カテゴリー「エッセイ」の一覧

2006年06月08日

このブログで書いていきたいこと(1/2)

iimage060608.jpg 3万2552人。何の数字だと思いますか? 実はこの6月に警察庁が発表した自殺者数です。日本の自殺者数は1998年から8年連続で3万人を超えています。

 自殺者数の推移と完全失業率の推移がほぼ同じ動きを見せることはよく指摘されていますが、日本は第12回世界精神医学会(2002年)の推計で実質自殺率世界第1位と言われた国でもあります。
 「格差社会」などと言われて久しくなりますが、日本は世界的にみればまだまだ裕福な国です。それにも関わらず、なぜ、こんなにも幸せになれない人が多いのでしょうか?

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 臨床の現場にいると、自殺の多さを裏付けるような辛い毎日を生きている方々にお会します。相談内容はさまざまですが、クライアントさんと向き合っていて感じるのは、それぞれの方が抱えている孤独や寂しさ、そして絶望の深さです。

「だれも話を聞いてくれない」「辛さを分かってくれない」「ひとりぼっちだ」・・・そんな悲痛な声が聞こえてきます。いったいなぜ日本は、こんなにも生きづらい社会になってしまったのでしょう。
(続く…)

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2006年06月12日

このブログで書いていきたいこと(2/2)

(続き)
image060612.jpg 人間は関係性のなかで生きています。社会から影響を受けずに生きている人など存在しません。
 「ひきこもり」という、一見、社会と隔絶しているかに見える人たちでさえ、日本社会の持つ歪みーー競争、効率化、親や社会の期待などーーと無関係ではありません。「社会の問題」を見ることなしに「個人の心の問題」を語ることなどできないのです。

 すべてを「個人の心の問題」と片づけてしまうことは簡単です。けれどもそれでは根本的な解決にはなりません。

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セラピーを必要とするひとり一人の生きづらさにアプローチすることはもちろん、そこから見えてくる「社会の問題」——ひとり一人が安心と自信と自由にあふれた人間関係をつくれない社会であるということーーを世の中へと戻していくことが重要です。
 それが「生きていてよかったな」、「毎日が幸せだな」と多くの人が思えるような社会へと変えていく足がかりとなるでしょう。

 多くの場合、「個人の心の問題」と「社会の問題」とは分断されがちです。最近の報道をみても、疑問はたくさんあります。
 たとえば「子どもの安全」についてのとらえ方。世間ではガードマンやGPS機能付き携帯電話を使って「いかに子どもを監視するか」ばかりが叫ばれています。けれども、そうした監視が子どもの心に与える影響についてはほとんど議論がありません。今、国会で騒がれている教育基本法や少年法の「改正」問題についても、しかりです。

 「社会の問題」が、現れやすいのは能力的にも経済的にもおとなに頼るしか生きるすべのない子どもの世界です。しかし逆に言えば、最も弱い立場にいる子どもが生きやすい社会とは、どんな人も幸せになれる社会、おとなにとっても生きやすい社会のはずです。

 そうした視点から、このブログは子どものことを中心に、「個人の心の問題」と安心できる人間関係をうばわれている「社会の問題」について書いていきたいと思います。

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2006年07月26日

沖縄の休日(1/2)

image060726.jpg 重たい話題が続いていましたので、今回はちょっと一息。

 先日、一足早い夏休みをいただいて沖縄の離島に行ってきました。日本列島のほとんどの地域では冷たい雨が降っていましたが、沖縄地方は台風一過の晴天続き。「気もちがいい」を通り越して「痛い」ほどの太陽が照りつけていました。

 旅のテーマは「何にもしないこと」。朝起きてひと泳ぎしたら、お昼を食べてしばし昼寝。日差しが弱まった頃、また海に出る。夜は泡盛片手に海の見えるテラスで食事・・・。それをただ繰り返し、頭も心もカラッポにして数日間を過ごしました。

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 私が初めて沖縄を訪れたのは94年。以来、10回近く沖縄へと足を運んでいます。世の中には年に5〜6回も沖縄を訪れる「沖縄フリーク」と呼ばれる人々がいるので、けして多い回数ではありませんが、のんびりしたいとき、疲れたとき、心をリセットしたいとき、ひとりになりたいとき、「行きたい!」と思うのは、なぜかいつも沖縄なのです。
 今回の沖縄旅行で出会ったひとり旅の女性も、「休みが取れると、つい沖縄に来てしまうんです。知り合いがいるわけでもなく、マリンスポーツをするわけでもないのに」と言っていました。

 沖縄には「チャンプルー」という料理があります。にがうり(ゴーヤ)などの野菜や豆腐、肉などを炒めた郷土料理です。
 もともとチャンプルーとは、沖縄の方言で「まぜこぜにした」という意味。そこから転じて、なんでもいっしょくたにしてしまうことをチャンプルーと言います。

 琉球時代の日本や中国、韓国、東南アジアの国々との交流、薩摩藩の支配(江戸時代)や日本政府の統治(明治時代)、アメリカ軍統治(第二次世界大戦後)などの関係で、異なるいくつもの文化を受け入れては融合・発展させ、独自のチャンプルー文化を生み出してきた沖縄らしい言葉です。

 そしてまた、チャンプルー文化は度重なる支配や悪税、戦争に苦しまされた沖縄の歴史を物語るものでもあります。
 でもそんな悲しい過去を持ちながらも、沖縄の人たちは、笑い、歌い、踊ることを忘れませんでした。「なんくるないさー(なんとかなるさ)」と言いながら、しなやかに生き抜いてきたのです。
 その力強さに驚いて、かつて島の男性に「もし今、どこかの国が攻めてきたらどうしますか?」と尋ねたことがあります。すると、彼はほんの少しだけ考えこみ、こう答えたのです。
「たぶん、きっとまた三線と太鼓をならして受け入れちゃうだろうね」(続く…)

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2006年07月28日

沖縄の休日(2/2)

(続き)
image060728.jpg 離島など沖縄の地方には、まだまだそうした「なんでも受け入れてくれる」雰囲気が残されているように思います。名前も知らない他人でも、目が合えば席を共にし、話が弾めば泡盛を勧め、盛り上がれば一緒に歌う。そう、「いちゃりばちょーでぇー(会えば兄弟)!」なのです。

 どこのだれかも問いません。今、時間と場所を共有しているというだけで、受け止めてもらえるような空気を感じます。
 そんな優しさ包まれると、体の奥から深呼吸できるようになって、コチコチになった心までがほぐされていきます。思い詰めていたことがあっても「てーげー(アバウト)に考えられるようになる」と言ったらいいでしょうか。

 こうした空気の“もと”になっているのは、やはり「何でも受け入れ合っている」沖縄の人々の関係性ではないでしょうか。

===
 今回、泊まった宿のオーナー夫妻は、まさにそんなお二人でした。宿を取り仕切っていたのは、働き者の奥さん。
 ご主人は、一見、いつも奥さんの言うことに従っているように見えます。でも、実は違うのです。お客さんの送迎や食材の準備、掃除など、ご主人がいなければ、とても仕事が回らないことを奥さんはよく知っていて、なんだかんだ言いながらもご主人をとても尊重していました。

 たとえば奥さんは「早い時間から飲み過ぎるのさ!」と毎日、怒っていましたが、夕方には必ず冷えたビールとご主人のマイグラスを用意していました。数日いると、「飲み過ぎる」と奥さんがプリプリするのも、実はご主人の体を心配してのことなのだと分かりました。

 そんな奥さんの気持ちを知ってか、ご主人はあまり言い返しません。でも、ときには「何で指図するか!」と、ケンカになったりもします。だけど、すぐに仲直り。大ゲンカした日も、夕飯どきには愛犬を間に挟んで、ふたり仲良く笑いあっていました。

 腹にためず出し合って、自分を主張しながらも受け入れ合う。ほどよい距離感を保ちながら、お互いを気遣っている。夫妻の醸し出すそんな心地よい雰囲気が宿全体に流れていました。

 たとえ生活が大変でも一緒に生きていく人がいる。飾らなくても、受け入れてくれる人がいる。そうした安心感があるからこそ、てーげーでいられるし、「なんくるないさ」と笑うことができる。
 オーナー夫妻のやりとりを見ながら「そんな人間関係がつくりだす優しい空気こそが、私が沖縄に惹かれる理由なのかもしれない」と、考えた休日でした。

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2006年09月11日

子ども時代と人生(1/5)

image060911.jpg 火薬の袋貼りは容易の仕事じゃないらしいね。さぞ肩も張るだろう。ほんとうにお察しする。しかしあまり無理しないがいいでしょう。無理するとやはりからだに障るよ。
(昭和19年10月10日付)

 冬になって水が冷たくヒビ、あかぎれが切れるようになったとの事、本当に痛わしく同情します。水を使った度に手をよく拭き、熱くなる程こすって置くとよいでしょう。又燃料節約で風呂が十日に1遍とは、昨年の今頃と比べてほんとうに可愛そうに思います。
(昭和19年12月11日付)

===
 これらは、硫黄島で戦死した栗林忠道陸軍中将(死後、大将となる)が戦地から妻に宛てた手紙です(『栗林忠道硫黄島からの手紙』/文藝春秋より引用)。栗林は、太平洋戦争中最も激しい戦闘が行われた硫黄島に赴任した後も、10日と空けないまめさで家族に手紙を書きました。

 しかもその内容は、妻をいたわり、子を心配し、留守宅を案じる、生活の細部にわたるものばかりでした。
 手紙はみな、自身の無事を伝える文章ではじまり、家人の身を思いやる文章で終わっています。

『散るぞ 悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』(新潮社)を著した梯久美子氏は、「留守宅に宛てた栗林の手紙で、私が直接手にとって読んだものは41通あるが、その中に天皇、皇国、国体、聖戦、大義といった、大所高所に立ったいわば“大きな言葉”はただの一度も出てこない」と書いています。

 妻だけでなく、3人いた子どもたちにもよく手紙を書きました。
 とくに気にかけていたのは、まだ幼く、ひとり長野に疎開していた末っ子のたか子のこと。歯磨きはしているか、寒くはないか、こたつでうたた寝などしていないか、みんなと仲良く暮らしているか、などと問いかけ、たか子の手紙が「よく書けていた」とほめ、字に間違いがあると添削までしてあげています。
 そして、ときには育てているヒヨコのかわいらしさを伝えたり、絵まで描いて送ったりしていました。

 たこちゃん! お元気ですか? お父さんは元気ではたらいています。
(省略)
 たこちゃんの注文のお父さんの画はかきましたよ。今度又ヒマの時に書いて送ります。
 たこちゃん! お父さんのところの一羽のお母さんどりは今日ヒヨ子を四羽生ませましたよ。
(昭和19年11月26日付)
(続く…)

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2006年09月14日

子ども時代と人生(2/5)

 栗林は、太平洋戦争で戦局がアメリカ優位となったあと、米軍の損害が日本軍のそれを上回った唯一の戦場である硫黄島で2万もの兵士を束ねた最高指揮官です。

 圧倒的な戦闘能力を持つ米軍を相手に各地で敗退を続ける日本軍。そうした戦況にあって、最終的には敗北したものの、栗林は“寄せ集め”の兵士だけで米軍上陸から1ヵ月もの持久戦を行ない、米軍側の死傷者数2万8686名に対し、日本軍側2万1152名という戦いを繰り広げたのです。

===
 この戦争で米軍の太平洋最高指揮官だったニミッツ大将と、現場で指揮をとったスミス中将は、それぞれ著書のなかで「栗林は太平洋において最も難攻不落な八平方マイルの島要塞にした」(ニミッツ大将)、「栗林の地上配備は著者が第一次世界大戦中にフランスで見たいずれの配備よりも遙かに優れていた。また観察者の話によれば、第二次世界大戦におけるドイツの配備を凌いでいた」(スミス中将)と評価しています。

 それだけでなく栗林の名は、今も米軍の将官クラスに「アメリカを最も苦しめた男」として知られています。何しろ硫黄島は、ニミッツ大将に「硫黄島で戦ったアメリカ兵の間では、並はずれた勇気がごく普通の美徳であった」と言わしめたほど、米軍が大きな痛手を負った激戦地です。2003年にブッシュ大統領が自国の兵士をたたえたて演説したイラク戦争終結宣言でも「(イラクでは)ノルマンディ作戦の大胆さと、硫黄島での戦いの勇気が示された」と述べたほどです。

 栗林は、信州松代藩の元士族の家に生まれ、県立長野中学から陸軍士官学校、そして陸軍大学校へと進みました。陸軍大学校を恩寵の軍刀を授与されるほど優秀な成績で卒業。その後、アメリカに留学し、軍事研究のかたわらハーバード大学などでアメリカの国情などを学びました。

 アメリカ留学中にも、まだ字の読めなかった長男の太郎に宛てて、アメリカの風景や生活、日々の自分の様子などを伝える絵を描き、それに文章を添えて頻繁に留守宅へ送っています。

『「玉砕総指揮官」の絵手紙』(小学館文庫)には、懐中電灯であたりを照らして遊んでいる自身の絵に「これを一つ送ってやるかな (太郎が)欲しかろうから」と添えられた手紙、一升瓶を眺めている絵に「もう一合も残っていないのだよ それをもう三日も前から眺め暮らし さらにもう四日間 眺めようとするのである これだけはいくら呑みたくても 今暫く我慢して 太郎君のお誕生日の分としような」と書かれた手紙、郊外をドライブしている絵に「太郎がいたら大よろこびだろうな、洋子(長女)やお母ちゃんはこんなに早く走ると怖い怖いというだろうな ブーブーブー」と記された手紙など、約47点が収録されています。

 それらを読んでいると、栗林がどれだけ妻や子どもたちを大切に思っていかが伝わってきて、彼が玉砕指揮官であるということを忘れ、ほのぼのとした気分にさせられます。

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2006年09月26日

子ども時代と人生(3/5)

 絵手紙には、新聞配達をしている子どもと向き合って座り、お菓子をごちそうしているところや、街頭で出会ったメキシコ人の子どもにお金をあげているところもあります。

 階級社会である軍にいながら栗林は、目下の者にも絶えず心をかけ、小さき者と同じ視線に立ち、だれとも気さくに接していた人でもあったようです。

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『栗林忠道硫黄島からの手紙』には、逃げまどう硫黄島の一般人に心を痛めるくだりがあり、『散るぞ 悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』には、水が極端に無い硫黄島で「馬を歩かせると水をたくさん飲むから」と丸腰に地下足袋で歩き、下級兵士と同じ一日一本の水筒で暮らし、同じ物を食べる姿や本土から自分宛に送られてきた野菜を切り刻んでで将兵に分け与え、自らは一片も口にしなかったという話が書かれています。
 また、硫黄島に慰安所が設けられなかったのは、栗林の一存によるものだという話もあります。
 どれも、安全な父島から指揮をとることはせず、最期まで先頭に立って戦い、部下と共に戦死した栗林らしいエピソードです。

 こうした人だからこそ、「多くを語らず、皇国のために命を捧げることこそ喜び」とされた時代にあって、その訣別電報に

国の為重きつとめを果たし得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき

 と謳ったのでしょう。
 戦時中の日本においては、中将たる者が、戦死することを「悲しい」と表現するなどとは、絶対に伝えてはならないタブーだったはずです。それでも栗林は「悲しき」と書かずにはいられなかったのでしょう。
大本営から見捨てられ、弾も尽き果て、圧倒的な戦闘能力の差の前に死んでゆく兵士とその家族の悲しさ。それを知りながら「戦い続けよ」と命じるしかない自分の無力さ。そうした戦争の愚かさを知っていたから・・・。

 しかも相手は、かつて自分が暮らし、親しんだアメリカです。日本とは段違いのアメリカの国力を知っていた栗林は、「アメリカはけして戦ってはならぬ相手」とたびたび周囲に話していたと言います。

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2006年09月29日

子ども時代と人生(4/5)

 この訣別電報は、「そうした現実を見極めることもせず、いたずらに戦争しかけ、迷走し、最後には現場の兵士を切って捨てる・・・そんな軍の上層部へのぎりぎりの抗議だったに違いない」と、梯氏は著書で書いています。
 そして「おそらくその意図を感じたからこそ、当時の硫黄島玉砕を伝えるニュースでは、この句の最後が『悲しき』ではなく『口惜し』と改変される必要があったのだ」とも言っています。

===
 激しさを増す米軍の空襲の下でしたためた「私も米国の為にこんな処で一生涯の幕を閉じるのは残念ですが、一刻でも長くここを守り東京が少しでも長く空襲されない様に祈っている次第です」(昭和19年9月12日付)、「此の様な大戦争も起こらず普通だったら、今頃はお前達も勿論私もずいぶん幸福に愉快に暮らして居れたろうに、今は此の始末でなんと思ったって仕方がない」(昭和19年11月26日付)という、最高指揮官でなければまず検閲を通らなかっただろう手紙からは、愛する者を残して死んでいかなければならない無念さがひしひしと伝わってきます。
 
 栗林に関する本を読んでいると、いわゆる「お国のために戦った」名将ではなく、「愛する人々の盾となろうとした」ひとりの人間の姿が浮かび上がってきます。
「文句は言わずに黙って散っていくことこそ軍人の美学」とされ、「お国(天皇)のために死ぬことこそ尊い」という、当時の常識を覆し、愛する人を守るために闘い、銃弾が降り注ぐなかでも愛する人に寄り添い続けた栗林忠道という人物が見えるような気がするのです。

 このように人を愛した栗林は、いったいどんな愛を受けて育った人なのでしょうか? 持てる力のすべてをかけて身近な人々を救おうとした彼は、どんなふうに支えられた記憶を持っていた人だったのでしょうか?

 残念ながら、そうしたことが分かる資料はほとんどありません。栗林の幼い頃を記した文献も多少はありますが、「決められたことをきちんとこなし」「目上の人の言うことを尊重し」「人の嫌がることも率先して行い」「強い意志を持って努力した」など、昔の道徳教本に出てくるような内容ばかりです。
 
 栗林の母については「厳しい中にも慈愛の心が深い人だった」などの記述があり、甘やかすことなくしつけたというエピソードは載っています。しかし母がどのようなまなざしで栗林と向き合い、栗林がどのような感情で母に対していたのかは分かりません。また、どのような家族関係のなかで、どのような子ども時代を生きたのかも分かりません。とりわけ栗林の父親像は見えないままです。

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2006年10月02日

子ども時代と人生(5/5)

 世界に誇る陸軍大将の文献をしてこうなのですから、いかに日本社会に「幼い頃の人との関わりがその人の一生に影響を与える」という視点が欠落しているのかが分かるような気がします。

 つい最近も、それを痛感する記事を読みました。東京板橋区で社員寮管理人であった両親を殺害し、ガス爆発事件(2005年6月)の加害少年(17歳)に関する記事です。
この8月、検察側は、少年に対し、「両親が虐待や不適切な養育をしていたとは到底認められない。いまだに『父親の責任が大きい』と話すなど改悛の情が見受けられない」などとして懲役15年を求刑したのです。

===
 この事件が起きた当時の報道からは、家族よりもバイクを愛し、少年を“物”のように支配していた暴力的な父親、父親と不和や生活に疲れ「死にたい」とたびたびつぶやいていた母親。そして、そんな父親に怯え、母親の不幸に心を痛めていた哀れな少年の子ども時代が見えてきます。こうした両親の関わりが「不適切な養育ではない」というのなら、「不適切な養育とはいったいどのようなものを指すのか」と聞いてみたくなります。

 生まれ落ちた瞬間から、「いつかは両親を殺そう」とか「社会を震撼させる事件を起こそう」などと決意する子どもはいません。暴力で屈服させられた子どもでなければ、「暴力で人を支配しよう」などという発想は生まれようが無く、だれからも助けてもらえない絶望感を経験した子どもでなければ、「社会に復讐しよう」などと思いつくはずはないのです。
 誕生後の人(とくに親)との関わり、つまり子ども時代が人格形成に大きな影響を与え、人生を左右するということは明白です。
 
 けれどもそのように考えることは、一般的にはとても難しいようです。
 たとえば板橋の事件の後の報道でも、クローズアップされたのは「少年がパソコン好き」だったことや「ホラー映画に関心を持っていた」ことなどでした。
 
 私が『プレジデント Family』(プレジデント社)の「お金に困らない子の育て方」(10月号)という特集の取材を受けたときにも、同様の感想を持ちました。「子どもの問題は親や家族の問題を顕在化させているだけ。問題のある子どもの背景には、必ず“問題のある親”や“問題のある家族”がいる」と話すと、編集者は「どういう親に育てられるかが、子どもの一生にそんなに影響を与えるんですか!」と驚いていました。

「幼い頃からの人との関係性が人格形成に深く影響する」

その事実を、そろそろ社会も認識すべきでしょう。そのうえで「人間の幸福を実現するための社会はどうあるべきか」を真剣に考えなければなりません。
 さもなければ、親殺しはますます増え、少年事件は“凶悪化”する一方となるでしょう。
(終わり)

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2007年01月10日

やり直しのきかない人生などない(1/3)

image070110.jpg 新年、明けましておめでとうございます。昨年は、このブログも始まり、貴重な機会を得た年でした。また、みな様からは、ブログへのご意見やアドバイス、質問などもいただくことができました。ほんとうにありがとうございました。

 昨年中はどうしても重たい話題をテーマとすることが多かったのですが、本年はもう少し明るい話題も提供していきたいと思っております。引き続きお読みいただけると幸いです。

 ところで、このお正月はどのように過ごされたでしょうか? 私は例年通り、ともに暮らす犬と猫と一緒に、入れ替わり訪れるお客様をお迎えしたお正月でした。

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わが家には6歳になるゴールデン・レトリバー(♀)と「推定」9歳の三毛猫(♀)がいます。「推定」なのは、迷い猫だったため正確な年齢が分からないからです。
 今では日がな一日、お気に入りの場所を探しては昼寝をし、わが家のだれよりも自由気ままに暮らしている猫ですが、実は苦労をしてきたようです。

いじめられ猫だった時代

 猫が一緒に暮らすようになって一年ほどたった頃のこと。当時まだ子犬で、近所しか歩けなかったゴールデン・レトリバーの散歩をしていると、猫も必ず後についてきました。近所では「犬の後を着いて散歩する猫」としてちょっと注目を浴び、いろいろな人に声をかけられました。

 そうした人々から聞いた話からは、さまよっていた頃の大変な生活がしのばれました。曰く
「○○さんちで水をかけられたのを見た」、
「××さんちの庭で出産し、保健所に連れていかれそうになって子猫を一匹だけくわえて逃げていった」、
「子どもに棒きれを持って追いかけられていた」
・・・などなどです。

 確かに出会った当初の猫は、とても人間を警戒していました。今とはまるで別猫のようにガリガリで、毛づやは悪く、犬歯も折れ、お世辞にもかわいい猫には見えませんでした。いつもビクビク怯えて、様子をうかがい、こちらが近寄ろうとすると逃げてしまいます。体が小さく、力が弱かったため、猫の間でもいじめられていたようでした。

 そもそも彼女が一緒に暮らすことになったきっかけも、彼女がいじめられ猫だったからです。近所の大きな猫に追いかけられ、わが家の縁の下に逃げ込んできたことでした。ひどく痩せていた彼女は、縁の下の小さなスペースに隠れることができるのですが、大猫は入ることができなかったため、そこが絶好の逃げ場所だったのです。

 それから他の野良猫と一緒にたびたびわが家にご飯をもらいに来るようになりました。でも、彼女はいつも他の猫たちの後ろに、ちょこんと座っているだけ。せっかくあげたご飯はみんな他の猫に食べられてしまいます。(続く…)

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2007年01月12日

やり直しのきかない人生などない(2/3)

別猫のように強くなって

 彼女が別猫のようになったのは、わが家の縁側で子猫を産み、その子猫たちを無事、里子に出した後。「この家は安全」と安心したのか、少しずつなついてきました。帰宅すると玄関前で迎えてくれるし、私が家にいると中をうかがって鳴いたりします。

 当初は庭で外猫として飼うつもりでしたが、北風が吹く季節に寂しそうに窓ガラスからこちらを見つめている姿を見ているととても心が痛みました。

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「ここまでだよ」
 そう言い聞かせて玄関先に入れたが最期。いいつの間にか、リビング、こたつ、私の寝室・・・。次々と家の中が、彼女にとって居心地のいい空間に変わっていきました

 すっかりわが家の猫となったある日、びっくりするようなことが起きました。あの大猫が家の庭を横切ろうとすると、彼女が毛を逆立てて庭に走り出たのです。
「家に入ってこないでよ!」とばかりに、体を膨らませて声を上げる彼女に、怯えていた頃の姿はみじんも感じられませんでした。

 それからというもの、大猫が家の庭を我が物顔で歩くことはなくなりました。どうも彼女に対して一目置いている様子です。何度かケンカもしていますが、お互いの存在を認め合い、「嫌だけど共生する」雰囲気が出来上がったようです。今では、それぞれのテリトリーを意識し合いながら暮らしています。

 今では、20キロ以上もの体重差のあるわが家のゴールデン・レトリバーに猫パンチをくらわせたり、うるさいほど鳴いて人間に何かを要求したりしています。
 近所に来た工事業者のトラックに乗っかって遊んだり、近所の家の庭に探検にでかけたりなど、好奇心もいっぱいです。 (続く…)

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2007年01月15日

やり直しのきかない人生などない(3/3)

居場所があれば人生はやり直せる

 今、私の布団に潜り込み、揺すっても起きないほど熟睡している彼女を見ていて、つくづく感じること。それは「居場所(安心できる関係性)があれば、こんなにも自信を持ち、好奇心を満たし、自由に振る舞ことができるんだ」ということです。

そして、どんなに過酷な過去を持っていても、「居場所ができれば人生をやり直せる」ということです。

===
 それはかつて私が、非行少年やホームレスの方々と接するなかで実感したことと同じでした。
 確かに人間は、知的能力が高く、複雑な脳を持っている分、動物のように簡単に過去を乗り越えることはできないかもしれません。年齢を重ねるごとに過去を乗り越えることは困難になるでしょう。

 それでも、やっぱり「やり直しのきかない人生などない」のです。自分が出会った人々(や動物)たちの経験から、そう確信できます。
 その思いを胸に、今年も多くの人たちのお話を聞かせていただきたいと思っています。本年もどうぞよろしくお願いいたします。(終わり)

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2007年02月19日

家族のかたち(1/6)

image070219.jpg 「フィリピン ベッドタイム ストーリーズ」という芝居を観ました。フィリピンの演劇人と交流を重ねてきた日本の劇団・燐光群が両国スタッフ共同で創り上げた作品です。
 2004年から続いてきた「フィリピン ベッドタイム ストーリーズ」シリーズの第三弾にあたるもので、5つのショート・ストーリーから構成されていました。

 日本語・タガログ語・英語が混在したセリフ(舞台の両サイドに字幕モニターが用意されていました)と、ベッドルームから見えるフィリピンと日本における現代社会の問題を浮き彫りにしているところが特徴です。

===
 ベッドルームを舞台としているだけに、5つのストーリーとも性的な色彩の濃いものになっていました。
 例えば、

 1)売春や社会階級をテーマにした「ドゥルセの胸に1000の詩を」
 2)既婚の女性実業家と部下の不倫を扱った「離れられない」
 3)妻子ある男性との恋いに破れ、男性に裏切られたショックから胎児の血をすする吸血鬼と化してしまう女性の悲劇「アスワン〜フィリピン吸血鬼の誕生〜」

 などです。

 いずれのショート・ストーリーも社会の影にうごめく男女の性の世界を表現しているようでいて、「公に認知された性的関係を持つ男女」(家族)の抱える矛盾が浮かび上がって見える。そんな興味深いストーリーばかりでした。

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2007年02月23日

家族のかたち(2/6)

image070223.jpg無邪気な残酷さ

 なかでも印象的だったのは「代理母ビジネス」というショート・ストーリーでした。

 主人公は依頼者の男性とセックスし、男性の妻に替わって出産するという出産代行業を営むフィリピン女性・ララ。
 ララは「貧困から脱するためのビジネス」と自分に言い聞かせながらも、女性としての尊厳を踏みにじられ、母としての人生を手放すことに苦悩します。大金を手にした満足にひたりながらも、「愛する人と結ばれ、子どもを育てたい」と心を引き裂かれるような苦しみを味わいます。

===
 そんなララの葛藤をよそに、どこかの大臣よろしくララを「産む機械」のように利用する男性たち。そこには暴力的な男性もいれば、優しい男性もいます。しかし、いずれにせよ彼らは子どもを受け取るとさっさと去っていきます。
 そして、ララの子どもを嬉々として我が胸に抱く妻たち。

 ララのもとを訪れる依頼者夫婦の無邪気な残酷さ。
 それは私に、満杯の乳児院や児童養護施設には目を向けることなく、「血を分けた子ども」に固執する日本社会を連想させました。少子化対策を叫びながら、夫婦別姓や事実婚を否定し、「家族のかたち」にこだわる日本の政治家や識者を思い出させました。

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2007年02月26日

家族のかたち(3/6)

image070226.jpg家族とは何か

 そんな重いショート・ストーリーが続く中、漫画家の内田春菊さんが書き下ろしたラストの作品「フィリピンパプで幸せを」に、ホッとしました。
 ケタ外れの金持ちで性同一性障害のフィリピン人女性(元男性)と日本人男性のラブ・コメディです。

 男性は、初めて行ったフィリピン・パフで知り合った女性と一夜を共にします。ところが、朝目が覚めてビックリ。女性の自宅はとんでもない大邸宅で、男性は寛大な女性の両親と妹たちからものすごい歓待を受けます。話はトントン拍子に進み、女性とその家族から結婚を迫られます。

===
 突然の出来事に最初は逃げ腰の男性。しかし、いくつものドタバタ劇の末、二人は結ばれ、「めでたくハッピーエンド」・・・という、かなり笑える作品でした。

 きっと「フィリピンパフで幸せを」は、「家族のかたち」にこだわる人たちには、とうてい理解できない話でしょう。
 でも、5つのショート・ストーリーを見終わったとき、「幸せそうだなぁ」と思えたのはこの話に登場する家族だけでした。
「家族とは何なのか」と、改めて考えさせられた作品でした。

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2007年03月02日

家族のかたち(4/6)

「夫婦別姓反対増」のカラクリ

「家族のかたち」と言えば、つい最近、夫婦別姓に関する内閣府調査が発表されました。 マスコミ各社は「夫婦別姓 反対増える」「夫婦別姓は減った」と報道していましたが、実はこの調査結果にはカラクリがありました。反対派の年齢構成が熟年層に偏り、回答者の86%以上が既婚者だったのです。

 2007年2月10日の『東京新聞』は、「これから結婚する人の意見が反映されていないのはおかしいのではないか」、「前回の調査の方がまだ現実の人口構成に近かった」として、内閣府の「若い層は昼間仕事に出ていたり、回答拒否が多い」というコメントを批判に論じています。
 私もまったく同感です。だって、「今後の施策の参考とする」ための調査と公言しているのですから。

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 記事によると、夫婦別姓問題に直面してきた20〜40台女性の反対派は20%にも満たず、容認派は40%を越えるそうです。

 現政府で力を持つ安倍晋三首相をはじめ、高市早苗男女共同参画担当相、中川昭一自民党政調会長などがこぞって夫婦別姓反対派であることを考えると、どこか作為的な雰囲気さえ感じてしまいます。

 ちなみに安倍首相は少子化対策の一環として新設した「子どもと家族を応援する日本重点戦略検討会議」でも「家族の再生」を掲げている人です。
 また、著書『美しい国へ』(文春新書)の「教育の再生」(第7章)では、「『家族、このすばらしきもの』という価値観」というパラグラフで、「『お父さんとお母さんと子どもがいて、おじいちゃんもおばあちゃんも含めてみんな家族だ』という家族感と、『そういう家族が仲良く暮らすのが一番幸せだ』という価値観は、守り続けていくべきだと思う」(219ページ)と書いています。

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2007年03月05日

家族のかたち(5/6)

image070305.jpg「家族神話」の呪縛

 子どもと家族を応援すること大賛成ですが、「家族のなかみ」を考えることなく「家族、この素晴らしきもの」と言い切ってしまうことには、違和感を覚えずにはいられません。

 確かに、
 「お父さんとお母さんと子どもがいて、おじいちゃんもおばあちゃんも含めてみんな家族だ」
 と思えるような家庭で子どもが育つことは理想的かもしれません。子どもが
 「そういう家族が仲良く暮らすのが一番幸せだ」
 と思えるような家族に囲まれて暮らすことができれば、とてもいいでしょう。

===
 でも、それはあくまでも結果論です。家族が互いを尊重しあい、愛し合い、支え合っている家庭で育った子どもが成長し、自然に感じるようになることです。
 間違っても、
 「おとなが子どもに教え、守り伝えていく価値観」
 などではありません。わざわざ教え込まなくても、そうした家庭で育った子どもは「家族は素晴らしい」と思っています。

 そもそも子どもが親を否定するということは、本当に難しいものです。
 自分を殴り、無視し、思い通りに操ろうとする親のことさえ、一生懸命に「愛そう」「愛されよう」とします。
 性的な虐待を受けていても、
 「自分は特別あつかいされているのだ」
 と、親の言動を肯定的に解釈しようとすることさえあります。

 おとなになってからもこうした「家族神話」からは、なかなか抜け出すことはできません。親が自分にしたことを客観的に受け止め、事実を受け入れることは容易ではないのです。
 「いい親であって欲しい」
 「自分がもっと良い子だったら親はちゃんと愛してくれたはずだ」
 「親は自分を愛しているからこそ、ああいう態度をとったのだ」
 ・・・そんないくつもの幻想が私たちを縛っています。
 そして「家族がいちばん大事」「親孝行こそすべきこと」「血は水より濃い」・・・そんな多くの呪文が、私たちの周囲を取り巻いています。

 私たちの魂にまで染みこんだ幻想や呪文に気づかぬままでいた場合、私たちは自分の子どもにも自分が親からされたように接し、子どもにも自分と同じ価値観を持つよう強制し、知らず知らずのうちに「家族神話」の信奉者にしてしまいます。
 親から受け取った“負の文化”をそのまま子どもにわたしてしまうのです。

 ただでさえそうなのですから、価値観として「家族はいいものだ」と子どもに教え込むなどというのは、とんでもないことです。

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2007年03月06日

家族のかたち(6/6)

image070306.jpg「家族のなかみ」こそ大切

 このように言うと、「夫婦別姓や事実婚を認めたら家族が崩壊する」と、反論する人たちがいます。
 婚姻制度という“ちょうつがい”を外したら、夫婦も家族もバラバラになってしまうから、そんなことはとうてい許すことができないというわけです。

 でも、そんな家族(夫婦)は、すでに家族としての機能ーー愛情や共感、温かさや尊敬、安心や自由などをお互いに与え合うことーーを失っています。
 そのいちばん大切な部分を無くし、バラバラになった人々を無理やり家族という器に押し込めようとすれば、かならずどこかに歪み=病理が生じます。

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「家族のなかみ」ではなく「家族のかたち」にこだわる家族の中にこそ、病理は繁殖しやすくなるのです。
 今、「子ども(若者)の問題」とされることの多くは、そうした病理を見て見ぬふりしようという家族(親)に対する、子どもの悲鳴にほかなりません。

 かたちや外見だけがキレイな家族と、多少かたちはいびつでも家族としての機能をちゃんと持っている家族。子どもはどちらの家族で暮らす方が幸せを感じられるでしょうか?
 わざわざ問う必要もないほど簡単なことです。(終わり)

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2007年03月13日

昇華された“怒り”(1/6)

 つい先日、とっても素敵な「おじーちゃん」にお会いしました。お名前は石山朔さん。86歳にして「日本抽象画界の大型新人」と目されている希代の芸術家です。[石山朔ホームページ
 
 2007年3月19〜30日の間、東京・日本橋のDIC COLOR SQUARE「迷走する色彩〜hue-meditation〜」で見ることができます。

 絵心など皆無の私でさえ朔さんの作品には目が釘付けになります。何しろ、絵のサイズが半端じゃない。油絵に使っているキャンバスは、なんと500号!
・・・と言ってもピンと来ない方も「約畳6畳分」と言えば驚きが伝わるでしょうか。
 そんな超巨大なキャンバスが100を超える色で埋め尽くされているのです。

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 朔さんの絵をあえてひと言で表現するなら「生まれたての命のように力強い線と、万華鏡のように美しい色彩のダンス」。
 魂の鼓動と生きる喜びという縦糸に、世の不条理や厳しさという横糸を織り込んだような色の迷宮がキャンバス一面に広がっています。

 作品に向かうと、最初はただただ圧倒されるばかり。でもそのうち、混沌(カオス)、自然調和、宇宙、極楽浄土・・・そんな言葉が浮かんできます。太古から人間が持ち続けてきた荒削りだけれどプリミティブなパワーを感じます。

 子どもたちに大人気なのもきっとそのせい。
 絵を見たとたん、朔さんのひ孫さんはオペラを歌い出し(朔さん自身がオペラの名手。訪れた日もアトリエで「o sole mio」を歌ってくださいました)、近所の養護学校の生徒たちは歓声を上げ、展覧会に来た子どもは走り出すそう。
 おそらく、おとなの曇った瞳には映らない“何か”が、子どもには見えるのでしょう。(続く…)

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2007年03月19日

昇華された“怒り”(2/6)

フレンドリーな「おじーちゃん」

「こんな壮大な作品を描く石山朔さんとはいったいどんな人なのだろう?」

 自宅をかねたアトリエを訪ねたときは、正直言ってちょっと緊張していました。ピカソやゴーギャン、ムンクなどが頭をよぎります。孤独や苦悩を抱えた気難しい巨匠たちの、孤独や苦悩、不安感、気難しそうなイメージが、まだ見ぬ朔さんに重なります。

 ところが、会ってびっくり。今まだかつて会ったことがないほど、陽気でフレンドリーな「おじーちゃん」でした。

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 その日、庭では2歳になるひ孫さんが笑い声を上げて駆け回っていました。
 門を開けると、ひ孫さんの相手をしていた女性(朔さんのお孫さん)が「いらっしゃーい!」と声をかけてくださり、「おじーちゃーん、お客さん来たよー」と奥に向かって叫びました。
 庭に出てきた朔さんは「やぁ、よく来たね!」と張りのある大きな声。久々に訪ねてきた孫娘でも迎えるように両手を広げて迎え入れ、握手してくれました。温かく、力強い手です。
 この手で、時に直接、絵の具をキャンバスに広げ、半世紀近くも作品を生み出してきた朔さん。力を込めて色を重ねるパステル画のために変形した関節が、けして平坦ではなかった人生を感じさせます。それなのに、まるでお地蔵様のような笑顔です。

 朔さんの奥様、ふたりのお孫さんとそのパートナーの方なども、家の中からわらわらと出てきては、口々に歓迎してくれます。
 S.A.K.U. PROJECT総出での出迎えです。(続く…)

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2007年03月23日

昇華された“怒り”(3/6)

S.A.K.U. PROJECTとは?

