての物語を持っていますね。その物語が自我なのですけれども、トラウマとは物語の破綻です。ですから、従来の自分の物語では説明できないとんでもない事件があったら、それを何とか物語の中に組み込まなくてはいけない。うまく組み込めないような、降ってわいた事件がトラウマになります。

斎藤 アメリカにおける9・11問題も、今アメリカ人が自我に組み込めないで、新しい物語を作り出しつつあるというか、作り出しそこなっている問題だと……。

岸田 アメリカという国は自由と民主主義を掲げた国で、正義を守るのが国是である、正義を全世界に普及させるのが使命であると考えていますから。それに抵抗するやつは皆間違った悪いやつであると。アメリカは正しいことを貫いているのだから、どこへ行っても愛され称賛されるという幻想で国家を保っているわけです。
 だから本来ならば世界中の人々に感謝されているはずだと思っていたところが、9・11事件が起きて、アメリカはこんなに恨まれているのかとびっくりしたわけです。こんなに憎まれている国というのは従来のアメリカ像、セルフイメージ、物語と絶対に一致できないので、その大きなトラウマをどうやってこれまでの物語に組み込むかということで、今、アメリカは非常に悩んでいる。
 そしてあくまで従来の物語を維持しようとして、「アルカイダがいる」「ビンラディンがいる」「そいつらをやっつければいい」ということになる。イラクの人民もフセインに弾圧されているのだから、アメリカは歓迎されると思って行ったところが、そうでもないらしいというので、非常に困っている状況ではないかと思います。

斎藤 個人に置き換えれば、自分の物語が混乱した時にそれを破綻させるような事件がトラウマで、自分についての物語を作り直す時にそれを調節したり、対話によって新しい物語を作る手伝いをするのがセラピストの役割ということになりましょうか。

岸田 ええ、そうですね。だいたいわれわれは、母親に愛され父親に愛されているという物語で自我を作ったわけで、そこで親に虐待されたとかいうことがあると、その自分の物語とどうしても一致しないから、虐待という事実をあくまで否認するわけです。「私を殴ったのは愛のムチである」とか正当化して何とか物語にはめ込もうとするけれど、やはり無理がある。
 自分の物語にとって都合が悪い事実、たとえば親に虐待されたという事実を否認しようとしても、現実ですから否認できない。そこで物語に混乱が起こるわけです。
 サイコセラピーとはそういう事実を事実として認め、その事実を含んだ上で自分の新しい物語を作り直す、その手助けをするものではないかと考えます。

斎藤 そうですね。どうもありがとうございました。

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2006年03月13日

夫を殴ってしまう(1/2)

相談者からの質問

image060313.jpg 私は1年半ほど前に、親から逃げて上京して働いていましたが、夫に暴力を振るってしまう癖があるのです。最近、数週間前くらいから仕事の面でいろいろ混乱することがありまして、それ以来、よけい夫に暴力を振るうようになりました。

 暴力を振るうと、自分がいやになります。私の悩みには全く罪のない夫に暴力を振るうよりは、何とかそのパワーを自分の方に向けれないかなと思って、いろいろやってみたのですが、結局は自分には向かわなくて、モノに当たることもなく夫にだけ暴力を振るってしまう。こんな自分が消えてしまえばいいのに消えることもできなくて、振るいたくない暴力のなかにどうしてふるってしまうんだろうと悩みます。そんなことばっかり考えているので、煮詰まってしまい、もう考えたくないのですが、考えてしまいます。

 私は、暴力を受けた経験も見た経験もない中で育ってますので、どうして暴力が出てしまうのか理解できないんです。先生の本を読んで考えてもわからないんです。
 こんなこと聞かれても斎藤先生も困られるかもしれませんが。

===
斎藤学からの回答

斎藤;いえ、そう困らないですよ。なぜかっていうと、やってくる相談の10件のうち1件はそういう相談だから。

 しかし不思議だよね、男は女房のことひっぱたいたり蹴ったり、言葉の暴力とか殴るまねとかいろいろやってるのに、全然自分からは「女房に暴力ふるってしまうので困る」って言ってこない。あなたみたいに「自分を傷つけた方が楽なのに」なんていう夫はいませんよ。妻の方は実数からいったらそういう暴力ふるう人は少ないはずなのに、その割にはたくさんここにおいでになる。私が不思議だと思うのはその点でね。でもまあ、だいたい理由は分かってます。男は暴力ふるってもいいと甘やかされている。妻の方が暴力ふるわれたといって逃げない限り問題にならないし、自分でも気づかない。しかし女たちは自分が暴力ふるうとそれを苦にして「私はなんてひどい人だ」っていって苦しむわけです。ここに問題のポイントがあるんです。

 基本的に夫婦とは何ですかといったら、「居酒屋のアル中2人ずれだ」と思います。夫婦とはみんなそうです。早く酔っぱらった方が勝ちで、そうするとしらふのままのほうが金をはらったり、相手を担いで家に届けたり、もう何から何までやらなくちゃいけない。ふつう居酒屋のアル中2人のゲームは、男の方の勝ちで終わるんです。それは社会が男の方に肩入れしてるから。女が子どもがえりした夫のことをなにくれとなく世話を焼くというのが、家族の中の役割となってる。あなた方の夫婦というのは、それが逆になってて、奥さんの方が酒飲み競争に勝ったみたいな状態ですね。夫の方は、奥さんが子ども帰りするたびに親の役わりをとってるという、そういう家族なんです、これは日本の家族の中では圧倒的に少ないパターンです。少ないうちの1人だから「自分は変なんじゃないか、周りにそういう奥さんはいない」と思ってしまいがちなんです。

 だけどそんなことありません。さっき、同じような奥さんが私の面接室にきていて泣いていました。きのう、彼女は1年まえに出ていった夫との離婚が成立したんです。この1年というもの、彼女は相手への怒りと相手のけちさ加減に怒り狂って、それこそ夫をぶっ殺してやろうという気分も起こっていた。だから今となっては「夫に一言挨拶したい」といっても裁判所の調査官も裁判官も会わせてくれないんだって。危険だから。

 それで最後に、裁判官が当事者二人の意見を聞くという儀式めいたプロセスがあるんです。そのときに夫と妻の間にそれぞれの代理人が入って、判事の前に4人くらい横に並んで、判事が離婚の条件をいちいち読み上げていって、「これでいいのか、本当に離婚でいいのか」ってきいたら、夫の方は「はい」ってこたえた。「で、奥さんは」ときかれたら、彼女は泣くだけで何も言えなかった。そうしたら彼女の弁護士が「この人は泣いてるだけですから、ハイと言ってるのと同じです」といったそうです。

 でもそうはいかないということで裁判長がもういちど「あなたご意見は」とききましたら、彼女はいきなり立ち上がって、夫の前にいっちゃった。彼女は「暴力妻」だから、みんな驚いて遠ざけようとした。夫も立ち上がった。そこで彼女は彼に何をしたかというと、「この5年間、愛してくれてありがとう」っていって抱きついたんだって。よく夫は逃げなかったですよね。そういったらば、夫はハグを返したんだって。そのとき夫も涙があふれさせていたそうです。「がんばれよ、がんばれよ」って繰り返し言いながら。そういう離婚劇をして、今日ここでその話をして泣いてたんですけど、考えようによっては、これほどの残酷な別れもないね。相手の男に対して。一発ひっぱたいてやった方がよっぽどサバサバするね。「やっぱりあれは暴力女だった。別れてよかった」って思えるから。でもこうなったら、夫の方は「しまった」と思ってしまう。

 どうしてそうかというと、その男性、そういう女性が好きで一緒になったんだもの。その女性の持ってる行動の端々に現れる子どもっぽさ、自分をしきりに頼ってくる、頼りなげな風情、そういうところに惹かれて一緒になったわけですから。そういう男のことを「おっぱいを持った男」というんですよ。この種のおっぱいを持った男は、日本の青少年のなかに増えてるね。「母さん男」。だからこのごろ暴力妻も増えてきた。

 で、「どうして私はこうなっちゃうの?」ということについていえば、あなたは夫を愛してるからよ。愛してて、自分のこと何から何まで理解してくれてるはずだと思うのに、でも夫は別人だからあなたが言わないことがわかるはずがない。だから、「全部わかって」と思うあなたとしては腹が立つわけ。

 でも、こういう感情を持てる「おっぱい男」はそうそうざらにいないんです。20〜30人に1人かな。だからそれがそばにいるんだから、丁寧に使い込むことをお勧めしますね。それには少し、暴力衝動を抑えなくちゃいけない。暴力を使わない子ども帰りなら許されるんですよね。むしろ夫の方で何でもしてやろうというくらい、愛しく思ってるんだから。だから「愛して、かわいがって、抱いて、こっちだけ見て」ってこと、言ってかまわないんですよね。言ってますか、ちゃんと?

