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 この子どもの権利条約に基づく日本政府審査に際して、私が運営委員を務めるNGOでは今回を含めて4回のカウンターレポートを国連に作成・提出してきました。
 以下にそのタイトルを並べてみます。

『“豊かな国”日本社会における“子ども期”の喪失』(第1回)
『子ども期を奪われた日本の子どもたち』(第2回)
『新自由主義社会における子ども期の剥奪』(第3回)
『新自由主義体制の中で自分らしさと他人への思いを奪われる子どもたち』(第4回)

 こうしてカウンターレポートのタイトルを概観するだけでも、日本の子どもたちが、子どもらしく生きる時間や機会を持てず、機能不全の家庭(家族)・社会で育っていることが分かります。

 それは、この日本という国がおとなとは違う、「子ども」という存在を無視した、子ども不在の国であるということではないでしょうか。

過去3回の国連『最終所見』

 国連は、こうしたカウンターレポートと日本政府報告書の両方を検討した結果、日本政府に向けて出した過去3回の『最終所見』・・・つまり「もっとこうした方がいい」という勧告と「こんなことが気になる」という懸念を出します。それらは次のようなものでした。

①「成長発達の主要な三つの場である家庭、学校、施設のすべてで競争(管理)と暴力、プライバシーの侵害にさらされ、意見表明を奪われ、その結果、発達が歪められている(Developmental Disorder)」(1998年)
②「教育制度の過度に競争的な性格が子どもの肉体的および精神的健康に否定的な影響
を及ぼし、子どもが最大限可能なまでに発達することを妨げている」(2004年)
③「驚くべき数の子どもが、情緒的・心理的充足感(well-being)を持てずにおり、その決定的要因が子どもと親および教師(おとな)との関係の貧困さにある」(2010年)

国連の見解

『最終所見』は毎回50~100項目にわたって出されるので、ここに紹介したものは該当する審査時に、非常に印象的だったものを並べただけです。

 しかし、3回にわたる『最終所見』を俯瞰してみれば、国連がいかに日本社会を競争と管理、暴力に満ちあふれたものであると考えているかが分かります。

 そうしたなかで、子どもは自分の思いや願いを表現する人間関係を持つことができず、その結果、情緒的・心理的充足感を持てずにおり、こうした関係の貧困さが肉体的にも精神的にも、子どもの健康に否定的な影響をもたらしているとの見解を示しているのです。(続く…

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日本の子どものことを憂い、前回、紹介した通り「競争と管理、暴力にあふれたなかで、子どもが自分の思いや願いを出せる人間関係を持てず、子どもの発達に深刻な影響が出ている」との『最終所見』を示してくれている国連に対し、日本政府はずっと真摯に向き合うということをしてきませんでした。

たとえば過去の報告書では、「前回、国連に提出した報告書を参照」と記述することがよくありました。本来であれば、「前回の報告審査で国連が指摘した内容にどう取り組んだか、もしくは取り組めなかったかをきちんと検証する」べきなのに、「前にも書いたことだから省略する」というような対応を平気でしてきたのです。

そうした前科がありますから、第4・5回日本政府報告書でも同様のことくらいはあるだろうと予想していましたが、今回はもっと挑戦的でした。

挑戦的な政府報告書

政府は、どれほどきちんと貧困対策や不登校対策を行ってきたかを強調し、「多様性を認める」「多様性を大事にする」教育を広げてきたとし、第4・5回日本政府報告書のパラグラフ123で次のように述べています。

「仮に今次報告書(第4・5回日本政府報告書)に対して貴委員会が『過度の競争に関する苦情が増加し続けていることに懸念をもって留意する。委員会はまた、高度に競争的な学校教育が、就学年齢にある児童の間で、いじめ、精神障害、不登校、中途退学、自殺を助長している可能性がある』との認識を持ち続けるのであれば、その客観的な根拠について明らかにされたい」

本当に、びっくりするような勇気のある発言です!

夏休み明けに多い子どもの自殺

例をあげれば、学校と自殺が大きく関連していることは周知の事実です。2015年の『自殺対策白書』によると、1972~2013年に自殺した18歳以下の子どもは計1万8048人。日にちべつに見ると夏休みが終わって新学期が始まる9月1日に自殺する子どもが131人と突出して多く、次いで9月2日94人、8月31日92人と、その前後が目立ちます。

今年の夏も、8月30日から9月1日にかけ、東京と埼玉で中学生や高校生計4人が首をつったり、マンションから転落するなどし、3人が死亡。いずれも自殺の可能性が高いと報道されています(『毎日新聞』2017年9月2日ほか)。

わざわざ統計など見なくても夏休み後半になると「自殺しないように」「学校に行かなくてもいい」と呼びかける報道番組等が放映されていることは、日本で暮らす人々ならだれでも知っていることです。それでも政府は「学校(教育制度)が子どもの自殺の要因とは関係ない」と言い張るのでしょうか。

