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2005年12月22日

心の拡大鏡を使って −教師と親へのメッセージ−(4/4)

ぐちを言える場をつくる

image051222_2.jpg中田 今の話のような高いコストを払って初めて同僚のある一面が見えるようになることも案外多いと思います。<同僚性>が大事だと頭でわかっていても、実際には同僚に開こうとせず、それゆえに一人であえいでいるという循環の中で教師が教師として長生きできるというか……。

斎藤 バーンアウトしないということ?

中田 ええ。そういうコツは何だとお考えですか。

斎藤 自分の個性に自信を持つことでしょうね。あとはぐちの言える場所が複数あることでしょう。僕らも難しい患者と出会った時は、患者のことを同僚に語るんです。自分で最善の策を立てているつもりでも、見落としが起きたりします。経験がかえって自分の手足を縛ることもあります。「いつもなら、こうするんじゃないですか」と若い人に言われてハッと気がつくこともあります。とにかく若い人でも誰に対してでも、困っていることは困っていると率直に言います。

 学校の先生方にもそれが役立つと思います。若い先生には絶対必要でしょう。スーパーバイザー制をもっと明確に取った方がいいと思います。相手は思春期という一番危険な時期です。行動力がついてきてある程度悪知恵も発達しているのに、衝動性の統御は未発達という、最悪な時期じゃないですか。 

 成人であれば境界性人格障害と診断されます。普通の人口のなかでは二、三%でしょうが、中学生の数割はそういうタイプの子ではないかしら。人間関係が安定せず、だれかに頼りきったと思うとその人に裏切られたといって今度は衝動的な逸脱行動に走る。一番の親友を一番の敵と考えたり、「空しい、死んでやる」と口走ったりする。こういうタイプを境界性人格というのですが、これはそのまま中学生の特徴を言っているようなものでしょ。人格的にかなり成熟した子を除けば多くの中学生はこんな状態です。

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 こういう子たちを扱って自分だけの胸にしまっておくなどというのは無理です。先ほどの先生も地元のカウンセラーにかかっていて、それ以外に精神科医として私、さらにカイロプラクティックにも診てもらってようやく精神保健を保っているわけです。以前は目がピクピクするとか、胃潰瘍やヒステリー性の難聴がおきたとか、そういうストレスの中にいました。

 先生方が自分の金を出してそこまでする必要はないけれど、職員室を、イベントの話し合いや校長からの指示を聞くだけでなく、その何分の一かの時間でいいから、いま自分の教室で何が起こっているかを話す場にできるといいですね。あるいはスーパーバイザー制をとって若い先生の話を年配の人が聞く。年配の人も別の人に話す必要があります。外部からセラピストを導入するのは難しいようですから、自分たちでセルフヘルプ的にやるほかないですね。ミュチュアル(相互)サポートです。

中田 インフォーマルなつぶやきとかぐちを言いあう時間と場を教師集団でつくろうとすれば、セルフヘルプ的なものになるということですね。ただ、スーパーバイザーをフォーマルなシステムとして導入すると、序列的であまり機能しない気もするのですが。

斎藤 私も今しゃべっていて、現状でそんなことをやったら大変だろうなと思いました。とはいえやはり先生たちのメンタルヘルスのために予算措置をとるべきだと思う。教育者としての体験を人に聞いてもらう時間をつくり、今週こういうことがあったと話すだけでいいのです。

 それを利用できない人にはもう少し別のアプローチを考える必要がある。学校の外部にいてニュートラルな立場で、しかもある程度は事情を知っている人に、文部科学省や市町村のお金でポストと給料を与えるんです。長い目で見れば、教師の長期休業などが減ってコスト的にもペイすると思うんですがね。

語り合いの三つの原則

中田 専門家を外部から招く場合のポイントみたいなものはわかりましたが、同じ職場に勤める者同士のつぶやき合いの課題はどうでしょうか。同僚であるがゆえの難しさがあるかもしれません。