 あなたね、自信持っていいですよ。あなたをその人は選んで一緒になって、そして、一緒にいたいんです。だってそうでなきゃ、女房にひっぱたかれながら居ついてないよ。ふつうは、その逆になってね、女房が経済力だけを頼りに夫と一緒にいるという悲惨な状況が多いんですから。

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2006年03月14日

夫を殴ってしまう(2/2)

(続き)
image051014_3.jpg 女が暴力をふるう側になっている場合、夫婦関係を引き留めているのは経済力の問題じゃないんですよ。引き留めているのは愛です。そこに信頼を持つことですね。普段からこうしてほしい、ああしてほしいということを夫に言うんですね。おねだりは、決して悪いことじゃない。おねだりの停止は怒りの爆発に結びつく。

 ──でも、「おねだり」し出すと際限がなくなってしまいます。

斎藤:際限がないものなんです。おねだりというのは。いいんです、それで。ただ、「心を読め」とか「言わないでも自分が思ってるとおりにしてくれ」とか、そういう要求はだめです。だからおねだりを重ねろと言ってるんです。愛が暴力に変質するとき、変質させるバイ菌は何かと言えば、自己評価の低さでしょうね。自尊心の欠如、ないし劣等感。「あたしがそんなふうに人に大切にされるわけがない」「こいつは裏がある」「もしかしたら私を好きになるなんて、重大な欠陥があるんじゃないか」とか。あるいは「私を好きになるなんてバカなんじゃないか」とか。これは自尊心の欠如ですよね。

 ですから自分自身が自分に優しくなることが必要です。しかし、自分が自分を好きになるというのは、そう思おうと思えばできるというような簡単なモノじゃありません。相当努力しないと好きになれません。一番簡単な方法は、紙に自分の長所を書いてみることです。家に帰ったらすぐやってみてください。でもきっとあなたは、書いてみても書けないと思う。悪口なら20も30もさーっと書けるっていう状態なんじゃないでしょうか。自尊心が欠如してるんですね。

===
 だけどなんとかそれを一生懸命書いて、3項目でも5項目でも書いたらば、それを毎日朝晩、声を出して読む。書きっぱなしで読まなでいると、そのうち紙くずに紛れて捨てちゃいますから、それを毎日、正確に、書いたとおりに声に出して読むんです。それだけでいいです。「そんなことで自尊心なんか上がるわけない」と思うかもしれませんが、やってみないでそう思っちゃうのは良くないです。やってごらんなさい。確実に良くなりますから。で、3個あれば、1週間も3個の「いいところ」を見てますとね、「これも入れていいかしら」って、4個目が見つかる。5個目から8個目まではさささっとでてきちゃって、で、2週間もたつうちに30個くらいになりますよ。最初は簡単だったのが、30くらい読むのは結構大変ですからね、「なにを独り言いってんだ」なんて夫に言われたりして。長い自分の長所に関するリストができる頃には、あなたと夫との関係はずっと良くなってます。

 でも私、今こんな話をしていてなんだか虚しいんです。だってきっとあなたはやらないだろうなと思うから。やれば効果があるんだけどやらないという人が多いですね。自尊心が低い人のそれが一番の欠点でしょ。「どうせ、私が何やったって利かないわ」というかたちの自尊心の欠如の現れですね。

image060314_1.jpg ──本当は殴りたいのは夫じゃなくて、他の人なんです。

斎藤:わかります。殴りたい人は別にいるんだって感じはね。それは多分親ですね。

 だけどそういう時に、「殴る相手を間違ってる」という意識があって、たとえば「本当は親を殴りたいのに夫を代わりに使ってしまってるんだ」という意識をあまり強く持つと、自分の評価が下がっちゃうんですよ。自分の行為についてあなたの理解が進んでいるからこそあなたの力が弱くなってしまうんです。あなたが殴りたいものというのは、いまの夫の中にちゃんと姿を現してるんだから、殴りたくなるのはしょうがない。まあ、殴られる方はたまったもんじゃないですけど。

 親の代わりを夫が演じてくれてるんだという意識を持つことは、夫への暴力は減らせるはずですよね。でも夫に「本当はあなたをぶちたいんじゃないんだよ」とぶたれた後で言われたって、夫にはあんまりわからないと思う。彼がだいたいあなたに惹かれた理由は、そういうあなたの、にっちもさっちもいかない苦しさだったんじゃないでしょうか。で、いまあなたがそのぐるぐる周りから抜け出すためにはですね、さっき言った夫婦の別れの場面を思い出すといいんですよ。つまりね、あなたが殴りたいモノを殴ってしまっては、あなたはその関係は得られないんです。

 例えば、ほしいのがお母さんの愛や理解だとすると、お母さんのことは抑制して殴らない。それで「お母さん、いっぱい愛してくれてありがとう」というようなことを言える心境に自分を持っていくと、お母さんは混乱するわけです。あなたがいい子をやったら、「何か含むところがあるな」と思って気味悪がるんだけど、本気になって「お母さんありがとう」とやっちゃうと、お母さん混乱して「いやあ、至らない母で申し訳なかった」かなんか言い出すんです。

 ──至らない親、当たり前だ!

斎藤:今さら言うまでもないって? でもそう思っちゃうとおもしろくないじゃない。ゴジラがひよこに変わるみたいな変化は見てみたいものでしょう。ひっぱたきたい人をひっぱたいていたって、むこうは「ひっぱたかれるな」と思ってるんだから驚かなし、何も変化しないいでしょう。

 ──私がひっぱたきたいと思ってるとは、親は思ってもないと思います。

斎藤:ああ。思ってないならひっぱたいでもいいかもね。一回くらい。そうだとすると、夫との暴力でそのエネルギーを消費しない方がいいですね。赤穂浪士の討ち入りみたいな感じで、ためにためとくんです。やっぱりひっぱたくためには理由がいるでしょう。その理由づくりのために半年か1年かけるんですね。準備して「遺恨覚えたか」とかいって撃ちかかる。

 あなたのお袋というのはどこに住んでるの? ・・・じゃ、3時間も新幹線に乗ればポカッとやって帰ってこれる距離なんだね。
 お母さんと関係は持ってるんですか。電話かけたりとか。

 ──電話しないと怒られるんです。したくないのに。

斎藤:お母さんすごいね、猛々しい人だね。どうしてあなやはそんなにお母さんに手綱握られちゃってるわけ? 

