2005年10月の一覧

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2005年10月03日

カルトの信者とクリニックの患者は似ている?

相談者からの質問

 私は昨年の秋までの7年間、X教会というカルトにいました。教会には大学生の時に入りました。みんなで共同生活をして、休みの日には伝導に出かけ、昼間は学校に行っていました。大学を卒業してからは昼間は普通の企業で働いていました。私には教会が決めた婚約者がいることを知って驚いた父が、別のキリスト教会に救出を頼み、私は「救出」されました。 

 その救出の方法ですが、私が信頼している知人の家に遊びに行ったところ、帰る間際に待機していた人にいきなり羽交い締めにされて、とあるマンションに連れて行かれたのです。そのマンションには窓の全部に鍵がかかっていて、扉にもチェーンロックがしてあるような状態でした。X教会ではこれを「拉致監禁」と呼んで恐れていましたし、そこに母が乗り込んできて、傷つくような言葉で私を罵倒してきたりして、私にとってはかなりひどい精神状態でした。

image051003.jpg この救出してくれた男のかたとはうまくいかなくて苦しみました。このかたがカルトを辞めたのは、「自分はそこにいるとき、親に嘘をついていて、それが苦しかった。親がやめろといったからやめた」という理由なのだそうです。私にとっては、親の意見というのはとんでもなくとんちんかんなことが多くて、いいことでも何でもかんでも反対されていたという実感がありますから、どうもこのかたとは話がかみ合いませんでした。私が「私は教会を出ても行くところがないんです」といっても、「こんなに人に迷惑をかけているのに、まだわからないのかよっ」なんて言うばかりで、本当にそのかたとはうまくいかなくなってしまいました。

 カルトの誤った教えをやめさせるには、正しく聖書を理解すればよいのだそうで、私もこのかたから「聖書」のレクチャーをうけていました。けれどもこの人は牧師ではなくただの信者ですし、あまり教えかたもうまくないし……。別の信者のかたが「この救出はゆきづまっている」と感じて、牧師さんに来てもらったのです。今はこの牧師さんに面倒を見ていただています。でも、この「救出」してくださった男性が、牧師さんにライバル意識を持っているようで、「いいや、自分がやってみせる」という気があるようです。自分をカルトから解放したはずのキリスト教会内にも、こんな人間関係があることを見てしまったうえに、学んでいる聖書に「人の罪を見てはいけない」なんて言葉が出てきたりすると、「感情鈍磨しろってのか」なんて、反抗的な思いがわいてきたりして、聖書の勉強がいま、なかなかうまくいきません。 

 また、今でも時々、寝ているときに、昔、親に振るわれた暴力などにうなされて目を覚まし、絶望感におそわれます。こんなことを繰り返しているのです。

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 私の父は貧しい家庭で育ち、中学生の時から働いて、世間に踏みつけられながら育った人です。歯を食いしばって大学に入り、社会的な地位を手にしました。母は依存的な性格と夫(私の父)の暴力が重なって、精神の病気になり、私が中学2年の時に強制入院させられたのですが、その強制入院の様子は、私の今回の「救出」と似ているような気がします。父は、自分で暴力を振るって母をずたずたにしておきながら、もう使い物にならないし世間体も悪いからと病院に入れたわけです。

 私には兄がいたのですが、両親の期待を背負った、良くできた子でした。兄も私も、父の「大学に行かないと一生苦労する」という思いにそのままとりつかれていました。私は、テニスという好きなことがありましたし、殴られても蹴られても「今馬に乗らないと私は死んじゃう」という意志がもてて、歯を食いしばってこられましたが、兄は何でも父の言うなりで、自分が何をしたいのかってこともはっきりしていなかったようです。けれど父の言うなりに大学院も出たときに、父が大学に残れと言ったのをとうとう押し切って、「自分には向かないから」と就職を選びました。ところが、生まれて初めて自分の意志を言えたと思ったら、急死してしまいました。

image051003_2.jpg この私の「救出」をしたかたが、有名なジャーナリストのカルト批判の本をどっさりもってきて、私は他にすることもありませんし、早く楽になりたいので、片っ端から読みました。本には「カルトに入ると、こうなって、こうなるのだ」と、マニュアルのように書いてあるのですが、実際は、一人一人、教団に入った経過も違っていますし、入った部署によっても状況は大きく違います。ですから、こうした本もピンと来ませんでした。ところが、牧師さんに勧められた斎藤先生の『インナーマザーは支配する』という本を読んだら、ハッとするところがいろいろありました。それで、今、クリニックへ通い始めたところなのです。

 それで、先生に質問なのですが、『インナーマザーは支配する(現:インナーマザー)』の中で、「オウムの信者とクリニックの患者を見ていてとても似ていると思った」ということが書かれていたのですが、それはどのような点でそう思われたのでしょうか。

斎藤学からの回答

image051003_3.jpg
 あなたの質問は結構難しいので、あの本の中にもちらっとしか書いてないと思います。「カルトは機能不全家族に似ている」と書いてあるけれども、どうしてそうかってことは書いてないでしょう。

 別にオウムの信者と仲がいいわけじゃないですし、道場に通ったわけでもありませんが、テレビであの信者さんたちを見ていて、「なんだかよく似てるな」と思ったのです。
 例えば、東京のS町へ行くと、似たような髪型の、似たようなスタイルの、似たような雰囲気の人に大勢会います。S学会の信者さんです。私はS町の慶応病院にいましたから、それを知っているのです。そのあたりのレストランに入ってウエイトレスさんの顔ぶれをみるとS学会の店だとすぐわかることがありました。それで、「ああ、一つのドグマは一つの人間を作るんだな」と思ったものです。

 私の関心は、人格はなぜ、どういうふうにつくられるかということです。それと、それを変えていくことはできるのかということです。それで、私は、人格は家族内の人間関係が作るものだと思っていますから、家族のような濃い関係が人格を変えると思っているわけです。

 では人格とは何かというと、人格とは人間関係のパターンのことだといえると思います。それでは人間関係とは何かと言えば、人間関係とは人間関係に関する記憶であると。こうしてとどのつまりは記憶の問題になってしまいます。人間関係についての記憶が皆さんの人格です。それがとても悪いものであれば、皆さんは意地悪な人になるし、温かいものだと思えば、人にも温かくなれる。こういうものですね。

 いま、あなたのお話を聞いていて、おもしろかったのは、言葉が逆になっていることですね。「救出」といえばふつう、楽になることですよね。それなのに、車に乗ったところを羽交い締めされて、マンションに監禁されて、どっさり本を「読め」と言われて、強制的に聖書を読まされて。

image051003_4.jpg 宗教への入信は自発的にするものですよね。確かにあなたも誰からも入信を強制されたわけではない。強制されてはいないけど、あなたの育った人間関係というのは、あの教団に入信しなくてはならない必然性を生んでいますよね。別にX教団のX先生じゃなくてもいいんだけど、強力で巨大な権力を持った「父」が、暴力的とも言えるような強烈な教義であなたを誘ったら、きっとあなたはついて行かざるを得ないと思います。あなたはそれがどんな形であっても、この手のものを必要としていたように思うのです。「正しいお父さん」です。優しくて、強くて、愛で包んでくれて、あなたを「そのままでいいよ」と言ってくれるような。たまたまあなたの出会ったのが、X先生をお父さんとするようなX教団だったのです。

 わたし、とても気の毒だと思うんです。あなたは「拉致監禁」みたいな状態を「救出」と呼ばなくてはならないような状態にあること、また、一方で、カルト教団にお父さん、お母さんのような存在を求めざるをえなかったこと。

 私のクリニックへ来る人たちは、神を求める人たちだと言えると思います。これを始めた頃は、問題を抱えた人の親たちも対象にしようと思っていました。50〜60代の人々です。でも今の来ている人々の平均年齢は29歳と30歳の間です。当時書いた『アダルト・チルドレンと家族』が大きかったのかなと思います。やっぱり、理想のお父さん、お母さんを必要としている方が多くこられたのではないでしょうか。

 私自身が、そういう若い人たちの「神さま」「お父様」にされそうな危険性がありました。それでわたしは、徹底的にそれをはずしていきました。そんなの簡単です。「教祖様だ」と思わせるのは大変ですけど、「教祖失格」だと思わせるのはそんなに大変じゃない。いかに自分がバカで無能かを見せればいいのですから。いい加減なことをいって皆さんを混乱させればいい。「ドグマ」はスッキリしてます。原因、結果、そしてハルマゲドン。そこにいたるまでの筋道がとってもスッキリしている。私の話を聞いていておわかりの通り、私の話は支離滅裂で矛盾しててぼやけているでしょう。そして皆さん、私に「教祖」や「父」を求めることをあきらめて、別のところに教祖様を見つける人もあるし、または、カルトをはずれても生きていける自分を発見する方もいる。