 S.A.K.U. PROJECTとは、「石山朔と彼の作品が世界中で愛される芸術的遺産として認められるようになること」だけを目標にしたプロジェクトです。

 展覧会を企画・主催したり、ホームページを運営したりするなど、朔さんに関するプロデュースやPR活動を一手に引き受けています。2007年に横浜バンカート(神奈川県)で個展が開かれ、その様子がNHKで紹介されてからはインターネットを通して問い合わせが殺到し、嬉しい悲鳴を上げています。

 そう聞くと、とてつもない大プロジェクトかと思いがちですが、メンバーは朔さんの孫でS.A.K.U. PROJECT代表のエリスさんとその奥様を中心とした家族6人。庭で遊んでいたひ孫さんが最年少メンバーです。

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 プロジェクトの発足は2000年頃。当時、イギリスに住んでいたエリス夫妻は「とにかく祖父の絵を多くの人に見て欲しい」と、写真撮影を始めます。実物の色に近づけようとカメラのことなど何も知らないというのに一眼レフカメラまで購入し、ポストカードをつくりました。そして、買い集めた美術書からリストアップしてあった世界中のギャラリーに送ったのです。

「約250カ所に送って返事が来たのは7カ所。それも断りの内容ばかりでした。今思えば、送られた相手は『なんだ、これ?』と思っただけだったでしょうね。アート界の常識を知らなかったからこそ出来たことでした」と、夫妻は笑います。

 2002年、夫妻は「実物が日本にあるのだから、やはり日本でPRしなければ」と、イギリスでの仕事を辞めて帰国。本格的にS.A.K.U. PROJECT取り組み始めました。
 でも、その動きは相変わらず地味。会社勤めのかたわら、東京中のギャラリーを尋ね歩いたり、ホームページを開いたり、興味を持ってくれたアート関係者と会ったりという日々でした。

 S.A.K.U. PROJECT初の大仕事は2004年に高崎シティギャラリー(群馬県)で開いた個展。チラシもポスターも、もちろん手作り。開催期間中はギャラリー前で「ちょっと見て行ってください」と、呼び込みまでしたそうです。
 
とにかくエリスさんの思い入れは半端ではありません。17歳のときには「いつか祖父の作品を世の中に広める」と心に誓っていたほどです。
 イギリスで知り合った今の奥様をはじめて自宅に誘ったときのセリフも「家に絵を見に来ないか?」でした。
 
「祖父の絵を見ていると、本当にその世界に吸い込まれそうになる。何時間見ていても飽きません。自由奔放で独特の色彩を持ち、かつ緊張感とスリルにあふれた作品は祖父の人生そのもの。祖父と祖父の作品は私にとって太陽のような存在です。祖父は自身の生き方と作品を通して『自由に生きろ。だが、権力や凡庸にはけして屈するな』と、私に教えてくれました」(エリスさん)

 幼いエリスさんの面倒を両親以上に見てくれたのは朔さんとその奥様。エリスさんにとって、朔さんの絵に囲まれたアトリエは聖域であり、寂しさを慰めてくれる空想世界でした。

エリスさんがこの世に生を受けたのも、朔さんがふたりの娘をイギリスへ行かせたから。借金が一段落すると(詳しくは後述)、朔さんは「狭い日本にいてはダメ」と、娘たちを海外へ送ったのです。
それから3年後、イギリス人のパートナーと一緒に帰国した長女のお腹に宿っていたのがエリスさんでした。

 そのとき、長女は自分の妊娠に気づかないほどガリガリに痩せていました。「これで無事な子どもが産まれるのか?」と不安がる家族に、朔さんは「どんな子が生まれても、育ててやる」と言ったとか。

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2007年03月26日

昇華された“怒り”(4/6)

image070326.jpg作品は「今この瞬間を生きる石山朔」

 それにしてもなぜ、こんなにも巨大なキャンバスが必要なのでしょう。朔さんに聞いてみました。

「86年の人生と思想があって、その生き様を表現している。自分自身の体と人生をぶつけて描くんだから、やっぱり大きくないとダメだよ。できることなら、もっと大きいキャンバスに向かいたいんだ」

500号は画材屋が布を張ってくれる最大の大きさであり、朔さんが一人でキャンバスを回しながら描くことができる限界であり、アトリエに入るギリギリのサイズなのだそう。

===
 インスピレーションに任せて描くため下絵は描きません。ぶっつけ本番で構図を取り、後は毎日コツコツと、その日、その時にひらめいた色を置いていきます。一見、粗野にも見える大胆な色と形が、その瞬間の心の動きであり、インスピレーションであり、感性・・・つまり、「今この瞬間を生きる石山朔」を表現したものなのです。

 自由に、そのときの感情や思い、心の状態にふさわしい色をキャンバスにぶつけていくのが朔さんの描法。本人曰く「その作業は日記を書くようなもの」だそうです。
使う道具も、そのときさまざま。筆、布、綿棒、竹、指や爪までも駆使し、渾身を力で描く。没頭すると、食事も忘れ10時間近く立ちっぱなしで作業を続けることもあります。
 
 来る日も来る日もキャンバスに向かう朔さん。その原動力は“怒り”だと、エリスさんは言います。
 朔さん自身も本(『Saku Ishiyama 石山 朔〜o sole mio』)の中で、こう書いています。

「表現の根源にあるのは虚実と偽善に対する反抗であり、粗野で荒々しいその中に真実を求めようとする。その強さと重さを増大したい思いからキャンバスの大きさを必要ともする」

 確かに、ていねいに塗り込んだ色や、それを拭き取った跡、躍動するような線などを見ていると、不器用なほどまっすぐな生き様と生来の繊細さが調和し、ひとつの思想世界を創り上げていることが分かります。

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2007年04月02日

昇華された“怒り”(5/6)

 朔さんは言います。

「絵も文章も、自分自身を追求する手段。だけど、絵は文章と違う。頭で考えたアイディアを形にしているわけじゃない。生活そのものから描いている。だから行き詰まることもない。今は描くことが楽しいし、毎日が充実している。絵を描く醍醐味を感じているんだ。もし文章を書き続けていたらこうはいかなかったろうね。今頃、死んでいたかもしれない」

 実は朔さん、かつては新聞記者でした。色彩豊かな絵を描くようになったのも取材で出会った芸術家・岡本太郎氏に影響を受けたから。当初は、文筆業の傍ら、鬱積した気持ちをぶつけるために絵を描いていたのです。

===
 ところが戦後、組合活動をしていたことからレッドパージにひっかかり新聞社を追われることになりました。定職のない貧乏生活の中で長編小説『交尾種族』を書き上げたのですが、出版社と折り合いが付かず、自宅を抵当に入れて自費出版することになります。
 どん底の生活の始まりでした。経済的にも精神的にも行き詰まり、壁に頭を打ち付けるほど悩んだと言います。

 そんな朔さんを救ったのは奥様の「家を壊さないで」という言葉と共に手渡した画用紙とクレパス。1960年、50歳のときでした。

 その頃の作品には底なし沼のような苦悩が充ち満ちています。「あまりにも息苦しそうな絵だったから出刃包丁で切り裂いてしまった」(朔さん)という作品も見せてもらいました。
 幾重にも彩られた渦は少しくすんでいます。先の見えない閉塞感や不安感を表しているのでしょうか。それとも自分を見つけられない焦燥感や苛立ちでしょうか。
 かつて朔さんがさまよった生き地獄がどれほど深いものだったのか、ひしひしと伝わってきて、胸が苦しくなってきます。

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2007年10月12日

沖縄の現実(1/3)

image_okinawa_1.jpg 9月の連休を利用して、沖縄の離島に行って来ました。
はじめて沖縄に行ってから、10数回目の沖縄旅行ですが、今回、初めて噂に聞く沖縄の台風に遭遇。それも「島の観測史上2番目」という大物に出合いました。

 人が飛ぶほどの暴風雨で、台風によって建物が揺れるということを初めて体験しました。さらに浸水、停電、雷鳴・・・たたきつける雨でドアが膨張して開かなくなり、部屋に閉じこめられるという経験もしました。

 エアコンも効かず、蒸し風呂のようになっていく部屋。最後は、暴風雨のなか愛犬(しかもゴールデン・レトリバー)を抱えて、窓から脱出! とあいなりました。

===
たくさんの子どもと出合った島

 なかなかレアな経験が出来た今回の沖縄旅行。でも、台風よりも印象に残っていることがあります。島で会った子どもたちです。

 泊まった宿のお子さんたちをはじめ(なんと5人兄弟だそうです)、ドライブの最中に道を教えてくれた子ども、登下校の間に道草をくっていた子ども、海岸で貝拾いをしていた子ども、友達とおいかけっこをしながら道を走っていた子ども、店の前で地面に絵を描いていた子ども・・・。

 出生率1.71(平成18年度版『少子化社会白書』より)と全国ダントツトップの沖縄(ちなみに全国最低の東京の出生率は0.98)を実感できるくらい、ほんとうにたくさんの子どもと会いました。
 出張することの多い私ですが、子どもがおとなの付き添いなしに、自然に遊んでいる姿をあんなにたくさん目にしたのは久々のことです。

 実態のない「子どもの安全」が言われるようになって(ブログ「子どもが危ない」参照)、子どもがひとりでぶらぶらと歩いている姿さえ珍しくなった昨今。島で会った子どもたちのように、すすんで道案内してくれたり、笑顔で話しかけてきてくれたりするような子どもと出合う機会は、とても少なくなっています。

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2007年10月15日

沖縄の現実(2/3)

とびだすぞ! ゆっくりはしってね

image_okinawa_2.jpg そんな、子どもたちがいっぱいいる島で「へぇ〜」と思う看板を見つけました。
 小学校のすぐ近くにある路地に立てられ交通安全を促す手描きの看板です。おそらく子どもが描いたのではないかと思うもので、こんなふうに書いてありました。

「とびだすぞ! ゆっくりはしってね」

 イケてると思いませんか?

 子どもの飛び出し防止の標語としてポピュラーなのは、子ども側に注意を促す「飛び出すな! 車は急に止まれない」というものです。少なくとも私が小学生だった○十年前には、このフレーズの入ったポスターや標識があちこちにありました。

 でも、ほんとうは逆のはずですよね? 
 法律から考えても、子どもを交通事故に遭わせないための義務はドライバー側にあるはずだし、何より「子ども」という存在ーー何かに夢中になったり、目の前しか見えなかったりーーを考えたときに、「子どもの側に交通安全の責任を押しつけるようなフレーズはどうなのか」と、いつも思っていました。

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 この看板や、沖縄で出合った子どもたちの中に、島の人々が「子ども」という存在をどんなふうに考えているのかが、少し見えたような気がしました。

沖縄は「夢の島」?

 でも、だからと言って、沖縄の島が「夢の島」なわけではありません。
 私が行った島は今、空前とも言える土地バブルに沸いています。定年退職した団塊の世代が移り住むようになったからです。地元の人たちとのトラブルも絶えないと言います。

 沖縄の習慣になじもうとせず、都会の生活習慣を持ち込んで地元の人たちを辟易させている移住者がいます。他方、「よそ者は来ないで欲しい」と頑なな態度を崩さない地元の人たちもいます。

 ほんの少し、注意深く耳を澄ませていると、「美しい海に囲まれたリゾートアイランド」という、沖縄の“表の顔”からは想像できない悲鳴が聞こえてきます。

 今回、それを強く感じたのは港の周辺に掲げてあった、教科書検定の意見撤回求める「沖縄県民大会」への参加を呼びかける横断幕でした。

 後日、帰宅してから、9月29日の県民大会には、11万人が集まったというニュースを見ました。
 今年の教科書検定で、沖縄戦で起きた住民の集団自決への日本軍の関与や強制を表す今までの記述が削除されたことに対し、県民の怒りが結集したのです

 本土に暮らす私たちにが「歴史の教科書の出来事」と思ってしまいがちな戦争も、沖縄の人たちにとっては、「今につながる現実」なのだと実感させられたニュースでした。

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2007年10月18日

沖縄の現実(3/3)

「観光コースでない沖縄」ツアー

image071018.jpg 思えば私が、沖縄という土地を訪れたきっかけは、高文研という出版社が行なっている「観光コースでない沖縄」という沖縄戦と沖縄の今を知るツアーに参加したことでした。

 ツアーでは、ひめゆりの塔や摩文仁の丘など、一般的な戦跡だけでなく、ガマ(沖縄戦のときに住民達が避難した自然の洞窟)に入り、今も散らばる遺品や遺骨と体面したり、米軍基地や日本の「思いやり予算」で建設・運営されている米兵の宿舎なども見たりもしました。

 夜は「子どもの声がうるさい」と日本兵に言われ、自らの手で子どもを殺めるしかなかった母親の苦悩、銃剣とブルドーザーで農地を取り上げられた農民の嘆き。今も続く、米軍による暴行事件や基地が近いために起こる事故の報告など、当事者の方々からさまざまなお話を聞きました。

===
 こうした沖縄の現実から目をそらし、日本における米軍基地の70%を押しつけている私たち本土の人間の残酷さをまざまざと感じさせるツアーでした。

 そして、そんな過酷な歴史と背景を知ったからこそ、それでも明るく前向きに生きようとする沖縄の人たちと、それを支える沖縄の自然に心惹かれました。過酷な現実をきちんと見つめながら「ひとりひとりが夢をかなえようとしている島」に魅力を感じたのです。

沖縄だけは「ジャケ買い」せずに

 本来は内容が勝負のはずの本やお菓子までもが「ジャケ買い」されているこのごろ。沖縄のことだけは「ジャケ買い」したくないものです。
 ここのところ、もっぱら心と体を休めるために沖縄を旅行している私ですが、旅から帰るたびに、かつて読んだ沖縄関連の本を取り出しては読み返したりしています。

 沖縄の歴史を知りたいと思われる方は、『観光コースでない沖縄—戦跡・基地・産業・文化』(高文研)や『だれも沖縄を知らない 27の島の物語』(筑摩書房)などを手にとってみてください。
 リゾートアイランドとは違う沖縄の顔を知ると同時に、なぜ沖縄の人たちが教科書の記述にあれほどまでこだわるのかが、きっと分かるはずです。 

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2008年01月10日

愛馬が教えてくれたこと(1)

 早いもので、このブログを始めてからもう一年以上がたちました。多くの方々に支えられ、続けてくることができました。改めてお礼申し上げます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 
格差社会から貧困社会へ

 旧年中は、もう少し明るい話題を提供したいと思いつつ、なかなかそうもいきませんでした。

 とにかく一昨年末の教育基本法「改正」以来、どんどん子どもの暮らす世界は窮屈になっていきました。保育や福祉の分野にもでも「自由化」という耳障りのいい言葉で、競争原理が入り込み、とても安心して子育てできない環境が広がっています(よっぽどお金があれば別ですが・・・)。

「格差社会」が問題視されたのも今は昔。すでに日本の社会問題は「貧困」です。

 日本は、OECD(経済協力開発機構)諸国の中で、平均所得に満たない人の比率(相対的貧困率)がアメリカに次いで2位。国民健康保険の保険料が払えず、医療にかかれないまま死亡する例も出始めています(『東京新聞』1月4日付)。
 また、OECDの資料から割り出した子どもの貧困率は他の加盟諸国が減少傾向なのに反して増加傾向を示しています(『保育白書』2007年版)。

===
残酷な現実

 しかも、すべてを市場原理と経済効率に任せ、人と人との繋がりを断つ残酷な社会をつくってきた張本人(資産家や政治家、財界人など)たちは、生活に困窮し、孤独に陥った人々を「個人の責任」と切り捨てようとしています。
 そして、自分たちの利益を上げるためにつくり出した格差社会を「努力した者が報われる社会」などと呼んで、知らんふりを決め込んでいます。

 「再チャレンジ」という言葉がお好きな政治家もいらっしゃいますが、実際には結果の出ない再チャレンジに疲れたり、そんな気力も持てないまま「自分が悪い」「自分は役立たず」と、あきらめていく子どもやおとなが増えています。

 そんな現実と、それらがつくり出す人々の生きづらさを直視しようとすればするほど、明るい話題から遠ざかってしまいました。

 昨年の年頭には「やり直しのきかない人生などない」とのタイトルでブログを書かせていただきました。が、皮肉にも昨年は「やり直すためのエネルギーや人間関係を奪われて生きざるを得ない」人々が増えたことを実感した年でした。

愛馬の死

「でも、そんな世の中は間違っている!」と、いつも以上にきわめて個人的な出来事から、今回は書かせていただきたいと思います。

 実は1月1日に、17年を共にした愛馬が永眠しました。

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2008年01月16日

愛馬が教えてくれたこと(2)

 こんな個人的な話題をあえて書かせていただこうと思った理由は、ふたつあります。
 ひとつは、私自身が抱える大きな喪失感を乗り越えるために、語らせていただく必要をとても感じているということ。

 そしてもうひとつは、もし、愛馬がいなければカウンセラーという仕事に就くことはなく、当然、このブログも存在しなかっただろうと、その死を通して気づかされたからです。

極めて過酷な馬の人生

image080116.jpg よっぽど競馬で活躍したり、由緒正しき血統の乗馬馬であったりしない限り、馬の人生は極めて過酷です。その美しい容姿や、競馬場を駆け抜ける勇姿からは想像もできないほどです。

 今の日本で、多くの人が馬を目にする機会と言えば、競馬場か競馬に関する宣伝でしょう。
 競馬馬の中には、たくさんのレースで勝ち、芸能人並に人気のある馬もいます。でも、そうやって一握りの馬がもてはやされる反面で、多くの馬が「用済み」として葬られていく事実を多くの人は知りません。たとえ競馬場に問い合わせても、そんな話は絶対にしてくれないでしょう。

 古来より人間の身近にいて農耕や狩りなどの重要なパートナーを努めてきた馬は、国策の転換に翻弄され、人間の都合に振り回されてきた“経済動物”です。
 農業が機械化されればお払い箱になり、戦時中は外来種のような強い馬づくりのために在来馬が駆逐されました。
 
 現在、日本ではほとんどの馬が競走馬(競馬馬)として生産されていますが、生産は過剰です。しかも、体の出来上がらない3・4歳のうちから無理やりレースに参加させられるため、故障する馬も少なくありません。競馬馬の8割以上が胃潰瘍にかかっているという話もあります。
 そして、レースでいい成績の出せない馬、故障した馬は淘汰されていきます。食用になるのです。

天寿をまっとうできる馬はまれ

 乗馬馬や観光牧場の馬などになって人生をやり直せる馬はごくわずかです。

 受け入れ先である乗馬クラブなどが絶対的に少ないということもありますが、レースに勝つために強迫的に追い立てられてきた競馬馬を調教し直すことはかなり難しいことです。
 その馬の気質にもよりますが、早く走るために必要なことだけを教え込まれた馬に、ゆったりと人を乗せることを教えるのはたやすいことではなく、そんな時間とお金をかけて調教し直してくれる人間に出会える幸運な馬は数えるほどしかいません。[参照:競走馬の文化史 優駿になれなかった馬たちへ抜粋]。

 生き残りをかけた狭き門を無事くぐり抜けた馬たちも、安心はできません。怪我をしたり、年をとったりして人を乗せられなくなればすぐに「サヨウナラ」です。酷使されることも多く、たいていの馬は寿命に満たないうちにどこかを患います。

 そして、「最後の家」(肥育家)に送られます。人間のために、文字通り身を粉にして働いてきたというのに、その「最後の家」の環境が劣悪であることも、少なくないといいます。

 幾重にもふるいにかけられる人生を生き延び、天寿をまっとうできる馬は、本当にまれなのです(興味のある方は、ぜひ『競走馬の文化史—優駿になれなかった馬たちへ』/青木 玲著・筑摩書房をご一読ください)。

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2008年01月21日

愛馬が教えてくれたこと(3)

image080121.jpg 私が馬の一生を知ったきっかけは、愛馬が足腰を痛めたためでした。もう15年ほど前になります。それまで全国大会で入賞を果たしていた馬だったため、乗馬クラブからこう勧められたのです。

「競技を続けたいなら、馬を買い換えた方がいい。今、手放せば、高く売れる」
 
 そう言われて頭に浮かんだのは、以前に持っていた馬のことでした。
 その数年前、私は馬を買い換えていました。当時の私は、馬の人生がどんなものかなどまったく知りませんでした。自分が手放した後も、ずっとだれかの自馬(オーナーのいる馬)としてかわいがられて生きていくと思っていました。だから、いつでも会いに行けると信じていたのです。

 ところが、1年とたたないうちに、その馬の行方は分からなくなってしまいました。だれに聞いても、いったいどこへ売られていったのか教えてくれません。
 それが馬をあつかう世界のルールであり、おかげで馬とかかわった人が「きっとどこかで元気に生きているはずだ」と、はかない夢を見続けることができるのだと分かったのは、後になってからでした。

===
役に立たなくてごめんなさい

 前の馬のことがあり、ふんぎりのつかないまま時間だけが過ぎていきました。愛馬は、競技に出ると、またすぐに休ませなければいけない状態の繰り返し。競技会での成績も以前ほど振るわなくなってきており、全盛期を過ぎたことは明確でした。

 そんな折、愛馬のあつかいをめぐって乗馬クラブの担当者とトラブルになり、急遽、新しい預け先を探さなければいけなくなりました。
 ・・・とは言え、一生、馬を養い続ける自信はありませんでした。動物愛護団体やら、牧場やらを回り、どうにか一生のんびり暮らせる方法はないかと探しました。
 そうした中で「過酷な馬の人生」のことを知ったのです。

 前回紹介した『競走馬の文化史—優駿になれなかった馬たちへ』(筑摩書房)という本も、このとき知りました。この本の「最後の家」という頁に、肩身狭そうに横たわっている馬の写真があるのですが、その目が「大きくて邪魔でごめんなさい」「役に立たなくてごめんなさい」・・・そう、つぶやいている気がして、心が痛みました。

馬は経済動物だけど・・・

「馬は経済動物なのだから仕方がない」

 そんな声が、どこかから聞こえてきそうです。
 私も否定はしません。人間のために働いてもらったり、命の糧として食したりすることを間違っているなどと言うつもりは毛頭ありません。

 多くの人を競馬場に呼び込み、早い馬をつくるために過剰生産し、ほんのわずかなタイムを競わせる。人間の勝手で競走馬としてしか生きていけないよう早くから調教し、体も出来上がらないうちから無理に走らせる。そして、人間の期待に応えられなければ、ほとんどの馬が生きる道を閉ざされてしまうというシステムに疑問を感じているだけです。

 馬がどんなに働いても、その利益が無冠の競走馬や、活躍できなかった乗馬馬たちに回ることはありません。欧米には多い養老馬牧場も、日本には数える程しかありません。

 さらに、そんな事実を覆い隠し、イメージだけを売り込むことも、どうかと思います。
 せめて人間の都合で生産され、競争させられ、酷使され、そして殺されていく馬の一生を「美しいイメージ」でカモフラージュするのは止めるべきではないでしょうか。
 「癒されるから」と競馬場や乗馬クラブを訪れる馬好きの人たちに、馬の一生をきちんと知らせた上で、「それでももっと能力の高い馬がいいですか?」と、問いかけてみることも必要なのではないでしょうか。

「これからの馬の運命を決めていくのは、結局、私たち人間の欲望であり、夢なのだから」(『競走馬の文化史—優駿になれなかった馬たちへ』162ページ)

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2008年01月28日

愛馬が教えてくれたこと(4)

 今までに何度か、このブログを読んでくださった方はもうお気づきかもしれません。
 馬の世界は、今の日本社会にとてもよく似ていませんか?

 効率と競争によって、選別し、経済的な利益を生まない者は「役立たず」として淘汰する。そして、それを「本人の問題」としてあきらめさせ、肩身の狭い人生を余儀なくさせていく・・・。
 
 前回のブログ(「子どもの『うつ』と『あきらめ』」)でも書いた、中学3年生と小学6年生を対象に行われた全国学力テスト(全国学力・学習状況調査)も、選別のための装置に過ぎません。

 「自由」「規制緩和」「改革」などの響きの良い言葉でごまかしながら、不安定雇用、福祉の縮小、経済格差などの現実がつくられ、社会の価値に合わない者、競争の土俵に乗れない者は、はじかれるというシステムが出来上がっています。
 こうした社会は、私たちから人間関係を奪い、情緒を剥奪し、子育てや教育をうまくできないようにし、子を支配し、依存せざるを得ない親を増やし、孤独で寂しい人々を生んでいます。

===
 「効率優先の競争社会では、人々の心の中に、厳しい自己監視装置が内蔵され、この自己査定によって、人々は自らを上級、中級、下級品ないし市場に出せない企画はずれと考えるようになっている。このような社会の中では、他者と親密であることの価値よりも、自らの市場価値の方が優先される」(『家族の闇をさぐる—現代の親子関係』/斎藤学著・小学館 50ページ)からです。
 
国際競争時代だから仕方がない?

「国際競争時代なんだから仕方がない」

 今度は、そんな声が聞こえてきそうです。
 でも、貧困層が膨らむ一方で大企業が空前の利益を上げ、富裕層の資産は拡大しています。「国際競争に備える」を錦の御旗に、利益を独り占めにしている人々が、確かに存在しているのです。

 企業が儲けをどれだけ労働者に配分したのかを示す労働分配率は2000年代に入ってから急下降。利益は、生活に困窮する人々を救うためではなく、株主や企業内部に溜め込まれています(『東京新聞』1月8日)。

 1960年代には企業と個人がほぼ半々で支えていた税収も、90年代以降は個人負担が増えていきました。2002年には企業は約20%、個人が約45%となるなど、開きが大きくなっています(『週刊金曜日』2005年9月9日)。それにもかかわらず、今度は消費税率アップの話が出ています。

働かざる者、食うべからず?

 「働かざる者、食うべからず」という諺があります。
 そもそもこの諺の是非については、大いに異論があります。命ある者は、その存在そのものにかけがえのない尊厳があるからです。
が、ここでは100歩譲って言わせてもらいます。

 産まれた直後からから競わせ、おとな(人間)の思い通りにならなければ生きていけないようにつくりあげ、生きるエネルギーを奪って働けない状況に追い込んでいるのは、いったいだれなのでしょう?
 朝に晩に体を壊すほど懸命に働いている人よりも、右から左へちょっと資産を動かすだけで莫大な利益を手にする人々の方が働き者だと言えますか?

 経済を最優先させるシステムの残酷さとごまかし。ーーそれを最初に、実感を持って教えてくれたのが、元競走馬だった愛馬でした。
 その存在がなければ、きっと私が今のような視点を持って相談や執筆に携わることはなかったことでしょう。

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2008年02月13日

愛馬が教えてくれたこと(5)

image080213.jpg 私がセラピーに興味を持ち、心理を学び、子どもや家族問題にかかわるようになったのも愛馬のことがきっかけでした。

 故障した愛馬の預け先を探す中で、ハンディキャップを負った子どもを対象にしたホースセラピーを知ったのです。
 ・・・とは言え、最初は「もっと日本にホースセラピーが定着すれば、行き場のない馬たちの受け入れ先が増えるのでは?」と思っただけ。

 でも、馬と接することで変わっていく子どもたち、何より子どもたちが秘めたパワーに驚かされ、その可能性に惹きつけられました。そして、あらゆる人間が生来持って生まれてくるこうしたさまざまな能力の“芽”をつみ取ってしまうものは何なのかと考えるようになり、自分の子ども時代についても考える機会を得ました。

 心理学を学ぶことを勧めてくれたのも、ホースセラピーを通して知ったある研究者の方でした。
 それから大学院に入り、心理を学ぶまでには、さらに5年もの月日がかかりましたが、私の中で、心理学への興味が沸き、さらには「子どもと家族の問題に取り組む」という、今後、自分がかかわるべき方向性を見つけることができました。

===
最後のプレゼント

 さらに昨年の暮れ、愛馬がとても素敵な最後のプレゼントをくれました。

 昨年11月に、あるテレビ番組で愛馬と乗馬クラブの犬の友情が取り上げられました。脚が変形し、ここ数ヶ月、馬房から出られずにいた愛馬の脚を犬がなめたり、励ましたりしている様子が放映されたのです。

 その番組を偶然、見ていたのが、愛馬を生産した牧場のオーナーご夫婦でした。お二人は「26年前にうちの牧場で産まれた馬だ!」とすぐに気づき、遠路わざわざ、乗馬クラブを訪ねてくださったのです。

 ずっと馬名を変えていなかったこと(馬はオーナーが変わるたびに名前を変えるのが普通です)、顔の模様が印象深かったことなどもありますが、何より、競走馬らしからぬ(つまり競争に向かない)おっとりした性格だったことが、ご夫婦の印象に残っていたのだとか。

 ご夫婦は愛馬をなでながら「まさか26年前にうちで産まれた馬に会えるとは思ってもいなかった」と、とても感激されていたそうです。そして後日、4箱ものリンゴ(うち1箱は人間用)を乗馬クラブに送ってくださいました。

 私が乗馬クラブのスタッフからその話を聞いたのは、愛馬が息を引き取ったあとでした。まるで最期に

「出会いをあきらめなければ、人生は変えることができるはず」

ーーーそんなメッセージをみんなに残してくれたかのようです。

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2008年02月29日

愛馬が教えてくれたこと(6)

image080205.jpg ところで、愛馬と乗馬クラブの犬は大の仲良しでした。
 たとえば寒い冬の夜、愛馬は自分の夜食である干草を、暖を取るために犬小屋に貸してあげていました。そして犬は、朝、愛馬がお腹を空かした時間になるとちゃんと干草を返してくれていました。

 過去何度か、愛馬が倒れたときも、真っ先に気づいて大騒ぎするのはその犬で、状態の悪いときは、乗馬クラブのスタッフと一緒に、寝ずに看病してくれました。スタッフたちは、犬の様子から愛馬の病状が深刻なものかどうか判断していたほどです。

 最期の日も、犬は、愛馬が倒れた際にすりむいた傷をきれいになめてくれました。そしてもう動かなくなった愛馬の馬着をひっぱり、耳元で吠え、どうにか起こそうと必死になっていました。

===
 私が駆けつけたとき、すでに愛馬は息絶えていたのですが、犬は私に「何とかしろ!」と言いたげに、ずっと訴えていました。日頃はそんなふうに人に向かって吠えない犬なのに、です。
 その日はほんとうに一日中、ずっーと吠え続け、時折、愛馬を見つめては悲しそうに鼻を鳴らすのです。
 
 その犬にとっても、愛馬は他の馬とは違う、特別な存在だったのでしょう。もう歩けないほど足が弱っても、体が衰え、やせ細っていても、他の馬では代わりにならない、唯一無二の存在だったに違いありません。
 
 私が、今の乗馬クラブに愛馬を預け代えてから15年くらいがたっていますが、その間、ふたり(一頭と一匹)は、1日と離れたことがないのです。お互いの存在が、もう自分の一部のようになっていたのでしょう。
 
「千の風になる」ということ
 
 『千の風になって』という詩(歌)がヒットしています。私は今まで、その意味を「亡くなった者も温かい思い出として、残された人を元気づけたり、心の中で生き続けたりしていく」というくらいに考えていました。

 けれども、そんな簡単な意味ではなかったのだと、今は思います。
 亡くなった者と過ごした時間、その存在があったからこそやってきたこと、考えたこと、出合った人・・・そうやって積み上げられた歴史が、今の私の人生であり、生活であり、私という人間の一部になっています。

 もし、愛馬の存在がなければ、もし、出合ったのが他の馬であったら、今ここにいる私は、また違う人間になっていたはずです。
 だからこそ、あらゆる生命はその存在そのものに価値があり、生きとし生ける者はすべてかけがえがないのです。

 私の一部となった愛馬は、これからも私と共に生き続け、未来をもつくっていきます。それが「亡くなっても、残った者とともに生き続けるということなのだ」と、愛馬は教えてくれました。

 実は、まだ夢の段階ですが、愛馬が引き合わせてくれた多くの人たちと一緒に、愛馬の遺志(?)を継ぎ、ホースセラピーができる場をつくれないかと、新たな展開も考えているところです。

最後にかえて

 私が愛馬の残したメッセージを未来につながるものと受け止められるよう、私の傷みに寄り添い、悲しみを分かち合ってくださった人々に感謝したいと思います。

 そして、最後になりますが、こうした長い長い語りの場を与えてくださり、さらにそれを読んでくださったすべての方々に、心よりお礼申し上げます。

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2008年09月19日

地域の再生と地域猫(1)

 最近、「地域が崩壊した」と言われることが多くなりました。
 ただ、個人的には「崩壊させられた」という感が強くあります。

 たとえば、学校を中心とした地域社会の崩壊について考えてみましょう。

 その原因のひとつには、学校選択制や学校統廃合などが進んだことがあります。住んでいる場所から遠いところに通う子どもが増えれば、当然、保護者同士のつながりが薄れます。教師には家庭訪問しにくくなり、通学中の子どもが地域の人から声をかけられることも減ります。教師は、校外で子どもたちが何をしているのか分からなくなります。

===
親の学校不信

 親の学校不信も深刻です。「学校に任しているだけでは、きちんとした学力がつかない」という不安感と言った方がいいでしょうか。

 文部科学省の『子どもの学校外での学習活動に関する実態調査』によると、「学習塾通いが過熱している」と考える保護者は6割にもなり、その理由として「学校だけの学習への不安がある」を挙げています。
 また、公立小中学校の家庭で学習塾等にかける補助学習費は年々、過去最高額を更新しています(文部科学省『子どもの学習費調査』。東京都では、低所得層の子どもに塾代を融資する対策も始めました。

つくり出された崩壊

 一見、「時代の流れ」のように見えますが、ちゃんと裏があります。
 学校選択制や学校統廃合は、国が方向性を示し、各自治体が率先して行ってきたことです。「いじめられた子が他の学校にも行きやすいように」とか「親のニーズに応えられる多様性のある学校づくり」などと言いながら、実際には、自治体の教育費負担を減らし、親が選択しなければいけないような雰囲気をつくってきました。

「学力不振」(学力の二極化)も、同じようにつくりだされてきたものです。
 まずは教師を徹底的に管理し、「物言えぬ教師」にするため人事考課制度や数値目標で縛ると同時に事務仕事を激増させて、子どもと向き合う時間を奪いました。

 その一方で、「ゆとり教育」を柱とする学習指導要領に改定して公教育費を削減するために平等教育を解体しました。簡単に言うと、それまでの「どんな子どももできるようになるまで」という教育から「できる子には手厚く、それ以外には最低限で」という教育へと移行させたのです。
 
 つい先日発表されたOECD調査によると、日本の公教育費はOECD加盟国中、最下位です。

企業の利益に貢献

 こうした政策によって、学習塾や教育産業の利益に貢献し、企業が学校教育に携わる機会を増やしました。

 最近では、大手金融機関による金融教育、金融広報中央委員会が行う教師向けのセミナー、東京証券取引所が作成した「株式学習ゲーム」。マクドナルドやカルビーなど子どもが大好きなジャンクフード会社が行う食育にNTTドコモによる携帯電話の安全な使い方の授業・・・。挙げればキリがないほどです。
 教育内容をコーディネイトする教育コンサルタント会社も業績を伸ばしています。また、東京都杉並区立和田中(和田中)のように塾と連携した受験対策をする学校も出てきています(「『人と生きる』ことを学ぶ学校」参照)。

上からの地域づくりは無駄
 
 施策として地域を崩壊させ、人と人とのつながりを断っておきながら、一方で「地域の安心安全」として地域ボランティアによる防犯パトロールなどを強化し、住民同士が監視し合う仕組みをつくってきました(「子どもが危ない」参照)。

 また、今年度からは50億4千万円をかけた学校支援地域本部事業も始まりました。今年度中に全国1800カ所に学校支援地域本部をつくるのだそうです。
 建前は「学校を中心とした地域の再生」「外部人材の登用で教師の負担を減らす」となっていますが、先行して本部づくりが行われてきた和田中では、本部が企業に入ってくるためのトンネルになり、受け皿になってしまっています。

