2014年03月の一覧

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2014年03月03日

さとり世代(6)

 でも、この『モノクローム』の世界観は、ここ10年くらいの間、私が10代から20代に対して感じていた“変化”と一致していました。

「怒り」から「あきらめ」へ

 私が子どもや家族をめぐる問題とかかわり始めたのは1990年代半ば。その頃の子どもたちは、おとなや社会に対して、もっともっと、ずっとずっと辛辣でした。

 本音と建て前を使い分ける親に嫌悪感を持ち、きちんと向き合おうとしない教師に腹を立て、社会の理不尽さに憤っていました。

 言ってしまえば、あの伝説のシンガーソングライター、尾崎豊が歌ったおとなや社会への「怒り」に共感できるような感覚を持っていました。

 ところが、2000年代に入ってからは違います。
 おとなへの、社会への「怒り」は急速にしぼみ、代わりに子どもたちから感じるようになったのは「あきらめ」でした。

尾崎豊と加藤ミリヤの違い

 そんな子どもたちのマインドの変化は、尾崎豊が1985年に発表した『卒業』と、1988年生まれのシンガーソングライター・加藤ミリヤが20006年に発表した『ソツギョウ』の違いに端的に現れています。

 たとえば尾崎は「行儀よくまじめなんて クソくらえと 思った 夜の校舎 窓ガラス壊してまわった 逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった 信じられぬおとなとの争いの中で 許しあい いったい何 解りあえただろう」と歌いました。

 これに対し加藤は「気付いて欲しい ここに居るのに some teachers hated me わかる訳ない 何も知らないくせに I never go there no more 意味もない 行き場だってない 私だったから たった一つ見つけ出す その日が来る 壊されそうで it feels like killing  助けを求めて ねえ 泣いて泣いて泣いて泣いた答えここに 今 支配の中を抜け出して」と歌っています。

 どちらも、「支配から脱(卒業)して自由になるのだ」と歌っているのですが、そのトーンはかなり違います。
 
 上記サイトで歌詞の全文を読んでいただけば、その違いがさらに分かっていただけると思うのですが、尾崎は窓ガラスを割ったり、おとなに逆らい続けたりして、積極的な「怒り」というかたちで自分の思いを表現します。

 一方の加藤は、「気づいて欲しい」「助けて欲しい」と、常に消極的です。尾崎の歌詞から強烈に感じる「怒り」は姿を消し、自分からは何も働きかけることはしない孤独な姿が浮かびます。

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2014年03月10日

さとり世代(7)

 私が実際に会った子どもたちも同じでした。
 
 たとえば、私が編集・執筆に関わった児童養護施設で暮らす子どもたちの声を集めた『子どもが語る施設の暮らし』(明石書店)という本の取材で出会った子どもたちもそうです。

 90年代はじめくらいまでに出会った子たちは、施設での生活に不満を述べ、自らをこんな境遇に置いたおとなへの憤りを語ってくれました。その激しい怒りの矛先は、ときにインタビュアーである私に向けられ、私の中にも強いネガティブな感情を呼び起こすほどでした。

 ところが、90年代後半、とくに2000年に入ると事情が変わってきます。同じように児童養護施設で暮らすこどもたちに話を聞いたにもかかわらず、子どもたちは、言葉少なに「べつに不満はない」と言い、「だって、仕方ないじゃん」と、冷めた目で私を見つめていました。

 何を聞いても「べつに」「フツー」「流すだけ」と答えられてしまうので、インタビュアーとして、「たとえばこういうことに不満はないの?」「こんなおとなのことをどう思う?」と、焦りながら質問をした思い出があります。

怒りもいらだちもない

 私がこうした子どもたちの変化を意識しはじめたのはちょうど2000年でした。
 1997年に起きた神戸小学生殺傷事件以来、その加害者だったA少年と同年代の子どもたちによる事件が相次ぎ、「キレる17歳」が話題になっていた頃です。

 当時、「キレる17歳」に共感を覚える同世代は少なくありませんでした。そんなひとりである17歳(当時)の少女が、こう言ったのです。

「こうやってずーっと競争させられて、周りを見ながら生きて、そうしたら『ほっと出来るのなんて、定年退職してからじゃん』って思ったら、なんか嫌になっちゃったよ。社会が変わるっていうか、変えられることなんかあるのかな?」
 
 そこには、世の中を変えていこうという思いや、定年するまでホッとできない社会への疑問はありませんでした。
 彼女にとって、今の世の中は「絶対に変わらないもの」で、「その中でいかに生き延びるのか」が大事でした。

 当然、怒りも、いらだちも感じられません。

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2014年03月17日

さとり世代(8)