 クリニックにも、カルトを抜け出た人の自主グループがあります(正確には患者たちがそのようなグループを作る時もあり、それが消える時もある。今現在はないが、JUST(日本トラウマ・サバイバーズ・ユニオン)が「(宗教カルト・自己啓発セミナーなどからの)脱会者のためのグループ」というミーティングを開いている)。ここは時々すごくもめます。例えばAという教団から抜けてきた人がいます。その人がグループでA教団での出来事を話す。すると中には別の教団から逃げてきてA教団に入った人もいて、この人から脅迫電話がかかってきたりする。私はこういういきさつをメンバーからの手紙などで知るのですが、自主グループですから、私が出ていって「ああしろ、こうしちゃいけない」とは言いません。

 私が言うのは、「皆さんの求めているものは家族だ」ってことを認識してくれということです。どうして自分が家族のなかで「お父さん」や「お母さん」を求めなくてはいけないのかに気づいて欲しい。私が言う「お父さん」「お母さん」は、性別には関係ない、役割のことです。例えばシングルマザーなら、一人で「お父さん」役割も「お母さん」役割もやっていることになります。
 「お母さん」は、その人を包み、承認する存在です。なにがあっても「あんたが好きよ、あんたが大事だ」と言ってくれる。「お父さん」は「これが正しくて、これが正しくない」と掟を課していく存在。「お前はうちの子、君はよその子」と区切る存在。善悪を区切ったり、子どもが優しい「お母さん」と一体化して溶けていってしまうのを防ぐ存在です。

image051003_5.jpg あらゆるカルトはすべて「親教」だと思います。何か大きくて強い存在がどっしりといて、その人がすべて何でも知っていて、自分は何も知らない無力な存在である。というのが教義の底に一本流れています。「親教」は言います。「子どもなんだから、親の言うとおりにしなさい」って。そして、子どもは何も知らない責任のない立場なんですから、都合の悪いことがあると「親のせいだ」と言うことができる。そこへ、「そんなこと言ってちゃだめでしょう。あなたたちが自分で親になる力は充分あるでしょう」ということをわかってもらう。ここで、親を求めるのではなくて、子と子でも親と親でもいいから、対等な関係を仲間との間に作ったらどうですか、というのが私の提案です。
 「お父さん」「お母さん」を求めて私のもとへやってきたけれど、それが得られないことに気づいて、代わりに対等な関係である「仲間」というものを見つける。こうなったときにはドグマをあきらめていますね。「これを守っていればいいことがある。これに反すると悪いことが起きる」、そんなドグマを捨てられるのです。ドグマを捨てて、日々、その場その場で自分の頭で考えて動くと言うことができるようになります。自分の頭を使う生活。あなたはそれをなさることですね。

 長い話になりましたが、私、カルトから来た人って、共感できるんですよ。大好きなんですよ。だって、私自身、「世間様教」というカルトの脱会者だったんですから。それにカルトから来た人はあなた同様「かわいそうな子」が多い。あなたの場合、お父さんが殴る人、お母さんはもう壊れちゃって、本当ならもう自殺しちゃっててもおかしくない人でしょう。お兄さんなんか、お父さんが怖くて怖くて、それでもやっとお父さんに反抗したと思ったら罪悪感に圧倒されて死んでしまった。あなたご本人も、お母さんの強制入院と同じような体験をさせられてる。でも、あなたは生き延びました。「神に忠誠を誓う」ということをやって生き延びたわけです。

 おわかりになりませんか?神に忠誠を誓うというのは、たとえ、一家皆殺しなんていうひどい目にあったとしても、希望を失わないで生きていくということです。私たちは遺伝子に「生きろ」という命令を書き込まれているから生きている。そして同じ指示に従って死ぬ。あなたはそれに忠実だったのです。X教団に入って、拉致監禁によって「救出」されて、踏んだり蹴ったりでも生き延びていらっしゃる。

 聖書を教えている牧師さんは、X教団批判の本と一緒に、私の本も差し出してここへ来ることをすすめたそうですね。それは、その方が、あなたのことを、X教団を抜けてキリスト教信者になればいいと思ってるのではなくて、解放というのはその人が自分で見つけていくものだとお考えになっているからだと思います。

 あなたは親を求めてここへ来たのかもしれないが、私はあなたに「合同結婚式」を強制しません(笑)。私は決して、「幸せのかたちとはこうだ」なんて、決めません。あなたにとってハッピーな生活とは、たくさん悩むことだろうとおもいます。悩みを正面から引き受けて一つ一つ解決する生活をこれからなさっていくといいと思います。「こんなところへ来たのはいいのか、悪いのか」ってことも含めて、いろいろお悩みになることをおすすめします。

斎藤学の講座・ワークショップ

講座名日程時間料金対象会場
斎藤学ワークショップ12/3、414:00〜20:00
10:00〜18:00
31,500円一般東京新宿
斎藤学オープンカウンセリング18:30〜20:303,000円、5,000円一般東京麻布
親のための家族相談18:30〜20:303,000円、5,000円一般東京麻布
斎藤学による木曜ミーティング12:00〜3,000円、5,000円一般東京麻布
危機介入の技法18:00〜20:005,250円、7,350円専門東京麻布

※開催日については必ず各講座の詳細ページでご確認下さい

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2005年10月11日

機能不全家族の度合い(一般質問)

読者からの質問

 初めまして、斎藤学先生。
 ○○○と申します。
 ブログの開設、おめでとうございます。

image051011.jpg さて、斎藤先生に質問なのですが、過去に僕はACの自助グループや、医療機関にかかったことがありまして、疑問に思ったことがあるのですが、機能不全家族と呼ばれるものにも、その程度というか、機能不全度の低い家庭と高い家庭というものがあるような気がしてならないのです。

同じACやサバイバーの人たちを見ていても、家族と仲がいい人もいれば、家族とは縁を切っているような状態の人など、その有様は、人それぞれです。

機能不全度が高い家族に育った人ほど、家族とはなかなか仲直りができなく、機能健全家族に近い人ほど、家族、つまりは両親ともそれなりに仲直りできているのではないか、などと、僕自身、勝手に想像したりしています。

 不思議なもので、機能不全度が高い家庭に育ったからといって、精神疾患の症状がひどくなるというものでも決してなく、また、不全度が低い家庭に育ったからといって、症状が軽いというものでも決してないということです。

 この、機能不全家族の度合いが高いか低いかというものはあるのでしょうか?

 素朴な疑問として、僕のなかであるものなので、斎藤先生にこうして質問したわけであります。

 また色々と、斎藤先生には質問をしたいと思っています。
 これから、よろしくお願いします。
(30代男性)

斎藤学からの回答

 家族機能不全というコトバに過剰な「実体性」を持たせることは危険だと思います。つまり、重度、中等度、軽度などに分類したり、数字で評価したりするの無理だし、かえって弊害も生むと思うのです。
 私は家族を、子を①産み、②育てて、それを③手放す、という「機能」を持つ集団と定義していますので、これらのどこかに齟齬が生じていれば、機能不全と考えています。
子育てに関して言えば、子どもに「安全」を与え損なっている場合に機能不全です。子どもを無視するのも機能不全ですが、子どもに期待をかけすぎて萎縮させるのも機能不全です。
 ご指摘の通り、「ひどい子育て」が必ずしも成人後の子どもの精神障害を重くするとは限りません。

 斎藤学

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2005年10月13日

妻と別居中です(一般質問)

読者からの質問

image051013.jpg  斉藤先生のオープンカウンセリングを今日も拝聴させて頂きました。
 私と妻の間には小学校3年生になる娘がおりますが、私は妻から離婚届を突きつけられたまま、単身別居の状態です。私の側には、離婚に繋がるような浮気やその他のアディクション的要因が無い事を、妻側の両親らも認めております。

 妻が子供を連れて昨年3月に自分の実家に帰りましたが、年末近くになると、今度は実の両親・兄弟とうまくいかないとの事で、そこを出たいと言って来ました。そこで新規に賃貸物件を借り、再び家族3人での暮らしが始まりましたが、妻の情緒が安定せず1週間程で私はそのマンションに入れなくなりました。そのまま10ヶ月程の時間が経過しております。