 こんな「上からの」方法では絶対に「人と人のつながり」のある地域にはなりません。

次回の予告

 どんどんかたい話になってきてしまいました。そろそろ切り上げましょう。
 次回からは、足下から地域を再生する猫の話をご紹介したいと思います。

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2008年09月26日

地域の再生と地域猫(2)

image_080926.jpg その猫は、駅前の商店街で暮らしている三毛猫(女の子)。
 商店街の人々や通行人がご飯をあげ、雨宿りの場所を提供し、避妊をし、かれこれ10数年、そこで暮らしています。いわゆる「地域猫」です。
 
 駅前開発や店主の引退などでかわいがってくれていた人が去っても、また別にかわいがってくれる人を見つけては、地域猫としてたくましく生きてきました。
 だれが付けた名前か分かりませんが、みんな「ミーちゃん」と呼んでいます。

 人間で言えば、おそらくもう70歳くらい。かつて交通事故に遭ったため、左前足が内側に曲がっています。
 でも、まだまだ元気。ものすごい早さで駐車場を走ったり、フェンス越えもなんのそので自由に動き回っています。食欲も旺盛で、いつも通る人に向かって「ごは〜ん、ごは〜ん」と鳴いています。

===
大きな受難

 10年以上もそこで暮らし、いるのが当たり前だったミーちゃん。もうすっかり風景に溶け込だようになっていましたが、今年になってその存在感を知らしめる出来事が起きました。大きな受難に遭遇したのです。
 
 それは4月のあたまのことでした。何者かがミーちゃんを捕まえ、遠くの公園に捨てたのです。たまたま見かけていたずら心が動いたのか、それとも故意に狙ったのか。それはいまだに分かりません。
 とにかくミーちゃんをかわいがっている人のお店がすべて休みの日の出来事でした。

 最初に異変に気づいたのは、最近、メインで世話をしている美容院の経営者でした。かつてミーちゃんをとてもかわいがっていた小料理屋さんが閉店して1年あまり。その美容院には、ほぼ毎日ご飯を食べに来ていました。台風や雷の晩には、店に泊まったりもしていました。それなのに休日明けから4日たっても姿が見えなかったのです。(続く…)

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2008年10月06日

地域の再生と地域猫(3)

捜索開始

 隣の飲み屋さんや、道を挟んだ隣の八百屋さん、向かいの割烹料理屋さんや数件先の居酒屋さんなどと声をかけあい、それぞれの店に来るお客さんにも聞いてみたりしながら、ミーちゃん探しが始まりました。

 まずは自治体の動物保護しているセンター(昔でいう保健所)や、警察などに連絡。ミーちゃんらしき猫が保護されていないか確認しました。次に迷子のポスターをつくることにしました。実は私も、このポスターづくりを手伝いました。

 ところが、困ったことに肝心のミーちゃんの写真がありません。みんな「前の携帯電話に保存していた」とか「昔のパソコンに取り込んでいた」などと言い、今は持っていないというのです。

===
 しょうがないので、パソコンでイラストの素材集から猫の絵を取り込み、似た模様に色づけをしてポスターをつくりました。そして迷子の呼びかけと一緒に「写真を持っている方はご連絡ください」と、美容院の電話番号を書き込みました。

 ちなみに、イラスト素材を提供してくれたのは、このブログを管理してくださっているIFFの方です。

すごい反響
  
 ポスターを貼ったところ、すごい反響がありました。
 それまで、まったくあいさつもしたことがなかった通行人の人たちまでが、ポスターに足を止め、ときに涙ぐみながら美容院を訪れてはミーちゃんの行方を尋ねるようになりました。

 それはもう驚くくらいたくさんの人たちでした。毎朝、駅に行く途中にご飯をあげていたOLさん姉妹、近所の歯医者さんやそこに勤める衛生士さん、買い物で通っていた主婦の方、人工透析を受けに病院に行く道すがらミーちゃんになぐさめられていたご夫婦、幼稚園の行き帰りに通っていた親子、駅を利用している高校生や商店街を通学路にしていた小学生・・・などなど、挙げればキリがありません。
 
 そして毎日5〜6人の人が、美容院の周辺でミーちゃんにご飯をあげていたことが分かりました。

 実はミーちゃんが避妊手術をしていたことも、このときに分かったのです。
 なんと、裏通りにある金物屋さんがやってくれていました。そのうえ金物屋さんは、かつてミーちゃんが産んだ子猫たちを全員、育てていました。全部で7匹にもなります。

 本当はミーちゃんも飼い猫にしようと思ったそうなのですが、何度、家に連れ帰ってもまた商店街に戻って行ってしまったとのこと。
「でも、商店街の人に首輪もつけてもらってみんなにかわいがられているから」と、毎日ご飯だけをあげに来ていたことが分かりました。

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2008年10月16日

地域の再生と地域猫(4)

 毎日、出勤前と帰宅時にご飯をあげていたOLさん姉妹は、土日になると自転車を飛ばして近所を探して歩きました。日々の寝床を提供していた美容院の人たちは空き家やビルの隙間を捜索。
 いつも美容院に来ていたあるお客さんは、「遠くで見かけたこともあるから」と、半径1キロ以内を探して歩きました。
 美容院の経営者は、「遠くに連れて行かれたかもしれないから・・・」と、休みの日に車で、野良猫が多いと評判の公園や河川敷なども見に行きました。

 割烹屋さんの板前さんが「隣駅のスーパーの駐車場で似た猫を見た」との情報が入り、一縷の望みをかけて私も探しに行きました。

 それ以外にも相変わらず大勢の人が、美容院のドアを開けては「ミーちゃん、見つかった?」と声をかけて行きました。

 いつもミーちゃんと会うことが楽しみで母親と一緒に美容院に来ていたという幼稚園の子は、

「だれかに連れて行かれちゃったのかな? 猫は意地悪すると化けて出るっていうから、そういうことした人は怖い目に遭うよ」

 と泣いていたとか。

===
写真が届いた!

 そんなことが続いていたある日、とある男性が美容院のドアを叩きました。

「これ、よかったら使ってください」
 
 そう言って、ミーちゃんの写真をCDに入れて置いて行ってくれたのです。
 もちろん、それまで美容院に来たことがあるわけでもない、まったく見ず知らずの間柄でした。

 男性が訪ねて来た日は日曜日。「平日は早朝から仕事に行ってしまうため、なかなかお店が開いている時間に届けられませんでした」と、わざわざ休みの日に届けてくれたのです。

 そのうちの1枚が、前にこのブログに掲載されていた写真です。

写真入りのポスターを作成

 すぐにポスターをつくり直し、今度は写真入りのものを貼りました。近所にも配りました。
 さらにインターネットの「迷子猫サイト」にも登録しました。

 すると、もっと多くの人からも反響がありました。
「うちのお店にも貼ってあげる」と言うスナックや料理屋さん。
「児童館に貼らせてもらえないか聞いてみる」と言ってくれた主婦。
「自治会の集まりで配りたいからたくさんチラシが欲しい」と電話をかけてきてくれた美容院のお客さん。

 ・・・それこそ挙げればキリがないほどの人たちが、毎日毎日、ミーちゃんを見つけるために奮闘していました。

 私も「ポスターが欲しい」と言う人がいるたびに、メールやファックスで送ったりました。

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2008年10月27日

地域の再生と地域猫(5)

 地域総動員でミーちゃんの捜索を開始してから約一月半がたった頃です。あるひとりの女性が美容院を訪れました。
 近所の猫好きの方から
「最近、お宅にご飯をもらいに来る猫のポスターを駅前あたりで見た気がする」
 と聞き、気にしながら習い事に向かう途中、ポスターが目に留まったとか。

「ここ1〜2ヶ月くらい家にご飯を食べに来ている猫だと思います。人なつっこい猫だし、首輪もしていたので気になっていました」

 そう話す女性に
「今度、ご飯を食べに来たら、ミーちゃんを捕まえておいてください」
 とお願いし、その夜、数人で引き取りに行きました。

 しばらくぶりに会ったミーちゃんは、少し痩せたようでした。一回り小さくなって、体も汚れ、怖い目に遭ったのかちょっとオドオドしていました。連れて帰る途中の車の中で、何度も不安げに「ナ〜」と、かぼそい声で鳴きながら、窓の外を見ていました。

 心配していた商店街の人たちのお店にミーちゃんを連れて報告に行くと、みんな商売そっちのけで外に出てきました。涙を浮かべながら、「どこにいたの?」「よく戻って来たね」と、代わる代わる声をかけます。まだよく事情が飲み込めないらしいミーちゃんはキョトンとしたまま、みんなの腕に抱かれていました。

===
またまたポスター作成

 翌日、さっそく「ミーちゃん、戻って来たよ!」のポスターを作成。商店街のあちこちに貼ってもらいました。

 それから数日、ミーちゃんは美容院の指定の場所(電気マットの上)で、暇さあえあればずーっと眠っていました。ご飯はもらえていたかもしれませんが、安心して眠る場所が無く、精神的によほど疲れたのでしょう。

 でも、続々と尋ねてくるお客さんで、なかなかぐっすり眠れません。ポスターを見ては、心配していた人が一人、また一人「ミーちゃん見つかったんだって!」と尋ねて来ます。 そのたびにミーちゃんの眠りは妨げられ、しばらくの間、ひとしきり話しかけられたり、抱かれたり、撫でられたり・・・アイドルは休む間もない感じでした。

 そんな状態が、それこそ一月以上も続き、またまたミーちゃんの根強い人気を再確認させられました。

「顔見知り」がいっぱいに

 それから数ヶ月。商店街周辺では、「名前は知らないけど顔見知り」な人たちがやたらに増えました。「学生さん」「会社員の男性」「OL姉妹」「主婦の人」・・・以前は、商店街を無言で通り抜けていた人たちが、あいさつを交わすようになりました。

 中には、ミーちゃんのご飯を美容院に預けて行く人もいます。・・・みんなで話合ってミーちゃんのご飯は美容院の周囲であげることに決めたからです。

 ミーちゃんが発見された公園は商店街から4〜5キロ離れたところ。とても猫の足で歩いて行ける距離ではありません。首輪に付けていた名札も取られていました。そうしたことから、「ミーちゃんにご飯をあげることをよく思わない猫嫌いの人が捨てたのではないか」との説が有力になったためです。

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2008年11月05日

地域の再生と地域猫(6)

image_081105.jpg 商店街の店同士のご近所づきあいも盛んになりました。
 「ミーちゃん見た?」を合い言葉に、ミーちゃんの話題を通して、さまざまな会話が繰り広げられるようになったのです。
 
 通行人の方々を始め、あちこちからキャットフードが美容院に届くようになったことも、ご近所づきあいを促しました。
 あまりにも大量のキャットフードが届くので、美容院の人はミーちゃんにご飯をあげている他の店にも配りました。
 
 すると、今度は配ったお店の人が「ミーちゃんファンのお客さんが置いて行ったから」と果物を届けてくれたり、「市場で安売りしてたから」と、いろいろな物を分けてくれたりするようになりました。
 また、ミーちゃんの避妊手術をした金物屋さんは、旅行のお土産やケーキを持って美容院に遊びに来るようになり、ミーちゃんを発見した女性は時間があると美容院に立ち寄るようになりました。

===
人と人をつなぐ求心力

 美容院では、そうして各店から集まった「お返し」をまたキャットフードを持って来てくれた人たちにお裾分け。

「ごちそうさまです」
「また寄ってね」

「この前はありがとう」
「どういたしまして」

 ついこの前まで素通りしていた人たちの間で、そんなやりとりがごく普通に行われるようになったのです。

 さらに商店街の店同士では、駐車場の貸し借りや、お互いの店の前を掃除し合う風景なども、以前より見られるようになりました。

 ミーちゃんが人と人とをつなぐ求心力となったのです。まさに地域を再生させる地域猫のカガミ! 

“世話される弱い存在”が与えた幸せ

 今回の一件で分かったこと。それは長年、一方的に世話をされてきたように見えたミーちゃん、自分では何もできないミーちゃんに、「世話をする側の方が多くのものをもらってきていた」ということでした。
 
 世話をしているつもりの強い存在の方こそが、ミーちゃんという“世話すべき弱い存在”から、大きな大きな生きるエネルギーをもらい、ミーちゃんがいるというただそれだけで幸せを感じることができていたのです。

 だからこそミーちゃんは、地域をつなぎ止めるほどのチカラになり得たのでしょう。

 これは生命存在の真理にも迫るものすごいことです。

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2008年11月11日

地域の再生と地域猫(7)

image_081111.jpg 今、私たちの社会は「何でも自分で出来る人間」=「自立的な存在」をもてはやします。
 
 だれかに食べさせてもらったり、甘えたり、頼ったりすることは「子どもっぽいこと」とされ、たったひとりで生きられる人間になることが「いいこと」とされます。

 自分でお金を稼ぐことが出来ず、身の回りのことができず、人の手を借りなければやっていけない人間を「ダメな(甘えた)人間」と呼びます。子どもに対しては指導、しつけ、教育をして、一刻も早く「おとなにしてあげる」ことが愛情だと考えられています。

 とくに新自由主義と呼ばれる、自己決定と自己責任を個人に押しつける考えが席巻する今日において、この考え方は顕著です。

 そこでは“世話される弱い存在”は、あってはならないもの。もしくは価値のないものであって、ただのお邪魔虫(やっかい者)に過ぎません。

 こうした社会の考えを内面化し、相談に来られるクライアントさんの中にも「自分は自立できていないダメな人間だ」という罪悪感でいっぱいの方も多くおられます。

===
人間はひとりぼっちでは生きていけない

 しかし、その考えは間違っています。人間は本来、だれにも頼らず、ひとりぼっちでなど生きてはいけないのです。

 人間は、関係性の中で生きる存在です。特定のだれかとの愛着関係を持ち、そのままで受け入れてもらえる関係の中で安心し、支え、支えられる(ケアし、ケアされる)ことによって、孤独という根源的な不安を克服します。

 特定のだれかとの間で、そうした関係性を得られなかったときには、その寂しさを満たすための代用品を探します。

 代用品は、アルコール、ギャンブル、ショッピング、仕事、子どものお受験など、実にさまざまです。
 実生活や生身の人間との関係性に悪影響を及ぼすほどにまで、代用品の乱用がはじまると、「依存症」と呼ばれ、治療対象とされますが、多くの場合、当人はなかなかその問題性に気づきません。

社会全体がマネー経済依存症
 
 とくに、社会全体がその代用品を「価値があるもの」と考えている場合は深刻です。

 個人的な意見を言わせてもらえば、だれとも親密な関係を持たず、ひとりぼっちで生きられる人間を理想とし、巨額の利益を求めて投機を続け、株価の動向に一喜一憂する日本社会には、すでに「マネー経済依存症」になっている状態だと思います。

 しかし、多数の人が財産を殖やすための投資に夢中になり、「だれにも頼らずに生きていける経済力を持つべき」と思い込んでいるため、これだけ既存の経済システムのほころびが見えてきても、抜本的に見直そうという雰囲気にはなりません。

「酒を飲んでハメを外すのは当たり前」という文化では、アルコール依存症が見えにくくなり、賭け事が「男の甲斐性」と言われる思われる家庭ではギャンブルが問題視されにくくなるのと同じです。

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2008年11月21日

地域の再生と地域猫(8)

 閑話休題。
 もう一度、ミーちゃんという“世話される弱い存在”に目を向けてみましょう。

 ミーちゃんが地域にもたらしたもの。・・・それは「人間らしさの回復」です。ミーちゃんという小さき者が、私たちの感情を揺さぶり、共感能力を引き出し、結果的に、地域に人と人とのつながりをもたらしました。

「世話をしたい」と思わせる弱い存在。その存在こそが、私たちが見失いがちなものを教え、関係性をもたらし、孤独から解放してくれることを証明したのです。

 世知辛いこの世の中。ともすれば「だれかと支え合って生きる」という人間らしさが忘れられてしまいがちです。
 そうした今の社会においては、ミーちゃんのような存在。それはまさに地域になくてはならないものなのです。

===
深まる地域住民の溝
 
 こうした存在を力で排除しようとするとどうなるか・・・。

 今、東京都荒川区などで、野良猫にご飯を上げることを禁止する条例が制定されようとしています(こちら)。
 荒川区と言えば、人情あふれる下町のイメージですが、条例制定の話が持ち上がって以来、猫好きと猫キライの地域住民の溝がどんどん深まっているそうです(こちら)。

「自立した存在」が理想というフィクション

 繰り返しになりますが、すべてを自分一人でまかなう「自立した人間」になることなど、最初から不可能なことなのです。だからこそ私たちは、共感能力を発達させ、「人とつながる」ことによって、自らの身を守って来たのです。

 なんでも自分でできる「『自立した存在』こそが、理想的な人間の姿なのだ」ということなど、現代社会がつくり出したフィクションに過ぎません。

ミーちゃん再び行方不明

 実は、この「地域猫」の話を書き始めてからしばらくして、またミーちゃんが行方不明になりました。
 最近、どこかで子猫が産まれ、「ミーちゃんにくっついていればご飯がもらえる」と思ったのか、ミーちゃんの行く先々に出没していました。
 どうやらそのことをよく思わないだれかが、子猫と一緒にミーちゃんをどこかに捨てに行ったようです。

 警察にも相談しましたが、「(ミーちゃんの)所有者がはっきりしない」「猫は移動するもの」と、冷たくあしらわれました。
 ワクチンを打ち、避妊をし、病気やケガのときには病院に連れて行って治療し、みんなでご飯の場所を決め、美容院がメインで世話をしていたことを伝えても、対応は変わりませんでした。
「猫をめぐる地域のトラブルに関わりたくない」ということなのでしょうか。
 
見かけたらご一報を!

 現在、美容院を中心に、またまたチラシをつくり、ポスターを貼り、ミーちゃんを捜索中です。
 もし、同じ人が捨てたとなると、今度はかなり遠くまで運ばれた可能性があります。「一年後に見つかった」という奇跡的な話もありますから、あきらめずに探していきたいと思っています。

 みなさん、もし、左前足が曲がっている、しっぽがグレーで短い三毛猫を見かけたら、ご一報ください! それはミーちゃんかもしれません。
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2008年12月01日

暴力の裏に隠された意味(1)

 暴力の連鎖が止まりません。
 9月には、秋葉原事件(「絶望と自殺」参照)の話を書きましたが、それからごくわずかな期間に、大阪市の個室ビデオ店放火事件、元厚生事務次官家族の殺害事件など、直接的には関わりのない他者を破壊しようとする事件が相次いでいます。

子どもの暴力も増加
 
 子どもたちの暴力も増加傾向です。
 今月20日に文部科学省が発表した問題行動調査によると、小学校から高校までのすべてで暴力行為が過去最多となり、5万件を超えました。

 調査対象を国立・私立まで広げたことや、報告すべき暴力の定義を広げたことも増加の
一因とされていますが、前年に比べて18%も増えています。
 中でも小学校での増加が著しく、なんと37%の増加です。

 なぜ、こんな暴力社会になってしまったのでしょうか。

 その意味を考える前に、「どういう社会をつくっていくのか」に対して、大きな責任を持つはずの政治家の話から始めたいと思います。

===
首相の失言
 
 私たちが投票によって政治家を選び、政府に権力を与え、税金を納めるのは、「だれもが安心して幸せに生きていける社会をつくる」ためです。

 ところが最近の政治家の方々の話を聞いていると、まったく意味をはき違えているように思えます。

 たとえば、“失言”続きの麻生首相。
 先日の全国知事会議で「医師には社会的な常識がかなり欠落している人が多い」と発言して謝罪したばかりだというのに、20日に開かれた政府の経済財政諮問会議でもまたまた問題発言をしてしまいました。
 
 自らが出席した同窓会の話を引き合いに出しながら、「67歳、68歳で同窓会にゆくとよぼよぼしている。医者にやたらかかっている者がいる」、「たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」などと言っていたことが、議事要旨の公開から明らかになったのです。

 与謝野経済財政相が社会保障費の抑制や効率化の重要性を指摘したのを受けてのことでした。
 
 さらに、「彼ら(同窓生)は、学生時代はとても元気だったが、今になるとこちら(首相)の方がはるかに医療費がかかってない。それは毎朝歩いたり何かしているから」とも言ったとか。

 つまり「自分は頑張って健康を維持している。それなのにただ飲んだり、食べたり“のんべんだらりと”過ごし、何の努力もしていない連中のために使う金などない」ということなのでしょうか。

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2008年12月08日

暴力の裏に隠された意味(2)

本来、政治家の仕事は、“人の傷み”をくみ取り、それを政治の中に生かすことであるはずです。

それにもかかわらず、働けない人、健康でない人、「たらたら飲んで、食べて、何もしない」(麻生首相)でしか生きられない人の苦しみを理解しようとせず、なぜ彼らがそうした中で暮らしているのかを検証しようともしないまま、「健康維持も個人の努力」とばかりに「自分は努力をし、たくさん税金も払っている。それを努力しない人間のために使いたくない」などと言うなんて、政治家としての資質を問われるべき発言です。

 戦前に大量の朝鮮人労働者を強制連行し、ただ同然で働かせて利益を上げた麻生炭鉱を土台に発展し、九州屈指の企業グループの御曹司として生まれ育った首相(マスコミが書かない麻生財閥の深い闇)。その「特殊な生い立ちが成せる技なのか」などと、うがった見方もしたくなってしまいます。

===
もう一人の気になる政治家

 同様に、発言からその生い立ちが気になる政治家がもう一人います。大阪府の橋下知事です。

 タレント弁護士として有名だった橋下知事は「子どもが笑う大阪」を掲げて府知事に当選。最近は、もっぱら教育問題に取り組んでいます。

 たとえば約340億円の教育費を削りました(前年度比)。おかげで障がいのある子などへの「支援教育の充実」は約5億円、不登校など「課題を持つ子どもへの支援」は約2億円減、私学助成金は小中学校25%、高校10%削減です。

脅迫してテスト結果を開示

 そうやって子どもが育つための土壌を壊す一方で、なぜか全国学力テストの点数を上げるための対策には熱心です。

 この秋に公表された全国学力テスト(「学力テスト不正問題」参照)の結果が、二年連続で全国平均を大きく下回り、低迷していたことの理由を「自治体ごとの点数が公表されていないから頑張ろうとしない」と断じ、教育委員会に迫ったことは有名です。
 ラジオなどで「クソ教育委員会」などの汚い言葉で教育委員会を批判したことは記憶にも新しいでしょう。

 教育委員会を「クソ」呼ばわりしたことについては、早々に「オカン(母親)に怒られた」と反省したものの、その後も「公表しないなら府教委は解散」「府は義務教育から引く」(『朝日新聞』九月七日)など、本来知事権限にはない、できもしないことを並べては府教委を恫喝。市町村教委に対しては「公表するかしないかで予算に差を付ける」などと脅しました。
 その結果、大阪府のほとんどの自治体がテスト結果を開示しました。

うそぶく知事

 こうした経緯を棚に上げて開示にあたっての記者会見で知事は、こんなふうにうそぶいたのです。

「僕が何か強要したとかいうことではなくて、市町村教委の自主的な判断で公表していただいた。僕は市町村教委に対して具体的な直接的な人事権も予算権も持っていません。政治家として出来る範囲のことを精一杯やっただけ」
(詳しくは大阪府のホームページ「2008年10月16日知事定例会見」参照)

また、同じ記者会見の場で、上記のようなやり方について「教育現場の信頼を損ねたのではないか。もう少し違うやり方があったのではないか」という記者の質問に対しては、
「まったくないですね。(略)自分自身としてはほかの方法というものは思いつきません」とも答えました。

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2008年12月18日

暴力の裏に隠された意味(3)

 この橋下知事。自らが大幅にカットした私学助成金や、進む高校統廃合を見直して欲しいという高校生たち(「大阪の高校生に笑顔をくださいの会」)との意見交換会(10月23日)では、こんな発言もしています。

高校生:いじめを受け不登校になり、公立を諦めた。私学助成を削らないで欲しい。
知事:(私立は)あなたが選んだのではないか。いいものを選べば値段がかかる。
高校生:非常勤補助員の先生の職を奪わないで。
知事:世の中でどれだけ会社がつぶれて失業者が出ているか分かっているか?
高校生:税金は教育や医療、福祉に使って。
知事:あなたが政治家になってやればいい。
高校生:学費がなくて夢をあきらめる子もいる。
知事:夢と希望を持って、努力すれば今からでもできる。
高校生:倒れた子はどうなるのか?
知事:最後には生活保護がある。受けられないのは申請の仕方が悪い。(自己責任が嫌なら)国を変えるか、日本から出るしかない。

===
 決死の思いで不登校やいじめ、親のリストラなど、辛い体験を語る高校生に対して、知事はたたみかけるように矢継ぎ早に質問し、中には涙ぐむ子もいました。その様子は、関西のニュース番組などでも放映されました。
 意見交換会の内容をもっと詳しく知りたい方は大阪教職員組合のホームページをご覧ください。

思いを伝えるための暴力

 こうした政治家たちの発言を見る限り、彼らには「“人の傷み”をくみ取りとろう」という姿勢はまったく見られないと言っていいと思います。
 それどころか、弱い立場にある者を追い詰め、「お前の不遇は、自身の努力が足りないからだ」と自己責任を迫っています。
 
 社会のおかしさを一生懸命分かってもらおうと説明しても、「政治家(権力者)になって世の中を変えろ」だの、「嫌なら日本から出て行け」などと言われたら、立場の弱い人間、何の権限も持たない子どもは、いったいどうしたらいいのでしょうか。

 もちろん、暴力を肯定するつもりはありません。でも、何を言っても潰されてしまう弱い立場の者が、その思いを伝えようとしたら、「暴力に訴える以外に道はない」と思い詰めたとしても、何ら不思議ではないのではないでしょうか?

 少なくとも私には、その気持ちが分かるような気がします。

「言葉を奪われたら、暴力に訴えるしかない」

「言葉を奪われたら、暴力に訴えるしかないじゃないか」

 自らの体験から発されたその言葉は、私の胸をえぐりました。
 高野雅夫さんという、全国に夜間中学をつくる活動をしている方の講演で聞いたセリフでした。今から15年ほど前のことです。

 高野さんは、戦争孤児として闇市を生き抜いた方でした。バタ屋のお爺さんと出逢ったことがきっかけで文字を知り、その意味を、その大切さを実感し、いくつになっても学ぶ機会を提供する夜間中学校をつくる運動に取り組むようになったそうです。
 その半生は、自ら綴った『

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2008年12月24日

暴力の裏に隠された意味(4)

 詳しくは前回ご紹介した本を読んでいただくとして、少しだけ説明させていただきます。

 文字に出会うまでの高野さんの半生は、「壮絶」のひと言につきます。

 高野さんは、満州で父と死に別れ、引き上げの途中で母とはぐれ、泣き叫ぶ赤ん坊を自ら殺す母親の姿を見ながら日本に戻りました。

 日本に着いてからは、元将校を名乗る男に物乞いの道具として利用され、文句を言ったところ殴られて捨てられ、次に拾われた農家ではほとんど飲まず食わずでこき使われ、嫌になって飛び出しました。わずか10歳の頃です。

===
 腹ぺこでうろついていたとき、大邸宅の芝生の庭で犬が肉を食べている姿を見て、無性に腹が立ち、石を投げたら警察につかまったのですが、自分の名前も書けなかった高野さんは「精神異常者」と言われ、放免されたそうです。
 その頃の高野さんは、いつもジャックナイフを懐に入れ、ケンカやカツアゲを繰り返し、暴力によって、自分で自分の身を守っていました。

 前回書いた「言葉を奪われたら、暴力に訴えるしかないじゃないか」というセリフは、当時の自分を振り返った高野さんが、自らの行動を述懐しての言葉です。

 語る言葉を持たない、書く文字を持たない、聞いてくれる人を持たない、人として認めてもらえない高野さんにとって、「自分の思い」を伝えるには暴力に訴えるしかなかったのです。

高校生によるプレゼンテーション

 高野さんのその言葉を思い出したのは、それから5年後のことです。ひとりの高校生が、子どもの権利条約に基づく国連「子どもの権利委員会」委員の人たちへのプレゼンテーション(1998年)で、こんなふうに言ったのです。

 私たち子どもは「子どもだから」と話合う場を用意されず、学校では言うように教えられても言う場を与えられず、もし意見を言っても聞いてもらえません。
 また、意見を言わなくても生きていける、物質的には裕福な社会にいます。逆に意見を言ったために周りから白い目で見られ、孤立させられてしまうなど、時にも思いもよらぬ不当な扱いを受けることもあります。
 そうしているうちに、多くの子どもたちは意見を言うのを恐れ、また言っても変わらない現状に疲れ、自分の意見を主張するのを止めていきます。

 本人も言うとおり、世界的に見れば日本は豊かな国です。今から10年前は、今よりもずっと「中流思考」が強く、「日本は豊かな国だ」という意識は、もっと強かったように思います。
 そして、高校生はそんな日本という国に暮らす恩恵を受け、文字も、言葉も、学校教育も、手に入れていました。
 ところが、「たとえ言葉があっても、『言う場』が無く、『聞いてもらえる場』も無い」と訴えたのです。

酒鬼薔薇事件の犯行声明文

 その前年(1997年)の夏には、酒鬼薔薇事件と呼ばれる14歳の少年による小学生を殺害し、その頭部を中学校の校門前に置くという衝撃的な事件が起きていました。
 後に少年Aと呼ばれた彼が神戸新聞に送った犯行声明文にもまた、「文字を知っていても、語る場も、認めてくれる人もいない」悲しみと怒りが綴られていました。
 以下は犯行声明文の抜粋です。

 しかし悲しいことにぼくには国籍がない。今までに自分の名で人から呼ばれたこともない。もしボクが生まれた時からボクのままであれば、わざわざ切断した頭部を中学校の正門に放置するなどという行為はとらないであろう
 やろうと思えば誰にも気づかれずにひっそりと殺人を楽しむ事もできたのである。ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたいのである。それと同時に、透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない。

 このA少年が秋葉原事件の容疑者と同い年であることは、よく知られています。

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暴力の裏に隠された意味(4)

 詳しくは前回ご紹介した本を読んでいただくとして、少しだけ説明させていただきます。

 文字に出会うまでの高野さんの半生は、「壮絶」のひと言につきます。

 高野さんは、満州で父と死に別れ、引き上げの途中で母とはぐれ、泣き叫ぶ赤ん坊を自ら殺す母親の姿を見ながら日本に戻りました。

 日本に着いてからは、元将校を名乗る男に物乞いの道具として利用され、文句を言ったところ殴られて捨てられ、次に拾われた農家ではほとんど飲まず食わずでこき使われ、嫌になって飛び出しました。わずか10歳の頃です。

===
 腹ぺこでうろついていたとき、大邸宅の芝生の庭で犬が肉を食べている姿を見て、無性に腹が立ち、石を投げたら警察につかまったのですが、自分の名前も書けなかった高野さんは「精神異常者」と言われ、放免されたそうです。
 その頃の高野さんは、いつもジャックナイフを懐に入れ、ケンカやカツアゲを繰り返し、暴力によって、自分で自分の身を守っていました。

 前回書いた「言葉を奪われたら、暴力に訴えるしかないじゃないか」というセリフは、当時の自分を振り返った高野さんが、自らの行動を述懐しての言葉です。

 語る言葉を持たない、書く文字を持たない、聞いてくれる人を持たない、人として認めてもらえない高野さんにとって、「自分の思い」を伝えるには暴力に訴えるしかなかったのです。

高校生によるプレゼンテーション

 高野さんのその言葉を思い出したのは、それから5年後のことです。ひとりの高校生が、子どもの権利条約に基づく国連「子どもの権利委員会」委員の人たちへのプレゼンテーション(1998年)で、こんなふうに言ったのです。

 私たち子どもは「子どもだから」と話合う場を用意されず、学校では言うように教えられても言う場を与えられず、もし意見を言っても聞いてもらえません。
 また、意見を言わなくても生きていける、物質的には裕福な社会にいます。逆に意見を言ったために周りから白い目で見られ、孤立させられてしまうなど、時にも思いもよらぬ不当な扱いを受けることもあります。
 そうしているうちに、多くの子どもたちは意見を言うのを恐れ、また言っても変わらない現状に疲れ、自分の意見を主張するのを止めていきます。

 本人も言うとおり、世界的に見れば日本は豊かな国です。今から10年前は、今よりもずっと「中流思考」が強く、「日本は豊かな国だ」という意識は、もっと強かったように思います。
 そして、高校生はそんな日本という国に暮らす恩恵を受け、文字も、言葉も、学校教育も、手に入れていました。
 ところが、「たとえ言葉があっても、『言う場』が無く、『聞いてもらえる場』も無い」と訴えたのです。

酒鬼薔薇事件の犯行声明文

 その前年(1997年)の夏には、酒鬼薔薇事件と呼ばれる14歳の少年による小学生を殺害し、その頭部を中学校の校門前に置くという衝撃的な事件が起きていました。
 後に少年Aと呼ばれた彼が神戸新聞に送った犯行声明文にもまた、「文字を知っていても、語る場も、認めてくれる人もいない」悲しみと怒りが綴られていました。
 以下は犯行声明文の抜粋です。

 しかし悲しいことにぼくには国籍がない。今までに自分の名で人から呼ばれたこともない。もしボクが生まれた時からボクのままであれば、わざわざ切断した頭部を中学校の正門に放置するなどという行為はとらないであろう
 やろうと思えば誰にも気づかれずにひっそりと殺人を楽しむ事もできたのである。ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたいのである。それと同時に、透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない。

 このA少年が秋葉原事件の容疑者と同い年であることは、よく知られています。

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2008年12月31日

暴力の裏に隠された意味(5)

 子どもの権利条約に基づく第一回目の日本政府報告審査(1998年)で、国連「子どもの権利委員会」が「成長発達のすべての場で、日本の子どもたちは競争(管理)と暴力、プライバシーの侵害にさらされ、意見表明を奪われ、その結果、発達が歪められている」と勧告してから10年。
 
 当時、国連「子どもの権利委員会」が、子ども(若者)と呼んだ人々の中には、すでに30歳以上となった人もいます。
 そうした世代の多くが、前回のブログで書いたように、透明人間のように扱われ、言葉を奪われ、自らを殺して生きざるを得なかったと考えるのは考えすぎでしょうか?

 でも、私は確かに聞いたのです。多くの子どもたちの「酒鬼薔薇化(少年A)の気持ちが分かる」というセリフを。
 たとえばその一人で、当時、少年Aと同じ年だった女子高校生は、こんなふうに言いました。

 こうやってずーっと競争させられて、まわりを見ながら生きて、そうしたら「ほっとできるのなんて、定年退職してからじゃん」って思ったら、なんか嫌になっちゃったよ。社会が変わるっていうか、変えられることなんかあるのかな?

 彼女の後ろには、おとな(社会)への期待を捨て、思いを飲み込み、自らの不遇を「自分の努力が足りないせい」としてあきらめようとする無数の子どもたちの姿が見える気がしました。

===
ほぼ3人にひとりの子どもが「孤独」

 それから10年もの間、私たちの社会は、こうした子どもたちを「努力をしない甘えた子ども」として、毅然とした態度で、その尻を叩いてきました。
 あきらめの境地に至るしかなかった子どもたちの無念さに共感するのではなく、それを自らの責任として、納得するように仕向けてきました。
「しつけ」「指導」「教育」そんな言葉を並べて、子どもの思いや願いを潰し、今の社会に適応するよう迫ってきました。
 
 その結果、「だれにも分かってもらえない」という感覚を子どもたちの中に植え付け、孤独の中で生きる価値さえ分からなくなった人間をたくさん生んでしまいました。

 2007年に国連児童基金(ユニセフ)が発表した、経済協力開発機構(OECD)加盟国を対象に実施した子どもの「幸福度」に関する調査結果によると、「自分は孤独だと感じる」率が回答のあった24カ国中、日本はトップ。ほぼ3人にひとりの子ども(対象は15歳)が孤独を感じている計算になります(『毎日新聞』11月17日)。

 それでも多くは、「仕方がない」「自分が悪い」と、文句も言わず、言葉を飲み込み、今の境遇に甘んじて生きようと頑張ります。

 けれども中には、そうしたところに自分を追い込んだおとな(社会)に、復讐を企てようという者も出てきます。

 そうして言葉を奪われた人間が「こんな人生は嫌だ」「社会は変わるべきだ」と、その人生をかけて、今できる精一杯の方法で起こした訴えこそが、今、多発している暴力なのではないでしょうか。

増加続ける無差別殺傷事件

 2008年中に(11月末まで)に全国で発生した通り魔殺人事件(未遂を含む)は13件で、死傷者は42人。統計を取り始めた1993年以来最悪の数字となっています。刑法犯全体が減少し続けている中で、「だれでも良かった」という殺傷事件だけが増加していることになります(『東京新聞』12月12日)。

 こうした暴力を「本人の問題」「規範意識の低下」と位置づけ、厳罰に処して、社会から抹殺しても、暴力の連鎖は止まりません。
 子どもを高見から見下ろし、「お前が悪い」「もっと努力しろ」と、“叱咤激励”しても子どもたちの孤独は埋まりません。

 今、必要なのは、孤独に喘ぐ子どもの思い(もちろん身体表現や欲求なども含みます)をきちんと受け止め、「暴力のかたちを取らなくとも、きちんと聞いてもらえるのだ」という実感を持てるような関わりをしていくことです。

同じ地平に立って

 同じ地平に立たなければ、同じ風景は見えません。

 当事者の辛さは本人にしか分からないことは明らかですが、せめてその隣に寄り添い、少しでもその辛さを共有できる人間でありたいと思っています。
 そうした小さな力が、だれもが暴力など使わなくても幸せに生きていける社会の第一歩になるはずですから・・・。

 今年一年、おつきあいいただきどうもありがとうございました。来年もよろしくお願い致します。
 2009年が多くの方にとってよい年となりますように。

2008年12月31日

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暴力の裏に隠された意味(5)

 子どもの権利条約に基づく第一回目の日本政府報告審査(1998年)で、国連「子どもの権利委員会」が「成長発達のすべての場で、日本の子どもたちは競争(管理)と暴力、プライバシーの侵害にさらされ、意見表明を奪われ、その結果、発達が歪められている」と勧告してから10年。
 
 当時、国連「子どもの権利委員会」が、子ども(若者)と呼んだ人々の中には、すでに30歳以上となった人もいます。
 そうした世代の多くが、前回のブログで書いたように、透明人間のように扱われ、言葉を奪われ、自らを殺して生きざるを得なかったと考えるのは考えすぎでしょうか?