20代の死因第一は自殺

また付け加えるなら、「おとなになったばかり」の20代の死因第一位は自殺です。なんと死亡原因の約5割に上ります(平成29年『自殺対策白書』)。他の主要国の同年代は事故死の方が多くことから、日本政府も白書でその深刻さを指摘しているほどです。(続く…

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 日本の学校が「多様性を認めるもの」になっているかどうかも、はなはだ疑問です。東京在住の中学2年生の男の子は、国連に提出した『子ども報告書』に「多様性を認めない学校には行きたくない」とのタイトルで、次のような主旨の文章を書きました。

日本の学校では、苦手だったり、恥ずかしかったり、やりたくないことを無理やりやらされます。いいところは褒めてくれず、悪いところばかりが取り上げられます。先生に何か意見を言うと「態度が悪い」と言われます。扱いづらかったり、自分の意見を持って発言したり、授業がつまらないから勉強に身が入らないでいたりすると、すぐに「発達障害」「特別支援学級に行け」と言うのです。そんな日本の学校はおかしいと思います。

 上記は男の子が書いたダイジェスト版です。その全文および『子ども報告書』全体を読みたい方は、ぜひ子どもたちをジュネーブ派遣するためのファンドレイジングにご参加ください。リターンのひとつとして『子ども報告書』が届きます。

まったく効果を上げない不登校対策

 いつもいつも思うのですが、子どもの思いや現実と政府(国)の視点が大きくずれてしまうのでしょうか。最大の原因は、「政府(国)には自分たちがやっていることを反省を踏まえて振り返る視点が無い」からなのではないでしょうか。

 その好例が、まったく効果を上げていない不登校対策です。

 2016年度の不登校の子ども数は126,000人で前年度より1.26%増加しています。ご承知のように、子どもの人数は減っているのに、不登校は反比例するように増えいます。そして驚くことに、とくに1990年代初め、文科省が不登校対策をはじめてから、さらに増えているのです(『知っていますか? 不登校と子どもの権利』)。

 これは国が行ってきたさまざまな不登校対策には効果が無いという、はっきりとした証拠ではないでしょうか。

不登校に向精神薬

 カウンタレポートでは、まったく効果のない不登校対策を続けている最大要因は、「国が『不登校は子ども個人の問題』ととらえ、『不登校は学校のあり方の問題』と問う視点が無いことである」(教育領域の報告書)と分析しています。

 不登校を「子ども個人の問題」と考えるからこそ、「不登校に向精神薬の投与を」という解決法が安易に用いられるのです。同報告書には、あるフリースペースでは15名のうち5名が向精神薬を服薬しているとも記されています。(続く…

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投薬の対象とされることが増えているのは、不登校の子どもに限りません。学校、つまり日本の教育制度に合わない子どもたちへの投薬治療は全体としても増加しています。

前回、引用した「多様性を認めない学校には行きたくない」という男の子の『子ども報告書』にも「扱いづらかったり、自分の意見を持って発言したり、授業がつまらないから勉強に身が入らないでいたりすると、すぐに『発達障害』にされる」との記述がありましたが、埼玉県在住の専門学校3年生の女の子もまた、虐待の疑いで母親と引き離された後、精神的に不安定になって「家に戻りたいと暴れたら薬を飲まされた」と『子ども報告書』に記しています。

大好きなお母さんと引き離され、暴れずにいられるほうがどうかしています!!

増え続ける子どもへの投薬

もちろん私も職業柄、投薬の必要な子どもがいることは否定しません。しかし、まだ脳が発達段階にある子どもへの投薬治療は、もっと慎重であるべきですし、『子ども報告書』にある例をからも「おとな(社会や国)が望むよう行動できないと、『精神、もしくは発達に問題あり』として投薬治療の対象とさえているという側面は否定できないと思います。

2010年に行われた第3回日本政府報告審査後、国連は「ADHDの相談件数が増加している」ことへの留意や「その症状が主として薬物によって治療されるべき生理学的障害とみなされていること、および、社会的決定要因に対して適切な考慮が払われていないこと」の懸念を『最終所見』パラグラフ60で示しました。

しかしそれ以降も、子どもへの投薬は確実に増え続けており、それを引き起こしている社会的要因まで考慮した抜本的な対策はまったくなされていないというのが実情ではないでしょうか。

子どもが意見表明できますように

子どもはおとな(社会や国)の所有物ではありません。おとな(社会や国)が望むプログラムをインストールすれば、その通りに動くロボットでもありません。
「守ってやっているから」「養ってやっているから」とその人格を否定することは許されませんし、おとなの都合に合わないからと薬をつかってどうにかしようとすることなど、あってはならないことなのです。

どうか2018年は子どもが、子どもらしい時間を過ごし、子どもらしく甘えたり、わがままを言ったり、おとなに向かって無理難題を押しつけたりできる年になりますように。子どもが思いや願いを自由に表明できるようになりますように。

その一環として、『子ども報告書』を書いた子どもたちが国連に行って、意見表明ができますよう、多くの方が応援(「子ども達を国連子どもの権利委員会での意見表明の場に派遣したい」)してくださることを願っています。

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