 ──わからない。

斎藤:そうか。ちいちゃいとき、いじめられてるとそうなるかもね。子どもって、いじめられればいじめられるほど、お母さんになつくんですよね、従順な子になるんですよ。

 だからこれからみなさんに孫が生まれたら、子どもに言ってやったらいいですよ。「子どもはいじめて育てろ」って。そうすると親を捨てる子にならない。アカゲザルの実験でこんなのがあります。脳の扁桃核という情緒をつかさどるところを摘除しちゃったサルは、子育てができないんです。そういうサルに育てられた子どもは、踏んづけられてもけ飛ばされても、母ザルを必死に求めちゃうんですよね。それで結局踏みつぶされたりしてお母さんに殺されます。ほとんど育たない。健康なお母さんのもとにいた子ザルの方が、危ない目にあったらすぐに逃げるんです。

 人間の子も、児童虐待のトラウマを受けている子の方が、いつまでも「親だ、親だ」といってますね。親を恨むのも、親を愛するのも同じでしょう、エネルギーとしては。「親だ親だ」といってると、いつまでも子どもやってられるから、もう一回子どもとしてやり直せるんじゃないかという幻想を持ってしまうのね。

 でも私は子どもをもういちどやりたくないですね。子どもっていうのは欲しいものが自分で買えない。買ってもらわなくちゃいけない。あんな時代へ私は戻りたくないですね。でもみなさんやみなさんの子どもの中には「子どもじゃなきゃいや」っていう人がいるかも知れませんね。大人の方がずっと楽なんですがね。ただし大人には一つだけ問題がある。寂しいことです。自分で何でも方針を決めて動かなくちゃいけないから寂しいですよね。ここさえ耐えられれば、子どもの苦しさはもう味わいたくないと思います。あなたも早く大人になりなさい。見切ってしまうと「お母さんなんて、なんだただの婆さんだ」って思うようになるでしょう。

 私がいまま見た中で一番すごい母だと思ったのは、念力でその子に頭痛を起こさせる母でした。その人は地方から面接に来ていましたが、いろいろとお母さんの話を私の前でして「こうして母の悪口を言えば、必ず私は苦しむんですよ」っていっていました。案の定、彼女は帰りの列車の中で頭痛や吐き気に苦しんだそうです。そのお母さんは薬局を経営してたんですが、今日は売り上げが悪いな、頭痛薬を売りたいなと思うと、子どもだったその人を横において「みててごらん」ていって、「うーっ」と念力をかける。すると頭が痛くなったお客さんがわーっと来るんだって。それから「今夜は鰻重が食べたいね」というと、鰻重をおみやげに持った人がやってくるんだって。その人は30歳を過ぎている人ですよ。それなのに「うちの母は怖い」と本気で恐ろしがっていました。でもそれから2年くらいたって、今ではその人、お母さんのこと「なんだあのババア」って言ってますよ。この人のことは少しデフォルメして『アダルトチルドレンと家族』(学陽書房)の中に書いたので、読んだ人もいると思います。あんまり強く親の影響を感じすぎちゃうと、別の人生が歩きにくくなっちゃいますよね。
 お母さんとの対応については、また聞かせてください。どうもありがとう。くれぐれもご主人をご大切に。

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2006年03月15日

JUST夏期合宿

3月14日(火曜)晴れ

image060315.jpg 今日はお知らせです。
 JUST(ジャスト:日本トラウマ・サバイバーズ・ユニオン)というものがあるのをご存知ですか?
 私が手がけてきた数々の自助的市民グループの統合体(ユニオン)です。これの主催する「JUST夏期合宿」(別称:JUSTサマーキャンプ)を今夏(06年)8月18〜20日、水上温泉で行ないます。皆さまの夏の日程に組み入れてください。

 いつもとは違う場所と時間の流れの中で、皆さんの問題を、そして私の問題を分かち合いましょう。この3日間(丸2日間)は私自身が参加するだけでなく、「さいとうクリニック」の診療スタッフや「IFF相談室」(麻布&原宿)のカウンセラーたちも可能な限り参加するよう呼びかけるつもりです。

 私はこれを契機にJUSTへの関与を今までより強めるつもりでいます。私の臨床活動に何らかの関心をお持ちの方々の積極的な参加をお待ちしています。

詳細はこちらへ
JUST (Tel&FAX) 03-5574-7311
JUSTホームページ

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2006年03月16日

「怒りと性欲」の関係について(質問)

image060316.jpg読者からの質問

◇50才女性

斉藤先生のブログ、いつも興味深く読ませていただいています。

 先日の内田春菊さんとの対談の中に書かれていた、「怒りと性欲」の関係について知りたくて、私の現状を書きました。
 私は、36歳の時に夫と死別し、現在50歳です。
 夫からは精神的に虐待され随分辛い思いをしましたので、夫の死後は、再婚したいとも思わず、男性と付き合うこともなく過ごして来ました。

 8年前に、仏教系の真如苑という教団に入信しました。教義に縛られていたということもあり、性的な興味や欲望は、抑圧してきたと思います。
 世のため、人のために尽くすことを第一とするように指導されたので、自分のことはいつも後になり、無理な生き方をした結果、鬱になりました。

 鬱状態の時に、教団の中で導き親から「見捨てられ恐怖」と感じる言葉を言われたことがきっかけで、トラウマ後遺症になりました。(子供の頃に見捨てられ体験がありました)
 発病したことで、AC・共依存・嗜癖というキーワードに出会い、先生のご本を読ませていただき、カウンセリングを受けるようになりました。

===
 私が宗教に嵌ったのは、両親からもらえなかった愛情を、教主夫妻から受け取れると感じていたからだと思います。また、教えを求める中で親や夫に対する憎しみが消えた、と思い込んでいましたが、それは「カルトの私」という偽りの自己の中での解決だったことにも気がつきました。
 そして、真の仏教だと思っていた教団が、仏教の皮をかぶったカルトだったということにも気がつき、3ヶ月前に脱会しました。

 親に対する怒りや、夫に対する怒りはある程度収拾がついたのですが、今は、教団に対する怒りがすごく強く出ています。潰せない大きな組織だから、余計に腹立たしいのかもしれませんし、被害者であると同時に加害者として友人を勧誘し、彼女を教団に依存させてしまったことに対する罪悪感もあります。

 宗教嗜癖がカルト叩き依存症に変わっただけなのかもしれませんが、ネット上で批判的な書き込みを続けています。

 脱会してから、怒りを感じるとそれが性欲とつながっている感じが顕著にあります。それは、更年期という年齢と関係しているのでしょうか?あるいは、今まで抑圧してきた怒りが噴き出すと共にテストステロンというホルモンが分泌され性欲を感じるのでしょうか?
 質問は受け付けてないということでしたが、内田さんの書かれていたことと同じことを感じていたので投稿しました。 

斎藤学からの回答

 怒りの発現はドーパミン分泌を促進すると思います。
 ドーパミンがテストステロン(男性ホルモンですが、女性の体内でも作動していて、性欲を催起します。)
 分泌を高めることで、怒り(攻撃)→性欲という流れが生じるのではないでしょうか?
 単なる仮説ですが。

 斎藤学

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2006年03月20日

婚家先もいやだし、実家もいや(1/3)

相談者からの質問

 私は今、地方の兼業農家をしている夫の実家で、夫の両親、夫の妹とその子どもと一緒に6人で暮らしています。
 宗教に凝り固まった姑と、私にも優しいけれど姑の言いなりになっている夫との暮らしの中で、従順な嫁にはなりきれず、今別居を考えています。しかし経済的にも、自分の精神の問題もとても不安です。私には過食嘔吐の問題があって、以前は大学病院にかかっていましたが、
 最近になって、西尾和美先生のワークショップや、麻布のオープンミーティングに時々参加するようになりました。
 私の実家は事業をしていて裕福ですが、この先父が老いてゆけばどうなるのかわかりません。

 私のバックグラウンドをご紹介しますと、私の実家は、祖父の代から事業をしていましたが、祖父はアルコールの問題があって、私が生まれてすぐに亡くなりました。祖母には持病があって寝たきりで、母と私がいつもつききりで看病していた記憶があります。

===
 父はエリートですが、友人の中で一人だけ東大卒でないことが多少コンプレックスで、それをバネに海外留学し、アメリカの大学院を2つも出たことが自慢です。自分の弟の父親役もこなすような人です。