 でも、私は確かに聞いたのです。多くの子どもたちの「酒鬼薔薇化(少年A)の気持ちが分かる」というセリフを。
 たとえばその一人で、当時、少年Aと同じ年だった女子高校生は、こんなふうに言いました。

 こうやってずーっと競争させられて、まわりを見ながら生きて、そうしたら「ほっとできるのなんて、定年退職してからじゃん」って思ったら、なんか嫌になっちゃったよ。社会が変わるっていうか、変えられることなんかあるのかな?

 彼女の後ろには、おとな(社会)への期待を捨て、思いを飲み込み、自らの不遇を「自分の努力が足りないせい」としてあきらめようとする無数の子どもたちの姿が見える気がしました。

===
ほぼ3人にひとりの子どもが「孤独」

 それから10年もの間、私たちの社会は、こうした子どもたちを「努力をしない甘えた子ども」として、毅然とした態度で、その尻を叩いてきました。
 あきらめの境地に至るしかなかった子どもたちの無念さに共感するのではなく、それを自らの責任として、納得するように仕向けてきました。
「しつけ」「指導」「教育」そんな言葉を並べて、子どもの思いや願いを潰し、今の社会に適応するよう迫ってきました。
 
 その結果、「だれにも分かってもらえない」という感覚を子どもたちの中に植え付け、孤独の中で生きる価値さえ分からなくなった人間をたくさん生んでしまいました。

 2007年に国連児童基金(ユニセフ)が発表した、経済協力開発機構(OECD)加盟国を対象に実施した子どもの「幸福度」に関する調査結果によると、「自分は孤独だと感じる」率が回答のあった24カ国中、日本はトップ。ほぼ3人にひとりの子ども(対象は15歳)が孤独を感じている計算になります(『毎日新聞』11月17日)。

 それでも多くは、「仕方がない」「自分が悪い」と、文句も言わず、言葉を飲み込み、今の境遇に甘んじて生きようと頑張ります。

 けれども中には、そうしたところに自分を追い込んだおとな(社会)に、復讐を企てようという者も出てきます。

 そうして言葉を奪われた人間が「こんな人生は嫌だ」「社会は変わるべきだ」と、その人生をかけて、今できる精一杯の方法で起こした訴えこそが、今、多発している暴力なのではないでしょうか。

増加続ける無差別殺傷事件

 2008年中に(11月末まで)に全国で発生した通り魔殺人事件(未遂を含む)は13件で、死傷者は42人。統計を取り始めた1993年以来最悪の数字となっています。刑法犯全体が減少し続けている中で、「だれでも良かった」という殺傷事件だけが増加していることになります(『東京新聞』12月12日)。

 こうした暴力を「本人の問題」「規範意識の低下」と位置づけ、厳罰に処して、社会から抹殺しても、暴力の連鎖は止まりません。
 子どもを高見から見下ろし、「お前が悪い」「もっと努力しろ」と、“叱咤激励”しても子どもたちの孤独は埋まりません。

 今、必要なのは、孤独に喘ぐ子どもの思い(もちろん身体表現や欲求なども含みます)をきちんと受け止め、「暴力のかたちを取らなくとも、きちんと聞いてもらえるのだ」という実感を持てるような関わりをしていくことです。

同じ地平に立って

 同じ地平に立たなければ、同じ風景は見えません。

 当事者の辛さは本人にしか分からないことは明らかですが、せめてその隣に寄り添い、少しでもその辛さを共有できる人間でありたいと思っています。
 そうした小さな力が、だれもが暴力など使わなくても幸せに生きていける社会の第一歩になるはずですから・・・。

 今年一年、おつきあいいただきどうもありがとうございました。来年もよろしくお願い致します。
 2009年が多くの方にとってよい年となりますように。

2008年12月31日

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2009年07月29日

人は、ひとりぼっちでは生きていけない(3)

 幼い子どもでさえ「子どもらしく」振る舞うことが否定されるのですから、大のおとなが甘えることを許されないのはまったくもって当然のことです。

 今まで以上に、誰かに頼ったり、弱みを見せたりすることは「いけないこと」とされ、何でも自分ひとりでできるようになること、そのために努力することが「いいこと」と考えられるようになりました。

===
弱さを見せることは負け

 そうした社会・・・競争によって利益を奪い合う社会、弱さを否定してひたすら前身すすることを求められる社会では、弱さを見せることは負けを意味します。
 
 だから、だれもが「たったひとりでも生きられる完璧な自分であろう」として汲々としています。

 「完璧であろう」とするから、困ったことがあっても助けを求められない。

 自分ひとりではどうにもならないときに、他の人の力をきちんと利用できない。

 とにかく“自立”した人間であろうと頑張るから、人に頼ることは「依存」だと考える。

 弱みを隠して仮面をかぶり、何でもひとりでやろうとするからだれともつながれない。

 「だれかに頼りたい」と思う自分を「情けない」と責める。

 そんなふうに考えて頑張り続け、苦しんでいるクライアントさんはとても多いように思います。

 でも、自分を叱咤激励しながら「完璧を目指そう」としても、無理は続きません。

 よしんば無理に頑張り続けることが出来たとしても、その“ゆがみ”は、心や体、人間関係など、さまざまなところに現れます。

おとなにも安全基地が必要

私たちは、自分をそのままで受け入れてくれる他者ーー金持ちだとか、能力があるとか、容姿が美しいとかなどのいっさいの条件無しに、自らを認めてくれる他者ーーとの安心できるつながりがあって始めて、「自分はかけがえのない存在だ」という確信を手に入れることができ、けして楽なことばかりではない人生を生き抜いていくことができます。

 子どもであれば、たとえ何もできない存在であっても「あなたが世界一愛おしい」と言ってくれ、安心して身を委ねることができるおとな(安全基地)が必要です。

 子どもは安全基地となるおとなとの関係性を通して、その対象と同一化し、たとえそのおとなと離れていても、いつでも一緒にいて「守ってもらえている」という感覚を育てることができます。
 
 おとなになれば、子どものように一方的にだれか頼るということは難しくなりますが、一切の条件無しに、お互いに頼り合い、支え合い、甘え合うことができる他者ーーお互いに安全基地となれる他者ーーとの関係性を通して、安全感や安心感を持って生きて行くことができます。

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2009年08月07日

人は、ひとりぼっちでは生きていけない(4)

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 そんな「安全基地が欲しい」というあたりまえのこと・・・たとえば、疲れたときに心と体を休め、傷ついたときに慰めてもらい、困ったときに助けてもらうが否定される社会の中で、私たちはいつも臨戦態勢で生きることを強いられています。

 だから、とてもではないけれども自らの素顔を他人にさらすことなどできません。

 競争によって利益を奪い合うことを強いられる世の中で、どうにかやっていくことに汲々としている私たちにとって、本当はちっぽけでしかない自分の姿を見せることは、かなり勇気のいることです。

 生き延びるためになるべく多くのものを手に入れ、そんな自分を支えるだけでせいいっぱい。
 だから、だれかに何かを「与える」ことも苦手です。
 
 ちっぽけな自分をさらけ出し、「与える」ことによってこそ、他者とのつながりが生まれ、その相手が計り知れないほどの豊かなものを返してくれるということ。そうした関係性こそが、ひとりで生きていくことはできない私たちを孤独の淵から救い出してくれるのだということが、なかなか信じられません。

 それどころか、「与える」対象のことを「ただの厄介者」のように思ってしまうこともよくあります。

「小さな存在」が持つ力

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 そんな私たちに、ミーちゃんは「人生を幸せに生きるためには何が必要なのか」を教えてくれました。

「奪う」よりも「与える」方が豊に生きられること、だれかを「疑う」よりも「信じる」方が安全に生きられること、素顔のままで他者と向き合うことの大切さを思い出させてくれました。

 そして、効率的で合理的、きれいな街よりも、飼い主のいない犬や猫が安心して暮らせるような“隙間”や、飾らない人付き合いのある街の方がずっと住みやすいことも教えてくれました。

 ミーちゃんは、電柱やポストのように「ただそこにいる」ことで、地域の人々をつなげ、人の輪を広げてくれました。
 今の社会で破綻せずに生きていくために世間で通用する“ちゃんとした人間”であろうと頑張る私たちに、ありのままの自分に戻るチャンスをくれました。そうやって「人は損得を忘れてだれかとつながっていけるのだ」という可能性を示してくれたのです。

 そう、「世話をされなければ生きられない存在」であるミーちゃんは、私たち人間がだれかと安心できる関係性を持って生きていくためには小さな存在が必要だということ。小さな存在には、私たちを孤独の中から救い出してくれる力があることを証明してくれたのです!

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2009年08月14日

人は、ひとりぼっちでは生きていけない(5)

image090814.jpg これは本当にすごいことです!
 
 何度もこのブログでも書きましたが、「何でも自分でできる『自立した人間』」などというものは、今の社会が創り出したフィクションに過ぎません。

 私たち人間は、みな「だれかとつながりたい」という欲求を持って生まれてきます。
 赤ちゃんが、たとえお腹が空いていなくても「側にいて欲しい!」と、温もりを求めて泣くことを思い出してください。

 特定のだれか、自分に安心感・安全間をくれるだれかと「つながっている」という感覚は、一人生まれ、死んでいく私たち人間が、人間存在として抱えている根源的な孤独や不安から解放されるためになくてはならないものです。

===
感情を揺さぶるミーちゃん

 そんな「人間らしさ」を否定しようという社会の中で、ミーちゃんは「弱い存在」であることで、私たちの心に眠る「人間らしい」感情を呼び起こしました。

「放っておけない」
「かわいそう」
「なついてくれてかわいい」

 そんな感情をわき起こさせ、私たちが生まれながらに持っている「ひとりぼっちは寂しいよね」という共感能力を引き出し、「何もしてあげられなくてごめんね」という罪障感を喚起し、「何かしてあげたい」という「与える」素晴らしさを思い出させてくれたのです。

 強くてポジティブで、人を蹴落としてでも、上を目指して邁進できる「自立した人間」が理想とされる社会。弱音を吐くことが「負け」につながるような社会。
「人間らしい」ものよりも、物質的なものが重視され、みんなが疲弊し、感情にふたをしなければ生きていけないような社会。

 そんな今の社会では、ミーちゃんのような「弱い存在」は、なくてはならないものなのです。

「自立した人間」は本当に理想?

 私たちは本当に、すべてをお金で解決し、ひとりで何でもできる「自立した人間」として生きていきたいでしょうか?
 だれにも頼らず、仮面をかぶって、競争に勝ち残り、ひとりぼっちで豊かな生活を送りたいでしょうか?

 ミーちゃんのような猫が生きられない、すべてが合理的できれいに整備された街に住みたいでしょうか?
 人とのつながりを断ち、監視カメラやパトロールに守られ、ルールでがちがちに縛られた社会に暮らしたいでしょうか?

私たちが必要とする社会とは

 きっとそうではないでしょう。
 私たちが本当に必要としているのは、どんな小さな存在も安心して生きられる社会です。たとえ経済的な利益は生まなくても「あなたはかけがえのない存在だ」と言ってくれる人が、傍らにいる人生です。

 けしてひとりぼっちでは生きられない私たちが暮らしたいのは、そこかしこで飼い主のいない猫がまどろんでいるような街。さまざまなものを許容する余裕があり、お互いに信頼できる関係性がある街。
 ミーちゃんのような存在が、人間を信頼しながら、共に生きていくことができる街なのです。

 そんないくつも大切なことを教えてくれたミーちゃんが、一日も早く帰ってきますように!

 情報は今も募集中です。

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2009年08月25日

感情はもううざいし要いらない(1)

「感情はもううざいし要らない」

 これは、つい最近、私が知ったBENNIE Kというユニット歌手の歌『モノクローム』の一説です。
 
 びっくりするほど芸能情報にうとい私に、この歌のことを教えてくれたのは、「子どもの声を国連に届ける会」に参加している高校生でした。
「うちの妹が好きな歌」と紹介してくれたのです。

===
CA055.jpgパピーウォーカーとは

 ところで、話はちょっと横道にそれるようですが、私が「絶対にできない」と思っていることのひとつに、パピーウォーカーというボランティアがあります。

 パピーウォーカーは、将来の盲導犬候補の子犬を1年ほど預かり、育てるボランティアです。
 その1年の間に、パピーウォーカーは家族の一員として、とにかくありったけの愛情を込めて子犬をかわいがります。
 いろいろな場所に一緒にでかけ、驚いたり、喜んだり・・・そんなたくさんの経験を子犬にしてもらいます。

 人間と何かをする楽しさを知ってもらうことで、子犬の中に「人間は信用できる」という人間との信頼関係を築きます。
 この信頼関係が、その子犬が盲導犬となったときに「人間のために生きることは楽しい」と思え気持ちの基礎となるのだそうです(詳細は財団法人日本盲導犬協会 - パピーウォーカーについて)。

平常心では見られない子犬との別れ

 たぶん、テレビのペット番組などで、パピーウォーカーの仕事を観たことがある人も多いことでしょう。
 ドラマ化された『盲導犬クィールの一生』は、動物好きを大きな感動の渦に巻き込みました。

 でも、私はどうも苦手です。
「今日こそはがんばって最後まで見よう」と決心するのですが、どうしても最後まで見られません。
 
 見られるのは、パピーウォーカーとなった一家が楽しく子犬と過ごしているシーンまで。預かってから1年経ち、子犬を盲導犬協会に返す場面になると、もう、とても平常心では見ていられません。

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2009年09月03日

感情はもううざいし要いらない(2)

NEC_0002.jpg だって、あれだけ毎日毎日、たくさんの時間を共に過ごしてきた犬です。おしっこやうんちの世話をし、変な物を食べてお腹をこわしたときには添い寝をし、雨の日も風の日も散歩をして、一緒に歩んできた犬です。
 何より、「ずーっとこの人と生きていくんだ」と信じて疑わない犬です。

 そんなふうに思っている犬が、見知らぬ人たちに車に乗せられ、パピーウォーカーの家を離れるのです。
 鼻を鳴らして必死で家族にしがみつく犬の姿が、私の愛犬(ゴールデン・レトリーバー)に重なります。

 そこでもうギブアップ。「ああ、もうこれ以上は見ていられない」と、たまらず別の番組に変えてしまいます。

===
ワクワク、ドキドキ生きていく?

 だから正直言って、パピーウォーカーのもとを離れた盲導犬候補生がどんな毎日を送り、どんなふうに訓練されていくのか私はよく知りません。

 でも、「きっと、一時の別れは辛くても、その後、新しい環境のもとでかわいがられ、愛情を注がれて生きていくんだろうな」と思ってきました。

 人間がとにかく大好きで、いくつになっても子犬のように私にじゃれついてくるわが家の犬(もうすぐ9歳だと言うのに、道行く人からは「3歳くらいですか?」と言われます)を見つめながら、「きっとこのコと同じように、『人間と一緒に何かをすることが大好き!』と思って、毎日、ワクワク、ドキドキしながら生きていくんだろう」と、漠然と考えていたのです。

ホームで出会った盲導犬

 実はこの前、駅のホームでたまたま盲導犬を見かけました。
 ちょうど事故があり、ホームはかなりの混雑。電車の発着状況を告げるアナウンスが、途切れることなく流れ、駅はいつも以上にざわついています。

 そんなホームでただひたすらジーッとして、盲導犬ユーザーさんの傍らにいる盲導犬。その周囲では女のコたちが「かわいいっ」とささやき、こっそり写真撮影などしていました。
 何しろお仕事中の盲導犬に声をかけたり、触ったりするのは御法度。まかり間違って集中力が途切れ、うまくユーザーさんを誘導することができなくなってしまっては大変です。

 だから私も、女のコたちに紛れながら、刺激を与えないようにちょっと距離をおいて、その様子を観察していました。

「こんなに人がいっぱいいるのにあんなに落ち着いていてすごいなぁ」
「うちの犬だったら、こんな喧噪の中であんなにジーッとしていられないよなぁ」
「やっぱりちゃんと訓練を受けると周囲の刺激にも動じなくなるんだなぁ」

 最初は、ひたすらそんなふうに感心しながら見ていました。

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2009年09月16日

感情はもううざいし要いらない(3)

 それからしばらくの間、私はその盲導犬の動きを観察していました。
 なかなか電車が来なかったので、その間たっぷり15分はあったでしょうか。盲導犬は(当たり前のなのでしょうが)微動だにせず、ただジーッとユーザーさんの足下でうずくまっていました。

 満杯の電車を見送り、次の電車に乗るつもりなのでしょう。ユーザーさんはようやく到着した電車には乗ろうとしませんでした。
 そんな二人(一人と一頭?)の横をすり抜け、電車に乗り込むと、ちょうどホームで待っている盲導犬と窓ガラスを挟んで真っ正面に向き合うような格好になりました。

 ホームに停車したままの電車から、盲導犬に「お疲れ様」とアイコンタクトでメッセージを送ろうとしたときのことです。うつむいて寝そべっていた盲導犬が、ふいに面を上げました。

===
このコの一生は、幸せなんだろうか?

「いったい何?」

 私は思わず、そうつぶやきそうになってしまいました。
 
 ごった返す人混みにもまれ、人々が興味津々の眼差しを注いでくる中心にいながら、盲導犬はまるで何一つ認識していないかのような目をしていました。

 多くのものに囲まれながら、まるで別世界にいるかのようにただ空を見つめる盲導犬。・・・そこにあったのは、何かに注目したり、興味を持ったり、自ら動こうとしたりするという能動的な動きをもたらす感情をすべてどこかに消し去ったかのような瞳だったのです。

 盲導犬がいちいち周囲の状況に反応していたらしょうがないということはよく分かっています。どんなときも冷静に、自らの仕事を遂行できる犬でなければ盲導犬にはなれないことも知っています。

 でも、その何も見ていないかのような瞳を見た瞬間、

「このコの一生は、幸せなんだろうか?」

 そんな思いが頭をよぎりました。

「見ていたくない」と思いながら・・・

 私のすぐ横では、ホームで盛んに盲導犬の写真を撮っていた若い女のコたち数人が「あー、顔あげた」「カワイイー」「いいなぁ。おとなしいねー」と声をあげていました。

「本当にそう思う?」

 思わず尋ねたくなってしまう思いを抑え、私は電車が発車するまでの間、ずっと盲導犬の顔を見つめていました。

 こちらが切なくなってくるその瞳を「見ていたくない」と思う反面、どこかで似た瞳に出会ったことがあったような気がして・・・。

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2009年09月30日

感情はもううざいし要いらない(4)

090930.jpg 動き出す電車の中で遠くなっていく盲導犬を見つめながら記憶のページをめくっていくと・・・と思い当たった顔がありました。
 児童養護施設の子どもたちのインタビュー集(『子どもが語る施設の暮らし2』明石書店)をつくったときに出会ったある中学生の男の子でした。

「今の生活をどう思う?」
「何かおとなに言いたいことある?」
「不満に思っていることは?」
 
 いろいろと尋ねても、その子はただ「べつに」という回答を繰り返すだけ。私と目を合わせようともしませんでした。
 それでも質問を重ねていくと、その子はうんざりしたようにため息をつき、こう言ったのです。

===
「不満を言ったら何か変わるんですか? 何かしてくれるんですか?」

 そのときの男の子の瞳。何も見ていない、何も感じていない、何も考えようとしない瞳・・・。
 それはさっき出会った盲導犬に似ていたように思えました。

「欲求や感情をすべて封じ込め、「自分」というものを出さず、与えられたもの(役目)だけを受け止めている」

 そんな雰囲気の漂う瞳の色でした。

誤解のないように

 誤解のないよう述べておきたいのですが、盲導犬の役割や存在を否定するつもりはまったくありません。

 しかし、前にも書いたようにわが家のやんちゃ娘(愛犬)や、テレビで見たパピーウォーカーと暮らしているときの盲導犬候補犬の生き生きとした表情と、ホームで出会った盲導犬の表情があまりにも違うことが不可思議でした。

 あの好奇心がいっぱい詰まった欲求の塊のような子犬が、どんなふうに成長したらこんなにも周囲に影響されず、自分から関心を示さず、ひたすらユーザーさんに忠実な犬になるのかというのが気にかかったのです。

もっと言えば、「育ち方によっては人間にも同じことが起きるのだろか?」という疑問が、そこにはありました。

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2009年10月09日

感情はもううざいし要いらない(5)

 話をもとに戻したいと思います。

 本来、生まれたての「子ども」は動物と同様、欲求の塊のはずです。
 子どもは幼ければ幼いほど、「ああして欲しい」「なぜこうしてくれない」「自分はこうしたいのに!」という、たくさんの欲求を持っていて、それをかなえてくれないおとなに対して、生の感情をぶつけてきます。

 びっくりするほど利己的で、他者を顧みようとすることもなく、ただただ「生き延びる」ことに必死。そのあふれんばかりの「生きたい!」という子どもが持つパワーは、ときにおとなを圧倒させるほどです。

 そんな動物にも通じるほどの生命力に満ちあふれた「子ども」という存在から、欲求を奪い、感情を奪い、期待感を奪ったもの・・・それはいったいなんなのでしょうか。

 どうしたら欲求の塊として生まれてきた子どもを、「べつに」という回答を繰り返すしかしないほどにまであきらめの境地へと追い込むことができるのでしょうか。

===
バラバラになった自分を抱えて

 このブログの冒頭で書いたBENNIE Kの『モノクローム』を教えてくれた高校生は、「感情なんてもううざいし要らない」というフレーズが好きな妹のことをよく話します。

 プライベートなことが多いので詳しくは書けませんが、その高校生は「妹は学校でも、家庭でも『もっと頑張れ!』『お前はもっとやれるはず』『今の状態はしんどくない。甘えているだけだ』と“励まされて”きた」と言います。

 そんな状態を続けているうちに、妹は「周囲が言う自分」と「自分で感じている自分」のどちらが「本当の自分」なのか分からなくなり、混乱していきます。

 おそらく「周囲の期待に応えたい」という思いと、「そう思っても出来ない」自分へのやるせなさやいらだちもあったのでしょう。

 妹は、本当の自分はどんな自分なのか、自分が感じている感情は本物なのか、自分はどんな人間なのかも分からなくなり、次第に外に出ることも難しくなっていってしまったのです。

 そして、バラバラになった自分を抱えてうずくまる妹が口にしたのが「感情なんてもういざいし要らない」という言葉でした。

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2009年10月16日

感情はもううざいし要いらない(6)

 本来、子どもの思いや願い、欲求は「そのままで」おとなに受け止めてもらえるべきものです。

 おとなから見れば、たとえその内容がどんなにばかばかしくても、社会的にはとうてい認められないことであっても、まず「そうだったんだ」と身近なおとなに受け止め、きちんと応答してもらうことで、子どもは自らの存在価値や安全感を確認できます。

 そんな安心できるおとなとの人間関係があってはじめて、経済的にも能力的にもおとなには及ばない子どもが、自分の人生を自分らしく、豊かに生きていくことができます。

===
たとえ「同級生を殺したい」という思いでも

091016.jpg たとえば子どもの思いが、「いじめっこの同級生を殺したい」というような内容だったとしても、です。
 
 子どもは、まず身近なおとなに思いをきちんと受け止めてもらうことで、「自分の辛さに共感し、思いを共有してくれた」と感じることができます。

 そして「自分はひとりぼっちではない」という確信の中で、「もっと現実的でだれも傷つけることなく問題を解決する方法もあるかもしれない」という希望を持つことができます。

 信頼でき、けして自分を裏切らないおとなが自分の思いにちゃんと対応し、一緒になって知恵を絞り、解決に向けて行動してくれることで「相手を殺したいほど辛い状況」を変えていくことができます。
 
 結果として、自らの人生を狂わせてしまうような殺人という破壊的な行為におよぶことなく、もっとずっと建設的に問題を解消することができるのです。

成長発達に不可欠なおとなとの関係性

 こうした身近なおとなとの関係性があることで、まだ人生を自らの力で切り開くことができない子どもであっても、自分らしく、今を豊かに生きることが可能になります。

 また、「困ったときはだれかが助けてくれる」とか、「トラブルが起きても、ちゃんと解決できるんだ」という、他者との関係パターンを学び、やがてその子自身が、困っているだれかがいるときには、その辛さに共感し、手を差し伸べることができる人間ーー他者とつながることができる人間ーーへと成長していきます。

 子どもが本音を隠したり、おとなの顔色を見たりすることなく、どんな欲求でも安心して出すことができるおとなとの関係性は、成長発達の途上にある子どもにとって、無くてはならないものなのです。

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2009年10月27日

感情はもううざいし要らない(7)

 ところが現実には、『感情はもううざいし要らない(5)』で紹介した少女のように、子どもが安心して欲求を出すことができないおとなとの関係性が少なくありません。

 おとなの側が、「こうあるべき」「こう感じろ」「こんなふうに振るまえ」とさまざま子どもに要求し、子どもを混乱させ、子どもから安全感や感情を奪い、うまく成長発達できないようにしてしまっている例がめずらしくないのです。

===
新聞への反響

 『東京新聞』(2009年8月23日)には、
 「両親と子どもの四人家族で、男児は習い事もして服装もきちんとしているみかけは『まとも』な家庭から、毎日のようにヒステリックに叱責する母親と泣き崩れる悲痛な男の子の声が聞こえる」
 という隣人からの訴えが載っていました。

 隣人は、その様子にたえかねて何度か行政にかけあったそうですが、外傷などの目に見える虐待が無いと言うことで抜本的な改善に至らないということでした。

 さらに9月23日の同紙には、続々と届くこの記事への反響が載っていました。記事によると「同じような母子がいる」と同様の事例を伝える投書が相次ぎ、中には「これは自分のことではないか」とか「娘の養育態度が記事の事例と似ている」という祖母からの投書もあったそうです。

 この祖母の娘は「孫にピアノや水泳、英語などいくつも習い事をさせ、『命じた勉強をしていない、ピアノの練習が短い』などの理由で怒り、その剣幕に怯える孫に『そんなに怖いならなぜ言うことを聞かないのか』と絶叫する」と言います。
 孫は「いつかママを殺したい」とつぶやいたこともあるとそうです。

ゴミ箱の中で生き途絶えて・・・

 子どもの姿をそのままで受け止めることができず、悲しい事件となってしまうこともあります。

 昨年12月には、都内のあるマンションで両親が2歳半の男の子をゴミ箱に閉じ込め、殺してしまうという事件がありました。

『東京新聞』(9月23日)によると、男の子が生まれた頃、両親は男の子をとてもかわいがっていたそうです。

 ところが男の子は成長が遅く、手がかからなかった姉たちに比べるととても大変な子どもでした。
 母親の愛情は次第に焦燥感に変わり、イライラを男の子にぶつけるようになりました。食事を拒む男の子に何も食べさせなかったり、椅子に縛り付けて無理矢理口に食べ物を押し込んだこともありました。
 
 子育てに無関心だった父親にも「しつけ」に協力するようもとめ、父親が男の子をベッドに縛り付けるなど、事態はエスカレートしていきます。

 事件の日、なかなか寝付かない男の子に腹を立てた両親は、男の子をプラスチック製のゴミ箱に入れてふたを閉め、ポリ袋をかぶせた上にゴムをかけて閉じ込めました。
 両親がふたをあけたのは半日後。男の子は、少量のゴミにまみれて息絶えていたました。

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2009年11月06日

感情はもううざいいし要らない(8)

 こうした親に「母性がない」「母親失格」というレッテルを貼り、自己責任として切り捨てているのが今の社会です。

 自己責任することで私たちは、「自分の親が、けして無条件に愛してくれたわけではない」という辛い事実から目を反らし、自らの親と同じように子どもを支配しながら、家族幻想の中で生きていくことができます。

 また、社会全体で考えればどうでしょう。
 
 子育てという大変な仕事を「母親の仕事」にし、社会が望む人材育成の担い手という役割を女性に押しつけることができます。
 さらに言えば、「子育て優先」という、反論しにくい理由をつけて、安い労働力としての女性を確保し続けるというメリットがあるのではないでしょうか。

===
問題解決に向けて

 でも、それでは悲惨な子どもたちの状況は絶対に解決しません。

 なぜ現実的な判断ができないほどにまで親が追い込まれているのか。他の子と同じように成長しない我が子にいらだちを覚えるのか。困っていても外に助けを求められないのか。・・・そうした原因をきちんと取り除いていくという姿勢がなければ事態は改善しないでしょう。

 親たちの周りには、リストラ、無理な働き方、孤立、“よい子”育てのプレッシャーや子どもの将来への不安など、多くの不安定要素が渦巻いています。社会が競争的になればなるほど、子育ても、教育も「自己責任」という声が強まります。
 
 何でも自分の力でやっていかなければならない社会で、子育てのすべてを引き受けなければならないとしたら、子どもに受容的で応答的な関係を提供することなどできようはずもありません。

悲劇を繰り返さないために

 子どもたちをめぐる悲劇を繰り返さないためには、社会全体が変わっていかなければなりません。
 
 いつまでも労働力確保のための少子化対策や、子どもを経済発展に役立つ“人材”としてとらえた教育施策、経済界の発展を念頭に置いた雇用対策、根本的な格差解消につながらない子ども手当などをしていてはダメなのです。
 
 財産や学歴、能力などの「ある」「なし」などで、大きく生活に格差が生じるようなことがなく、だれでも安心して弱音を吐き、愚痴を言い、困ったときにはだれかに頼れるような社会に転換すできれば、子どもの思いや願いを受け止められる親が増えていくことは想像に難くありません。

 そんな親が増えれば「感情はもううざいし要らない」とつぶやき、あきらめ、つぶれていく子どもも、必ず減っていくのです。

(終わり)

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2010年01月12日

「自分はここにいていいんだ」と思えるような社会を!

 新年あけましておめでとうございます。

 早いもので、このブログが始まってから今年で4年。
 皆様にこうして新年のあいさつをさせていただくのも4回目となりました。

 昨年は、このブログを書かせていただいきたおかげで、地域猫・ミーちゃんの話が本になり、『迷子のミーちゃん 地域猫と地域再生のものがたり』(扶桑社)として出版されるというビックリするような出来事がありました。

===
 さらに年末には、au公式サイトで、ペット好きのための電子書籍を扱っている「PET☆STAR=」から電子書籍としても販売されるというニュースが飛び込んできました。

 どれもこれも、こうした機会を私に与えてくださった大勢の方々のおかげだと思います。
 本当にありがとうございました。

教えていただいたことの集大成

 ミーちゃんの本は、今まで私が出会ってきた生きづらさを抱えて苦しんでおられるクライアントさんや、おとなに頼ったり甘えたりしながら子どもらしく生きる時間を奪われている子どもたち、それらの問題を解決する手段となる子どもの権利条約を通して知り合った仲間たちから教えていただいたことの集大成です。

「世界的にはまだまだ豊かな日本で、なぜこんなに自殺する方が多いのだろう」
「子どもが身近なおとなと愛着関係を持ちながら成長することがなぜ難しいのだろう」
「どうして“自立”という就縛から、みんな逃れられないのだろう」
etc・・・。

 そんなさまざまな疑問を持ちつつ、右往左往しながら20年近く考えてきたことが、ほんの少しだけでですが、カタチになったように思います。

 これからもみなさまにたくさんのことを教えていただきながら、どうしたらすべての人が「生まれてきて良かった」「背伸びなんかしなくても、自分はここにいていいんだ」と思えるような社会をつくっていくことができるのかを考えていきたいと思っています。

 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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2010年05月14日

本音とたてまえ、オモテとウラ(1)

 耳ざわりのいい言葉やフレーズを聞くと、ついつい「それってほんと?」と、真意を疑ってしまう自分がいます。
 ひねくれ者であるうえに、経験上、本音と建て前がかけ離れたものほど、きれいなオブラートに包まれていることが多かった気持ちがするからです。

 最近、私が気になるのは地域のさまざまなサービス。地方負担が増える中で、サービスが低下するに連れて、そのネーミングはどんどんフレンドリーな雰囲気になっています。
 たとえば説教ばかりする「さわやか相談員」、まったく相談に乗ってくれない「くらし応援室」、動物を処分する「動物ふれあいセンター」、子どもを縛る「子ども生き生きプラン」などなど・・・。

 みなさんもお心あたりはありませんか? 

うさんくさい「絆」

 鳩山首相が大好きだという「絆」という言葉もそうです(谷垣氏のパクリ? 今年の漢字で鳩山首相はなぜか「絆」)。
 もともとは人と人とのつながりを差す、とても良い言葉であることは分かっているのですが、最近の使われ方がどうも気になります。

 民主党の子ども施策の目玉である「子ども手当」が、今まで子どもの居場所(人間関係)を保障してきた保育や教育などの予算を取り上げ、各家庭がそのお財布状況に合わせて消費活動をするようばらまかれるものであるという事実が象徴するように、民主党はけして「絆」を大事にする政党ではありません。

 事業仕分けは、今まで「人と人とのつながり」を前提に行われたきた福祉や教育といった分野の事業までを、企業に丸投げし、その儲けの対象とすることになんら躊躇しない政党であることを明らかにしました(事業仕分け 「民業圧迫」と予算減)。

 それなのに「友愛」だの「絆」だのという言葉を使う首相。
 そのウラにはまったく違う真意、もしくは言葉の解釈があるように思えてしまうのは、うがった見方なのでしょうか?

