このシリーズの最初の記事へ

子どもたちが急がされているのは、毎日の生活の中だけではありません。

私が子どもの頃、受験と言えば高校受験からが一般的でした。もちろん、当時も中学校や小学校に入るために受験しようという人はいましたし、私立の有名大学には幼稚舎から付属になっているところがありました。
でも、多くの人は「中学までは公立で」という考え方だったのではないでしょうか。

中学受験は当たり前

ところが東京近郊では、わりと中学受験は当たり前。小学校を受験するケースも、そう珍しくありません。
そして、受験に向かって学習塾に通っている子どものなんと多いことか!! 統計を取ったわけではないので、たんなる私の実感にすぎませんが、小学校4年生ともなると学習塾を利用していない子どもの方が少ないような気がします。

カウンセリングの中でも、小中学生の保護者であるクライアントさんが「今、塾にお弁当を届けてきました」とか「カウンセリングが終わったら塾のお迎えに行きます」などとおっしゃるのをよく聞きます。

家で子どもの勉強をみてあげることも、当たり前になりつつあります。宿題の内容はもちろん、ちゃんとテスト課題の範囲を学習しているのかどうかや勉強の進捗具合をチェックするのも親の役目のようです。

かつては「遊び中心」だった10代前半も、今では「勉強が中心」なのが普通のようです。子どもたちも、すっかり「そういうもの」と思って暮らしている感があります。周囲がみな、そうなのですから当たり前と言えば当たり前ではありますが・・・。

将来を見据えた習い事も

まだ小学校に入るや否やの年齢から、将来を見据えてさまざまな習い事に通う子どももいます。

最近、空き地などの遊び場の減少、運動能力の低下などが心配されたことで増えている鉄棒や跳び箱などを教えてもらえるスポーツ教室や、アウトドアなどの野外活動教室に通う子どものことを耳にすることがあり、「それってわざわざ習うことなの?」と驚いた記憶があります。

でも、なんと言っても多いのは英会話教室に通う子どもでしょうか。2020年度に実施される新しい学習指導要領で、小学校高学年からは教科に、小学校3、4年生では外国語活動に入ることが決まった英語に対応して、「なんとなく早くからやらないと・・・」という気持ちになるのでしょう。(続く…

このシリーズの最初の記事へ

いったいいつから、日本の子どもはこんなにも忙しくなってしまったのでしょうか。

もちろん、教育基本法の「改正」(2006年)や全国学力・学習状況調査の再開(2007年)など、第一次安倍政が果たした役割は大きなものでした。だけど振り返ってみれば、道筋を決定づけたのは「郵政事業の民営化」で有名な小泉構造改革(2001~2006年)だった気がします。

同改革は「聖域無き構造改革」とも呼ばれたように、それまでは「人が人らしく生きるために不可欠」として守られていた教育や福祉などについても「官から民へ」、「市場にできることは市場で」と、市場開放を進め、市場原理に基づく制度改革を本格化させました。

誤解を恐れずに乱暴に言うのであれば、「すべては金で買うもの」の社会へと大きく舵を切ったのです。

企業は国の「規制緩和」を追い風に「社会貢献」を理由にしながら、子どもの成長・発達にかかわる保育や公教育などの分野に入り込み、お金儲けができるようになりました。

「自己決定と自己責任」時代の幕開け

それは本格的な「自己決定と自己責任」時代の幕開けでした。

よい教育を受けられるか否か、手厚い医療や保育が受けられるか否かなど、それまでは「最低限度は公によって保障されていたもの」を、すべてお金で買うようになったのです。

当然、「どんな教育を選んだか」や「どこで医療を受けるか」「どんな人生を生きるか」「どうやって危険を回避するか」などについても、個人が自分の意思で決め、その結果責任を負わざるを得なくなりました。

2004年、イラクで3人の日本人が人質となった際、小泉元首相が「自己責任だ」と言い放ったのは、当時の空気感をよく表していたのではないでしょうか。

外堀は埋められていた

すでに準備は整っていました。

教育に関して言うなら、教師を人事考課や数値目標でしばり、「物言えぬ教師」をつくってきました。また、事務仕事を激増させたことで教師が子どもと向き合う時間が無くなり、一人ひとりの子どもに目を配る余裕も奪いました。

一方、「ゆとり」教育と称して、公教育費を削減するために世界に冠たる平等教育を解体し、「できる子には手厚く、それ以外には最低限度」の教育へと移行させることでも成功を収めつつありました。

2000年に首相の諮問機関として設置された教育改革国民会議の最高責任者である三浦朱門氏が「できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。(略)できない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです」(「教育改革」の本質に警鐘)と発言したことは有名です。(続く…

このシリーズの最初の記事へ

1998年に行われた子どもの権利条約に基づく第一回目の国連「子どもの権利委員会」による日本政府報告審査のとき、すでに「過度に競争的な教育制度が子どもの発達を歪めている」という衝撃的な勧告を受けた日本。
残念ながら、この国連からの指摘を真摯に受け止め、根本的に改められることはありませんでした。

いえ、それどころか前回のブログに書いた教育改革国民会議(2000年)以降、「国際競争に打ち勝つ人材育成」を全面に押し出した教育制度、あらゆる領域を金儲けの対象とする聖域無き構造改革が子どもと、子どもの周りにいるおとなたちを襲いました。
グローバル化する世界経済のなかで格差社会が到来し、だれもが競争のレースに乗せられる時代が幕を開け、それに合わせた教育が始まったのです。

表面上はあいかわらず「ゆとり教育」という名前を冠し、競争とは相容れない教育を行っているという顔を装いながら・・・。

学力の二極化と学習塾の台頭

しかし、その本質は「できる子には手厚く、それ以外には最低限」の教育でした。いくら教科書を薄くし、義務教育期間中に学ぶ内容を少なくしても、受験のあり方が変わらなければ、学校で教えてくれない知識をどこかで習得しなければなりません。

しかも「ゆとり教育」の内容は、子どもの発達や状況を無視したものでした。そのせいでたとえば数字の概念があやふやになったり、実体験として学ぶ機会が減ってしまったりして、学校に行くだけでは学力が付けられない子どもが増えたのです。

学力は二極化し、「学校に任せておくだけでは不十分」という不安に駆られた親たちは、教育産業や学習塾へと走りました。経済的に苦しく、学習塾代が払えない家庭の子ども向けに、NPO法人や自治体が無料の学習塾を用意しはじめたのも、2000年代に入った頃からでした。

公教育の根幹を揺るがす大問題

全国に先駆けて低所得層の子どもに塾代を融資することをはじめた東京都では、リクルート出身の民間人校長も誕生しました。
このブログの「『人と生きる』ことを学ぶ学校(5)」でもご紹介したように、民間人が校長となった東京都杉並区立和田中学校が学習塾・サピックスと提携して有料の夜間授業「夜スペシャル」をはじめたことは、当時、かなりのニュースになりました。

まさに公教育の根幹を揺るがす大問題。ところが世間では批判的な話はほとんど聞かれませんでした。それどころか歓迎する声の方が多く、『朝日新聞』(2008年1月28日)が「天声人語」で、この夜スペシャルについて「塾に行けない子への福音と考えたい」と述べたことはあまりにも有名です。(続く…

カウンセリングルーム カウンセリングルーム カウンセリングルーム