 結婚し共に暮らすようになって気づいたのですが、妻は戸締りやガス栓の確認に異様な動作が伴い時間がかかります。自分の感情を言葉で表現する事が出来ず、すぐキレます。特に子供が成長し、手がかからなくなって来てから酷くなってきたように思います。
 それまでは、何とか付き合って来れた私ですが限界を超えたようです。義父母の話や様子から想像するに、妻は機能不全な成育環境を過ごしてきたようです。その義父母は自分の娘の事を諦めているのか、「私達には何も出来ない」と言っており頼りになりません。私一人が動いても、マンションのドアを開けない妻に、なすすべが見つかりません。しかし子供が妻のもとで生活して居る訳ですから、強行な事も出来ません。
通算して2年近くも子供を不安定な環境にさらしたままです。

 子供が居りますので、生活費は送金しています。離婚訴訟は起こされておりません。このような状況下では子供の人格形成に良い筈がありません。良い対処法をご教示願えたらと存じます。(40代男性)


斎藤学からの回答

 大変難しい状況のようです。ここで要領良く回答することはできませんが、あなたとの「問答」を重ねる中で知恵が浮かぶということはあり得ます。オープンカウンセリングをご利用ください。

斎藤学

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2005年10月14日

自分のこと、すっげえ嫌いです

相談者からの質問

image051014_1.jpg ぼくは対人恐怖で、人からどう見られてるかすごい気になって、人の顔をじろじろ見たりしてしまうので、人から気持ち悪がられています。しゃべっても「もごもごして何いってるのかわかんない」といわれてしまいます。どうも緊張して、人前では笑うことも怒ることもできません。初対面の人とはなんとかうまく接することができるのですが、次からがもう苦痛です。
 たいしたイジメではなかったのですが、小学校時代は無視されたり、ひそひそ陰口を言われたり、頭が悪いのでよくそのことでやっつけられました。 

 ぼくは高校受験に失敗して、家に閉じこもりました。それから7、8年、地元でカウンセリングを受けて、それから東京に来て、だいぶ遅れて大学に入りました。そこでアルバイトを始めたのですが、そこでもまたイジメにあって、かなりきつくやられてしまいました。それでまた2年ほど、カウンセリングを受けているのです。担当の先生は「よくなってる」っていうんですけれど、僕はどうしてもそうは思えません。
 これから就職しなくてはいけないのに、面接も、そんなわけで2、3回しかいけていません。面接官の顔を正面から見なくてはいけないのですが、それができないので屈辱感で帰ってきてしまいます。田舎の母からは頻繁に電話が来て「どうなってるんだ」とせっつきます。どうにか自分のこういう性格を克服したいのです。

 家族は、3人兄弟で僕は真ん中です。姉と妹がいます。父は結構きつい人で、姉がいちばんやっつけられてた。すると姉はぼくをいじめ、ぼくは妹をいじめるというとんでもない家族です。妹はおとなしいので誰もいじめませんけれど、このところさすがに耐えきれなくなったのか、ちょっと横道にそれてきました。就職したのですが、やめて今フリーターしています。母はどっちかというといい加減です。

 ぼくはネクラだし、これを治そうして、鏡を見て笑顔になる練習とかをしています。
 親の期待? あったかもしれません。でもぼくはできが悪いからそんなに高望みされてたわけじゃないです。
 でも、カウンセリングでは先生から「きみは100点か0点しかないんだね」といわれて、ああ、僕にはそういうところがあるなと思いました。どうも僕は、実力もないくせにプライドばかり高くて、もう自分でもイヤになります。こんな自分がすっげえ嫌いです。

斎藤学からの回答

 あなたのカウンセラーはきっと、あなたが学校に戻れたり、就職を考えられるようになったことを見て「格段によくなっている」と感じているのでしょう。でもあなたは、自分の苦しさは全然変わらないと感じている。そうなると、この「苦しさ」の意味がわからないことには解決の方向も見つけられませんよね。あなたはこの「苦しさ」を早く捨てたいと感じているのでしょうが、もしかしたらあなたにとってこの苦しさは大切なもの、「あなたをあなたにしているもの」かもしれない。

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image051014_3.jpg 人格とは、その人と周囲の人々との関係、対人関係のパターンのことです。あなたは、「対人恐怖」という<病気>があるようにおっしゃったけれど、これは単に、あなたの人とのつきあい方の個性なのではないですか。人に対して緊張してしまうという特徴をお持ちなわけです。

 初対面の人とは何とかうまくつきあえる、というのは対人恐怖の人の特徴です。最初はうんと頑張って社交的に振る舞って、挨拶して回ったりする。ところが次からが怖くなる。だんだん、本当の自分を知られたら見捨てられるんじゃないかと心配になってくる。あなたはそういう性質を克服したいとおっしゃるけれど、克服というのは「やっつけて勝ってやる」という気持ちです。自分の性質を敵に回したって勝負がつくはずがない。「まあ自分の性質のこういうところもカワイイな」くらいに思わないとラクにならないのです。どうしたらそう思えるか。それには、「自分に優しくなる」「自分のことをすべて受け入れる」。これが「斎藤教」の教えです(笑)。

 あなたは、どうして自分のこと嫌いなんですか。「すっげえ嫌い」が「ちょっと嫌い」くらいになるといいですね。あなたを「自分が嫌い」にしたのは誰ですか。

 ・・・自分自身のせい?

 いやいやそんなことありませんよ。だって、生まれてきた赤ん坊が自分から「オレは自分を批判する」なんて考えを持つわけないですもの。人間は誰でもうぬぼれの固まりで生まれてくるのですから。あなただって、小さいときはずうずうしく泣いて「おむつとりかえろー」「はらへったー」って主張してたでしょう。自分が偉いと思うからそういうことを平気でできたわけですけど、それがいつの間に、どうして「自分のこと嫌い」になってしまったんでしょう。

 これは、一口に言うと「親」です。「自分がダメだ」と思うのは、親の期待するように自分が育っていないなと感じるときに起こってくる感情です。あなたの親はひっぱたいたりする親じゃないですね。でも、男の子が一人だし、かわいがってくれるけど、随分期待したんじゃないかと思います。悪気はないんだけど随分期待しちゃったものだから、自分で自分にいろいろな義務を課してしまったのではないですか。あなたの「高すぎるプライド」も「他人がこわい」という気持ちも、たぶん親との関係の中で必要だから出てきたものでしょう。でもこのまま、親の教えに従って「ああしなければ、こうしなければ」といって生きていったんじゃ、辛くてたまらない。

image051014_2.jpg あなたが自分を嫌いになっているのは、それはズバリ、間違いです。

 あなたに治さなくちゃいけないところがあるとしたら、それは「自分が嫌いだ」というところです。自分が嫌いなままではあなたが対人関係の中で感じる「人にあざ笑われるんじゃないだろうか」「バカにされて使い捨てられるんじゃないだろうか」というつらい気持ちは消えないどころかいっそうひどくなるでしょう。

 長所なんて無い? どうして? あなたは8年間閉じこもったりして、他の人とは随分違った成長の仕方をしています。それなのに、遅れてちゃんと大学に入って、4年間も頑張った。大学に遅れて入って通い続けるってことは、これは大変なことですよ。年齢隠してた? そんなことはあなたの工夫じゃないですか。悪いことでも何でもないでしょう。そういう粘り強さでもって、あなたは生き延び、今ここに立っている。これはあなたの力じゃありませんか。

 それから、あなたは自分が何か問題を抱えているということを認識する力をもっています。だからカウンセリングに8年通って、東京で2年通って、そして今また第3の場所を探してここへきた。自分の問題を認識してどうにかしようと行動する力をもっています。

 あなたは「プライドが高すぎる」っていうけれど、プライドがあってよかったのですよ。先ほど宗教トラウマの方の話をしましたが、プライドがないと宗教に入って教祖様から「人を殺せ」といわれたら、何も考えないで殺してしまう。だからプライドは人間にとってなくてはならないものです。でも高すぎて苦しいのなら、だんだん無駄と気づいたものだけを低くしていけばいい。「100点じゃなくちゃだめ」じゃなくて、「50点以上ならいい」と考える。就職の話ですけど、なかなかプライドを満足させてくれる就職なんてないでしょうから、今年の就職は、もしかしたらうまくいかないかもしれません。でも、そういうときには「ま、それでいいんだ」と考える。それが自分に対する優しさです。