「ゆとり教育」見直し

 そんな私が、今年度になって、かなりげっそりした気分にされられたオモテとウラを感じる言葉のひとつが「ゆとり教育」です。

 昨今、「ゆとり教育」は、「見直し」や「路線変更」というフレーズと言葉とセットで使われることが多いのですが、過去を振り返ってその中身や導入の経緯をきちんと検証することもなく、ただただページが増えた教科書と、それが学校現場に与える影響について、表面的な議論ばかりが飛び交っています。

 そして中には「教科書が厚くなったのだから、子どもの学力は上がる」という、びっくりするような楽観論まであったりします。

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2010年05月20日

本音とたてまえ、オモテとウラ(2)

 そもそも「ゆとり教育」は、子どもにゆとりある学びを保障するためにスタートしたものではありません。

 その中身は、
「どんな家庭に生まれたどんな子でも、等しく教育を受けられる」
 という平等教育を解体して、公教育費を削減させるために
「出来る子には手厚く、それ以外には最低限の教育」
 へと、日本の教育を変えていくための装置として準備されたものです。

 いったいどういうことなのか。
 「ゆとり教育」の現実や、批判論議を振り返りながら、説明したいと思います。

「ゆとり教育」批判のきっかけ

 私が「ゆとり教育」について、当事者(保護者や子ども、教師)についてよく話を聞いたのはその批判が高まりはじめた2004年から2005年にかけてでした。

 批判の直接的なきっかけは、2004年末に公表された二つの国際学力テストの結果です。
 一つはPISAという経済協力開発機構(OECD)の学習到達度調査。もう一つは、TIMSSという国際教育到達度評価学会(IEA)の国際数学・理科教育調査です。

 とくにインパクトが強かったのは、PISA。いわゆる読み書き計算などの机上の学問ではなく、子どもの生きる力=「実生活の中で使える知識や技能」を測るとされたこのテストで、読解力が8位から1位に、数学的応用力が1位から6位になったのです。

 しかも、「ゆとり教育」のスローガンは「子どもたちに『生きる力』を!」でした。子どもたちに「生きる力」をつけてもらうために、週休二日制にしたり、教科内容を削減したり、「総合的な学習の時間」(総合学習)をスタートさせたはずでした。

学校からゆとりを奪った「ゆとり教育」

 実は、これら「『生きる力』をつけてもらうための取り組み」にも、さまざまなカラクリがあるのですが、その話をする前に「ゆとり教育」の現実についてふれておきたいと思います。

 当時、私がよく聞いたのは「『ゆとり教育』が始まった頃から、学校にはゆとりが無くなった」というセリフでした。

 たとえば、小中学生の親でもある中学校教師の方は、こんなふうに「ゆとり教育」について話していました。

「授業時間が減って総合学習が入ったことで、子どもは教科の宿題と総合学習の調べ物、そして受験勉強に追われるようになりました。子どもに興味を持ってもらえるようなゆとりある授業ができ、子どもが自分のペースで考える時間のある総合学習なら『生きる力』につながるかもしれませんが、今の学校にそんな余裕はありません。うちの子どもは、教科の宿題はせずに総合学習の調べ物を優先させています。週休二日になった分、平日の帰りが遅くなってとてもすべてをこなすのは無理なのです」

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2010年05月24日

本音とたてまえ、オモテとウラ(3)

 教科内容の削減(いわゆる教科書の3割削減)も本当の「ゆとり」にはつながりませんでした。

 なぜなら、国連「子どもの権利委員会」から二度にわたってその見直しを勧告されているほどに競争主義的な受験教育体制は、そのままだったからです。

教科書が薄くなっても 

 たとえ教科書が薄くなったとしても、受験を中心とした教育システムや社会の在り方が同じであれば、「教師が教えなければならない内容」が変わるはずがありません。
 ほんのちょっと考えればだれでも気づくことです。

 一方、「ゆとり教育」が始まったことで教科の授業時間は減っています。そのため、子どもがゆっくり考えをめぐらしたり、試行錯誤したり、体験をもとに何かを学んでいく機会はぐっと減ってしまいました。

===
 たとえば子どもは、磁石で砂鉄を集めて遊んだり、ゆっくりと観察しながら植物を育てたりしながら、理科の基礎を育てます。みんなでおいしいジュースを味わいながら、その量を量ったりして、リットルの単位を実感したり、重さの概念を知っていきます。

 ところが「ゆとり教育」導入後の「ゆとりのない学校」では、そんな授業をする余裕が無くなってしまったのです。
 結果的に学校は子どもに、今までもよりも少ない時間、薄い教科書、体験をともなわない学習しか提供できなくなりました。

学習には積み重ねが必要

 しかも学習というものは積み重ねです。
 次に進むには、一見、難しく見えても押さえておかねばならないポイントというものがあります。「教科書から削除されたから」と、単純に省略すると、かえって子どもが理解できないことも多いのです。

 たとえば漢字が書けるようになるためには、まず平仮名の成り立ちを知り、カタカナとの共通性や違いにワクワクしたり、不思議に思ったりしながら、「文字」を自分の中に取り込む必要があります。

 文字をならべると意味のある言葉ができることを楽しむ時間も重要です。それを楽しみながら、ある漢字一文字を使うと、意味のある言葉が表現できることに驚いたり、部首やつくり、へんなどがいろいろな意味を持っていることに興味をかき立てられたりしながら、漢字という「図柄(絵文字)」が「言語」として定着していきます。

 こうした機会をすっとばして「一年生で覚える漢字の量を減らす」と言われても、子どもは混乱するばかり。「基本的な漢字の仕組みが分かっていないから、あり得ない場所に『`』を付けてしまったり、考えられない方向に『払い』を付けたりする」(中学校の国語教師)なんてことが起こります。

数字全体のイメージがつかめないまま

 数字についても同様です。「○年生までは小数点は教えない」とか「3桁以上の計算は来年」として、桁数の少ない計算式をたくさんこなせば計算力がアップするわけではありません。

 逆にこうした切り貼りのような学習をしていれば「小数点以下やゼロという数字全体のイメージがつかめないうちに計算方法だけを習うため、計算ができても数の概念が分からいままになってしまう。中には小数点以下が読めない子どももいます」(小学校の教師)という自体が生じるのは当たり前です。

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2010年06月07日

本音とたてまえ、オモテとウラ(4)

「ゆとり教育」になったことで、教師は「以前と同じ内容を短時間で、しかも子どもの実感がともなわない方法で教えなければならない」ようになりました。

 当然、子どもの理解度は落ちていきます。そして、一度、分からなくなるともう二度と学校の授業には付いていけなくなることも増えました。

「基礎的な学力を何も身につけられないまま、小学校高学年、中学生へと進んでいく子どもが少なくない」
 現場の教師はよくそんなふうに嘆いていました。

ゆとりのなくなった教師

 そもそも教師自身、子どものことを気にする余裕がなくなっています。「学校を開く」とか「学校の説明責任を明確にする」とか、「優秀な教師を育てる」とか、これまたオモテとウラのある現実で教師への締め付けが厳しくなったのもちょうどこの頃。

 オモテ向きはとても耳障りよく聞こえるこれらの言葉の実態は、たとえば基準の明確な数値目標の設定や、教育委員会(文部科学省)の人事考課による教師評価、管理職向けの膨大な事務仕事の増加などです。

 すごく簡単に言ってしまうと、“お上”が教師を管理し、個々人の教師が、目の前にいる子どもの現実に合わせて自由に教育を行う自由と余裕を奪ったのです。

 時間的にも精神的にもゆとりのなくなった教師には、以前のように必要なときに補習授業をしたり、個別に勉強を見てあげるなどということが難しくなってしまいました。たとえ“気になる子”がいても、教師に余力がなければ「見なかったこと」にするしかありません。

 しかも、アメリカを真似た平等や福祉を排除した教育制度——競争と選択によって受けられる教育を個人に決めさせ、その結果責任を個人に負わせて国民を階層化しようというもの——に移行しようという動きもすでに始まっていました。そうした教育制度に親しむよう教育された教師の中には、かつてのように「分かるまでちゃんと教えよう」ではなく、「分からないのは自己責任」と考える教師も増え始めていました。

開く学力の差

 当然、“できる子”と“できない子”の学力差は開いていきます。

 一昔前には、テストをすると点数の分布表は真ん中付近が高いベル型になるのが普通でしたが、「ゆとり教育」が始まった後からは真ん中がくぼんだM型になることが多くなったという話をあちこちで耳にしました。
 しかも、Mの山と山の間はどんどん離れていく傾向にあるというのです。そして、高い点数を取る子どもは、ほぼ全員が塾に行っているという話しも聞きました。

 分からなくなった勉強、ていねいに教えてくれる人がいない勉強をすっかりあきらめ、ぜんぜん勉強しない子どもが増える一方で、高額な塾に通い本来は上の学年で学ぶべきことまで先取りして学ぶ子どもも多くなりました。

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2010年06月18日

本音とたてまえ、オモテとウラ(5)

 教育熱心で、学校以外に勉強の場を確保できるような親がいる子どもの学力は上がり、そうでない子どもの学力は下がる・・・。
 そんなことが当たり前のようになっていきました。

 そして、学力格差を生み出すような「学ぶ子」と「学ばない子」が歴然とする学校は、学力以外にもさまざまな問題をもたらしました。

 それまでは、たとえ勉強ができなくても、走るのが速いとか人前で話すのが得意とか、それぞれの得手不得手を活かして、行事で活躍できる子が大勢いました。
 だから、テストでは上位になれなくても、自分のことを卑下したり、ストレスをため込むことは少なかったのです。

 でも、ゆとりが無くなり、行事が減らされる一方の学校では、勉強以外の活躍の場はどんどん減っていきました。
 勉強以外で活躍できない子どもたちの中には、荒れたり、暴力的になったり、弱い者いじめで鬱憤を晴らそうとする子が出て来ました。また、早いうちから「どうせ自分は頭が悪い」などと考え、諦めてしまう子も増えていきました。

進む学力低下と問題行動の増加

 その結果、学力の二極化はどんどん進んでいき、全体の学力レベルは下がり、問題行動は増えて行きました。

 たとえテストの点数が高い子であっても、生涯を生き抜く力につながるような真の学力が向上しているのか、学ぶことによって思いやりなどの人間性まで育てられているのかは眉唾です。

 何しろテストで点数が取れるのは、塾などで「他人を蹴落として点数を取る」勉強のテクニックを学んだ子ども。だれかに支えられながら好奇心を持って取り組んだり、みんなで知恵を絞って難しい課題に取り組むなど、人とつながる経験をもとにする“こころ”を育てながら、持って生まれた力を伸ばすような学びではありません。

 しかし、残念ながら「受験体制は変えないまま教える内容と時間を減らして、教員の管理を強めて多忙にすれば、子どもにかかわれない教員が増えて、子どもの学力が二極化、低下したり、子どもの問題行動が増えるは当たり前」という事実は、ほとんど振り返られることはありませんでした。

 本質はおきざりにされたまま、子どもたちがうまく育たない原因は「学校(教師)が悪いから」という雰囲気で語られ、「教員の質の問題」や「学力向上にはゆとりではなく競争が大事」という論調がつくられていきました。

「ゆとり教育」の見直し

 そして2005年、ついに「ゆとり教育」の見直し論争が始まりました。

 確かにその導入からの経過をきちんと見ていけば「ゆとり教育」が子どもによいものをもたらしたとは言えません。だから、その見直しをはかることには、私も異論がありません。

 でも、「ゆとり教育見直し」を声高に叫んだ人たちが主張する「ゆとり教育見直しの必要性」は、私が考える理由とはまったく違いました。

 彼・彼女らの主張は「週休二日制や教科内容の厳選(三割削減)などの生ぬるい『ゆとり教育』が学力低下を招いた。だから子どもたちをもっと競争させ、たくさん勉強するようにしなければならない」というものでした。

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2010年06月28日

本音とたてまえ、オモテとウラ(6)

 「ゆとり教育」の見直しに拍車がかかったのは、教育「改革」に熱心な安倍晋三元首相が誕生した2006年です。

 安倍元首相は教育再生会議(会議)という機関を設置し、「これからの教育の在り方」に熱心だった人です。

 会議では「教師の質の確保」や「競争教育の必要性」「事業時間の増大」などが声高に叫ばれるようになり、2007年に開始された全国学力テスト(全国学力・学習状況調査)や昨年始まった教員免許更新制への道筋がつくられました。

すごい出来レース

 まるで出来レースのようです。

 今回のブログの2回目で書いたように、そもそも「ゆとり教育」は平等教育を解体し、公教育費削減に向けて「出来る子には手厚く、それ以外には最低限」の教育に移行させるためものも。学力を二極化、低下させることを承知での施策と言っても過言ではありません。

 でも、そんなことを言ってしまえばだれも賛成しません。だからこそ、「ゆとり教育」という名前を付け、本音が見えないように隠したのです。

 かくして世間には「学校(教師)には任せておけない」との不安が蔓延し、比較的お金がある保護者は子どもを学習塾に行かせたり、教育産業を利用するようになりました。文部科学省の「子どもの学習費調査」によれば、公立小中学校に通う子どもがいる家庭の学習自塾等にかける費用は年々、最高額を更新しています。

 東京都では低所得層の子どもに塾代を融資する対策が始まり、学習塾と提携した放課後学習や特別講習を行う公立校もめずらしくなくなりました。
 文部科学省の「子どもの学校外での学習活動に関する実態調査」によれば、「学習塾通いが過熱している」と考える保護者は6割もいるのに、それを止めることはできずにいるのです。

 一方、収入の格差が広がる中で低所得層の子どもはそのまま放置されることになりました。

進む企業の学校参入

 さらに付け加えれば、「学校の外で」教育産業に頼らねばならないようにするのと同時に、学校の中にも多くの企業が入って来られる仕組みも整えられました。

 今や、大手金融機関による金融経済教育、ジャンクフード会社による食育、携帯電話会社による携帯電話の使い方の授業などはまったくめずらしくありません。

 それらの授業を通し、企業はサブリミナル広告よろしく商品に親和性をもたせる授業や、いかに自社製品が安全かということを子どもたちに植え付けます。

 私にはとても危険な行為に見えるのですが、こうした企業による教育は「企業による社会貢献(CSR)」と呼ばれ、教育関係者や行政機関の人間でさえ、ほとんど疑問を持つことなく進められています。
 
 実はこうした「企業の社会貢献」ができるようにまでの話にも、いろいろとウラがあるのですが、それはまたいずれの機会に詳しく書くにことにしましょう。

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本音とたてまえ、オモテとウラ(7)

 進む学力低下、増える子どもの問題行動、ぬぐえない学校(教師)不信のスパイラルの中で、教育基本法はいとも簡単に「改正」されてしまいました。
 憲法とも連動した国の基幹法でもあるとても大事な法律なのに、その理念や在り方については、ほとんど議論されないまま・・・。

 子どもの成長発達を援助するための国家の責務を定めた国連の条約であり、歴史的、科学的、国際的な英知が詰まった子どもの権利条約も、まったく無視されました。
 
 このときもまた、一人ひとりの子どもが生来持っている能力を最大限に伸ばす人間教育から、国際社会で勝ち残れるような企業(国家)利益をもたらすことができる人材教育へと理念の大転換を果たす法「改正」であることはいくつものオブラートに包まれ、隠さました。

「大競争時代を生き抜く力を持つ子どもを育てる」ーーそんな「改正」に向けたスローガンは、愛するわが子の行く末を案じる親心にかなり強く響いたことでしょう。

「最小不幸社会」への期待と現実

 そんなことを書いているうちに、世の中は鳩山政権から菅政権に・・・。
 鳩山前首相とは違い、菅首相は市民運動からのたたき上げ。巷でも「とてもクリーンなイメージ」と語る人が多いようです。

 そんな菅首相が目指すと言う「最小不幸社会」。その指さす方向を信じて応援すれば、「世の中、きっと良くなるに違いない」という期待もふくらみます。

 でも、そう語る一方で、菅首相は「行政に依存しない新しい公共」や「地域主権」「さらなる規制緩和(民間開放)」も声高に叫んでいます

 福祉を厚くするのであれば、生存や保育、教育など、生活の根幹に関わる部分の行きすぎた規制緩和をまず是正しなければなりません。あらゆる国民が安心して行政に頼ることができる仕組みも必要です。

 国の負担金を減らして福祉や教育の水準を地域にまかせるのではなく、まず国が基準をつくり、その基準に見合った公教育や公的保育、福祉など出来るよう交付金を出さなければなりません。そうしなれば、大阪府のように地方の首長の考えによっては福祉や教育などに回すお金が削られてしまう可能性があり、地域格差がますます開いてしまいます。

本質を見抜く目を持ちたい

 すでに民主党が提案した労働者派遣法や障害者自立支援法の改正案を見れば、党としての民主党が「ひとりひとりの生活をいちばんに」考える政党でないことは見えてきます。
 野党時代に民主党がつくった教育基本法改正案では、自民党のそれよりも「競争時代を生き抜く道具」として子どもを見ていることが鮮明です。

 そうした民主党が壊そうとしているのは本当に官僚政治なのでしょうか? 官僚ではなく、福祉や公教育を支える国(行政)の仕組みのようには思えるのは、私だけでしょうか。

 民主党が政権交代を果たした昨年9月の衆議委員議員選挙前は、酒井法子被告の事件でマスコミは大賑わい。今回は相撲賭博問題で、国の命運をかけた参議院議員選挙が吹き飛んでしまう勢いで、立候補者の素顔も、各党の公約もよく見えないまま投票日に突入です。

 日々、相撲賭博報道にやっきになるマスコミの様子は
「時の権力にとって不都合なことを国民に知らせずにすむよう、スケープゴートをつくっている」
 ーーかつてマスコミの末席にいた私には、そんなふうにも見えてしまいます。

 情報があふれかえる現代だからこそ、「ことの本質を見抜く目を持ちたい」。そう強く感じる今日この頃です。

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2010年09月21日

真夏の怪(1)

 いつもにも増してこの夏は、不可解なことがいっぱいありました。

 たとえば、大阪市のマンションで幼児二人が置き去りにされ、母親が死体遺棄容疑で逮捕された事件。
 この事件では、子どもの泣き声を聞いた近所の人々から何度も児童相談所に通報があり、計5回も児童相談所の方が訪問していました。110番通報を受けた警察官も部屋を訪ねていました。

 ところが、「訪問時に子どもの声がしなかった」とか「世帯構成が把握できないから」とそのまま帰り、強制的な手段に出ることもないまま、2人の子どもは命を落としました。

 政府も自治体も、「児童虐待防止!」と声高に叫んでいるのに、なぜこんなことが起こるのでしょう。

お年寄りの命を奪ったのはだれ?

 100歳以上のお年寄りの行方が分からなくなったり、高齢者が熱中症で亡くなる事件も相次ぎました。

 生活保護の受給者を減らそうとやっきになっているのですから、仕事がなく、親の年金だけを頼りに生活している中高年が親の死亡届を出さずに生き延びようとしたり、扇風機さえ置けない生活でも我慢しようとするのは、ある意味、当たり前の話です。
 
 それを「詐欺罪だ!」とか「福祉の手からこぼれ落ちた」などと大騒ぎする方が不思議です。

 もっと言えば、児童虐待も、老人の行方不明も、「家族が崩壊してしまった」と嘆き、倫理観の欠如の話に持っていくなんてもってのほかです。

 子どもや老人を見殺しにしているのは「崩壊した家族」ではなく、「家族がどうにかするべきだ」という自己責任論に他なりません。

 もし、倫理観を問うのであれば、切羽詰まった生活をしている一般人ではなく、世界でもまれにみる低い社会保障を平気で続ける政府と、その政府を背後から操っている人々の倫理観こそ問いたいものです。

不思議な就職応援事業

 昨今、さかんな就職応援事業も不思議です。

 子どもがいる女性向けのマザーズハローワーク、若者向けのジョブ・カフェなど、親しみやすいネーミングの仕事紹介所や、NPO法人などと連携した就職スキル向上プログラムなど、政府は確かに就職を応援するための事業をいくつも展開しています。

 でも、現実に目をやれば、今春卒業した大学生の就職率は約60%。前年度に比べて7.6%下回っており、高校生は約16%、中学生は0.4%で、過去最低(2010年8月発表の文部科学省の学校基本調査速報)。30代以上の女性では、非正規雇用から失職という憂き目にあう人がたくさんいます(『東京新聞』8月20日)。

 ところが、民主党になっても、こんな労働環境をつくってきた非正規雇用増加の元凶である労働者派遣法の改正案は骨抜きで、菅首相が唱える成長戦略は相変わらず企業利益最優先。

 椅子取りゲームで言えば、圧倒的に椅子の数が足りないのです。それなのに、椅子の数を増やすための根本的な努力はせず、「どうやったら椅子に座れるか」という相談窓口を増設したり、椅子取り練習の機会を増やすなんて施策に、いったいどれだけの意味があるのでしょうか。

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2010年10月01日

真夏の怪(2)

 5月頃からずっーと報道を独占していた力士による野球賭博問題も疑問がいっぱいでした。
 70人近い親方や力士が賭博行為に関わっていたとされ、現役力士が解雇されるほどの事件へと発展しました。

 でも、ちょっとまって。
 ギャンブル依存の方とお会いすることも少なくない立場としては、どうもストンと腑に落ちないことがいろいろあります。

 刑法では賭博は禁じられています。それなのに、どうして競馬やサッカーくじ、パチンコなどのギャンブルはOKなのに、野球賭博はダメなんでしょうか。

 賭博の歴史に詳しいある学識経験者は、現在の賭博の在り方を批判しつつ「禁止の『健全な勤労意欲を失わせる』という理由に対し、公営ギャンブルは『国がコントロールしている』『ガス抜き的な娯楽の提供』からよいとされている」(『東京新聞』(2010年7月10日付け)と語っています。

 また、公営ではないパチンコがグレーゾーンとして許されているのは、「警察の管理下にあるから」(同)だそう。

 そんな説明を聞いて「ますますもって納得いかない」と思うのは、私だけでしょうか?

 もっと言えば、日本政府が推奨し、政府のコントロールが効かないマネーゲームーー株式投資やデリバティブなどーーは、健全な勤労意欲を失わせるものとはカウントされないのでしょうか。

常笑野球はいいこと?

 それから、常笑野球。埼玉県代表となった高校が有名? ですが、今年の夏の甲子園ではけっこうあちこちの高校が「常に笑う」プレーに取り組んでいたようです。

 たぶん本来は「前向きに楽しみながら野球をしよう」という考えから生まれたのでしょう。その意見には大賛成です。

 でも、ミスっても笑う、負けても笑顔というのは・・・どうでしょう。アナウンサーが「気持ちの良い笑顔」と、さかんに言っていましたが、私はどうも違和感を禁じ得ませんでした。

「うまくいけばはしゃぎ、楽しければ笑う」というのは人間として当然のふるまいです。そして、それと同じように「失敗したら悔しがり、負けたら泣く」のも当たり前。そのときの感情を適切に感じ、表現するということは、人が人らしく、健康に生きていくためにとても大切なことです。

カウンセリングの場で

 これも、カウンセリングの場での話ですが、多くの方が「いつもポジティブでいたいんです」「つらい出来事があって落ち込んでいる自分をどうにかしたいんです」とおっしゃいます。
 でも、それはかなりへんな話です。

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2010年10月08日

真夏の怪(3)

 つらい出来事に遭遇したときに、落ち込むのは自然な心の働きです。
仕事で失敗したり、失恋したり、大事な人を亡くしたりしたときに、ネガティブになってしまうのも、心がきちんと働いている証拠。気分には波があって当然です。それが生きているということなのです。

 もし、どんなにことがあっても落ち込むことなく、常に前向きでいられたとしたら、私たち人間はどうなるでしょうか。
 
 たとえば、上司から人格を否定するような言葉を投げつけられたり、一生懸命働いてきたのに期限付きでクビを切られたり、非正規雇用ということで正社員からぞんざいな扱いを受けたりしても、そんな現実をただただ受け入れて、前向きに生きられることは本当に幸せでしょうか。   

 気持ちが落ち込んだり、怒りを感じたり、快・不快を感じ分けたりできるから、私たちは自分の身を守ったり、理不尽な状況を変えようと立ち向かうこともできます。
 悲しみや怒りなど、一見、マイナスに思える感情も、私たちの人生をよりよく変えていくためにはとても必要なものなのです。

思い出す『心のノート』

「いつも前向きで行こう」というかけ声は、かつて文部科学省が「子どもの心を耕し、豊にする」として作成した『心のノート』を思い出させます。つい最近、あの事業仕分けで「ムダ」と指摘されたノートです。

 ノートは、小学校低学年版と中学年版、高学年版、中学生版と4つあるのですが、たとえば低学年用には「あかるい 気持ちで」という塗り絵をするページがありました。

そのページには、たくさんの風船が結ばれた気球のイラストがあり、
「きょうは どんな 一日だったかな。あかるい 気持ちで たのしく いっしょうけんめいにすごせた 一日だったら 気きゅうのふうせんに 青い いろをぬろう。もう すこしだったなと おもう日には きいろい いろを ぬろう」
と書かれています。

 もし、ノートに向かった子の一日が青にも黄色にも塗れないほど辛いものだったらどうするのでしょう。仕事に忙殺されたお父さんが大事な約束を忘れていたり、すれ違いの夫婦生活にイライラするお母さんに怒られたりして、とっても悲しい朝を迎えた日だったら、子どもはいったい何色に風船を塗ればいいのでしょうか。

心を変えることで現実問題を温存する

 たぶん、素直な子どもは困って、少し迷い「なるべく青で塗れるように」と、明るい気持ちでいられるようにと頑張るはずです。「青く塗れないのは頑張りが足りないせいだ」と考え、辛いことは極力、考えないようにして、現実は横に置き、一生懸命楽しくすごそうと努力することでしょう。

『心のノート』には、こうしたしかけがたくさん詰まっていました。現実の問題を見据えて批判したり、合理的に考えたりするのではなく、すべてを“心の問題”にすり替えていく仕組みがそこかしこにあったのです。

 どんな辛い現実も「そう感じるのは心の問題なんだ。心を変えればハッピーに生きられるんだ」と、“現実の問題(環境や社会の問題)”を“心の問題(個人の問題)”として、「おかしいことを『おかしい』と感じる心の方(個人)を変えていくことで、解決すべき現実(環境や社会)を温存する」――そんな役割を果たすべくつくられたノートのように、私には感じられました。

こんなノートをつくって小さな頃から「あるべき心」を埋め込もうとする文部科学省に、さらにはその作成の立役者が高名な心理学者であることに、猛烈に腹が立ったことを覚えています。

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2010年10月18日

真夏の怪(4)

 閑話休題。
 ところで笑顔と言えば、今、さかんに行われている「自殺予防としての笑顔」の奨励についても、なんだか違和感がいっぱいです。

 情報番組などでも、「笑顔でやると仕事や家事の能率も上がる」とか、「笑顔でいると脳がだまされて幸せな気分になれる」などといい、その検証を行う番組などもよく放映されています。
 自殺予防のための自治体セミナーなどでは「笑いでうつを予防する」などという講習も行われています。

 こうした取り組みのすべてを否定するつもりは、もちろんありません。それどころか、笑顔をつくったり、意図的に笑うことで幸せになることができるならば、そんな簡単なことはない! とも思います(カウンセリングの場では意図的に笑うことさえもできない方がいらっしゃるのは事実ですが・・・)。

 でも、あまりにも「自殺予防には笑いが一番!」と喧伝されてしまうと、「それはなんか違うでしょ」と言いたくなってしまうのです。

===
自殺者が12年連続で3万人超
 
 日本の自殺者は12年連続で3万人を超えました。
 
 2009年の自殺者数は2年ぶりの増加で前年比596人増の3万2845人。40~60歳代男性の自殺が多く自殺者全体の40.8%を占め、職業別では「無職」が57.0%で最も多かったそうです[自殺者12年連続で3万人超=実態に応じた対策提唱−政府白書]。

 また、警察庁が発表した自殺の概要によると、原因・動機には「健康問題」が最も多かったものの、「経済・生活問題」が8377人となって前年比973人も増えたと言います。
 中でも増加したのは「生活苦」で、大幅増の1731人になったそうです。

 こうした事態を「個人が笑う」ことでどうにかしようとするのは、かなり無理があるとは思いませんか?

 90年代以降に顕著になった、自己決定と自己責任を全面に押し出した競争・格差社会が関係しているのはどう考えても明らかです。

190万人を突破した生活保護世帯

 確かに、2003年から2007年にかけては、わずかながら失業者数が減少したものの、自殺者数は減っていません。そこだけを見れば、「90年代後半のように自殺者数の動向は景気や失業者数とリンクするとは断言できない」とおっしゃる方がいるのも理解できます。

 しかし、2003年から2007年の間も、相変わらず不安定雇用が増え続け、労働条件は悪化の一途。生活保護世帯も増加の一途です。今年9月に厚生労働省が発表した集計によると、ついに生活保護世帯は190万人を突破し、これは戦後の混乱期(1955年度)以来の数字です。

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2010年11月02日

真夏の怪(5)

 誤解のないようにことわっておきますと、「だから、景気の動向と自殺者数はリンクしているはずだ」と言いたいわけではありません。
 そのふたつがまったく無関係とは思っていませんが、ただ「景気回復」や「貧困対策」をして、失業者が減れば自殺が減るわけではないとお伝えしたかったのです。

 昨年末に「『子どもの貧困』の何が問題か」でも書いたように、失業の増加や不況だけを重視して「貧困こそが問題なのだ」という視点で見てしまうと、「だから景気対策を優先させ、経済的に豊かになることが大切なのだ」というところに帰結してしまいます。

 でも70年代、80年代を振り返えって見ればわかるように、世界一の経済大国であるアメリカを見れば分かるように、経済優先の社会は人間を幸せにしませんでした。

 それどころか、他者とのつながりとか、家族の情緒的な結びつきとか、損得を抜きにした関係性とか、お金では得られないホッとする時間などの、人間が“人間らしく”生きることを否定することで、ひたすら富を生んできたのです。

 そして、その先にあったのが「無縁社会」であり、「家族の絆の崩壊」でした。

学習塾費の補助だけでいい?

「貧困対策」にばかり目がいくと、たとえば教育格差を「貧しい家庭への学習塾費の補助で乗り切る」なんてことが、不思議に感じ無くなってしまいます。

 最近、いくつかの自治体や都道府県でこうした補助金を出すというニュースを目にしました。もちろん、塾に行けないことで進学できなかったり、ひいては将来に大きな格差が馬得ることは避けなければいけません。

 もちろん、今現在、こうした問題のまっただ中にいる子どもに援助をすることはとても必要なことだと思います。

 でも、そこで終わってしまっては根本的な問題が残されたままです。日本の教育の最も大きな問題は、「公教育だけで、学力や進学が支えられない」ことにあるはずです。
 本来であれば、「公教育を受ければ、必要な学力が付き、進学できる」ように教育の仕組み全体を変えていくことが筋のはずでしょう。

 ところが、その根幹の部分にはまったく触れず、またまた問題の本質がうまくすり替えられ、対処療法的なやり方のみがもてはやされます。

高校無償化は何を救う

民主党の目玉施策のひとつに数えられる「高校無償化」も、この対処療法の域を出ません。いや、もしかしたら「療法」とさえ呼べないシロモノかもしれません。

 ちょっと考えてみてください。高校生活にかかるのは授業料だけではないのです。入学金や給食費、大学受験のための学習塾費・・・ざっと考えても、その他膨大な費用がかかります。

 それにもかかわらず、高校の授業料のみを無償化するわけですから、家庭の経済状態によって、授業料分のいわば「浮いたお金」の使い道は違ってきます。おそらく、低所得層は生活に、高所得層はさらなる高等教育に向けた資金に当てられることでしょう。

 ・・・ということは、今まで以上に格差の助長・固定化につながる可能性が高くなるということです。

 しかも長年、民主党の教育施策のアウトラインを描いてきた鈴木寛文科学副大臣は高校無償化などの三方案をつくるに際し、「保護者の経済力によって塾に通えるか否かの差が子どもの学力格差につながっている。(中略)『すべての子どもの学習権保障。機会の平等の完全確保』を掲げる民主党のテーゼ(綱領)を実現するためのもの」(民主党ホームーページより)と発言しています。

 ここから分かるのは、民主党の言う「教育の機会均等」とは「塾を含む教育の機会均等」のことだということ。

 つまり民主党は「公教育全体を見直す」つもりなどさらさらなく、「塾を含む教育の機会均等」を推進する高校無償化制度を導入し、子ども手当同様、各家計に「浮いたお金」を持たせることで保護者の消費行動をうながすことこそが目的なのだと読むことはできないでしょうか。

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2010年11月10日

真夏の怪(6)

 今回のテーマでは、この夏に起きた不思議な事件、奇々怪々な事象、施策などさまざま取り上げてきました。

 まだまだ疑問を感じることは山のようにありますが、すっかり秋も深まって参りましたので、そろそろ終わりにしたいと思います。

 しかしなんと言っても、山積する不思議の中で最も不可解なのは、こういった政治や社会に怒ることもしないサイレントマジョリティーの存在です。

 勝っても負けてもだれも幸せにしない。果てしなく続く競争社会の中で、心休まるときもなく、余裕のある生き方もできないまま、「でも、それは仕方のないこと」とあきらめ、結果的にさらなる競争社会ーー「自己決定と自己責任」ーーへと突き進むことを許している大多数の存在です。

何でも民営化されるのはよいこと?

 たとえば昨今、「事業仕分け第三弾」が行われましたが、多くの人々が「ムダを無くして欲しい」と、この仕分けを喜んでいます。しかし、事業仕分をごくごく単純に言ってしまえば「従来、国で行ってきたことを民間企業ができるよう」仕向けているだけです。
 
 民間企業が執り行うということは、「その事業が企業利益の対象となり、お金を払えるひとでなければよいサービスを受けられなくなる」ということです。

 何でもかんでも民営化されることが本当に国民に利益をもたらすものなのか。それは保育事業の民営化や、郵便事業の民営化の現在を見れば、もう答えは明らかなはずです。

 確かに、天下りなど甘い汁を吸い続けてきた官庁関係者の存在は許せるものではありません。私たちが収めた税金が、国民のためにならない使い方をされてきた事実も見過ごしてはいけません。

 でも、こうした「官の問題」を無くそうというのなら、そのお金の使い道を明らかにしたり、天下りができないような法律つくったりして、監視の目を光らせ、きちんと不正を糺していけばいいだけです。

 何もその事業を民間に開放する必要などありません。

ちゃんと怒ろう!

 繰り返しになりますが、「民営化する」ということは「買う側の経済力によって受けられるサービスが違ってくる」ということ。そして、それを「あなたが選んだのだから」(自己決定)として、個人の責任に押しつけられるということです。

 今までは、国民の権利として、社会保障として、だれもが均一に受けられていたサービスが、消費の対象となるのです。
 
 当たり前の話ですが、お金持ちは金に飽かせていくらでもよいサービスを買うことができるようになり、貧しければ「安かろう、悪かろう」のサービスしか受けられなくなります。いえ、下手をしたらサービスを買うことさえもできなくなる人が大勢でるでしょう。

 私たちが望んでいるのは、「お金がなければ満足に福祉も教育も受けられない」社会なのでしょうか? それとも「財政のムダを無くして、その分、豊かな福祉や教育を受けられる」社会なのでしょうか。

 おそらく、多くの人が選ぶのは後者でしょう。甘言や表面上の華やかさ、「今までよりは良くなりそう」なイメージなどに惑わされず、「その裏に何が隠されているのか」を見極め、理不尽なものごとに対してきちんと怒っていくことが必要です。

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2010年11月24日

矛盾社会(1)

 最近の日本は、つくづく「矛盾社会」だなぁと思います。

 本質からずれたことがあたかも「よいこと」であるかのように喧伝され、根本的な問題についてはまったく触れようともせず、表面上「ちゃんと取り組んでいますよ」というふりをする姿勢や取り組みが多すぎます。

「落ち穂拾い社会」と言ってもいいかもしれません。

 たとえば「真夏の怪」のときに書いたように、今の大学生の就職は「就職氷河期」以下。60%を割っています。

 それにもかかわらず、就職支援といえば就職カウンセリングだの、スキルトレーニングだのの話ばかり。「卒業して数年たっても新卒枠で採用する」などという新しい?発想も生まれていますが、その考え方そのものがよく分かりません。

===

 それならいっそ「新卒採用」という枠を外し、いつでもだれでも応募できるようにすればいいだけではないのでしょうか。
 何しろ「新人を育てる余裕などないから即戦力が欲しい」というのが本音なのですから。

 でも、「なぜ企業がこんなふうに追い込まれているのか」ということはやっぱりまったく振り返ることはされません。

実態をともなわない活動

 ワークライフバランスとか育休の推進など実態をともなわない活動のひとつでしょう。

 だれだって「仕事とプライベートのバランスを取りたい」と思っていますし、「子どもが小さいうちくらいもっと子どもと関わりたい」と考えているはずです。

 ワーカホリックの方は別として(なぜワーカホリックになったかという原因を考えずにおけば、ですが)、できれば早く仕事を切り上げ、家族や恋人とともに過ごしたいと思っている方が、世の中の大半なのではないでしょうか。

 でも、それができないのです。

たんなるポーズに過ぎない

 だれの目にも明らかなように、不安定雇用社会だからです。よっぽどの大企業務めや公務員であれば別ですが(それも出世と引き替えということがまだまだあるらしいです)、ほとんどの人は「仕事を休む=解雇」の現実に直面する可能性があります。

 契約社員や派遣社員であればなおのこと。「うかつに休んだら、次回の契約更新はしてもらえないかも」という恐怖にさらされながら働いています。

 企業の規約や目標には「家族に優しい」とか「男性社員にも育休を」と書かれていても、それを信用するわけにはいかないという事情があります。

 その現実を変えるには、就職率の向上と同様、企業利益追求型の今の社会を抜本的に変える必要があります。

 いくら「ワークライフバランス」を謳って自治体ごとにポスターを作成したり、ワッペンを配ったり、区報や市報で「お知らせ」しても、それはたんなるポーズに過ぎません。だって、実態を変えることにはなんら作用していないのですから。

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2010年12月02日

矛盾社会(2)

 そろそろあの「啓蒙活動」「啓発活動」というものを振り返ってみる時期なのではないでしょうか。
 もちろん啓蒙や啓発が不必要とは言いませんが、「それだけではダメ」というのはもう自明のことのように思います。

まさに落ち穂拾い

 児童虐待防止推進月間であり、DV防止推進月間であった11月。あちこちで虐待の防止やDV防止を訴えるイベントやチラシ配り、シンボルタワーのライトアップなどが行われていました。こうした活動には国や都道府県、自治体などから補助金が出ていることも少なくありません。

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 確かにこうした取り組みによって地域の人や、サイレントマジョリティーの何人かが虐待やDVに関心を持つことはあるかと思います。でも、それは本当に微々たる数で、まさに落ち穂拾いのようなものです。

 どうせお金を投入するなら、たとえばDVならば自治体の相談時間を長くするとか、支援者が自由に動けるよう資金援助するとかするほうがよっぽど有効なように思います。
 虐待を受けたりした子どもが最初に入る一時保護所を増やし、子どもがくつろげる場所にするのもいいでしょう。東京都の場合、一時保護所の入所率が200%を超えているとの話も聞きました。

虐待の温床

 人が簡単に解雇され、企業の「かき入れ時」だけの臨時雇いが当たり前になり、だれもが心身共に余裕を無くし、いらだっています。

 DVの相談を受けていると「家族のために頑張って稼いでいる俺に向かって文句を言うな!」と妻を殴ったり、「だれのおかげでメシが食える!」と妻をののしったりするバタラーの話をよく聞きます。

 そうしたバタラーの多くは子育ても家事もしません。すべてを妻(まれに夫の場合もありますが)に押しつけながら、「子育てや家事なんて取るに足らない仕事」と、家の中を切り盛りする妻を蔑んでいます。

 また、DV被害者が家族など身近な人に相談すると「食べさせてもらっているんだからそのくらい我慢しなくちゃ」と“諭される”という話もよく聞きます。

 こうした孤立した妻の存在や「自らを養っていけない人間は養ってくれる人間に従うべき」という考え方が虐待の温床にもなっていることは言うまでもありません。

暴力社会

 競争を奨励する社会は人間を暴力的にします。人間から立ち止まって考える機会を奪い、人の身になって感じることを奪い、優しさを奪っていきます。

 今の日本は、その育った環境や犯行に至る理由をていねいに聞き取り、明かすこともしないまま、「更生の可能性は低い」と断じ、平気で19歳の少年に死刑判決を下す社会なのです(裁判員「命奪うのは大人と同じ刑に」 石巻少年死刑判決)。

 裁判員制度が導入されれば、当然、厳罰化になり死刑が増え、このような判決が出ることはこのブログで「生育歴が無視される裁判員制度」を書いたとき、すでに予測はしていましたが、やはり大きなショックと憤りを禁じ得ません。
 
 こんな暴力社会をつくっておきながら、「DV防止」や「虐待防止」をいくら叫んでも、それは絵空事にすぎません。

 ところが、こうした本質は振り返られないまま、今度は「死刑判決を下す裁判員の心のケアが大切」だというのですから、滑稽としか言いようがありません。

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2010年12月09日

矛盾社会(3)

 そうそう「こころのケア」で思い出しました。
 
最近、暗澹たる気持ちになったもののひとつに、さいたま市教育委員会が出したいじめに関する緊急アピールがありました。

 アピールは群馬県や千葉県で、いじめを受けていた小中学生の自殺が相次いだことを受けて出されたもの。タイトルは「とても大切なあなたたちへ」で、市内の小中高校と特別支援学校全164校に配布したそうです。

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『読売新聞』(2010年11月22日付)によると、アピール文には、〈1〉嫌いだからといって、いじめるのは人としてやってはいけない〈2〉いじめられていると思っている人は、必ず周りの大人に相談する〈3〉いじめを見たら、勇気をもって周りの大人に知らせる〈4〉苦しいときは、誰でもいいから相談する――との4項目が盛り込まれているそうです。

 市教委は24時間対応のいじめ相談窓口の案内とともに、このアピールを子どもたちに徹底させるよう求め、子どもが発する危険サインをチェックするシートも用意し、保護者に渡すよう指示したとのこと。

 こんな方法でいじめが防げると信じているとしたら、もうおめでたいとしか言いようがありません。

2006年から何一つかわらないいじめ対策

 2006年にも、このブログでいじめ自殺について書きました。

 当時、「生まれかわったらディープインパクトの子どもで最強になりたい」という遺書を残して自殺した中学生のことが話題になっていました。その頃も、伊吹文明文部科学大臣(当時)をはじめ、多くの教育関係者が「いじめはいけない」「いじめられている人はまわりにおとなに相談して欲しい」と呼びかけました。

 でも、結果はどうだったでしょう。何一つ変わらなかったのではないでしょうか?

