2013年06月の一覧

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2013年06月06日

BOSTON STRONG(4)

 そして今、最も「発展の影で犠牲になっている」と強く感じているのが3.11の被災者の方々です。

「感情を失った時代」の回にも書きましたが、現実感の無い「景気回復」に浮かれ、実感のない「経済成長」優先の裏で、肝心の被災地の復興は遅々として進んでいません。
 少し前にも復興予算の約1.2兆円が公益法人や自治体が管理する「基金」に配られ、被災地以外で使われているとの報道がありました(『朝日新聞』5月9日)。

 国の予算審議が遅れ、補助が受けられないため、福島県から避難している方々への支援を打ち切らざるを得ない支援団体などが出始めていたり、過酷な状況下で働く福島第一原発事故の作業員の方々が、契約した派遣会社から契約通りの賃金をもらえない「ピンハネ」は後を絶ちません。

特例法案も成立したが・・・

 つい最近、東京電力福島第1原発事故の損害賠償に関して、国の「原子力損害賠償紛争解決センター」に和解の仲介を申し立てている場合に限り、賠償請求権の3年の時効が過ぎても東電に賠償請求できるようにする特例法案が成立しましたが、内容を見るとかなりマユツバです。
 
 この法律で救済されるのは、東電と交渉する裁判外紛争解決手続き(ADR)を申し立てた人に限られます。

 確かに、和解仲介を継続している人が3年の時効を迎えた場合には、和解仲介の打ち切り通知から1カ月以内に訴訟を起こせば賠償請求権の消滅は防げます。でも、逆に言えば申し立てが出来ていなかったり、1ヶ月以内に訴状を用意できなければ、請求権は消滅することになります。

 当事者や支援者からは「法案は被災者の切り捨てにつながる」という危惧の声も聞こえます。

きちんとした保障を受けられるのはいつ?

 そもそもADRは、職員不足などで解決まで半年以上かかることもあって利用者が低迷しています。文部科学省によると、利用者は現在約2万9000人で、約15万2000人いる避難者の19%程度に過ぎません。

 被災者の方々が、きちんとした保障を受けられるのはいったいいつになるのか・・・。ついつい水俣病や足尾銅山鉱毒事件の被害者の方々と重ね合わせてしまいます。

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2013年06月14日

BOSTON STRONG(5)

 震災から2年が過ぎ、被災者の方々の生活状況はどんどん深刻さを増しています。

 未だに高い放射線値が検出される福島に残って子育てをしていくことを決意した方々。
 逆に、避難地域に指定されてはいないけれども、独自の判断で住み慣れた土地(福島の方だけではありません)を離れて子どもと生きていくことを決意された方々。

 昨年末から何回かそうした親子の方々からお話しをうかがう機会がありました。

 残る選択をされた方は「『集団疎開』などと声高に叫ぶ人たちの論調を聞くと、『なぜ放射線が高いと分かっていながらそこで子育てし続けるのか』と責められているような気持ちがする」と話し、母子避難された方は「『国も安全だと言っているし、みんなここで暮らしているのにどうしていっしょに暮らせないのか』と責め立てられる」と話していました。

残るのも避難するのも苦渋の選択

 本来であれば、残るか避難するかは、その家族・夫婦・親子の問題です。他人がとやかく言えることではありません。

 そもそも、原発事故さえなければこんな苦渋の選択・決断を強いることもなかったわけです。それならばたとえどちらを選ぼうと新しい生活をしていくための十分な保障がなされるのが当然のはずです。

 でも、現実が「十分の保障」からどれほど遠い状況にあるかは、もう何度もこのブログでも書きました。

逼迫した母子避難の方々

 そうした中で、たとえば母子避難をされた方々の生活はかなり逼迫したところまで来ています。

 二重生活のための経済的な負担、離れて暮らす家族と会うための経済的・物理的負担、他の家族との考え方の違いによる軋轢、もともと暮らしていた土地の近所の方々からの詰めたい視線、避難先での心ない対応の数々・・・。あげればキリがありません。

 少しだけでも生活費の足しにするため仕事をしようとしても、幼い子どもを預ける場所がなければ働けません。
 医療や健康調査の通知等が届かなくなったりすることを防ぐため、多くの避難者の方々は住民票をもと居た場所に置いたままにしています。そのため避難先の自治体では門前払いにあって待機児童にさえなれなかったという話も聞きました。

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2013年06月20日

BOSTON STRONG(6)

 放射能という目に見えない、得体の知れないものに怯えながら低線量被曝がいったい生命に何をもたらすのかも分からない中で、たったひとりで子育てをするというだけでも、想像できないくらい大変なことです。

 そんな避難生活をされている母子に「これでもか!」というほどたくさんの難題が次々と降りかかっています。

 母子避難の方々が直面している問題がどんなものなのか。そのリアルな声を聞きたいいという方は、ぜひ関西に母子避難されている方々の体験手記『20年後のあなたへ』をお読みください。「避難ママのお茶べり会」より購入できます。

 ここでは、私が強く心を揺さぶられた母子避難されているあるお母さんの言葉を一部抜粋のかたちでご紹介させていいただきたいと思います。
 それは福島から関西に避難されているあるお母さんの話でした。彼女の手記が載った『子どもの権利モニター』116号(DCI日本発行)より転載いたします。

父親から引き離したことは正しかった?

「夫は月に一度来れればよい方です。『単身赴任や海外赴任のお父さんを持つご家庭と同じ」と、自分に言い聞かせて日々過ごしていますが、『いつまで』という任期があるわけでなく、おそらく相当長期に渡ってこの生活が続くと考えると、子どもへの精神面での影響が心配で、『本当に福島を出て良かったのか』と何度悩んだかしれません。お父さんが大好きだった3歳の息子を父親から引き離してしまったのは本当に正しかったのか? 震災当時、生後5ヶ月だった娘はほぼ父親を知らないで育ってしまって父娘関係に影響は出ないだろうか? なによりも、家族のためにたったひとりで福島に残って子どもの寝顔さえ毎日見る事が出来ない生活をしている夫の精神状態は本当に大丈夫なのだろうか? 休みには700キロ以上離れた大阪まで1人高速道路を車で飛ばして子どもたちに会いに来て、大阪では24時間も滞在できないで、また戻る。せっかく夫が来ても、子どもたちには 『お父さんは疲れてるから寝かせてあげて!』と声を上げる私は母親として何をやってるんだろう・・・」

 手記からは、「放射能からは子どもを守ることができたけれども、父親との関係性を奪ってしまったことの影響はないのだろうか?」という迷いと苦悩が、伝わってきます。

心と体の健康はトータル

 心と体の健康はトータルなものです。物理的な環境だけを整えても、子どもの心は健康に育ちません。たとえば、一切の放射能汚染の無い場所で、衣食住のすべてを満たす生活が保障されたとしても、それだけでは子どもはきちんと育ちません。無条件に愛し、常に関心を向けてくれるおとな(多くの場合は親)の存在が不可欠です。

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