 母は、近所や親戚からは良妻賢母の鏡のように思われています。宗教にすがっています。嫁にくるなりお手伝いさんのようにつかえてきました。

 私には兄がいるのですが、一人はそこそこ父の期待通りに育ち、今、海外で暮らしています。下の兄は不登校から引きこもり、薬物中毒になって、家でも暴れたりしていましたが、今では父の跡を継いでいます。

 私は、祖母の看病に、突然父が連れてきた来客のもてなしまで、母の手下のようにいつもついて手伝っていました。お稽古ごとをこなし成績も優秀だったのですが、いつも、自分の学力は本当は自分のものではないように感じていました。高校は、地元の有名校である父の母校を受験したのですが、当日頭が真っ白になってしまい、不合格になります。父はPTA会長をしていたので、娘が入ってもいないよその子たちの前で「みなさん、入学おめでとう」といわねばならなかったので、私はひどく罪悪感を持ちました。滑り止めの高校には行かず、浪人して、その父の母校に進学しました。

 高校時代に、父が選挙に出馬しました。私はなんだかいやだったのですが、父のために、宣伝カーに乗ったり、有権者に電話を駆け回ったり、挨拶回りで、人の家の便所の掃除までして手伝いました。選挙費用に不動産を手放したり、大変な出費でしたが、落選しました。

image060320_1.jpg 大学受験で上京したときには、そのころ引きこもりで悩んでいた兄の「外出の練習」ということで、受験だというのに、兄を連れて行ったりしました。けれど、父の満足するような大学には結局は入れなくて、その名誉挽回という気持ちもあって、就職はがんばり、有名企業に入って、営業部で、休日返上でがむしゃらに働きけっこう優秀な成績を上げていました。
 仲間にも疲れた顔を見せちゃいけないという気持ちがあって、いつも気を張り、部屋に帰ると緊張をゆるめて「自分にご褒美、ケーキ10個!」とかいうことをやっていました。そして過食にはまり、苦しくなってやがて退職しました。

 父の事業を次ぐ者がいないということで、帰郷して、私はそこでもがむしゃらに働いて、そこそこいい成績を上げましたが、毎晩会社の管理人室で寝泊まりして、周囲にはにこにこして、ストレスが相当高まり、過食が悪化します。やがて身の回りの者、音楽、テレビの音、本、つり広告などがすべて人間の欲望のように感じて、苦痛で目が開けられない状態になりました。そうしているうちに、下の兄が家に帰って父の事業を次ぐことになりました。そうすると今度は今まで自分が切り盛りしていた仕事で上に立つようになった兄を、今度は張り切ってかばうようになりました。
(続く…)

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2006年03月22日

婚家先もいやだし、実家もいや(2/3)

からの続き)

image060322_1.jpg 過食が進んで大学病院の肥満症外来にかかり、勧められて精神科にもかかりました。肥満などという情けない状態で病院のベッドを占領することがたまらなくいたたまれなくて、院長回診の時などじっとしていられませんでした。早くNABAにつながりたかったのですが、拒食することさえできずに見苦しく太ってゆく自分がいやで、トレーニングを積んだ結果3か月で30キロ落としたのちに、やっとNABAに連絡しました。
 ですが、その後過食がまたとまらなくなってしまいます。うつになって閉じこもり、仕事ができなくなって、しばらくしてから見合いをして、現在の夫と結婚しました。
 お見合いは2人だけだったので、私は正直に摂食障害のことをうち明けました。すると、夫が「よく頑張ってきたね、僕も実はカツラなんだ」といってくれました。夫はたくさん見合いして失敗してきたところでしたが、私を見て、「この人は自分が守ってあげなくては」と思ったそうです。私は「これほど条件の悪い人なら私にはお似合いだ」という気持ちで、いい人だけど本当に好きとは思えないまま結婚しました。

===
 私は恋愛経験にもあまりいい思い出がありません。小学生低学年の頃、年上のいとこが「新婚さんごっこ」といって、私の下着をおろして性器をさわったことがありました。そのときは何とも思わなかったのですが、だんだんいろんなことがわかってくると、自分がすごく汚れている気がしてきました。大学時代に恋人ができたのですが、相手の学歴を心の中でバカにしたり、自分に好意を持っているということ自体をバカにしたりしてうまくいきませんでした。つきあったひとがいたのですが、自分の身体が汚れていると言うことが気になってセックスできませんでした。

 結婚したものの、姑とは考えが全く合いません。意見を言っても絶対に聞いてもらえません。家事も「一切手伝わなくて良いわよ」という形ではあるんですが、自分お好きなようにしたいとか、気に入らないところを自分で手を加えたくても、手出しは許されないで、「やってくれてありがとうございます」と感謝しなくてはなりません。私たちの寝室のベッドの位置を姑が私の留守中に変えてしまったことがあったのですが、そのときも「北枕を直してくださってありがとうございました」と言うしかありませんでした。姑は自分の姑(夫の祖母)の愚痴を私にこぼし続け、切れ目なくしゃべるので、1日2,3時間くらい聞いてやらなくてはなりません。そのあとまたどっと過食がひどくなるのです。

 実家の手伝いは相変わらずしていますが、今、兄が結婚して兄嫁も会社に入っています。兄嫁は学校も中退してずっと兄と同棲してきた人なのですが、父は「兄が悪くなると手がつけられなくて怖いから」といって、兄夫婦をとことん甘やかし、兄夫婦が私のつとめぶりを「怠けている」といいだしたときも、一緒になってわたしのことを「遊び半分だ」と非難しました。とても悔しかったです。父は私のことはよく怒鳴りつけるのですが、兄夫婦には一切声をあらげません。

 夫は就職も家を建てたのも、全部両親や姑の信じる宗教関係の人の言うなりに決めてきた人ですけれど、私のことは「宝物だ」といってくれますし、捨てたくはないなと思っています。

斎藤学からの回答

image051014_3.jpg斎藤:たいへん優秀でエネルギーがある人なのに、エネルギーが無駄遣いになっちゃって、かえってそれで自分が傷ついています。だけど、あなたのエネルギーを全部使うとしたら、なまじっか裕福な実家や、愛してくれる夫はじゃまですね。

 しかし、そうしてあなたのエネルギーを全開にして、さてどこへ行くのかと言ったら、結局ぐるぐる回って元の位置に出るだけかも知れない。「自分がまともになって、何をしたらいいのかがわかれば」というけれど、そんなことなかなかわかりませんよ。あなたの自己評価が低いままではね。

 あなたは自分でおっしゃっていますが、あなたはどこかの場に入るとどこでも必ず「ヨーイドン」て競争始めちゃうんですね。何もあなた自身がそうしたくてしてるんじゃなくて、小さい頃からそう強制されてきたからなんでしょうけれど。例えば誰かのワークショップに行っても、たぶんあなたは、主宰者の一番弟子にならないと気が済まなくなる。でも例えば西尾さんのワークショップには常連の人たちがたくさんいますから、そういうの見ると、なんだか悔しくなって、ワークショップ全体を否定したくなってしまう・・・そういうタイプの人ですよね、自分でもそうお思いになるでしょう。そこらへんのことを精算すれば、あなたのエネルギーも有益なものになってくるんですが。あなたはきっと、そうなるまでに何年もかかるのではないでしょうか。

 どうでしょう。離婚する必要はないと思うけれど、やっぱり姑はじゃまですね。自分と姑の関係は、築き上げたり、破綻させたりというような大げさなものにしてしまわない方がいいですよ。それが私のお薦めです。無理に振り払って抜けようとすると、関係はかえって、一時的にではあっても深まるでしょう。ですから距離をとってしまうのがいいと思います。
 夫は一本立ちして仕事ができる職業をお持ちですよね。ですから親元を離れることも可能でしょう。それなのに「母といっしょにいる」ことを決める夫であれば、それはもうあなたとはご縁がなかったということになりますね。「宝物を手放さないために母とは離れて暮らす」ことを決める夫であれば、あなたにとっても姑にとってもいいことです。