 実は対人恐怖症者というのは非常に傲慢な人なのです。あなたがご自分で「プライドが高い」っていってらっしゃるように。対人恐怖を克服するには、今あなたがやっているような方法が有効です。自己開示です。人の中に入って、「自分はこういう奴です」とみんなに見せること。野良猫は警戒心が強いから顔と背中しか見せないけれど、慣れた人にはおなかを見せるでしょう。あれです。別にやらなくちゃならないというわけではないですが、あなたは今日、ここに来てしゃべることができました。これを12回やってご覧なさい。きっと2回目は今日よりしんどいし、3回目はもっとつらいかもしれません。でも12回目にはあなたの対人恐怖はずっと楽になっているはずです。

image051014_4.jpg 今日あなたがお話ししてくれたのはアウトラインでしょう。自分について語るとき、話しにくいこともあると思います。例えば、摂食障害の女の子たちは、よく万引きをしたりするのですが、これは世の中で「悪い」といわれていることですから、これはかなり話しにくい。けれど私の治療を受けている女性たちはこうしたことをみんなの前で話します。これは話したくて話してるのではない。これを話さないと自己開示できないから、「これをしない限り自分はダメだ」って思えるから彼女たちは話すのです。万引きばかりでなくて、性的な逸脱行為、マスターベーションについて。こうした日常会話の中では普通しないような話までしなくては自己開示した気持ちにならない、そんな気持ちにもっていけたときに対人恐怖は治る、というより「問題」ではなくなるのです。

 「治る」と言わないのは、あなたのような対人恐怖の感覚とか、強迫症状のようなものは、ずっと残るからです。こうしたものがきれいさっぱり消えることはないのです。だいたい、遠慮とか、ルールを守るっていうのは、私たちがみんな少しづつ対人恐怖的だからこそできることです。対人恐怖的じゃない人なんて、何をするかわかったものじゃありませんからこわくて近寄れやしない。しかし、こうして少しずつ常に対人恐怖しながらも、友人だと思った人にはだんだんに自分を開示していって、それによって自分が何か「出した」のではなくて「もらった」気がする、そういう関係を築いていくことで対人恐怖は楽になっていく。完全にはなくなりません。楽になるのです。前に比べると、「自分のことバカにしてるだろう」とか「笑ってるだろう」とか、人を疑わなくなった、そんな感じです。

 しかし、なんだかかわいそうですね。この年になって、「訓練だから人前に出なさい」なんていわれて、無理して一生懸命人前に出たりして。どうも、あなたには思いこみがあるのですね。それは、自分以外の人はみんな仲良くやってて、楽しげにしゃべってる。それが正常なことで、いいことだと。自分みたいに人見知りしてひとりぼっちになってしまうのは悪いことなんだと。
 誰が決めたんです、そんなこと。だいたいね、人と社交的に振る舞ってそこら辺で盛り上がってわいわい楽しそうにしてる奴なんて、大した奴じゃないんですよ。世の天才というのは、たいてい一人で、じっとリンゴの落ち方なんか見ているものです。一人で空想の世界に浸ったりして一人を楽しめる人です。まあ、あんまり浸りすぎると、精神病院行きになってしまいますが。しかしむしろ、あなたの一人でいられる能力は立派なものです。これができない人が多いのですから。たぶん、あなたはもともと一人で遊んだりするのが好きだったのに、親が心配して「みんなと仲良く遊びなさい」ってしつこくいったんじゃないでしょうか。

 ね、そうでしょう、やっぱり。それで、知らず知らず、あなたは、「一人でいる自分はダメだ、みんなと楽しそうに仲良くしなくっちゃいけないんだ」って思いこむようになった。小さい頃からそう思って頑張ろうとしていると、どうしたものか、そういう気持ちを見抜いてつけ込んでくる子というのが、必ずいるんです。「みんなと遊びたがってるみたいだけど中に入れない」ような子を見つけて「入れてあげないよ」だとか言っていじめにかかる。そういう相手をいじめることで自分に力があることを確認したがる子というものがいるんです。あなたはそういう子の餌食になってた。ずっと。

 考えてご覧なさい。あなたそうやって無理に頑張って人と接して、何かいいことありましたか。無いでしょう。
 「みんなでわいわい楽しそうにしてる人たちとは趣味が違うんだ」と思うようにする。「一人でいるのは悪いことだと思う」という考え方をやめるようにする。
 え? 特別な才能もないのにひとりぼっちではやっていけないんじゃないかって?
 あなたね、才能というのはそんなものではないのですよ。才能のあるなしというのは自分を表現する必要がある人とない人、その違いです。みんなでわいわいやれる人っていうのは、浅いレベルでいつも自己表現ができてしまっていますから、「表現したい」ということを考えずにすんでしまう。一人でじっと自分を保っている人は、自分を何者か証明せざるを得ないから、文字にしたり絵にしたりするんです。あなたはそういう形で人とつながる人ではないでしょうか。

image051014_5.jpg このような「表現」には代償として孤独を支払わなくてはなりません。孤独を支払わない人は、楽しそうかもしれないけど、ただの人です。孤独な魂にしか作品は作れないんですよ。ただの人でもいいとあなたは言うかもしれないけれど、あなたはどうも、ただの人ではありません。ずっと孤独だったし、孤独だったことをとても苦しんでる。苦しがってるから、必ず何かを表現するはずです。その表現が何かは、私にはわかりませんが。自分がどういう表現方法が適している人間なのか、考えた方が、対人恐怖を治そうとするより早いんじゃないですか。どうして世間は「人とわいわいやることを良しとするのか」、「自分はそういう世間のためにどんなに苦しめられてきたか」、そういうこうとを書いてご覧になったらいかがですか。そういう表現をしたらどういうことが起きるかというと、それを読んで、「わたしも!」「同感だ」っていうひとが出てくる。

 あなたのお顔拝見していると、どうもこれは「みにくいアヒルの子」ですね。自分に向いていない仕事をずっとさせられてきて、それで自分の価値ってものに疑問をもってしまってる、そんなお顔をしてますよ。自分は白鳥だから、アヒルとは違って当たり前なのに、アヒルだと思うから、なんだかすごく変なアヒルに思えてしまう。あなたは今そんな世界にいるんじゃないでしょうか。だから早く白鳥の世界に戻ると良いですね。
 それに、笑いの練習がしたいのなら、鏡を見てほっぺたの筋肉を鍛えるなんてことよりも、寄席にでも行ったらいかがですか。あそこへ行くと、テケテンテンテンテンなんて言って、着物来たおやじが出てきて、「毎度ばかばかしいお話で」なんていってしゃべってます。それ聞いて、最初は「ふん、なにがおもしれえんだ」なんて言ってるうちに、気がつくとあなたはクスっと笑っている。この方がユーモアの練習としてはいいでしょう。落語は、「なんて悲惨な」っていう話が、距離を置いて観察するおもしろさに変えてあるんです。漫才はやめた方がいいですね。ハリセンで叩いたりして、相手をいじめるでしょ。あなたが見たらたぶん、傷ついてしまうでしょう。落語で笑うのが良いですね。笑いというのは、すごい効用があるんです。笑うだけで自己免疫力が上がるという説もあるくらいです。鏡見て筋肉の練習するより、はるかにその方がいいでしょう。 

 そして表現してください。ここへ来て、こうして「僕は………」って話すだけで、これは立派な表現だし、あなたの作品です。また来てくださいよ。来て、また同じような話をしてください。今度はもっとびしびしとイヤなこと聞きますよ。私は一生懸命に君に質問して、聞く。君は誠実に答える。こういうことをやりましょう。

※斎藤学へのご質問を受け付けています。[こちら]でご質問をご記入の上、送信して下さい。可能な範囲で記事中でご回答いたします。

斎藤学の講座・ワークショップ

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斎藤学ワークショップ12/3、414:00〜20:00
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31,500円一般東京新宿
斎藤学オープンカウンセリング18:30〜20:303,000円、5,000円一般東京麻布
親のための家族相談18:30〜20:303,000円、5,000円一般東京麻布
斎藤学による木曜ミーティング12:00〜3,000円、5,000円一般東京麻布
危機介入の技法18:00〜20:005,250円、7,350円専門東京麻布

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2005年10月20日

公務員やめました(拒食症、抜毛癖、爪かみ、冷房病、過食症)

相談者からの質問

image051020_1.jpg 私は、10年ほど公務員をしていました。まわりから見たら、気楽にやってるように見えるのですが、結構、変なふうに気負ってしまうところがあるらしく、ちょっとずつストレスをためていました。
 まず、5年前、少人数の部署から大人数の部署に移ったとき、一気に体重が減ってしまいました。それまではドカ弁もって勤めに出てたのに、胃にものを入れること自体汚らわしいような気がしてしまって、全然食べられなくなりました。昼はだるくて、体が持たないのでよく医務室で寝ていました。すると夜は目がさえて、また昼だるい。こんなことを3年も続けてしまいました。
 それから白髪になってしまって、脱色したり染めたりしていました。そうなると、髪の毛が気になりだして、ごわごわの髪の毛を探しては抜くようになっていました。