 当時のブログでも書きましたが、まわりに相談できるようなおとながいるなら、とっくに相談しているはずです。見たこともない大臣や、アピール文を出すだけの教育委員会にわざわざ言われなくても、助けを求めているはずです。
 そんなおとながいないからこそ、自殺という選択をしていくのです。

なぜ助けを求められない?

 ではなぜ、周囲に助けを求められないのでしょう?

 今年5月に国連「子どもの権利委員会」でプレゼンテーションした子どもはこんなふうに言っていました。

「苦しさをだれかに打ち明けたくとも余裕のないおとな達に『ねえ、私辛いよ』なんて言えません。子ども同士でも同じです。私達は『苦しくてあたりまえ』という奇妙な連帯感に縛られていて、へたに声を発すれば嫉妬や恨みを買ってしまうので、自分の本当の心を殺し、お互いに演技を続けています」

チェックシートを配っても・・・

 何しろ今、親たちの多くは長時間労働を強いられ、子どもとかかわる物理的・精神的な余裕がほとんどありません。いちばん子どもと関わる時間が長いはずの乳幼児でさえ、長時間保育が当たり前。地域によっては24時間保育を行っているところもあります。

 乳幼児でさえそんな調子なのですから、小学生や中学生になった子どものことをつねに気にしていられる親がどのくらいいるのでしょうか。危険サインのチェックシートを配ったとしても、そもそも子どもと向き合う時間そのものが親に欠落しているのです。 

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2010年12月15日

矛盾社会(4)

 そしてさらに言えば、物理的な時間や余裕があっても、子どもの気持ちを受け止める大切さを見失っているおとなもたくさんいます。

 前回も紹介した「子どもの声を国連に届ける会」のべつな子どもは、国連でのプレゼンテーションの中で、いじめについて周りのおとながどう反応したのかをこう語っています。

「クラスの男の子たちから『死ね』『っていうかうざくね?』などと言われ、教室に入れなかった。行き場所もなく泣きながら保健室に行くと、『熱がないなら戻りなさい』と入れてくれなかった。トイレに逃げると猫なで声で先生たちが『大丈夫なの?』『早く出てきない』と説得に来た。
 両親に話すと、父は『そんなの社会に出ればよくあること。俺だっていじめられている』と言い、母は『全員殺してやる』という私の言葉に『全員もどうやって殺すの?』と言うだけだった」

 勇気を振り絞って言葉にし、辛さを態度で示しても、こんなふうにおとなから返されたら、もう二度と相談する気持ちになどなれないでしょう。

すべては“子どもの問題”として

 こんなふうに子どもを突き放しておきながら、子どものコミュニケーション能力を高めるロールプレイやら、自己肯定感を高めるプログラムなどが大人気なのですから、理解に苦しみます。
 
 もっとも学校現場で行われているこうしたプログラムは、「暴力の低年齢化」や「友達をつくれない子どもの増加」などを解決するために行われているようです。

 つまりおとな側のことは棚上げにしたまま、すべては“子どもの問題”として押しつけ、「子どもの心の有り様や行動様式をおとなにとって望ましい方に変化させよう」というわけです。

自己肯定感を育くめない親

 本来、自己肯定感は、この世に生まれ落ちた子どもが養育者との関係性の中で獲得すべきものです。

 養育者がいつでも自分のことを見ていてくれること、自分の欲求に応え、そのニーズを満たしてくれることによって「愛されている」と感じ、「自分は大切な存在だ」と実感していきます。

 今、こうした関係性を養育者との間に持てない子どもがたくさんいるのは事実です。

 それはよく言われているように貧困の問題も大きいですが、それだけではありません。
 多少なりとも経済的にゆとりのある家庭では、小さな頃から手のかからない“いい子”であること、なるべく早く何でも自分でできる“自立した子”になること、親を安心させ、親の願いをかなえる優秀な子になることなど、親の欲求に応え、そのニーズを満たすような子育てがなされているからです。

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2010年12月24日

矛盾社会(5)

 たびたびこのブログでも書いてきたように、こうしたことはもちろん、個々の親のせいではありません。
 「幸せとは何か」を見失ってしまった社会の当然の産物です。

発達障害という“くくり”

 それから発達障害という“くくり”もくせ者です。

 この発達障害という“くくり”をよく耳にするようになったのは2003年頃から。

 4歳児を全裸にして立体駐車場の屋上から突き落として死亡させた事件(長崎県)で補導された男子(当時中学1年生)が、脳の機能障害とされる広汎性発達障害のひとつであるアスペルガー障害とされた頃から頻繁に聞くようになりました。

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 ところが昨今は「社会が容認したがらない言動や特徴を持つ子どもをレッテル付けして排除するため」に使われている感が否めません。

 たとえば、ちょっと他の子よりも元気だったり、おとなしく座っていられなかったり、先生の指示にしたがえなかったり、他のこと違ったところがあったりすると、すぐに「発達障害かもしれない」と養育相談やカウンセリング、精神科の受診を勧められます。

 一方、多くの親は「子どもがかわいい」と思えばこそ、「自分の子を社会に受け入れて欲しい」と、率先して子どもの欲求や自発性をつぶす治療に荷担しがちです。それが、子どもの自己肯定感を低め、将来、大きな代償を払うことにつながるとは思いもせずに。

溢れる発達障害

 もちろん世の中には「特別な支援」を必要とする子(人)がいるのは分かります。

 だけど、こんなにも発達障害が溢れているのはいくらなんでもおかしくはないでしょうか?

 お金のかかる障害児教育や手のかかる子どもへの対処に頭を痛めていた文部科学省が、2007年に「個々のニーズにあった支援を」として特別支援教育をスタートさせたとき、医学上は広汎性発達障害に含まれないADHDをも含めて発達障害と定義したことも発達障害とされる子どもを増やす一因となったはずです。

 その後、特別支援学校(学級)に入る子どもは増加。不適切な養育を受けていたり、逆にのびのびと育った子どもにありがちの、じっとしていられない、自己主張が強いなどの特徴を持つ子が、すぐにADHDとされることも増えました。

 発達障害と言うよりは、「その子のメッセージ」として受け取った方が分かりやすく、解決の道も探りやすい言動までが「発達上の問題行動」と片付けられやすくなったのです。

「ちょっと変わった子」まで治療対象

 そして病院へ行けば、簡単に診断は付き、すぐに薬物治療の対象になります。

 薬物依存については「ダメ、絶対」などというポスターをばらまいて反対している国も、「他の子と同じように振る舞えない子」への薬物投与にはまるで反対する雰囲気がありません。

 私の子ども時代には「ちょっと変わった子」というくらいで、普通にクラスにいたようなタイプの子どもまで、治療の対象になっています。

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2010年12月31日

矛盾社会(6)

 子どもの権利条約に基づいて批准国の子ども状況を審査する国連「子どもの権利委員会」は、「ADHDについても薬物治療されるべきものとみなされており、社会的決定要因に対して考慮が払われていない」との懸念を示しました(2010年6月)。

 つまり、国連からも日本のADHDを含む発達障害のとらえ方、治療法は疑問視されているということです。

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障害児関連への予算・資源の拡充はほぼゼロ

 障害児について、ちょっと補足させてもらうなら、国のやり方はまさに「矛盾社会」の象徴です。

 何しろ、すぐに発達障害という診断がつきやすい環境をつくり、いわゆる“障害児”と呼ばれる子どもを増加させておきながら、障害児関連の予算や資源の拡充はゼロに近いのです。

 かねてから「人手不足」「予算不足」とされてきた障害児の支援の現場では、特別支援学校の大規模化や設備・教員の不足などがますます深刻化しています。障害のある子どもが通う学校や寄宿舎の廃止や統廃合も後を絶ちません。

パーソナリティにも大打撃

 このような矛盾した社会、矛盾した価値観を受け入れなければならない環境は、子どものパーソナリティの形成にも大きな打撃を与えます。

 たとえば今の学校では、表面上は「みんな仲良く」と教えられるのに、実際には競争を是とする社会に適応することを迫られます。
 いくら「助け合いが大事」と教えられても、実際の社会では、敗者への助けの手は極めて貧弱です。

 こうしたバラバラな価値観を内面化することを強要されるのですから、パーソナリティの奥深くに隠れた自我も、健全になど育ちようがありません。
 
 その状態を一橋大学名誉教授で社会心理学者の南 博氏はこうつづっています。

「パーソナリティを形成するいろいろな場によって社会価値が違い、その内面化が不連続的に行われると、ひとりの人間が、互いに矛盾し衝突する習慣や習性を身につけるようになり、統一のないパーソナリティができ上る。現代人の心理的な不安定にはこのようなパーソナリティの不統一が、その土台によこたわっている」(『社会心理学入門』岩波新書 44ページ)

悲鳴を上げる自我 

 本来、「本音と建て前を使い分け、そのときそのときでその場に合ったように振る舞う」なんていうことは、自我が確立したとされるおとなでも難しいこと。子どもならばなおのこと、です。

 そんな無理を迫る社会では、自我は、分裂したり崩壊したりしないよう、さまざまな防衛を試みます。それは一見、「無気力や無関心」のような姿に見えることもありますし、依存症や自傷行為のような形態を取ることもあります。

「矛盾社会」を放置して、スキルトレーニングやロールプレイをいくらやっても無駄なこと。矛盾に絶えきれなくなった自我は、いつか悲鳴を上げます。

「矛盾社会」をわずかでも変えていけるように

 心理臨床の現場は、そんな生の悲鳴を身近で聞かせてもらうことのできる貴重な場です。

 そこでの経験、実感を元に、今後も「矛盾社会」をわずかだけでも変えていけるようなお仕事を続けていきたいと思います。

 今年一年、拝読くださってどうもありがとうございました。
 すべての生ある存在が喜びにあふれた新年を迎えられますよう、お祈りしつつ、感謝に変えたいと思います。

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2011年01月17日

「生命力の種」ーー新年のあいさつに代えて(1)

 新年、あけましておめでとうございます。
 
 このブログを始めて5年目に入りました。長年、おつきあいいただいているみなさまに、改めてお礼を申し上げたいと思います。

「お花の種」を描いた子ども

 ところで、つい最近のこと。
 とある研究会に参加した際に、子どものセラピーをしているあるカウンセラーさんが、その方のクライエントである、ひとりのお子さんが描いた絵について、こんな話をしてくれました。

===

「まず、その子は自分が好きな花の絵を描き、次にいくつかの箱を描きました。そこで私が『箱には何が入っているの?』と尋ねると、『こっちにはじょうろ。こっちにはそのお花の種』と答えたのです」

 その話を聞いて、参加者のみんなの口から、ほっとしたようなため息が漏れました。

「すごいね」
「そこまで傷を癒せたんだね」
「未来につながる力が芽生えたんだね」

 ・・・さまざまな場所でカウンセリングに関わっているみなさんが、思い思いにつぶやきました。

なぜ心理臨床の仕事に惹かれるのか

 守秘義務がありますので、その子どもがどんな人生を生きてきたのかはここでは詳しく記すことはできません。ただひとこと、「暴力に満ちた毎日の中で、ひたすら親の愛を求めてきた子ども」と申し上げておきましょう(上記の「絵」に関する記述も事実を多少代えています)。

 その生い立ちから、未来どころか今の自分自身を信じることも困難で、自分に価値を見いだせない絶望と寂しさがいつも隣りにある毎日を生きてきたと、察することができます。

 そんな生き地獄のような日々を息抜き、「花を咲かせる種」を心の箱に持つことができるようになるまでに成長することは、並大抵のことではなかったでしょう。
 
 そんな子どもが描いた花と箱、じょうろと種の絵を想像し、絵の様子を思い浮かべていると、「なぜ私が臨床の仕事にこんなにも心惹かれるのか」ーーその答えが、ふと見えた気が来ました。

いちばん最初に出会った「心理職」

 実は私、長く心理だの、カウンセリングだのというものに対しては、かなり批判的な考えを持っていました。

 ・・・と言いますのも、このブログを長く拝読くださっている方はご存じなように、私は「生粋の心理系」の人間ではありません。

 大学では社会学を学び、マスコミに就職し、ジャーナリストとして働く中で、心理の世界と巡り会いました。
 
 そんな私が、いちばん最初に知った「心理職」の方は、児童相談所に勤務している方でした。

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2011年01月28日

「生命力の種」ーー新年のあいさつに代えて(2)

 それは、オウム真理教(現アーレフ)事件の取材を続けている中でのことでした。

 地下鉄サリン事件が起きたのは1995年3月20日。事件後、すぐに容疑者はオウム真理教に絞られ、出家信者たちが住んでいたサティアンや道場では、連日のように強制捜査が行われ、テレビも新聞も、雑誌も、街の話題も、文字通り「オウム一色」でした。

 あらゆるマスコミがサティアンの前に張り付き、些細なことまでリアルタイムで報道し、「いかにオウムがひどい集団か」という情報が、真実かどうかも検討されないまま飛び交っていました。

突然「発見」され「保護」された子どもたち

 そんな中で行われた強制捜査が3週間も続いた後、出家信者の子どもたちは「飢えて遺棄・虐待されていた」として緊急に「一時保護」されました。

 連日、建物に出入りしていたにも関わらず、捜査員は「飢餓に苦しむアフリカの子どもよりひどい状態」(1995年4月15日『朝日新聞』)の子どもたちに気付かず、捜査から3週間が過ぎてから、突然「発見」され、「保護」されたのです。

 「保護」に至る経緯もかなり不思議ですが、保護の仕方や、その後の子どもたちの処遇も、報道の内容も、行政機関の対応も、「いったいだれのための、何のための『保護』なのか」と、首をかしげたくなることばかりでした。

事件とは無関係

 機会があれば、その内容についてこのブログでも詳しく述べたいと思いますが、ここは先を急ぎます。

 ごくおおまかに言っても、オウム真理教のトップが行った犯罪や事件と、一般信者とその子どもたちとはまったく関係がありません。

 その出家生活が、子どもにとってよいものだったのかという問題は残るにしても、子どもたちの気持ちをまったく無視して、大勢の屈強な男達が、力任せに住居から引きずり出して、「緊急に保護」する必要のあるものだったのかは大いに疑問です。

 一般信者の多くは、「世の中で認められる価値ある人間にならなければ」という日々に疲れ、そうした社会で壊れた人間関係に傷つき、安住の地を求めて出家していました。子どもたちは、そんな親に連れられ、何も分からないままにサティアンや道場で暮らしていました。

子どもたちが味わった恐怖と不安

 そんな子どもたちにとって、力尽くで、むりやりの、突然の「一時保護」は大きな恐怖と不安をもたらすもの以外の何ものでもありませんでした。

 子どもたちからすれば、「なぜ、自分たちがこんなにも屈辱的な恐怖にさらされるのか」「なぜ、住み慣れた場所と、慕っている人から引き離されるのか」ーーまったく分からなかったのです。

 信者が撮影した記録ビデオを見ると、子どもたちの顔は恐怖で歪み、のどがはり裂けんばかりに大声を上げて、助けを求めていました。そしてあらん限りの力で抵抗し、どうにか捜査員の手を逃れようとしていました。

 中には、実の親の手の中から、数人の警察官らに囲まれ、「お母さん、助けて!」と叫びながらも、もぎ取られるようにして連れて行かれた子どももいました。

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2011年02月07日

「生命力の種」ーー新年のあいさつに代えて(3)


 私が取材で会った子どもの中には、この「一時保護」そのものが、トラウマになっている場合もめずらしくありませんでした。

「人見知りをしなかった子どもが、男性を怖がるようになった」
「ひとりで留守番させようようとすると『警察が連れに来るかも知れない』とおびえる」

 ・・・そんな声も聞かれました。

はじめて知った「心理職」の仕事

 こうした体験をした子どもが、警察や社会に対して、否定的な印象を持つことは意外でもなんでもありません。
 
 むしろ、「当然」と言っていいことでしょう。

 ところが、「保護」された子どもを担当したある「心理職」の方は、子どもの母親に対して親元に返せない理由をこんなふうに語ったそうです。

「心理検査したが、まだマインドコントロールが解けていない。しかも、『警察は嫌いだ』などと、反社会的なことを言っている」

 でも、いったいどんな心理検査が行われたのか。どんな基準で判断しているのか。何より、なぜ子どもたちが「反社会的なことを言うようになっているのか」については、まったく触れられませんでした。

 これが、私がはじめて知った「心理職」の仕事ぶりでしたから、私が「心理という仕事」に対して、批判的かつ懐疑的だったのはあたりまえでしょう。

心理を学ぶに至る経緯

 話をうんと最初のところに戻しましょう。

 この一件があってからというもの、心理職に対してまったくいい印象を持てずにいた私をよそに、世の中には「こころブーム」が到来しました。

 スピリチュアルなものから専門的なものまで、娯楽雑誌から教育現場まで、あらゆるところに「こころ」というキーワードが氾濫し、「こころの時代」などと呼ばれるようにもなりました。

 実は、この背景にもさまざまな仕掛けがあるのですが、それもまた長くなるので別の機会に譲っておきましょう。

 とにかく、あっちでもこっちでも「こころ」をめぐる現象がさまざま起き、それまで振り向きもされなかった心理の専門家は、「まるでこころを自由に操れる魔法使い」のごとく、珍重されるようになりました。

 国家権力におもねる心理の専門家や、そんな心理の専門家を利用しようとする権力者が目に付くようになり、「こうした人々をきちんと批判した記事を書くためには、自分が心理に詳しくならなければ」という思いが私の中で強くなっていき、やがて心理の大学院へと進む決心をしました。
 
 このオウム事件の数年後に、以前「真夏の怪(3)」で書いた「子どもの心をおとな(社会)に合わせてつくり変える」ためのツールである『心のノート』が、高名な心理学者を中心につくられたことも、その決心を後押ししました

 でも、そのときはまさか自分が心理臨床を仕事とする人になるとは、予想だにしていませんでした。

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2011年02月15日

生命力の種――新年のあいさつに代えて(4)

 そう、あくまでも「取材や執筆に活かせる知識を得たい」というのが、心理を学ぶ理由だったのです。

 ところが大学院の授業の一環として、臨床実習が始まると、その気持ちに変わっていきました。

 まず、それまで取材を通して経験的に感じていた「『ありのままの自分を受け入れてくれる居場所(人間関係)がどこにもない』ということこそ、人が創造的に生きられない理由に違いない」との思いがどんどん膨らんでいきました。

 それと同時に、クライエント(患者)さんとお会いすることで、新しい驚きや喜びを感じるようになったのです。

その喜びはどこから?

 でも、不思議です。辛い体験をお聞きすることが、なぜ喜びにつながるのでしょうか?

 生きる意欲を持てない方、ほとんど寝たきりで過ごしている方、空気を吸うのも「申し訳ない」と言うほど、自分に価値を感じられない方、世の“常識”から見れば、逸脱行為にしか見えない行為を繰り返す方・・・。
 
 カウンセリングをさせていただいていると、その背景にある怒りやねたみ、絶望や失望などの激しい感情に飲みこれそうになることも、しばしばあります。

 長い間、
 「それでも、そういう方々と向き合うことに感じる喜びとはいったいなんなのか?」
 と、考えても分かりませんでした。

人間の可能性を感じる

 その問いに答えをくれたのが、このブログの冒頭で紹介した「じょうろと種」のエピソードをお聞きしたときでした。

 私が臨床の仕事に心惹かれる理由。それは、「人間の持つ可能性をダイレクトに感じることができるからなのだ」と思い至ったのです。

 たとえ、今は嵐の中で身をすくめていても、冷たい空気に囲まれて芽吹くことができなくても、きれいな花を咲かせられなくても、「実は、本来持っている生命力がちょっとかげってしまっているだけ。だれもが心の奥底では『幸せになりたい』と願い、それを実現する力を持っている」と、実感できるからなのです。

 長い長い冬の終わり、極寒の地の小春日和、何にも負けない力強さ・・・。厳しい中に垣間見える生命力にハッとさせられる瞬間が、臨床の現場には確かにあります。

 そんなすばらしい瞬間の立会人として、輝く「生命力の種」に触れることができた喜びを1人でも多くのクライエントさんに返して行くことができる。2011年は、そんな年にしたいと思っています。

 2月も終わろうとしていますが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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2011年03月02日

静かなる反乱(2)

 生活も職も心も不安にさらされている人たちの問題に取り組んでいる作家の雨宮処凜さんの近著『排除の空気に唾を吐け』(講談社現代新書)によると、日本では今「16分にひとりが命を絶っている」(38ページ)そうです。

 さらに同書は、生活困窮者の支援をしているNPO「自立生活サポートセンター・もやい」の湯浅誠氏の唱える「五重の排除」ーー「教育課程からの排除」「企業福祉からの排除」「家族福祉からの排除」「公的福祉からの排除」「自分自身からの排除」という概念も紹介し、「この『自分自身からの排除』は、まさに自殺の問題と地続きだ」(42ページ)と書いています。

===
 私もまさに同感です。

 必ずしも貧困に陥っていなくても、カウンセリングでお会いするほとんどの方が「自分自身もが自分を『見放して』いく」(44ページ)ようにさせられています。そして自分を責め、うつ的になり、さらに絶望すると、死への扉に近づいて行きます。

「自分はダメだ」「そしてそれは自分のせいだ」と思い込まされて・・・。

「自分自身からの排除」
 
 同書(42~43ページ)には、「自分自身からの排除」に陥った30代男性の事例も載っています。

 彼は、リストラにあって以来、6年間120社以上に求職活動をするも不採用。その間、派遣で働いた仕事は長期の予定だったのに、一月でクビ切りにあったそうです。気に入られるよう、毎日30分から1時間早く出社してそうじをし、私服OKの会社にスーツで出社するほど気を遣っていたにもかかわらず、彼の努力は一切、顧みられることはなかったのです。

 さらに許せないのは、最近、彼が面接を受けた企業の採用担当者のこのコメントです。

「貴方の生きている目的はなんですか? こんな6年間も地に足が着かない事をして・・・。私には貴方のような人たちの生きている意味が理解できない」

 そして彼は不採用になり、メールにこう書いてきたそうです。

「今の仕事が出来ないのもすべての原因は自分自身にあると思っており生きていることが社会に対して迷惑と思っております」

「本人の問題」と片付けられない

 いったいだれが望んで、6年間も地に足の着かない事をするでしょうか。
 だれが望んで、そんな人生を選ぶでしょうか。
 ほんのわずかなりとも人間らしい共感能力があれば、すぐに分かることです。

 彼のような気持ちに追い込まれ「うつ病」と診断された人のことを「心の問題」と考えることができるでしょうか。そして、「社会にとって迷惑な自分を消そう」と命を絶った人がいたとしても、その原因を「本人の問題」として片付けることができるでしょうか。

 長い間、彼の尊厳を踏みにじり、おとしめ、排除という暴力を野放しにしてきた社会や、その代弁者である採用担当者にはなんら関係のないことなのでしょうか。

 私はとうてい、そう思うことはできません。

日本は暴力にあふれた国

 どう考えても、日本は豊かでも平和でもない、暴力にあふれた国です。
 もし、それを「心の問題」や「本人の問題」として本人に押しつて片付けることができるのだとしたら、「そうできる人の心こそが病んでいる」のです。

 そうした心を病んだ人の代表的な意見を、やはり雨宮さんの本から引用したいと思います。秋葉原で無差別殺傷事件が起きた後の『読売新聞』の「編集手帳」(2008年6月10日)の一節です。

「世の中が嫌になったのならば自分ひとりが世を去ればいいものを、『容疑者』という型通りの一語を添える気にもならない」

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2011年03月09日

静かなる反乱(3)

 私もごく身近で、そんな日本社会の残酷さを実感することがありました。つい数日前のことです。

 夜8時過ぎ、ふいに家中の電器が消え、真っ暗な静寂がおとずれました。一瞬「ブレーカーが落ちたのかな?」とも思いましたが、とくに電力消費量の多い器具を点けたわけでもありません。

 慌てて懐中電灯を探し、外に出て、他のお宅の様子も見てみようとしたところ、フッと部屋中の電気が点り、あちこちから「ブーン」という家電製品の放つ低い音が聞こえてきました。ほんのつかの間の停電でした。

 外に出ると、いつもの風景。どの家からも灯りが漏れています。まるで何事もなかったかのようです。

 唯一、停電があったことを確認できるサインと言えば、裏の公園の電灯が消え、公園が闇に包まれていたことでした。

鉄塔に登り、感電死

「なんだったんだろう?」といぶかしく思いつつも、眠りにつく頃にはもうすっかり忘れていた停電。その理由を知ったのは、翌日の新聞でした。

 新聞には、気を付けて見なければ見落としてしまうほど、小さな小さな停電の記事が載っていました。

 時刻、影響を受けた地域を見ると、おそらく間違いはありません。記事を読むと、「36歳の無職男性が鉄塔に登り、感電死。自殺を図ったと見られる。その影響で●●地域が停電となった」と書かれていました。

 まだ30代。その若さで、感電死しようと鉄塔に登ったこの男性の人生とはどんなものだったのかとしばらく考え込んでしまいました。

 おそらく、子どもの頃にはいろいろな夢もあったことでしょう。20歳の頃は、「30代後半になる頃には、仕事も落ち着いて、結婚もし、マイホームでも購入して、かわいい子どもと休日は遊びに行く」・・・そんなささやかな幸せのある未来を描いていたかもしれません。

生涯に終わりを告げた合図

 私とほぼ同じ時代を生きてきたひとりの男性が、自らの生涯に終わりを告げた合図が、あの停電だったのかと思うと、言いようのないやるせなさがこみ上げてきました。

 おりしも3月は自殺対策強化月間。テレビでも、政府がつくった様々なパターンの「自殺を思いとどまらせるため」のコマーシャルが、さかんに流れています。
 内閣府のサイトには、「悩んでいる人に気づき、声をかけ、話を聞いて、必要な支援につなげ、見守る人であるゲートキーパーになりませんか?」との呼びかけも載っています。

 そんな啓蒙活動も、この男性の命を救うことはできませんでした。

 そもそもこの啓蒙活動は「大切に思ってくれる人が側にいる」という設定。それ自体に無理を感じます。なぜなら、本当の意味で自分のこと気にかけ、弱みを見せてもすべて受け入れてくれると思えるような人が寄り添ってくれているのなら、人は自殺などしないのですから。

わずかな証しを残したい

 湯浅さんや雨宮さんの言葉を借りれば、社会や仕事からも、地域からも、家族からも、そして自分自身からも排除され、「こんなふがいない自分は消えてしまった方がいい」と自殺への道を選んだ男性。

 その彼が、最後の勇気を振り絞ってやったことが鉄塔に登っての感電死でした。少なくとも数千、数万戸の世帯に影響を与える死に方を選んだ理由が、なんだか分かる気がします。

 「存在する意味さえ見失った自分。でも、自分という人間が『この世に確かにいたのだ』という証しをわずかなりとも残したい。せめて死んでいくときくらい、自分という存在を示したい」

 そんな気持ちが男性の中にあったのではないかと思ってしまうのは、私の考えすぎなのでしょうか。

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2011年03月25日

静かなる反乱(4)

 東北地方太平洋沖大震災と、原発事故によって被災された方、大切な方が被災された方、そして被災された地域に心よりお見舞い申し上げます。

 前回のブログを更新した後、あまりにもいろいろなことが起こりました。
 更新したのはつい昨日のような気もしますし、もう遠い昔のような気持ちもします。
 この2週間あまりのうちに、私たちの日常はとても大きく変わってしまいました。

 ほとんど震災の影響は受けなかった地域でも、停電や放射性物質・放射能汚染の被害、それらを恐れての買い占めなどなど、さまざまな生活面、精神面での負担が広がっています。
 
 恐ろしい津波や原発の映像を何度も見せられることによるダメージもあります。私のクライアントさんの中にも、繰り返される映像によって不眠や過覚醒、食欲不振などに陥っている方もおられます。

「助けて」が苦手な日本人

 今回の震災と原発事故で胸が痛んだのは、「日本人は本当に『助けて』が苦手なんだなぁ」ということでした。
 実はこの感想は、前回のブログに書いた鉄塔に登って自殺を図った方について思ったこととまったく同じものです。

 2009年10月7日「クローズアップ現代」(NHK)は、「“助けて”と言えない〜いま30代に何が」という番組を放映しました。番組は、とくに30代に大きな反響を呼び、その後、本になりました(文藝春秋刊行)。
 
 番組をつくるきっかけについて、NHK取材班は、「2009年4月、北九州市門司区の住宅で、便箋に「たすけて」という文字を残して、39歳の元飲食店従業員男性が餓死した。なぜ彼は、だれにも相談できないまま死んでいったのか。その答えを見つけたかった」(同書、6ページ)という趣旨のことを述べています。

「自己責任」に縛られて

 ごく簡単に、本に登場する30代ホームレスの方や「明日は我が身」と案じる方たちの心境について触れたいと思います。

 この本によると彼・彼女らを縛っているのは、小さな頃から植え付けられた「自己責任」という言葉でした。

 番組に登場する路上生活を強いられた男性は
「何が悪いって自分が悪い。それ以外の言葉はないと思います。頑張りが足りなかった自分に活を入れれば良かったと思います」
 と言い、ある女性は
「(略)女性も『自立』『何でも自分でこなす』『強くならなければいけない』助けてと言う強さをもてるなら苦労はしない」
 と番組を見た感想をつづります。

 また、他の女性は
「(略)自分がだめだから、もっと頑張れば、心に刺さります。迷惑をかけた、役に立っていない、そういう思いがつきまといます」
 とブログで反応し、また別の女性は
「だれかを蹴落とさないと、自分が蹴落とされる社会。(略)目の前のことに追い込まれて、心を開くなんて思いつきもしなかった」
 と記します(同書136〜140ページ)。

 でも、こうつづる人々のだれひとり「怠けて」いたり、「サボって」いたりはしません。それどころか、就職氷河期、成果主義、リーマンショック、派遣切りの中で、これ以上ないほど頑張って頑張ってきた方々です。

 そんな人たちが「自分の頑張りが足りない」のだから「助けてなんて言えない」と言うのです。

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2011年04月06日

静かなる反乱(5)

 同書は、「助けてと言えない」のは、競争教育、過度の自己責任論の洗礼を浴びてきた30代の特徴と位置付けていますが、はたしてそうでしょうか?