 娘と息子を持っている女性にとって、大事なのは自分が生んだ娘の方です。息子の嫁なんて、本当は持ちたくない。最近ではもともとあったこうした母系の考え方が、むしろ顕わになってきましたね。本当言うと、いわゆる「外孫」の方が、息子の嫁が産んだ子よりもかわいいんです。だからあなたがそこにとどまって子を産んでがんばって子育てしたって、姑、小姑との確執は深まるばかりでしょう。あなたはエネルギーがあるから、きっとそのうち大爆発を起こすでしょう。それがわかっているなら、今のうちにあなたは、自分の住みたいところに住んで自分の好きなことをしてしまった方がいいでしょう。従順な嫁やろうとしてもうまくいかないでしょう。

 そこで次に、実家のお父さんの問題が出てきます。あなたがそうして実家のスネを囓ることを許すか許さないかということです。裕福な実家のスネなんて、囓ったっていいんです。子供さんの立場の人の前では私はそういいます。親御さんたちの前では、「囓らせるな」といいます。これを私は「スネをめぐる戦争」と言います。親子双方の緊張関係の中で、それぞれの成長がもたらされるんです。
(続く…)

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2006年03月23日

婚家先もいやだし、実家もいや(3/3)

からの続き)

060323_1.jpg きちんと「子ども」をやって育った人は大人になって甘えられます。「未熟者」っていう非難がありますが、おねだり可能ということは人間が人間らしく生きられることの必須条件だと思います。
 おねだりが可能じゃない状態というのは、自分の力以上のことを自分一人でやろうとしますので、失敗したり閉じこもったりする人生になります。一見、まじめな主婦やサラリーマンやってる人の中にも、いかにこういう人が多いことか。その子どもたちも、親の人間関係上の無能力を引きずります。
 そういう大人を作らないためには、「子どもは要求するもの」という感じで親が構えていた方がいいですね。ただし、供給を遮断して子どもを怒らせることも親の仕事ですからね、そうして子どもたちが「もうこんなところにいられない」といって出ていくことになるのを耐えるのも仕事です。

 1年やそこらでは、あなたはきっとかわらないでしょう。代わっちゃったらあなたの本質的な良いところも変わってしまいますものね。そんなのいやでしょう。あなたの中にあって、自分で気がついていないような良い部分をたくさんさがして、探すのに成功すれば、あなたは多少今より変わった人に見えるかも知れません。

===
 あなたの体重が何キロだろうと、そんなことに関係なくあなたが自分の中でできる仕事は、自分の特徴探しなんです。「自分という車」の性能、特徴をわかっていないで「もっと大きな車が良かった」なんて言ってるんじゃダメですね。
 あなたのお話を伺っていると、大半が評価に関することばかりです。どこの大学がどうで、進学校がどうで。これはあなたがしゃべってるんじゃなくて、お父さんがあなたに乗り移ってしゃべってるようなものです。あなたの中に住み込んでいるお父さんを自覚してお祓いをしていくことをしなくてはなりません。これにすくなくとも2、3年はかかるでしょうね。また気づかないうちに、このお父さんが顔を出してしまったら、あなたの、周囲の人たちをバカにしてしまうという人生はまた繰り返されてしまいます。
 何よりたちが悪いのは、あなたを認め、尊重し、愛してくれる人をバカにして捨てることです。自分が恋するに値する人、尊敬するにあたる人は自分をバカにするに違いないって言う、「神と奴隷」の論理。これを治すにもまた時間がかかるでしょう。

 あなたが30代半ばまでに人生の転機を本格的に経験したいんだったら、ほとんど毎日をこの麻布の周辺で暮らすことにしなくちゃダメでしょうね。田舎から月に何回、なんてことやってるようじゃ、話になりません。

 ただし、上京してここ(さいとうクリニックやIFF相談室)へ来るようにしても、結局1年間、下宿にこもって食べ吐きして過ぎちゃった、なんて人もいますからね。でもまあ、それもお好みでしょう。誰もあなたがまじめに通ってこないなどと言って追求したりしません。ここのプログラムや、スタッフの誰かに興味を持って、来ている仲間の中から友達を見つけたりしていかないと、変われないんじゃないかな。

 あなたのお話聞いていて、これは「リヤ王」だなっておもいました。お父さんは年老いてきて、リヤ王になるでしょう。あなたが羨んでいる兄嫁夫婦は、3人娘のうちのお姉さんになるでしょうか、末娘のコーディリアになるでしょうか。今までヤク中だったお兄さんには、妻という強力なエンジンがつきましたね。ひょっとして、お父さんとあなたが東京で暮らすなんてこともあるかも知れません。お父さんのおむつをあなたがかかえるようになれば、お父さんにはもうあなたにとりつくことはないでしょう。

 あなたはきっとお父さんの面倒をみると思います。あなたは親の愛を求めて泣いている赤ちゃんです。あなたの中の強力な満たされない部分が愛を求めて泣いているんです。過食嘔吐習慣というのはそういう病気でしょう。
 お父さんの会社の経常利益が黒字になったとかいって心から喜んでいるような娘が、人のうちの嫁なんかやっていられるわけがありませんよ。でもね、結婚っていうのはまあ制度だから、1度しちゃってお披露目もしたんですから、そのままでいいじゃないですか。離婚してるんだか別居してるんだかわからない夫婦なんてそこら中にいますよ。

 なまじ才能と利発さとエネルギーが3点セットになってるもんだから、こういう人が一番、のたうち回っているような気がします。その上、実家も結構裕福なんていうのだからタイヘンですね。情報収集がうまくて、いろんなところに出かけてみるんだけど、本当の仲間を見つける技術には欠点があるので、どこへ行っても一時期活躍してすっと消えていく、みたいな人になってますね。
 最初の一月間、毎日私に会いに来て、それからずっと来なくなって、1年1ヶ月後に私のところへきても、私は「1年2ヶ月間のおつき合いをした人」とみなします。来ないというのも、おつき合いの仕方のひとつですから。そういうおつき合いの数があなたの中に増えることが、あなたの人格が変わるということなのです。

 一言でいうと、「よく考えた上で、お好きになさい」ということでしょうか。
 あなたは基本的に求めているものが感じられる人です。人とはその人の欲望のことだと思いますので、あなたはしっかりした人です。自分の欲望の見えない人の方が多いですからね。
 後はあなたの中でうごめいている子ども部分に出口を与えることです。そうすると、あなたのエネルギーは生きるでしょう。たぶん、あなたは好きにやっていたらもっと商才を発揮していたり、アートの方に発展したりしたと思います。お父さんの会社とは別の方に進んだらね。しかし、お父さんがあまりにも好き過ぎたのです。この「お父さん恋しさ」が問題だったかな。これから、お父さんの価値観からいかに脱洗脳していくかが課題でしょう。お父さんタイプの人は恋人にするといいですね。亭主はそれとは違うタイプの人がいいと思います。ですので、今のご主人とはぎりぎりまで一緒にいたらいいと思います。

斎藤学の講座・ワークショップ

講座名日程時間料金対象会場
斎藤学オープンカウンセリング18:30〜20:303,000円、5,000円一般東京麻布
親のための家族相談18:30〜20:303,000円、5,000円一般東京麻布
斎藤学による木曜ミーティング12:00〜3,000円、5,000円一般東京麻布

※開催日については必ず各講座の詳細ページでご確認下さい

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06年3月22日 晴

image060323_2.jpg 3月18日と20日(土曜/日曜)はJUSTの女性限定ワークショップ(「母・娘」)でした。参加20名前後のこじんまりしたミーティングでしたが、それだけに皆さんと深い話ができたと思います。
 二日間を通じて、私が伝えたかったことは次の二点でした。