 職場でストレスをためたのは、たぶん、こういうことだと思います。学校時代は、先生や親が、「これが正しい、人間はこうあるべきだ」ということを教えてくれます。それをならってまじめに守っても、社会に出てみると、全然違う不文律みたいなものが支配していて、公務員だというのに、上の人が、何につけ、自分の都合でいろんなこと動かしちゃったり、勝手に変えたり、そんなことを目にして、「大人って何なのだろう」って、もう私もいい年でしたが思いました。
 そういうことにだんだん気付きながらもだましだましやっていたのが、とうとう破裂してしまったみたいなのです。
 異動してから、よく、父親くらいの年の上司とケンカするようになりました。職場の他の人たちも、陰では「これ、おかしい」ってこと、よく口に出すんですよ。でも、決して表沙汰にしない。そのうち上司ににらまれて、何かあると私が呼び出されて怒られるようになってしまいました。ある時は、気を利かせたつもりでやったことで、「上司の机を勝手にさわるな、手癖が悪い」と60人くらいの人が見ている前で、つばをガンガン飛ばされて攻撃されちゃったりして、怒鳴られながら気が抜けてしまって、気がついたら、4階の部屋から飛び降りそうになっていたのでびっくりしました。
 これをきっかけに病院にかかったのですが、「解決」の糸口は見つからず、「2週間、お休み」の診断をいただきました。こんなわけでどうにかこうにかやりすごし、再び異動がありました。

image051020_2.jpg 新しいところで今度こそがんばろうと思ったのですけど、やっぱり同じ問題に遭遇して、今度は冷房病と過食症になります。今度の天敵はパートのおばちゃんたちでした。例えば、「女子がお茶くみをする」という風習がありますが、私は別にいまどき「女性の権利を!」とかって声高に言うつもりはないのですが、でもそれってどうしてそうなのだろうと素朴に思って、ミーティングの場で「お茶を入れる意義について話し合いません?」って明るくいったら、「そんなにお茶入れるのがイヤなわけ」とぴしゃっと片づけられてしまって。ぶつかってばかりです。
 当時の上司の方は、女性で、私の話を割合よく、ふんふんと聞いてくれました。でも、結局、自分でわかる範囲でしか受けとめてもらえない。何か私が言ったことで、そこから何か考えてくれるとか、そういうことはなくて、しまいに、この上司も、私のことを「怠けてる」と思って嫌うようになります。

 拒食症の時に白髪をきっかけに始まった毛抜きぐせで、いまも、ちょっとうすらハゲがありますし、過食では一気に10キロも太ってしまいました。拒食の時には爪がぼろぼろになってしまって、今も甘皮みたいなのしか生えていません。それを、イライラしたときなんかに自分でかみちぎったりして、自虐的な行動をしてしまいます。

 それで、とうとう公務員を辞めました。スッキリしました。やめて、新しい出会いもあったし、自分がやりたかった仕事にも気づけたし、こうなってしまったことも、結局は、「いい機会」だったのだと思えるようになりました。
 でも、まだだめなのです。大きな壁の前にいます。いまだに髪の毛を抜くし、吐きます。人間ポンプみたいに。時には水を1リットルくらいがぶ飲みして、胃を洗うみたいにして全部はきます。どうしてなんでしょう。何が足りないんでしょう。この壁から出るにはどうしたらいいのでしょう。とりとめのない話ですみません。

斎藤学からの回答

 いや、とりとめありますよ。あなたは要するに、「ポリアディクト」といって、過食もやってるし、拒食期もあったろうし、抜毛癖も、爪噛みもあるし、どれも中途半端ではあるし、「アディクションのデパート」とまでは行かないけど、「アディクションのコンビニ」くらいの品揃えの人です。そしてまた、これらのアディクションは、あなたを救うためにあなたが自分の中で考え出した治療法なのです。ただ、身体に優しくないのですね。

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image051020_3.jpg 中途半端といったのは、アディクションも極めるとすごいのがいますから。抜毛癖で言うなら、まず、抜毛の女王といえるのは、詩人の伊藤比呂美さんでしょう。彼女はただ生えている毛を抜くのでは満足出来ないそうで、皮膚のしたにうっすら沈んで身を隠しているような毛を引きむしってほじくって、毛根の油をなめるのだそうです。
 その人に聞いたのですが、なんでも、「切腹」というアディクションもあって、そういう人が集まったパーティーまであるそうです。白装束を来て、作法に従って、刀を取り、腹をくつろげて、スーッと切るのだそうです。介錯人も後ろに立ちます。本当に介錯したら死んでしまいますから、立っているだけですけれど。ここまで来ると「病膏肓にいる」ってかんじですが、こういう同好の人たちで集まって、趣味を語り合い、競い合ったりする。そういう世界もあるわけで、人間なんて、どういうふうに自分の人生を定めるかってことは色々あっていいわけです。

 あなたは、公務員を辞めてしまったわけですが、でもたぶん、このことは、あなたがステップアップするためには必要なプロセスなのでしょう。公務員をやっていると、伸びていけません。あれは巨大な卵みたいなものですから。私も長いこと公務員をやっていましたからわかります。開業医になって、はじめて世の中の人の道理というものがわかりました。恐ろしいことです。もっと早く、役所や大きな組織を抜け出て、自分の立っている船板の下に波音を聞く生活をするべきでした。あなたはこれからいろいろな苦労があると思いますが、そういう点では、私はあなたが公務員をお辞めになったことを喜びます。

 あなたは親の話をしませんでしたが、あなたが今ある状況の、その背景にあるものは、7割方、親との関係にあります。
 え? さっきの方には、「親の責任は3割だ」と言いましたか? 
 私の言うことは、相手を見てころころ変わるので気にしないでください。

 あなたは父親くらいの年の上司と衝突したことを話されましたが、同じような関係が親との間にもあるのではないですか。ご両親は公務員になることを喜ばれましたか? 
 ふうん。なるほど、堅いおうちですね。公務員になることを重んじるおうちは「堅い」ですよ。いい子だなあ。そうやって親を喜ばせてきたわけですね。したに兄弟がいらして、長女だし、お父さんお母さんのご機嫌をとる、家族内の調整をとるってこと、あなた知らないうちにきっと頑張ってやってらっしゃった方だと思うのです。公務員としての職場での話よりも、長女としての家の中の役割が相当重い人なのではないかなと思います。細々したことにエネルギーを使って、ボーイフレンドだとかそういう方面には関心が閉じられてしまっている。 

image051020_4.jpg まあ、それはさておき、そういうわけであなたの場合、「冷房病に感謝」ですね。身体は正直ですよ。自分がいくら親の「いい子」やってたって、身体がいうこと聞かない。あなたは冷房病といったけれど、妙な重苦しさと、あなたの中の怒りとか、抑圧されることへの反抗だとか、そういったものがたまっていて、とてものことその雰囲気の中で「お茶くみ会議」なんかやっていられなかったわけです。たぶんそれは、あなたがもっとフィットする場所が、あなたのことを呼んだのです。それが何かはわからないけれど、これから発見するでしょう。

 それから、ひとつ。今ほど女性が拘束されている時代はありませんよ!「いまどき、声高に女性の権利を、というつもりはない」なんていうのは、いまどき完全に時代遅れです。テレビコマーシャルひとつ見てご覧なさい。あなた方はフケ1つ落とせない。「デオドラントなんとか」を使わなきゃ臭い、っていわれてます。それにどうでしょう、子ども1つ、生みたいときに生めないじゃないですか。

image051020_5.jpg それはさておき、抜毛癖、過食症といったあなたのお友達たちをむげに敵に回してはいけません。爪が「噛まれたい、噛まれたい」って呼んでいる。だけど爪を噛むと痛いから、これからは爪をなめるのにかえる。爪かじりを鼻ほじりにかえる。お肌の手入れにかえる。癒し系のものがいいですね。アディクションの種類は減らすのではなくて、増やす方がいい。1つに絞って「アルコール一筋」なんてことになると、病院が待ってます。体に悪いアディクションから、体にいいアディクションに変えていく。でも、爪を噛むのにはお金がいりませんが、フットマッサージやお肌の手入れに行けばお金がかかります。でもここは、「それでも気持ちいいことは私にとっていいことだ」という方針にした方がいい。

