2014年12月の一覧

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2014年12月15日

児童相談所は子どもを守る最後の砦か(6)

 大前提として、虐待のケースが後を絶たないことは否定しません。たくさんのケースを抱えて走り回る児相職員の方がいるのも知っています。繰り返しになりますが、何よりもこの国の福祉行政の貧しさが大問題だということも分かっています。

 しかしそれでも、先のブログで紹介した女子高校生の声などを聴くと、「職員の対応も見直すべき点があったのではないか」と思うことがあります。

拘置所で母親が語ったこと

 たとえば今年の夏、2013年4月に横浜市の雑木林で白骨遺体となって見つかった女の子の母親が拘置所で記者に語った話の記事(『朝日新聞』2014年7月29日)を読みました。
 記事では、児童相談所の職員ふたりが訪問したときの様子や母親の心境をこう記していました。

「『最初から疑ってきた』。母子の服装や室内を見てメモを取る職員に被告(母親)は反発を覚えたという。
 さらに態度を硬化させたのが、自身の生い立ちに質問が集中したことだった。『虐待を受けたことがないか、やたらと聞かれた』。虐待を受けた人は我が子を虐待することがあるーー後にそう聞いたが、触れられたくない過去を初対面で聞かれて不信感を持った。『でたらめばかり答えた』」

 女の子が亡くなったのは、この9日後でした。

虐待親に寄り添う視点が必要

 そもそも初動が遅すぎた、という問題があるでしょう。すでに訪問したときは、緊急避難としての危機介入をすべきときに来ていたという見方もできます。

 そうしたタイミングを見逃さず、適切に対応するには、経験や勘、何より、「まず虐待せざるを得ない親の側に寄り添ってものごとを見る」視点が欠かせません。
 この母親の証言を読む限り、そうした視点を職員は持っていなかったのではないかと思えてしまいます。

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2014年12月24日

児童相談所は子どもを守る最後の砦か(7)

 ただ一方的に情報を取ろうとすれば、人は身を守ろうと構えます。疑ってかかられているならなおのこと。理解してくれない相手に真実を話す気になどなりません。最初から疑ってかかる相手に対して「本心を語れ」という方がどだい無理なのです。

 本心を語って欲しいのなら、追い詰められている当事者の痛みを理解し、それを分かち合おうとする姿勢が必要です。
 それが信頼関係を生み、当事者がひとりで抱え込んでいる困難をだれかに預けることができるようになります。虐待ケースであれば、結果的に子どもの命を救うことにつながるのです。

 もし、そうした時間をかける余裕が無いほど危機的であると判断するならば、緊急に一時保護すべきです。子どもの命と人生を守る児相には、そうした状況判断ができる力量ある専門家が配置されなければならないのではないでしょうか。

「問題ある親」が問題? 

 児童相談所関係者や行政の方に、虐待親との対応について尋ねたことがあります。

 たとえばある方は「厳しい状況で職員はよくやっている」と言い、また別の方たちは個々の職員の力量差を認めつつも、「話し合いが成立しない親もいる」とか「親の側にも問題がある」などと話していました。

 確かにそうでしょう。

 そもそも何も問題を抱えていない親であるなら、子どもを虐待することなどあり得ません。
 話し合うことが難しい親がいることも、知っています。その親自身が、あまりに過酷な環境で生きてきた(生きている)ため、子どもの立場に立てなかったり、発達の途上にある子どもという存在の特徴が理解できなかったりすることはめずらしくありません。

責任は職員の側にある

 でも、だからといって「きちんと話し合えないのは親のせい」と、言い切ってしまっていいのでしょうか。

 少なくとも対峙する職員側はプロとして子どもの福祉のために、親と向き合っているはずです。
 話合いが成立しない親や、やりとりが難しい親が相手だとしても、きちんと話合いを行う責任は、職員の側にあるはずです。

 子どもの成長・発達のための国際的な約束である子どもの権利条約は前文で「家族が、社会の基礎的な集団として、並びに家族のすべての構成員とくに子どもの成長および福祉のための自然な環境として、社会においてその責任を十分に引き受けることができるよう必要な保護および援助を与えられるべき」と、しっかりと謳っています。

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2014年12月31日

児童相談所は子どもを守る最後の砦か(8)

 ところが実際には、前にご紹介した高校生の女の子のようなことが起きています。
 
 そしてそれは、びっくりするほどのレアケースでも無いようです。ここ1年あまりの間に子どもの権利のための国連NGO・DCI日本のオンブズマンには、「児相が子どもを連れて行ってしまい、会わせてもらえない」という相談が6件ほど寄せられています。

 相談者のひとりであるある母親は、神奈川県内の児相により、2010年に4歳(当時)だった長女と引き離されました。

 元夫からのDVが原因で抑うつ的になっていたため精神薬を多用し、その影響で死にたい気持ちが増すなどの症状があったことを受け、精神科医が「子どもの世話ができる状態ではない」と判断したことが、引き離された理由でした。

面会わずか1度

 その後、この母親は自力で減薬して症状を乗り越えましたが、児相は「母子家庭で経済的に不安定」「長女の具合が悪い」と面会すらこばみました。そして母親が子どもを引き取るために就職し、再婚すると、「養父は虐待するもの」「偽装結婚」などと言い出したというのです。
 分離された後、面会できたのは分離から1年半後のわずか1回、それも5分程度でした。

 幼くして引き離された長女は、母親と認識できず、面会中の表情は硬く、一言も声を発しない緘黙状態だったと言います。一緒に暮らしていたときは、年相応の発達を遂げ、おむつも外れていたのに、小学校3年生の今も外出時にはおむつが必要で、「感情の起伏が激しいのは発達障害」と、投薬治療も勧められたそうです。

安全基地の喪失は負の影響を及ぼす

 子どもの権利条約の理念に立てば、たとえ虐待する親だったとしても、そこから子どもを引き離せばよいということにはなりません。

 もちろん、一時的には引き離さねばならない危機的なケースがあるのは承知しています。しかし、たとえそうしたケースであっても、その親子、とくに子どもにとって最も理想的な再統合というかたちをさぐり、それに向けての援助が不可欠なはずです。

 親という安全基地を持てないまま成長すれば、その負の影響が子どもの人生や人格に大きな影を落とします。ときに発達障害とも思える症状を呈することがあるという事実は、子ども福祉や心理の世界で働いていれば、今や常識です。

児相が本当にすべきこと

 児相がすべきことは、ただ親から子どもを取り上げるのではなく、まず虐待の事実を証拠によって認定し、子どもの安全を確保したうえで、親がきちんと子どもを育てられるよう、個々の事情やニーズに応じた細やかな対話と支援を行うことです。

 その努力をせず、権限を振りかざして親子を断絶し、保身に走って過ちを隠蔽するようなことは、子どもの福祉を最優先すべき児相が、その役割を放棄したと言わざるを得ません。

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