#1 人間は自分の欲望というものがむき出しにならないように常時軽くカギをロック(施錠)しておくものだということ。しかしこれをいつも締め切っていてはダメで必要なときにはアンロック(解錠)出来なければならない。
 このことで一番基本的かつわかりやすいのは肛門と大便(ウンチ)の関係で、人間は肛門を常時軽くロックしておくことを早期に「学習」する。こうした学習は「内面化」され、それが当たり前(生まれつき)と思うようになる。しかしこのロックは日に一度ないし数度必要な時に「意志で」アンロックされる。これが健康/健常な排泄欲のありかたです。食欲しかり、性欲しかり。出過ぎ(下痢)は不健康なとき。しかしそれなりに身体が必要としているとき。過食しかり、性欲昂進しかり。

===
#2 自己というものを一つと考えてはいけない。自己同一性といった言葉に惑わされないように。

 自己には大きく分けて「A:観察自己=自己を観察して叱咤激励する自己」、「B:対象自己=Aの観察対象となる欲望の塊」、「C:AとBとの関係を調停する自己」の三種がある。
 AとBは常時葛藤しているのが普通で、Aが優位でBが萎縮している人はロボットのように暮し、なぜ生きているのかわからないと感じている。Bが表面に出てAの規制力の弱い人は幼児的で周囲の人を困らせる。AはBを批判し抑圧しようとするので、Bはこれに反撥する。反撥を受けたAは更に規制力を強めBとの対立と葛藤は次第に苛酷なものになりがちである。Cはこの葛藤を緩和しようとする自己の一部であり、Cの力が充分な人を「大人(おとな)」というが、こういう人は少ない。
 始めはCの力が微少なので、これを強化するためにCの代弁者を自分以外の「人物」の力を借りることがある。こうした「人物」をセラピスト(治療者)という。

 以上の二つを併せると、Aがロックする力、Bがアンロックの力、Cはこれらのタイミングとバランスをはかる能力ということになります。今回のワークショップの皆さんには、それぞれの人がどのようなC能力を身につけているかを報告して頂きました。

 ある女性の場合は中学から始まる性的非行(B)が成人期(30歳代)まで続いていました。そんなことができたのは、その女性がA(自己の一部)を「母親そのもの」と勘違いしていて、この実在の人物に怒りを噴出していたからです。母親への反発は彼女の罪悪感を刺激し、Aの肥大を招きました。それに呼応して増大するBの誇大化を抑止するためにこの女性が選んだのは、過食による肥満でした。肥満は女性を性的存在であることからハズします。男性が肥満女性を回避しがちであるという事実を利用するのです。つまりこの女性の肥満は身体を介したAのメッセージでした。今回のワークショップの会場には、その母親も登場していたので、このカラクリが明瞭になったと思います。

 別の女性の場合は、自分に「ある限界を超えて」親しくなる男性に怒りをぶつけてしまう。それがいやだから一定以上に親しくなれないという問題を抱えていました。これは「好きな人=自分の欲望を言葉にしないでもわかってもらいたい」という幼児的欲望(B)に困っているということです。つまりこの女性はA優位な人で、真面目一方で仕事をこなしながら、人生に絶望しています。彼女にはBを言葉にする勇気を持ってもらうことをお勧めしました。それもセラピストという名の他人の前で。セラピストの仕事は彼女の中で育ちきれずにいたCを強化することです。うまく治療が進めば、幼児的BはAの叱責に萎縮することなく、充分に強く大きくなったCに受け入れられるようになるでしょう。

 こうしたことを二日間にわたり、それぞれの参加者に即して検討しました。次の機会には、これをお読みになった方々も参加してください。こうしたワークショップはJUST、IFF、その他が主催すると思いますが、最も近い機会は下記です。

1)斎藤学 2day ワークショップ(広島)
日時:06年5月13〜14日
会場:広島市中区富士見町11−6 エソール広島 3階研修室
定員:40名
問い合わせ先:ひろしま家族機能相談所 Tel/Fax 082-249-4121 http://www.hcff.jp

2)斎藤学 ワークショップ(東京)
日時:06年6月17〜18日(土日)
会場:IFF教育センター(東京都港区)
定員:50名
詳細は近日中にIFFホームページの催し物コーナーに掲載致します

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2006年03月24日

06年3月23日 晴(JUST講演会、日本家族と子どもセラピスト学会)

 このところ「お知らせ」続きで恐縮です。本日は2件。

その1

image060324.jpg 以前にも紹介したJUST(日本トラウマサバイバーズユニオン)が「夫たちのこれから:変容する家族と夫役割」というタイトルで講演会/シンポジウムを開きます。
2006年4月16日(日曜日)。
 9.30AM開場で、場所は星陵会館(東京都千代田区永田町2−16−2、都立日比谷高校の講堂です)。問い合わせ先はJUST([Tel、Fax]03-5574-7311, [HP])

 午前中はDV(ドメスティック・バイオレンス)など夫婦関係をめぐる今日的問題を体験者(夫たち、妻たち)から報告して頂きます。
 1:30PMからは信田さよ子氏(カウンセラーで共依存に関する著書や発言の豊富な人)、山田昌弘氏(社会学者で「パラサイトシングル」、「希望格差社会」などの造語を用いた鋭い家族社会学的分析で現在最も注目されている論者)と私との鼎談でタイトルは「夫たちのこれから」ということになっています。

 信田氏とは原宿相談室開設時の同僚、山田氏とは家族機能研究所での女性問題研究会に参加して頂いて以来の知人ですが、この3人で人前で話すのは始めてです。このところ私は夫・男について考えるところが多くなっているので、JUSTからフォーラムの企画を依頼されたときに、このお二人に来て頂くことを提案し、実現しました。現在の家族に関する最もホットな議論が期待出来ると思いますので、会場に足を運んでください。

===
その2

 日本家族と子どもセラピスト学会(Japanese Association of Family and Child Therapist:JAFACT)が創設され、それに伴って「第1回日本家族と子どもセラピスト学会」が開かれます。

日時:2006年5月5日(金)、6日(土)
会場:新宿住友ビル47階スカイホール(都営大江戸線「都庁前」駅「A6出口」真上)
プログラム概要:
[5月5日]
10:00−20:30(学会員・専門家対象)
理事長挨拶(西尾和美)・基調講演(斎藤学)・一般演題報告(演者は学会員に限る)・懇親会
[5月6日]
10:00−12:00
公開シンポジウム:少子化社会における家族と家族療法〜ナラティブと家族
         ミュリエル・ジョリヴェ(上智大学教授)・野口裕二(東京学芸大学教授)
         西尾和美(AIU/CSPP日本プログラム教授)・司会 斎藤学

※詳細、お申し込みは[こちら
 
 JAFACTは児童虐待、配偶者虐待などの家族内暴力/葛藤に対する危機介入(家族介入)の専門家たちに研修と報告の場を提供するための学会(事務局:家族機能研究所)です。

 私たちはかねてより暴力を伴う家族内葛藤や虐待などの家族ストレスによるPTSDへの対処に焦点を絞った治療/セラピーを行える専門家の必要を感じてきました。アメリカからAIU/CSPPという大学院レベルの教育プログラムを導入したのもそのためですが、その一期生も3年の履修課程を経て専門家としての臨床活動を始めるようになりました。また、従前から私の同僚として家族療法的介入にあたってくださっているIFF相談室(原宿/麻布)のカウンセラー諸氏の研鑽の場も必要と考えてきました。
 こうした状況を考慮して、取りあえず西尾和美氏と私とで各方面の方々に相談し、皆さまのご了解を得て発足するのがこの学会です。いずれそのホームページも立ち上げますが、今年の学術集会をもって諸活動のスタートとします。

 学会員としては心理臨床家ないしそれを目指す人々を対象とし、時期(卒後一定期間の研修会参加ないし臨床活動を経てライセンス取得の申請資格が出来るという仕組みになると思いますが、細部はこれからつめます)をみて学会ライセンス(家族と子どもセラピスト)の発行につなげたいと考えています。関心を持たれる方はぜひご参加ください。