 公務員をお辞めになったことを「ステップアップ」だと言いましたが、ステップアップというのは、いわゆる「ナントカ資格」をとるとか、そういうふうに考えてしまうとつまらない。いちばん肝心なのは、価値の転換みたいなものを、自分の中に起こしていくことだと思います。

※この原稿は「斎藤学オープンカウンセリング」(火曜日18時30分〜20時30分、東京麻布、予約不要)での相談者と斎藤学のやりとりをもとに作成されました。
※斎藤学へのご質問、ご感想を受け付けています。[こちら]にご記入の上、送信して下さい。質問については斎藤学が可能な範囲で記事中でご回答いたします。

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2005年10月24日

人と親密になれない

相談者からの質問

◇32才男性
image051024_1.jpg 私には2人母親がいます。実母と継母。私は3歳で養子に出されてしまったのですけれど、継母が「子供ができない」という事情でもらわれたそうですが、どうも強引に引き取られたような事情があったらしいです。先月、実母のところへ事情を訊きに行ってわかりました。

 養子にいってから養父は死んでしまって、母一人子一人の家庭になり、養母が夜働きに出るようになりました。「学校から帰ると私一人きり」という育ち方で、今思うと「隔離された」ような育ち方だと思うのです。「そんなの隔離じゃない」という意見もありますが、「半隔離だった」と感じています。うちに帰って誰もいない。一人で晩ご飯食べて寝る生活が4歳から18歳くらいまで10何年間続きました。親の愛情を知らないで育った気がします。そのうえ、たたかれたりもしましたし、愛された感覚がないし「家族」という感覚が持てません。

 中学時代にはいじめも受けました。大学までは地元にいたんですけれど、こんなところにいたんじゃしょうがないと思って就職で東京へ出てきたのですが、やっぱり何をしても人との関係もうまくいきませんし、行き詰まってしまう。最近はもう限界だ、死にたいという気持ちになってしまいます。「手首切ったら気持ちがいいだろうな」とか、「あと三歩前に出たら線路に落ちれる」とかいう思いがよぎってしまいます。
 けれど、できればそういう思考の輪から抜け出したい。でも難しくて。

image051024_2.jpg 先月思い立って、実母に会ったのは、実母からはがきが来て、膵臓を病んで入院すると知ったからです。死なれる前に話を聞きにいこうと思って、半ば強引に会いに行ったんです。
 僕を手放した時の実親の事情をいろいろやっと聞けて、それで少し自分も変わってきたのかなと思うのですが、それでもやはり頭の中が混乱してきて「限界だな」と感じてしまいます。もし継母に会っても、たぶん今は爆発して文句しか言えないと思います。とても混乱しているぼくが変わる可能性はどのようにしたら見つかるでしょうか。

斎藤学からの回答

image051024_3.jpg 斎藤:いろいろなカウンセリングを受けられたと聞いています。でもあなたにとって一番効果があったのは、セラピーよりも実母に会って「なぜ私があのような子供時代を過ごさなくてはいけなかったか」について説明を受けたことなのではないですか?
 もしそうだとすると、そのことに絡んだ糸をたぐっていくことが、あなたの「なぜ私は生きなくちゃいけないか」という疑問に答えることになると思います。先月お母さんにお会いになって、あなたが「強引に引き取られていって、まるで自分たちから奪われたようだった」とお聞きになったことは、あなたにとって大きな救いになったろうと思います。

 あなたは2人の女性に望まれた子で、片方の女性が片方に勝って、あなたを奪い取っていったわけですね。今のところ、あなたが紡いでいらっしゃるご自分の物語は、「他人に人生をいじられ動かされ侵入された子ども」という物語でしょう。それでそのことについて非常な怒りをもっていらっしゃる。怒りと抑うつはコインの裏表ですから、実はあなたは怒っているのです。その怒りは冷たかった養母に向かって出したいのですが、養母に会ったらよけい気分が悪くなるので出せない。多分、あなたにとって養母はおそろし過ぎるのでしょう。

----------------------------------------------
 継母への怒りについて、あなたはどの程度認識していらっしゃいますか? たとえば 空想の中で、殺したり、やっつけたりする場面を思い浮かべることはありますか。
 そう。部屋をぶちこわしてやりたいとか、養母の大事にしていたアクセサリーなんかを壊してやりたいと? それをワークショップなどで表現なさったのですよね。それでも、あなたの気分は変わらないと。
image051024_4.jpg そうですか、それはまだ、感情の認知が抑制されているのだと思います。認知していても表現が抑制されているのかもしれません。
 するとやっぱり、これは練習ですね。感情表現も練習です。「怒りの放出」とそれに伴う「悲嘆の仕事」をちゃんとやられるのがいい治療になると思う。ただこれは、ワークショップで一回わーっと泣けばいいという問題じゃないんです。この怒りを統合して新しい物語に転換していくときの種が、一月前の実母との出会いだと思います。

 「人に運命を決められてしまった悲しい子供の物語」じゃなくて、「二人の女の取り合いになった玉」としての自分ですよね。「宝石」としての自分。「輝くもの」というイメージを自分の中にどれだけ植え込めるかということです。輝きのイメージを子供はもてるから、光を外へ出せるんです。それを失うようなときに人はだんだん衰弱していきます。あなたは自分の中の何を光と考えることができますか?
 光と言われてもわかりにくいですか?  他人に示せるもの、誇れるもの、「僕はこれで生きているんだ」と思うもの、人に魅力的だと思われるもの、何でもいいからあげてごらんなさい。

 ──そうですね、ACの仲間のミーティングで、真冬にうちから追い出された経験を話しましたら、それ聞いてくれた仲間が「共感した、泣いた」と、後から言ってくれたんです。「力をもらえた」といってもらえて。後から仲間にいわれて気がついて、僕も人に力を与えたのかなと。

斎藤;あなたの中に自然に備わっている力の一つに気づいたということですね。もっといろいろな力があなたの中にあるのに、気づかれませんか。

 ──うーん。自分で「力だ」と思えるようなものは、何も。

image051024_5.jpg斎藤:彫刻家というのは石をモデルにあわせて彫っていく仕事じゃないんですってね。本当の彫刻家は、石にはじめから彫られている物体をとり出していくんですって。訓練を続けているうちに木や岩から自分がほしかった物体を取り出せるようになるんですって。つまり、彫り込んでいくんじゃなくて、余分なものを捨てて、取り出していく作業なんです。
 いま、あなたという素材から、あなた自身がどういう像を掘り出すかという仕事に、これからかかるんです。たぶん、自分で考えているような自分とは全然違う自分がいることに、あなたは気づいていない。たしかに光っているのに、あなたは「何が光ってますか」と聞いても答えられないですね。それを、ある話をしたときに泣いてくれた、そして人がそれによって力づけられたといってくれたということを、他人という鏡に映してわかったわけです。
 この話に「私もそういうところ多いな」とお思いになる方、沢山いると思います。そういうことを一言でいうと「自己評価が低い」ってことじゃないでしょうか。他人が気づいてることが自分には見えないということです。

 私にいわせれば、あなたという人は、こんな生活史の中で、大学まで出て、就職して生活して、そしてこの場所を自力で探し出された。すごい力だと思う。「今の状態はおかしい、なんとかしよう」となさってる。

 私はあなたの物語は今日初めて聞いたんで、今日以後はあなたの変化に関心を持ちます。こういう場合に人がどのように「自分」にたどり着くかということは、私にはとても興味深い。人のことを興味深いなんて言って失礼だなんて思うかもしれないけれど、私はそうは思わない。
 人が人にしてあげられることはせいぜい関心を持つことです。自分に関心をもって見ている人の存在を信じることができるということは、あなたの回復を助けます。
 よかったら、私に「あなたに関心をもって見つめるもの」としての役割をください。関心を持って見ている。それ以上のことは、すべてよけいなことだと思います。親が子どもにしてあげられることも、それにつきます。そう考えると、あなたは一番効果的な形で継母に復讐してますね。「姿を見せない。音沙汰ナシ」と。

 養母に会いに行くタイミングですか? あなたの中で継母との出会いを求める気持ちが動きますか。ありますか。まだでしたら、自然に任せておいたらどうですか。会う必要やタイミングは、自分が知らせてくれますよ。そういうときは「いてもたってもいられない」という感じがしてきますので、何にもしなくても体がお母さんのところにいっています。それが出てくるまでは無理に行く必要はないでしょう。

image051024_6.jpg あなたには、巨大な穴ぼこがあるんです。それが埋められないとつらいんです。うめるのは対象です。でもそんな対象は手近に見つかるわけはないので、いまセラピーを受け持っておられるセラピストとの出会いを大事にしてください。というのは、そのセラピストとのスーパービジョンを通じて、私にあなたの情報が伝わってくるからです。私にインプットされる情報量が多い方が、私があなたのことを考える時間が増えます。直接のお手紙も歓迎します。それから時々こういうところであなたの姿も見ましょう。これが観客としての私の仕事になります。

