2015年12月の一覧

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2015年12月02日

「子どもを守る」とは?(2)

 話が飛ぶようで恐縮ですが、「子どもを守る」というキーワードで思い出すのは、今年の夏、大阪府寝屋川市の中学1年の男女が遺体で見つかったいわゆる寝屋川事件です。 

 ふたりが京阪電鉄寝屋川市駅前の商店街の防犯カメラに映っていたのを最後に行方不明になったことが分かり、「子どもの深夜の出歩き」や「夜中も携帯電話(スマートフォン)でつながるこどもたち」の問題が、マスコミ等で指摘されました。

子どもの深夜の出歩きの要因は?

 その大きな要因とされていたのは、24時間営業の店が増えたこと、塾通いで夜遅く子どもが出歩くことがめずらしくなくなったこと、ソーシャル・ネットワーキング・サービスの発達などが挙げられていました。

 警視庁によると、東京都内で昨年深夜徘徊などで歩道された子どもは4万937人に上るそうです(『東京読売新聞』夕刊 2015年8月19日)。

 自治体によっては「防犯チェックシート」を子どもたちに配ったり、夏休み中の夜間外出を控えるように呼びかけたり、学校長や教職員向けに「子どもをしっかり指導するよう」な研修会が開かれたりしました。

 私も生活環境の変化が無関係だとは思いません。しかし、「それが本質的な要因なのだろうか?」という疑問はあります。

 防犯についての知識を学んだり、学校や警察による生活指導を強めれば、こうした事件に子どもが巻き込まれることが本当に減るのか? と思うのです。

居心地のいい家なら夜遊びなどしない

 たとえば24時間営業の店にたむろしている子どもに家に帰るよう言い聞かせたら、本当に家に帰るでしょうか?

 もし私が注意される子どもの立場だったら、絶対に家になど帰りません。いったん言うことを聞いたふりをして、もっと暗くて、もっとおとなの目に付きにくい、もっと危険な場所で集まろうと考えます。
 取り締まりや見回りを強化すれば、事件がアンダーグラウンド化するのは常識です。

 そもそも「家に帰るように」と促されて帰りたくなるような居心地のいい家なのであれば、深夜に外でたむろする必要などないはずです。

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2015年12月09日

「子どもを守る」とは?(3)

 もちろん、一部の作家の方々などのように「鍵をかけて子どもを外に出さないようにする」とか「親の監視を行き届かせるべき」などというのも論外です。

 経済的に苦しかったり、精神的に行き詰まっていたりして、とても子どもことを最優先に考えて生活できる状況ではない親だって、世の中にはたくさんいます。

 子どもを家に残して夜通し働いてようやく生計を立てている親、子どもに注ぐエネルギーが無くだれか(何か)に充電してもらわなければとても生きられない親だっているでしょう。

 子どものことが最大の関心事である親でいられることは確かに理想かもしれませんが、それをただ親に強要し、できない親を責めたら何かが解決するのでしょうか。

自分の身を守れないのも当然

それより、だれもが正当な賃金を得ることができ安心して子育てできる社会の仕組みをつくったり、うまく子育てができない親のサポートを充実させたりすることが先決なのではないかと思います。

 そもそも日本社会そのものが、子どもが安心して親に甘え、子どもらしくわがままを言ったり、欲求をぶつけたりして、きちんとした子ども時代を生きることを保障せず、「早期教育」「早期自立」だの「競争」や「成果」にこだわって、子どもの成長・発達する力をつぶし、「あらゆる命に価値がある」と思う機会を奪っているのです。

 親がうまく子育てできなかったり、子どもが自分の身を守ることができないのも当然ではないでしょうか。

サポート感が高い子は危機回避能力が高い

 自分の身を守るためには、「自分は大切だ」と思えなければなりません。そんな気持ちを子どもの心の中にはぐくむのは、親をはじめとする身近なおとなのかかわりです。

 周囲のおとなが「あなたは宝物だよ」「あなたはとってもかわいいよ」というメッセージをたくさん発してくれた子どもは、自然と「自分には価値がある」と思えるようになります。

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2015年12月16日

「子どもを守る」とは?(4)

 以前、このブログでご紹介した「周囲の人からのサポート感が高い子どもほど、危機回避能力が高い」との調査結果も思い出してください(大阪教育大学学校危機メンタルサポートセンターの藤田大輔教授が05年に実施した「健康と安全に関する意識調査」)。 

 思い起こせば、この調査の存在を知り、調査結果についての取材をしたのは寝屋川事件がきっかけでした。

 ・・・と言ってももちろん、今回の事件ではありません。

 2005年2月に大阪府寝屋川市で起きた小学校教職員3人がその学校に恨みを抱いた卒業生に殺傷された事件のことです。

「卒業生の犯行」に騒然

「卒業生による犯行」に社会、とくに学校現場は騒然としました。

 事件後、文部科学省は「安全・安心な学校づくりのためのプロジェクトチーム」を設置し、全国の教育委員会は緊急の校長会を開くなどして危機管理マニュアルの見直しや安全管理の強化を各学校へ指示しました。

 笑い話のようですが、教育関係者を対象にして相手の動きを封じ込める武具であり捕具である“刺又(さすまた)”を使った侵入者の捕り物訓練などが真剣に行われるようになったことをよく覚えています。

 学校現場では来訪者への応対方法を再検討したり、防犯ベルの設置や登下校時以外の校門の施錠を義務付けたり、地域の応援を仰いでのパトロールなどが強化されました。

 それまでは開けっ放しが原則で、だれもが出入り自由なのがあたりまえだった地域の小中学校。そこが門を固く閉ざし、入る人を制限し、高い塀に囲まれた閉鎖的な空間に変わる一因ともなった事件でした。

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2015年12月24日

「子どもを守る」とは?(5)

 あれから10年が経ちました。

 今や、固く門戸を閉ざした地域の学校、警察官による安全パトロールや、登下校時に保護者や地域ボランティアが付きそう光景が当たり前になりました。

 おそらく若い世代には、開かれた学校の姿やパトロールや付き添いがまったくない子どもの登下校風景など、想像もつかないことでしょう。

おとなの知らないところで・・・

 私の子ども時代のようにどこかで道草をくったり、おとなの目を逃れて子どもだけの時間を満喫する子どもは格段に減りました。

 そうしておとなが囲い込んできた子どもたちが、今度はおとなが寝静まった真夜中に集い、おとなの知らないネットの世界でつながり始めたのです。

高い壁を築いても無駄

 子どもを閉じ込め、どんなに壁や塀を高くしても、門戸を固く閉ざしても、絶対に子どもを守りきることはできません。危険を極力除去し、子どもを危険に近づけないよう指導・管理しても無駄です。

 子どもを本当の意味で守りたいのであれば、「子どもが帰りたい」と思える安全な居場所をきちんとつくってあげること。そして「自分は大切だ」と思えるような関係性を身近なおとながちゃんと築いてあげること以外にないのです。

 こうした居場所や、おとなとの関係を持つことができたなら、子どもは自然と危険を回避する能力を身に付けることができます。
 自分で対処できないこと、危険なことに出会えば、安全な場所へと駆け込んで、信頼できるおとなに守ってもらおうとすることでしょう。

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