2017年06月の一覧

« 2017年05月 | メイン | 2017年07月 »

2017年06月02日

カーリングペアレント(1)

 遅ればせながら、「カーリングペアレント」という言葉を知りました。つい最近読んだ精神科医の片田珠実さんの著書『一億総ガキ社会 「成熟拒否」という病』(光文社新書)に出てきたのです。

 かんたんに言うと「子どもの障害物をすべて取り除く親」のことを指すそうで、その語源? は、ストーンを目標のところへと滑らせるため、氷の表面をブラシで掃くカーリング競技だそうです。
 ネットで調べると2005年頃から教育評論家などの間で使われはじめ、もともとはスウェーデンが発祥とのこと。

子どもの“意見”は“聴く”べき

 とあるブログでは「習いごとには送り迎えしたり、持ち物のチェックも全部親がやって、子供には命令形でではなく、常に子供の”意見”を聞いて、話し合ったりする、怒るのではなく、優しく注意する、子供がやりたい事だけをやらせる、楽しい事だけをやらせるなどなど」(在日スウェーデン女性の目から見た日本)がカーリングペアレントであると載っていました。

 ここでは「常に子どもの“意見”を聴いたり、話合ったりすること」「優しく注意すること」なども「いけないこと」というように書いてありますが、そこは意見が分かれるところでしょう。 

 個人的には子どもの“意見”は“聴く”(“聞く”ではない)べきだと思いますし、怒るよりも優しく注意できたほうがずっと有効だと思います。「命令」や「脅し」は子どもに手っ取り早く言うことを聞かせるには便利ですが、「どうしてそれをやった方がいいのか」や「なぜそれがいけないのか」を伝えることはできないからです。

子どもの権利条約では
 
 私が子どもの権利条約関係の講座や講演をさせていただく際、よく受ける質問というかお叱りのひとつに「子どもの意見など聞いたら子どもがわがままになる」「そんなことを気にしていたら、しつけができない」というものがあります(ちなみに“しつけ”についてもいろいろ思うところがありますが、本題からどんどんそれてしまいそうなので次の機会に譲ります)。

 こんなふうにおっしゃる方は、たいがい「子どもの意見を“聴く”」という行為を「子どもの言うことを聞く」ことだと誤解されています。
 これは大きな間違いです。「子どもの意見を聴く」ということは「子どもの意見を受容する」ということであって、「子どもの意見を許容(実現)する」ことではないのです。

 さらに子どもの権利条約が言う、「子どもの意見」とは、学級会で子どもが何か意見を述べたり、自分の意思決定を伝えたりという類のものではありません。もし、そうであったら「乳幼児には意見を表明する権利など無い」ことになってしまいます。

[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ]↑ページ上端へ

2017年06月19日

カーリングペアレント(2)

 でも、それはおかしな話ですよね。そもそもなぜ子どもの権利条約という、「子どものための権利」、「子どもの成長・発達を支えるための国際的な約束事」ができたのかと言えば、まだおとなのようには自分を守ることができない、いろいろな意味で力(能力)が未熟な子どもという存在に対して、特別な力を与える必要があると考えたからです。

 しかも子どもは、幼ければ幼ないほど非力ですから、より権利(特別な力)が必要になります。つまり、条約が言う未成年(18歳未満)のなかで、最も権利を必要とするのは生まれたての赤ん坊のはずです。それなのに、乳幼児が蚊帳の外に置かれてしまうような解釈ではまったく意味をなしません。

大切な意見表明権

 では、子どもの権利条約の12条:意見表明権はどんなふうに解釈したらよいのでしょう。以下は、外務省のホーム-ページに載っている12条の条文です。

1 締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において、児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする。

2 このため、児童は、特に、自己に影響を及ぼすあらゆる司法上及び行政上の手続において、国内法の手続規則に合致する方法により直接に又は代理人若しくは適当な団体を通じて聴取される機会を与えられる。

 
「意見」とは「欲求(思いや願い)」のこと

 生まれたばかりの子ども、いえ、お母さんのお腹のなかにいる子どもでも、「自分に栄養を及ぼすすべてのことについて意見を表明する権利」を保障するにはどうしたらいいでしょうか?

