2014年02月の一覧

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2014年02月03日

さとり世代(3)

 世の流れに棹さしがちな私などは、そもそも『知恵蔵2013』の解説が指摘するように「高度成長期後のモノが十分に行き渡っていた時代に生まれ、物心ついたときにはバブルが崩壊し、不況しか知らない。一方で、情報通信技術の進歩と共に、当たり前のようにインターネットに触れてきた」時代を「成熟した時代」と呼ぶことにもひっかかってしまいます。

 ちょっと脱線になりますが、現在を「成熟時代」と呼び、日本など先進諸国を「成熟社会」と呼ぶ人がいますが、いったい何をもって「成熟している」と考えるのでしょうか。

「成熟社会」とは?

 このような「成熟」という言い回しが一般的になったのは、イギリスの物理学者ガボールが『成熟社会 新しい文明の選択』という本を著した1979年代はじめと言われています。

 この著書でガボールは、「量的拡大のみを追求する経済成長が終息に向かう中で、精神的豊かさや生活の質の向上を重視する、平和で自由な社会」を「成熟社会」と位置づけています(weblio)。

 では、果たして現代社会はどうでしょうか?
 精神的豊かさや生活の質の向上を重視する、平和で自由な社会になっているでしょうか?

 少なくとも、私の答えは「否」です。

「さとり」からの連想
 
 閑話休題。
「さとり」に話を戻しましょう。

 私が「さとり(悟り)」という言葉を聞いて、最初に思い出すのはオウム真理教の信者の人たちです。

 くしくも最近、1995年当時、目黒公証役場の事務長を拉致した事件でオウム真理教元信者の平田 信被告の初公判などがあり、話題になっています。

 私は、1995年に起きた地下鉄サリン事件後、警察官によって信者の子どもたちが、教壇関連施設から強引に連れ出された事件の取材を通して、教団幹部と呼ばれる人たちとは違う、一般信者の人たちと知り合いました。

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2014年02月12日

さとり世代(4)

「オウム真理教」と聞くと、それだけで、なにやら得たいの知れない、恐ろしいイメージを持つ方もいらっしゃることと思います。

 その信者の方々に対しても、「あんな凶悪事件を起こすような教えを信じていた凶悪な人間」「マインドコントロールされ、自分の頭でものを考えられない人間」「親子の絆など、人と人とのつながりを否定する冷酷な人間」・・・そんな印象を持っている方も、けっこう多いのではないでしょうか。

イメージとは真反対

 でも、実際にはまったく反対です。

 私がお会いした、多くの信者の方々は、人とのつながりを求めるがあまりに傷つき、多くのことを考えすぎてしまうからこそ生きづらく、結局は争いや暴力を肯定している社会(世界)を憂えているからこそ、今の世の中をうまくわたっていくことができず、現世を捨てて出家していました。

 でも、それでも現世への思い、現世に残してきた家族や恋人や大切な人たちへの思いが絶ちがたいからこそ、世の中から距離を取った世界で、日々修行をし、そうした煩悩を断ち切ろうともがいていらっしゃいました。

 何ものにも執着しない、何も求めない「無」の境地である「さとりの境地」を目指し、極限まで自分を追い込もうとされていました。

 私にも盛んに修行を勧め、「さとりを開くことがいかにすばらしいことか」と説いてくださった方々もいっぱいいらっしゃいました。

「さとりの境地」はすばらしい?

 しかし、私には(大変申し訳ないのですが)、彼らが修行をしてまで目指す「さとりの境地」がそんなにすばらしいものには感じられませんでした。

 悩みも苦しみも悲しみもない、傷つけたり、傷つけられたりすることもない、何も欲しない世界がどうしてすばらしいのか? そんな世界が「幸せ」と呼べる世界なのかが、私には分かりませんでした。

 もちろん私だって苦しみは嫌ですし、傷つけることも、傷つけられることもしたくはありません。すべて満たされた状態で、何の悩みもなく、楽しい思いだけをして生きて行けたらどれほど苦労はないかとも思います。

 でも、大切なものを失えば、悲しみに暮れるのは当然ですし、だれかを心から愛すれば傷つくことはありますし、何かに打ち込めば自分の至らなさに悩むことは避けて通れません。
「ああもしたい」「こうありたい」と思うからこそ、人生は豊かで、生きていく甲斐のある、キラキラしたものになるのではないか、と思うのです。

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2014年02月21日

さとり世代(5)

 確かに、怒りや悲しみなどの強い感情は私たちを圧倒し、打ちのめします。けして幸福感を与えてくれる感情ではないので、その感情を持ち続けるのはとても大変なことです。

 そのうえ、このブログの「感情を失った時代(7)」などで書いたように、あるシチュエーションの中で当然、抱くであろう「リアルな感情」の存在が許されない現実もあります。

 私たちの社会は、べつに特定の宗教に入信などしていなくても、現実社会に適応するべくーーとくに90年代に入ってからーー極力、心を動かさないよう、「感情的になることはよくないことだ」と、子どもたちに教えてきました。

BENNIE Kの『モノクローム』

 90年代を生きた子どもたちの気持ちをとてもよく現しているヒット曲があります。2008年にBENNIE Kが歌った『モノクローム』です。 当時、動画投稿サイト“泣ける歌”で再生回数が200万回を超えました。

 以下は、その歌詞の一部です(全体を知りたい方はこちらをご参考ください)。

  All 遠慮せず Name the price あんたの価値一体どんくらい?
  Gucci Fendi Louis Vuitton Or CHANEL がなきゃ計れない時代
  先進国日本に生まれ 変えれると思った何か歌で?
  現実と言う荒波に打たれ 分かったのは『人生勝ち負け』って
  やられる前にやれるか? 負け犬なら慣れるか?
  All day All night なんで終わんない 時間は 今日も足りない
  ただ不安だって痛んで 不満がって誰かをひがんで
  ありったけで笑ったって 本当はもう訳わかんないです (Look at your self)
  暗い自分は嫌い 友情とかくさいし要らない
  自分の価値そんなの知らない 感情はもううざいし要らない

衝撃的だったフレーズ

 私は、2010年に国連で自分たちの現状をプレゼンテーションした子どもたちから、この歌の存在を教えてもらいました。「自分の周囲にいる同世代の気持ちを代弁している」と、教えてくれたのです。

 この歌の言う、ブランドがなければその人間の価値がはかれないということ。現実の中で人生は勝ち負けであるということ。負け犬には慣れるのかということ。ありったけで笑っていても、もう訳が分からなくて、友情もいらないということ。

 そして、「自分の価値そんなの知らない」「感情はもううざいし要らない」というフレーズ・・・。
 
 私たちがつくってきた社会が、ここまで子どもたちを追い込んでいるのだと、本当に衝撃を覚えました。

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