 人を求めてください。グループの仲間を含めて。特に「親密な他者」を作ってください。これはすごくむずかしいことです。人とは親密になろうとしてすぐなれるもんじゃないですね。親密そうに寄ってくる人のほうがかえってあぶなかったりします。だれか子分がほしくて寄ってくるという人がわりと多いですから。
 「親密な他者」の役割をお金で買えるのが、セラピストです。セラピストは「親密な他者」を時間売りしてるんです。そんなこというとみなさんシラケてくるかもしれませんけれど、そういうものなんです。そういう関係の中で、親密性を練習していき、だんだん本当の親密な他者を得る方法を身につけていくのがセラピーなんですね。

 私もそういう職業のものです。あなたの親密性を引き出す能力に、素人よりも長けています。そして、私からあなたが何か学ぶものがあるとすれば、それはそういう能力の付け方です。親密な他者との間では、あなたはそういう経験がないから知らないだろうけど、一緒にいて不安感を持たない。侵入されたり、限界をもたれたり、座ったとたんに去られたり、そういうことはないんです。何やっても怒らないってわけじゃないですよ。「あなたのそういう振る舞いは嫌いだ」なんていったりしますが、しかし、一定のルールの中では安全な存在であるものが「親密な他者」です。

 たぶん、こんなこといっても、富士山のてっぺんの景色を御殿場で話しているようなものだと思うけど、ですけど、これから歩いているうちに必ずそういう関係が私との間に出てきます。つまり、親密な他者はいないと寂しいんですよ。あなたにはいないから、あなたは今、本当の寂しさをわかっていない。私というものと、うんと深く、魂のレベルでですよ、深く結びついてから私を失ってご覧なさい。そうしたら今の気分がどんなに寂しいものだか、そのときわかる。こういうものが親密な関係というのです。

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2005年10月26日

「母なるもの」について(感想)

読者からの感想

 斎藤先生こんにちは。
 このブログへは質問だけでなく、感想についても受け付けていただけるということですので、ペンをとりました。10月20日付けのブログを読んだあとに、最近の自分の身に起きたことなどを考えあわせて気づいたり思ったりしたことについてです。

 image051026_1.jpg先日監査がありました。
 わたしの仕事は会計です。日頃からそうですが、「監査のために仕事をしている」のではないかと思うことがよくあります。
 「監査でひっかかったらどうする」とか、「そんなんじゃ、監査で言われちまうぞ」というのが、上司の脅し文句、仕事の動機付けのようになっています。
 子供を叱る母親が、「そんなことをしたら、お巡りさんに連れて行かれちゃうよ」とか「ほら、あの怖いおじさんに怒られちゃったじゃないの」というのと同じです。なぜその行為がいけないのかが、説明できないのです。

 監査が近づくと、わたしの所属する課は上司ともども、緊張に包まれます。そして、監査で指摘事項があると、さあ大変、それが余分なものであれなんであれ、「つじつまのあう」ような書類づくりと書類集めに振り回されます。そのために、「速やかにお金を支払う」という大事な事務が2の次になることさえあります。

 普段は、窓側の席で、えへんといばっていても、上司にとっては、監査委員は「母親」なのかもしれません。母なるものからの批判を恐れ、「よくできたね」というお褒めの言葉を期待しているのかもしれません。そしてその上司をまた「母」にして、しっかりものの「長女」としてふるまい期待に添おうと、課全体をとりしきりたがる同僚もいたりして……。

 わたしはというと、治療者を母代わりにし、やっぱり同じように頭をなでてもらおうと一生懸命でした。治療者もまた、医師免許や、患者からの羨望のまなざし、賞賛の声を「母なるもの」にしている場合もあるかもしれません。(ただあまりにも依存されると、侵入する母を思い起こさせ、振り払いたくなるのかもしれませんが。)

----------------------------------------------
image051026_2.jpg 斎藤先生がよくおっしゃっているように、みんながそれぞれに自分の中に、「母」なるものをもっているのですね。ある時はそれが批判する母だったり、自己評価をあげてくれるものだったりして。みんなが母親を求めていて、実際に「母」になりたいと思って居る人なんていないのかもしれません。

 わたしは、女性との間で感情的にこじれる傾向があります。わたしの中にある、母という役割を担った女性に対する抵抗感の影響のような気がします。
 女性は、他人の面倒をみたり世話をしたりするものですよ、というふうに有言無言のうちにしつけられているので、「自分のことが1番大事」とはなかなかいい難いです。そのため、「これはあなたのためを思って言っているのよ」とか「困るのはあなたなのよ」といった大義名分でうまくカモフラージュしようとします。
 本当は自分のことでいっぱいいっぱいなのに、そうやって他人の分まで過剰に責任とろうとするので、ついヒステリックだったり、威圧的だったりして、かえって恐怖心や不安感を相手に植え付けたり、畏縮させたりしてしまうのです。

 わたしも、一応、女性はこういうふるまいをするものですよ、というしつけはされましたが、そうした表向きのメッセージよりも、むしろ、「どうして女だからって、おさんどんしなくてはいけないんだろう!人の世話ばっかり!」という、母親の心の中に隠された、空虚感や怒りの方をより多く受け継いだような気がします。
 なので、本当にささいなことですが、職場でのお茶汲みは放棄し続けて2年余り、宴会で料理が鍋の場合は、具材の盛られたトレーの前に座らないなど、どこかで女性の役回りを避けようとし続けてきました。

 わたしもまわりの女性も、みんな同じ、「母という役割を担うように期待された生身の女性」なんだというふうに、ちょっと共感をもって、ながめる事ができれば、やたらに大きくて怖い母親像を、自分の中につくらずにすみ、随分と楽になるような気がしました。
(42才女性)

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2005年10月27日

さびしさの効用(一般質問)

読者からの質問

◇22才女性
 私は現在22歳で派遣社員として社会人をしております。
 お金もたまったところで、一人暮らしを始めますが、一つ心配なことがあります。
 それは「寂しさ」の問題です。

image051027_1.jpg 一人になると、心がキューっと絞られたような息がつまるような切なさが発作的に起こり、ぼろぼろないてしまうのです。
 これにより感情のコントロールがきかなくなりちょっとした物音にも震え上がり、しまいにはその物音に抵抗するかのように、物に当たり出したりします。一時期は手の甲に打撲の跡をつくり、友人から怒られました。

 私の幼少時代を話しますと、私が生まれてすぐ、家が火事になり、ショックで口も聞けなくなり小さい頃から私は「解離」していたように思います。
 母はヒステリックなひとで、おやつジュース類は一切口にさせてもらえず、曾祖母がくれたおやつを口にしようとしたところを目撃され、取り上げられたときに「鬼婆!!」と怒鳴ったら追っかけられて殴られたことが記憶にあります。

 母は私の頭のてっぺんをよく殴るひとでした。それは私が抱擁を求めたとき、話し掛けたとき、物をねだったとき、全てにおいて私は母から否認のメッセージを受け取っていました。

 母との関係で「安心感」や「自分はありのままでいい」という価値観や、「〇〇を取って」といっても人は反応してくれないといった、人に対する不信感を根底に抱えています。そのせいか、休日にどんなに人と接していても「実感」がありません。ありのままの自分で接することができないから、結局寂しさを抱えてしまうのだと思います。そしてその感情がこの年になり、爆発しているのだと思います。

 自分にとってどうすることが一番よいのかわかりません。きっと斎藤先生は「こうしなさい」という教示をされることはないと思いますが、私のこの内容が、他の方がされるお話と合致する点、共通する点がございましたら、併せてご解答していただければ幸いです。

 長々と失礼いたしました。

斎藤学からの回答

 私の著作の中でさびしさの効用について書いた本に『自分のために生きていけるということ』というのがあります。この本のタイトルは出版社がつけたもので、私としては「退屈の精神病理」について書いたつもりでした。

 退屈とは、「さびしさ」の感情の防衛として生じるもの、そしてさびしさには「大人のさびしさ」と「子どものさびしさ」があり、前者は創造の源で、人間にとって欠かせないもの、後者は赤ん坊のオギャー(欲求不満の表現)で、これも生き残りに欠かせないもの、という内容です。

 お手元にあれば読み直してください。なければ買うなり、借りるなりして読んでみて下さい。
斎藤学

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2005年10月28日

癒えぬ虐待の傷(声)

読者の声

◇56才女性

 私の父母は身体的な虐待も、性的虐待もやってくれましたが、それらは何とか乗り越えられた気がします。(たぶん)
 大きな手で、目一杯頭を殴りつける父に対する怒りは、長い間消えなくて、バットとか棍棒のようなもので、父の頭をおもいきり殴ってやりたいと思っていました。
 子供のわたしにとって、大の男の父親の拳は、棍棒に匹敵するものでした。

image051028_5.jpg しかし、ようやく面と向かって怒りをぶつけられる年齢になってみると、父は老人でした。
 弱いものに、暴力は振るわない!!それは私の信念です。
 というより、あの父母と同じ人間には死んでもならない!!それが、ある意味私の全てです。
 あの親たちと私が同じことをしてしまったら、私には生きる意味など無くなってしまいます。
 私を支えている何かが、消えてしまいます。
 だから、私は子供を叩かなかった!!