斎藤 コンフィデンシャリティ(秘密保持)、傾聴、議論しないという三つが非常に大事です。傾聴のルールとは、質問で遮ったり、自分の意見を重ねて言ったりしないことです。言いっぱなし、聞きっぱなしです。 

 秘密保持、傾聴に誠実というのをつけ加えることがあります。誠実というのは、自分で考えられる範囲で嘘をつかないことです。しゃべりたくないことまでしゃべると、自分に対して誠実でないわけです。この三つを維持した相互支援グループは教師のような職業にこそ必要でしょうね。

 私は東麻布にクリニックとは独立した心理相談室を作っています。ここのセラピスト(心理カウンセラー)は一日七人の話を聞くのですが、五日間で三五人なんて無理だと言っていますね。このカウンセラーたちをどう燃え尽きさせないかを考えるのが私の仕事です。自分たちがセラピストでさまざまな人たちの精神保健を扱っているのだけれど、自分の問題になると話上手とは言えない。自分の話をしなさいというととたんに無口になってしまうんです。スーパーバイザーである私は「自分ができないのにグループワークを他人にやるのは問題でしょう」と言って、わだかまっていた問題を集団の中で話させます。そういうところでよくしゃべる人や、すぐアポイントメントをとって話に来る人はつぶれないですね。むっつりして一所懸命やっている人などが突然「辞めさせてください」となります。辞めてハッピーになるならいいけれども、再起するまでに数年かかったりする。

 人の心に接する職業というのは、人格を相手との間で取り結ぶわけですね。相手の体験の中に入り込むわけですから、これはすごいことなのです。教師の場合、一人ひとりの子どもの心に影響を与えると同時に、自分の心の中にも複数の子どもを取り込むわけですから、ホントに疲れると思います。その場合、心の拡大鏡をフルに使って「あの子はここの部分がこれだけ変わった。良くなった」とポジティブに考えられる人の方が、教師という厳しい仕事から豊かなものを発見できるでしょう。

 もしそれができない人がいたら、「あなたの生徒はこういうところがよくなったじゃないか」と互いに指摘しあえるグループを作ることが望ましいですね。

中田 ともかく話せる場を作り、そこでは否定はしないという取り決めをもった関係を教師あるいは第三者との間で築くということでしょうか。

斎藤 聞きっぱなしというのは意外に難しいですよ。順番が回ってきたら、人の発言に対し私はこう思うと言ってもいいんです。でも隣の人は違う話題になってしまったりしますから、議論にはならない。持ち時間は決めても決めなくてもいいけど、それで一回り、時間があったら二回り、と機械的にやるんです。そうしないと一人だけしゃべって止まらなくなってしまったり、特定の人のプレゼンスが大きくなりすぎたりしますから。
 パスをしても構いません。けれど毎回「聞くだけに……」と言っていると、それ自体が圧力になってくるんです。

中田 それは自分に対してですか、それとも相手にですか。

斎藤 自分に対してです。他人から言われたわけでもないのに作ってでも話をしようとする。それでこれは明らかに考えてきたことを言っている、という話しかたになってしまう。他の人々はなんで暗記してきてまでしゃべろうとするんだろう、もっとリラックスしましょうよ、みたいに考えるかも知れない。でもそう言ったら議論になってしまうから、その場では言わない。それでいいのです。相互に語ること自体に意味があるという考え方だから、別に話題がなくても一時間はそれに当てるということでいいんです。

中田 今の教師にはそういう時間を確保するのはなかなか難しいです。

斎藤 本当に時間がなさそうですね。夏休み中もクーラーもない教室に汗だくの先生を集めるようになったそうですが、何か意味があるんですかね。

中田 今日はどうもありがとうございました。

【出展】
『人間と教育』48号 特集「教師の子ども理解」
(精神科医・臨床心理士・家裁調査官・スクールSW・元教師らの子どもをとりまく様々な職業に携わる人々の体験から見つめ直すことを試みました)
編集:民主教育研究所 電話03-3261-1931 [HP

木附ブログ

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2005年12月22日 13:44:[←ブログメインに戻る]←IFFトップページへ][↑ページ上端へ