 今回の大震災・原発事故で、避難所に入ることを余儀無くされた人々のインタビュー風景を見るたびに、そのことを考えさせられます。

ひたすら堪え忍ぶ被災した方々

 被災者の方々は口々に、「(避難所に)置いてもらえるだけで十分」「こんなにしてもらってありがたい」「ワガママは言えない」など、「他人の世話になっていることへの申し訳なさ」を訴えます。

 本当は「もっと暖かい場所で暮らしたい」「野菜や魚が食べたい」「ふわふわの布団で眠りたい」などなど、いろいろあるだろうに、そうした欲求は飲み込んでいます。

 一時、避難所に入っていた知人からは「避難所も大変だけど、避難所まで行けない人たちもすごく大変。炊き出しに並んでいたときに『自分たちが食べると、他の人の食いぶちがへるから』と、1日1個のおにぎりを分け合っているという年配の夫婦がいた」との話も聞きました。

 こうした日本人の謙虚さというのでしょうか。自己犠牲の精神は、“美徳”として語られることが多々あります。

 震災後、海外では「なぜ、こんな状況でも日本では暴動が起きないのだ!」と、静かに堪え忍ぶ日本人の様子に感嘆すると同時にたたえる報道が見られました。
 こうした海外の声は、原発事故の被害の拡大とともに、感嘆というよりも、「理解できない」というトーンに変わりつつもありますが・・・。

ずっと助けてと言えなかった日本人

 そんな様子を見るに付け、私はやはり、「今の30代に限らず、日本人はずっと『助けてと言えない』ままきたのだ」と思ってしまいます。

 何しろ、今回の地震と津波も、原発事故も、当然ですが被災した方々は、文字通り被害者です。当然ながら、なにひとつ責任はありません。

 巨大な暴力を受けた立場の者として、「なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのか!」と、「なぜ政府の支援はこんなにも遅いのか!」と、「危機管理をしていなかった責任をちゃんと取れ!」と、声を上げてもいいはずです。

 「このままでは自分は死んでしまう! 助けてくれ!!」と、もっともっと声高に叫んでしかるべきなのです。

「助けてと言えない」背景

 こうした背景には、私たち日本人が何世代にもわたって「子どもの頃から欲求を抑えこみ、意見を述べることを潰してきた」ことが深く影響しているのではないでしょうか。

 私たちの社会は「しつけ」という名で、子どもを調教し、社会に早く適応することを是としてきました。子どもが安心感を持ったり、成長・発達するために必要な思いや願いも、おとなの都合で「わがまま」と呼び、切り捨ててきました。実態のない「世間さま」に合わせて行動することを強いてきました。

 そして一方で、だれかに頼ることを依存と呼び、自分で自分の面倒をきちんと見られないことを弱さととらえ、そうした存在を「ダメな人」「迷惑なもの」と位置付け、「すべてを自分でまかなえる人間」=自立した人間として、もてはやしてきました。

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2011年04月11日

静かなる反乱(6)

 おかげですっかり、私たちの精神には「他人様のお世話になるのは恥ずかしいこと」という考えが染みこんでいます。
 そして、「世間様に後ろ指を指されない人間でなければならない」という思いに縛られています。

 自分の意見があっても飲み込んで、多数に合わせて、多数に迷惑をかけないように振る舞うことが「おとなの態度」と言われてしまったりもします。その多数の言っていることが、どんなに理不尽で、どんなにおかしかったとしても・・・。

 日本の学校教育は、まさにこうした「多数(社会)に逆らわず、耐える人間」を育てることにずっと貢献してきました。
 たとえばランドセル、制服、学習指導要領に校則などがその道具に使われてきました。子どもは「なぜ従わないといけないのか」も分からないまま、合理的な理由もないのに、これらを黙って身につけ、従うしかありません。

支配と忍耐

 そんな学校教育をよく現した歌のひとつに、アーティスト・尾崎豊の「卒業」(1985年)があります。尾崎はこう歌います。

人は誰も縛られた かよわき子羊ならば 先生あなたは かよわき大人の代弁者なのか
俺達の怒り どこへ向かうべきなのか これからは 何が俺を縛りつけるだろう
あと何度自分自身 卒業すれば 本当の自分に たどりつけるだろう
仕組まれた自由に 誰も気づかずに あがいた日々も終わる
この支配からの 卒業 戦いからの 卒業

 尾崎の「卒業」は、2003年の男子高校生による国連「子どもの権利委員会」への報告書とも重なります。

 (略)忍耐忍耐忍耐! 先生たちも人がくずのように扱われていても風波立てぬように自分たちが無であるように忍耐忍耐忍耐! 先生の言うことにすることに疑問を持つなんてとんでもない。(略)“はい謹慎”“はい退学”、問題の本質を考えることなく、たくさんの仲間がやめていった。やめされられていった。くずのように扱われて、世の中こんなもんだとあきらめさせられて。

ソフトな手法で行われる支配

 しかも質の悪いことに、この支配は本人さえ「暴力」とは気づかないほど、ソフトな手法で行われことが多々あります。
 1997年に国連「子どもの権利委員会」でプレゼンテーションした女子高校生はこう言っています。

 私たち子どもは、「子どもだから」と話合う場を用意されず、学校では意見を言うように教えられていても言う場を与えられず、もし意見を言っても聞いてもらえません。また、意見を言わなくても、それなりに生きていける物質的には裕福な社会にいます。
 逆に意見を言ったために周りから白い目で見られ、孤立させられてしまうなど、時には思いもよらぬ不当な扱いを受けます。
 そうしているうちに多くの子どもたちは、意見を言うのを恐れ、また言っても何も変わらない現状に疲れ、自分の意見を主張するのをやめていきます。
  
増殖するソフトな支配

 こうしたソフトな支配は、格差社会が進む中で家庭をはじめ、あらゆる場所で増殖しています。負け組に入るしかなかった人たちの反乱を抑え、自らの不遇を「自己責任」として抱え込ませるためです。

 「ルールを守ろう」「マナーを大切に」「迷惑行為は止めよう」・・・そんなだれも反論できないような柔らかな言葉を使って、街中に規範と規律がまき散らかされています。

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2011年04月18日

静かなる反乱(7)

 かくしてだれもが、ますます自分の思いや願いにはふたをし、意見を飲み込み、多数に黙々と従うサイレント・マジョリティーに仕立て上げられていきます。

 その総仕上げを担うのがマスコミです。

 日本の大きなメディアは、権力を批判し、監視するジャーナリズムという役割を捨て、政府・財界と一体化し、自らも権力となってしまいました。もちろんフリーランスの人やネット上のメディアなどではジャーナリストたろうする動きは、ずっとあります。でもその影響力は大メディアとは比べものになりません。
 
 今回は大手のメディアでも「福島原発事故発生時に東京電力会長が大手マスコミ幹部を接待旅行に行っていた」とのニュースを流しました、原発震災が起こらなければ、こうした報道は、まずされなかったことでしょう。

マスコミが追求すべき疑問山積

 とくに人災と言うべき福島第一原発事故については、素人目に見てもマスコミが突っ込むべきところが山のようにあります。

 たとえばなぜ、地点ごとの細かい正確な放射線量のデータを随時公開しないのか。なぜ、魚を調べる前に、最も汚染が心配される海藻を調査し、そのデータを明らかにしないのか。なぜ、じわじわと福島第一原発からの避難距離を伸ばしているのか。なぜ、日本中の電力を相互に使えるよう電力会社間の調整を図らないのか。

 そうした努力はしないまま、なぜ政府が、平気で個人の責任と負担を強いる自主避難や野菜の出荷自粛などを呼びかけることができるのか。

 そもそも、今まで国が「ちゃんとやっている」と言っていた地震や原発に対するリスク管理がどんなものであったのか、もっともっと鋭く追求すべきです。

 原発を持つ、持たないの議論はひとまず横に置いておきましょう。
 でも、現にこれだけ危険なものを私たちの国は50基以上も持ち、日々、動かしているのですから、その危険性は周知徹底されるべきです。地域の人たちはもちろん、国民全体が「危険なもの」であるという認識を持って、日頃から準備しておくだけの正確な情報、最悪の事態を「想定した」シナリオは必須のはずです。

驚愕の調査結果

 個人レベルでは、こうしたことに疑問を持ったり、憤ってはいても、なかなか社会全体の動きにまではなりません。

 前に紹介した高校生の文章を真似るとしたら、「たとえむちゃな計画停電で病院への送電が止まっても、仕事や通勤に支障を来しても忍耐忍耐忍耐! 解釈を加えた報道ばかりが伝えられ、都合の悪いデータが非公開でも忍耐忍耐忍耐! 大勢の人が家族や住み慣れた土地や未来までも奪われても忍耐忍耐忍耐!」という感じでしょうか。

 3月にあった原発反対のデモも、ドイツでは参加者が25万人を超えたというのに、日本は1500人ほど。例年に比べればかなりの大人数ではありますが、タイミング的に考えると、もっと大勢が参加してもいいように思えます。

 そして、3月19日の『東京新聞』によると、原発に不安を感じつつも「運転しながら安全対策を強化していく」が56.2%と半数を超えた数字になっていました。
 今なお福島第一原発の状況が安定していない状況、そして電力会社と政府の右往左往ぶりを考えると、その回答に驚愕せずにはいられません。

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2011年04月26日

静かなる反乱(8)

 私たち人間はだれしも、「厳しい現実」を見たくありませんし、「安心して暮らしたい」と願っています。

 だから、耐えられない現実に出会ったとき、それを「無かったこと」(否認)にしたり、わき上がってくる不安や恐怖を「意識の外に閉め出す」(抑圧)ことなどをして、自分を防衛します。

 原発事故を前に「原発は安心安全なはず」と戸惑い、「(政府の言う)10キロ圏内の避難計画しか立てていなかった」などと言う報道を見ると、あるDV被害女性のセリフを思い出します。
 彼女は夫との生活を振り返り、こう言いました。

===
「夫はいつでも『俺のことを信じてくれ』と言っていました。そう言われると、『不安を解消したい』、『夫を信じたい』という気持ちになり、夫の仕打ちや『信じろ』と言うに足る根拠について考えをめぐらすることができなくなっていました。そして、知らず知らずのうちに『夫がひどい人間である』という事実を打ち消していたのです」

 こうした心の機能は、日々をやり過ごしていくためには一定程度の効果を持ちます。しかし、それはときに、取り返しのつかない崖っぷちまで、私たちを追い詰めてしまうこともあります。

“冷静”な言動の裏に

 海外の人々を驚かせる日本人の“冷静”な言動の裏には、こうした心の機能が影響しているのではないでしょうか。

 私たちは「話をする大切さ」は教えられても「話をする場」は与えられず、理不尽なことでも忍耐で乗り切るよう訓練され、へたに意見を言うと白い目で見られる社会に生きています(『静かなる反乱(6)』)。

 そんな社会では、怒り(意見)を表すことはとてもリスクの高い行為です。自らの身が脅かされたり、危険にさらされたことを知らせるシグナルであるはずの怒りも、「なるべく感じ無いよう」に抑圧されていきます。

 もしかしたら、自分を脅かしているはずの他者の行為をまったく違う感情を持って迎えるように頑張ったりするかもしれません。たとえば「ありがたいもの」と感じるように、など・・・。

怒りは大切な感情

 こうした工夫は、一時の社会適応には便利ですが、私たちからリアルな感情を奪い、人間関係を築きにくくし、抑うつ的になったり、無気力なったり、さらに危険な事態を招いてしまうことにもなります。

 怒りは自分を守るための大切な感情です。へたに抑え込もうとすれば、予期せぬ時に破壊的な行為となって飛び出すこともあります。それを防ぐには、まずきちんと怒りを感じ、「どうやって表出させるか」と考え、怒りをもたらすような環境(社会)を変化させる創造のエネルギーとして使うことなのです。

利益を貪る人々の誤算

確かに日本には、リビアのカダフィ氏のように、エジプトのムバラク前大統領のような独裁者はいません。一見、自由な国のようにも見えます。

しかし実は、怒りを表現できないよう「仕組まれた自由」が張り巡らされています。そして仕組みの後ろ側には、その仕組をつくり、恩恵を受けている人々がいるのです。
危険性を隠して次々と建設・運転されてきた原発にむらがり、利益をむさぼる人々のような・・・。

 ただ、利益を貪る人々は誤算をしています。イエスマンや無気力な人が増えていけば、自らのあたまで考え、行動し、責任を引き受けようという人間はいなくなります。自由に発想し、新しいものにチャレンジできるような人間もいなくなります。
 
 そうなれば当然、きちんとリスク管理ができたり、緊急事態に適切に対応できたり、国際社会で活躍できる人間もいなくなってしまいます。日本経済は衰退の一途をたどり、利益を享受することもできなくなるでしょう。
 
 でも、もしかしたらそれは、言葉を奪われ、仕事が無いのも自己責任として切り捨てられ、自ら命を絶つしかないよう仕組まれたこの国で、見えない権力者に拳を振り上げることもできず、「迷える子羊」として生きるしかなかった人々の「静かなる反乱」なのかもしれません。

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2011年05月16日

「がんばらなくてもいい!」・・・そんな新しい社会へ(1)

 まったく私的な話からはじめて恐縮ですが、私が『いいかげんに生きよう新聞』なるものの存在を知ったのは、もう○十年も前のことです。
 本屋でたまたま目に入った『生きるのが怖い少女たち 過食・拒食の病理をさぐる』(光文社刊/斎藤学著)という一冊の本を手に取ったときでした。

 この本に出会うまで、「過食・拒食」という概念があるということなど、まったく知りませんでしたし、ましてや新聞の発行元であるNABA(日本アノレキシア・ブリミア・アソシエーション)や、著者である斎藤顧問のことも、何一つ知りませんでした。

===

 そんな無知な私でしたが、同書に転載されていた『いいかげんに生きよう新聞』への投稿ーー斎藤顧問は「時代の閉塞感、息苦しさへの悲鳴を奏でる『カナリアの歌』と呼んでいましたーーには心から共感できました。そして、「いいかげんに生きよう」という言葉に大きな衝撃を受けました。

 そう、それまでの私は、「頑張ろう」「前へ進もう」「一番を目指そう」など、東日本大震災後、とみに巷にあふれるようになった“呪文”でもある「頑張る人間は素晴らしい!」という考えにガッチリとらわれた人間だったのです。

違和感のある「がんばれ」と「復興」

 そんな○十年前の私なら別だったかもしれませんが、昨今の「がんばれの大合唱」。そして、「元通りの社会への一日も早い復興を!」のかけ声は、かなり耳障りに聞こえます。

 未だに多数の行方不明者がおり、長引く避難生活をされている方や先の見えない毎日におびえる方々に向かって、「復興に向けてがんばれ!」と言える神経というのはいったいどういうものなのでしょうか。

 かえがえのない大切な方を亡くしたり、愛する土地や仕事を手放さざるを得なかったり、先の見えない生活を突きつけられた方たちに向かって、どうして「いつまでも嘆いていないで前に進もう!」なんて軽々しく言えるのでしょうか。

 福島第一原発から発せられる放射能の恐怖も収まらない中で、原発震災をもたらした社会の在り方が真摯に問われることもないまま、軽々しく「元通りの社会に“復興”しよう」と言われることにも大きな違和感を禁じ得ません。

「がんばっていないお前はダメ」のメッセージ

 精神病理学者で関西学院大学教授の野田正彰さんは言います。

「(略)被災した人は歯を食いしばって頑張っている。必死になって耐えている。だれががんばっていないというのか。『がんばろう』は、苦しい人に対して『頑張れないお前はダメだ』というメッセージになる(略)」『サンデー毎日』(2011年4月17日号223ページ)

 私もまったく同感です。

 人は「大切なものを失った」という事実を受け入れるまで、長い時間がかかります。戸惑ったり、困惑したりしながら「辛い現実」を受け入れていきます。 そして、それができるようになるためには、とうてい前向きになどなれない絶望観までもを安心して表現できる環境が不可欠です。

 傷ついた心が癒され、「前に進もう」「がんばって生きていこう」と思えるようになるためには、それなりの時間が必要で、落ち込んだりネガティブになったりする時間を共有してくれる“だれか”がいなければなりません。「『がんばれ』と言わたら『がんばれる』」というものではないのです。

本当の支援とは

 政府が提案する高台への移住、エコタウン構想、被災地域からの避難なども、そのままでは受け入れがたい内容です。

 もちろん、こうした案を積極的に受け入れ、まったく新しい第二の人生を歩み始めたいと考える人もいるでしょう。「二度と海は見たくない」という人もいるでしょう。

 しかし中には、行方の分からない肉親の「せめて亡骸だけでも見つけてあげたい」と願っている人、「慣れ親しんだ土地を離れてどうやって暮らして行けばいいかも分からない」と思う人、「出来る限り今までと同じ生活をしたい」と考える人、「やっぱり海の側で暮らしたい」と望む人だっています。

 そういう人たちに対しては、現時点では身の安全をはかりながら、将来に向けては極力、その意に添えるような、具体的な提案していくべきです。
 被災された方々は、想像を絶する体験をされているのです。それならばなおのこと、ひとりひとりのニーズを汲み取り、できるかぎり、それに応えながら行うことこそが本当の支援ではないでしょうか。

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2011年05月26日

「がんばらなくてもいい!」・・・そんな新しい社会へ(2)

 安易な「がんばれ」の声かけは、被災者をよけいに苦しめます。

「早く元気になりたい」
「応援してくれる人に報いたい」
「いつまでも落ち込む姿を見せたくない」

 多くの被災者の方はそう思っているはずです。そんな方に「がんばれ!」と呼びかければ、たとえどんなに辛い心境にあっても「がんばる!」と応えようとしてしまいます。

 大変そうにしているおとなの前では、子どもが自分の大変さを絶対に出せないのと同じです。

いちばん心配なのは子どもたち

「がんばれ!」の影響がいちばん心配なのは、子どもたちです。

 先ほども述べたように、子どもはおとなよりもずっと敏感に周囲の期待や希望を読み取り、それに添えるよう振る舞います。
 おとなに愛され、世話をされなければ生きていけない「子ども」という存在が取らざるを得ない、当然の防衛策です。

 そんな子どもという存在を考えたとき、被災地で展開されている「とにかく早く、通常通りの学校運営をしなければ」という動きが、とても気になります。
 
 たとえば、土壌の放射能汚染が心配される中、福島県では多く学校がほぼ予定通りに入学式や始業式を行い、暫定的に上げられた国の安全基準を満たしているから「安全なんだ」という姿勢を崩さない自治体も少なくありません。

 宮城県は例年通り4月1日付けで教職員の人事異動を発表し、原則、4月半ばまでには被害を受けた公立小中学校の再開を行うという考えを示しました。宮城県では300人近い子どもが死亡し、未だ行方不明の子も多くいます。亡くなった教師も、行方不明の教師もいます。助かった子どもや教師の中にも、家族や大事な人を失ったり、行方不明のままになっていたりする人もいます。

 それなのに、通常通りの人事異動。そして教師の手が足りなければ「ひとりの教職員に前任校と新任校を兼務させる」という宮城県教育委員会の方針は、乱暴に思えます。

 しかし、教育関係者ではない多くおとなたちにも「他の地域の子どもと学力差がつかないように」と、その姿勢を後押しする雰囲気が感じられます。

 こうした状況について、宮城県に住むある高校生は、こんなふうに話していました。

「あまりにも子どもの目線がなくて悲しくなった。
 小中学校の多くはいまだに避難所になっているし、親が行方不明の子もいる。

 いつになったら普通の生活に戻れるのか目処も立たない中で、担任の先生まで異動してしまったら子どもはいったいだれに気持ちを受け止めてもらえるのか。
 『スクールカウンセラーが心のケアにあたる』と言うけど、私なら初対面のカウンセラーよりも、よく知っている先生に話を聞いてもらいたい。

 もし自分が小学生だったら、終業式も、離任式もないまま、先生といきなり会えなくなったら、すごく悲しいと思う」

「日常に戻る」ことは大切だけど

「日常に戻る」ことは、確かに大切なことです。
 授業や部活を楽しみにしている子どもは多いでしょうし、大好きな先生と話ができたり、友達と思いっきり遊ぶことができる環境は子どもに力を与えてくれるでしょう。
 何事もなかったときのように、学校に通い、学び、家でくつろぐ・・・そんな毎日を熱望している子どもはいっぱいいると思います。

 しかしそれには、まずインフラをある程度整え、子どもが気持ちを整理できるような環境を(人間関係)を用意しなければなりません。

 たとえば、ふかふかのお布団に眠ったり、プライバシーが保護された空間で暮らせたり、できたての食べ物を食べられたり、落ち着いて勉強できる場所が確保できたりて、「ここは安全なんだ」と感じられるような信頼できるおとなが身近にいて、はじめて可能になることではないでしょうか。
 
 少なくともこうした基盤がまったくないうちから、被災していない地域の時間や都合に合わせて「日常生活に戻る」ように子どもたちを「がんばらせる」ことが、「日常に戻る」ことではないはずです。

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2011年06月06日

「がんばらなくてもいい!」・・・そんな新しい社会へ(3)

 確かに、元気な子どもの存在は私たちおとなにパワーを与えてくれます。子どもの笑顔は気持ち和ませてくれますし、楽しそうに遊ぶ姿は未来を感じさせてくれます。震災で、原発事故で、失いがちな希望という“ろうそく”に火を点してくれます。
 だからついつい子どもに向かって「がんばろうね!」と声をかけてしまいたくなります。

 でも、ちょっと待ってください。
 子どもは「おとなのために」存在しているわけではありません。子どもはおとなを元気にするためにいるわけではありません。

===
 子どもにしょんぼりしたおとなを慰めたり、前を向けないおとなを勇気づけるなどという“仕事”をさせてはいけないのです。

 おとなに心配をかけないよう振る舞ったり、おとなの面倒をみたり、気分を軽くしたり、おとな同士のいざこざの緩衝材になったりすることーー子どもが「子どもとして生きられない環境」で育つことーーが、その子がおとなになってからも、なかなか下ろすことのできない十字架を背負わせてしまうことは、アルコール依存をはじめとするさまざまな依存症やDVなどの家庭で育った子どもの研究ですでに明らかになっていることです。

 順番から言えば、まずはおとなの側が、子どもが日々を安心して生きられるよう、楽しくて楽しくてしょうがない気持ちでいられるよう、自らの可能性を最大限まで伸ばせるよう、子どもの成長や発達に必要な環境を提供しなければならないはずです。

 エネルギーあふれる子どもの姿は、そうした努力をしたおとながもらえる“ご褒美”であって、けっして「がんばれ!」という安易な声かけの結果であってはならないのです。

子どもはもう十分がんばっている

 東京都内で子育て支援に関わる女性は、阪神淡路大震災を経験したという保育士から聞いた話として、こんなエピソードを教えてくれました。

「地震のあと、やっと登園してきた子に『頑張ろうね』と保育士が声をかけたら、子どもは固まってしまった。その様子を見ていた別のおとなが『もう十分がんばった。もうがんばらなくていいよ。もう大丈夫だよ』と、抱きしめたら子どもは大泣きをはじめたそうです」

 子どももおとなも、安心できる場が無ければ、辛さや悲しみを表現できません。巨大な震災と原発事故は、子どもにとてつもない無力感も与えています。
 生き残った者が感じずにいられない「自分だけが助かってしまった」との自責の念や「自分が悪い子だから、こんなひどいことが起きた」という罪悪感に悩む子も少なくないでしょう。

 そんな不安と恐怖に耐え、子どもたちはもう十分に、十二分に、がんばっているのです。それなのに「がんばれ」と声をかけられれば「まだがんばりが足りないんだ」と、子どもは自分の気持ちにふたをするしかなくなってしまいます。

辛さや悲しみを表現できないのは危険

 被災地の子どもの笑顔や親を亡くした子どもが黙々と避難所の手伝いをする姿などを感動的に取り上げるメディアも多々あります。こうした話を美談として語りたがるおとなも大勢います。
 少しでも早く涙をぬぐい、もしくは涙を隠して、前を向いて進むことはいいことだと信じて疑わない人たちもたくさんいます。

 でも、実は辛さや悲しみを十分に表現できないということは、とても危険なことなのです。

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2011年06月17日

「がんばらなくてもいい!」・・・そんな新しい社会へ(4)

 戦争で親を亡くした子どもの研究から、「愛着(アタッチメント)」という「特定の養育者との情緒的な結びつき」の大切さを述べた児童精神科医にジョン・ボウルビィという人がいます。
 
 ボウルビィは愛着対象(養育者/多くの場合は親)を失った子どもは、
(1)抗議(親が戻って来ることを期待して泣き叫んだりする)
(2)絶望(親が戻ってこない現実を認め、激しい絶望と失意を感じる)
(3)情緒的な離脱(親に代わる者の発見と結合)
 という三段階を経て回復すると述べました。これを「悲哀の過程」といいます。

喪失体験に共通する理論

 現在、この「悲哀の過程」についての理論は、近親者を失うという体験だけでなく、死に直面した人間の心理、身体機能の喪失、環境の変化に伴う反応などなど、さまざまな喪失体験に共通するものと理解されています。

 さらに、大切な対象の喪失にともなってこのような段階的な過程を必要とするのは子どもだけではなく、私たちおとなにも同様だということも、分かっています。

永遠に一緒にいられるはずだと思っていた大好きな人を失う失恋体験を想像していただければ、その気持ちの変化は容易に想像できることでしょう。

封印したはずの感情が噴出することも

 大事なものを亡くした人が当然たどる心理過程を考えたとき、今、日本中にあふれる「がんばれ!」の声が、周囲の期待を感じ取り、それに沿うよう振る舞おうとする子どもに向かって発せられたとき、いかに有害かが分かるでしょう。

 かけがえのない“だれか”を失い、家や土地を失い、生活を失い、地震や津波、原発事故という恐怖に震える子どもたちに向かって「いつまでもクヨクヨせず、早く前を向け!」というメッセージがいかに残酷なものになるのかは、想像に難くありません。

 おとなが善意で発するプラスの声かけは、子どもが「今、感じるべき感情」にふたをし、抗議や絶望の過程をきちんと味わう時間を奪いかねません。それでは辛い出来事をいつまでも過去のものにできず、将来、ふとした拍子に、思いもよらぬかたちで封印したはずの感情が噴出してしまうことにもなります。
 
「心のケア」の中身について考えたい

 今、これまで以上に「心のケア」の大切さが叫ばれています。

 これだけの大災害に見舞われたのですから、それは当然のことです。
 でも、その中身についてはもう一度、立ち止まって考えてみる必要があると強く思います。

 少なくとも、本当の「心のケア」とは、喪失体験をした当事者の思いや時間を無視して「がんばれ」と励ますことではないはずです。
 さらに踏み込んで言えば、むやみやたらとセラピーをやったり、なんでもかんでも「心のケアとして解決する」というような種類のものでもないはずです。

 つい最近、日本心理臨床学会がまとめた「『心のケア』による二次被害防止ガイドライン」でも、「安心感のない場で行うアートセラピーによって、けって子どもの心の傷が深くなる可能性もある」と指摘されています(『朝日新聞』2011年6月10日)。

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2011年06月27日

「がんばらなくてもいい」・・・そんな新しい社会へ(5)

 今回の震災以後に限ったことではありませんが、「心のケア」が、まるで「すべての問題を解決できる魔法の手段」であるかのように喧伝されることに、とても違和感を覚えています。

 かつて「スクールカウンセラーの配置」が決まったときにも、

「なぜ毎日多くの時間子どもと接する教員を増やすのではなく、月に数回、限られた時間内でしか子どもに関われないカウンセラーを派遣するのか?」

 と疑問に思いました。

 このブログの2回目で紹介した高校生が言うとおり、ごく普通に考えれば、ほとんどの子どもは「初対面のカウンセラーよりも、よく知っている先生に話を聞いてもらいたい」と思うはずだからです。

減っている正規の教員

 実は今、正規の教員は減っています。

 たとえば「子どもが笑う大阪」を掲げて当選した橋下徹氏が知事を務める大阪府では、昨年度の小中学校正規教員採用数1215人に対し、非正規教員は2003人です。
 
 2002年度から非正規教員を細切れに任用してきた広島県では、2専門教科の教員を確保できなかったり、105日間にわたって年度途中での代替者が見つからない事態に陥ったことがありました。

 教育の低予算化のあおりを受け、もともとは正規教員が病欠したときの穴埋めなどに任用されてきた非正規教員が、ていのいい「コマ」に使われています。
 そう、一般企業同様、公教育においても「使い捨て」で「安上がり」の非正規が増えているのです。

生計を立てるのも大変な非正規教員

 余談になりますが、非正規教員ともなると生活は大変です。
 生計を立てるために複数の学校や塾をかけもちしたり、アルバイトをすることを強いられます。
 時給制で、授業時間以外の教材準備、テストの作成・採点などは無給。
 採用期間は学校側の都合で左右され、夏休みなどには収入がゼロになるのですから当然です。
 中には生活保護を受給している非正規教員もいると聞きました。

 それでなくとも正規教員も、人事考課や数値目標で縛られ、他の教員と競争させられ、事務仕事を激増させられていますから、「子どものことなどかまっていられない」状況。
 当然、子どもの気持ちを受け止めたり、うまく言葉にできない思いを聴き取ったりする余裕などありません。

 教員が子どもの話も聴けない環境をつくっておきながら、「『心のケア』はスクールカウンセラーに」と言うのですから、それが本当に子どものためを考えての施策なのかどうか疑わずにはいられません。
 
 せめて「すべての学校にスクールカウンセラーを常駐させる」とでも言うのであれば、「特別なニーズを必要とする保護者と子どもへの対応」と思うこともできますが、ほど遠い現状があることはみなさんご存じのことでしょう。

 これと同じことが、震災後は「『心のケア』の名目で行われているのではないか?」と思ってしまうのは、私の考えすぎなのでしょうか。

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2011年07月07日

「がんばらなくてもいい!」・・・そんな新しい社会へ(6)

 たとえば、「毎晩、津波にのみ込まれる夢を見て眠れない」とか「亡くなった母親のことが頭から離れず、涙が止まらない」というのであれば、それは「心の問題」と考えていいかもしれません。

 しかし「いつ自宅に戻るか分からない、先の見えない生活が不安で眠れない」とか「放射能を逃れ、仕事のある夫を福島に残して母親と子どもだけで避難した。以来、気分が塞ぎがち」などというケースはどうでしょうか?

 これも同じように「心の問題」と考え、カウンセリングを受けたり、投薬治療をすれば済む話なのでしょうか?

ちょっとした疑問

 そんなことを考えていたら、ふと、以前にもブログで紹介した作家・雨宮処凜さんの『排除の空気に唾を吐け』(講談社現代新書)のあるページに書いてあったことが浮かびました。
 
 同書(38・39ページ)には、「すべての人が生きづらい時代」として、16分にひとりが自殺していて自殺の原因で最も多いのは『健康問題』で三分の1以上をしめ、その半数近くが「うつ病」であること。全自殺者の58%が無職で20代・30代の死因の1位は自殺であることなどが記されています。

 そんなことが書かれた同ページで、雨宮さんは次のような疑問を投げかけています。

「働いても働いても食べていけないワーキングプアで生活が苦しく、それでうつ病になった場合などはどこに分類されるのだろう? また、先に書いた多重債務の女性(借金の返済が明日に迫っていることが引き金になって突然暴れ、救急病棟に運び込まれた/37ページ)がもし自殺してしまったら、それは借金が原因? それとも借金が原因でなった精神障害?」
※( )内は加筆しました。

「心のケア」が不要になることも

 今、目の前にいるその方の状態だけを見れば、確かに「うつ病」であったり、「精神障害」であったりするかもしれません。

 でも、そもそもの原因は、その人のまったく個人的な「心の問題」と言ってしまっていいのでしょうか。逆に言えば、その人を「心の問題」として治療できれば、根本的に問題を解決したことになるのでしょうか。

 私にはとても疑問です。

 何しろ、今日、冒頭で示したような「心の問題」として考えられるケースであっても、不安定な生活、孤立した環境などが改善されれば、症状が劇的に改善することもあります。

「現実の問題」が解決したことによって、「心の問題」など無くなってしまうことだってあり得ます。

 

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2011年07月15日

「がんばらなくてもいい!」・・・そんな新しい社会へ(7)

 被災した方々の「現実の問題」の解決には、莫大なお金がかかります。

 行方の分からなくなっている肉親を探したり、可能な限り今までと同じ生活を保てるようにしたり、無くした仕事や家、残ったローンの心配をしないようにしたり、将来につながる見通しのある生活を保障したりしなければならないのですから、当然です。
 
 しかも一人ひとりまったく違うニーズを把握してからでないとなかなか前には進めません。
 立ち直りまでの生活に膨大な時間がかかる方もおられるでしょう。
 何重もの、金銭的、人的支えが必要な場合もあると思います。

安上がりな「心のケア」

 数々の手間がかかり、時間がかかり、費用のかかる「現実の問題」に取り組むことに比べ、「心の専門家」を派遣して行う「心のケア」は、安上がりで、とても手っ取り早いことでしょう。
 しかも一見すると、ちゃんと被災者一人ひとりと向き合っているようにも見えますから、多くの人が納得する行為でもあります。

 こうしたやり方は、たとえば競争・格差社会をつくっておきながら「自殺者が増えたから『心のケア』をする」と言うこと。
 そんな社会で子育てがうまくできない親を増やし、圧倒的に人手が足りない乳児院や児童養護施設の職員の配置状況はそのままにして、「入所する子どもが増え、大変なケースが増えたから」と心理職を置くこと。
 前に述べたように正規教員を減らしてスクールカウンセラーを導入したりすること。

 ・・・そうした手法と、とても似ています。
 本質的な部分には手をつけないでおきながら、あたかも「当事者のことを考えている」ような雰囲気がするところも同じです。

本質を見極めることが大切

 社会全体の動き、ものごとの本質を見つめることは大切です。それをしておかないと、私たちカウンセラーは知らず知らずのうちに「現実の問題」を封じ込め、安上がりな「心のケア」に手を貸す要員になってしまうことにもなり得ます。

 何しろカウンセラーはついつい「苦しんでいる人にどうか少しでも楽になってほしい」と、何かしら働きかけたくなります。自分が学んできた心理学や療法、臨床経験が「人の役に立つものであって欲しい」と切に願っています。それはもう、身につけた習性と言ってしまってもよいかもしれません。
 
 しかし、もしそれがまったくの善意だとしても、結果として「現実の問題」を「心の問題」にすり替えてしまうおそれがあるのだとしたら、それは罪深いことです。

 そんなことにならないようにするためには、日本社会の現状をしっかりと見つめた上で、多くの犠牲を出した、いえ、今も出し続けている東日本大震災と向き合い、カウンセラーにできること、やるべきことをきちんと整理し、被災者の方々を苦しめている根本的な原因を取り除くことのできる「心のケア」に取り組まなければならないのではないでしょうか。
 
 それはときに、「カウンセラーだからこそ」の苦言であったりするかもしれません。

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2011年07月25日

「がんばらなくてもいい!」・・・そんな新しい社会へ(8)

 考えてみれば、私たちカウンセラーは、たとえ震災がなくても、原発事故がなくても、「非常事態」の中でどうにかこうにか生きている人たちと常にお会いしています。

 とくに子どもにいたっては、毎日が「緊急事態」という中で、がんばって、がんばって、かろうじて生き延びているケースが少なくありません。

戦争や災害はなくても

 安定や秩序からほど遠い暴力にあふれた家庭、期待に応えられないともらえない条件付きの愛、「あなたのため」という理不尽な要求で子どもを追い込む親、情緒的な関わりがまったく無い家族、少しでも早く「自立しろ」と尻を叩くおとな・・・。

 戦後、日本がひた走ってきた経済性と合理性を追求する社会・・・だれもが競争に駆り立てられ、幼い頃から「負け組」と「勝ち組」に選別され、どんな不条理も「自己責任」として個人に背負わされる社会・・・で生じた、子どもが「子どもらしく、おとなに頼り、愛されながら生きられない現実」をあげればキリがありません。

 たとえ戦争や災害はなくても、子どもが安心して、「自分は愛されている」と思って、ありのままの自分を受け入れてもらって、明日につながる今を確信して、ぬくぬくと暮らせる環境は、今の日本にはほとんどありません。

もう、がんばらなくてもいい!

 今、日本で暮らすだれもが、先の見えない不安や孤独に脅かされて生きています。
 その結果として、うつや不安障害、人格障害などと診断されるような状況にあります。

 そんなたくさんの方の苦しみを日々、共有させていただいているカウンセラーだからこそ言えること。

 それは「今こそ、演技をして元気を装ったり、強迫的にがんばったり、何かの役に立つ人間であろうと努力しなければ生きられない社会は変えていくべきだ!」ということです。

 大惨事をもたらした経済最優先の社会、心や体がぼろぼろになるほどがんばり抜かないと生きていけない社会に“復興”するのではなく、すべての命ある存在が大切にされる社会、だれもが日常的に安心して思いや願いを出し、何もできない、ふがいない存在であっても「そんなあなたが大好きだよ!」と、受け止め合うことができる「“新しい”社会をつくっていこう!」と呼びかけることです。

 未曾有の震災と原発事故を体験した今だからこそ、声を大にして言いたいと思います。

「がんばらないと生きていけない社会はもういらない!」と!!

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2011年08月17日

戦争がなくても平和じゃない(2)

 日本は、13年連続で年間の自殺者数が3万人を超えるほど、生きていくことが大変な国です。
ここ13年間の自殺者数を合わせると約40万人にも上ります。これはなんと、第二次世界大戦で亡くなった民間人の半分もの数字です。

 そして、特定非営利活動法人・自殺対策支援センター・ライフリンクによると、未遂者はその10倍。つまり、毎日1000人もの人が自殺を図っているのが日本の「自殺の現実」だと言います。

 さらに同ホームページには、日本の自殺者数は交通事故死者数の5倍以上、自殺死亡率はアメリカの2倍でイギリスの3倍、イラク戦争で亡くなった米兵の10倍とも載っています。

 果たして戦争がないからといって、今の日本が平和だと言っていいのでしょうか?

ストレスが高まると虐待者になりやすい

 興味深い研究報告があります。日本よりも自殺率の低いイギリスとアメリカで編集された60以上の研究報告書をもとに、虐待の世代間連鎖の発生率を予測したイギリス人のオリバー氏によるものです。

 同氏は、子ども時代に虐待を受けた者が親になったときに虐待を行う傾向を報告し、その確率は三分の一に上るとしました。そして、普段は問題ないけれども、精神的ストレスが高まると虐待者となりうる者が三分の一いると見積もりました(『いやされない傷 児童虐待と傷ついていく脳』/Martin H Teicher監修・友田明美著/診断と治療社)。

 つまり、多くの人が自殺するような、全自殺者の58%が無職であるような、最も希望に溢れた盛りであるはずの20代・30代の死因1位が自殺であるような、精神的ストレスの高い日本という国で、虐待数が増加するのはいわば当たり前ということです。

子どもをあまり養育しない親

 ところで同書は、「母親によく養育されなかったラットは、ストレス脆弱性が生じる上に子どもをあまり養育しない」とも記しています(7ページ)。
 このラットの研究結果は、最近、巷を賑わせる子どもをネグレクトや暴力で子どもを殺してしまう親の姿と重なります。

 昨今、虐待によって亡くなる0歳児が増えていますが、日本医師会は母親が妊婦健診を受けていないなど、妊娠中に胎児に関心を払わないという事実を指摘しています(『日本経済新聞』2011年2月19日)。

 また、子どもを虐待死させてしまった親が、「しつけのつもりだった」と語る場面もよく目にします。

 たとえば2010年1月には東京都江戸川区で継父が「素直に謝らないので暴力がエスカレートした。しつけの範疇と思っていた」と小学1年生の男児を死亡させました。そして同年12月には埼玉県でベビーシッターの女性が「しつけの一環で叩いた」と5歳女児を死亡させています。
 今年3月には岡山県で高校生の長女の手足を縛って浴室に監禁し、低体温症で死亡させた母親が「いい子に育てるためにしつけていた」と無実を主張しています。

かわいがってもらえなかった者の悲劇

 いずれも精神的ストレスの高い社会で、親にきちんとかわいがってもらえないままおとなになってしまった場合の悲劇を感じます。

 愛情あふれる養育を受けられなかった彼・彼女たちは、おとはとは違う子どもという無力な存在の特性や特徴に思いをめぐらすことができず、その存在をストレスに感じ、かわいがり方も分からずに、おとなの都合に合わせよることがしつけだと疑わないまま、その幼い命を奪ってしまったのでしょう。

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2011年08月31日

戦争がなくても平和じゃない(3)

 こうした報道を目にするたびに、精神的ストレスの高い社会で、養育能力を育めないままに親になってしまった悲劇を感じます。

 おそらく愛情あふれる養育を受けられないままにおとなになった彼・彼女たちは、おとはとは違う子どもという無力な存在の特性や特徴に思いをめぐらすことができず、思い通りにならないその存在をストレスに感じ、かわいがり方も分からずに、「おとなの都合に合わせること」がしつけだと疑わないまま、その幼い命を奪ってしまったのでしょう。

おとなが子どもにすることはすべて愛情?