 性的虐待は、嫌な記憶となって私を苦しめてきました。
 男の人に対して、身構えずには、話すことさえ今も出来ません。
 安心できるのはほんの少数、夫、弟、精神科の先生、、、位です。
 でも、それらの人々に対して安心して話が出来るなら、後何を望むでしょう。
 私にとっては、充分です。

 精神的虐待は、今も色濃く影を落としていて、なかなか払拭出来ませ。
 親の言うことを何でも、はいはいときく、、、ということを、スパルタ教育(父はそう豪語していた)で、叩き込まれました。
 親の言葉に疑問を感じない小さな頃はともかく、世間のひとと親の言葉とにギャップを感じ始めると、それは大変な苦痛をもたらしました。
 また、親の言う通りに行動しても、それが世間的に認められない、、、悪い評価をうけることすらある、、、という事態さえあって、ぐちゃぐちゃに傷ついているのに、親だけが満足してたりして、どうしたらいいのか途方にくれる事も、度々でした。

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 一例を挙げると、父は釣りが好きでしたが、餌を買わずに釣りに行き、小さかった私に、川辺で釣っている人の餌箱から、みみずやゴカイを盗らせるのです。
 木で出来た餌箱や、ぐちゃぐちゃするミミズの感触まで、はっきり覚えています。
 買ってもいくらでもないものでしょうに。
 取られたひとが怒ると、「こいつが勝手にやった!手癖が悪いんだ!」と、父が私を思い切り殴るのは、お約束のとおり。
 ミミズやその程度のことは、親がやらせているとわかっていても、ひとは大抵黙ってしまいます。
 年端が行かない子供が、殴り倒されているのを見れば。

 父にはいえない苦情を、私を叱る形にして言う人もいました。
 「りっぱな親だ!!」と、子供には理解できない皮肉を言った人もいました。
 うまく盗めば、父は悦にいって私を褒めてくれました。
 私が、こういう事柄を、心の中でどう処理していったらいいのか、誰も力になってはくれず(無論母も)、私は、人を観察することで、物事の因果関係を学んでいった気がします

 私はぼんやりした子供ではなかった。
 ぼんやりした子供で、親にあまり疑問を感じなければ、もっと苦しくはなく、少なくとも精神的には楽だったと思います。
 あるいは、もっと賢く、心の中で親を馬鹿にして、表面従うふりをして、その場その場をしのいでうまく立ち回れば、これも楽だったと思います。
 私はどちらでもなかった。

 実に苦しい年月があって、私はひとが怖い!!
 誰が何を言い、何を思っているのか、いつもいつも気にして生きざるをえない状態です。
 近所付き合いも、スーパーやデパートへ行くのも、気力が要ります。
 幼い頃からの、息を詰めるような生活が私にもたらしたもの、、不安、、、ひとが私を見つめる目の怖さ、、、。

 親を念力??で殺せるものなら、殺してやりたい、、、。
 心のエネルギーでは、残念ながら人は殺せない。
 毎日毎日、身体的暴力を伴う精神的暴力で、私を痛め続けたあの人たちが、何の反省も無くのうのうと生きている。
 物心付くやつかずのころから、その被害を受け続けた私は、今も日常生活の中で苦しんでいる。
 
 神や仏は信じません。
 あんまり理不尽な事が、多すぎます。
 私事に限らず。
 あの人たちは、最低限の恩恵を最大限の言葉で飾って恩を売り、出来うる限りの暴力行為をさっぱりと忘れはて、今私を、親を見捨てた冷酷な鬼!という。
 あんなひと達死んでしまえ!と願うのは、間違いなのでしょうか?
 あの人たちがこの世から消えたら、私ははじめて、あのむごい記憶の数々を過去の事と位置づけられる気がします。
 そうなのか、そうでないのかは、今の所私には分かりません。
 今も私の悪口を言うことで、弟家族に擦り寄って、仲良しごっこを演じている親、、、、。
 まだまだ、過去の事、、過ぎ去ったことと、処理できないでいます。

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2005年10月31日

男なんて大嫌いです(声)

◇41才女性

image051031_1.jpg 斉藤先生、こんにちは。
 過食嘔吐のことではなく、男性不信について、どうしても処理できない経験があります。オープンカウンセリングで話すことができないので、メールで話させてください。ご迷惑でしたらすみません。

 高校3年生のときのことです。東京の大学を受験することに決めて大学の近くで模試を受けたあと、9時の最終新幹線に乗りました。禁煙車両はほとんど人が乗っていなくて、私は真ん中くらいの窓際の席に座ったと思います。

 横浜でビジネスマン風の背広に身を包んだおじさんが乗ってきました。席はたくさん空いているのに、なぜか私の横に座ったのです。一見まじめそうな人でしたが、息が荒かったので疲れているのかな、くらいに思っていました。
 ところが、しばらくして息が聞こえなくなったころ、突然スーツケースの下から手をしのばせてきて、私の下着の中に手を入れて、大切な部分をかき回されたのです!
 私は頭の中が真っ白になって、声を出すことすらできませんでした。ただ涙があふれでてきて、心の中で「助けて〜!助けて〜!」と叫んでいました。
 そのおじさんはびっくりして「ごめん…」といって[地名]で電車を飛び降りました。私はひくひく泣き続けた後、[地名]に着くなり、母に電話をかけて駅まで迎えに来てもらいました。
 今まで一度も抱きしめてもらったことのない母でしたが、そのとき初めてぎゅっと抱きしめてくれたのを憶えています。私は花畑の編みこみをしたお気に入りのセーターを着ていましたが、そのセーターは帰ってすぐハサミでずたずたに引き裂きました。

 その後、男性に関しては嫌な思い出ばかりです。大学一年のとき住んでいた学生会館に無理やり入ってきた同級生、コンパが終わった後(夜11時過ぎ)バスにひきこんで下宿に連れて行った男性、痩せて旅先で放浪しているとき、ホテルの部屋に入ってきた2人組の男…。そして、病院で私をぞんざいに扱った医者や看護士たち…。
 勉強のための合宿で一番尊敬していた先輩が、酔っ払って女性の品定めを始めたときはもう唖然としてしまいました。

 私は多分、男の人を求めながら、心の底では男性を憎み、疎ましく感じているのだと思います。お酒に酔っ払って殴って、女を商品として扱う…男なんて、そんなもんなんだ、結婚したら不幸になるだけだ…どこかにそんな気持ちがあります。本当は男なんて大嫌いです。

 私は父から身体的暴力を受けていましたが、性虐待を受けたことはありません。
 家庭では「性」に関して口にすることさえタブー視されていました。私は性に関しては普通の人よりずっと遅れていた(今も)と思います。

 高校時代は同じ部活の男の人とお付き合いしていたのですが、電話がかかってくると必ず父が出て怒鳴り散らして切ってしまう、だから相手の人も次第に遠ざかっていきました。幼なじみでも、女の子は取り次いでくれるのに、なぜか男性からかかってきた電話はきってしまう。
 だからいつも「A子の家には怖くて電話をかけることができない。」といわれていました。(姉は勉強に没頭していて男女交際など全く関心がないという様子でしたので、姉にかかってきた電話は普通に取り次いでいたのです。)

 母にはとっくに見切りをつけているし、過食嘔吐を手放して誰かと親密な関係を結びたいという願望もあります。でも、心のどこかに男の人は危険だ、近づかないほうがいい、という気持ちがあります。
 捨てたいのに、母も、過食嘔吐も、手放すことができません。
 夜の外出もできません。お酒のにおいがする電車に乗るだけで吐き気をもよおしてしまうからです。
 やはり、私は重症だと思います。でもどうすることもできないのです。

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