理事会の構成(06年3月22日現在)
理事長:西尾和美(AIU/CSPP日本プログラム教授)
理事(順不同):本間玲子(AIU/CSPP日本プログラム、プログラム・ディレクター)
        遠藤優子(遠藤嗜癖問題相談室)
        平川和子(東京フェミニストセラピィセンター)
        斎藤学(精神科医、AIU/CSPP日本プログラム教授)
        
入会申込み先:日本家族と子どもセラピスト学会事務局(家族機能研究所内):jafact@iff.or.jp
学会参加申込先:(株)IFF事業部(電話:03-5561-9365、kikaku@iff.co.jp

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2006年03月27日

薬物で刑事裁判にかかっている息子(1/2)

相談者からの質問

image060327.jpg あさって、息子の初公判があります。息子は四年前、18歳の時にブタンガス依存から始まって、今は覚醒剤に手を出して逮捕されました。この間も先生にご相談に伺って、息子をダルクにつながらせるようにといわれましたので、いま、薬物依存の本などを息子に差し入れています。読んではいるようなのですが、「治療にかかりたい」とは言ってくれません。

 亡くなった夫の残してくれた遺産で、母一人子一人で育ててきましたので、いろいろと不安になってしまいます。育て方に原因があったのかとも思います。「共依存」ということを習いまして、私にもそんな面があったような気がしています。こうして本を差し入れて息子を治療につなげようとするのはコントロール願望になるのではないかと迷ったりします。

===
斎藤学からの回答

斉藤:薬物依存の基礎にあるのは精神依存ですよね。精神依存て何ですかといったら、使っちゃいけないとわかっている薬を使ってしまうことですよ。

 あなたの息子さんも、覚醒剤を使ったら、捕まって拘置されて裁判に掛けられるってことはわかってるのに、お母さんからお金をまきあげてまでクスリを買おうとする。かなり強烈な精神依存があるからです。
 精神依存は、身体依存のように外見ではわかりません。行動の履歴から診断する他ないのです。覚醒剤など非合法薬への依存であれば、今回のように警察に逮捕されたときが転機になると思います。裁判の時に弁護士がつきますから、「治療に専念します。NAなどの自助グループにも通います」と本人に言わせて、それを条件に執行猶予をつけてもらうことでしょう。

 息子さんとお母さんとの関係が共依存と呼ばれるものかどうかは、もう少し様子を見せて頂かないとわかりませんが、仮にお母さまが始終息子のことばかりに気をとられて自分の生活ができなくなっているとすれば共依存ですね。
 この際、息子の覚醒剤乱用は司直の判断に任せて、あなた自身の生活の質をあげてみてはいかがですか。例えば身を隠して別居するとかして。

 ──お考えはわかるのですが、息子には精神異常みたいな症状が出たこともありますので、気になるのです。
 四年前、息子と一緒に暮らしていたときに、息子が幻聴が出まして、一週間、毎日毎日、同じ言葉を繰り返すんです。その言葉の意味が気にかかって。斉藤先生だったら説明してくださるんじゃないかと思ってきました。
 毎朝四時頃起きて、必ず決まって「なあになあに」から始まって、「わかったよ、母さん、いけばいいんだろ」と言い出して、私の部屋へ来て、「母さん、今呼んだろ?」ってきくんです。それが一週間続いて、八日目に「呼んでないわよ」っていったときに、「間違いなく聞こえたのに、どうしてそんなこと言うんだよ」って怒り出して暴れまして、私は怖くて家を飛び出したんですけれど。毎日同じ言葉だったものですから、ずっと気になって。(続く…)

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2006年03月28日

薬物で刑事裁判にかかっている息子(2/2)

からの続き)

image060328.jpg斉藤:それは中毒性精神病と呼ばれるものかも知れませんね。薬物依存というのは習慣行動のことですが、ある種の精神作用物質が繰り返し摂取されて神経系に影響を与えるようになるとこうした状態になることがあります。
 覚醒剤はドーパミンという脳内ホルモンに良く似た物質です。ドーパミンが脳内で過剰に活性化された状態が統合失調性障害ですが、覚醒剤の連続過剰摂取の際にも被害妄想や幻聴が起こって精神病のような症状が出ることがあります。そうした人は追跡されている、迫害されていると思うわけですから危険なこともするようになります。覚醒剤依存者の「通り魔的刺殺事件」といったものが報道されたことがありましたね。

 でも、息子さんの場合は、これとも違うような気がします。4年前というと、まだ覚醒剤乱用に入る前ですよね。
 「毎朝四時に起きて」ということですから、睡眠障害があって、睡眠リズムが崩れていて、夢幻様状態(夢の中の出来事を現実と取り違えて演じてしまうという「意識障害」の一種)に入っていたのかも知れません。毎朝同じことを言うというところが「病的」ですね。

===
 病気というものは、健康な状態のときのその人に固有で豊富な行動レパートリーが失われて、病気に特有の傾向が見られるようになるものです。健康な人は毎日バラエティに富んだ夢をみて、個性的な寝言を言います。しかし、薬物依存症、アルコール依存症の人の寝言というのは、同一のものになりがちです。

 この場合、統合失調症系の寝言(追われている、迫害されている)じゃなくて、むしろウツ病系の寝言(私は悪いことをした、もうダメだ、貧乏になってしまった、死ぬほかない)なんです。自己懲罰的です。自分で自分を責めているところがあるのでしょうね。覚醒しているときには自分を責める声(幻聴)が聞こえたりします。
 つまり息子さんは内心、「お母さんごめんなさい」という罪悪感に苛まれていたのではないでしょうか。「お母さん」が彼の夢の中で懲罰者として登場していたのかも知れません。だから暴れたのかも。

  しかし、18歳でこういう状態が来てしまったというのは早いですね。ブタンガス依存は、シンナー吸引依存と並んで、脳神経系の破壊力が強いという印象があります。若いときから痴呆化したり、人格の平板化が起きたり。
 薬物誘発性の夢幻用状態や解離性障害は「癖になる」可能性があります。トラウマ(外傷体験)によるフラッシュバックも起こり始めると起きやすくなってしまいますね。あれと似ています。少量の薬物摂取でもひどい意識障害や健忘が起こったりする。風邪で熱を出しただけで症状が出てしまったり。

 お母さまの側の対策としては、繰り返しになりますが、なるべく本人への世話焼きから離れることです。ご自分の生活設計を第一に考えること。息子さんのことは出来るだけ頭から離して法的処遇や自助的施設に任せることにしましょう。おひとりで、それをするのは辛いでしょうから、JUSTのミーティングなどで同じような体験(息子や娘に関する悩み)をお持ちの方々と話をする機会を増やす必要がありますね。
 息子さんはあなたの援助を期待できなくなってからの方が自分の力に気づくようになるはず。そうすれば、自分の生活に自分で責任を持てるようになりますよ。これが出来ないと、つまり拘置を解かれた息子さんの求めに応じて同居ということになると問題は振り出しに戻ってしまいます。

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2006年03月29日

息子の借金をどうしたらいいか(1/3)

相談者からの質問

 もう31歳になる息子のことです。本当は、あまりお話ししたくないのですが。

image060329.jpg 仕事は自由業で不定期収入です。金銭にルーズで多額の借金を抱えています。友達のものを平気で質屋に入れてしまったりします。サラ金に数百万の借金があって、今、分割返済中です。そのお金は、主人が勤務先から退職金を担保に借り入れています。それだけでなく友人からの借金も300万くらいあって、それは息子が信用保証協会から借入して返そうと借入申し込み中です。わかっているのがそれだけで、でもこれで全部かどうかわからない。これに対して母親としてどう対応すればいいでしょう。

 昔からギャンブルやゲームが好きな子だったので、主人がすごく心配しまして、必要なお金も持たせないようにしていたのです。それでかえって区別がつかなくなってしまったのかと思ったりします。
 一度、本人もこのクリニックへ来たのですが、その後、絶対に来たがりません。