 以前、このブログの「『家族』はこわい」の回でも書いたように、そもそも日本社会は「おとなが子どもにすることはすべて愛情である」という考えに毒されています。
 
 その典型が、「『家族』はこわい(4)」で記した裁判長の意見です。

 “恐ろしい父”に虐待され、“不幸な母”にネグレクトされた少年が父母を殺害した事件(2005年)の判決で、担当した栃木力裁判長は懲役14年を言い渡し、「それでもご両親なりに愛情を持って育てていたことを分かって欲しい」と語りかけました。

 これが日本の“常識”を決める機関であり、正義の砦である司法のスタンダードな考え方なのです。

民法等を改正しても・・・

 だから、止まらない虐待の増加に対応するとして、今年5月に行われた民法等改正でも親から子への懲戒権は削除されませんでした。
「しつけもできないという誤解が広がる」などと言うのが、削除に躊躇した人たちの意見です。

 改正にともない、かろうじて「子どもの利益のために行使されるもの」との文言が盛り込まれたことを評価する人たちもいますが、「しつけのつもりだった」と虐待する親が少なくない事実を考えれば、この文言が虐待防止にどれほどの効力を発揮できるものなのかは、かなり疑問です。

国連からも追求された懲戒権

 この懲戒権については、昨年5月に国連「子どもの権利委員会」(inスイス・ジュネーブ)で行われた子どもの権利条約に基づく第3回日本政府報告書審査では、委員の方から鋭い質問が浴びせられていました。

 委員のひとりは「日本には子どもの虐待を容認する法律がある」と指摘したうえで、「しつけと指導と虐待はどう違うのか説明せよ」と、日本政府団に迫りました。

 しかし、残念ながら日本政府団からは的確な返事はありませんでした。いえ、「いったいどこの省庁が応えるべきなのか」も分からず、無言になっていたというのが正確でしょう。
 政府団の人たちは、お互いに顔を見合わせながらマイクを譲り合うような感じでした。

 何しろ懲戒権との関連では法務省、指導との関連では文部科学省、虐待との関連では厚生労働省が管轄。
 すべてを包括して「子どもへの対応の在り方」を考え、応えられる仕組みそのものが、日本にはないのです。

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2011年09月06日

戦争がなくても平和じゃない(4)

 ところで、この8月、今回の東京電力福島第一原子力発電所事故で放出されたセシウムの量が、広島に投下された原爆の168倍にもなることが報じられました。

 これについて経済産業省原子力安全・保安院は、
「原爆は熱線、爆風、中性子線による影響があり、原発事故とは性質が大きく違う。影響を放出量で単純に比較するのは合理的でない」(『朝日新聞』8月27日)
 と述べていますが、私のような素人にはその危険性がどの程度のものなのか分かりません。

 確かに、ただ単純に「原爆より原発の方が影響が大きい」と言うのはうかつな気もします。

分からないからこそ怖い

 でも、
「実際の危険性がどの程度あるのか分からないからこそ怖い」
 というのが、原発の影響を大きく受けている地域の方々の思いなのではないでしょうか。
  
 震災後に福島県郡山市を訪れたとき、「子どもたちに集団避難を!」と、郡山市を相手にした仮処分の申し立てについて聞く機会がありました(こちら)。

 地元で聞いた話によると、郡山市では、今も1時間に1.02〜1.03マイクロシーベルトの空中放射線量が観測されているそうです。福島県の子どもの約45%に、甲状腺被爆も確認されています。(『朝日新聞』8月18日)

 その事実が、今後、どんなふうに健康に影響してくるのかは、現時点では分かりません。国が言うとおり「問題ないレベル」なのかもしれませんし、「あまり問題のない人もいる」のかもしれません。

 しかし、事故直後の情報が少ない中で「直ちに影響はない」と連呼した政府や学者たちの意見を信じ、最も放射線量が多かった時期に乳幼児を連れて何時間も外で給水車に並んだという母親に、今さら「国の示す安全基準を信じてください」と言われても、それは難しいように思いました。

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2011年09月15日

戦争がなくても平和じゃない(5)

 また、農産物の放射線量を測りもしないで県産のものを給食に出す郡山市教育委員会に対しても、多くの保護者が不信感を抱くのは当然のように感じました。

 今、郡山市のほとんどの子どもは給食で出された県産牛乳を拒否しており、弁当を持参している子も多いと言います。

親たちの不信感と失望、そして罪悪感

「何が安全で何が危険か分からない」、「将来、影響が出たらどうやって保障してくれるのだろうか」、「『原発は安全』と言い続け、リスク管理もしてこなかったうえに、大事な情報も“後出し”してくるような国(行政)を信じていいのか」・・・放射線量の高い地域で子育てをしている親たちは、そんな不信と裏切られた失望の中にいました。

そして、結果的に安全神話に乗っかるかたちとなり、子どもに大きなリスクを負わせてしまった親の罪悪感が、住み慣れた土地や学校を離れ、家族バラバラになってまで、「子どもたちの集団疎開を!」という声に結びつき、当事者である子どもたちを不安に駆り立てているように感じました。

「何歳まで生きられますか?」と問う子ども

 8月17日には東京・永田町の衆議院議員第一会館で、福島県内に住む小中学生が政府の原子力災害対策本部や文部科学省の担当者らに、直接、次のように訴えかけました。

「私はふつうの子どもを産めますか? 何歳まで生きられますか?」(『朝日新聞』8月18日)

 子どもたちにこんなセリフを言わせてしまう日本という国を、本当に「平和な国」と呼んでもいいのでしょうか。「戦争がないから平和なのだ」と、言ってしまっていいのでしょうか。

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2011年09月22日

戦争がなくても平和じゃない(6)

 宮城県でも同様の気持ちになりました。

 私が訪問した地域は地震と津波の爪痕がくっきりと残る宮城県北部。
 そこには原発の影響とはまた違う、震災の影響が色濃く見られまました。

はしゃぐ子どもたち

 宮城県では主に学校にある学童保育にお邪魔し、その指導員の方や教育関係者の方にお話を伺いました。
 
 通学途中に出会う子どもたち、学校の入り口ですれ違う子どもたち、学童保育で遊ぶ子どもたち・・・みんな、楽しそうにはしゃいでいました。
 子ども同士でじゃれ合い、くったくなく笑う姿を見ていると、まるで何事もなかったかのように思えるほど平和な、日常の風景でした。

 学童保育にお邪魔すると、訪問者であるおとな(私)を見つけ、「おやつを分けてあげる」と、無邪気に話しかけてきました。「折り紙しよう!」「切り絵を教えてあげる」と、楽しそうに誘ってきました。

子どもの笑顔の奥に
 
 しかし、そうした子どもたちの笑顔の奥に、命からがら津波から逃げたこと、親や姉弟を失ったこと、家が流されてしまったこと、未だに避難所で暮らしていること・・・。いくつもの恐ろしい体験が横たわっていました。

何も語ろうとしない子どもたちに変わって、おとなたちが教えてくれる子どもの壮絶な体験は、福島での事情とはまた違った意味で筆舌に尽くしがたいものがありました。

驚くほど“いい子”だった

 ところが、そんな大変な思いをしたというのに、子どもたちのことを話してくれたおとなたちは口々にこう言いました。

「震災の後、子どもたちはほんとうに驚くほど静かで、“いい子”でした」

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2011年09月28日

戦争がなくても平和じゃない(7)

 地震、そして津波からの避難。やっとたどり着いた避難先では、ホッとしたのもつかの間。水は瞬く間に建物の1階を飲み込み、大勢の人々が巻き込まれました。

 それを目撃してしまった子もいます。押し寄せる濁流と共に、流れ込んで来た遺体に遭遇したという子もいます。水の難は逃れたものの、冷え切った体で低体温症を起こし、亡くなっていく方を見てしまった子もいます。

 しかも停電です。灯りも食べ物も無い暗闇に降り積もる雪。体を寄せ合って暖を取る、親しい人の安否さえ分からない長い夜を子どもたちは過ごしました。

「もう3月だというのに、あの日は午後からものすごく冷え込んで、暗くなるのもものすごく早かった」と、現地の方々は口をそろえました。

率先して働く子ども

 それなのに、子どもたちはパニックに陥ることも無く、泣き出すことも無く、とても落ち着いていたのだそうです。

 いつもはなかなか言うことを聞かないやんちゃな子まで、きちんとおとなの指示に従い、少ない食べ物を欲しがろうともせず、差し出されるとみんなで分け合って、ただじーっとしていたのだそうです。

 そしてライフラインが復旧しないまま避難生活が始まると、おとなよりもずっと率先して水くみをしたり、トイレ掃除をかって出たりしたそうです。また、そうやって、おとなの仕事を手伝う一方、子ども同士で元気に遊んだりもしていたそうです。

そんな子どもをどう見る?

 そんな子どもたちの話を、みなさんはどんなふうに感じられたでしょうか。

 かねてより「今の子どもたちは戦争も体験せず、経済的にも甘やかされてワガママになった」と発言してきた識者の方々ならば、「やっぱり自制心や道徳心を育てるには苦労が必要なのだ」と言うかもしれません。

「子どもはおとなほど深刻にはならない」と信じている人であれば、「そんな生活をしていても元気に遊び回れるのだから、子どもというのはすごいもんだ」と話すかもしれません。
 
「子どもは希望だ」とか「子どもはいつでも前向きだ」と考える人であれば、子どものパワーに感嘆するかもしれません。

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2011年10月05日

戦争がなくても平和じゃない(8)

 私は、「アルコール依存症家庭で育つ子どもに似ている」と思いました。

 災害という子どもにはあらがえない暴力。それがもたらす、先行きの不透明感や構造性の欠如、不測の事態、おとな(親)の無力感・・・そんな日々は、「マクロ」と「ミクロ」の話という違いはありますが、アルコール依存症の家庭をはじめとする機能不全家族の様子と重なります。

 アルコール依存の家庭は、暴力、そして非一貫性と予測できない事態で満ちています。

アルコール依存症の家庭では

 たとえば、昨日は優しく物静かだった父親が、翌日は朝から酒を飲み、理不尽な要求を突きつけてきたりします。
 いつもかいがいしく家族の世話をしてくれている母が、飲んだとたん、その視界にまるで子どもが入らないかのように振る舞ったりします。

 今日が平穏だったとしても、明日も同じ状態が続くかはまったく分かりません。ましてや1週間先、1ヶ月先などはとうてい予測することなどできません。

 アルコール依存の家庭では、ついさっきまでの平安は、お酒によっていとも簡単に破壊されます。

辛さを語る場のない子ども

 子どもはその辛さを語る場を持ちません。

 多くの場合、おとな(親)は家庭の問題が世間に知られることを嫌がり、隠そうとします。アルコール依存でない方の親(多くの場合は母親)は、依存症であるパートナーの言動が何よりの関心ごとになっており、変わらない日々の中で無力感に苛まれています。

 そんないっぱいいっぱいの母親の状態が痛いほど分かる子どもは、「母親には自分(子ども)を抱え、安心できる生活を提供する余裕などあるはずがない」と、先回りして理解します。

「ここに私(自分)という重荷まで加わったら、大好きな母親が壊れてしまうかもしれない」という恐怖におびえ、「大好きなお母さんにこれ以上の苦労はかけたくない」と、自分の思いを出さないようにしていきます。

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2011年10月11日

戦争がなくても平和じゃない(9)

 子どもはそうやって徐々に、恐怖や不安、寂しさなどのリアルな感情を封印する術を上手に身につけていきます。そして、だれかを頼ることをあきらめ「自分の面倒は自分で見よう」という決心を固めていきます。

「だれかを頼る」ということは、その相手に自分を預けるということです。それは、不測の事態がいつでも隣にあり、余裕のないおとなしかいない家庭で暮らす子どもにとっては、自分の身を危険にさらす行為とイコールです。

感情に無頓着で人に頼れない子ども

 子どもが、安心して生きていくためには、ある程度の一貫性と秩序が必要です。だから、おとながそれを子どもに与えることができない場合、子どもはどうにかしてそれを手に入れようと、自らさまざまな工夫を始めます。

 たとえば、おとなの代わりに日常生活をオーガナイズする「責任を負う役割」を担ったり、どんな状況でもすべてを受け入れることができる「順応者」になったり、自分はさておき、傷ついた妹弟などを慰める「なだめ役」になったりします。

 中には、おとなにも分かりやすい問題行動を取ることで「自分は安心してくらせていない」と警鐘を鳴らすことができる子もいますが、そうはできない子どもも多いのです。
 
 見かけ上の役割はいろいろですが、そこに共通してみられる特徴があります。
「自分の感情に無頓着である」ということ。そして「人に頼ることがとても下手である」ということです。

子ども本来の姿は見えなくなる

 ところが皮肉なことに、「責任を負う役割」だったり、「順応者」だったり、「なだめ役」だったりする子どもの姿は、おとなからは「しっかり者で、聞き分けのいい、おとなを助けてくれる子ども」に見えます。

 おとな側の「子どもは元気で、苦労なく育って欲しい」という願いや、「もうこれ以上の難問を抱え込みたくない」という無意識もはたらくのでしょう。過酷な日々の生活を考えれば、無理からぬことです。
 
 しかし、一見、問題のない子どもの姿は、実は子ども奥底に隠れている“おとなに甘え、守ってもらう存在”である本来の姿を見えなくしてしまいます。

 アルコール依存の家庭で育った子どもたちの抱える問題に注目し、アメリカでその治療・研究・予防に当たってきた社会心理学博士クラウディア・ブラック氏は、その著書『私は親のようにならない』(誠信書房)の「まえがき」で、次のように述べています。

「多くの子供たちが、予測不能で混乱した生活の中で虐待されて暮らしながら、『元気なよい子のように見える』ことも、世界中に共通したことだと思います」

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2011年10月20日

戦争がなくても平和じゃない(10)

 もちろん、津波や地震の被害は虐待(不適切な養育)とは違います。
 しかし、それによって子どもが「安全な場を失ってしまう」ということは同じと言えるのではないでしょうか。

 おとなを頼らなければ生きていけない子どもには、安心して自分の思いや願いを表現し、そのすべてを抱えてもらえる安全基地(受容的・応答的な関係)が必要です。
 しかし、虐待も震災も、その土台を根幹から揺るがします。

 生々しい恐怖体験にさいなまれながら、生活の再建に汲々とするおとなを前にした子どもは、すべての欲求を引っ込めるしかなくなってしまいます。

自らの体験と重ねて語る少女

 ちょっと立場は違いますが、過労死で父親を亡くしたある少女は、震災によって親を失った子どもたちとかつての自分を重ね、こんなふうに述べています。

 今のこの状態が、私が10年前に父を亡くした時と重なってしょうがない。
 私の父は突然死だった。ある日突然私の日常からいなくなった。そして私が周囲から、かけられた言葉も「頑張って」「しっかりして」「大丈夫だよ」これが大多数だった。

 この言葉達に悪気がないと知ったのは随分と歳を重ねた後だった。
 当時私は「頑張れるはずがない」「しっかりなんてできない」「大丈夫なわけない」と思った。
 そしてこの様な言葉をかけてくるおとなたちをずいぶんと恨んだ。

 感じざるを得ないのだ。あの被災地の子ども達の、おとなに向けた「心配しないで」と言っているかのようなあの笑顔、苦しみや悲しみを感じることすら困難な、何かに憑かれた様なあの目。
 それは10年前、私がおとな達に向けた顔と大して変わりはないのだろう。そして私は怒りを感じずにいられない。今、目の前にいる子ども達の姿が真実だと思って疑わないおとなたちを。 

 決して子ども達は嘘をついているのではない。が、だれが目の前で悲嘆にくれているおとな達を前に悲しんでいられようか。
 誰が目の前で絶望に打ちひしがれているおとな達を前に自分自身の不安を口に出せようか。だから子ども達は笑う。しゃべる。そして一人になった時そのショックに襲われる。
(子どもの権利のための国際NGO・DCI日本機関誌『子どもの権利モニター』108号より)

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2011年10月26日

戦争がなくても平和じゃない(11)

 だからと言って子どもに「本当のことを話してごらん」とか「抱えているものを全部はき出さしなさい」と促すことがいいわけではありません。

「『がんばらなくてもいい!』・・・そんな新しい社会へ(4)」でも書いた通り、日々の生活さえままならない避難所や、その延長線上にあるような生活の中で、物理的な支援が圧倒的に足りない中で、心にある感情を出していくことはとても危険です。

 虐待などの治療においても、そのまっただ中にあるときには、心の中を探るような踏み込んだセラピーなどはできません。すべてはある程度安全な環境が確保でき、継続的なケアが可能になってから始まることです。

「もう終わったこと」などと言わないで

 前回にご紹介した少女も、同じ文章の中で次のように述べています。

 しかし、だからと言って子ども達今の声を疑うような真似や、心の不安を無理にこじ開けるような真似は絶対にしないでほしい。難しい事かもしれないがそれだけ複雑でデリケートな問題なのだ。子ども自身さえ今の感情が偽りのつくったものだなんてこれっぽちも思っていない。

 しかし、本当の気持ち、心の奥深くに眠っている不安や悲しみは時間を経てやってくる。忘れた頃にその子を襲う。今大丈夫だからといって決して油断はしないで欲しい。おとな達が忘れかけ、立ち直った頃でも子どもの心の中では根強くその気持ちがこびりついているかもしれないのだから。

 そしてこれから歳月が経ってもし、身近な、あるいは関わった子ども達が不安や恐怖を口にしたら、その時初めて同調してほしい。「辛かったね」と言って欲しい。「怖かったね」と言って欲しい。

 そしてこれからどうすれば安心を得られるのかを一緒に考えて欲しい。それこそが関係性であり、真に子どもがおとなに求めているものなのだ。決して「頑張れ」とか「大丈夫」とか「もう終わったこと」などと言って欲しくない。
(DCI日本『子どもの権利モニター』108号より)

「お疲れさま」と言ってあげたい

 今、被災者の立場ではないおとなが被災した子どもたちに向けてすべきことは、子どものいちばん身近にいるおとなの方たちが、安心して日々を送り、幸せを感じ、少しでも早く余裕を持って生きられる環境を整えることです。
 
 将来を見通せるよう、その意思を聴き取り、補償をし、生活の再建ができるよう援助し、子どもに目を向けられるようにすることです。
 こうした援助や補償に向けて動くことができるのは、被災者ではないおとなだけなのです。

 それができない限り、被災した子どもたちの“戦争状態”はけっして収束には向かわないでしょう。

 震災から7ヶ月が過ぎました。もうそろそろ、非常事態の中でがんばり続けてきた子どもたちに「お疲れさま」と言ってあげたいと思います。

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2011年11月07日

『希望の革命』(1)

 私が敬愛する研究者の1人にエーリッヒ・フロムがいます。

 ドイツの社会心理学者であり、哲学者であり、精神分析を修め、マルクス主義とジークムント・フロイトの精神分析を社会的性格論で結び付けたことで知られ、心理学の教科書では「新フロイト派」とか、「フロイト左派」と紹介されている人物です(ウィキペディア )。

理解できなかったその思想

 エーリッヒ・フロムの代表作と言えば『自由からの逃走』(創元社)ですが、私がはじめて出会った作品は『愛するということ』(紀伊国屋書店)です。

 当時の私は大学生。友人に勧められて手に取った一冊でした。

 その頃、「多くの人から愛され、与えられる女性こそが魅力的なのだ」とか、「社会で認められるひとかどの人物たることこそ大事なのだ」という社会の常識にはまり込み、いかに生きるべきかと悩んでいた私にとって、同書の「与えること自体がこのうえのない喜びなのだ」「愛とはだれもが浸れる感情ではなく、技術なのだ」というメッセージには、驚愕という言葉以外は思い当たりませんでした。

 そして同時に、「いったいそれはどういうことなの?」と思い、何度となく本を読み返しても、実感として分からなかったことも覚えています。

もしフロムと出会わなかったら

 それがフロム(の思想)との初対面だったわけですが、振り返ってみれば「あの出会いがなかったら、今、私はこの場所に立っていないだろうなぁ」と、しみじみと思います。

 もちろん、フロムとの出会いだけがすべてではありません。
 でも、「もしもフロムに出会わなかったら、臨床心理の世界に引かれ、ここでブログを書かせていただくという機会を持つことはなかったのではないか」と思うのです。

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2011年11月15日

『希望の革命』(2)

『愛するということ』(紀伊國屋書店)に出会って以来、邦訳されているフロムの本は、すべて読みました。

 その後も、人生の節目、迷ったり、困難にぶつかったりしたとき、考えに自信が持てなくなったときなど、さまざまなときにフロムの本を手に取っては、指針にしたり、自分の気持ちを確かめたり、気持ちを慰めたりしてきました。
 
 いずれの著書もとても興味深くて大好きです。
が、おもしろいことに、そのときの自分の状況や気分、社会情勢などによって、“しっくりくる”本は変わります。

 最近、「しっくりくるなぁ」と思っているのは『希望の革命』(紀伊国屋書店)です。

『希望の革命』の出版当時は

 そのアメリカ版の初版は、1968年に書かれました。

 当時のアメリカでは、泥沼化するベトナム戦争に反対する声が高まっていました。そしてちょうど、反戦を唱え、アメリカの政策の変換を求める人々の支持を集めて、ベトナム介入政策を批判した教授で、反戦活動の指導者でもあるユージーン・マッカーシー(Wiki pedia)が大統領指名選挙に名乗りをあげたときでもありました。

フロムが望んだ「人間主義と希望が復活する社会」

 フロムは、同書の「はしがき」で「私たちは今、分かれ道に立っている」として、その先に延びるふたつの道について次のように述べています。

「1本の道はーー水爆戦争による破滅とまではゆかないとしてもーー完全に機械化され、人間が機械の中の無力な歯車になってしまう社会に通じている。もう一本の道は人間主義と希望の復活にーー技術を人間の幸福に奉仕せしめる社会にーー通じている」

 言うまでも無く、フロムが望んだのはマッカーシーが大統領となり、「人間主義と希望が復活する社会」でした。

 しかし、現実はそうはなりませんでした。その後、アメリカ国民が選んだのは前者でした。
 あれから40年以上が経過した今となっては、マッカーシーは敗れ、原子力を推進し、人間の幸福を技術(経済利益)に差し出すようせまる世界になってしまったことは、すでに歴史が証明するところです。

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2011年11月24日

『希望の革命』(3)

 フロムがかつて『希望の革命』で書いたのと同様、まさに今、日本は分かれ道に立っています。

 東日本大震災という大きな悲劇に見舞われ、多くの命が奪われ、建物や地域が崩壊しました。そしてつい最近、政府が「約7万人」としてきたこの震災の避難者が、実は33万にんだったという報告も出されました(東日本大震災:避難者33万人に…仮設入居者など合算)。

 こうした現実を前にして、いったいこれから「何を大切にし、何を目指して、どんな社会をつくっていくのか」が問われています。

 それは、被災地やその復旧に関してだけの話ではありません。日本全体として、「いったいどんな国をつくっていくのか」を考え直さなければなりません。

震災後の“ほころび”

 何しろ私たちは、震災後、国の施策や姿勢、今まで日本という国が選び取ってきた道筋などについて、いくつもの“ほころび”を目にしました。

 その象徴と言えるのが原発です。

 事故後、東京電力や原発メーカー、そして国が企業利益を重視するあまり、いかに安全対策を怠ってきたか、嘘をつき続けてきたがが、明らかになりました。
 嘘を嘘で塗り固めるために、タウンミーティングでは“やらせ”を行い、「原発は安全でクリーン」というパンフレットや教材をおとなから子どもにまでばらまき、反対意見を封じ込めるために国からの交付金だけでは飽きたらず、原発設置県や自治体に対して、電力会社が多額の寄付をしてきていたことも分かってきました。

 全国で最も原発の多い福井県には、匿名の大口寄付が2010年度までに少なくとも計502億円寄せられおり、そのうち約3割の150億円は、同県内に原発をもつ関西電力など電力事業者からということです。さらに、自治体関係者は「電力事業者以外に大口寄付はほぼない」と話しているので、その他の寄付も電力業界からの可能性が高いそうです
原発地元に匿名寄付500億円 福井、大半は電力業界か)。

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2011年11月28日

『希望の革命』(4)

 もはや、「原発は安全で低コスト、そして環境に優しい」とは、とうてい思えません。

 震災から9ヶ月がたとうというのに、福島第一原発では「安全」からはほど遠い状況が続いています。

 復旧や廃炉に向けては、少なくとも30年以上はかかるという見通しです(『朝日新聞』11月12日)。
 また、フランスの政府関連機関である放射線防護原子力安全研究所(IRSN)は、流出した放射性物質の量は東京電力が試算し公表している量の20倍相当になるとの報告を発表しています(福島第一原発事故-海洋放射能汚染は東京電力試算の20倍相当)。

見せかけの安全と低コスト

 原発が「安全で低コストに見えた」のは、事故や放射線の危険性をまったく度外視していたからです。
 事故が起きたり、廃炉にしたりする場合の費用や何かあったときの補償などを、まったく組み込まずに、つくり続けてが起きたからです。

「環境に優しい」というのは、たんに「発電の際、二酸化炭素を出さない」というだけの話にすぎません。

 今まで私たちの社会は、そんな原発を受け入れ、特別な予算までつけて増設することを許してきました。そうして、事故の後でさえも、「原発は効率がよく、クリーンなエネルギー」と言ってはばからない経済界や大企業の利益に与してきました。

 フロムの言葉を借りるなら、まさに原子力(水爆戦争)による破滅への道を選び、「技術を人間の幸福に奉仕させる社会」ではなく、「人間を技術(経済)の発展に奉仕させる」社会をつくってきたのです。

暗雲垂れ込める分かれ道

 さて、分かれ道です。
 これから先、はたして日本は人間を幸せにする社会を選び取ることができるのでしょうか。

 残念ながら、昨今の野田首相の言動を見ていると、暗雲が垂れ込めていることは間違いなさそうです。
 野田首相率いる政府は、この期に及んで、なおも「原子力ビジネスを継続する」と断言し、新興国を中心に原発を輸出するという姿勢を崩しません。

 そんな日本政府の態度を「アメリカへの忠誠の証し」(『東京新聞』2011年9月27日ほか)と批判する声もあります。
 アメリカの原子力関連企業は、日本の原発メーカーから莫大なライセンス料を得ており、さらにはアメリカ企業は日本のメーカーを通して技術を維持していると言うのです。

 以下のブログに、関連記事が載っているので、ご興味のある方はご覧ください。

原発-アメリカ内「政府(推進)VS電力会社(脱原発)」それぞれの記事からみえるもの

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2011年12月14日

『希望の革命』(6)

 フロムは言います。

「現在のシステムの中で働いているすべての人間の努力や思考を導く原理はふたつあり、システムはその線にそって動いてゆく。

 第一の原理は、何かをすることが技術的に可能であるから、それを行わなければならないという原理である。核兵器をつくることが可能なら、たとえ私たち皆が破滅することになっても、それは作られなければならない。月や惑星に旅行することが可能なら、たとえ地上の多くの必要を満たすことを犠牲にしてでも、それはなされなければならない。

 この原理は、人間主義(ヒューマニズム)の伝統が育ててきたすべての価値の否定を意味する。この伝統においては、何かをしなければならないのは、それが人間にとって、また人間の成長、喜び、理性にとって必要だからであり、またそれが美であり、善であり、あるいは真であるからであった。

 何かが技術的に可能だからしなければならないという原理がいったん受け入れられると、他のすべての価値は王位を奪われ、技術的発展が倫理の基礎になる」
(『希望の革命61ページ』)

フロムのことばを繰り返しながら

 フロムのこの言葉を繰り返しながら、ひとたび事故が起これば、その周辺で暮らすあらゆる生命を脅かすことになっても、原発の輸出にためらいを感じ無い人たち。また、つい最近の、情報収集衛星の打ち上げ成功を「成功率95%の世界最高水準の技術力を示した」と喜び、沸くニュースを読むと、その類似性よく見えます(情報収集衛星:H2Aロケット20号機打ち上げ 「世界に技術力示す」/鹿児島

 福島第一原発の事故を意識し、さすがに原発輸出ビジネスの継続にはクビをかしげるマスコミもありますが、情報収集衛星打ち上げを疑問視する声は、とんと聞きません。宇宙開発とそのビジネス利用への参入をもてはやすムードの方がずっと高いように思えます。

第二の原理は最大の効率と生産

 さらにフロムは、同書(62ページ)で以下のように続けます。

「第二の原理は最大の効率と生産の原理である」と。そして、効率と生産の原理を挙げるためには、「人間は個人性を奪われ、自分自身の中よりもむしろ団体の中に自己の同一性を見いだすように、教えられなければならなくなる」と。

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2011年12月26日

『希望の革命』(7)

 このフロムの言葉は、ともすると日本の状況を現すときに昨今よく使われる「多様化した社会」とか「個性化の時代」などとは真逆の言葉のようにも聞こえます。

 多くの人が、今の日本社会は自由に人生を選び取り、さまざまな個性に応じて生きて行けると思わされ、私たちは自由で公平な社会に生きていると錯覚しているからです。

 現実を見れば、今の社会がマニュアル主義になっていること、個人よりも組織の判断が優先されていること、ひとりひとり違う人間存在(個性)よりも効率性が重視されていることは、明らかです。

 一見、自由に見えるけれども、そこにはいつも選ぶべき答えが用意されており、それ以外の選択をすれば、その組織の中枢からはじき出されます。
 「何を言ってもいいんですよ」というタテマエを信じて本音を語れば「空気の読めない人」として排除されていくのです。
 しかもそうして片隅に追いやられ、たとえば“負け組”に入ったとしても、それは「自己責任」として、その当人が引き受けることとされます。

端的に現す高校生のプレゼン

 かつて私がブログ(『家族はこわい』)でも紹介したある高校生が言った次の言葉が端的に、そんな日本社会の状況を表しているように思います。

 私たち子どもは「子どもだから」と話し合う場を用意されず、学校ではいうように教えられても言う場を与えられず、もし意見を言っても聴いてもらえません。
 また、意見を言わなくても生きていける、物質的には裕福な社会にいます。逆に意見を言ったために周りから白い目で見られ、孤立させられてしまうなど、時には思いもよらぬ不当な扱いを受けることもあります。
 そうしているうちに、多くの子どもたちは意見を言うのを恐れ、また言っても変わらない現状に疲れ、自分の意見を主張するのをやめていきます」(1997年の子どもの権利条約に基づく第一回日本政府報告書審査での高校生プレゼンテーション)

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2011年12月28日

『希望の革命』(8)

 そんな社会では、ひたすら個性を殺し、自ら進んで「長いものに巻かれる」ことで生き延びるしかありません。多様性のある価値観も、生き方もできようはずがないのです。
 一昔前よりも多様化が進んだものといえば、働き方くらいなものでしょう。しかしそれも、ある労働組合の方は、こんなふうに断じていました。

「よく、派遣や契約、アルバイトなど、正社員だけでなくさまざまな選択ができるよう『働き方が多様化した』と言う人がいますが、それは違う。経営者の、大企業の都合に合わせて『働かされ方が多様化した』だけです」

 今や、非正規で働く男性は539万人で労働者全体の19%、女性では1218万人で女性雇用者の54%を締めています(2011年12月9日『朝日新聞』)。日本の従業員約27%がパートタイム労働者になりました(2011年12月15日『東京新聞』)。年収200万円以下の所得者層が1000万人を超え、低所得者(07年調査では114万円)を示す相対的貧困率は16.0%にも達しています。

 不安定雇用を強いられる人たちが就いている仕事の多くは、自分らしさや創造性を必要としないマニュアル化した仕事。流れ作業のように仕事を“こなし”、不平不満があってもおとなしく飲み込んで会社の歯車のような働き方を強いられる仕事。自分らしく意見を述べれば、すぐにクビを着られるような仕事。効率性や経済性だけを追求させられる仕事。

 つまり、人として働く意欲や意義を持ちにくい非個性的で非人間的な仕事ばかりです。

「マクドナルド化」した世界

 このような仕事のあり方、企業のあり方、考え方が、本来は個性や人間性、批判精神を必要とするはずの教育や福祉、医療、法律、ジャーナリズムなど、あらゆる分野に浸透しています。アメリカの社会学者であるジョージ・リッツァが指摘した世界の「マクドナルド化」です(詳しく知りたい方は『マクドナルド化する社会』早稲田大学出版部を参考にしてください)。

 確かに経済的な合理性を追求しようとするのであれば、マクドナルド的な手法ほど良いものはありません。しかし、そのために払う甚大なリスクに、私たちはあまりにも無頓着です。

「マクドナルド化」した環境で生きる人間の想像力は低下し、創造性は失われ、その考えは型にはまったものになります。働き手は阻害され、新しいアイディアは浮かばなくなり、安い給料で働かざるを得ない人を大量に生み出し、貧困の連鎖を招きます。フロムが言うとおり(同書、65ページ)、ストレスや緊張は高まり、さまざまな健康上の問題も生じ、社会は健康維持のために大きなコストを払わねばならなくなります。

 不平等感や不満、偏った優越感などが犯罪の温床となり、社会は住みにくく、リスクは高まって行きます。

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2011年12月31日

『希望の革命』(9)

 想像力・創造力を失い、型にはまった考え方しかできない例は、たとえば「指示まちくん」などと揶揄される「ゆとり世代」に象徴されているかもしれません(「ゆとり世代」の若者を批判する論調には異論がありますが、今回は触れません)。

 一方、健康上の問題は13年間も続いている年間3万人の自殺や、うつ病などの気分障害の患者数の増加などに見て取れることでしょう。
 1996年には43.3万人だった総患者数が2008年には104.1万人となり、9年間で2.4倍にまで増加しています。さらに、2009年の20代〜30代の死因トップは自殺で5割を超えていますが(『平成23年版自殺対策白書』)、その実態は気分障害の増加がもっとも多いのは30代というデータとも重なります(『社会実情データ図録』)。

すでに『希望の革命』で看過

 このような社会の問題をフロムはすでに『希望の革命』で看過していました。
 同書の「訳者(作田啓一氏)あとがき」(234ページ)には、その考えが以下のようにまとめられています。

「最大生産の原理が現代社会に貫徹しており、その貫徹の要件として最大能率、最大消費の原理が作用するとともに、上からの計画を施行するため、人間を<ケース>として取り扱う官僚主義的管理がゆきわたる。
 限られた時間と空間の中では能率的である行動も、もっと広い幅の時と所を念頭におけば、<人間というシステム>の機能障害に貢献するだけであり、体制が作った消費の欲望を追及することで、人々は物の主人公になるつもりでいるが、じつは物への依存を深めるにすぎない。物、地位、家族などの所有は自我(エゴ)を確認するための有力な方法である。

 だが、そのような方向に向かって人が貪欲になればなるほど、真の自己(セルフ)は空虚となる。自我防衛のための所有の方向は、外界に向かって自らを開き、自発的、能動的に自らを世界に結びつけることによって得られる存在の確認の方向と両立し得ない。
 今日の体制のものとでは、所有は存在を貧しくすることによってしか得られず、そして存在が空虚になればなるほど、その代償として所有の追及が行進する」

 最大能率、最大消費を目指す最大生産の原理は「グローバル経済」の名の下、ときに「民主化」などという仮面をかぶって、世界中でどんどん進んでいます。

 希望はないのでしょうか? 私たち人間はこのまま機能障害に陥り、人間らしい営みを奪われ、滅んでいくしかない。

希望はある

 いいえ、希望はあります。なぜなら人間は「可能性のある限り、生命を守るためのあらゆる努力をする」(同書、209ページ)存在であるからです。
 
 その兆しを、私は震災後に感じました。未曾有の大震災、原発事故という取り返しのつかない人災を経て、私たちは「命と人間関係ほど大切なものはない」ことを改めて確認しました。いくら所有し、溜め込んでも、それだけでは人間は幸福を感じられないことを実感しました。どれほどの物があっても関係性を失ってしまえば、そこにあるのは空虚でしかないことを思い知らされました。その象徴として、今年の漢字には「絆」が選ばれました。

道を過つことがないように

 今、私たちは分かれ道に立っています。一本の道は、人間に破滅をもたらしても大量生産、大量消費を目指す経済効率を優先する社会。もう一本の道は、人間の幸福のために経済を、物質を発展させることができる社会です。

 その選ぶべき道を過つことがないよう、来年もまた足元を見つめながら一歩ずつ進んで行きたいと思います。今年もブログを読んでいただきましてありがとうございました。みなさまにとって来年が良い年となりますよう心より祈っております。

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2016年05月17日

「猫ブームとはなんぞや」(1)

 またまた猫の話題で恐縮です。
 犬よりも猫と暮らす人が増え、日本は空前の猫ブームだそうです。「ネコノミクス」などと言い、猫が経済を押し上げているとまで言われています。

 そんななか、自他共に認める猫好きで写真家・作家の藤原新也さんは雑誌(『生活と自治』2016年5月号「日々の一滴」/生活クラブ事業連合生活協同組合連合会)の連載コラムでこう問いかけます。

「猫ブームとはなんぞや」

藤原新也という作家・写真家

 60・70年台生まれには、藤原ファンが大勢いました。私も学生時代には、むさぼるように彼の著作を読みました。

 藤原さんは、アジアやインド、東京、アメリカなどの、「観光地ではない外国」を旅して歩き、写真とエッセイによってその土地の文化や、そこに暮らす庶民の内面、人間の性や欲望を浮かび上がらせました。

 また、消費に明け暮れ、モノに埋没する現代社会の病理を鋭い筆致でえぐり取り、シュールな世界を切り取った写真を次々と発表しました。

 おそらく彼に憧れ、バックパックを担いで貧乏旅行をした人は数知れずいたことでしょう。ちなみに、私もそのひとり。藤原さんの著作を片手にディープな世界をたどる旅に胸を膨らませたものです。

猫はKM

 そんな偉大な写真家であり、作家である藤原さんは、コラム上でこの現状を「日本人が犬化していることの現れではないか」と、次のように分析しています。

「犬はご存じのように人の顔色をうかがい、ご主人に調子を合わせる。つまりすぐれて『空気を読む』動物なのである。ひるがえって猫はどうか。猫はKMだ。その心は『空気を無視する』である」

 さらにコラムには藤原さんの愛猫・クロコの写真が添えられ、こんなキャプションが載っています。

「この猫ほど空気を無視する猫も珍しい。呼んでも返事をしない。当然やって来ないばかりか時には反対方向に歩く。えさをやっても小指の先ほどしか食べず、勝手に何かをどこかで食べている。抱いても喜ばす、おもむろに立ち去る」

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