2014年06月の一覧

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2014年06月02日

遺族を訴訟に追い込んだ大川小学校事故検証委員会(5)


 教師には、子どもの命と安全を守る義務があります。教師ではない、多くのおとなであれば見過ごしてしまうような危険であったとしても、それを予見し、回避することが求めらます。
 
 そのような専門家であるからこそ、親は安心して子どもを学校に預け、教師を信頼することができるのです。

専門家集団として機能しなかった

 ところが大川小では違いました。
 教師は、ラジオなどから災害情報を得ながらも、川の様子を見に行くなど積極的な情報収集をしていませんでした。3.11の二日前に起きた震度5弱の地震のときには、川の様子を見に行き、教師たちの間で津波の危険性が話題になっていたにもかかわらず、です。

 唯一、助かった生存教師をはじめ、山への避難を促す教師もいましたが、「津波は来な
い」と主張する古参の教師の声にかき消されてしまいました。
 いったんは山に逃げた子どもは連れ戻され、かってな行動を取らないよう、注意されたそうです。
 校長不在の中、教頭は決断を下せずにいました。

日頃の人間関係問題?

 あるご遺族は、こんな重要な指摘をしています。

「生存教師は理科が専門でした。地震には一番詳しかったはずです。その教師が二回も山への避難を主張したのに、通らなかった背景には、日頃の教師たちの人間関係や力関係、校長の学校運営の問題があったのではないでしょうか。そうだとしたら、それは学校文化の問題です。ところが検証ではこの一番重要な部分が手つかずです」

 実は、古参の教師と生存教師をめぐる日頃からの軋轢については他のご遺族の方々からもたびたび耳にしました。
 そのせいもあるのでしょうか。「生存教師は職員室で浮いた存在だった」と話すご遺族もおられました。

教師間の意思疎通に問題?

 形には見えない人間関係のことですから、はっきりとした結論を導き出すことは難しいことでしょう。証言者となるべく多くの教師が、命を落としています。

 しかし、検証委員会がまとめた最終報告にも「生存教師が校舎二階で比較的安全に避難できそうな場所を特定している間に、三角地帯(地図参照)に向けて移動を始めた」(84ページ)と書かれています。
 
 少なくとも、教師間の意思疎通や話し合いがうまくいっていなかったことは推測できます。
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2014年06月12日

遺族を訴訟に追い込んだ大川小学校事故検証委員会(6)

 もっとも津波や地震に詳しい教師の意見が通らなかったことも不思議ですが、「避難先に、なぜ新北上大橋たもとの堤防上にある三角地帯(学校から約250メートル離れたところにある)を選んだのか」も大きな謎です。

 確かに、海抜1~2メートルの大川小から見れば、三角地帯は数メートル高い場所にあります。私が実際にこの場所に行ったときにも「校舎より高い」との印象は覚えました。

 でも、3月11日のあの日、15時時32分にラジオが伝えた予想津波高は10メートル。しかも、津波が来る川は、すぐ目の前です。これでは、「あえて津波に向かっていく」ようなものです。

避難経路も不可思議

 避難経路も不可思議です。文字で表現するのはわかりにくいと思いますので、まずは、『朝日新聞』の記事を掲載したサイトをご覧ください。

 これを見ると、大川小と三角地帯の位置関係や、子どもたちがどんなふうに三角地帯を目指し、津波がどのように押し寄せたのかが分かります。

すでに津波が迫っていた?

 サイトをご覧になった方はおわかりかと思いますが、一般的に大川小から三角地帯を目指すなら、学校を背に右に出で、大きな道(県道238号線)を通るのが自然なルートではないでしょうか。

 ところが、子どもたちは、山に向かう左に出てから、道が狭く、ご遺族の話によると「袋小路に逃げ込むようなもの」である民家の隙間を進んで、三角地帯を目指しています。

 どうしてなのでしょうか?

 これは推測にすぎませんが、避難をはじめたときには、すでに右側から川津波が迫っていたからなのではないでしょうか。

 右から水が来ているのを見れば、反対側(左)に逃げるのが生き物としての本能でしょう。
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2014年06月23日

遺族を訴訟に追い込んだ大川小学校事故検証委員会(7)

「なぜ、山側(学校を出て左側)に逃げたのか」という謎は深まるばかりですが、その疑問はちょっと置いておきましょう。

 せっかく山側へと逃げたのですから、そのまま三角地帯とは逆方向の、あの子どもたちが日常的に遊んでいた裏山を目指せば、もっと多くの命が助かったことでしょう。
 
 なぜそうしなかったのでしょうか。これもまた大きな疑問です。

日本の教育体制の象徴

 ここでもまた推測で申し訳ないのですが、いったん「三角地帯に逃げる」ことに決めてしまったため、その考えにとらわれ、とっさの柔軟な判断ができなかったのだと考えることはできないでしょうか。

 いや、もしかしたら最も地震や津波に詳しい教師の「裏山に逃げよう」という主張が無視され、山に逃げた子どもが連れ戻された時点で、すでに「裏山に逃げる」という選択肢は、「あり得ないこと」になってしまっていたのかもしれません。

 こんな指摘をする人がいます。

「最後に子どもを救うのは、危険を肌で感じ、子どもの訴えに耳を貸しながら、事態に対応する能力を持つ教師。大川小事件は、そうした教師を育成してこなかった日本の教育体制の象徴だ。最終報告が提言するマニュアル整備や防災訓練・研修よりも、教師が日常から子どもに顔を向け、自分で考えられるように教育体制を見直さなければ。提言(※)(11・13)は『子どもが自分で判断・行動できる能力を育てよ』と言うが、教師ができていないことをどう子どもに教えるのか」(子どもの権利に詳しい福田雅章一橋大学名誉教授/『週刊金曜日』2014.3.14(983号))

検証委員会の罪は重大

 生き残った子どもたちなどの証言によると、大川小では、何人もの子どもが「山へ逃げよう」と教師に訴えていました。「このままでは死んでしまう!」「先生、どうして山に逃げないんだ!」と、泣きながら叫んでいました。
 
 それなのに、その悲痛な子どもたちの叫びは無視されました。
 そうやって無念の死を遂げた友達に代わって勇気を振り絞った子どもたちの証言も、我が子に代わって真実を明らかにしようとする遺族の思いも、ずっとずっと無視され続けてきました。

 大川小事件は、子ども一人ひとりの命の重さを軽んじ、自分の思いや意見を横に置き、命令に従う人材を育てることで、力を持った人々の利益を優先しようという、日本社会を映す鏡です。

 子どもの命というかけがえのない犠牲を払いながら、検証を放棄して、日本社会の持つ問題を隠蔽した検証委員会の罪は計り知れません。

※検証委員会がまとめた『最終報告』にある提言
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