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学生さんたちに臨床心理のお話をする機会を持っているのですが、症例を紹介すると「自分も精神疾患なのではないか。治療機関に通うべきか」という相談を持ちかけてくる方が、必ずと言っていいほどいます。

たとえば躁うつ病の症例を見て「自分も気持ちの浮き沈みがあるんです」と言ってこられたり、うつ病の症例では「気持ちが落ち込むことがあるのはうつ病なのでしょうか」とおっしゃられたりするのです。

個別の相談に乗れる状況ではないので細かいことはわかりませんが、聞ける範囲で「なぜそう思うのか?」を尋ねると、躁うつ病の方は「仲間といるときにはハイテンションなのに家にいるとそうではない」という話だったり、うつ病の方は「バイトが忙しくて眠る時間が取れず疲れている」など、気分が落ち込む原因がちゃんとあったりします。

ロールプレイの感想では

カウンセラー役とクライント役にわかれた学生さんたちに、カウンセリングのロールプレイをしてもらったときにも、ネガティブな感情を否定するかのような感想が寄せられました。

たとえば「相手が暗い感じだったので、自分も暗い雰囲気になってしまった」とか「話が盛り上がらなかった」とか、「明るい話題に持っていけなかった」とか・・・。

私がカウンセリングをさせていただいているときにも、明るい話題が登場することはありますし、クライアントさんと一緒に笑うことだってあります。とんでもなく辛い話を笑い飛ばすように話すクライアントさんもいますし、「もうその辛い出来事は過去のことで、あなたには乗り越える力があるし」などとお伝えするため、私のほうが意識的に明るい口調でお話することもあります。

明るく盛り上がらないとダメ?

だけれどたいがいの場合、クライアントさんは、つらい過去や、やりきれない今、長く続く悲しみや怒りなどのネガティブなことを表現されます。
当然、その場が盛り上がる雰囲気にならなかったり、暗い空気に包まれたり、明るく返すことができないときは多々あります。

でも、それは当たり前のこと。そもそも、だれかと話をするときに「明るく盛り上がればならない」という発想が、ちょっと違う気がします。(続く…

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場を盛り上げられない、空気が読めない、みんなと同じように振る舞えない、つまり、他者と望ましいコミュニケーションが取れない・・・そんなことが「あってはいけないこと」であるかのように語られ、こうした人が「発達障害」と呼ばれることが増えたのはいつの頃からでしょう。

大きな流れを作った要因のひとつは2004年に成立した発達障害者支援法のような気がします。
その前年に長崎で起きた男児誘拐殺人事件や同年の佐世保小学生殺傷事件の犯人として捕まった10代前半の子どもたちが「発達障害ではないか」と言われたことも発達障害を印象付け、支援法に則ったやり方が学校現場に広まることに一役買ったことでしょう。

「発達障害は早めに手を打たなければ取り返しの付かない事態を招く」という危機感に、この法律が上乗せされ、発達障害のある子どもを早期発見することが、重要であるかのような印象を学校現場をはじめ、世間に与えたように思えるのです。

発達障害者支援法の対象は

発達障害の医学的・学術的な定義は「発達期のさまざまな中枢神経系(脳)の障害によって、身体的または精神的機能の獲得が障害されること」です。簡単に言えば、先天的な脳の障害で、後天的なものではないということです。

ところが発達障害者支援法が対象としたのは、自閉症、アスペルガー障害(高機能自閉症)、LD(学習障害、後述)、ADHD(注意欠陥・多動性障害)など、自閉症とその近縁の障害。知的障害も含みません。

コミュニケーションが苦手な子は発達障害?

さかのぼってみれば、文部科学省は1994年以来、LDの定義を医学上のLearning Disordersの「読み、書き、計算の障害」に、「聞く、話す、推論することの習得と使用の困難」も加えたLearning Disabilitiesとしていました。

こうした“定義の工夫”。法律の成立。そして「発達障害は放っておくと危険である」という認識が、会話がうまくできなかったり、コミュニケーションが苦手だったり、空気を読んで教師(社会)の要求通りに振る舞うことができなかったりする子を発達障害としてしまう可能性を広げたと考えるのは早計でしょうか。(続く…

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だれとでも楽しくコミュニケーションをと取って、過ぎたことはくよくよせず、問題があっても深くは考えずに、嫌なことがあっても笑って流す・・・。

一見、ポジティブで良さそうに感じますが、それは人として健康なことなのかと首をかしげてしまいます。

だいたいだれとでも楽しくコミュニケーションを取るなんて、できるはずがありません。「十人十色」という言葉があるように、ひとりひとり違った個性を持っています。それならば気が合う人、気が合わない人、なんとなく好感を持てる人、持てない人がいて当たり前です。

「だれとでも気が合う」ということは「どこにも特別な人がいない」ということとイコールです。どれでは人はいつまでたっても淋しさから抜け出せません。これでは依存症が増えるわけです。

身に迫る危険や不利益

過ぎたことをくよくよせず、問題があっても深く考えず、笑って流すというのも考えものです。

くよくよしたり、深く考えたりするから人は成長するのです。だから同じ過ちを犯さないように気をつけるし、自分らしい生き方を手に入れることができます。すべてを笑って流していたら、時代に振り回され、他者のいいように人生を操られてしまうかもしれません。

こうした風潮は、個人の問題だけに止まることではありません。社会全体、いえ世界中が、何も考えずに「前へ、前へ」と推し進められていくことで、さまざまな危険や不利益が私たちの身に迫っています。

世界に目を向ければ

世界に目を向ければ、戦争や暴力があふれています。二度の大戦という大きな犠牲を払った過ちを忘れ、命について深く考えないまま文明の利器を求めてきた私たちは、無人の殺人機が人を殺す事態まで招いてしまいました。

力で相手をねじ伏せる行為はいたちごっこです。最近、「ミサイル防衛費が1.5倍以上になった」という『東京新聞』(2月23日)に驚きましたが、暴力で立ち向かえば、相手はさらなる暴力で立ち向かってきます。

憎しみはどんどん増長し、いわゆるテロ行為を助長させます。(続く…

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