2016年09月の一覧

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2016年09月05日

水族館のマグロが死んだ(3)

「祭りがうるさい」と感じる人は、少なからずいるでしょう。
 
 でも多くの場合、そうは思っても火炎瓶など投げつけません。その行為がいったいどんな代償を自分にもたらすのか、十分に予測がつきます。
 だからどうしても耐えられないならば、その時間を別な場所で過ごすなど、不快感を回避する行動を取るはずです。

 それなのになぜ、この男性はそうすることができなかったのか。火炎瓶らしきものを人々に投げつけた後に、自殺という最悪の幕引きを自ら選んだのか。

「死人に口なし」で、その本当の理由は推測するしかありません。でも私には、「死ぬための最後のきっかけ」を探していたのではないかという気がしてならないのです。

似通った事件

 過去にも、同じような印象を持った事件がいくつもありました。

 記憶に新しいのは、2008年に東京で起きた「秋葉原通り魔事件」でしょう。7人が死亡し、10人が重軽傷を負ったこの事件で逮捕され、2015年に死刑判決を受けた加藤智大死刑囚は、掲示板を成りすましで荒らされ、ネット上でも孤独を感じ、掲示板に通り魔事件を起こすと投稿するようになっていきました。

 そして犯行直前には更衣室で自分の作業服が見つからなかったことから被害感を募らせ、そのまま職場放棄。「通り魔事件を起こす」との予告を掲示板に投稿を繰り返し、犯行に至りました。

その真相は?

 もちろん、なぜこのような事件を起こすに至ったのかは、加藤死刑囚本人にしか分かりません。いや、もしかした本人にさえ、分かってはいないのかもしれません。
 私たち人間はおうおうにして、自分の感情や本心を無意識に閉じ込め、自分でさえ分からないようにする術に長けています。

 事件後、同死刑囚が犯行に至った原因について「友達や恋人がいない孤独感」であるとか、生育歴などの環境要因や派遣労働者の過酷な労働状況などの社会的要因などが取りざたされましたが、本人はそれを否定したとの報道もあります。

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2016年09月20日

水族館のマグロが死んだ(4)

 前回挙げた秋葉原事件だけでなく、2001年に大阪教育大学付属池田小学校で起きた小学生連続殺傷事件や2008年の土浦8人殺傷事件について、IFF CIAP相談室の斎藤学顧問は次のようなコメントもしています。

「あの事件は、一人では死に切れなかった男が『被害者たちという道連れを手入れてようやく果たした自殺』だったように思う。彼のように無条件に愛され、尊重された経験のない子ども時代を過ごし、今も歯止めになるような他者がいない環境は人を犯罪に向かわせやすい。昨年3月に土浦で起きた八人殺傷事件や6月の秋葉原事件などの被疑者・被告人にも共通している」(『週刊金曜日』2009年5月15日号)

詫間死刑囚の生い立ち

 詫間死刑囚は父親から激しい暴力を受けて育っていました。兄とともに「木刀みたいなやつ」で叩きのめされ、血まみれの母親を見る日々だったと言います。
 
 その兄は、小学生連続殺傷事件の2年前に首つり自殺をし、宅間死刑囚もまた父親に「しんどい、メシが食えない」と言ったところ「首でもくくれ」と言われ、ネクタイで首を吊って自殺を図っていました。でも、自分でネクタイをほどき、死ぬことができなかったそうです。

 そんな自分のことを後に「自殺すらできない自分が嫌になった」と供述し、逮捕後は、「早く死刑にしてくれ」と繰り返し述べていました。

「死の本能」のなせる業?

 フロイトは、「すべての本能は緊張を解消し、過去の安定状態を再現することである」として、無生物から生じた生物(人間)は、かつての無生物の状態・・・つまり死へと向かおうとする傾向があるとして人間には「死の本能」があると考えました。

 このフロイトの理論には弟子達の間でも賛否両論あり、私自身もかなり疑問に感じている理論です。

 ですがもし、「死の本能」なるものがあるのだとしたら、なるほど確かに先に述べた死刑囚らの言動は納得がいくものです。水族館のマグロにも通じる話と言えなくもありません。

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