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2015年05月11日

機能不全社会(7)

 罪を犯した責任を「子ども自身に問題があるのだ」と考え、罰し、責任を負わせることは、私たちおとなにとって、とても楽で、ついついそうしたくなってしまいます。

 以前、ある本の編集者が私にこんなことを言っていました。
「子ども関連で売れるのは『子どもの側に問題がある』という視点で書かれた本です。テーマは子育てでもいいし、社会現象の本でもいい。大事なのは、『おとなの側には非がない』ということがはっきりしているかどうかです。そういう本であれば、おとなは安心して読めるから、手に取りやすくなるのです」

 ちょっとキツイ表現で、平たく言い直せば「けっしておとなである自分は責められない。自分自身の過去や生い立ち、自身の親との関わりや子どもとの向き合い方を根本から考えなおす必要もない。今までの自分はいっさい揺らぐことなく安全な場所にいられて、『子どものことを考えている』ような気分が味わえ、『そんな子ども(若者)が増えた社会を憂えている』という満足感も得られるものが受ける」・・・ということでしょうか。

悲劇の事件の背景は?

 このように現実を自分の都合に合わせて考えること、目の前の現実ではなく“信じたい現実”だけを見てい行くことは、自分を守る大切な術です。
 こうした“賢さ”“ずるさ”は、私自身を含め、人間が生き延びるために備えている能力の一つであり、なければ心のバランスを崩してしまうものでもあります。
 
 前回のブログでご紹介した川崎市の中学1年生男子殺害事件のあと、さまざまなメディアが「気づかなかったSOS」とか「なぜ彼のSOSがおとなに届かなったのか」などという記事を掲載していましたが、事件に至るいくつものサイン(たとえば顔のアザなど)が見過ごされた背景には、そんな心のバランスを取るための防衛機能もきっと働いていたことでしょう。

 さらに、子どもというのは「身近なおとなに心配をかけたくない」「自分はちゃんと出来ている子と思われたい」と思ってしまうことが多々あります。

 あの事件は、おとなが持つ防衛機能と子どもが持たずにはいられない思いがピッタリとハマりこんで出来上がった悲劇だったという見方もできます。

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