 答えは至って簡単です。「子どもの権利条約が言う『意見』とは『欲求』のこと」と考えればいいのです。
 たとえ生まれたての子どもであっても、自分に影響を与えるすべてのことについて「ああして欲しい」「これは嫌」というさまざまな思いや願い(欲求)を形成する力を持っています。赤ちゃんだって「お腹が空いた」とか「寒いよ」とか「寂しいから抱っこしてよ」などなど、さまざまな意見を「泣く」とか「むずかる」などの方法でちゃんと表明します。

 そうやって表明された子どもの「意見(欲求)」は、その子どもの年齢や成熟度によって考慮されるわけですから、周りのおとなは「子どもが今何を思い、願っているのか」を推測したり、考えたり、配慮したりして、子どもの「意見(欲求)」に応じる義務があります。

 つまり、12条は、「子どもが今できる方法で自分に関わるあらゆることへの思いや願い(欲求)を自由に表現することを保障し、それに対して身近なおとなは子どもが語れていない思いや願いまでも深く“聴いて”受け止める義務がある」と言っているのです。

[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ]↑ページ上端へ

2017年06月26日

カーリングペアレント(3)

 そしてこの12条は、心理学的に考えれば「子ども自らが安定した愛着関係を築くことを可能にする」という点で、画期的な権利です。

 子どもは、自分の欲求に応えながら世話をしてくれる親との間に、愛着関係を築いていきます。この関係性は子どもに安心感をもたらし、自己肯定感と呼ばれるものと同時に、「困ったときには世の中は自分を助けてくれる」という基本的信頼感も育てていきます。

 こうした安全感をもたらしてくれる関係性は、安全基地として子どもの心のなかに取り込まれていき、やがては目の前に親がいなくても、不安やおそれを感じずにやっていけるようになります。多少のトラブルがあっても、心のなかにある安全基地でエネルギーを充填し、困難に立ち向かって行くことができるようになっていきます。

 子どもの欲求を受け止め、応えるという関係性は、子どもの権利条約が前文でうたい「調和の取れた人格の形成」に不可欠なものなのです。

「応答的な関わり」の重要性

 こうした「応答的な関わり」が、母親に無関心で、愛情や世話を求めようとしない「回避型」と呼ばれる不安定な愛着スタイルを築きやすい「育てにくい子ども」の場合であっても安定的な愛着形成をもたらすという研究結果もあります。

 精神科医の岡田尊司さんは、著書『生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害』(朝日新聞出版)のなかで、オランダで行われた気むずかしい気質を示す乳児を百人ピックアップし、そのうち無作為に選んだ半分は通常の指導だけ行い、もう半分には生後6カ月から3ヶ月間、母親に赤ちゃんに対してできるだけ反応を増やし、身振りや表情豊かに反応するよう特別な指導を行った研究を紹介し、次のように書いています。

「通常の指導だけを行ったケースでは、その後、多くの子どもが回避型の愛着を示したのに対して、特別な指導を行ったケースでは、大部分が安定型の愛着を示した」(115ページ)

「些細な違い」が決定的に

 そして、なぜそんなことが可能なのかをこう説明しています。

「愛着の形成において、スキンシップや抱っこと並んで、重要なのが、応答的な反応ということだからだ」。応答的な反応とは、子どもが泣けば、すかさず注意を向け、何か異変が起きてはいないか、何を欲しがっているのかと、対応することであるし、子どもが笑えば笑い返し、気持ちや関心を共有しようとすることである。
 逆に応答的でない反応とは、求めているのに無視するかと思えば、求めてもいないのに、親の都合を押し付けることである。ミルク一つ与えるのでも、時間が来たのでそろそろ与えなければという与え方は、この応答性を無視したやり方である。赤ん坊が、おなかが空いたと泣いたときに与えるという与え方が、子どもの主体性を尊重した、応答的な方法だと言える」(115~116ページ)

 おとなからすれば、「些細な違い」にしか見えないものが「決定的な違い」になってしまうのです。

[←ブログメインに戻る][←IFFトップページへ]↑ページ上端へ