 今、自分の思いや願いなどをぶつけてくる10代はめったにいません。とくに、怒りを表出する子が減ったように思えます。

 当然、腹を立てるべき状況におかれても、「だって、仕方ないじゃん」という雰囲気です。
 いえ、いじめ防止対策推進法は子どもを救う?(3)(4)」でも書いたように、腹を立てるべき状況に自分が置かれていることさえ、気づかない場合もあるのでしょう。

「怒り」は大切な感情

「怒り」は大切な感情です。自尊心が傷ついたときにわきおこり、自分が脅かされていることを教えてくれます。この「怒り」があるからこそ、人は自分を守り、危険に満ちた世の中を安全に生きのびることができるのです。

 そんな身を守る機能を持つ「怒り」の源泉をたどると、乳幼児の「他者を求める叫び」に行きつきます。

 数多い哺乳類の中でも、とりわけ未熟なまま産まれてくる人は、たえず自分を気にかけ、守ってくれる養育者(多くの場合は母親)がいなければ生きていくことができません。だから養育者から離された乳幼児は、泣き叫んで養育者を呼びます。ひとり置かれることは飢えて死ぬことを意味しますから、必死に自らのニーズを伝え、それを満たしてくれるよう訴えます。

 泣き叫ぶ乳幼児の心には、恐怖と悲しみを伴う「なぜ自分をほうっておくんだ!」という「怒り」があり、自分の身を脅かす感情を「解消して欲しい」と養育者に求めているのです。

「怒り」は他者との関係維持を求める欲求

 IFFの斎藤学顧問は、乳幼児の「怒り」について次のように書いています。

「それは『母親環境』の供給維持という欲求が阻害されたことへの抗議を意味し、それが再び供与される期待という意味を持つ。つまり『怒り』は自己保全を求める欲求の表現ということになる。(略)少なくとも原初段階の『怒り』は、それ自体『他者との関係の維持を求める欲求』とみなされよう。最近の神経心理学的発達研究では乳幼児期(2歳以下)の身体的トラウマやネグレクトが右脳前頭前野皮質の発達を妨げ、それによるストレス抑制反応を鈍化させ、後年のストレス感受性昂進につながることが指摘されている(S.chore.A.N.)が、こうした危機状況下にある乳幼児が示すことのできる最も適切な表現こそ『怒り』なのである」(『アディクションと家族』21(4号)、365ページ「『怒り』と『憎しみ』について」)

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2014年03月25日

さとり世代(9)

「怒り」を安心して表現できる環境が保障され、関係性の維持を求める欲求に応じてくれる養育者に出会うことができれば、乳幼児の「怒り」(泣き叫び)は、少しずつ洗練されていきます。

 その子の発達度合いに応じて、ただ泣き叫ぶのではなく、身振りや手振り、言葉や意見など、もっと有効な方法で自分のニーズを表すようになっていき、やがて意見表明や自己主張と呼ばれるものへと変わっていきます。

 一方、不運にも安全な環境や求めに応じてくれる養育者に恵まれなかった場合、子どもは「怒り」という、他者に助けを求めるサインを適切に表すことができなくなってしまいます。「求めても他者は応じてくれない」と学習し、他者の助け、他者との関係を求めることをやめてしまうのです。

スピッツの調査報告

 1945年、児童精神科医のスピッツがまとめた、有名で、かつとても興味深い乳児についての調査報告があります。

 母親から引き離された乳児は、最初はさかんに泣きますが、そのうち泣かなくなり、無表情・無反応になっていくというものです(Spitz,R.A.(1945):Hospitalism.An inquiry into the genesis of psychiatric conditions in early childhood.Psychoanalytic Study of the Child,1,53ー74.)。

 さらにスピッツは、その後も母(養育者)によるケアがなかった場合、乳児はホスピタリズムと呼ばれる情緒的発達および身体的発達の障害を来し、死に至ることもあるとも述べています。

ボウルビィの「悲哀の過程」

 また、第二次大戦後の戦災孤児の調査や、乳幼児と親の関係を研究した愛着理論の立役者・ボウルビィは、大切な愛着対象を失ってから、新たな愛着対象との創造的な関係を結ぶに至る心的過程を次のように考えました。

(1)失った事実を認められない段階、(2)失った対象を探し続け、あきらめきれずに強い怒りを感じる段階、(3)対象が戻って来ないとあきらめ、絶望する段階、(4)新たな愛着対象との関係性を結び始める段階。

 でも、新たな愛着対象が見つからなかったらどうでしょうか。「求めても仕方がない」とあきらめ、無気力になってしまうのではないでしょうか。

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