===
斎藤学からの回答

image051226_2.jpg斎藤:彼が一度だけここへ来たのは、来ることによって、自分の借金をある程度親にも責任をもってもらえるという理由があったからでしょう。普通、この手の方はそうでないと来ません。それに、当人が来れば問題がうまく片づくかと言えば、そうもいえないんです。これはむしろ親御さんがこういう場にいらして「どう対応するか」ということを会得していった方がいいですね。

 さて、この問題は、ギャンブルというよりも、「スペンダホリック」というものです。消費依存者とでも言いますか。ホリックはワーカホリックとかアルコホリックというように「依存症を持っている人」という意味です。この息子さんの場合は、ギャンブルもあるのでしょうが、「借金をいつも持っている」ということで、人生に緊張を与えて、多少アドレナリンの量を多くして、脳内活性物質を出して生きているというタイプの人です。これは体質・気質ですから、これを変えるのは大変なことで、まず、本人がその気にならなくちゃかえられません。
 だから親が「この子はこういう子だ」というふうに見切るのが、まず一つの仕事です。

 ──主人は、そんなに借金が好きなら、家を買うためのローンを作れ、というふうにし向けた方がいいかもしれないと言ってもいるんですけれど。

斎藤:ローンを支払うために彼はほかのところからの借金がどんどんふくらむ状態になるでしょうね。そういうご意見は、息子さんを見切ってるとはいえません。
 見切るというのは、当人の能力を見切る。彼の気質がどういうものであってどういうものでないかということを見切るんです。見切るというのは区切ることですから、父親原理の仕事です。まず、あなたにはうまくできないだろうと思います。と、いうことは、これから延々と借金は残り、しかもふくらむということ。これが前提です。これが見切りです。(続く…)

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2006年03月30日

息子の借金をどうしたらいいか(2/3)

(続き)
image060330.jpg こうなると、必要なことは、あなた方ご夫婦が家をとられない工夫をすることです。借金の保証人にならない工夫です。そのことについていつも警戒してなくちゃいけない。これは大丈夫ですか。家は抵当に入ったりしないようになってますか。たとえば、印鑑の所在はちゃんとしているかどうかとか。

 それから、土地を抵当にして借入したりできないようにすることは、いくらでもできるわけですから、これはちゃんとやっておいてくださいね。これは見切りの大事な問題です。

 こうした手続きもう一段階前にする仕事があります。「カードによる借金について、お父さんお母さんは支払い義務がない」ということを証明する書類を作っておくことなんです。
 それをしないでおくと、息子さんは勝手にカードを使って親が保証人にされた形で消費が行われて、強引な取り立てをされる。こうなると、親は払わなくちゃいけないと思って払ってしまうんですが、ここでこれを絶対しちゃいけないんです。尻拭いはしちゃいけない。尻拭いした分だけ、彼はこの問題から抜け出せなくなるんです。

===
 いちいち問題が起こってきたときに「支払い義務はありません」とやってもいいんだけど、一括してやる方法があるはずです。弁護士さんに相談して「子供がカードで使ったお金を親が支払わなくてもいい」方法がとれるはずですのでとったほうがいい。できなければ、問題が起こるたたびに、「支払い義務はない」ということを言っていっさい支払わない。

 次に、今までにわかった借金について。これはうまくできてらっしゃいます。すべて証書のはっきりした返済計画のはっきりした返し方に変えていきます。これは額が今のところ数百万レベルだが、これが数千万になっても億になっても同じです。
 で、その場合のコツは、自分が使いたいものを切りつめ過ぎないことです。無理してゆとりのない返済計画を実行すると破綻・反動が来やすいからです。借金先が10箇所あるんだったら、少額でも10分の1ずつ返す。取り立てる方としても焦げつかなければいいんですから。長い時間かかっても回収できると思えば待ってくれます。
 ただし、最近グレイゾーン金利(利息制限法に定めた15〜20%の金利制限と出資法の上限29.2%の間の金利)の「過払い訴訟」などが起きていますから、その辺は弁護士さんとしっかり相談してください。

 浪費嗜癖者の浪費を押さえるコツは、ある程度の浪費を許すことなんです。ここが難しい。たとえばレストランの回数なら週5日いってるところを1日にする。店もワンランク落とす。生活の潤いを全部取り上げない。自由業というのは音楽家ですか。そうなると浪費はしょうがないかも知れませんね。派手でしょうし。最終的に親の力をあてに出来なくなれば、仕事そのものを変えなければならないかも知れませんね。そういう形に変えていく。ただ、これはわかっている借金に対してとれる対策であって、こういう人の場合、必ず裏に数本の借金がほかに隠れてますから。

 しかし、この借金計画については、実はあなた方の仕事ではないのです。これは本人が、弁護士さんに相談するなり、破産申し立てなどにいくことですることです。だから今私が言ったことは、お母さんに言うことじゃないんです。お母さんのするのは、要するに土地や家屋の抵当には気をつけろと言うことと、カードで使ったお金の返済はいっさいしないこと。それだけです。彼の借金は彼の頭や心を痛ませればいいので、けっして親が息子の借金に悩むことはしてはいけない。(続く…)

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2006年03月31日

息子の借金をどうしたらいいか(3/3)

(続き)

image060331.jpg こうして息子さんは、この結果どうなるか。よくて破産でしょうね。悪いと生き埋めだ。暴力団金融にかかると、見せしめなんてことがありますからね、いつの間にか行方不明になって、それにからんで土地の抵当の問題が起こってくる。こういうのを「底をつく」といいます。

 アルコール依存症がそうであるように、依存症の治療には、このような「底つき」、人生の転回点が必要なのです。これも父性原理の一つです。
 これがいつやってくるのかは、私には読めない。この人にガールフレンドがいて結婚を約束しているのか、あるいは一家の主人ですでに何人か子供がいるのか、そういうことで底を打つ時期が変わってきます。全くのシングルですか。それなら、きっとかなり年とってからになりますね。

 ──はあー

===
斎藤:自分の愛するものを見切るのはすごく難しいですよ。しかし「突き放す」と「見切る」のは違うのです。「おまえの借金の問題については私はいっさいなにもしてあげられないんだよ」ということをよく言う。その方が底を打つ時期は早くなります。

 それから、こういうものはオール・オア・ナッシングの直り方をします。つまりたらたらとちょっとでもやっているうちは直りません。借金の問題がなくなるときは一切なくなるんです。新たな借金をいっさいしなくなるときが回復にはいるときです。
 私たちのところに来ることが必要になってくるのは、そうなってからでしょう。こうして借金について周囲が心配をしてくれているうちは、絶対にクリニックには来ません。たぶん、彼が私と会うのは、彼が50歳を過ぎてからでしょう。ただ、一度お会いしたことがあるようなので、「今日は斎藤にあった」といっておいてください。何かの時に思い出すかもしれない。もう本当に首が回らなくなったとき。

 ──もう回ってないと思うんです。

斎藤;回ってるんですよ、なんとか。回ってるから治療に来ない。本当に回らなかったときには、「案外違うところに道がある」なんて思ってこちらへたどり着きます。

 ──私も、おっしゃるように、見切りたいとは思っているんですけれど。

斎藤:是非そうなさってください。その方が息子さんのためにもなります。こういうのを強い愛、タフ・ラブといいます。ぐじゃぐじゃの柔らかいソフトクリームみたいなのばかりが愛じゃないんです。「なにもしてあげない愛」「強い愛」っていうのがあるんです。「切り離す愛」です。

斎藤学の講座・ワークショップ

講座名日程時間料金対象会場
斎藤学ワークショップ6/17
18
14:00〜20:00
10:00〜18:00
31,500円一般東京港区
斎藤学オープンカウンセリング18:30〜20:303,000円、5,000円一般東京麻布
親のための家族相談18:30〜20:303,000円、5,000円一般東京麻布

※開催日については必ず各講座の詳細ページでご確認下さい

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